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今年は一層の熱中症対策を意識しましょう!通気と水分補給とこまめな休息、福島に電力を! [労災事件]

今年も熱中症の季節がきます。

私は、熱中症は、労災事件として始まりました。
中には学校事故としての熱中症もありますし、
去年は、生活保護世帯の熱中症が大きく取り上げられました。

去年は、特に関東地方では
避難所、熱シェルターを作るべきではないかと
書いたのですが、

今年は、避難所の熱中症対策が心配です。
放射能の絡みで、締め切った生活を送っている人も
熱中症の危険が高いので心配です。
電力不足による停電も心配の種ですね。

今年は、特に熱中症を意識しなければならないかもしれません。

熱中症は、30度のならなくても、起きるときは起きるからです。

熱中症は、人間の体を冷やす仕組みが働かないため、
体温が上昇し続けて、
脱水やショックや脳の障害などで、
命を落としたり、治りが悪くなる危険なものです。

去年もずいぶん多くの人が亡くなりました。

<人間の体を冷やす仕組み>
これがよくできているわけです。

熱いと汗かきますよね。
普通だと、汗はいつの間にかなくなりますよね。
あれは蒸発しているんです。

汗という水分が蒸発するとき、
その近くの熱を奪うことによって蒸発するんだそうです。
(気化熱)
その近くというのは、人間の皮膚ですから、
汗が蒸発することによって、皮膚の熱が奪われる
即ち、皮膚の温度が低下する。
そして体温が低下するということになるのだそうです。

だから
汗が蒸発しなければ、体温は下がらない
ということが大事です。

汗が蒸発しないというのは、
汗の近くの湿度が高く、空気中に汗が入っていく余地がない
という場合です。

無風状態はわるい。ということになります。
熱帯砂漠で,ぬるいスイカをおいしく食べるためには、
風を起こして気化をうながすことによって、
外気より温度を下げて食べることだそうですが、
お湯をフーフーするのも同じことなのでしょう。

通気を良くする
ということもポイントです。
部屋の通気を良くする。ということは基本です。

部屋を乾燥させることも、
汗が空気中に入りやすくなるため、有効でしょうね。

通気が悪い典型は服装です。
ゴムや革などの、通気性の悪い服を
長袖、長ズボンできていると、
結局、汗の逃げる場所が無く、
体の周囲だけ、通気性の悪い空間ができてしまい
非常に危険です。

汗をふくのも有効です。
汗をそのままにしていると、
体に蓋をしている形になってしまい、
気化がうまく起こらないようです。

汗はこまめに拭きましょう。

次に水分の補給
普通に食事をとっていれば、
塩分は必要以上に摂取しているので大丈夫のはずですが、
大量に汗をかく場合は、
汗と一緒に塩分も流失してしまうので、
塩分も補給しなければならないそうです。

イオンサプライ飲料は、
カロリーなどを気にしながら、
水で5:5で割って飲むといいらしいのですが・・・
水と交互に飲めばいいんじゃないかな。

汗で体温を冷やそうとするので、
体温が下がらない以上汗を出そうとするわけです。
水分を補給しないと、細胞から水分を絞り出し、
その分血液に水分がいかなくなり、濃くなりすぎて
流れも悪くなっていく、
怖いでしょ・・・

だから、
できれば、炎天下にはいかない。

どうしても炎天下に行く場合は、
涼しい場所を確保して、
こまめに休憩をとる。
効率気にするより、命を気にしなければ
私が代理人になって、莫大な損害賠償を請求に行きますから、
結局、効率が悪くなります。

涼しい場所で、水分をふんだんに用意して
こまめに休憩を与えてください。

避難所は、くれぐれも通気と水分の用意をお願いします。

福島県等、放射能で通気がためらわれるところには、
豊富な電力の供給を優先してお願いしたい。
郡山も福島も盆地のため、夏は高温になります。

熱中症は、がんばっておさまるものではありません。
しかし、予防で、確実におさまるものです。

なくさないですむ命、健康を、
ぜひとも守りましょう。

仙台市に「基準」とは何か問い合わせました。これからのがんばる方向について [震災等]

仙台市に、
6月6日の市長の記者会見で言っていた、
基準値を下回っていたというところの
「基準値」とは何かというところを問い合わせてみました。

ここで、話を聞いてもらうために、
まず、測定をすることに感謝を述べました。

考えてみれば、みんな自治体職員の方が忙しい中、
大変な話です。
話しているうちに、健康にご留意されてという気持ちに
なってきました。

新たに職員を増やして、
その人件費を国や東電で出してほしいと素朴に思います。

それはさておき、
やはり20ミリシーベルトのことをいっていたので、
文部科学省に電話したら、福島限定だし
その福島県でさえ5月27日に
基準は年間1ミリシーベルトを目指すということに
変わったという話をしました。

安心という言葉ばかり先行して
できる対策をしない
という間違いが生じないか不安だと説明しました。

とても丁寧にお話を進めましたが、
とても丁寧に受け答えしていただきました。

(ただ、記者会見資料の電話番号は
誤記の可能性があるということのようです。
内部連絡がまだ確立していなかったかもしれません。
まあ、ご愛嬌ということで)

いろいろお話をしていくうちに、
仙台市の危機管理室は
年間1ミリシーベルト以下を意識しているようで、
そのための動きを作り始めているようです。

おそらく仙台市の担当部署においても、
いろいろな動き、考えがあるようです。

そうだとすれば、
仙台市とわれわれは、もともと利害が一致するのですし、
悪いのは東電であるわけですから、
仙台市と対立的に接するのは、
得策ではありません。

一緒に乗り切っていこうという姿勢こそが、
同じ仲間という姿勢こそが、
より効果的でもあると思います。

クレーマーだと思われているだろう私ですら、
まずは、御礼をいい、最後も健康にご留意されるよう申し上げて、
電話を切りました。

私の電話口での感謝でさえ、
本当に喜んでもらっているようで、
いい人を担当者としたなあと
やられたという気持ちでした。

それだけに、激しい不安を
激しい怒りに転化させた素の感情で
接してしまったら、
それ自体も危険な話だなとつくづく感じたので、

大急ぎで本日3本目の記事を書いている次第です。

仙台市は、放射能対策という流れができつつあるようで、
とりあえず年間1ミリシーベルトという数字も
意識され始めているようです。

お母さんお父さんのがんばる方向
力の入れる向きも
この流れを定着させて
確かなものにするという感覚が、
最も有効な方法論になるのではないかと
思いました。

そのためには、その流れに向かう動きを
きちんと評価して、
その流れでがんばっている仙台市の職員の方々を
大いに励ますことからはじめることを
お勧めいたします。

仙台市、ついに学校での放射線量の測定開始!お母さんのがんばりの成果!・・・だけど・・・ [震災等]

仙台市のお母さん、お父さんががんばっているという記事を書いた直後
仙台市も、学校や保育所、幼稚園、児童館で
空中放射線のモニタリング調査を行うという
市長記者会見があったというニュースが、
朝のテレビ番組(TBCウォッチン宮城)で流れました。

仙台市のホームページでは
http://www.city.sendai.jp/kaiken/110606monitoring1.html

これの資料は、
http://www.city.sendai.jp/kaiken/110606monitoring2.html

です。

まずは、素直に喜ぶべきでしょう。
名もないお母さんたち、お父さんたちのがんばりの成果です。
本当に市を動かしたのですね。
大変大きな前進です。
無駄に心配せず、合理的な行動が可能となるわけです。
そういう意味ではようやく対策が始まるわけですね。
成果を確認することは大事です。

しかし、
確かに、喜んでばかりもいられず、
がんばりも、ここから始まるという感もあります。


「これまでにも宮城県や東北大学が、仙台市内の空間放射線を測定してきたわけでございますが、いずれの測定結果につきましても基準値を十分下回っており、健康に影響を与えるレベルとはなってございません。」

とあるのですが、
その基準値とはなにかということです。

おそらく年間20ミリシーベルトということなのでしょう。
記者の突っ込みはなかったようです。
http://www.city.sendai.jp/kaiken/110606monitoring3.html

マスコミの認識もこの程度という感じです。

第1に、年間1~20ミリシーベルトというのは
安全基準ではありません。

文部科学省のホームページから見られるように、
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305173.htm
*1を参考にしてください。
あくまでも、これ以上は不適切、
この範囲でも、線量の低減を図らなければならないという基準
なのです。

年間1ミリシーベルト以上の被爆が予想される場合は、
線量の低減を図ることをしなければならないのです。
国の基準でさえ、年間1ミリシーベルトを達成するためには、
0.19マイクロシーベルト毎時でなければなりません。

(これは、屋外8時間、屋内16時間、
屋内では屋外の放射線量の40%ということが
計算方法となっています。
したがって、屋内は、0.076以下になっていることが前提です。

問題点の第2は、
年間1~20ミリシーベルトというのは
福島限定で、期間限定の許容基準だったということです。
文部科学省のホームページのどこにも
福島以外で妥当するとは書いていません。

要するに
原発事故の比較的直後、
事故地点の近くだから、
年間1~20ミリシーベルトでもしょうがない
という許容基準なのです。

しかも、その福島県でも
5月27日から
年間1ミリシーベルトを目指すと
すでに変わっているのです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1306590.htm

仙台において、しかも5月27日以降
年間1~20ミリシーベルトが基準値にはなりえないことは明らかです。

朝の全国ニュースバラエティのフジテレビの報道でも、
松戸市の小学校の校長が
校庭で0.255マイクロシーベルトを観測したといっても
基準より大変低い数字で安心したと
これはちょっと深刻な感想を述べていましたが、

福島県という限定された地域で、
すでに有効期間が過ぎた許容基準が、
いまだに安全基準として認識されている
という深刻な問題があるようです。

せっかく放射線を測定しても、
0,255で低いと安心しているのでは
何の意味もないということになります。

測定したら必要な対策を立てなければなりません
仙台市なら年間1ミリシーベルトに押さえられるのです。
せっかくできるのに、
わけのわからない理由で何も行わないということは
納得できません。

また、大変気になる部分は
「測定結果につきましては、有識者の評価をいただいたうえで、ホームページ等を通じて公表してまいりたいと考えております。」
質疑を見ると、評価を得るまで時間がかかるかもしれない
ということです。

なんのために有識者の評価を得るかというと、
数字だけ見てもどう受け止めていいかわからないから
ということらしいのです。

しかし、誰がわからないのか、
一般の父兄がわからず混乱するというなら、
ICRPの基準を説明し、年間1ミリシーベルトが
一般の許容量なので、これに応じて対策を説明するべきです。

仙台市がわからないなら、
対策を立てるために有識者に意見を求めればよいのです。
情報提供を遅らせる理由にはなりません。

せっかく測定した情報を
純粋に提供するべきであって、
自分の子供に必要な対策を立てる時間を
奪ってはいけないと思うのです。

ここも大変気になります。

がんばりは、やはり、これからのようです。




子どもを放射能から守るべくがんばっている仙台のお母さんたち、お父さんたち! [震災等]

私のブログの閲覧数は、
最近は放射能ネタでもっています。

きちんとした放射能情報でもないので、
放射能ネタとしか言いようがないのですが、
多くの方に閲覧していただき、
コメントを寄せていただいています。

3月の頃は、原発事故よりライフライン
なんてことを言っていたことを覚えています。
なんだったんでしょう、
機動隊の給水車で5時間くらい引っ張っていましたよね。

年間20m㏜なんてところあたりから、
こりゃ大変だ、どういうことだということで、
いつの間にかムキになっていました。

おそらく
言葉に出す機会の無いことを
ずけずけとブログで書いていたもんだから、
みなさんに読んでいただいたものと思っています。

読んで共感したというコメントは、
個別事件において依頼者の言いたいことを言ってあげたい
と言って弁護士になった私としては、
ひときわ嬉しいコメントなのです。

私が言いたいことを言ったり、
他の人のコメントを読んで、
私一人じゃなかったことが分かったというコメントも
群れと折り合いをつけるのが下手キャラの私のブログって
そういう役割もあるんだと
妙に納得しました。光栄です。

むしろ私が発信する情報よりも、
みなさんからいただいたコメントが、
貴重な情報源となっています。

お母さん方は、自治体や国に、学校に
どんどん問い合わされています。
その中で、個別に少しずつ
情報が出てきています。

(このたびわかったのですが、
コメントの名前をクリックすると
その人のブログが見れる場合があるのですねぇ

コメントの時のアドレスは適当でいいんですねぇ
クリックしたら私のブログと同じ表紙が見えてびっくりし、
実際私のブログで二度びっくりということもありました^^)

ちょこんと日記
で検索できるめぐねぇさんのブログでは、
小学校のプール開きが見合わせられているという情報や
仙台市でも測定を検討しているという情報等
貴重な情報が掲載されています。

そこで引用されていたアドレス
http://d.hatena.ne.jp/sukoyakasendaimiyagi/
では、放射能から子どもを守るという
そのものずばりのグループができて、
請願など本格的な活動をされているようです。

さらにそこのコメントを見ると、
給食センターの食材を調査した方がいて
調査に回答した野村給食センターが
HPに産地を掲載することを検討している
とか、
みんなご自分の力で集めた情報をもっておられます。

一つ一つが貴重な情報です。

お父さんも頑張っています
仙台南部の放射線量率マップ
で検索できるnodaさん
毎週、かなりのポイントで測定をされています。

川の土手、水草のあるところで
異様に高い放射線が観測されているのに
驚きます。
ホットポイントは、仙台市では、本当に極小のポイントのようです。

測定器の情報を公開したり、
独自に誤差の検討をしたりしているところもとても好感が持てますし、
用語解説があったりと、とても便利なブログです。
(おそらく理系なんでしょう。)

いただいたコメントも、負けず劣らず貴重な情報が掲載され、
いながらにして、みなさんの努力の成果をいただいて
申し訳ないくらいです。

どっかにリンク集があると便利なんだな、きっと

メンタル面を考えて行動する異業種のあかりネットワークをはりめぐらせよう。もっと高々と! [自殺 うつ]

3月11日の震災の日、
断続的に続く余震に耐えかねて、
人々は、学校等の避難所に身を寄せていました。

みぞれ降る寒い日でした。

仙台市のある中学校の体育館にも
マンションの高層階の住人を始め、
人々が集まってきていました。

その日の日没は5時半頃だったと記憶しています。
徐々にあたりが暗くなっていくにつれ、
人々は、ざわめきだしました。
次第に早口になり、声が大きくなり始めました。

そんな時だったと言います。
探し出してきたろうそくに、
明かりをともしたのだそうです。

すっかりあたりは暗くなり、
ろうそくの明かりだけが
あかあかと灯ったそうです。

そうしたら、
人々は、話すことをやめ、
ジッと、ろうそくの炎を見つめだしたのだそうです。
落ち着きだしたそうです。

あの日から3カ月がたとうとしています。

未だに御遺体が見つからず、
探し続けておられる方も多くいらっしゃいます。

避難所で生活されている方、
御親戚に身を寄せている方、
仮住まいの方が多くいらっしゃいます。

純然と津波や地震の被害の場合であっても、
それとわかってはいるけれど、
誰かを責める方がいらっしゃれば、
それを言い訳にできないまま
責められる方もいらっしゃいます。

2度の地震を
親から離れて経験した子もたくさんいます。
今になって、余震や「じしん」という言葉を聞いて、
あるいはテレビ映画を見て、
震えが止まらなくなった子もいます。

子どもだけではないかもしれません。

その上に福島第一原子力発電所の事故がありました。

私たちの心には、
そうとは気がつかないまま、
あの日の避難所のような、
暗闇が覆い始めているかもしれません。

この先も、得体のしれない暗闇が
忍び寄ってくるかもしれません。

あの時の避難所のように、
ろうそくを探し出し、
明かりを灯さなければならないと思います。

いつまでもいつまで、あかりを絶やさず、
ここにあかりがあるよいうメッセージを送らなければ
ならないと思います。

できるだけ高く炎を掲げ、できるだけ多くの炎が
必要だと思うのです。

人々の心が、闇のなかで迷ってしまわないように、
あかりのネットワークを張り巡らせたいのです。


*****


3月11日の震災で、
特に4月7日以降、
みんなどこかに無理を抱えながら生活しています。

精神的疲労が蓄積されているし、
なんとかしなければいけないということは、
みんなわかっていることです。

そして、色々な経験や研究のもと、
できることがたくさんあるはずです。

しかし、みんなバラバラに、できるところからはじめている
という状態だと思います。

レベルはいろいろ違うのですが、
同じ震災経験者ということで、
自分たちで、
異業種間の連携を意識して活動すれば、
ちょっとの気づき、ヒントでだいぶ違う効果になると思うんです。

本当に
1たす1が、10にも100にもなるのではないかと
そう思うのです。

なんとか、異業種ネットワーク、
成功させたいと思います。

悲しみ、嘆きへの対応の講演会で勉強してきました。震災で大切な人を亡くされた方と接する場合 [自殺 うつ]

悲しみ、嘆きに対する対応(グリーフケア)の講演会に行ってまいりました。

3月11日の被災者(いろいろな意味での)に接している
ボランティアや保健士さん、自治体職員の方々が、
特に大事な人を亡くされた方と
どのように接してよいのかわからないという場面が多く出ているので、
講演会を開くことになったようです。

講師の高橋聡美先生は
精神看護学の先生で、
なるほど、悲しみ、嘆きを対象とされる学問の先生ならでは、
という企画です。

高橋先生は、一度弁護士会の震災相談Q&A作成の際に
研究室にお邪魔してお話しをうかがったのですが、
まとめたお話しを聞ける機会というので、
馳せ参じました。

研究者であるし、
実際の相談業務もなさっているとのことで、
実務的なお話も聞けて迫力がありました。

弁護士も、
一人30分の法律相談を次々やるような相談会場なら、
それほど心理的負担もないのですが、
じっくりお話しを聞くような会場だったり
依頼を受けて仕事をするような場合だと、
被災された方の心の縁をのぞかなければならなくなることがあります。

そもそも私は、特にこのブログで、
うつや不安等をはじめとする心の問題を対象に
妄想を組み立てているので、
学問を学ぶ、他人の話を聞くということは、
心底、要求として常にあるのです。
ギリギリの時間なのですが、ぽっかり空いた時間に無理やり押し込めて、
各方面にわがまま言って、参加させていただきました。

悲嘆、悲しみ、嘆きですね、
これに対する対応の要点は3点だそうです。

1 悲嘆は人それぞれ違う。
2 悲しい時は泣けばいい。
3 悲しみを無理に振り払わなくてもいい。

2と3は、何となくそうかなと本能的に対応してきたことですが、
1は、言葉にして認識したのも初めてでした。

ご家族の話等実例を出されてお話しいただきました。
すぐに泣く人もいれば、じっと耐えて、あとからパニックになる人、
自分を責める人、他人を責める人
私の体験からも、言われてみればよくわかります。

笑いながら深刻な話を話す人、
ジッと我慢する人。

表現自体をアンバランスの感情で、持て余す人。

実際被災直後、笑うしかないと、
被害の深刻な地域ほどそういう方を見かけましたし、
話を聞きました。

2ヶ月くらいしてお話しを聞くと
「あの時、笑うしかありませんでした。」
という過去形のお話も聞けるようになりました。

立場も育った環境も、被害の状況も違えば、
悲しみ方傷つき方も違うのでしょう。
遺伝子も違うのだから、
他人がわからなくても、その人なりに傷ついているわけです。

なるほど、「正しい傷つき方」なんてのは無い
ということは、言葉にしてみると、
当たり前のことなのに、見過ごしてしまうかもしれません。

中には、
自分はどうしてもボランティアに行こうという気持ちが起こらない
自分は悪い人間なのだろうか
と悩む人もいるそうなんです。

お話しを聞いたときは、驚いたのですが、
よくよく考えてみれば、自分にも思い当たる節もありました。
ただ、私は、あまり悩まないけれど。
そういう気持ちが少しわかります。

唐突に思い出したのですが、
男はつらいよの、大原麗子さんがマドンナだった時に
たしか「噂の寅次郎」、
悩んでいる寅さんに、ひろしが、
「自分の醜さに悩んでいる人は、
もうみにくくありませんよ。」
と、説得するシーンがありました。

2の悲しい時は泣けばいい、
ということは、法律相談中によく体験しています。
気丈に見える方ほど、
お話しをされていくうちに泣きだされることがあります。

経験的に悪いことではないと感じているので、
泣いていただくことにしています。
自分が泣いていることに驚く方もいらっしゃるし、
誤られる方もいらっしゃいますが、
そういう方はそれだけがんばってきた方なので、
「これまで頑張ってきたのだから、
泣いても良いのではないでしょうか」と
言い添えたこともありました。

素直にもらい泣きすることが多いです。

肩の荷をおろしてもらうことが弁護士の仕事なので、
法律相談が終わった後で、
気持ちが楽になりましたといわれることは、
冥利に尽きるわけです。

3の悲しみを振り払う必要はないということは、
本当にそうだと思います。
振り払おうったって無理ですし。

心のよりどころをつくることで、
悲しみを乗り越えられるということだそうです。

人が死ぬということは、もう会えなくなることですが、
全く消えてなくなるということではないのではないか
ということをお話しする機会がふえました。

「弁護士がこんなことを言うと笑われるのですが」
と前振りをしながらお話しをするのですが、
笑われないで聞いていただいています。

この悲しみ方でいいんだ、
悲しい時は泣いていいんだ、
悲しみを忘れなくていいんだ、

強烈な肯定のメッセージでした。
他にも収穫が多かった。行ってよかったです。
時間が無かったので、ディスカッションに参加できなかったことが
大変残念でしたし、
中途退席になってしまって申し訳ありませんでした。

それにしても、資料の中の
平成23年3月11日14時46分
という文字を見てからずうっと、
私は、1時間半、涙目が止まりませんでした。

子どもたちの傷つき方の具体的お話も、
ちょっと、いっぱいいっぱいになりました。

業務外では無防備になっているようです。
3月11日、4月7日の震災は、
まだ続いているという表現が正確なのでしょうね。


最初は宗教という不安を共有する機能のコミュニティ、後半は震災と多元的コミュニティについて、中間は・・・ [自殺 うつ]

宗教の話からです。

震災の話の合間に、
最近宗教がかってきたというか、
神がかりなはなしをするようになったとか、
思われているんじゃないかとふと気になっていました。

(とにかく普通の弁護士というブログの紹介文は
ちょっとそぐわないと、自分でも思うようになりました。)

これまでも、自殺やパーソナリティ障害の話で、
いろいろコミュニティのことを妄想していたわけです。

それまでは、形のおぼろげな、
夢の中のような妄想でしたが、
震災を経験して、色々な直接、間接体験をもとに、
妄想がしっかりしてきた、
きちんとした幻覚になってきたというか・・・・

それで思いついたわけです。

もっとも私は、宗教については典型的な日本人で、
自分はお寺のお墓に入る予定だし、
お彼岸、お盆は、お花を上げに父の墓に行きます。

受験の時や子どもが生まれるときは、
神社に参拝し、
交通事故や子どものお祓いをしてもらいました。

非常勤講師をしている大学は、キリスト教系なので、
講義の合間に朝の礼拝があるのですが、
お話しを聞いて、賛美歌を歌ったりしています。

しかし、自分の宗教は儒教、というか、
自分の死生観は、アジア的な死生観だと思っています。

それはさておき

宗教の教義は様々違うのですが、
教義を取っ払った共通項があると思うのです。
宗教というひとくくりがあるわけですから。

その一つが、
不安を共有するコミュニティ
ということにならないかと思いつきました。

日本では、あとで述べるように、純粋な形ではなく、
わかりにくいのですが、
例えばキリスト教なんかは、わかりやすい。

といっても、
ヨハンナ・スピリのアルプスの少女ハイジとか
大草原の小さな家とか、
本やテレビで知っている限りですが、

集落ごとに教会があり、
日曜礼拝なんかで人々が集まってくるわけです。
自分の行いを悔いて告白し、
牧師さんか神父さんか、お話しを傾聴し、
神の許しを告げて不安を受け入れるわけです。

統治機構とは別に、教会を中心とした
こころとか、不安とかを共有する
コミュニティが形成されているようです。

ハイジのおじいさんは、コミュニティを拒否し
アルムの山で一人暮らしをしています。
ハイジが来て、変化が生じ、
ペーターの家を直しに行ったり
礼拝に出かけたりするようになり、
教会とコミュニティが、
象徴的、文学的に描かれています。

日本においても、
明治以前においては、
幕藩体制という統治機構等とは別に、
檀家、氏子というコミュニティがあり、
明治以降に比べると強いコミュニティでした。

一向一揆等があるわけですが、
教義で団結していたというよりは、
地域的、身分的利害、
生きていくための正当な行為という正当性の確信を
コミュニティの中で確信したために
強力な力を得ていたのではないでしょうか。

おそらく明治維新以前の宗教は、
中には大きいものもあったのでしょうか、
比較的、地域的な宗教が多くあったはずです。

そして、宗教施設を中心としたコミュニティが形成されていた
と思うのです。

逆に言うと
地域コミュニティが、宗教的色彩によって
強い結びつきになっていたと思います。

それが無くなったのが、
梅原猛先生がおっしゃった、
廃仏毀釈と修身教育で神が死んだ
ということなのだと思います。

明治維新全体の評価はともかく
寺を破壊し、仏像を破壊し、
天照大神を頂点とした人為的な神の序列をつくり、
素朴な信仰、八百万の神という自然に対する畏敬の心を
奪っていったとともに、
素朴な地域コミュニティのつながりを強めていた
宗教的色彩を否定していったということにも
なっていったのではないでしょうか。

強力な中央集権国家を形成するという意味では、
明治政府のイデオロギー政策は、
ある意味狙いを合理的に体現したものだったのでしょう。

しかし、それまで、地域が心のよりどころだったわけですから、
修身によって、国家が心のよりどころになるということは無理があったわけです。
現在でも、国家をよりどころにして心の安定をはかろうという
道徳教育の副読本が一般のようなのですが、
こういう視点から見ると、修身との共通性が顕著に見られます。

明治維新の地域コミュニティも
農村部であれば、稲作などの共同体なのだから、
経済的必要性があり、人為的な色彩は否定できず、
自然発生の共同体ではないと思います。

産業革命によって、経済が国家規模で流通するようになり、
より大きな単位での人的な社会が構築されていくわけだから、
国家単位の精神的結びつきも
必ずしも人為的とばかりも言えないと思います。

この観点からは、
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトは
程度の問題のような気がします。
ただ、人間のこころや不安の共有という
コミュニティは、
国家的規模で実現することは困難であり、
同じ国に住むというより、もっと細かな
なんらかの共通項、
が介在して、よりよく機能するということが、
人類史の現段階では妥当するのではないでしょうか。

もしかしたら、震災は、
集落のコミュニティの再評価と
コミュニティを広げていく契機
となるのではないかと
妄想は広がっているわけです。

とくに農村部での集落は、
明治維新以前のコミュニティの残存が残っています。
昔ながらの不安の共有、解消作用が
今日でもある程度期待できます。
被災者の多くにとって、
コミュニティを維持することは切実な問題であります。

都市部では、
期間限定かもしれませんが、
被災をしたという共通項があり、
これに基づいた、
より大きなコミュニティが形成されました。

この共通項は、おそらく時間とともに
薄らいでいくのでしょう。
しかし、本来、あったのに、意識しなかった共通項が
意識されたり、
より大きな単位で、小さなコミュニティを援助するという経験が
消えてなくなるわけではありません。

震災後の精神的疲労の蓄積の問題や原発事故等、
負の共通項も現在進行形のものもあるわけです。

共通する不安を言葉にし、受け入れ、
一緒に解決するということを、
理性的に行うことが求められている
少し大きなコミュニティを意識的に形成する必要があると
考えているところです。

*****

初めは宗教についての思いつきを書き始めていたのです。
考えてみたらそれ自体無謀な話で、

途中で梅原猛先生の提言が出てきちゃって、
強く心の刻まれているもんだから、

一向一揆あたりで怪しくなり始め脱線し始め、
ついに30年ぶりにゲゼルシャフト、ゲマインシャフトなんて言葉もでてきて
よく言葉を覚えていたなあといういい加減な知識なので、
どうなることかと思っていたら、

やっぱり震災の問題に戻ってしまいました。

いまさら、書き直すこともできないので、
せっかくだからこのままとします。

文部科学省に電話しました。宮城で放射線年間20m㏜以下という基準には理由がないことを確認 [震災等]

文部科学省に電話しました。
年間1ミリシーベルトを目指すのが福島県だけで、
他の県が20ミリシーベルトのままということが、
どうしても納得いかなかったので、
どういう理由なのか尋ねたかったからです。

福島県において、年間1ミリシーベルトを年度内に目指す
という通達は、以下の通り、5月27日付で出されています。

http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1306590.htm

それでは、実況中継風に

上記通達の末尾に電話番号が記載されているので、そこにかけました。
代表電話から内線につないでもらうのですが、
代表電話は、呼び出し音1回で出ました。
また、感じよくつないでもらい、
こちらの出鼻が、心地よく、軽くくじかれた気になりました。
(私も単純です。)

相談室は、担当者がめいっぱい対応しており、
担当ではない方が電話に出られました。
この方も、妙に構えるところがなくて、
自然体で、対応されており、
私の突っ込みが、ワンテンポずれる感じになりました。
(私も単純です。)

しかし、そのため、自分の聞きたいことを
考えながら聞くことができたように思います。

先ず、
5月27日の通達が、どうして福島県だけなのか尋ねました。

これに対しては、
福島原発からの距離に応じて、放射線の高い地域があったため、
緊急な対策が求められたという回答でした。

私は、
宮城県の丸森町や白石市には、福島県会津若松市より
よほど放射線の高い地域がある。
それなのに、福島県だけということが理解できない
と尋ねました。

ここで、さらに、
子どもの放射線量について
年間20ミリシーベルトから、1ミリシーベルトに変更したということは、
1ミリシーベルトの方が、より健康に対する害がなく
望ましいということは間違いないのではないか
と尋ねて、
それはおっしゃる通りと確認できました。
(こういう当たり前のことを確認することは大事です)

そうだとすると、
福島だけでなく、他県も1ミリシーベルトを目指すべきではないか
と尋ねました。

それもおっしゃる通りと、いうことでした。

どうも話がかみ合っていないと思い、問題の所在を説明しました。

丸森町や宮城県のホームページには、
4月19日の発表を受けて、
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/04/1305174.htm
未だに、年間20ミリシーベルト以下であれば安全であるかの表に
説明をしている。

お母さん方が、
きちんと対策を立てることが必要ではないかと電話しても
20ミリシーベルトまで、国が安全だと言っているので、
大丈夫だと対応してしまっている。

年間20ミリシーベルトをきちんと撤回して、
1ミリシーベルト以下を目指すということをきちんと示せば、
様々な工夫をして、
宮城県であれば年間1ミリシーベルトは
「目指す」のではなく、実現できるのではないか
と質問しました。

それなのに、年間20ミリシーベルトという
通達を引っ込めないから、
自治体も学校もできることをしないし、
家庭でも気をつけることをしない。

確かに不安によるパニック行動を考えなければならないでしょうけれど、
今は情報は流通している。
対応も宣伝されている。
できることをしないで、
望ましい数字に近づける努力をしないことの方が
問題ではないかと尋ねました。

これはこの通りと確認が取れました。

かみ合わなかった問題の所在というのが、
そもそも4月19日の年間20ミリシーベルトというのも、
本来福島県限定ということで、
一般に20ミリシーベルトでよいという通達ではない
ということらしいのです。

国際基準の中の、1ミリシーベルトから20ミリシーベルト
という基準が当てはまる、そういう時期的、地域的限定の
通達だったようです。

それを、時間の経過と、(おそらく批判と)等の要因で、
1ミリシーベルトを目指すという風に
通達を変えたということのようです。

むしろ、自治体に対する要求の
言い回しを一緒に考えてもらいました。
一つのサンプルです。

4月19日の通達、資料に基づいて、
自治体が20ミリシーベルトが安全と言っていたというのであれば、
国は、20ミリシーベルトよいという態度から
年間1ミリシーベルト以下を目指すという態度に変わったのだから、
自治体も変えなければならないのではないですか、
その根拠は変わったのですよと
自治体に言うべきだということになりました。

(電話の時はなるほどと思ったのですが、
数日前にこのブログで書いた論理ですね。
なぜ、あれほど、電話ではなるほどと思ったのでしょう。
一緒に考える姿勢を示していただいたからということなのでしょうね。)

(20ミリシーベルトが安全ということは、
ICRPは、一様に基準を定めていないようです。
それこそ核テロがあった場合は、年間に直すと20から100ミリシーベルト
収束し始めた段階では1から20ミリシーベルト、
一般には1ミリシーベルト以下ということになります。

福島県で、収束し始めた基準を適用することはともかく、
その他の地域で、事故現場の収束し始めた基準を使うということは、
本来適切ではなかったのです。
この通達が宮城県でも妥当するという解釈に無理があったようです。)

そして、専門家会議で、どうやって1ミリシーベルト以下を
実現していくかの話し合いが行われている。
その中で、福島限定ということはおかしいと
当然なるはずでしょうという説明もありました。

それはそうかもしれないけれど、
結局それを待っていることはできないか、
何かできることは無いかということを相談しました。

やはり、測定等を求める声をあげて行くことが必要だということになりました。
(なったんですよ)
県からの要請がないと、国は動きにくいですかと尋ねたら
正直その通りということでした。
学校の管轄は教育委員会なので、
教育委員会=県が動いてもらうと効果があると
教えていただきました。

福島県以外でも学校の放射線を測定して欲しいという声は、
ぽつぽつ出ているというのがリアルな国の認識のようです。
まだ、ぽつぽつという段階の認識のようです。

そうではなく、色々な声が集まってきているんだとということは
言っておきましたが、
実態調査をする余裕はなさそうでした。

なお、宮城県と同じような状況が
茨城県の北部地方にもあり、
こちらからも声が上がっているようです。

いろいろフランクに教えていただきました。

もっと色々突っ込みどころが本当はあったのかもしれませんが、
きちんと話を聞いていただいたという満足感と、
こちらは間違っていなかったという充実感が感じられてしまいました。

本当に私は単純でした。




弁護士会の自殺対策マニュアル、堂々完成、ネットワークの第一歩 [自殺 うつ]

昨年春ころから、このブログで、
みなさんと相談しながら作成した仙台弁護士会の自殺マニュアル
完成したという記者会見が今日行われます。

弁護士会内向けの非売品です。
内容は、知識のこととか、心構えとか、技術とか
色々書いてありますが、

自殺マニュアル.JPG

大事なことは、弁護士が、依頼者や相談者の
メンタル面にもっと注意関心を持とう
ということを、地域の弁護士会が、
マニュアルという形で取り組み始めた
というところにあります。

弁護士は、トラブルのある人たちを
クライアントとするわけですし、
訴訟それ自体がストレスとなるわけです。

解決を目指すからと言ったって、
例えば手術を受けることがストレスにならない人はいないでしょう。
まして、訴訟は敗訴の危険もあります。

先ず、弁護士はそういう職業だということを
みんなで自覚しようというところからはじまります。

自分たちの対応で、
依頼者のストレスが増幅しないように、
ちょっとのところでだいぶ違う。
意識するかしないかで、全く違うと思うのです。

それから、重篤なうつ症状が出た場合は、
治療が必要です。
弁護士から、医師につなぐとか
医師から指導を受けて訴訟等に当たる
ということを弁護士が行うことによって、
それ自体で、うつを軽減したり自殺予防に役立つはずです。

まして、弁護士の相談会は、
弁護士会で毎日行っているほか、
あちこちの自治体や機関で行われています。
弁護士の数だけ、医師につなぐ心の相談所ができると思うと、
可能性は広がると思うのです。

そうして、自殺やメンタルを意識しながら業務を行っていけば、
弁護士から、もっと有効な自殺対策、うつ等の予防対策の
具体的な提言ができるようになると思います。

そのはじめの一歩が、この自殺対策マニュアルの
意義だと考えております。

この意義を我々以上に洞察され、
自殺対策マニュアルに協力していただいた方々がいらっしゃいます。

宮城県医師会に全面的に協力していただき、
東北大学医学部教授松岡洋夫先生と
医師会の常任理事の橋本省先生に、
監修をしていただきました。

これ自体、非常に(まさに常にない)価値のある
ネットワークになっております。

さらに、印刷等の諸費用は、
宮城県から出ています。
内閣府の自殺対策予算が各自治体に配布され、
各自治体をとおして、自殺対策事業に予算がつくのです。

といっても、無条件につくわけではなく、
名乗りを上げた団体の事業が審査されます。
弁護士会の事業も、3候補名乗りを上げましたが、
この出版企画だけがとおり、他の二つは落選しました。

啓発事業は、本来予算がつかないのですが、
会内向けマニュアルとはいえ、
意義を見出して、予算をつけていただきました。

県の担当者の方の炯眼に感服しました。

というのも、
こういう意義があるということを認識してもらわなければならないのは、
どうやら弁護士自身のようだからです。

われわれは、ネットワークだシンポジウムだと
目を外に外に向けていたのですが、
肝心の弁護士会が、
ちょっと、ちょっとのようなのです。

言えばわかると思うのですが、
この点の努力が、少し不足していたようです。

みなさんのお力をお借りして、
盛り上げていかなければと
考えている次第です。

学校、教育委員会の事故隠しは、自動車事故のひき逃げと一緒。子供たちはそれを見ている。 [自殺 うつ]

交通事故でひき逃げという行為があります。
事故を起こしたのに、何にもしないでその場から立ち去る行為です。
道交法上は、救護義務違反、報告義務違反として処罰されます。

事故を起こした本人が、
被害者を助けるチャンスが一番あるわけです。
救急隊に、こういう状況で、こっちからあっちに向かって
時速40キロメートルで走行していて、衝突しました。
とか事故状況を報告すれば、
より適切な救急活動ができ、
治りも良くなる可能性が高いということになります。

ところが、そもそも救急隊も呼ばないで、
逃げてしまうと、
あっさり助かるはずの命を
最悪の場合奪ってしまうこともあるわけです。

だからそれ自体罰せられるし、
情状も重くなるわけです。

助かるはずの命を助けない罪は重いのです。

今、宮城県ではない別の県で、
教育委員会を相手に裁判をしています。
学校の中で、教師のパワハラや生徒のいじめを苦に自死した生徒の
損害賠償請求の形をとっていますが、

公的なリポートによると、
自死に関する情報を、一般教諭と共有することもせず、
職員会議の記録も破棄し、
その自死した生徒の同級生が在籍する年度であるにもかかわらず、
交代する校長は、
自分の学校で起きた出来事だという認識をしないために、
新しい校長に文書などでの引き継ぎをしなかった
というのです。

その県の教育委員会は、
生徒の自死数を、その年度0件と国に報告し、
抗議を受けて訂正したというおまけがついています。

この件を始めてから、
どうやってわかったのかわかりませんが、
私も教育委員会と闘っている、がんばれという
励ましというか、ご報告をいただくようになりました。

いじめを隠して、何ら対処をしないということは、
いじめられた親に報告しないということは、
ひき逃げと同じではないでしょうか。

学校が、その子供を救うチャンスをもっていたわけです。

中には、学校で怪我をしたのに隠そうとしたため、
自分の子供がそういうけがをしたら
親だったら誰しも救急車を呼ぶ事故なのに、
無かったことにするかのごとく、
手当てをしないで、悪化したケースもあるようです。

事故が学校のせいではないとしても、
悪化させたのは、明らかに学校の責任ということになります。

まさにひき逃げです。

いずれのケースも、子供たちはみんな見ているわけです。
内申書や校内選考で
進学や就職という首根っこをつかんでいるという
そういう認識なのでしょうか。
平気で、子供たちに、嘘や沈黙を指示するという報告もありました。

隠せると思うのですね。
職員会議の議事録やその他書類を焼いてしまえば、
証拠が残らないと思っているわけですね。

それもみんな子どもたちが見ているわけです。

校長先生がひき逃げをしていることを
教育委員会がそれを見逃しているところを
子どもたちはじっと見ているわけです。
そして、共犯者にさせられているわけです。
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