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「女性らしさ」 女性性を否定する呪いから女性を解放する時期に来ている。一部のジェンダーフリー論はフェミニズムとは言えないと主張する理由 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

先日、自分の写真をたくさん掲載するNPO法人の関係者の記事を読み、
「ああなるほど」と、膝を打ちました。

「女の子らしく」しろというのは呪いなのだそうです。
ヒーローもの等で女性が補助役でしか登場しないのは
「女の子らしさ」の呪いなのだそうです。

結局、この論調は一部のフェミニズムを自称する団体と共通で、
象徴的な主張です。
要するに、「女性も兵士にしなければならない」ということです。
これがフェミニズムの堕落の象徴的な主張なので、
考えてみようと思いました。

「女の子のくせに」とどんな時に注意されるでしょうか。
最近、自分の意見を鮮明に表明する場合に
女の子を引き合いにして注意されるということは
さすがになくなっていると思います。
森友学園でさえ、女の子にも宣誓をさせていましたが。

子どもを育てていて、
自分ではあまり男の子らしくとか女の子らしく
とかいうことを言った記憶はありません。
ただ、いろいろな集団活動の現場で
耳にすることが無かったわけではありません。

女の子のくせにという言葉が発せられるのは、
一つに乱暴なことをする場合
だったと思います。

その時は、そこで女性を出さなくてもよいのではないか
と正直思いましたが、
今は、それが女性らしいと感じることは
理由があることだと思うようになっています。

乱暴をしないというところに焦点を当ててみます。

先日、母性についての誤った理解は、
女性性と母性が混乱しているからだ
と指摘しましたので、この点については触れません。
「母性幻想の根源は、ヒト女性行動傾向との混乱にある。人間の価値はどこに。」 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23

私の主張は、行動学的に見て、
人間の女性が争いを好まず、共存を志向している
という特徴を遺伝子的に有しているというものです。

但し、現代のすべての女性にそういう傾向が色濃くあるとか
そうあらねばならないということを主張しているわけではありません。

繰り返しもあるのですが、少し説明します。

すべての出発点は、
ヒトが二足歩行をするところにあると考えています。
その影響があると思うのですが、

受精してもなかなか着床しない。
流産しやすい。
走り回らなくても重い物をもっても骨盤が開く
四足歩行の場合は重い物は持たない。
妊娠期間が長すぎる
出産が危険である。
出産後に母が死亡するケースもある。
死産も多い。
生まれてすぐ死亡しやすい。
生まれてからかなり長期間自力行動ができない。
新生児は極めて弱い。
新生児の依存度が高く長期間にわたる。

こういう傾向があったわけです。

このため、チンパンジーの祖先と別れて800万年
原人と別れて20万年という人類の歴史の大部分が

子どもは母親だけが育てるものではなく、
母親を中心としつつも群れが育てるものだ、
そのために共鳴共感のメカニズムが母親以外の者と成立する
という極めてまれな生物となっている。
母親以外の大人が赤ん坊を可愛がり守ることがある。

こういうヒトの行動傾向が
ヒトが種を保存させるために必要でした。

言葉もない時代からヒトはこのような行動をとってきた。
それは遺伝子的に組み込まれることによってのみ
ヒトという動物に普遍的な傾向となったわけです。

二足歩行がこのような動物としての特徴を作ったのか、
群れを作る特徴が二足歩行を可能としたのか
なかなか面白い問題だと思います。

当時、群れは自分を守るものですから、
あまり個の確立は求められない時代が続いたわけです。

群れを守るというのは群れの頭数を維持するということが基本です。
大部分の人の歴史では、
40歳を超えて生存するということはあまりなかったと思われます。
そうだとすると、子どもを出産すること
子どもを自立するまで死なせないで育てること
これがヒトの一番のテーマでした。

一つには流産を避けること、
狩りなどの戦闘行為に女性を参加させないということは
流産を避けて、出産率を高めるためには必要だったはずです。

もっとも植物の採取だって、アスファルト道路なんてないのだから
流産の危険を回避するためにはいかせない方が確実だったと思います。

それは女性が劣っていることを示すものではなく
単純な役割分担ということです。

いつしか遺伝子的な行動が
文化的な感情を伴うようになるわけです。
なんとなく静かに過ごす女性が好ましいような風潮は
人間独特のものですが、
遺伝子的な行動という頼りない行動様式を
文化的な確実なものにしていったのだと思います。

(アントニオダマシオは
 二次の情動は、後天的なものと割り切っているようですが、
 私は、少なくない部分は遺伝子的要請と文化の混在によるものだ
 と漠然と思っています。)

具体的な男性や女性がどうかというより、
このような人類の悠久の営みによって
遺伝子的にいくつかの傾向が生じてしまうのは、
人類が歴史から切り離せない形で生存していることから
当然のことです。

男性は、命がけで狩りをすることが役割ですから、
動物に対する殺戮を嫌っていたのでは話になりません。
また時には他の群れとの戦闘もあったと思います。
どうしても、共存そのものではなく、
共存に必要な狩りや戦闘の遺伝子が入ってきているでしょう。
不正を許さないということも
チームプレイに自分や群れの命がかかっていることから
どうしても峻厳になる傾向があるのと同時に
感情が高ぶってしまうことも合理的な理由があるわけです。

これに対して女性は、
群れを守るという役割があります。
チームプレイを乱したところで、
よっぽどのことが無ければ命にかかわりませんので、
寛容性があるというか、攻撃性が低いというか
そういう傾向になりやすいと思います。
そこが、正しさよりも優しさを選択する発想になるのでしょう。

男性はどうしても白黒をつけたいわけです。
論理学でいえば矛盾を許さないアリストテレス論理学です。

女性は白黒よりも共存を志向するため
双方の利点を尊重しようとするわけです。
ヘーゲルの弁証法論理学がなじみやすいですね。

こういう女性らしさは確かにあるように思われます。
新幹線の二人掛けの椅子に座っていて
先ず、女性がひじ掛けからはみ出すということは
経験がありません。
男性はひじ掛けから肘がはみ出して出っ張っていると
どうしてもムカッと怒りの感情が出てきてしまいます。
ちょっと、突っついてみたりして。

女性は、あまり、このムカッという感情が
どうやらでないようなのです。

もっともここにも論点があって、
女性は怖いから言わないのだという人もいます。
そうかもしれません。
ただ、色々私的にリサーチしてみたところ、
どうやら傾向として、
反射的な怒りは男性の傾向のようです。
女性を馬鹿にしてという意味付けをした場合に
女性は怒りを持つような感覚を受けています。

これは日常家事的にはもっと鮮明に現れてきます。
本当によく聞くのが、
スーパーマーケットのレジに並んでいた場合、
例えば横入りだったり、その他不道徳な行為に
夫は反射的に怒りの感情を持ち、
感情を抑えきれないで注意等の行動をすることがあり、
妻はそれに耐えられないということをよく聞きます。

正義感が必ずしも肯定的にばかり作動しない
ということになる場面ですね。

男性は、ルールを守らない方が悪い
という価値観で行動する傾向がありそうです。
女性は、ダイレクトに調和を求める傾向がありそうです。
例えば、夫はルール違反でなければ自由な行動をしますが、
妻は、人から見られて恥ずかしい行動はしてほしくありません。

このポイントが
実は、妻が夫に対して恐怖を感じたり
自分を否定されていると感じるポイントになっている
と私は離婚の事例を担当して感じることが多いです。

フェミニズムは、第2派フェミニズムまでは、
女性のこのような非戦闘的、寛容的、協調的な傾向で
世界を変えようとしていました。
それらの傾向は、公正公平、弱者救済、平和の志向に
論理的にもなじみやすいわけです。

平成28年10月20日のAFPの配信記事ですが
「イスラエルとパレスチナの女性活動家ら、平和を訴える行進」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00010007-afpbbnewsv-int
とても素晴らしいことですし、
これぞフェミニズムだと私は思います。
女性らしさを大切にした活動で、
世界から称賛されるべき人類史的な活動だと思います。

確かに、遺伝子的な要請に文化的なものが加わるとき、
時々の権力の所在によって、
本来遺伝子的な要請ではない事項が付加されます。
女性らしさは、慎みだという事項は、
全くこういうものであり、唾棄すべきものだと思います。

しかし、ヒトという生物的な女性らしさを否定しまうことは
何の根拠もなく、かえって女性を苦しめるものです。
一部のジェンダーフリー論者が国家権力と結びついて、
女性の権利を剥奪していきました。
深夜労働を解禁し、生理休暇を事実上廃止しました。
女性であることを理由に保護されるのがけしからんということらしいです。
そうしてまで果たしたい女性の社会進出はどうなったのでしょう。
賃金格差はどこまで解消されたのでしょうか。

女性らしさを理由にできないということは
女性にとっては大変つらい場合もあります。

また、今の一部のジェンダーフリー論は
女性であることを否定するもので、
女性を男性化しようとしているのではないかと
思えて仕方がないことがあります。

自分の写真をべたべた乗せるNPO法人関係者みたいに
女性も過労死させろと言っているようなものです。

戦闘シーンで女性が補助的な立場でなく
攻撃を主導する立場で喜ぶのは誰でしょう
会社が決めたルールにのっとって
自分の個人的な事情を無視して長時間働くことで
喜ぶ人は誰でしょう。

実は、「女の子らしさ」を否定することは、
強欲な利益至上主義者の手先の効果が
主な効果になっていないでしょうか。

深夜労働を拒否できない状態にすることで
安い労働力を使えると喜んでいる人がいるわけです。
毎月生理休暇が取りにくい状態を
確実に喜んでいる人がいるわけです。
男性並みに活動し、
無自覚流産しても
何のも痛痒も感じない人たちがいるわけです。

これは、800万年の人類史上初めて
女性が、女性であることから受ける
当然の利益を奪われている時代ではないでしょうか。

むしろ、
男性を女性並みにしろと言う主張自体が健全です。

なぜならば、今の時代、
戦闘的な本能は不要である上、有害だからです。
正しさよりも優しさが必要な時代だからです。
もっと、女性の遺伝子的傾向が
社会の支配的傾向になるべきです。
今なお続いている戦争を少しでも少なくし、
それぞれの人間の条件を無視して
過労死するまで働かせることを
優しさで否定するべきです。
誰かを攻撃したくなるような要因を探り
ダイレクトに共存するための文化を構築するべきです。

それには何が正しくて、あるべき姿だなんていうような
男性的な発想は有害になるだけではないかと
今は考えています。

もし、今の第3派フェミニズムの趨勢が
このような発想、遺伝子的女性らしさの強調ですね、
これを否定するのであれば、
それはフェミニズムと呼ぶべきではないと思います。
女性を解放しないで、男性化させるだけの
論調に成り下がっていると思います。
人類史の中で恥ずべき最悪の論調です。
女性性の否定という呪いから生身の女性を解放するべきです。
女性であることを理由に堂々と自分を大切にすることを
是とするべきです。
それは自分だけの利益ではありません。

時代は、男性化社会から女性的傾向社会へと
変化することが客観的に求められていると思います。
そうでなければ人類の生き残り自体が怪しくなっていくでしょう。
案外第4派フェミニズムの担い手は
日本では女性ではなく、
理性的に目覚め、自らの弱点を認識した
男性なのかもしれません。

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