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弁護士は、なぜ強姦事件を弁護するのか、弁護できるのか、何を弁護するのか [刑事事件]

特定の事件のことをコメントしているわけではありません。
また、性犯罪加害者の刑を軽くしようと思って書いているわけでもありません。

特定の事件を弁護士がコメントしないことには理由があります。
先ず、情報を持っていないということです。
情報を持っていないのに、
あの判決は不当だとか
あの弁護方針はおかしいとか
そういうことは言えないのです。

法的関与の方針決定をする場合、
事件や被害者、被告人の更生の方法
そのための弁護方針、
細かいことを言えば、当該裁判の裁判官の傾向
もろもろを考慮して決めますので、
実際に事件に関与しないとわかりません。

報道された情報があるのですが、
警察発表は一方的になりがちで、
悔しい思いを弁護士は何度も経験しています。

児童虐待で逮捕された男性は、
性的虐待の可能性もあると広く報道されてしまい
繰り返し全国ニュースで勤務先まで写されてしまいました。

後に民事系の裁判で、
性的虐待は母親の妄想の産物だという判決が出て、
刑事事件も偶発的なかすり傷であり虐待ではないとして
起訴さえされませんでした。

警察からも報道機関からも一言も謝罪もなく、
家庭のことで冤罪なのに、男性は職場から処分されました。

そういうことで、弁護士として事件を見る場合
報道が正確だとは初めから思っていません。

但し、もちろん家庭の中のオヤジとしては、
「こいつ許せねえ」等と息巻いているのですが、
弁護士としては「私は事情が分かりませんので」
というわけなのです。

さて、タイトルの、なぜ強姦事件を弁護するか

その前に、ネットで性犯罪の弁護士と検索すると
なぜか私の名前が出てくるらしいのですが、
性犯罪の被害の重大被害を語っているうちに
いつしか弁護側になっているのかもしれません。

一言、性犯罪は予後が悪いです。
例えば、幸い未遂であったとしても
雨の日に被害に遭われた方は、
雨が降るだけで、恐怖を感じ、
被害の時の感情がよみがえってしまう
それほど辛いことで、
その後の人生が台無しになるくらい
被害が甚大なのです。

よく、被害者にも落ち度があるなんていう人がいますが、
こういう人のこういう話が
被害者を孤立させ、罪悪感を植え付け、
益々被害を甚大にするのです。

確かに、被害にあわないように
夜遅く一人で歩かないようにしましょう
と言われ、これは真実だと思います。

しかし、これは、
夜遅く歩くと、「悪い奴が来て」被害にあってしまうから
歩かないようにしようという
予防のための論理です。

実際悪い奴に遭遇してしまったといっても
悪い奴は悪い奴であって、
被害者が悪くなるという論理はないのです。
訳知り顔で人を否定するなと強く言っておきます。

さて、そのような重大な犯罪ですが、
弁護士はなぜ弁護するのか。

一言でいってしまえば
それが弁護士の仕事だからです。

こういうと金のためにやるのかと思われがちですが、
ちょっと意味合いが違います。

法制度上、そのような役割のために
弁護士による弁護という制度が設けられている
ということが近いと思います。

このような法制度がない時に
コミュニティーから排除しなければコミュニティーが成り立たない場合、
どうやって排除をしたのかよくわかりませんが、
寄ってたかって、排除したのだと思います。
孤立させられて、石をぶつけられて
追い出されたか、殺されたか。
凄惨な排除だったのではないかと思います。

しかし、国家が成立し、文明が起こると
そのような野放図なリンチは行われなくなっていきます。
いろいろな建前を作りながら、
排除者の側の心理的負担を軽減していくのです。
納得の契機みたいなものもあるのでしょう。

犯罪者であっても、
人権を認め、防御権を認め、
できるだけ理性的な装いをつくるわけです。

社会秩序のために人を罰するわけですから
罰し方によって社会が殺伐になって行ったら
元も子もないからです。

犯罪者の言い分もよく聞いて、
決して無罪の人を罰せず、
仲間として尊重しよう
こういうのが文明の発達とされています。

だから犯罪者を孤立させない。
一人ぐらいは専門家を味方にしよう。
そうやって言い分をきちんと言わせよう。
国民も犯罪者も納得して罰することが
秩序維持にも有効だ
ということになります。

その役割を担うのが弁護士ということです。
ちなみに刑事裁判の弁護は弁護士しかできません。

研修所では、無罪弁護を中心に研修しますが、
私は、これは懐疑的です。
無罪弁護はもっとも大事な刑事弁護ですが、
弁護士の基本は、
犯罪者に寄り添う、悪い人の味方になること
だと思うからです。

犯罪者は、究極のマイノリティーです。
あからさまに悪い事件は、
社会の非難も大きく、
勢い、裁判所でも過酷な刑罰が科される傾向にあります。
完全に孤立しているわけです。

弁護士は、その普通のというか自然の
人間の感情の前に立ちふさがり、
人類の近代、文明を守ろうとする仕事
ということになります。

それは弁護士しかできません。

なぜ弁護できるのか。

じゃあ、無理して弁護をしているのか
と言われると、そうでもないというのが本音です。

確かに、被疑者、被告人の方と会うまでは、
どんな犯罪が行われ、どんな被害を受けた人がいる
という基本情報しかありませんので、
初対面の前は、どんな悪い人を弁護するのかと
緊張をしています。
しかし、実際に顔をあわせると
拍子抜けするほど普通の人ということが殆どです。

そうやって、プラスチックの板越しに話をしていると
益々、どこにでもいる人だなあという感覚が強くなります。
私は20年以上もこんな感じです。

だんだんと、生まれながらの犯罪者という人はいない
犯罪を行うことには、必ず何か理由がある
という感覚になっていきました。

その理由を理解するためには
それこそ専門的な能力が必要ですし、
それでも的外れのこともありますし、
なかなか心のブロックが固い人もいます。

だけど、そこがわからなければ
自分がどうして犯罪をしたのかということがわからず、
どうやったら今後犯罪をしないですむのか
ということがなかなか見えてこない
そのために必死になって
共同作業をするわけです。

そのためにも、被害者の苦しみを
理解しなければ文字通り始まらないのです。

被害者の被害の大きさを実感し、
是非とも二度とこういうことはやらないようにしたいと思い、
親権に自分の人生を考えてもらう
これが弁護なのです。

警察の人とこういう話をした時、
「弁護士は被害者の反省を助ける仕事」
という言葉をいただきました。
何気なく言った言葉を拾ってもらい
ハッと新鮮な緊張が走った記憶があります。

だから、あまり、刑を軽くするという目的での弁護はしません。
もちろん被告人の方の最大の関心事が刑の重さなのですが、
そのこと以上に、自分の今後の生き方を見つめることが大事で、
それがうまくいったときは、
良い結果もついてくるのです。

さて、タイトルの強姦事件です。
強姦事件もそうですが、性犯罪事件一般に共通の事情があるようです。
全部が全部というわけではありませんが、
弁護した実感としてということになります。

それは、
その人の日常生活において、
自分で自分のことを決めることができない
誰かに自分の行動をコントロールされている
という息苦しい、支配されている感覚を持っている
そういう場合が多いようです。

自分であれこれしたいことがあるのに
誰かが、それをさせられないで別のことをさせる
それが日常的に繰り返されている
自分で決めることができない

しかし、その息苦しさに気が付いていないこともあります。

いわゆるエリートと呼ばれる人の性犯罪はこの傾向が強く
マルチの仕事を同時にこなさなければならない
複数の関係者から同時に叱責される
自分の自由が無い
そういう場合に性犯罪に走るようです。

性犯罪の被疑者被告人は、言葉では言いませんが、
自分が支配されているように
誰かを征服したい
という潜在的要求があるようです。

それで自分よりも弱い者
一人でいる女性を襲うという図式があるように思われます。

被害に遭われた方は、
犯人が自分をつけ狙っていて
その結果被害に遭ったと思われる方が多いのですが、

ストーカー型の犯行でない場合は、
犯人が、自分より弱そうだと思うなら
誰でもよい場合が多いです。

被害者の方にこう説明すると
安心していただくことが多いので
一言付け加えておきます。

事件を憎んで犯人も憎んでいたら
犯罪の原因が見えません。
その人が悪いということで終わります。

しかし、もし、共通の原因があるのであれば、
その原因を除去して
新たな被害を作らない
そういうことが必要なのではないでしょうか。




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わが子に会えない親の会 例会報告 ついに沖縄から駆け付けてきた参加者が! [家事]


忘れないうちに次回は、5月5日 
次々回は、6月1日です。

最近報告を怠っていてすいません。
今回、日付が急きょ決まったこともあり
事前報告も怠りご迷惑をおかけいたしました。

ちょっといろいろ都合があって(これ自体は良いこと)
例会がとびとびになっていたのですが、
4月6日に例会がありました。
10人参加でした。いつもよりも広い部屋。

関東在住の方、沖縄在住の方もいらっしゃいました。
沖縄から仙台に、このためだけにいらっしゃるということは
参加者一同驚きました。
あと、青森とYouTube?で参加した方と。

みんな色々あるのです。
詳しくは言えませんが、
いろいろの問題、苦しみ、怒りを抱えながらも
このひと時は、とても和やかに笑顔で参加です。

ネガティブな発言もしたいと思いますが、
少なくとも一次会は、ひたすら優しい時間です。
相手の悪口もほとんど聞かれません。

弁護士や裁判所や法制度への批判も
ユーモアを交えてのものなので、
かえって盛り上がるというか。

言わなくても分かりあっている
ということが大きな要因なのかもしれません。

それにしても、関東や沖縄!から駆け付ける
ということですから、
何かしらニーズにあっているのでしょうね。

幹事さん大奮闘です。

お子さんのもう一人の親御さんも参加してもらいたいなと思います。

こんな優しい人たちが、
どうして子どもに会えないのでしょう?
私は端的に理不尽だと思いますよ。
何かが間違っていると思います。

ところで、
次回ないし、次々回参加の方ご希望の方で、
初めてだという方は、
私の事務所022-212-3773で、
事務員ではなく私までご連絡をお願いいたします。
時間は6時くらいからダラダラ始めていますが、
場所は予約することとなりますので、
お問い合わせください。

二回目以降は、幹事さんから連絡が行きます。



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市長救命の女性を土俵から降ろすアナウンスの「釈明」の何が足りないのか。あと一歩踏み込んだ反省を [労災事件]

極めて象徴的でわかりやすい事例になってしまったので、
取り上げさせていただく。

平成30年4月4日、大相撲舞鶴場所で、
土俵の上で挨拶をしていた市長が倒れた。
くも膜下出血だったらしい。
緊急に手当てをしようと女性の医療関係者が土俵に上がったところ、
女性は土俵から降りるよう場内アナウンスがされたとのことである。

当然大問題である。
ただ、相撲協会も釈明で、
“女人禁制”の伝統には「人命より大事なものはこの世に存在しない。女性が土俵に上がってはいけないという話とは違う次元の話」
と述べている。

「伝統」とか、「神聖」とかが
倒れた市長の命より優先されるアナウンスだった
ということを言葉にしたところは評価しなくてはならないだろう。

しかし、まだまだ足りない。
それは、なぜ、そのようなアナウンスをしてしまったか
その理由について
「(観客席の声に)あわてて反応してしまった」としているところである。

以上は、下記報道から。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00000161-spnannex-spo


この時、アナウンスをした者は、
二つの反応をすることが考えられる。

人命が最優先であるから、女性が土俵に上がることを容認する。
土俵は神聖であるから、女性が土俵に上がることをやめさせる。

前者の反応をしたのがなぜかということを考えなければならない。
これが、前向きな反省である。
アナウンスをしたものの責任で終わらせない反省である。

パワーハラスメントや、セクシャルハラスメント等は
だいたいが、些細なことに対する「反応」である。
ハラスメントをする、しないという
2種類の反応が選択肢としてある。

どちらを選ぶかにどのような違いがあるのだろうか。

それは一言でいえば、協会の言うように、
人命、人格に最大の価値をおくか
それ以外のものに価値をおくか
という違いである。

会社全体が、長時間労働や労働強化という
利益追求優先(利益優先ではない残念ながら)で
命や人格に価値をおかない風潮が多いところに
ハラスメントは横行している。
つまり退廃である。
当然、長続きしない経営方法である。

人命、人格、つまり人間を大事にしようとするならば、
過労死の危険云々の前に
家族と一緒の時間を過ごせない働き方自体を
させることができるわけがないと私は思う。

「会社は厳しいのだ」
という呪文を繰り返して労働者の人格を攻撃し、
その影響を家庭に持ち込んで
家族不和の原因を作ることになるかもしれないと
人間を大事にすることに価値をおくならば
気が付くはずだ。

そもそも感情のある人間を
困惑させることだって、
心理的抵抗を覚えるはずである。

過労死やハラスメントの情緒的原因は、
この人間を大切にしない風潮である。
人間を使い捨てのきく資材と考えている風潮である。

相撲協会の場合は、
「神聖」な「伝統」である。
これが人間を大切にする価値観よりも
重く置かれているということが
最大の問題なのだ。

だから、
横綱の話を聞かないということで暴行をするのだし、
先輩力士の気に障ったら、暴行をするのだし、
立行司がセクハラをすることになる。

今回のアナウンスと一連の不祥事は
同じ根を持っている。
ここまで気が付いてほしい。

むしろ今回のことは、
相撲協会の再出発のための
問題点をクリアーにした。
責任問題よりも、この問題点を解決する
その糸口になったとみるべきだと思う。

大相撲は、巨漢が猛スピードでぶつかり合う。
立ち合いの運動エネルギーはすさまじく、
死と隣り合わせと言っても過言ではない。

ついつい、人命や、健康を
おろそかに考えてしまう危険が常にある。
だからこそ先人たちは、
相手に対する礼や、威厳というものを
大切にして、人間性を失わないように
工夫をしてきたのだと思う。

ただ、会社での例を挙げたけれど、
何か、明確な目的があると
このように人間を大切にしようとする価値観が
後退するということに気づかせてくれた
と前向きにとらえたい。

学校の部活動でも
考えてもらいたいことではある。



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「楽しむ工夫を行う」という考え方 むしろ「それどころではない]人のために [自死(自殺)・不明死、葛藤]

私も人間ができていないというか、
いろいろなことで行き詰まり、
いろいろな人間関係で不愉快になったり
苦しんだりするわけです。

「心とは、対人関係の状態を反映した反応だ」
とか言って、それを承認ばかりしてしまう
自分の苦しみを放置してしまうという
過ちを犯しそうになることもあります。

過ちですね。

同級生でフェイスブックを始めた人がいて、
その人の記事で「自分をご機嫌にさせる」
というアイデアが突然目に飛び込んできました。

うつうつとしていた事情があったときだったので、
最初は、「おや?」と感じ、共感を覚えただけでしたが、
どうもずうっと引っかかっていて
やがて衝撃になっていきました。

ちょっと理屈っぽく説明しますね。

人間を含めて動物のテーマは、
「危険をいかに回避するか」ということにあると思います。
交感神経のシステムも、群れを作ることもみんな
そのために備わった特質だということができるでしょう。

要するに人間も他の動物と同じで、危険には敏感で
放っておいても危険、ネガティブなことは気づく
意識していなくても気づき、
ネガティブな気持ちになるようにできているわけです。

何か、偶然誰かが親切にしてくれたりという
そういうことが無い限り、
概ね不安を感じ易くなっている状態で、
不安を感じないときに無感情になるのが関の山なわけです。

私は、自分自身が、
まだ自分の理論を習得していないということがわかりました。

過労死も、いじめも、自死も
それを無くせばよいってものじゃない。
0を目指すのではなく、0の先のプラスを目指す
ということを震災以来他人には言ってきました。

自分自身の生き方にそれを当てはめていなかったのです。

これまでは、苦しさ、辛さなどの
ネガティブな感情を無くしたいと考えていましたが、
それはしょせん0を目指すという発想です。

その先のプラスを目指さなければ
0にだってならないということでした。
大事なことはプラスの感情を作るということだったのです。

同級生のようにご機嫌まではいかなくてもよいかな
と思うのですが、
「なんとなく楽しいな」
と感じる状態を増やすことはできるかな
と思えてきました。

こころは、対人関係の状態に対する反応ですから、
待っていても、楽しくはなりません。
人間は動物として危険に対して敏感ですから
放っておくと不安の種ばかりが生まれてしまう。

だから、
楽しもうとして工夫をすることが必要だったのです。

「人間は環境に働きかけて環境を変える動物だ」
ということでした。

楽しみは、もう何でもよいと思います。
今は仙台は桜が満開です。
好きな人は楽しめばよい。

歩くのが好きな人、自転車が好きな人
本を読むのが好きな人
仕事だってよいのかもしれません。

ただ、本当に苦しい時は、
そんなこともする気にはなりません。

愛する人を失った場合
家族と離別した場合、
そんなことをする気持ちにはなりません。

家族のように、その人にとって基盤となる群れは、
その構成員が一人でも欠けてしまえば
別の群れになってしまいます。
「その人と一緒にいる群れ」は無くなってしまうのですから、
自分自身を失うことになるわけです。
何もする気が無くなって当たり前です。

苦しいとき、悲しい時は
苦しむしかないでしょうし、
悲しむことが大切なのでしょう。

でも、
悲しみは抱えたままでも
何とかしたいと思うようになったら、
苦しさから抜け出したいと思ったら、
楽しむ工夫をしなければなりません。

愛する人を失ったという
究極の対人関係上の危機感から
ほんの少し抜け出すためには、
悲しみを無くそうとすることは間違いなのでしょう。

むしろ悲しみを抱えたまま、
愉しいと思うことをする工夫をするということなのでしょう。

もしあなたに小さな子供がいるならば、
クリスマスや誕生祝や
動物園や遊園地に行くというアイデアを持つ必要がありそうです。

子どもの笑顔を見て、
今回の記事の様に、
「子どもを楽しませることを忘れていた」
と言ってくださった方からの手紙をいただいたこともありました。
自分のこととして理解していなかったということになります。

その人は、愛する人を失って、
子どもと自分に障害があって
一人で子どもを育ててという
壮絶な生き方をしている人でした。

愛する人を失ったという
究極の対人関係上の危機感から
ほんの少し抜け出すためには、
対人関係の中で癒されることが特効薬だ
ということも理の必然でしょう

誰かのために行動をする
自分より弱い者のために行動をする。
これが正解だということになりそうです。

中原中也は
「春日狂想」という詩の中で
愛する者が死んだ時には
(私たち普通の人間は、
私から言わせてもらえば当たり前の人間は、)
「奉仕の気持ちになること」だと言っています。
これは、詩人独特の洞察力における真実を語っていると思います。

愉しくはしゃいだ気持ちになるということは、
特に私のような中年男性には難しいことですが、
「なんとなくいい感じ」を感じることはできますし
それで十分楽しい気持ちになれます。

それは意識しないとできません。
工夫しなければできないことかもしれません。
でもできるのです。

こつは、全面的に楽しくなることではなく、
「楽しい気持ちになる時間もあってもよい」ということです。
むしろ悲しみを捨てようとしないことが
大切なのかもしれません。

怒りは怒りのままでよい。
ただ、誰かに優しくなる時間もあってもよい。
誰かに感謝する時間があってもよい。
そういうことなのかもしれません。



special thank Ukkey
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慢性・持続性ストレスへの旅 2 セリエのストレス定義の「非特異的反応」とは何か [自死(自殺)・不明死、葛藤]

昨日のキャノンの文章は、文章も簡潔で
意図も論理も明確で大変読みやすかったです。
「からだの知恵」講談社教養文庫

一点セリエの文章は、おそらく書きながら
いろいろなことが問題点と来て浮かんできて
あれやこれや手当てしながら書いているような感じで、
読みやすいとは言えません。
「現代社会とストレス」叢書・ウニベルシタス

おそらく翻訳の問題もあるのでしょう。
当初の翻訳が昭和39年ということで
改定はしたものの難しい日本語が最初の内は続きます。

キャノンが文系のための理系の文章ならば
セリエは、理系のための文系の文章という感もあります。

でも、そのおかげでいろいろ面白いことも分かってきました。

ネットなどで、セリエの説いたストレスの定義が
「外部環境からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反応」
とされているようでして、
この「非特異的反応」ということがよくわかりませんでした。

特異的ということは、ネットの辞書では
「あるものだけにみられる質的な特殊さ」
と書いています。

特定の、あるいは定まったと考えると
訳が分からなくなります。

この点、セリエは、
もともとは医者を志しており、
言わる病人の良く見られる状態
熱とかだるさとか、しんどさとか
そういう一般的な症状に着目していたようです。

しかし、指導医は、一般的症状は取り上げず
病気特有の症状のみを探していた、
これにセリエは疑問を持ち、
一般的な症状とはどういうものだろう
ということに興味を持ち研究を続けたそうです。

そんなこと研究しても意味無いだろうという
という当時のまっとうなアドバイスも多くあったそうです。

この一般的に見られる症状が
どうやら「非特異的反応」のようです。

これはキャノンを引用する方がわかりやすいかもしれません。

キャノンとセリエは、同じ副腎でも
キャノンは副腎髄質、セリエは副腎皮質に着目しているようです。

何らかの危険因子を認識して交感神経が興奮すると
副腎髄質からアドレナリンが放出される。
アドレナリンはホルモンであるから、
血液に乗って、全身に行き渡ってしまう。

だから、必要が無くても
心拍数が増加し、血圧が増加し、体温が上昇し
血糖値が症状し、血液が筋肉に向かい、
血液が凝固しやすくなる
ということになるわけです。

フルコース反応が起きてしまう。

私の昨日ご紹介した拙文も
この延長線上に位置づけられるものです。

要するに体の反応はとても合理的にできているのですが、
ピンポイントで反応が起きるのではなく、
どしゃっとぶちまけるように起きてしまうので、
どうしても、過不足が出てきてしまう。

意味はあるのだけれど無駄な反応もあり、
あるいは過剰な反応とでもいいましょうか。
その副作用で、
新たな問題が生じてしまう。

これが過労死であり、
ストレス起因性、ストレス誘因性の精神疾患だ
と考えています。

対人関係的なストレスについては
セリエも本の後半で考察しているようなので、
とても楽しみです。


余計な話ですが、
セリエは、ストレスの定義について
いろいろな場所で、色々な定義をあげています。
ネットの定義がセリエの定義として良いのかについては
現段階(本の3分の1くらいの段階)では留保が必要なようです。

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慢性・持続性ストレスへの旅 1 キャノン 「生きる知恵」 対人関係のhomeostasis [自死(自殺)・不明死、葛藤]

先日、過労死弁護団の年に2回の会議に出席してきました。
その会議に向けての研究報告書が出されていて、
それによると、
現在の労災認定基準では、エピソード的な出来ごとが重視されるが
もっと有害なストレスがあり、それは慢性・持続性ストレスであるとし、
この解明が重要だというのです。

私は、最近はいじめの問題でこの論理を主張していたのですが、
さすがは過労死弁護団だと改めて敬意を表したくなりました。

私は平成27年6月に
「交感神経持続による反応群」という概念と対人関係的アプローチの提案
http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/koukanjizokuhannougunn.pdf

という拙文を作成していますが、

改めて、勉強し直そうと思い、
先ずはキャノンから読み始めることにしました。
本当は、弁護団の報告書ではセリエの論文が紹介されていて、
それを入手しようとしたところ、
キャノンの本も、紹介されていたので、
ついでに買ったところ、先に来たので読み始めたということでした。

大変な驚きでした。
これまで、色々な文献やネットで引用していた物だけを見て
キャノンを認識していたのです。
だいたい20世紀前半の科学者ということなので、
正直ここまでとは思っていませんでした。

要するに、今から100年前に活躍した人なのですが、
既に体系ができていて、
それまでの研究を
homeostasis(訳者のルビでは、ホメオステーシス)
という観点からまとめた本が、
「からだの知恵 この不思議なはたらき 」(講談社学術文庫)
という本でした。

特に驚いたことは、
私のあちこちでお話しする三分の1くらいは
この本に書いていあることだったことです。

有害なものを認識すると
逃げるか戦うかという体の準備が起こり、
交感神経が活性化し、副腎髄質からホルモンが分泌され、
血圧が上昇し、脈拍が増加し、体温が上昇し、
瞳孔が広がり、血液が内臓から筋肉に向かう
さらには出血に備えて血液が凝固しやすくなる。
これは全部キャノンがこの本の中でも述べています。
さらにその仕組みについて解説しています。

さらに、さらに、
キャノンは、実際に攻撃行動や、逃亡行動に出る前に
このような反応が起きてしまうことを述べていて、
準備段階として反応が始まっている
ということも明確に述べています。

これで、おっかなびっくりいう必要はなく
「100年前にすでにキャノンも言っているとおり」
と科学的に述べることができるようになりました。

そうして、キャノンは、
こういう反応は、
体の状態を一定に保つための仕組みだ
=homeostasisということでくくっています。

今回の私のテーマもhomeostasisとストレスの関係だったので、
どんぴしゃりのことを約100年前にテーマとして本を書いている人がいたのでした。

気を取り直すと、
私のテーマは、身体生命の有害を覚知した場合ではなく、
対人関係的な有害を覚知した場合のストレス反応なのですが、
この点については、これからの課題のようです。
まだまだやりつくされているわけではないと。

結局、対人関係的な危機感、不安感も
homeostasisの観点から論じることが
有効なのではないかという
観点を獲得したことが大きな収穫です。

とにかく、キャノン先生とお呼びしたくなるような
上質の刺激をいただきました。

最後にマメ知識を一つ
鳥肌というか、さむイボというかありますよね。
あれは、人間に太い毛があったことの名残なのだそうです。
寒さ(身体に有害な事情)を感じると
交感神経が活性化され、
太い体毛や羽毛を逆立てて
皮膚近くに空気の膜を作り
体温の低下を防止していたそうです。

人間の体毛が薄くなったため、
毛を逆立てても空気の膜はできませんが、
その名残としてこのような反応だけ残ったそうです。

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いわゆる連れ去り離婚請求訴訟で、妻の請求が有責配偶者であり、信義に反して認められないと棄却された判決の分析 [家事]

本件は私が担当した裁判ではありません。ご本人が、同じ苦しみをしている人の役に立つとよいということで報告を望まれたため、判例分析という形でご報告する次第です。


事案:今から数年前、小学生の子どもと2歳の子どもがいる30代の妻が、子ども連れて別居し、数か月後に離婚調停を申し立て、1回で不調にして、別居から半年後に離婚訴訟を提起した事例。妻の主張する離婚の原因は、夫のモラハラである。夫の主張は、別居直前婚姻生活は破綻しておらず、別居は不貞が目的であり、子どもの先天性の障害について妻が障害の事実を認めず治療を行うべきだという夫と感情的に対立したことも別居の理由だとしている。

事案の特徴:離婚の意思が固く、別居という事実が数年間続いてしまいました。有責配偶者からの離婚請求を認める現在の裁判例に照らすと、請求が棄却されたのは、極めて珍しい判決です。もしかすると、事案の特殊性、あるいは裁判官の個性があるかもしれませんが、針の穴を通す裁判に挑む人たちにとって、何らかのヒントが得られるかもしれないので、できるだけ教訓を抽出するべく分析を試みます。

先ず、判決は、夫の過去の粗暴さについては肯定しています。しかし、別居直前テーマパークへ家族旅行などをしていることをはじめとして、協力し合って生活していたことを重視します。
夫は、比較的写真を残しており、家族写真を証拠として提出しています。楽しそうな家族の姿は説得力があります。テーマパークでなければならないということはありませんが、写真を残しておくということは有効だったと思います。ところが、家族がいなくなってしまうと、ご自分も楽しかった時のことを具体的に思い出すことができなくなることが多いです。否定的なことは詳細に出てくるのに、何度も聞かないと楽しいイベントの記憶が語られないということはよくあります。


別居のきっかけとなった口論があったこと、夫の口調が追及的だったことの認定はあったのですが、子どもの必須の治療を受けさせない、障害を隠していた妻に対する追求なので、「執拗に問い質した」としても「非があるとは言えない」という判断でした。

肝心の不貞の事実ですが、妻は否定しています。しかし、妻の友人が妻自身から不貞の内容を事細かに聞いたという証言が飛び出し、一気に裁判は急展開していきました。その証人に対して、妻が脅迫をして、証人が怒り、裁判で証言するという経緯があったようです。不貞の事実は、実はなかなか証明が難しいです。また、開始時期やその程度などについても難しく、苦労します。別居直前に不貞が始まったことが証言されたことは大きかったと思います。

さらに、子どもたちの習い事などについても、子どもたちの名前を不貞相手の名字に変える等したことが、裁判官にとって目に余る事情だったようです。その不貞が始まるまでは、家族は協力し合って生活してきたので、別居までに破たんはなかったし、破綻があったとしても不貞が原因であり、有責配偶者だから、離婚を認めることは信義に反するという結論になりました。


この裁判官はベテランの女性です。どちらかというと、多くの裁判官の様に妻側に有利な判決を書くような印象を持つと何人かの女性弁護士は言っていました。判決前に、ある程度心証を開示して和解を打診したようでしたが、うまくいかなかったようです。

不貞の事実、特に開始時期と内容が明らかになったため、離婚を認めることがあまりにも抵抗があったということなのだと思います。
この証言で、妻の裁判所についた嘘がことごとく、芋づる式に露見したということも多く、妻の主張を認める要素が無くなったということなのだと思います。これが無ければ、家族が協力している証拠があっても、裁判官には色あせて見えたでしょう。生き生きと鮮やかに写真の笑顔が飛び込んできたということなのだと思います。

逆に言うと、これまでの苦い経験からすると、このような劇的な証人が無いとなかなか勝てないということなのだと思います。裁判は真実に基づいて判断されるのではなく、裁判所に提出できた資料に基づいて判断されるということは、見通しを考えるにあたって留意される必要のあることであることが明らかになったと考えるべきでしょう。

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職場のイライラから家族に攻撃的になりかけたときは、うつになりかけた時。メモ [自死(自殺)・不明死、葛藤]

職場での人間関係が職場で完結せずに、
イライラなどが家庭に持ち込まれることが多くあります。

ちょっと壮大なテーマですので、
メモとしてアップします。

今のところの研究段階での途中経過として、
職場の人間関係がなぜ最悪自死までいってしまうのか
考えるべき要素をあげます。

<考えるべき要素>

1 職場(取引関係相手)に無意識に期待すること

先ず、労働者にとって会社は、
嫌な上司たちだとしても
無意識に、「自分を守るべき組織」あるいは
「自分を守ってもらいたい人々」
だと感じているようです。

はじめっから敵だと思えば、
ある意味何を言われても不愉快な思いをするだけで、
家庭への影響や、自分の精神状態への影響が
それほどではないでしょう。

パワハラ被害の本質はどうやら
仲間だと思っている人からの攻撃
いわゆる後ろから鉄砲を撃たれる
という感覚になることのようです。

パワハラ事件に怒ってばかりいると
こういうことが見えなくなります。
被害者である労働者は、
自分を大事にしてもらいたいという要求があるところに
逆の対応をされるので辛いということがあるようです。

2 カウンター
少し続けますと、カウンターが成立してしまう条件があります。

いつもに増して、より庇ってもらいたい
気持ちを分かってもらいたいと言うときに
逆に攻撃を受けたり、庇ってもらえない時も
心理的負担が大きいようです。

例えば、会社の中で、同僚から暴力を受けたとか、
取引先からあまりにも理不尽な扱いを受けた
というような場合は
無意識に会社に守ってもらいたいという気持ちになっているようです。

ところが、事情が分かっても
逆に労働者の方が上司から攻められたり、
理不尽なことをなかったことにされているのに
何も会社からの援助が無かったりした場合、
かなりきつい心持になります。

関数曲線の様にきれいには対応しないでしょうが、
理不尽なトラブルに巻き込まれて援助を希求するという
事情が強ければ強いほど
上司の扱いがそれほどひどくなくても
期待する援助が強いものですから
些細なことで傷つきやすくなるという関係にありそうです。

理不尽なトラブルがあるのに
会社が労働者に理不尽な責任転嫁をすると
とんでもなく重大な心理負荷になるという関係にあるようです。

3 逃げられない関係(継続する関係)

会社を辞めるという発想にはなりにくいです。
どうも、無意識の意思決定では、
会社という継続的な人間関係は離脱できない
という発想に支配されるようです。

苦しいからと言って、
では会社を辞めようかという発想は
自然発生的には出てこないとみるべきです。

現状に対しての反応である感情は、
このように無意識に生じるものであり、
現場、特に対人関係を変化させるということは
きわめて意識的に、第三者から提案されないと
なかなか検討すらできないということです。

<職場のイライラの構造>
そもそも、上司から嫌味を言われたり
不公平な扱いを受けたり
理不尽な叱責をされると
どうしてイライラするのでしょう。
また、イライラするということは
どのような状態なのでしょう。


職場で、パワーハラスメントを受けたり、
理不尽な扱いを受けると、

継続的な関係であり運命共同体の様に職場を考えていることからは、
ただ、自分がないがしろにされている。
逃げ場所が無く、さらさrて攻撃を受けている
という感覚を持つようです。

逃げられない、逃げないということから
恐怖という感覚になりにくいということを
頭に入れてください。

危険が近づいてくるという認識がありながら、
それから逃げようとすることができないという感覚です。

また、上司に対してキレることがなかなかできない。
そんなことしたら解雇されてしまいますし、
上司に対して、キレても良いんだ
という感覚を持つことはなかなかできないようです。

そうすると、怒ることもできない。

総じて犬が嫌いな人が、
敵意を見せた犬が吠えながらじわじわ近づいてくる
しかし、足を縛られていて動けない。
そんな感覚でしょうか。

対人関係上の危険に対する反応も全く同じです。

自分が上司の様子を見て、
仲間から攻撃されている、
仲間として扱われず無視される、
仲間の中で格下のように扱われる

ということを感じた場合、
やはり、危機感を感じます。

この危機感を解消しようと思うわけです。
でも逃げることも闘うこともできない。
危機感を抱いたままの状態、不安な状態が
職場の外に持ち越されることになります。

危険意識、不安の解消ができないことが
人間にとって極めて有害な状態のようです。

危険が迫ってきたら、何とか危険を回避したい
その方法として逃げたい、あるいは闘いたい
これは人間に限らない生き物の本能です。

危険を感じて、危険を受け入れるということでは
命がいくつあっても足りません。
危険があることが嫌だ、解消したい
そのために逃げる、闘う
という流れになるようです。

通常は、危険を感じると
直ちに行動に出ますので、
意識されないポイントですが、

危険を感じることと
解消行動をすることには
厳密にはタイムラグがあるようです。

さて、
逃げることも闘うこともできない場合
解消できない危険の感覚、不安が持続します。

そうすると、かなり過敏な精神状態ということになります。

傷を負って出血した後の傷口のようなものです。
通常は、かゆいとも思わない些細な刺激が
飛び上がるほどの痛みに感じます。

このように危機感のアイドリング状態にあるときは、
この危機感の解消を求めていますが、
突如として危機感を解放することはできません。

会社の建物から出たとたんに走りだしたり、
誰彼構わずにけんかをするわけにはいきません。

ただ敏感になっていますから、
道で肩がぶつかっただけで、
自分は馬鹿にされているのではないだろうか、
この人は自分を攻撃しようとしているのではないかと
感じやすくなるわけです。

相手が怖そうな場合は、そうでもないですが、
弱そうで勝てるということになると、
それをきっかけとして
職場で作られたイライラもぶつけてしまう
ということになるようです。

例えば会社で作られたイライラが80ポイントだとして、
肩が触れたということが5ポイントだとしても、
イライラを解放する時は85ポイントがまとめてぶつけられるというわけです。

ただ、理性が無くなるわけではないので、
滅多に、道を歩いているだけの人に絡むということはありません。

帰宅して、
子どもの些細なしぐさ、失敗が(5ポイント程度)
自分を攻撃している、馬鹿にしていると感じてしまい、
85ポイントを子どもにぶつけてしまうのです。

まあ、そこまで行かなくても
いつもなら聞き流しているような小言に対しても
自分を守ろうという無意識の反応が起きてしまい、
どうでも良いことでも、
「自分を守るためにはいい加減に済ませられない」
というイライラモードになるようです。

家族に対してイライラしていたり、攻撃的になっていたりする
実はそれが職場でのイライラ度の方が多いという場合、
大切なことは怒っているということではなく、
危機感を抱いているということです。

この危機感は、家族に八つ当たりして一時的に解消したとしても、
原因は会社の中で次の出勤日を待っていますから、
会社に行けばまたイライラが復活します。

解決できないのです。
また、怒ることができないという時間が
限りなく積み重ねられていくだけです。

そうすると、慢性的な危機感の持続は、
自分の身を守ることができないという感覚になっていき
絶望感に様子を変えていきます。
生きる意欲が失われていき、
活動が鈍くなるし、将来的なことも予測できなくなっていきます。
生きるための活動が全般的に停止していきます。

つまり、うつ状態となるでしょう。

必要以上の怒りの感情は
うつの危険がある状態を表していると思います。

以下また、メモ
うつは自分で気づくことはなかなか難しい
八つ当たりをしている自分に気付くことはまだできるかもしれない。
そういう場合に、自分を支える発想

1 いざとなればイライラ異を与える人間関係をやめることができる
  という自己暗示をかけ続ける。
  逃げ道を意識的に作るということです。

2 自分の別の仲間に優しくする
  例えば職場でイライラしたならば
  思いっきり家族のために奉仕をする。

  自分が優しくなれば、家族も優しくしてくれる、喜んでくれる
  役割感を持つことがだいぶ効果的のようです。

  家族に助けを求められれば良いのでしょうが
  男性の場合も女性の場合も
  なかなか難しいようです。

  特別扱いされることで役割感の喪失を予想してしまい、
  また、自分が家族からも格下として扱われるのではないかという
  不安をもつようになるようです。
  家族には、普通の状態として接してもらいたい
  という意識があるようです。

3 結構有効なことは、
  他人を気にしない人をサンプルとしてみることです。
 
  メジャーリーグで4番打者だった新庄さんが、
  日本ハム時代に優勝パレードをした時、
  一人だけ冬ソナの格好をして参加して
  監督から怒られたという話をしていました。

  怒られて気にしませんでしたかという質問に
  笑顔で
  まったく気にしませんでした。
  と豪快にお話になったところをみて、
  だいぶ救われたということがありました。

  ああ、それでもよい人もいるんだということが
  なぜか気持ちを溶かしてもらった
  そんな感覚でした。

  いろいろな無意識のドグマから解放される有効な方法として
  実際にそのような発想の元生きている人を見るということは、
  自分では同じ行動をとることができなくても
  ほっとして心の窓が開かれて、光が差すような気持ちになれました。

  メモ代わりに





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和を以て貴しとなす。17条憲法は思ったより哲学だった。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

厩戸皇子が自らしたためたという17条憲法
7世紀ころの文章であることはどうやら間違いではないようです。

その第1条が和をもって貴しとなるという文章から始まるわけですが、
うっかりすると、
人間は相互に仲良くすることが一番だ
という意味にとられてしまうことがあるようです。

それであれば根本的に意味を取り違えていることになると思います。

本当は漢文で書かれているのですが、
読み下し文で見てみましょう。


一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

これが、1条の全文です。

和が「やわらぎ」と訳されていますが
「わ」の方が意味が通じやすいように思われます。
私は、仲良くするという意味ではなくて
「一体となろう」という意味だと思うのです。

どうして和が達成できないかが次にかかれています。

それは、一部の者が徒党を組むことによって、
全体の利益を損ねるということが書かれているようです。

対人関係学的に言えば
複数の群れが併存しているために、
一部の群れの利益だけを追及すると
全体が害されるという主張ではないでしょうか。

一部の群れは、群れの中では仲が良いのです。
おそらく、血のつながりであったり住んでいる地域の仲間であったり
自然と、互いの利益を第1に考えようとする条件があるのでしょう。

また、人間は、どうしても身近な人間の利益は考えることができるし、
それを追及しようとするのですが、
そのことによって別の人が不利益を受ける
ということを洞察することができないし、
また、見知らぬ人の不利益はあまり気にしない
という間違いを犯しやすい
ということがあります。

このため誰かと仲が良いことが
かえって誰かを傷つけたり
全体の利益を害したりする
だから、一筆書きの輪のように
全体の利益を考えていこう
特定の人たちの利益を考えることはやめよう
ということを決まりごとにしようということだと
私は思います。

17条憲法は、そのあとの条文をみても
一般的な道徳を説いたものではなく
あくまでも統治の原理を示したものです。

皇族が、豪族の中で相対的に有力であるに過ぎないという
政治勢力地図の中の時、
外国からの圧迫も置き始めていたので
日本は、結束して外国と対抗しなければならない時代でした。

こういう時代に即して
国の統治をするための最も必要な事項が掲げられているのではないでしょうか。
その意味で、立派な憲法と呼ぶにふさわしい内容になっていると
私は思います。

そして単に豪族たちが相争うことをするなということでなく、
和をもって貴しとするということですから
なんともポジティブな表現ではないでしょうか。

注目するべきは
第1条も、最終である第17条も
合議制を説いているところです。

十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)

少数の集団が、こそこそと利益を追及すると
どうしても全体としては損害を被ります。
正義が交代してしまいます。

堂々と公にしたうえで、
良いものは良い、悪いものは悪いと
議論するという方法を取れとのことが記されています。

但し、自分の利益を主張し合うのではなく、
全体の利益を考えること
これは、現代の為政者も耳が痛いのではないでしょうか。

また、これは国家だけの原理ではありません。

対人関係すべからくそうでしょう。

物事の見通しのない人は、
誰かを助けようとするとき、
その人の感情を第1にすることが正義だと思ってしまいうようです。

しかし、人の感情、負の感情は
人と人との関係の中で生まれることが多いわけです。
誰かと対立しているようなとき、
負の感情をあらわにしている人を助けようとすることは人情です。

「そんなことされたの?それはひどいよね。」
と、悲しい顔をした人を見たら言ってしまいそうです。
しかし、紛争は、その人とその人の関係者の間で起きていることなのです。
その人の不安を肯定してしまうことで、
その人とその人の関係者の仲に亀裂が生じてしまい、
結局その人も今よりも苦しい立場に陥ることが
実際には多くあります。

国家という大きな話ではなくても
人間の関係を考えてみると
夫婦、友人、取引関係もそうですが、
関係の一部だけを優遇しようとすると
元も子もなくしてしまう
だから、問題になっている人間関係全体を
高めていく方向で修復することが
必要な視点ということになります。

最後にいじめが起きる典型的パターンをお話しします。

AさんとBさんは元々仲良しでした。
CさんやDさんは、自分たちも仲間に入れてもらっているけれど
AさんがBさんを優遇するので少しわだかまりがありました。

Aさんは、Bさんを大事にしていて、
Bさんとだけ一緒にいることができれば良いと思っていました。

でもBさんは、いろいろな人と仲良くすることができます。

Aさんは、Bさんが自分を大切には思っていないと感じてしまいます。
Aさんは、最初はBさんをつなぎとめようと必死になります。
わざと意地悪をして気を引こうとしたりします。
Aさんは、CさんとDさんを利用して
これ見よがしに、Bさんに対して内緒話をしたりするわけです。

CさんとDさんは、
Aさんが悲しんだり怒ったりするので、
Aさんに感情移入していきます。
Aさんを助けようとして、
「本当にBさんはひどいね」
と、Bさんが何も悪くないのに
Aさんの不安を肯定してしまいます。

いつしか、意地悪がエスカレートしていき、
Bさんは3人から無視されたり嫌がらせをされたりします。

この段階では、学校は、「相性が悪い」
ということで済ませようとして介入しないことがあります。
しかし、この段階で3人以外に加害行為をする人が現れると、
Bさんは、いじめても良い人だという烙印を押されて
いじめが完成するのです。

他人の悩みや悲しみに首を突っ込むならば
全体としてのその人の人間関係を考えなければなりません。
目に見える感情にだけ対処しようとすることは
人間関係破壊することです。

まさにそれがいじめそのものであることが
多い。

和を以て貴しとなす

私たちの時代でも
鋭い輝きを放っていると
私は思います。


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妻が時折感情を爆発させて収拾がつかなくなり悩んでいる方へ [家事]

いつもではないけれど、時折、
妻が感情の収拾がつかなくなってしまい

例えば、抑制がきかない叫び声や怒号をあげて、
貴方や子ども罵倒するとか

メールで、さっきまで会社帰りの買い物の打ち合わせなんかをしていたのに
突如、「死ね」とか書きこんできたリ
身に覚えのない浮気を非難し始めるとか

刃物を持ちだして、自分やあなたや子どもに向ける
という悩みを聞く機会が増えています。

そのくせ、翌日になると
昨夜のことを覚えていないようにケロッとして
日常が始まったりします。

爆発しているときは修羅場で、
子どもにも影響が生じる心配もあるし、
とにかくののしられるので苦痛です。
どうして突然変貌するのかわかりません。
きっかけさえもつかめないのです。

また、突然家を飛び出したりしそうなこともあるので
抑えなければならず、
抑えても暴れ続けて殴られたりするので
どうしてよいのかわからなくなります。

貴方は心身とも消耗しきってしまい
こんな生活から何とか抜け出したいと思うでしょう。

思い余って行政に相談に行っても
貴方が男性の場合、相手にされないことも多いようです。

包丁を持ちだして怖い思いをしてどうすることもできず、
警察を呼んだところ、
何故か警察は妻を保護して、
子どもと一緒に行方不明になる
というケースさえ実在します。

どのくらい件数があるのかわかりませんが、
程度の差はあるものの、
このように妻がきっかけがわからないうちに爆発している
というケースは確かにあるようです。

妻の爆発の原因は、いろいろあるようですが、
今回は深く立ち入りません。

どうやら共通の要素として見えてきたのは、
妻の「不安」であることは間違いないようです。
不安とは危機感を感じている段階のことを言っています。

人間は、おそらく他の動物も
不安を感じると、それを解消しようとします。
生きることそのものですね。

解消の仕方は、
不安を与える事情に対して攻撃をする方法と
この時の心もちを怒りといいます。

不安を与える事情から逃げようとする方法があります。
この時の心もちが恐怖です。

ところが、爆発する奥さんの不安というもの
その危機感というものは
取り立てて合理的な理由がなくても
自然とわいてくるものらしいです。

具体的な言葉にすると
・自分が尊重されていない
・自分だけが損をしている
・自分が家族の奴隷のように感じる
・自分が自分の人生を生きているという実感がない
等の言葉が出てきていますが、
漠然とした不安、子どもを抱えて生きていくことの不安
というようなものみたいです。

一つの可能性としては
出産に伴うホルモンバランスの変化が考えられそうです。

多くは、第2子ないし、最終子出産後にこのような感情が生まれてきて
2年以内に爆発したり、
子どもを連れて別居するということがあり、
私のところに夫からの相談が入るという具合です。

夫側の母親に、多少のヒステリーの傾向があった場合は
それなりに免疫があるので、
何とか我慢して、時が過ぎることを待つのですが、
そうでない場合は、とにかく驚きます。
何かにとりつかれたのではないかと感じる場合もあるようです。

人格が豹変するという感じなのです。

修羅場に耐えられなく、精神疾患を発症したり、
要求に応じて金銭を渡しているうちに
会社のお金に手を付けたり、借金が膨大になったり
ということで発覚することもあります。

さて、その妻の不安なのですが、
不安の強さや、程度は、個性によってだいぶ違うようです。

考えすぎだという自己暗示をかけて
事なきを得ている方々もいます。
適切な協力者を得て
解決する場合もあります。

しかし、頑固な不安が強烈にある場合、
なんとか不安を解消しようとするのですが、
適切な方法が見当たりません。

こういう場合、過敏になっているから
些細なことが自分を攻撃しているように感じられます。
そうして、自分より弱いと思う相手、勝てると思う相手の
些細な言動に対して、
元々あったとその反応をひっくるめて
怒りとしてあらわしてしまうようです。

漠然とした不安80
些細なことによる不安5でも
怒りとしてぶつけるのは85になるわけです。

子どもに対してぶつけやすいことは
こういうことなのです。
また、子どもに過酷に怒りを表すのもこういうことのようです。

最悪のケースは、逆に
夫に怒りをぶつけられない場合です。
怒りをぶちまけようとすると
暴力で阻止されたり、
言葉で言い負かされたりして
かえって不安が募っていきます。

子どもに対して自分がヒステリックになったくせに、
夫の子どもに対する虐待を理由に
別居の上、保護命令を申し立て、離婚調停を申し立てる
というフルコースになるケースがあります。

夫が怒りを受け止める犠牲になることは、
子どもから見ればまだましなのかもしれません。

逆説的な言い方をすれば、
ヒステリーの標的になる夫は、
妻から信頼され、愛されているのです。

このような妻側の代理人になると、
「でも私は夫を愛しています」
とぬけぬけという人がほとんどです。
夫の不満をぶちまけている直後に言うので、
許されるのなら、両方のほっぺたをつかんで、
「どの口で言うんだ」と問いただしたくなります。

どうすればよいのか?

先ず、不安を否定しないこと
気の迷いとかそういうことを言っても何も良いことはありません。
可能な限り、心配なんだねと肯定してあげることです。

こうすればよいよというアドバイスは
あまり成功例は聞きません。
とりあえず、心配を肯定すること。
不安になっていること自体は間違いありませんから。


妻の不安を解消する方法がひとつあります。
興奮状態が収まった後、
こちらも何事もなかったようにふるまうということです。

妻は、何か変なことをしただろうということは覚えています。
大変気づまりな状態にあります。

妻自身が、自分を止められないことに
恥ずかしさや苦しさがあることが多いです。
でもそれを夫にだけは見せようとはしませんが。

そういう時、なかったことにされる、
「そういうこともあるよね」という切り替えが
安心させるようです。

あとあとしつこく責めることが最悪です。
そういうことはするなということ
後々言われることは
大変気づまりです。

妻からしてみれば
失敗してもフォローしてくれる
ということが、自分が尊重されているということを
実感できる事情ということになります。

特効薬は、怒りの的になることを甘んじるということのような気がします。


ということで、的になる夫の心構えです。

1 いざとなれば離婚という選択肢もある。
  やっぱりこういう気持ちの逃げ道は必要です。
  実家でも何でもよいのですが、
  逃げ道を一つ確保しておきましょう。
  協力者を作るのではないです。
  あくまでも心の逃げ道です。
  これがなければ沈没してしまいます。

2 あなたに怒っているうちは
  向こうの気持ちはつながっている。
  これは信じてもらうしかありませんね。

3 嵐はやがて過ぎ去る
  対応がうまくいけば、その日の夜に静まります。
  翌朝まで持続していないので、
  こちらがおはようと言えば解決することが多いです。

  気まずい気持ちでいる妻に
  近寄りがたい態度を示して舞うと
  新たな不安に基づく怒りを招いてしまいます。

  また、諸先輩の話を希望的に聞けば、
  やがて自然に収まっていくようです。
  奥さんに対するフォローが積み重なれば
  それは、あなたが安心の記憶となります。

4 緊急避難は近場で
  よく言われるヒステリーが始まったら
  夫は斜め下を向いて、やや口を開け
  悲しそうな、呆然としているような
  そういう無言の抵抗というマニュアルもあるのですが、

  別室に避難する
  顔を見せないということも有効なのだそうです。

5 妻は役割を果たしたからこうなったのかも
  出産はホルモンバランスの変化がものすごいのです
  妊娠までは、女性ホルモンが大量に出ます。
  しかし、出産後は女性ホルモンがなくならないと
  母乳が出ないそうです。
  母乳を出すホルモンが出ているときは
  攻撃的になるらしいです。
  子連れの母熊みたいなものです。

  もしかしたら、
  妻自身が悩んでいる爆発も
  子どもを産んだことがその原因かもしれないのです。

  子どもを自分の命に代えても守るというお父さん。
  妻の怒りの標的になることが
  いくつかの意味で、その時なのです。

6 家族の中に正義や条理は持ち込まない
  理不尽であろうとなんであろうと
  家族を守るということはそういうことなのです。
  奥さんだって、
  爆発しないで円満に生活したいのです。

  どうしてこうなってしまうのか
  そこを悩んでいるのです。

7 子どもに母親の悪口は言わない。
  そういうこともあるんだという説明をするしかないでしょう。
  あなたが子どもに謝ることで、子どもが安心するなら
  何度でも謝りましょう。
  信頼関係が生まれるという副産物もあります。

8 辛いかもしれませんが
  ぜひ修復を第1に考えてほしいものです。

  離婚調停などに備えて
  警察に事情聴衆に備えて

  実際、包丁を振り回したり
  誰かがけがしたりしそうになれば真剣に考えるべきかもしれませんが
  そのためには、動画撮影や録音、日記などをする必要があるのですが
  相手にそれを知られると決定的に不安が固定してしまいます。
  また、それをあなたが見る機会があれば
  修復は不可能になります。

  さらに、そういう証拠があっても
  警察や裁判所があなたの味方になる
  という楽観的な見通しが
  必ずしも立つわけではないからです。



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