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夫婦の危機の悪循環の原因とそれを断ち切るためのヒント [家事]


現在、別居なり、家庭内別居なり、
激しくののしりあっているような場合、
一方当事者が、
そのように家庭が壊れた原因について
すべて相手方に責任があるように
話すことがあります。
自分には落ち度がない。
おそらく本当にそのように考えているのでしょう。

安直な支援者ならば
「そうだそうだ」と相談者を持ちあげて
怒りに油を注ぐようなことをするでしょう。

しかし、冷静に考えると
夫婦の状態に問題がある場合、
一方だけが主として責任を負うということは
実態としては、「滅多にない」
ということが実感です。

もともと夫婦というチームなのですから
相手が悪いということで結論、終了
ということになるわけにはゆかないのです。

例えば、サッカーで、
相手チームにゴールを決められた場合、
ボールの近くにいたゴールキーパーが悪いのでしょうか。

もしかしたら、ポジショニングに問題があったとしても
それは、ディフェンスの立ち位置にミスがあって
その場所にいなければならなかったのかもしれません。

ボールをインターセプトされたとしても、
パスを出そうとした相手がぼんやりしていて
パスを出せなかった結果かもしれません。

夫婦もチームなのです。
もし、一方に問題があるならば
他方がそれをカバーしなくてはならないはずです。

意見の違いがあるならば
話し合って妥協点を探らなければならないし
「成長は、緩やかに」しか成り立たないのが大人の世界です。

思い通りに行かなくてイライラすれば、
相手にそれが伝わります。
それによって相手もまた不安を抱えて
へこむ人がいたり
逆に「その」不安を怒りによって解消しようとする
相手に対する怒りを抱くようになるわけです。

「夫婦」というチームの状態は
このように相互作用によって作られることが
一般的なようです。

だから、現在の夫婦の状態
別居だったり、家庭内別居だったり
そういうことは、
通常は双方に責任のあることです。

相手に問題があるのではなく、
端的に「夫婦」というチームの在り方に問題がある。
こう考えると、
問題の解決に向かっていけるわけです。

特に幼い子どもがいる場合は
子どもの健全な成長というチームの目標に照らして
自分がどのような動きをしているか、
相手とどのように協力するか
という視点で見る必要があります。

そして、協力して子育てをするときは
「自分だけの理想で子育てをすることは、
 まず、無理だ」
というところから出発しなくてはなりません。
この分野においても妥協が必要だし、
その方が子どもにとっても
トータルで良い効果が発揮されるでしょう。

子育てにあたって、
相手のすることにケチを付けたり
しないことを責めていたのでは
チームの状態が悪くなるのだから、
結局子どもにとって
よくない効果ばかりが発生してしまいます。

これは、夫婦を
「チーム」として把握しないと
理解できないことだと思います。

では、どうして、
自由意思で結婚した相手に対して
脇から見れば些細なことなのにもかかわらず
憎しみを抱いてしまうのでしょう。

憎しみや怒りの本質から
その悪感情に歯止めが利かなくなっています。

対人関係学的には
怒りとは、自分の不安を解消するための反応
だと理解しています。

この場合の「不安」とは何でしょう。
相手方の行動で身体生命の不安は滅多に発生しません。
対人関係的な不安だということが理解されます。

対人関係的な不安とは
群れから追放されるかもしれないという不安です。

要するに、
自分の思い通りいかないことが
相手が自分を尊重していない
自分が、夫婦というチームの中で
尊重されず、否定される
即ち、ゆくゆく群れから外されるという危機感を
無意識に抱いていると考えてみます。

この場合のチーム(群れ)から排除されるという意識は
言葉にならない無意識下の感情ですから
なかなか自分で気が付くことは難しいです。

相手が自分の元から去るとき
離婚を突き付けられるときは
まさに自分が夫婦という群の構成員に値しない
ということを突き付けられているわけですから、
対人関係上の危機感を抱かせる極限状態になるわけです。

もうこうなると
相互作用ですから、
ますます怒りが燃え上がっていくわけです。

(ただ、男性が相手に対して憎悪の感情を抱くことが一般ですが、
 女性は嫌悪の感情を抱くことが多いようです)

DVが起きやすい、また凄惨になりやすいのが
離婚や別居直後だということは
このような理由のあることなのです。

だから、対策をたてることもできるのです。

相手を尊重していないわけではないという
メッセージを相手に発信することが大切で、
離婚の時こそ、
相手を理解しようとする努力が必要になるわけです。

それは、一度夫婦だった大人の
相手に対する責任だと思います。

さて、
このような見捨てられ感が怒りに増幅する場合は、
相手に対して優越感を抱いている場合が
激しくなるように思われます。

相手方に過去の過ちがあるとか
学歴とか、経済的問題とか
一段低く見ているくせに
中途半端なナイトの気持ちをもって
相手を救う気持ちで結婚するような場合など、

結婚してやったのだから
自分がもっと尊重されるべきだという時に
怒りが大きくなるように感じられます。

結婚して一つになったはずなのに
やはりチームになり切れていない
そういうことになります。

受け取る側の問題が多いときもあります。
なんとなく、全般的に
劣等感を感じたり
相手にかなわないという気持ちが圧迫感になり、
些細な言動が
自分を軽蔑している言動だと受け止めるような
傾向のある人も多いです。

親子であれば、これはあまりありません。
夫婦の間では
少し意識して相手を気遣うべき分野もあるようです。

この相互作用、憎しみと不振の連鎖は
らせん状に高まっていくことがあります。
うまく、日常に戻れない場合は、それがひどくなります。

第三者からそそのかされて
「あなた正しいのに、どうしてちゃんと扱ってもらえないのだろうね」
なんて、
夫婦の間ではどうでもよいことを
無責任にたきつける人が最近は多く見受けられます。
チームの外の人の話を
真に受けてはいけません。

あなたは、自分が悪くないと思っているのだから、
自分が相手に与えた相互作用の一部を
その第三者に話していないのです。
従って、
「第三者の意見が、
 常にあなた側の意見になる」のは理由があることです。

どうすれば、この悪循環を止められるのでしょうか。

一つは、これまで言っているように
チームの問題だという上から見下ろす視線に立って、
まず、コマとしての自分を動かすわけです。
妥協できるところを徹底的に妥協して、
相手を尊重しているところを明確に示すこと。

そのためには、何が正しいとか、原因がどうとかいわず、
自分の言動が相手を苦しめているということを
リアルに認識することがモチベーションになるでしょう。

まず自分から武装解除して
相手の軍門に下るということです。

二つ目は、
自分を尊重してもらうということです。
言葉で、具体的に
こういう風に言われたら、自分は嫌だ
こういう風に不安になってしまうということを
第三者的に、あたかも監督がプレーヤーに指導する視点で
しかし態度は、お願いする。
怒りを排除して、
チーム状態の改善を提案するのです。

相手から
「だったら私も言わせてもらう」
という発言がきたら幸いです。
相手を尊重している姿を見せる
ビッグチャンス到来だからです。
一生懸命理解しようとする姿勢を見せましょう。

これらのことをするために
二つの心構えがあるようです。

一つは
相手を尊重するということは
相手の弱さを承認するということです。
多少気に食わなくても、
まずは、自由にしてもらう。
どうしても改善してもらいたかったら
少しずつ、改善してもらう。
お願いして改善してもらう。
時々失敗して戻っても
きつく言わない。
そうすると、相手が一緒にいることが楽になります。

二つ目は、
正しさを夫婦の行動原理にしないということです。
こちらが正しいのに従わない
というのは、既に夫婦という特別なチームにふさわしくありません。

相手がどう思うかということを行動原理にするべきなのです。
脇から見れば
そもそもあなたの正しさは盤石なものではないことが
多いようです。
視点を変えれば、必ずしも正しくない
ということが結構あります。

また、正しさというのは道徳にしても法律にしても
他人同士を規律するためのものです。
他人同士を規律して、秩序を作り
それぞれが安住するためのものです。

家庭の中に、他人を規律する秩序は
本来不要なのです。
お互いが良ければそれでよいのです。

三つめは
夫婦といっても、特別なチームといっても
別人格を持った人間です。
それぞれが、自分の行動を自分で決めることの
自由を認めなければなりません。

その自由を認めたくないときに、
もしかしたら、
自分は、相手を自分の考えで動かしたい
と思っていないか
それは、自分は相手を支配したいと思っていないかについて
振り返って考えることが効果的でしょう。

支配される方は、不自由感、圧迫感を感じます。
それは、チームに不具合を招く
大きな要因として積み重なっていくことになります。

なかなかできることではないし、
四六時中こんな夫婦の生活を送っていたら
頭がおかしくなると思います。

たまに、なんか不具合があるなと感じたとき
ちょっと試してみることをお勧めする次第です。




手厚く葬る、死を悼むということの必要性 隠すことは命を軽んずることを教えることにならないか。仙台中一自死の献花台撤去要請に際して [自死(自殺)・不明死、葛藤]

このシルバーウィーク中に
仙台市内の中学校の一年生が自死した事件で
命日とされる日の近くに、
中学校の近くの公園に
献花台が設置されました。

これに対して近所の人から通報があり、
自治体が撤去を促したと報道されています。

現在も、遺族の希望という理由で
該当中学校名は伏せられ、
在校生に対しても
死亡の事実さえも伏せられているとのことです。

さらに献花台は撤去を要求されました。
これは深刻な問題です。

人間は、まず、
自分が尊重されていると感じることが
心穏やかに暮らすための要素なのですが、

他の人間も尊重されていると感じることが
大切なことです。
無残に殺害されたり、
人権を侵害されて苦しみ続ける人を見ると
通常、自分の心が痛くなります。

一つには共鳴力、共感力によって
その人の苦しみを感じてしまうということから
漠然とした危機意識が広がっていきます。

もう一つは、およそ人間が尊重されている
安全に暮らしているということが感じられないと
自分自身を大切にするという気持ちが
無意識に低下していきます。

死への抵抗感が低くなり
自死の潜在能力が高まる、
ということになるわけです。

人間は、調和的に存在する群れの中にいることが
本能的な要求としてあるようなのです。

そうでないと
人間は、単なる、有機的構造体であり、
物理化学の力で動く構造体であるという考えになってしまい、
特に価値のある生物ではなく、
命についての重みも感じなくなってゆくわけです。

生きているときだけ尊重されればよいのか
というと、そうでもありません。
亡くなった後、最も無防備な状態である死体が
目につくようにさらされていたら、
まさに有機的構造体であることが
生々しく感じ取られてしまいます。

これと反対に、
死者に対して礼節をつくし
生きているときと同じように、あるいはそれ以上に
手厚く対応することによって、
その人のそれまでの生が肯定されるように
感じることができます。

死を恐れ、
死を大切にすることによって
人間が単なる有機体ではなく
対人関係の中において
調和して生きる動物だと
改めて感じることができ、
それは、ひいては、自分自身の肯定につながるわけです。

仙台の中学生が自死した事件で、
その死が在校生にも明らかになっていないということは
対人関係学的観点からは
大変深刻な問題だといわざるを得ません。

亡くなった生徒さんと関わりを持っていた生徒さんたちに取って
自分たちの死が隠されているということは
自分が死んだとしても、
例えば追悼されないことがありうるということで、
死が軽んじられ、それはとりもなおさず
生が軽んじられるという意識を持つ危険があります。

命の大切さを教えないというどころか
命を軽んずる対応だという危険があると思います。

関係者名は
一般にはさらす必要はないでしょう。
しかし、学校内ではきちんと事実を告げ
死を悼むことを教える必要があると思います。
そうでなければ、
命の大切さを教える教育
そもそも成り立たないと確信しています。

学校や教育委員会は
遺族の方々から見れば、誠に勝手な言い分だけれど
亡くなった生徒さんの親御さんを説得して、
死の事実を校内で報告する許可をとらなくてはならないと思います。

献花台について
それを通報して撤去を要請したということは
どういう心情なのでしょうか。
法的には問題があるとしても
撤去要請をしなくてはいけないとしても
自治体は、
せめて連休明けに行動に出てもよいように思われます。

今後公園課は
休日でも
公園内の残置物に対して、
同様の対応をするということは、
地方自治体の平等取扱い原則から
約束されたことだということになりますが
市民はそのように受け止めてよいのでしょうか。

それとも、
本件献花台だけ
区役所が、休日返上で対応したという
平等原則を考慮しない対応が必要だったと
いうのでしょうか。

通報者、自治体の対応
ともに疑問が残る対応だと感じました。





過労死なんて他人事(ひとごと)だと思いたかった。過労死啓発シンポジウム仙台 [労災事件]

11月に過労死防止対策推進シンポジウムが
厚生労働省主催で全国各地で行われます。

仙台では、
11月12日 18時半から20時半
三越定禅通館(旧141)6階
スタジオホールで開催されます。

過労死遺族の会が共催の形になり
企画内容や出演者を決めるようになっています。

仙台では
第1部 講演
 過労死対策運動の草分け
 25年前以上前から過労死110番を実施している
 医師の広瀬敏雄先生の過労死の成り立ちについてのお話
第2部 遺族報告
 過労死遺族から、過労死を招く過重労働と残された家族についてのご報告
  合わせて、過労死、過労自死遺族の会の東北希望の会のあゆみ

第3部そしてそしてさぷらいず
「遠野物語」の歌や、「人の森を旅する」のラジオパーソナリティーの
あんべ光俊さんから歌とメッセージプレゼントしていただける
という盛りだくさんの内容になっています。

一つのストーリーで構成される会になっているのですが
それは当日のお愉しみとさせてください。

こういうことを
遺族や過労で闘病生活を送っている方の家族という
当事者の方が中心に話し合うのです。
弁護士である私、社会保険労務士の先生(女性)
遺族の友人の3名がこの日はサポートとして
会議に参加していました。

当事者の中には、ホームページを見て
電車で数時間かけてきてくださっている方もいらっしゃいます。
高速バスで支援に来てくださる方もいらっしゃいます。

当事者の居場所を作るということが第一の目的なのですが
どうやら理想に近づきつつあるようです。

シンポジウムの表題が
過労死防止対策推進シンポジウムなので、
これをみて、わざわざ平日の夜に足を運ぶという人は
いないのではないかという心配が起きました。
何か、人の関心を引く
サブタイトルを作ろうということになりました。

当事者の方々は
口裏を合わせたわけでもないのに、異口同音に
自分と同じ苦しみをこれ以上多くの人に
感じさせたくない
とおっしゃります。

これはいつも感心してしまいます。
だから、啓発活動に
熱心に取り組むのだそうです。
シンポジウムにも
できるだけ多くの人に参加してほしいのです。

過労死は誰にでも起きるということを伝えたいね。
「過労死はあなたを狙っている。」というのはどうだろう。
結構和気あいあいと、静かに楽しく話は進んでいきました。
ちょうど、一息入って話が途切れたとき、
遠方から参加している当事者の方が
ぽそっとおっしゃりました。

「過労死なんてひとごとだと思っていたかった。」

ガツーンとおでこを押されたような気持ちになりました。
とっさに顔を両手で覆いました。
涙があふれてしまったからです。

私の依頼者の方が他の顔を何人も思い出してしまいました。

寮住まいの子どもを過労自死で失くされたご両親
朝は元気で家を出た夫が
翌朝くも膜下出血で亡くなっていたことを知らされた奥さん、
突然失踪し、何カ月もたって自死をしていたことを知らされた奥さん
子どもたち

みんなその人が出勤するまでは
いつもと同じ家族の日常があったのです。
私たちと同じ家族の日常が突如切り裂かれるのです。

取り返しのつかないことが
ある日突然起きるわけです。

なかったことにしたいでしょう。
いつものように、もうすぐ
「ただいま」と帰ってくるものだと
思いたいことでしょう。

当事者の壮絶な苦しみを追体験することは
とてもできることではありませんが、
その一瞬を垣間見ることができるようなサブタイトルでした。

私は、しばらく何も話すことができず
うつむいて顔を覆っていました。
恥ずかしい話です。

心配したのですが、
当事者の方々は、
気丈に、この提案を強く賛成されていました。

今回のシンポジウム、
絶対成功させたいと思いました。

******

ついでに、希望の会の例会の様子を付録でご紹介します。

その日は、10人を超える当事者、支援者が参加をしていました。
このようなきちんとした議題も話し合うのですが、

自分の生活のことを相談したり、
家族の心配事、子どものクラスのいじめや不登校の問題、
悩み事を自由に話し合います。

当事者の方々ばかりですので
安心して悩みを話すことができるようです。
いじめのことや学校のことは、
自称専門家もいますし、
給付金のことは社会保険労務士の先生もいらっしゃいます。

法律のことは弁護士がおります。

グループで話したり、みんなで話したり、
誰かがぽつんとしていると
誰かが声をかけたりして
和気あいあいとしていますが、
夫の会社の話を怒ってお話しているのを聞いたりすると
自分の家族を思い出して涙ぐむ姿も良く見られます。
安心して泣けるところなのです。

だから、電車で数時間かけていらっしゃる方や
高速バスでいらっしゃる方がおられるわけです。

どこにも行き場のない方も
まだまだいらっしゃるのではないかと心配しています。

何をしなければならないということのない集まりです。
会費もありません。
(その代わり、お茶とお菓子くらいしかでません。
 それから時々、手作りの漬物がふるまわれることはあります。)
人前で話したくなかったら話す必要もありません。
いるだけで結構なのです。
過労死、過労自死遺族の東北希望の会
例会のご案内をホームページで行っています。
http://www.karoushitouhoku.com/


安全保障法制(押し付け法制)成立 されど歴史は前進した。さらなる高みを目指しましょう!憲法復活の日は、国民の手による本当の憲法成立の日 [弁護士会]

安全保障法案が成立しました。
しかし、字面が変わっただけで、
まだ、日本は何も失っていません。

むしろ、日本国民は
安全保障法案に対する戦いによって、
歴史的な成果を勝ち取ったと思うのです。

1 個人の確立による共闘の歴史的成立
2 政治的意思表明の経験
3 「アメリカ」と日本の関係の鮮明化
4 これからの行動の方向

1 個人の確立による共闘の歴史的成立
 何よりも、日本の市民が、
 自分の皮膚感覚で政治的な行動を行うようになった
 それが普通の人がやっていることだととらえられるようになった
 ということは画期的だと思います。

 組織に属しているから仕方なく
 半ば命令されて動くのではなく、
 それぞれが、自分の皮膚感覚で行動する
 という経験を直接間接体験しました。

 自分の意思で、行きたくて集会に行き、
 言いたいことがあるからシュプレヒコールをする
 中身にはいろいろ注文はありますが
 これまでの日本では多数派とは言えない活動だったと思います。

 その結果、創価学会員が公然と公明党を批判する
 という象徴的な出来事につながりました。

 これまで、引っ込み思案だった
 学者や元裁判官まで声をあげました。
 自民党OBや官僚OBも声をあげ
 現政権の誤りが際立ち、
 国民を励ましました。

 その成果の一つが野党共闘です。
 民主党と共産党が共闘すること自体驚きですが、
 維新の党と共産党が手をつないだのですから
 歴史は動いているのです。
 しかも、橋下、松井が
 その役割果たすべく、共闘分断工作をしたにもかかわらず
 国民の圧力によって、
 それぞれの党は譲歩し、共闘を解かなかったのです。
 「次の多数派」の受け皿ができつつあるわけです。
 小林節先生の、
 共産党を排除してはいけない
 共産党は少し我を押えなければいけない
 というスピーチが印象的でした。

 小林先生もそうですが、
 長谷部先生だって、
 安全保障法案の議論をするまでは、
 政権側の人間だという評価だったのですから、
 実に今回の出来事の象徴的な人物だと思います。

 私の周りでも終盤
 集団的自衛権そのものに疑問を持ち、
 法案反対を声に出す人たちが増えました。

 いつもの人たちがいつものように意思表明していたのではなく、
 これまで黙っていた人たちが、具体的に声を出すようになりました。
 原発問題にもないことでした。
 
 今、日本には北風が荒れ狂っているわけですが
 国民は共闘というマントを
 しっかりと握るようになったわけです。
 
2 政治的意思表明の経験
 
 自分の皮膚感覚を言葉にするということは、
 多方面に影響が出てくるでしょう。

 事なかれ主義、協調主義で成り立っていた
 職場、地域、学校などの対人関係で
 自分の気持ちを言葉にするようになるでしょう
 混乱も生じるかもしれません。

 やがて、これは対人関係の良好な発展に
 大きく寄与するでしょう。
 言葉の出し方を学んでいくことが必要となるでしょう。

 原発問題やTPP、教育問題や食糧問題、
 年金問題や財政問題
 あらゆる分野で声を上げた経験が
 活かされるようになるでしょう。

 日本は近代がないといわれています。
 市民革命を形成していないことが
 日本人気質に影響を与えているといわれています。
 メリットもデメリットもあったと思います。

 しかし、今回の安全保障法案反対の活動は
 日本の近代を獲得する
 大きな可能性を秘めていると思います。

 トップの誤りを是正して、
 協議して最善にたどり着くということが
 国の隅々で起こり始めるでしょう。
 
3 「アメリカ」と日本の関係の鮮明化

 今回の議論を通じて鮮明になってきたのは、
 日本と「アメリカ」の関係です。

 憲法に反する安全保障法案は
 日米安全保障条約には合致するわけです。
 日本には、憲法を頂点とする法体系と
 日弁安全保障条約、日米地位協定、安全保障法制と連なる
 憲法体系とは別個の統治の体系があることが
 国民の間にわかりやすい状態にさらされました。

 また、共産党が暴露したアメリカ国防省から
 集団的自衛権の法律はどうなったという催促話や
 所管大臣である防衛大臣や
 最高責任者である総理大臣が
 法案の必要性、文言の意味、射程範囲について
 まるで説明できないことから
 日本政府が策定した法律ではないことが明らかになり、
 案文自体が
 「アメリカ」から押し付けられたことがはっきりしてしまいました。

 安全保障法制の議論がなければ
 漠然としかわからなかったことが

 山本太郎議員の質問も役割を果たしたのですが、

 創元社の戦後再発見シリーズ双書
 堤未果氏の一連の著作等によって
 その全貌が明らかになりました。

 これらの書籍は売れているそうです。
 ますます売れていくと思いますし
 「戦争法案」反対というスローガンを叫ぶ人は
 ぜひ読んでほしいと思います。

 今回安全保障法案を推進した人たちは
 押しなべて憲法はアメリカに押し付けられたといっているようです。
 しかし、今回の議論によって、
 集団的自衛権こそ「アメリカ」によって押し付けられたものだ
 ということがわかりやすく鮮明になりました。

 今回の法案成立で
 憲法9条は停止してしまいました。
 「アメリカ」の押し付け法案によって停止してしまいました。

 しかし、だからこそ、
 この先、安全保障関連法を撤廃すれば
 憲法9条は復活します。
 そればかりではなく、
 「アメリカ」の圧力を跳ね返して
 日本国民が憲法9条を制定したということができるわけです。

 真実国民が憲法9条を制定したことになる
 それが安全保障関連法の廃止の日なのです。
 なんてすばらしい目標なのでしょう。

 「アメリカ」とは何かについては
 堤さんの一連の著作をぜひお読みください。

4 これからの行動の方向
 
 敗因を分析して対策を立てるのがセオリーですが、
 ちょっと待ってください。

 もともと、選挙結果からすると
 法案成立は常識的には当然の流れで
 一部の政党だけの反対と
 一定程度の棄権によって、法案は
 「夏までに成立する」はずでした

 それがここまで反対運動の広がりの中
 ここまで大きな行動に発展し、
 秋を迎えることができたのです。
 単純な敗北ではなく
 むしろ勝利の側面を大きく感じます。

 それにしても法律は成立してしまいました。
 原因は、はっきりしていますし
 これまで述べてきたとおりです。
 
 それは
 30%の現政権に消極的に賛成している人たちの
 半分をこちらの陣営に招き入れることです。

 単純な戦争反対ではこれはできません。
 安倍首相の個人攻撃は
 30%の人たちには逆攻撃なのです。
 また、おそらく正しくないでしょう。

 必要なことは
 国民の中に、分断、対立を持ち込ませないことです。
 
 保守と革新、右翼と左翼、
 安全保障法制や憲法破壊にとって
 何の意味もない区別です。

 私は、日の丸をもって
 デモや集会に参加するつもりです。

 決して欲張らず、
 安全保障法制成立の前に戻す
 ということ、
 国民が自ら憲法9条を復活制定させるという
 一致点以上のものを持ち込まない
 ということを最優先していただきたいと思います。

 分断者は、性懲りもなく現れるでしょう。
 自分の心の中にも表れるでしょう。

 政権を攻撃してダメージを与えるよりも
 多数を形成して与えるダメージの方が
 より破壊力が強いということを認識しましょう。

 そのためには、過去に一時点にしか妥当しなかった
 原理原則論を持ちだすのはやめましょう。
 
 他人と仲良くすることは案外骨の折れることかもしれません。
 しかし、
 今の日本の不具合の多くが
 この骨折りを回避しようとして起きているような気がしてなりません。
 努力の仕方を忘れてしまっているために起きているのかもしれません。

 案外、安全保障法制の一時的成立は
 日本社会に取ってとても良いことになるかもしれません。

 今、うつろな目をしている人たちが
 明日の敗北者であり、
 目の輝きを失わないものが
 明日の勝利者です。

 答えは、遅くない時期にでるでしょう。

 さあ、安全保障法制の一時的成立を踏み台にして
 もっと高いところを目指してゆきましょう。

法律家として野党の物理的抵抗を支持する理由  [弁護士会]

本来今時分安全保障法案が成立していたかもしれませんでした。
野党の体を張った審議阻止が功を奏して
参議院安保特別委員会が開催できませんでした。

これは、確かに、国会手続きが予定している事態ではありません。
形式的には法に反する行動のようにも見えます。
しかし、法律家として、私はこの行動を指示します。
その理由について述べます。

私は、法科大学院で、昨日労働組合法を講義してきました。
ストライキや団体交渉が、権利だという説明をするのです。

近代市民法的に考えると
労働者は、使用者と雇用契約を締結し、
使用者が提示した条件で働き、
決められた時間、労働力を提供する
と約束しているのだから
約束以上の労働条件、賃金を要求し、
それを通すために、労働力の提供をストップする
というのだから、
違法にも見える行為が権利として認められていることを説明します。

もちろん当初は禁圧されて、
団体交渉やストライキをやろうとする者なら
強要罪、脅迫罪で刑務所に入れられ、
労働組合を結成することだけで
死ぬまで刑務所に入れられた人たちもいるわけです。
労働組合に損害賠償が認められ
壊滅していきました。

しかし、そのように禁圧されても禁圧されても
団体交渉を行い、ストライキを続けてきたことにより、
労働者が政治的な力を身につけてきて
ついに国家は
処罰をしないということとなり
損害賠償も否定されるようになりました。

どうして、莫大な犠牲を払っても
なえないで、くじけないで
労働者は戦い続けたのでしょうか。

ここがポイントです。

それは、国家から禁圧されても
法律的には違法であっても、
労働者群が、
自分たちの要求
(契約で承認した以上の労働条件の要求)
は正しい、
自分たちの要求を通す活動方法、態様
(団体交渉、ストライキなど)
は正しい
という正当性の確信があったからだと分析されています。

要するに、法律を守ろうとすることは
ルール、秩序を守ろうとすることです。
正しさに従うということといってもよいといえるでしょう。

自分たちの要求、行動をしなければ、
自分たちは、人間として尊重されないで生きていかなければならない
という
正当性の確信が、
形式的な法律をまもるよりも
ルール的に、道徳的に正しいという確信に高まったのです。
「規範意識の確立」という言い方もします。

現在現政権が強行採決しようとする
安全保障法案は、
法律家は誰でも、
立憲主義に反するといって反対しています。

憲法9条改正論者も
集団的自衛権肯定論者も
立憲主義に反するという理由で反対しています。

近代以降の現代国家は、
一部の宗教国を除いて、
憲法を最高規範として、
憲法の範囲で国家権力を行使する
制度を持っています。

憲法に反する国家行為をしたいならば
憲法を改正してから行わなければなりません。

法律が有効である大前提は
憲法に適合することです。

法律家の立場から
現政権のやっていることを評価すると
憲法に真正面から反する行為を
国家権力の行使として
立法しようとしていることになります。

日本の法秩序を崩壊させる極めて異常な行動です。

異常なことは
所管大臣である防衛大臣が、
法律について、まともに説明できないことです。

ホルムズ海峡封鎖が
日本の存立危機自体とつながるどんな場合があるか、
説明できていません。

戦禍が及ぶ蓋然性
についても説明できていません。

法律の根幹が説明できないということは異常事態です。

これは、所管大臣
即ち法案作成の現場責任者が
法案の中身を知らないということを意味します。
誰が法案を作成したのでしょう。
日本の政府関係者が法案作成したのであれば、
事務畑の局長が説明するはずですが
そのような報道は一切ありません。

おそらく、
日本人が原案を作成したのではない
外国人が原案を作成して
日本語に訳しただけなので、
その説明ができないというと理解が容易です。
押し付け法案という疑いが濃厚です。

この法案に反対する運動は
日本が独立国家になるための運動だとも考えられます。

何よりも、法案の最高責任者である首相が、
個別的自衛権と集団的自衛権の違いが分かっていない。
これは驚くべきことです。
現行自衛隊法は
日本が直接侵略される場合だけではなく
間接的に侵略される場合にも
自衛権を発動することができる規定があります(3条)。

中国や北朝鮮から侵略されたらば
現行法と安全保障条約できっちりと防衛できるように
法律はすでに整備されています。

(もっとも、東北の被災者は
 もっとも日本が無防備だった東北だ震災の直後
 北朝鮮から送られてきたのが
 テポドンではなく義援金だったということは
 よく記憶しています。)

今、この自衛隊法3条を改正し、
日本の直接間接侵略がなくても
自衛隊の行動を行うことが可能としようと
安全保障法案はもくろんでいるわけです。
なんのためでしょうか。
誰の利益なのでしょうか。

さらに、
集団的自衛権の行使を閣議決定した後の選挙で
自民党が圧勝したから
自民党の提案した法案に反対するのは民主主義に反する
としたり顔で主張する人たちもいます。

民主主義は無制限ではありません。
憲法の範囲内で国家権力を行使するという大前提があります。
憲法は改正されない限り、存続します。

また、投票は白紙委任ではありません。
個別論点についてものを言うなということは
服従の強制です。
民主主義とは無縁です。

国会という制度がなくて
政府を直接選挙で選ぶというならば
そのような議論を検討する余地もあるかもしれません。

しかし、選挙をしているのは国会議員です。
改めて個別論点の議論をするから国会があるわけです。

砂川基地事件について改めて述べるのも気が引けるのですが、
これは、日本にアメリカ軍を置くことが憲法違反かという論点で、
アメリカ軍を置くことも自衛の方法として
禁止されているわけではないかもしれない
という判決であって、
日本の自衛隊が集団的自衛権を行使することを
認めた判決ではないことは明らかです。

これも今回の法案が外国から押し付けられた法案だということを
物語る裏付けになるでしょう。
砂川基地判決自体が
アメリカのダグラスマッカーサー二世日本大使が
外務大臣に圧力をかけ、
田中耕太郎最高裁長官が同大使に報告をしながら
出した判決だということが
公文書から明らかになっています
(「検証 法治国家崩壊」創元社 吉田敏浩)

今回、なぜ継続審議とせずに強行採決を行うのか
砂川基地判決から学ぶべきです。

本来日本の裁判制度は
地裁、高裁、最高裁と3審制がとられています
砂川基地判決は
地裁の伊達判決で違憲判決がでて、
その後高裁をとばして
国は最高裁判所に跳躍条約するという
異常な行動に出ました。

これは、時間を置けば置くほど
伊達判決の影響力が浸透して、
米軍に対する反対世論が大きくなるため
伊達判決を早く否定したかったからです。

いつ、誰がどこでということが
公文書上明らかになっています。

昭和34年3月31日 午前8時
(伊達判決の翌日)
おそらく東京帝国ホテルの一室で
ダグラスマッカーサー二世が、
日本の藤山愛一郎外務大臣(当時)に対して
跳躍上告を直接指示したそうです。

藤山大臣は、全面的に同意したと
アメリカ側の文書には残っています。
そして事実そのとおり行われたわけです。
(以上前掲本)

今回継続審議にした場合、
法案反対運動がさらに盛り上がる可能性が高いため、
どうしても強行採決しなければならない
砂川基地判決と同じ問題の所在があるわけです。

もし、これまで私が述べていたことがそのとおりならば、
安全保障法案に対する反対は、
立憲主義を守る戦いであると同時に
日本が独立国家であるための戦いということになります。

目的も、そのための行動態様も
日本を守るために必要なものであり、
正当性を有すると確信ができ
規範意識に高められるものだと思われます。

暴力の行使や物の破壊に至らないことは
当然の条件になりますが、
物理的抵抗力を、私が
法律家として支持する理由は
このようなところにあります。






























































いじめ、ネット中傷等他人を攻撃する現象の成立要件と対策 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

どうして、他人を攻撃するのか
その原因をそのままにして対策を立てることは
難しいことです。

私なりのこれまでの分析をお話させていただきます。

まず、攻撃が成立するためには少なくとも3つの条件があると思います。
1 攻撃要求
2 力の優位の認識
3 罪悪感等が抑止を期待できない

1 攻撃要求
  いじめの行為をしたい。攻撃したいという要求です。
  結局は、他者を攻撃することによって
  自分の不安を解消したいということです。

  他人を貶めることによって、
  自分の相対的優位を味わいたいという要求ですね。

  攻撃する側は、自己防衛ないし社会防衛の意識があります。
  極端な話、命を守るための攻撃です。

  また、攻撃によって、相手の命をなきものにしよう
  という気持ちではありません。

  だから、命を大切にしようということは
  加害者には響きにくいという理由があるわけです。

2 力の優位の認識
  攻撃や怒りの発生条件として
  自分が相手より強いという認識があるようです。
  自分が相手より弱いということになると
  怒りではなく、恨みになりますし、
  通常は逃避になるようです。

  厳密に言えば恨みは
  条件付きで勝てるという場合に成立するようです。
  死んだら霊になって祟るとかそういうことですね。

  通常は勝てるという認識が怒りを誘引します。
  この「勝てる」という認識を持つかどうかは
  個性があって、慎重な人はあまり怒りません。

  また、この「勝てる」ということは
  一対一である必要はなく、
  通常は、多数対一人という図式を作ります。
  いじめる側や傍観者が多くなれば
  いじめがエスカレートする理由です。

  ヘイトスピーチのように、国籍や人種、あるいは宗教のように
  自分で変えられないその人の属性で攻撃するということは
  攻撃の理由がないと同時に
  反論ができない状態に追い込まれることになります。

  また、ネット攻撃は
  自分が反撃される心配がないので、
  容易に怒りが生まれ、
  容赦ない攻撃となっていきます。

3 罪悪感等が抑止を期待できない

  冷静な思考をしている場合、
  逃げ場がなく追い込まれる人を見ると
  自然と苦しくなるものです。

  これを見ても、感情が揺り動かされない
  心が痛まないということは原因があるはずだと
  仮説を立てることにします。

  要するに、攻撃しても罪悪感を感じない
  ということが攻撃を遂行する条件になると思うのです。

  思考便宜上、罪悪感を二つに分けて説明します。

  a)対象が苦しむことに対する罪悪感
  b)道徳、法律等ルールに反した行動であることの罪悪感

  a)対象が苦しむことに対する罪悪感
    攻撃によって生じた結果
    攻撃を受けた者の苦しみ、孤独、悲しさに対して
    共鳴力や共感力をもって追体験し、
    自分が攻撃を受けているような苦しみ等を感じることです。

    共鳴力、共感力は、群れを作る動物にはあると思うのですが、
    人間は著明に存在しているようです。
    これは、共鳴力、共感力を構成する脳の部分が発達している
    という形で、条件づけられるわけです。

    人間には、本能的に、遺伝的に
    共鳴力、共感力があるという説もあります。
    私は、本能的、遺伝的にもあるが、
    むしろ、それを発揮する脳の部分の発達という
    前提条件が人間を特徴づけるものであって
    共鳴力、共感力も、後天的に獲得する部分も多いのではないかと
    考えています。

    どのようにして共鳴力、共感力を獲得していくか
    これは、遅くとも生まれてからすぐに
    食欲や睡眠欲、不快感からの脱出等という乳児の要求を
    大人が満たしてあげるということが行われます。

    愛情と条件があれば、
    自分の要求がタイムリーに実現します。
    
    自分の要求、感情に、他者が反応してくれる
    他者の共鳴、共感を、快いという感情でありがたく受け止めていく
    大人と目と目を合わせ、感情を共有することを実感すると
    安心感が生まれるわけですが、
    そういう体験を積み重ねていくことによって、
    共鳴力、共感力を育んでいくのではないでしょうか。

    いろいろな条件があって
    タイムリーに要求がかなえられない
    表情のデパートである目と目を合わせた交流がない
    という環境におかれた乳児は、
    なかなか他人の感情に共鳴、共感することができない
    即ち、思いやるということができないということになりそうです。
  
  b)道徳、法律等ルールに反した行動であることの罪悪感
    これは、もう、教育学習によって培うしかありません。
    その時の文化、周囲の慣習などに大きく左右されるでしょう。
    生きていくためには、他人を踏みつけにしてもかまわない
    というような環境であれば、
    自分に都合よく、法律を利用することしか考えられなくなるでしょう。  

    この気持ちが強ければ
    被害者の心情を考えなくても
    ルール違反だということで行動を制御することもできるでしょう。
    
    いじめに対して制裁を強化するべきだという議論がありますが、
    それは、いじめの原因論のほんの傍論に対応する対処ということになります。
    あまり実効性がない理由はここにあります。

    このルールに反する、規範意識は、
    本来は、規範を破ることによる不都合を認識することによって
    強められます。

<対策>
 1 攻撃要求に対して
   これは加害者側に対する働きかけです。
   子どもたちの不安は、多くは、家庭の中で居場所がない
   安心できないということにあります。

   兄弟の中で差別されるとか
   入試に成功しないと人格が否定されるような状況とか
   自分が家庭の中の構成員として尊重されていない
   ということが多くあります。

   このような環境に対して働きかけを行うことが必要です。
   いじめを疑ったら、
   加害者の家庭環境を考えるなど
   加害者にこそ働きかけるべきです。

   これは、加害者がいじめ等をして
   人間性を摩滅しないための活動ということになります。

 2 力の優位の認識
   どのように力の優位を感じているのか分析しましょう。
   子どもの場合は、砂上の楼閣の多数
   という場合が多いようです。

   クラス替えということは極めて有効です。
   あるいじめ事例で、被害者の側が事情を説明し
   加害者と別のクラスにしてほしいという要望を出したのですが、
   いじめ側がきれいに分断され、
   特に主犯格が孤立しました。

   後で事情を聞くと
   主犯格の側近の父兄もクラス替えを希望していたとのことでした。
   側近も、主犯格から攻撃や脅かしを受けていたようでした。

   しかし、少子化などで、クラス替えができない場合もあります。
   また、年度の途中ではクラス替えは無理でしょう。

   一番の鉄則は、被害者を孤立させないということです。
   これは、徹底的にかばうしかありません。
   えこひいきでもなんでも、かばうことで
   弱い者を助けるということを教えることが有効だと思います。

   援助する義侠心のある子供も結構います。
   その子を支援することによって孤立を防ぐということも有効です。

   孤立が積極的加害を伴う場合は
   断固介入する必要があります。

   ネットの匿名性は、かなり大きな壁になります。
   ネット加害に対するサンクションは
   匿名性をはぐことです。
   他人の人権を侵害するような攻撃は、
   顕名にできるようにすることも考えるべきでしょう。

 3 罪悪感等が抑止を期待できない
  a)対象が苦しむことに対する罪悪感
    共鳴力、共感力は育ってきた環境で
    だいぶ個人差があるのですが、
    人間である以上、
    共鳴力、共感力を行使する脳は存在するわけです。

    後天的に、共鳴力、共感力を獲得することは可能だと思います。
    この場合必要なことは
    その人が、共鳴、共感を他人が抱いてくれる体験をさせることです。
    あるいは、他人に対して共鳴共感することで
    自分が評価される体験です。

    特に、自分の劣っている部分、汚い部分、情けない部分といった
    負の感情を抱いている自分の部分を尊重してもらう
    という体験をすることによって
    仲間意識が形成していきます。
    無防備であっても攻撃されない
    という体験が有効となると思います。

  b)道徳、法律等ルールに反した行動であることの罪悪感
    この観点からの教育も大切です。
    なかには、どうしても、他人に共鳴共感することができない
    その部分の脳の機能が十分働かない場合もありそうです。
    こういう場合には、ルールを守ることの必要性
    ルールを守ることによって、安心感を獲得する
    他人と調和して生活できるということを
    教えていくことが必要だと思います。

    ただ、本論は、a)とb)を連動させて指導することが
    有効だということになります。






いじめの被害者が自殺したことで同級生に暗い気持ちを残すといって責める神経の作り方とこの人が作る教科書 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

曽野綾子氏が、以下のようなツイート行い話題になっている

「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってし  まったのである」

以前もブログで書きましたが
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-02-18
この人は、何にも知らないくせに
他人を攻撃して、自己優越感に浸るタイプの人です。

何か口を開けば物議をかもす人というのは
世の中に結構いて、
社会から孤立していく人が多いのですが、
そういう人でも生き残る方法があります。

自分に都合の良い人に徹底的にこびることです。

根っからのパワハラ上司は、
元々それほど能力がなくても、
自分の上司に完全に従属して、
黒いものでもその人が白だといえば
自分の部下にも白だといわせます。

そして、どうして自分が自分の上司に従属するように
自分の部下が自分に従属しないのかということで
パワーハラスメントを起こすわけです。

服従する人間は気持ちが悪いと考える人も多いと思うのですが、
(要は警戒するということですね。)
長年尽くしてくれるということから情がわき、
努力に報いようとする上司なんかは、
パワハラ上司を出世させてしまったりします。
それによって、どんなことになるかということを
よく検討もせずに、反射的に出世させてしまうのですね。

これが、特定の人対人ということならばわかりやすいのですが、
特定の考えに服従する場合もあります。
その人たちに都合のよいことを
世間に向けて発信します。

自分の考えでものを判断するとうまくいかないということから出発していますので、
誰かの考えに従属していくという発想しかありません。
時々はなしに一貫性がないのですが、
それは、自分の頭で考えていないことをよく表しています。

ただ、こういう集団は使える人は大いに使いますので、
何らかのサロン

「先生、いじめが話題になっていますよね。
 学校でのいじめはなくさなければなりませんよね。」

「ないにこしたことはないでしょうね。」

「いじめられる子ってどうして増えたのでしょうね。」
(すでに被害者誘因説を前提に問題提起がなされる)

「自民党の先生もおっしゃっていたけれど
 いじめられる側の子どもも弱くなって行ったのではないでしょうか。」
(話の前に削除されたホームページを見せられているかもしれない。)

「なるほど、先生、そうすると、いじめたという側の子どもが
 同じことをしても、いじめられた方が自殺をしたりしなかったり
 ということになりますね。」
(さあたたみかけていきます)

「はい、私も、中学や高校生教科書を執筆していますから、
 教育を通じて、いじめられてもへこたらない子どもをつくろうと
 頑張ってみたいと思います。」
(妙なかみ合い方をしていく)

「さすがは先生です。日本の未来を託すにふさわしい
 選ばれた方ですね。」
(優越感をくすぐられる)

「いえいえ、そこまでの者ではありませんが
 ツイッターを通じて、
 自殺してはいけないよということを発進しようと思います。」

「先生、Twitterもなさるんですか。
 進取の精神に長けていらっしゃる。」
(さらにくすぐる)

「ところで、ほらあの方のお子さんがいじめをしたって叩かれましたでしょう。」
(おそらく、財界や政界に顔の効く人のこと)

「はいはい。あれはひどい責めようでしたね。」
(「仲間」として尊重するべき人は尊重する)

「いじめた側だけが、せめられるというのもどんなものでしょうね。先生。」
(すでに術中にはめた確信を抱いただめ押し)

「わが意を得たりですわ。そのことについて、発言します。」
(何を発言すればよいかわかったので、はればれ

仲間内では賞賛されることが約束されているので
それ以外の人の評価は気にならない。
正義や道徳などということは、もともと視野の外。

こういう人の執筆する教科書を採択するのが
学校という教育機関であることが驚く。
おそらくその教科書には、

死者に鞭打つ
溺れる犬を叩く

なんて言葉は掲載されないのでしょう。

国際人権(自由権)規約第1選択議定書をだれも反対しないのに、議論のにも俎上にも上らない理由は、安保法制の議論(砂川基地判決の勉強)によって簡単に解決してしまいました。 [弁護士会]

最近安全保障法制の議論で
砂川事件判決がよく引用されているのですが、
われわれ元司法受験生にとっては
統治行為論とか跳躍上告とかいう
アウトラインはよくわかっているのですが
あれ?どういう判決だったけ?
ということで改めて調べたいと思っていたのです。

このことがなければ読まなかった本が
これです。

検証・法治国家崩壊 (「戦後再発見」双書3) 単行本 – 2014/7/20
吉田 敏浩 (著), 新原 昭治 (著), 末浪 靖司
創元社

http://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%83%BB%E6%B3%95%E6%B2%BB%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%B4%A9%E5%A3%8A-%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B83-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%95%8F%E6%B5%A9/dp/4422300539

砂川事件は、1950年代の事件なのですが、
農家の農地を
米軍の基地拡張のために強制収容しようとしていて
そのための測量に反対している農家が
労働組合や学生に応援を呼びかけ
スクラムを組んで抵抗したそうです。

これをアメリカが強制的に排除しろと命令したので、
日本の警察がスクラムを組んでいるだけの学生、労働組合
日本山妙法寺のお坊様方に対して
暴力をふるって排除した
というところから始まったそうです。

この時、大学からも
たくさんの学生が
ダンプカーの荷台に乗り込んで
立川市まで駆け付けものでした。
って、生まれた前のことですが、
「青春の門」という映画
私、この役をやって
歌を歌っているんです。
ああ、この事件の時の役だったのかと
今日気が付きました。

ただ、この時、農民らの排除のために
アメリカは、自衛隊も出動させろと
命令したそうですが、
時の防衛庁長官は
これを断固拒否したという話も掲載されています。
ずいぶん今と違うなあと思いました。

そんなこんなの砂川基地闘争の中で
米軍基地の中に入った23名の中の
7名が特別法で処罰されたのが
砂川基地判決なのですが

1審の伊達秋雄裁判官は、
特別法が違憲無効だとして
被告人全員を無罪としたのです。
いわゆる伊達判決といわれる有名な判決です。

それをアメリカの日本大使が
外務大臣を通じて
跳躍上告をするよう命じて
その通り検察官はするのですが、

当時の最高裁長官田中耕太郎は
訴訟進行の見通しや
合議の流れなどを
アメリカ大使に報告しているのです。

これらはアメリカの公文書館で見られるそうです。

本には、原文のコピーが掲載されています。

言いたいことは山ほどあるのですが、
長くなりすぎるので小出しにするとして、

基地訴訟との関連も考えると
私が2010年1月にこのブログで書いた
国際人権(自由権)規約第1選択議定書が
歴代政府、中曽根さんも含めて
誰も反対していないのに
民主党なんてマニュフェストに掲げたのに
全然議論すらされていない
という不思議の謎も
簡単に解決できることですね。

つまり、選択議定書が批准されると
個人通報制度という制度を日本国民も使えるようになり、
人権侵害が、裁判でも回復されない場合、
直接国連に訴え出て
勧告をしてもらうことができるのです。

基地や低空飛行で
人権を侵害されている日本国民は、
最高裁に行っても
飛行の差し止めはされません。

しかし、せめてアメリカ本土並みに
気を使ってくれということは
国連でも受け入れざるを得ないと思いますので、
基地問題に勧告が出てしまう。

困るのはアメリカと
アメリカの利益を
言いなりになって代弁している日本政府ですから、
日本政府が選択議定書を批准しようとしても、
アメリカに止められればできない
議論の俎上にも上らないということは
考えれば
実に簡単に解ける謎でした。

安全保障法制の議論がなければ
ずうっと気が付かなかったと思います。


あなたが弁護士等で、夫から相談を受け、妻が覚えのないDVを理由に子どもを連れ去ったと相談を受けたときにその1 [家事]

本当は、妻が子どもを残して
家から追い出されることがあるのですが、
それはまた別の機会にお話します。

今回は、典型例
妻が、子どもを連れて家を去ったというケースについて検討しましょう。

まず、奥さんの連れ去り前の精神状態なのですが、
きわめて不安定で、
将来を悲観的にしか言わず、
前は喜んでみていたテレビ
興味を示さない等異常な状態に心当たる場合は
心中などの危険もありますから、
速やかに安全の確保を図るため、
奥さんの親戚、知人に協力を仰ぎ、
警察への相談も含めてありとあらゆる手段をとるべきです。

次に、警察などの保護を受け、
どうやら安全は確保されているという場合です。

警察は、
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律等の運用上の留意事項について(通達)平成25年12月20日付
という長ったらしい通達があり、
本来、
1)配偶者、配偶者であった者から
2)「身体に対する暴力」または生命などに対す脅迫を受けた者で申出を相当と認める場合、
被害の防止措置をとることができます。

身体に対する暴力などに限定したのは、
精神的暴力も含ましめると
国家権力の過度の関与となり、職務権限を越えるためだ
と通達は述べています。

しかし、実際は、
本来関与できない精神的DVに対しても
事実上支援措置をとることがあります。

なんの法的根拠がなくても、
奥さんの居住している場所や実家に
「近づくな」と電話をして来たり、
警察署内において被害防止交渉に立ち会う事例もありました。

DV事案だということで、
警察官も生身の人間ですから、
かなり「構えて」対応しているし、
もともと人情に厚い人たちですから、
弱い者の味方をするという本能があるようです。
DVという言葉が、リアルな人間性を
すべて捨象してしまう暴力的要素があることを押えてください。

これに対して目くじら立てるよりも
クリンチ作戦をお勧めします。

身体的暴力がないのであればですが、

自分の妻が警察官にお世話になっているのだから、
それも自分たち夫婦の問題で迷惑かけているということで、
謝罪、お礼、事情説明をするのが
人の道なわけです。

場合によっては、弁護士もこれに同行することが
必要な場合もあります。

ここでおさえていただきたいのは
警察官は、抽象的に暴力夫というイメージでこちらに対応しているので、
実物を見せて、安心してもらう。
警察官が、奥さんに辟易している場合も多いので、
解決の糸口を考えているということをお話しして安心してもらう
ということです。
そうして、人間と人間の関係が長くなるほど
情が通じてきます。

目的は通達に反する過度の介入を遠慮いただくこと
ステロタイプのイメージを払しょくしてリアルに見ていただくこと
奥さんの居場所の近くを通りかかって
奥さんが警察出動を要請したというケースがあるのですが、
要請があれば、
警察官は出動しないわけにはいかないのでいらっしゃいます。
事前に面識があれば、
サイレンなど鳴らさずに
静かにいらっしゃっていただけるかもしれませんし、
話し合いで、その場を収拾することも
より容易になります。

要は、中立になっていただくということが目標です。

子どもの通う学校も
同様のクリンチ作戦を
人の親として当然のこととして
当然のことを行わなくてはなりません。

中立になっていただくというよりも
奥さんとの間では奥さんを優遇していただき
自分との間では可能な範囲での便宜を図っていただくということです。

また、実際、足を運んで、先生からお話をお伺いし、
子どもたちの様子をきちんと把握することが大切です。
学校も幼稚園も、DV夫というステロタイプのイメージを
刷り込まれていますので、
実物を見せて安心してもらうことが大切です。
何かと神経を使わせているのですから、
きちんと謝罪をするべきだとも思います。
そうすると、大抵は安心します。
有益な情報が得られる場合もあります。

次に居住先の調査ですが、
夫が暴力をふるっていなくても
妻が追い込まれた精神状態になっていて、
夫の存在にパニックになっている場合があります。

妻自身に原因がある場合
不貞、家計の使い込み、家事不能等の場合や

産後の精神不安で
疎外感を感じて、自分だけが家族の一員から外されている
自分の実家が低く扱われている等ということを
病的に思いこむ場合があります。
これが連れ去りのケースで多く見られます。

夫が妻に、知らず知らずに心理的圧迫を加えている場合
http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/omoikomi.html

http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

暴力がある場合が典型的ですが、
暴力がなくても、夫を生理的に受け就けなくなり、
声をかけられただけでも、失神する場合もあります。

この点を配慮するべきです。
妻の精神状態に配慮せずに
何が何でも居場所を突き止めて乗り込むことは、
多くの場合、その時会うことはできても
後に、子どもを含めて、
家族再生が不能となるようです。

配偶者加害事案
支配を目的とした暴力などの言動があった事案は
面会交流を直ちに行うことにこだわらず、
時間をかけて、子どもたちの健全な成長のためになる
活動を行っていくべきだと思います。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/kajityousei.html

さて、居場所ですが、
実際の居住地に住民票が移動されている場合は
弁護士は閲覧できますが、
上記理由もあり、依頼者に教えることは
弁護士倫理に反すると考えています。

これまでの経験からは、
妻の両親が健在の場合は、
妻の両親の元で暮らしていることが圧倒的に多いです。
実際は、あまり夫を怖がっていない場合です。

その圧倒的多くが、
妻の両親は、
夫と話し合いをしようとすることはありません。
自分の子どもである妻を虐待したからといって
意見してやるとか
懲らしめてやろうという行動をとる両親は極めて少ない
(実際はない)

警察のDV防止措置は、事実上の保安処分でして、
いの一番に行うよう通達されていることは
居場所を知られないようにすることです。
これが、案外細かい方法論まで記載されています。

レクチャーを受けているので、
妻の両親は、知っていても言わないです。

このようなケースで圧倒的に多いのは、
妻が、自分の実家と折り合いが悪かった
というケースです。

それが産後の心境の変化で、
実家との精神的結びが強くなるようです。
何よりも、実家にいることが楽なことに気が付きます。

妻の両親も、
妻の言いなりに夫を排斥しようとする傾向があります。


クライアントの夫の心情を把握することが大切です。
連れ去られた夫は、
通常は、その原因が思い当たりません。

子どもから引き離されることは
現代の男性に対しては、極めて深刻な喪失感を与える
場合が多いです。

安心しきっていた家族という仲間の中で、
予兆もなく、自分だけが仲間はずしにあって、
人間としての資格を否定されたような
そんな疎外感を受けるようです。

現実に、連れ去られた夫の自死の事例が多いです。
妻だけでなく、警察や役所等
ステロタイプの暴力夫という対応をしますから
余計疎外感は加速されていきます。

抗議の焼身自殺をしようとしたところ
それを止めようとした子どもが巻き込まれて
二人とも焼死したというニュースもありました。
やりきれない思いになります。

代理人は、依頼者のこのような心情を理解し、
あくまでも普通の大人同士のやり取りを心掛けましょう。

また、妻の感情形成が不合理だとしても
結果としてパニック症状などがあるのであれば、
それは考慮しなくてはなりません。

どちらが悪いという判断は夫婦関係にはなじまないと思います。
夫婦関係の状態に不具合が生じており、
それに気が付かないで、放置された結果の状態だと
考えましょう。

そうしないと解決策は見えてきません。

双方の代理人は、
一番弱い子どもの、健全な成長の観点から
行動を策定し、常に検証を行い、
自分のクライアントに提案していくことが
法の理念からは求められると考えます。

時間がなくなりましたので、
今日はこの辺で、
未定ですが、なんか補充があると思います。



パワハラ訴訟さわやかに解決しました。「うつ」の魔法を解く魔法 [労働事件]

パワハラで休職、退職に追い込まれた事件が
休職から2年で訴訟上の和解となりました。

大卒で会社に就職して、
休みの日も取引先から電話がかかるような
忙しい仕事をしていました。

震災復興ということで
業者は、どんどん仕事を引き受けて、
メーカーも営業も、下請けも
何が何だかわからないような忙しさでした。

このため、誰のミスということも難しいのですが、
上司は、新入社員の彼に責任をなすり付けて
営業の仕事をはずして、かわりの仕事を与えず、
仕事を与えないのに、仕事をしていないと
嫌味を言う毎日でした。

彼は仕方なく、
草むしりをしたり、雑用をしたり、
事務職員に、手伝うことがないか
聞いて回ることが日課になっていました。
大変つらいことです。

それでも上司2名は、
言いがかりのようなことで、
怒鳴り散らし、
机を一人だけさらし者のような場所に異動したりしていました。

最終的には人格障害だから診断書をとってこいと
精神病院に強制的にいかされたりもしました。

グループ会社を含めて
同期5人のうち、4人が
2年もたたないで退職していました。
どうやら会社に構造的な要因があるようです。

最初私は、
証拠もないことから、
早く会社を辞めて、次の一歩を踏み出した方が良いと思っていました。
たった一人で戦うことはつらいことです。

彼は、何が何でも一矢報いるということで、
毎日録音機を持って出勤していました。
それでもやはり、出勤中に、
頭や体が痛くなったり、
気が付いたら自然と涙が出てきていてたと
終わってから言っていました。

結局、彼はうつ状態がひどくなり、
精神科医に行って休職に入り
会社の規定で退職となりました。

当初なかなか打ち合わせもままなりませんでした。
会話が成立しない。
こちらの話もすぐに理解できない状態で
ピントが外れたことをしていたり、
自分から話すときも、
いちいち回りくどい言い回しをして、
挙動不審な感じもしました。

この事件は、私の直感的なファインプレーですが、
私一人ではうまくいかないだろうということで、
若手の先生に共同代理をお願いして
二人で事件にあたりました。

私一人であれば、イライラして
最後まで粘り強く彼と付き合えなかったのではないかと
思います。

お若い先生でしたが、
おっとりと彼の話を受け止めて、
私の話を翻訳してくれたり、
録音の文字起こしを時間をかけてやっていただいたので、
私も冷静さを保つことができました。

裁判は、
裁判官の積極的な訴訟指揮の元、
和解が強力に進められていきました。

最終的には形になる金額と
正式な謝罪を盛り込んで
和解が成立しました。

従業員を人間扱いしない振る舞いは
高額の賠償金の対象となるという
一つの実績を作った和解だと思いました。

何よりも、労災認定抜きに
和解が成立したということが画期的です。

時間外労働が全くない事例で、
会社の内部の言い差な嫌がらせの繰り返し(ハラスメント)
なので、
なかなか労災認定はなされないだろうとという判断から、
申請をしませんでした。

しかしその代り、
休職から2年ですべてが解決したのですから正解でした。

この事件を通じてぜひお伝えしたいことはこれからなのです。

彼は、退職後、
みるみる元気を取り戻していきました。
ちょっと突っつくと涙ぐんでいたような彼が、
落ち着きを取り戻し、
また意欲も取り戻して、
休職から半年後、
なんと再就職してしまったのです。
事後報告を受けて唖然としました。

再就職後の職場も、
過重労働で有名な職場ですが、
彼は忙しい職種での採用ではなかったので、
定時に仕事が終わっていたようです。

そればかりではなく、
とても大事にされたようです。
彼はどんどん生気を取り戻してきました。

劇的に変わったのは話し方です。
回りくどい、
無理して社会人用語を使っているようなところが薄れていきました。
いつも斜め下を見ていたような視線も上がっていきました。

主治医に確認したところ、
治癒といってよいと思うが、投薬を中断せず、
予防的に投薬をしているという話でした。

彼は文字通り命がけで録音した
会社での嫌がらせの音声を
仕事の傍ら必死に文字起こしをするようになりました。

その時を思い出すのではないかと心配して
もう一人の若い弁護士も
生真面目に手伝いました。

一日中録音していたので、
必要な音声を探し出すのは
気が遠くなるような作業でした。

ようやく半分だけ文字起こしができたので、
前篇ということで証拠提出しました。

これで勝負ありでした。
それまで裁判で否定してきたことが、
きちんと録音されているのですから、
会社側もガタガタと崩れ、
一気に和解がまとまりました。

(こちらも和解する事情があったので、
 本当に一気に進みました。)

裁判が終わって、
弁護士2名と彼と最後の打ち合わせをしました。
驚きました。

これがあの時の彼なのか目を疑いました。

実ににこやかな好青年なのです。
顔つきが全く違う。
今までは、頬の筋肉がなかったのかと思うほど
目の前の彼は筋肉が躍動して
表情が生き生きしていました。

弁舌もさわやかでした。
あの時のまどろっこしい話し方は
全くありませんでした。

自分が頑張ったテープ起こしが決め手になり、
泣き寝入りしないで、会社に謝罪させたことを
誇りに思うと語ってくれました。

泣き寝入りせずに、戦ったことで
彼は自分を取り戻したのだなあと
生まれ変わったように語る彼の顔をぼんやり見ながら
そんなことを感じていました。

ただ、
精神科医との連携をとりながらとはいえ

うまくいったからよかったけれど、
実際は、われわれに話していた以上に
苦しかったのだなあと思うと、
それをみんながやるべきだとは
なかなか言えないということは本音です。

医学的なことは正確にはわかりませんが、
彼はうつ病だったというよりも、
それだけひどい扱いをされたことから
防衛反応で、うつ病のような状態になった
ということが実感です。

会社からは離れれば、離れるほど
自然に好青年に戻って行ったことからも
そう思います。

最終的にストレス源だった会社から謝罪されて
元の彼に戻ったのでしょう。
まるで、うつの魔法にかかっていたとでも
言うほかないような変わり方でした。
魔法使いが死んで魔法が解けたというところなのでしょう。

魔法使いを倒したのは何だったのでしょう。

彼は支えてくれる家族や、新しい職場、
元の会社を辞めた仲間、
そして彼女という存在があったからこそ、
戦いぬくことができたのだなと思います。

彼は、裁判解決後、
一番苦しいときを支えてくれた彼女と
婚約をしたと最後に報告してくれました。
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