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幸せの定義:その人の望む人間関係において、安定した立場が継続している状態、またはその時の感情 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

自死、いじめ、過労死、破産離婚、犯罪
というあらゆる社会病理の予防のためには、
不幸をなくすという目標を掲げるよりも、
幸福になるという目標を掲げるべきだと思います。

では、その人が感じる幸福とは何か

「その人の望む人間関係において

安定した立場が

継続している状態

またはその時の感情」


これを幸せと定義づける試みをしてみます。


1 「人間関係」

現代人は、様々な人間関係の中で生活しています。
家族、職場、学校、友人という身近で継続的な関係の外
病院、お店、交通機関等比較的短期で、
関係が希薄な人間関係もあります。
また、社会や国家のように
漠然とした人間関係の一員ということにもなっています。

2 「望む」

その人によってそれぞれの人間関係の
大切さとその程度は違うようです。

家族が第一で、家族との関係さえよければ
職場で苦労しても幸せを感じる人もいれば、

同好会みたいなところで評価が高ければよくて、
家族にさえあまり多くを望まない人もいると思います。
すべてを犠牲にして、社会的評価、何らかの表彰等
を勝ち取ろうと人生をかけている人もいるでしょう。

ただ、そうはいっても、
どこかの人間関係で、自分が迫害されていると
なかなか幸せだと納得することは難しいかもしれません。

むしろ不幸は、
自分の大切にしていない人間関係の中で起きてしまい、
自分が大切な人間関係にも影響を与えるのかもしれません。

3 「安定した立場」

安定した立場とは、一言でいえば、
追放や排除の心配がない
仲間あるいは人間関係を構成する者
として受け入れてくれるということです。

この安定を感じるための要素、事情についても
人によって様々です。

リーダー的な立場でないと安心できない人
何事か自分の役割を果たすことで安心する人
要するに仲間から必要とされることで
安心する人たちですね。
むしろ、
誰からも非難されないで受け入れてもらえば
それでよい人もいらっしゃいますね。
強い人だということになるようです。

仲間の注目を浴びたい人
なるべくそっとしておいてほしい人
様々ですね。

また、それぞれの人間関係において
望む安定した関係も異なることが自然でしょう。

家族や友人など、継続的で密な人間関係では
自分の弱点をさらけ出しても
そこを攻撃されないような
強い信頼関係を望むでしょうし、

社会的な評価のように
多少無理をしてつくろっても
尊敬を集めたいというという
尊重されていることを感じる形があるでしょう。

4 継続

恒常的な人間関係の安定感ということは
なかなか難しいようです。
完全に調和し続けること自体は無理な話で、
少しずつ修正しながら
仲間と自分の求める安定を探していく
ということがノーマルということでよいのでしょう。

逆に言えば、一瞬の幸福
というものもあるでしょう。

例えば街頭で困っていたら、
見ず知らずの人に親切にされたというような
偶然の人間関係の中で
幸福を感じることもあるでしょう。

5 不幸との関係

幸せの定義の検討においては
対義語である不幸を検討する必要があると思います。

このブログのテーマである対人関係学からの帰結です。
幸せの定義についての説明は、
抽象的でピンと来ない方もいらっしゃると思います。

謎解きの意味も込めて、先ず対人関係学を簡単におさらいです。

人間はチンパンジーの祖先から分かれて
800万年といわれています
この大半の時代、武器も文明もたなかった人間は、
群れを作って生き延びるしかありませんでした。

言葉もない時代に群れを作れたというのは、
群れを作ろうとする遺伝子を持った個体だけが
生き延びてきたことに由来します。

群れを作る遺伝子の仕組みというのは、
仲間から排除、追放されるようなことをしようとすると
本能的に危険を感じて、自分の行動を修正する
という仕組みです。
前頭前野腹内側部という脳の部分が主として担い、
他者への共鳴力、共感力、
将来に対する推察力が必要になります。

こうして自分を群れから排除されないようにするわけです。

また、群れの頭数を確保する仕組みもあります。
可愛い」という感情です。
これは、群れの一番弱い者を守ろうとする
本能的な仕組みということだと思います。
赤ん坊など弱い者は攻撃の対象となります。
これを守ることで群れの頭数を守り
群れを恒常的に守っていくことになります。

群れのために戦う場合、
恐れを感じにくくなるという仕組みもあります。
誰かのために戦う者は強いということですね。

そう考えてみると
群れに属しないで孤立していることは
常に不安に苦しむことになりますから
不幸なのだと思います。

もちろん、群れの中に物理的に存在しても
尊重されず、攻撃的を受け続けている場合、
物理的に孤立している以上に孤立感を感じるでしょう。

本当の不幸の中にいる場合に、
不幸を感じなくて済む方法が、
感情自体を失わせることなのかもしれません。

喜びも悲しみも、興味関心もなくすことで、
不幸せを乗り切ろうとする仕組みなのかもしれません。

だから幸せといっても、
全くにこにこだけしているわけではなく、
微修正しながらも群れの中で尊重されて生きていく
ということになりそうです。

トータルな営みの中で
自分が恒常的な関係を継続する、
排除や追放の不安がない状態
そのような状態の人間の感情が
幸せということになるのではないかという試論でした。

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