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自分の子どもに会えない母親の面会交流調停について [家事]

不思議なことに、
意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちは、
夫婦が離婚した場合、子どもを監護している親が
母親だと決めつけている印象があります。

しかし、面会交流に取り組んでいる弁護士の共通認識ですが、
少なくない割合で、
母親もわが子に会えない状況に苦しんでいます。

意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちが
男性に対して攻撃しようとしている文章を読むと、
面会交流に取り組んでいる弁護士は、
わが子に会えない母親に思いをはせてしまうのです。

まるで、子どもを連れて別居しない母親は
支援の対象ではないと言わんばかりに感じてしまいます。

これが、子どもを連れて離婚した母親だけを
商売の対象としている人たちであれば理解できるのですが、
勤務先の大学を常に掲げて意見を述べている学者が言っているのを見ると
その大学の水準を考えてしまうところですし、
「フェミニスト」を名乗られてしまうと、
支援を受ける女性には、子どもがいることが条件だと切り捨てられるような
差別意識を感じてしまいます。
男性に対する差別の他に
弱い女性に対する差別意識を感じてしまいます。


母親が子どもと会えなくなる形態は
父親が会えなくなる形態と異なることが多いです。

つまり、父親が子どもに会えなくなるのは、
母親が子どもを連れて、父親の元を去る場合が多いのに対して、
母親が子どもに会えなくなるのは、
父親から、子どもを取り上げられて
一人で家から追い出されるというパターンが圧倒的に多いです。

そして、これは一般化できるかどうかわかりませんが、
母親に実家が無かったり、
両親がいても夫に遠慮しているように怒らなかったり
というパターンが多く、
母親が孤立していることが多いように感じています。

ところで追い出される原因はいろいろあると思うのですが、
私が多く体験しているのは、
夫の両親と折り合いが悪くなり追い出されるということが多く、
その原因となるのが、
妻のヒステリー、うつなどの精神疾患
その他身体疾患が目につきます。

少なくない割合に妻の不貞ということがありますが、
多くのケースに、妻の不貞を誘引したのが
家庭の中の孤立という現象があります。
それでも不貞は賛成できることではありませんが、
ギリギリの精神状態になっていることから、
生きるための活動であることは理解できる気がするケースがほとんどです。

私は不貞に関する事件を多く扱っているのですが、
ギリギリの病的な環境の中で、
何かから逃げるような刹那的な行動であるケースがほとんどで、
最近のテレビドラマのような、
あっけらかんとした明るい不倫などというものは
変な話、不貞に対するというか、人間に対する冒涜だと感じてしまいます。

それはともかく

面会交流調停において、
子どもと同居する父親の主張は以下のとおり判で押したように
みんな同じことを言います。

・面会交流が大切なことは理解している。
・母親のいない生活が始まったばかりなので、精神的に安定していない。
 気持ちが落ち着いたら面会交流を始めたい。
・子どもが母親と会うことや電話をすることを嫌がっている。
・まず、手紙で子どもの写真を送るところから始めたい。

言うことは、男も女も同じです。

裁判所は、「面会交流の必要性は理解している」と言われると
安心してしまい、それで解決と直結して今います。
しかし、そんなことを言っても
具体的な面会交流に話を進むことはありません。

会えない子どもから見れば、
親と面会できないことには変わりないのです。

未だに裁判所は、このような実態について気が付いていません。
具体的な面会交流の話が始まらなくても
のんびりしていることが多いようです。
子どもに会えない親の焦燥感を
少しは考えなくてはならないのではないでしょうか。

「子どもを母親に取られてしまうのではないか」
という不安が、調停委員の報告を聞いただけでこちらはわかります。
男親の方が女親よりもわかりやすいのですが、
言葉をそのまま受け取る裁判所には良くわからないようです。


<なぜ母親は子どもを置いて出てきてしまうのか>

「子どもを置いてくるから悪いんじゃん。」
と、切り捨てるような考えを持つ人もいるかもしれません。

しかし、多くの場合(私が担当した事例では漏れなく)
おいてこざるを得ない事情があります。

その多くが、精神的問題です。
精神的に疲弊しているのです。

一言で言えばPTSD様の状態になっています。
本当の精神的な虐待が起きている場合があります。
連日の人格否定の発言や無視
母親としての対面を子どもの前で汚す行動
自分のつながりを切られてしまう
という極限的な配偶者加害が起きているケースがあります。

体重が極端に減少しているケースも多く、
慢性的な睡眠障害と併せて
精神的にも抵抗力がなくなっている状態です。

現実に精神的に虐待されているケースもあれば、
精神疾患によって虐待があるように思っている場合があることは
子どもを連れて別居するケースと同じです。

但し、真正の虐待(支配と従属関係)の割合が
母が子を置いて別居する時に多いと思います。

配偶者加害が完成すると、抵抗力がなくなります。
「何とかしよう」とか、「何とかできるのではないか」
という発想すらがなくなるわけですし、
「自分が悪いからこうなる」という気持ちに逃げ込むことで
自分をギリギリ保っている状態ですから、
自分が不合理な状態にさらされているのではないか
と疑うことも難しくなります。

だから、行政や女性支援者に相談に行くということが
なかなかないのです。
アドバイスを受けることなく、
言われるがままに子どもを置いて家を出ていくことになります。

こういう本当の配偶者加害(真正DV)のケースは
離婚させて「はい終わり」
という安直なかかわり方はできません。
いつ自傷行為や自死が起きるかわかりません。
さらには、また、配偶者加害の追い打ちがくる可能性もあります。
がっちりチームを組んで、1年や2年は連絡を取りあい、
人とのつながりを取り戻す共同作業を行います。

長期的なつながりの中で、
配偶者加害の被害者は生きる力を取り戻し、
病前のレベルまで活き活きと活動を開始することができるようになります。

まさに複雑性PTSDの知見がぴったり当てはまる状態です。
そういう方々とかかわって、
J L ハーマンの「心的外傷と回復」(みすず書房)が、
きわめて真実の道筋を述べていることを理解することができます。

日本で行われるDV政策の多くを
まがいもののようにいう理由は
こういう体験に根差すものなのです。

さらに、こういう真の配偶者加害の被害者を苦しめるのが、

「面会交流は、離婚の影響が落ち着いてから」
「子どもの意見を聞きましょう」
「継続性の原則」
さらには、
「面会交流は危険です」
等という妄言です。

本当に支援し続けなければならない女性を
面会交流を危険視する人たちが
追い込んでいるわけです。

わが子に会えない母親も
別居してしばらくすると
子どもを置いて出たことの誤りに気が付きます。

離婚調停などが始まって、
支援をする人たちとのつながりが生まれると
闘う気持ちも出てくることがあります。

しかし、面会交流を理解できない弁護士に当たる確率が高い
という事情があります。
女性の権利を回復する闘いだとして
いつも面会交流に抵抗する弁護士が紹介されるからです。

優秀な方々なので、金銭的な面では成果が上がるでしょう。
しかし、子ども会えるようにはなりません。
「どうしてこれだけ金銭的に勝ち取ったのに、
 離婚に応じないのだ?」
と、どちらの代理人かわからなくなるような
説得をされてしまいます。

子どもと会えない母親からすると
自分の子どもを金で売るような感覚になることもあるのです。

辛さを理解して、その上での提案だったら
どんなに救われるでしょう。
そういうお母さんから電話をもらって
電話口で一緒に泣くこともあります。

面会交流に取り組む弁護士は、
男女を敵対させる気持ちが理解できません。
性別にかかわりなく親が子を慕い、子が親を慕う心情に
偽りはないと感じているはずです。

稚拙で、不合理で、差別意識に基づく
親子を引き裂く司法が根絶されるよう、
もっともっと多くの弁護士が
面会交流に取り組むようになることを
願ってやみません。

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コメント 3

通りすがり

「自分の子どもに会えない母親」の問題は確かに重要ですね。
現に、会うことができなくなった精神疾患を持つ母親の人を複数知っています。

ただ、この記事にあるように男性を「加害者」呼ばわりしてしまうのは、差別と偏見に満ち溢れていると指摘せざるを得ません。
「ヒステリー」という言葉は、お使いの文脈では全く正しい用法ではありません。医学的には全く別の意味合いです。
「複雑性PTSD」、かつては安易にこの診断が乱発されていた時代がありましたが、現在の学会の診断基準は厳格化されてきており、簡単に診断はくだされません。
素人目に「複雑性PTSD」のように見えるのかもしれませんが、記事の状況は外因性ではない精神疾患(うつ病、双極性障害、統合失調症など)でも十分に説明できる内容ばかりです。

精神疾患は基本的に「誰か」のせいでなるものではありません。(
PTSDなどの一部の疾患は「誰か」のせいでなる外因性の疾患ですが、数は圧倒的に少ないです。)
先の記事で、女性の甲状腺の問題などに触れていらっしゃったと思いますが(これも本当は突っ込みどころ満載)、「誰か」のせいでなる病気と、それに伴う行動ではないはずです。

親子心中のケースは、母子が圧倒的に多いですね。
精神疾患を抱えた母親による子殺しの事件報道が毎年のようにされますが、「父親は何していたんだ」というような批判が集中します。
「何をしていたんだ」⇒「家族を守るために必死だった」ケースがほとんどですが、何も支援を受けられないまま、事件となってしまって猛烈な批判を受けてしまうのです。
児童虐待のケースは、30~50%が精神障害絡みとも言われています。そして、虐待者は母親が一番多いという事実があります。
精神障害者を妻に抱えた夫の気持ちは、この記事の中に少しでも考慮されているのでしょうか?

私は沢山の精神障害者の家族と深いかかわりを持っていますが、この記事にあるような事例の男性側の立場もよく理解できます。
子どもを守ろうという必死の行動も、いわゆる「人権派」弁護士から、このような批判に晒されてしまうのです。

必要なのは、家族全体を支援する視点です。
ヒステリーやPTSDなど診断で決めつけるのではなく、何に困って何に不安を抱えているのか、生活の観点からしっかりと支援をすることです。
そうすれば、連れ去りをした男性側がどんな感情を抱えているのか、それも見えてくると思います。
「妻のヒステリー、うつなどの精神疾患、その他身体疾患」が目立つのでしょう?
それを「男性のせい」とするのは非常に安直です。
フェミニストたちやDV行政がやっていることと、何の違いもありません。
支援は、「追い出し」をした男性側にこそ必要なのです。

男女を入れ替えた時に、同じようなことをこのブログに掲載されていませんでしたか?

この記事の内容を再考して頂くことを、切に望みます。
by 通りすがり (2017-05-15 12:16) 

ドイホー

懇切丁寧なご指摘ありがとうございます。

「配偶者加害」という言葉を使ったことからのご指摘だと思います。DVという言葉が曖昧なので、世界標準的な言葉の訳語の「配偶者加害」という言葉を使いました。女性の権利を標榜する人たちが、もっとも支援をしなければならない女性に対して攻撃する結果となっていることの指摘をしたいというのが本文の趣旨です。感情が勝ってしまい、すべての例で男性が加害者だと指摘しているように受け取られる印象になったのかもしれません。女性が加害があるように思いこんでいるとか、割合として多いという言い方をしたのですが、不十分だったかもしれません。

確かに、配偶者加害の例であっても、家族全体を支援するという視点が必要であるということはご指摘のとおりだと思います。特に、離婚や別居に至る以前だったり、別居に至っても家族を再生する観点からは必要なことだと思います。

ただ、弁護士としての問題意識としては、既に離婚をしたり別居をしたりした後の面会交流に対する裁判所や行政の理解が足りないというところにあります。そして現代的な問題としては、面会交流消極派の議論が女性の保護を論拠としているところにあります。その点について、コメントする必要があると感じての記事でした。論点を多岐にすることができないままブログ記事をアップした感はあります。

書き手の能力の問題かもしれませんが、妻のヒステリー、うつなどの精神障害、その他の身体疾患を夫に原因を求めたという意識はありません。

なお、ご指摘いただいたことを受け止めて、さらに研鑽を積む所存です。ありがとうございました。


by ドイホー (2017-05-15 13:14) 

ひろみ

失礼致します
僭越ながら 先生方のお話しに 一言添えさせて頂きたく コメントを送らせて頂きました。

わたしは 子どもに会えない 母親です。

「面会交流」「親子断絶防止法」「共同親権」等のコトバは
子どもと離れるまで 知る由もありませんでした。

昨年、某タレントの離婚から モラハラ被害の母親がクローズアップされておりました。
最近は 圧倒的に多い「子どもと会えない父親」の声も強くなってきているように思えます。

それに加えて 私のような 「母親でありながら 子どもに会えない」ケースもあります。

「親権獲得」や「面会交流」の論点には
「精神的疾患がある」「DVである」「不貞を働いた」などが必ずついて回ります。

すべては、「子どもを守るため」です

ただ、理解して頂きたいのは、
「精神的に疾患がある」
「DVである」
「不貞を働いた」
のレッテルを片親に張った場合
その 子どもは 自分の体半部に
その レッテルを貼られた事になります

「子どもを守るため」と言いながら
離婚では どうしても 相手を非難してしまいます

「親権」や「面会交流」を巡っての争いでは 
今の制度では 「勝」か「負ける」しかありません
その為には 仕方ないのでしょう

勝敗を決める 子どもへの愛情を計る基準の中に
せめて

「子どものために 自分を犠牲にできるか」の感覚が

社会的に 浸透してくれたらと思います 

それは 「片親の悪口を言わない」とか
「子どもの負担になるなら 身を引く」

などの自己犠牲が 真の愛情とする認識と
それに 気付く感性が
裁判に必要なのでしょうね

離婚や面会交流に対しての 支援は 本当に足りません
ですが その前に 家族としての「愛情」の教育が
足りなかったように 思われてなりません

家族の支援は ここから始めなくてはいけないように思えます

未熟者の意見でございました
失礼 致しました


 




by ひろみ (2017-07-23 18:29) 

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