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配偶者のヒステリーは抑え込まないほうが良い。賢い対処法 [家事]

夫の母親もヒステリーがあったというのなら
まだよいのです。

そうでなければ、驚愕するようです。
なんだかわけのわからないことから始まって、
臓物をえぐるような言葉を投げかけれられ、
やくざ映画か程度の低い漫画でしか見たことのないような言葉が
大音量で自分にめがけて投げつけられるのです。
逃げようがありません。
ある意味、夫も追い詰められます。

こういった場合、いろいろなタイプの夫がいるようです。

Aタイプは
萎縮して、あるいは戸惑って、ボー然として、
ただ嵐が過ぎるのを待つ。

Bタイプは
怒りに任せて怒鳴り返し、
力で圧倒して黙らせる。

Cタイプは、
あくまでも理性的に、相手の言葉の矛盾を追及し、
道理を説いて、黙らせる。

Dタイプは逃げる。

さて正解は、Aタイプだと
私が言いたいということはお察しだと思います。

特に、B,Cタイプの場合、
私が相談を受けたり、依頼を受けたりしたケースでは

だんだん妻が、自分が尊重されていないと感じるようになるそうです。
反論の言葉や、施圧した行動だけが記憶に残り、
夫は、自分を支配していると思うように記憶がすり替わります。

そうして、いろいろなところに相談に行くと
「それは夫がDVだ」とありがたいアドバイスを受けるわけです。
夫に支配されているという気持ちが
DV受けているからなんだといわれると
妙に納得するというかほっとするわけですね。

アドバイスする方はそういうマニュアルがある上に、

妻には、自分が包丁を持って暴れたということは記憶になく、
だから包丁を取り上げられようとした時のことだということは記憶になくて、

押さえつけられたということだけを記憶しており
夫に握られついた手首の痣だけを見せながら
このとおり強く握られたと言うわけですから、
マニュアル相談員はひとたまりもなく
DVを認定するわけです。

あるとき、夫が会社から帰宅すると
子どもと身の回りの物がすっからかんになっており、
行き場所がわからないまま
しばらくして弁護士からの手紙や
裁判所の調停の手紙が届くわけです。

こうならないためにも
それでは、まず、
敵を知り、己を知りましょう。

それは、なぜAが正解なのかということと関係があります。

ヒステリーを開放できて、遮られない妻は、
夫に対する愛情を維持できるようです。

「でも、私は夫を愛しているのです。」
とよくおっしゃるわけです。
「ええーっ?」
と思うのですが、
記憶の限り例外はありません。

要するに、ここからもわかるのですが、
罵詈雑言や、憎しみあふれる表情は
あまり意味がない、
少なくとも夫の行動に原因があるわけでは
ない(ことが多い)ということです。

男も女も関係なく、
人間は、わけもなく不安になることがあります。
特に女性は、月内変動や出産に伴って、
不安が強くなり、いたたまれない状態になるようです。

この最悪の方向がうつや自死です。

そうならない場合、
何かに怒りをぶつけて不安を解消とするのが人間です。
もちろん、不安であることの自覚もなければ
それを怒りとして誰かにぶつけようという意図もないのですが、
何かに怒りをぶつけようと無意識に探していますから、
近くにいる夫の何気ない行動がイライラしてくるわけです。
言いがかりのような罵詈雑言はこうして起こります。

これが子どもに向かえば児童虐待です。

だから、夫が
自分が間違ったことをしていない
という自覚があるならばですが、

自分に原因があると考えるべきではありません。
妻が自分を否定しようとしていると考える必要がないのです。

通常の状態で、罵詈雑言を言われているのとは違うのです。

このことを理解しないと、
自分が否定されているという不安感が夫にも生じて
夫に妻に対する怒りが発生するということになります。
原因がないのだから、果てしのないいいあいになるわけです。

さあ、これを読んだ今日からは
ああ、イライラしているんだな不安なんだなと受け止められますね。
不思議なことにそう思うと
30%くらいは心に余裕が出てきて
「今日もお疲れ様」といういたわりの心が
少しはいってくることが期待できます。
これだけでもずいぶん違うはずです。

体調変化が起きる女性であることの尊敬
出産に伴うものであれば感謝
そして、子どもに向かわなかった幸運を
感じるべきであることは言うまでもありません。

間違ってもうつや自死につながらない一つの行動なのですから、
夫として、ヒステリーを受け止める栄によくするべきです。
(少なくとも頭ではそう理解しましょう。)

自分が悪いわけではないということがキーポイントです。

聞き流すわけです。できるだけ呆然とした表情で
困惑している様子をオーバーアクションにならないように
体現しましょう。

心の中では、全世界の夫、そしてカマキリの夫に想いを馳せ
「自分だけじゃないんだ。」と思ってよいのです。

そして
ひとしきりヒステリーが落ち着くと
妻は決まりが悪い状態になります。
でも自分が悪いということは認めたくありません。

それはそうです。
抑えられないのは、仕方のないことであり
妻が悪いわけではないからです。

夫としては、なかったことにして
話題を変えましょう。
何事もなかったことにして
気の利いた話題を提供しましょう。

この「切り替えができる」ということが
男性としての価値であることは言うまでもありません。
これが男のやさしさです。

不安の高まりの中で偶々出た言葉は
結構的を外さないズキッとくる言葉ですが
本人の真意ではないと割り切りましょう。

そうすると、
妻は、自分が抑えられない気持ちがあり、
どうしてもヒステリックになってしまうという弱点を
夫が尊重してくれたということになりますから、
自分が尊重されているという意識を持つことができ、
自分が帰属するべき群は、やはりこの夫婦なのだ
という意識を持つようになります。

すると、漠然とした不安は
だんだんとおさまってきて
ヒステリックになる頻度は低くなります。
なります。

上級者編は、
妻の不安の原因があれば、
それを言葉に表してあげて、
そうだよね、不安になるよねと言いあててあげる
そして、共感を示す
という技ですが
大体が見当違いのことを言ってしまい
火に油を注ぐこともあるので
あまりお勧めできません。

いわゆる色男というのは
これを自然にやってのけるすべを持っているようです。

また、古今東西、よくよく古典などを読むと
このヒステリーと思われる出来事が見られます。

特に出産後の女性は、
強い不安を感じやすく、
不安を制御する仕組みが失われていたり、
弱くなる要因があるようです。

子どもを産むというのは
それだけ一大事業ですし、
自覚の有無にかかわらず
体は危険を感じていることなのです。

わけのわからないヒステリーには
感謝の気持ちを持つべきなのかもしれません。
心行くまで怒鳴ってもらいましょう。

そして時には言いかえしてよいようです。
あまり、論理的にならず、
しょうもないことを言うようにしましょう。
あとに残さないためです。

あまり言い返さないと
自分が病気になるだけでなく、
妻側も自分だけが一独り相撲をとっているというような
気まずさが出てくるようです。

ややこしいことこの上ありません。

しかし、
おそらく、人類20万年の歴史で
繰り返されてきたことなのです。

昔は、いろいろと女性を保護して
ことなきを得ていたのですが、
最近の男女共同参画社会では
こういう先人の知恵は許されなくなってきています。

おそらく、私の主張は女性差別ということになるのでしょう。
でも、それは、
女性にも男性にも厳しく、
人間であることを無視するような
しゃくし定規の考え方として
早晩改まることだと確信しています。








なぜ、家族の存在によって、自死を思いとどまらないのか [自死(自殺)・不明死、葛藤]

自死される方の遺書を読むと
自分が遺してしまう家族一人一人に対して
思いやり、気遣いがあふれていることが多いです。

なぜ、それなのに命を絶つのか
そういう疑問を起こしてしまいます。

家族がいるのにどうして死ねるのか
これは多面的に考える必要があります。

まず、追い詰められた人の心理ですが、
簡単に言うと、
野良犬に襲われて逃げる場合、
余計なことを考えないで、
ひたすら安全な場所にたどり着こうとしますよね
要するに
「まだ危険なのか、安全なのか」
という二つのうちのどちらなのか
ということしか考えられなくなるわけです。

逃げること以外のこと
例えば、花壇を通って逃げる場合、花や根を痛めないかとか
人の家に入るとき、住居侵入になるのではないか
等ということを考えていたのでは
逃げられなくなります。

交感神経が活性化している状態では
こういう複雑なことや派生的な結果を考える
大脳の前頭前野腹内側部の機能が低下ないし停止すると考えています。

希死念慮とは
なんとなく死にたいというロマンチックなものではなく
自分は死ななければならない人間なのだという
強固な思い込みのことのようです。

そうすると、
自分を追いつめているものから逃れたいという状態が蔓延すると
交感神経が過度に活性化されて、
「逃れないで苦しみ続けるか、逃れるために死ぬか」
という二者択一的な考え方になり、
死なないでも逃れられる方法があるかもしれない
という希望的観測がない、絶望という状態になるようです。

家族の顔が浮かんでも
死ぬことをやめることができず、
死ぬことは前提、既定の決定事項ということになり
ただただ、自ら死を選択することの
お詫びの気持ちだけが起きる
ということが多くの場合で感じられます。

このような「自由意思の喪失」が
家族が自死の防波堤にならない一つの理由です。

また、仲の良い家族は自死を防止するどころか
局面によっては、加速させることがあります。

負担感です。

自死をしようとしている人は何に絶望するかというと
一つは身体生命の危険を避けられないという絶望もありますが、
対人的に、自分が追放されることにつながることを感じ
尊重されて、調和して共存することができない
という絶望感を感じているようです。
これは、客観的事実ではなく、主観的な問題です。

ある人は、攻撃されなければそれで満足するでしょう。
しかし、責任感の強い人は
群れの中で、自分が与えられた役割を果たさないと
追放につながるということを無意識に反応してしまうのです。
役割感の喪失等といわれます。

そうすると、
収入が充分得られないとか
社会的に体面が悪いとか、
肉体的な問題とか
そういうことで、
自分が役割を果たせないと
感じやすくなるわけです。

役割を果たさなければいけない
という責任感が強い人ほど
自分に過大な役割を課する人ほど
ささいなことで喪失感をもってしまうわけです。

家族を愛する人ほど
自分の役割を高く設定しようとしますから、
その役割を果たせないことが
自分の気持ちの中で
大きな絶望感を起こすような
「負担感」を持ってしまいます。

こうなると、自死の願望が高まってしまいます。

また、家族のために役割を果たそうとすることは
時として自己犠牲をいとわない場合があります。
子どもに犬が襲ってきたら、
自分が犬が嫌いでも、身を挺して子どもをかばいますよね。
群れのために役に立つことによって
群れと協調しているという安心感を持つ人は
群れのために自分の身を捧げることに
なじむ傾向にあるのかもしれません。

こうなってくると
「死に対する抵抗」が小さくなります。
自死が可能になっていくということになります。


ここで疑問が起きるでしょう。
追い込まれた後であれば仕方がないかもしれないが、

例え、会社できつく当たられたり、
学校でいじめられたりしても、
家に戻って安心できないのか。

会社は、転職すればいいし
学校は、転校したり、
死ぬくらいならばやめたってよいのではないか
という考えは正当だと思います。

しかし、こう割り切れない理由があるのです。

会社とか、学校とか、場合によっては趣味のサークル、部活動でさえ
一つの対人関係での追放の危険であるのに、
全対人関係から追放されるような
強力な心理的圧迫を受けてしまうからです。

これは、現代社会を想定していては理解できません。
人類は20万年、サルから分かれて数百万年といわれています。

協調することのできる人間が、適者生存として生き残り
現代に子孫を残しているわけです。

その時の人の群れは、
生れてから死ぬまでずうっと単一の群れだったはずです。
(あるいは、繁殖の際に群れを変わることもあったかもしれませんが
 ただ、日本の婚姻史をみても、必ずしも女性が嫁ぐわけではないようです)

だから、群れから外される、追放される
こういうことにつながるのではないかという危険は
自分が生きていくための群れから外されるという危険としてしか
受け止められない、反応できない
ということになるのは、当然のことだと思います。

遺伝子レベルでは、たかだか100年、200年くらいだけ
複合の群れに(例えば、家の他に地域、学校、職場
所属するようになったからといって
対応できるわけがないことは自然のことでしょう。

人は、群れに共存しようとする遺伝子を持っています。
これは、通常自覚はしていないでしょう。
群れから追放される危険といっても
そのように不安を整理して受け止める人もいないでしょう。

ただ、もやもやと不安になっているだけです。
イライラして人にあたっていても、
自分が不安を抱えているからだと自覚できる人は少なく
誰かのせいにしてい八つ当たりしているわけです。
これは、言葉を使って、考える結果ではなく
感覚で感じ、反応していることだからです。

「危険反応は、群れの複合に対応していない」
ということが、
家族がいても会社や職場の危機感を
大きく受け止めてしまい、心理的に圧迫を受ける原因として
考えられるのだと思います。

もっとも現代日本は
一つの職場を退職する、学校を退学するということは
将来的な収入に悪影響を与えますので、
その群れでの追放の危険は
家族のための役割を果たせなくなるという危機感に
直結するかもしれません。

また、情緒的には
家族に失敗を隠したい
危機にあることを隠したい
という心理が働くことが多くあります。

大切な家族だから
いつまでも一緒にいたいからこそ
家族から失望されたくないという気持ちが起きてしまうようです。
家族を安心させていたい、心配かけたくないという気持ちは
子どもでも強く持っているようです。
会社で馬鹿にされているなんてことを知られたくない
いじめられて、馬鹿にされているなんてことを
大好きな家族だからこそ知られたくないのです。

(家族が、失敗を許さないという風潮の場合も
 中にはあります。
 いじめられていることで叱責される
 という感じですね。
 家族が不安を感じやすい場合、
 このような厳しい対応が起きるようです。)

だから、
追い詰められた人は
自分から孤立していくのです。


では、どうしたらよいのでしょうか。
家族はおよそ自死予防にはつながらないのでしょうか。

そうではないと思います。
家族の在り方を意識して作っていくことです。

群れが、
自分が尊重されていやされるということはどういうことでしょうか。

それは、自分の弱さを受け入れてくれるということです。
どんなに失敗しても、過ちを犯しても
根本的には見捨てない仲間の一人とし続ける
ということを把握できる状態にするということです。

これは、なかなか意識しても難しいことです。

このように、負の状態を許容する態度であれば
自分が受けている辱めを家族に話すことができます。

許す、受け止めるということは
一度傷ついた、主観的絆を復活させる
クリエイティブな行為なのではないでしょうか。

このためには、
受け止める側まで、過度に危機意識を持ってしまっては
元も子もなくなります。

どんなことがあっても
家族は一つ、誰も見放さない
それが幸せなんだというところから出発することです。
それが最低限あれば死ぬことはないからです。

その上で、
信頼できる者に、具体的な対処を相談するということになります。
要するに、家族の問題は
家族でだけ抱えることはないのです。

ただ、家族が一つになっていないと
なかなか前進しない
家族が雪山の一時避難所になるというイメージでしょうか。

身体生命の危険があればお医者様ですし、
対人関係の危険があれば弁護士というように
弁護士の質が高まるように切に希望する次第です。

宮城県では「みやぎの萩ネットワーク」でも
弁護士、司法書士、社会保険労務士、税理士という法律家だけではなく、
社会福祉士、心理士、カウンセラー、そして
僧侶、牧師
というあらゆるスペシャリストがネットワークを組んで
対処をしようとしています。

市町村の中では、
この活動を高く評価して
チラシを全戸配布してくださるところもいくつか出てきました。
日本に広まっていくようになることを願っています。




円満調停成立 家族再生派弁護士の本懐 だが、離婚を勧める弁護士に怒りが止まらない [家事]

円満調停とは、
やり直そうという夫婦が、
家庭裁判所を利用して、やり直すための話し合いをする調停です。

これが成立すると、離婚の危機が回避されるのですが、
成立は感動ものです。
大体は、当事者が頑張るのですが、
調停員や代理人弁護士
危機の原因、考え方、対処の具体的方法等を
一緒に考えて、双方を励まし
夫婦が改めてやり直そうということを確認しあうのですから、

いつもは殺風景の調停の部屋に
柔らかな日差しが差し込んで、
暖かな気持ちになるのです。
みんながいたわりとやさしさをもって
お互いを尊重し、信頼し、
人間でよかったなと
そういう素晴らしい時間になるわけです。

ナウシカがオームにいやされている
あの名シーンの名セリフそのままです。

家庭裁判所の本来の在り方です。

エレベーターの中で一人になったとたん
ガッツポーズが止まりませんでした。

それはよいのですが、
今は怒りモードです。

なんと、そのご夫婦それぞれ、
何人もの弁護士に相談したそうです。
ことごとく、離婚を勧められたそうです。

「ふざけんなよ!なんだそれは!」
という怒りがあとからあとから湧いてきます。

この事案は、ご夫婦それぞれ、
できることならやり直したいということで
そろって家庭裁判所に円満調停を申し立てた事案です。

対人関係学的な観点から
妻の不安と夫の困惑を理解できれば
改善する展望が大きくあることは一目瞭然でした。

なぜこの事案で離婚を勧める。

前に書いたように、
(あなたの妻が弁護士に相談すると離婚を勧められるのは理由があることでした)
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-02-08

おそらくその弁護士たちは、
夫婦の解決方法に離婚というスキルしかなかったのでしょう。

ふざけるなと思います。

不完全な人間が手探りで人間関係を続けていくことが
夫婦であり家族なのではないでしょうか。
人間の言葉を額面通りしか受け取れないならば
少なくとも家族関係の相談を受けないでほしい。
人間の弱さや不安、自己制御が不安定な状態ということは
誰でもあることなのです。

対人関係学のツールがないとしても
やり直そうと思っている人たちなのですから
一緒に考えることくらいできるはずです。

なぜ離婚や別居を勧めるのでしょう。
そうすることによって、家族が崩壊することに
深刻な問題が生じるということを
どうして考えられないのでしょう。

怒りが止まらないのです。

お二人にはお子さんがいらっしゃいます。
お子さんからの手紙を読ませていただきました。
お子さんの方が
親御さんの心情を洞察して、
お二人に対して愛に満ちた道理ある発言をしているのです

やり直そうとする二人を離婚させて
子どもの健全な成長をどのように図るのか、
自分にはそんな責任はないから構わない
子どもがいることを
なかったことにするような仕打ちだと思います。

ふざけるなです。

弁護士の仕事を理解できないのだと思います。
人間の人生にかかわるということを
考えることができないのだと思います。

ユーザーである国民は
弁護士の粗製乱造にもっと目を向けるべきです。
ご自分のことなのです。
弁護士が、利益を追及する構造に
目を向けるべきです。

今回のご夫婦は、
結局離婚を勧める弁護士への依頼を
断り続けました。
ようやく最後に私のところへいらっしゃいました。

お子さんに代わって
ありがとうございますといいたいくらいです。
未熟な弁護士に惑わせられず
よくぞたどり着いていただきました。

「絶対に、円満調停を成立させる」
ものすごい意気込みで
分析と知識補充を行いました。
全人格を上げて臨んだ調停でした。

それだけに、
離婚を勧めた弁護士たちは、
もう夫婦間の相談にはのらないように
忠告したいと思います。

この方々は、離婚をしないで済みましたが、
弁護士の言うことを真に受けて
なんとなく違うと思いながら
離婚していった夫婦があるかと思うと、

そのなかで、
いるのにいないかのように扱われた子どもたちがいるかと思うと
背筋が凍りつく思いです。

夫婦間の問題を解決するのは
法律ではない
弁護士は、法律の知識があればできる仕事ではないのです。





部活に行かないことがいじめの原因になる事情について考える 仙台市中一生徒自死の報道による [自死(自殺)・不明死、葛藤]

今朝の河北新報によると
仙台市の中学校一年生の自死の原因となったいじめとして、

テストの点数の低さをからかったり、
部活を欠席したことが理由のいじめがあったとのことです。

「仮病」とか、「さぼり」とか言われて
消しゴムのかすをぶつけられたり、
ラインでも屈辱的なコラ画像入りで
「どうして部活動に出てこない」と
強い調子で責められたそうです。

部活動は、あくまでも任意の放課後の活動のはずです。

確かに、一度入った部活動ですから
行ったり行かなかったりすることはあまり好ましくなく、
苦しい練習を一生懸命やらなければ、
一段上の楽しさには到達しないかもしれません。

それはそうかもしれません。
仮に入部した部活動には、出席するべきだ
ということが正しいとしても、

他の部員の生徒から
出てこないことを叱責されるというのは「変」だと思うのです。

自分が給食のおかずが全部好きでどんどん食べている
しかし、隣の席の生徒がどうしても食べられない食材があり
それを残している。
そうした時に、
なんで食べないんだといって消しゴムのかすは投げませんよね。

引きこもりになって
学校に出てこなくなった生徒に対して
何で出てこないんだと
怒鳴り込みに行くということもないでしょう。

むしろ、いじめたとされた方が、
なぜ、そこまで部活動に出ないことで、
一人の人間の人格を否定するまで
それを非難することができたのでしょう。

ここを考えるべきです。

一つには、
自分たちが苦しくて、あるいは嫌な思いをして
毎日部活動に出ているのに、
自由にそれをさぼるのが許せない
という心理が考えられます。

一つには、
「正しい」ことの主張に隠れた
人間の攻撃性の問題があります。
「正しくない」者に対しては
容赦がない怒りを止めるきっかけがなくなるのです。

部活を欠席することは正しくない
正しくないものは責めても構わない

そうなってしまうと
その人の正しくない程度に応じた怒り
という器用な感情コントロールはできませんし、
その正しくないという評価をした人に対して
かわいそうという気持ちが起きるということは
なかなかないようです。

大津の事件で、
いじめた加害者や教育委員会が
容赦なくネットでたたかれていたことは
記憶に新しいと思います。

また一つには、
彼が部活動を欠席することの
不利益を被る、自分を守るために
彼を攻撃していたことが考えられます。

欠席者がいると、
顧問に叱られるとか

レギュラーと補欠というような代表型の協議ではなく
吹奏楽部のような全員参加型の部活動だとすると
やめるならやめてもらったほうが、
時々来て全体の演奏の質を落とすより良い
というような心理が働く場合があるようです。

この点疑問なことは
公立の高等学校でさえ
部活動の成績で、
入学に有利になったりするということです。

大会に行けばとかベスト4に入ればとか
そういうことで有利になるらしいのです。

例えば団体競技であると
その人が大変優秀で
野球で言えばベストナインに選ばれるような人でも、
他の部員が優秀ではなく
試合にはなかなか勝てない
という場合、評価されないことになってしまいますよね。

逆に偶々他の部員が優秀で
じぶんがそこそこという場合でも
チームが優秀であれば
受験に有利になってしまう。
それは不合理ではないでしょうか。

そこで、受験に有利にしたいと考える人たちは
自分の足を引っ張る仲間を
攻撃の対象として見るようになる。

そういう「連帯責任」としての「連帯感」を利用して
子どもたちが子どもたちを監視するシステム」を
作っているというのは考えすぎでしょうか。

平成の初期
校内暴力の対策を強化する時期と
部活動を半公式活動として
課内クラブ活動の単位を与える制度にした時期と
重なるように思われます。

そうだとすると部活動は、管理の一環ですから
管理されている生徒にとって
部活動が楽しくなくなる要素を持つことになります。

そもそも部活動の公式試合の成績が受験に有利になるならば
私的活動の成績も有利にするべきでしょう。

リトルリーグの大会での優秀者
ヒップホップの大会での優勝者

それから将棋大会、囲碁大会

一つにはきりがないでしょう。
一つには、
そういう一般的な活動をした人だけが評価されて
全国大会を組めないマイナーな競技をする人は
評価されないという不合理もありそうです。

どのような観点からも、
公立高校においては
部活動と受験は切り離すべきです。


今回のいじめの問題で
一番深刻なことは、そして確かなことは
いじめをしたとされる方は、
おそらく部活動を楽しんでいないということです。

こういってもピンと来る人は少ないでしょう。
私ですら
部活動が楽しくなくてはいけない
という考え最初はについて行けませんでした。

難行苦行の一種のように思っていました。

子どもたちに取って部活動は楽しくないようです。
楽しければ、
「楽しいから君もおいでよ」
「一緒にやろうよ」
ということになるのではないでしょうか。

お前がこないからずるい、こなくてはだめだ
という論調にはならないはずです。

しかも、いじめとして成立しているのですから、
何人かは共通して部活動の負担感を持っていたはずです。

ところが、任意で、自分が好きなことをする部活動ならば
学業との両立に悩むことはあっても、
部活動をしているときは楽しいはずです。
何かがおかしいということを
大人は気が付くべきです。

部活動が楽しく、生き生きとしてできないということは
不正常であり、何かがおかしいということです。

引きこもりの原因としても
部活動に行きたくない、学校に行っていて部活動に行かないわけにはいかない
だから学校に行かない
と訴える生徒はとても多いです。

部活動の中にいじめは多くあるようです。

もともとつばぜり合いをする年頃ですが、
昔と違って
弱い者が生まれると
集団で攻め立てる
という図式があるようです。

だれも止めないようです。

今回の報告を受けて
部活動の在り方
教育プログラムの中の位置づけ
を検討し直すべきではないでしょうか。

いじめを無くすという小さく技術的なことを
目標としていてもあまり解決にはつながらないでしょう。
せいぜい、いじめ対策担当者を配置し
外部の心の専門家を配置し、
お金をかけるだけだと思います。

学校が楽しい場所に
部活が楽しい時間に
人をかばいあうことが生きている実感を感じるように
人間関係を構築してゆく
ということを目標にするべきです。

それを阻害するものを見極めるべきです。







オープンダイアローグの応用例 家庭、職場の中の民主主義  [家事]

オープンダイアローグの話は、昨日も書いたのですが
じわじわ興味が高まっています。

フィンランドの西ラップランド地方で行われている
統合失調症の急性期の治療で、
極力、入院や投薬を行わず
専門家が数名、
対象者の自宅で、対象者の家族とともに
隠し事なく、今後の治療方針などを話し合う
という方法で、
画期的な治療成果を上げているとのことです。

一番質問したいことは、
専門家が対象者の自宅を訪れて
話を聞かせることが
やり方次第では有害になるはずなのですが
そうならない方法です。

繰り返し、専門家は訓練されていると述べられているのですが
どのような訓練をしているのか
という点に大変興味があります。

その中でも、
専門家同士の対話の仕方です。
医師と心理士と看護師とソーシャルワーカー
それぞれが平等に対話するとのことですが、
観点が違う専門家ですから
当然意見の対立が出てくるはずです。

ここなのです。

この違う意見同士を
どうやって、対話という形で収めていくのか
相手を批判、非難しないで話を進めていくのか
おそらく訓練によって行っていると思うのです。
この訓練を紹介していただきたいのです。

もしかしたら、日本人は
この「対立意見のすり合わせ」ということが苦手なのかもしれません。

夫婦にしろ、職場にしろ、友人関係にしろ
誰かが仕切り、誰かが意見を言うのを待っていて
声の大きい者の意見を感じ取って
空気を読んで同調していく。
そんな傾向はないでしょうか。

それでは、誰か一人の意見でものが決まってしまいます。
オープンダイアローグにしても、
それでは、対象者と対象者の家族の
関わり方の訓練にはならないでしょう。

その誰かに依存して生活していこうとする危険もあると思います。

話し合いの方法こそ学んでみたいところです。

オープンダイアローグと逆の態様は
いわゆる弱肉強食です。
力の優位な者、数の優位な者たちが
劣後しているものを従わせるというシステムです。

オープンダイアローグの手法は民主主義だという発言も印象的でした。
日本では、数が優位な勢力が全体の意思決定をする
ということが民主主義だと本気で考えている人たちがいますが、
極めて民主主義の後進国であることを感じさせられます。

オープンダイアローグから学びとれる民主主義は
構成員の利益の尊重を最大価値として
構成員の発言も考え方も尊重するというところにあるようです。

日本の国としての民主主義の形と
家族、職場、学校の民主主義の在り方は
連動しているように思われます。

そして、例えば夫婦の問題でも
この民主主義的技法が確立していないことで
問題をさらに悪化させていることが多いように思わまれます。

例えば、「子どもにスマホを持たせるか」
というテーマが夫婦で議論になったとします。

良くない在り方として
妻なり夫なりが、スマホについて持論を持っており、
「こんなものは百害あって一利なしだから、絶対だめだ。」
という主張をして、
相手が「友達同士で仲間に入れられないとかわいそうだ。」
と主張が対立したとします。

妻が、常々、夫の子ども事情の無知と、
偏った報道ばかり尊重するということで
ここでも主張を通させたら子どもがいじめられるといって
相手の言葉を聞かないで買い与えることだけを
熱心に主張するとしましょう。

夫は夫で、妻の職業上のキャリアを馬鹿にして
自分の意見を聞かないことが信じられない
とでも言うように妻の意見を否定する。

これでは、お互いの覇権争いだけが行われて、
そもそもの子どもの希望は全く無視されてしまいます。

口角泡を飛ばしての議論は子どもにも悪い影響が起きるでしょう。

昔の日本では
おじさんとか、庄屋さんとか、大家さんとか
偉い人の意見を聞いてそれに従うことが多かったようです。

今そういう人はいませんし、それで納得する人もいないでしょう。

こういう時、町の家事調整センターみたいなものがあって、
気軽に夫婦そろって相談に行ければよいのです。
場合によっては、子どもも交えて
オープンの対話が始まるのです。

まず、双方の意見を整理しながら納得ゆくまで話させる
そして双方の感じている問題の所在をホワイトボードなどに書きだす。
そして、双方の問題の所在を回避しながら、
子どもの幸せを実現する方法を話し合うわけです。

この時、専門家同士が、議論をするのです。
お互いを尊重し、あるべき結論に向かう方法を
議論してみせるのです。

この時、あまり結論を押し付けるまで議論を進めず
あくまでも、家庭のことは家庭の構成員で決めさせるべきです。
ここは治療とは異なります。

そうして、双方を尊重させながら
例えば有害サイトブロックが有効であれば云々とか
時間制限で、この家の時間制限を友人にも周知させるとか
友人の親同士で使わせ方の申し入れをするとか
そういうことができないしブロックを簡単に外してしまう
ということからスマホではなく別のものを与える
とか、
結論はともかく、それぞれを尊重するという訓練をする
制度があれば良いと思うのです。

離婚という紛争は
それぞれが、自分が尊重されていないという
不安感からの相互の疑心暗鬼が形成されていることが多いようです。
自分たちの関係を自分たちがどうしたいか
駆け引き抜きに
第一希望を冷静に話し合える環境が必要だと思います。
大きくは、直ちに解決しなくても
劇的に解決していくはずです。

今最も民主主義手法からかけ離れているのは
裁判所ではないでしょうか。
これは弁護士にも責任があると思います。

本人の字面の主張を、
馬鹿正直に実現していく
こういうことで、
相手を尊重せずに、
自説を貫こうとする。
この最大の被害者は
物言えない子どもたちなのです。

日本の民主主義の状態、程度からすると
大人だからといって、
自分の主張をフリーハンドでさせるのではなく、
話し合いの仕方のサンプルを示しながら
家族、特に子どもに取って最善の結論を実行するべきです。

恥ずかしがらずに真意、第一希望を語らせるべきです。
多くは、「こんなこと言ってもだめだろうな」
というところから第一希望が語られず、
自分を守るために相手を攻撃している
というのが離婚に際しての実態ではないでしょうか。

家庭の中よりも、もっと民主主義がないのが
職場かもしれません。
自分を守るだけでなく、派閥を守るというような
なんだかわからない力関係が多くあります。

知らず知らずのうちに
部下だったり、同僚だったり、時には上司を
心理的に追い詰めてしまうということがあります。
自分は上司から嫌われているという疑心暗鬼
部下は自分を馬鹿にしているという疑心暗鬼が
出てきてしまう温床があるようです。

こういう時に
余計な思惑抜きに
働き方調整センターみたいなものがあれば、
オープンダイアローグ的な手法で、
意見調整をすることができれば有効だと思うのです。

できれば、問題がこじれる前に
短時間のゲーム感覚で
問題の所在を出し合って、
指示の出し方、受け止め方をディスカッションする
ということですね。

声の大きさとか、特定の表現とか
そういうことを避けるだけで
職場はとても快適になります。

第1希望を出し合うことを出発として、
改善の方法を探るということです。

例えば、上司は、「ホウレンソウしろといっているだろう。」
と怒鳴るだけでなく、
なぜコミュニケーションがとれないのか
コミュニケーションをとる時間がない
手段がなく、言いづらい
連絡をすると叱責されそうで怖くて億劫になっていく
等の真の問題の所在を把握していくわけです。

目標方針の具体かがうまくゆかないのは、
結論の押し付けということで
具体的方法が存在しないか、うまく機能されない仕組みがある
ということなのです。

このように
それぞれの構成員が、
第一希望や本音を出し合うことのできる環境を作ることによって
人間関係に伴う不具合を是正し、
本来の群れの力を発揮していくと
思うのです。






オープンダイアローグと対人関係学、不安に対する手当の手法 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

先週、オープンダイアローグという言葉を教えていただき、
昨日土曜日、
精神科医の斎藤環先生の
「オープンダイアローグとは何か」医学書院
を読み、YouTubeでアップされている動画を見ました。

フィンランドの西ラップランド地方で
公的に実践されている統合失調症の急性期の治療法で、
投薬や入院を極力行わない対話形式のものらしいです。

私が説明するより上記書籍やYouTube
あるいはインターネットで検索していただいたほう良いと思います。

ラップランドといえば、
サンタクロースやトナカイ、木の実のお酒くらいしか思い浮かびませんが、
そこで、医師、心理士、看護師、ソーシャルワーカー等が
電話で呼ばれて自宅訪問をして
家族と本人とあけっぴろげで対話をする
それだけで、投薬治療をするよりも
統合失調症の治療に効果が上がる
80%以上の人が、就職したり復学したりしているそうです。

本人、家族は
費用負担なし、つまり無料でこのサービスを受けられるようです。

一見医療費に税金が投与されるという緊張感があるでしょうが
80%以上の人が自活できるならば、
公的医療費や生活保護費を何十年も支出するよりも
はるかに安上がりになるので、
この観点からも極めて魅力的でしょう。

このオープンダイアローグの手法と
対人関係学は奇妙な共通点があります。

対人関係学は、治療行為を行わないというか
治療を目的とした学問体系ではありません。
病理といっても、社会的病理を対象としています。

また、
オープンダイアローグは、
ポストモダニズムや詩学という
言語に対する考察をする学問に
強く影響を受けているそうです。

それらの知識は、少なくとも私には全くありませんし
知識がないこともあり、興味もありません。

ところが、
対人関係学からすると
オープンダイアローグの方法は、
とても合理的なものと見えるのです。
「勝手にそう思える」というところでしょうか。

何が統合失調で、何がその周辺なのかよくわかりません。
従って、統合失調症そのものについての話ではありません。
ただ、統合失調症と診断された方々とお話ししていると
多くの方が不安を訴えます。

秘密警察に監視されているとか
200年前の神様から電波でコントロールされているとか
父親から命を狙われているとか
隣の人が常に家に入ってくるとか

それらのことを面白そうに言うのではなく
恐怖だったり不安だったり苦しさを訴えられます。

言葉の中身にこだわらなければ
とにかく、居ても立っても居られない不安があり
心休まらないんだという訴えを
多くの方々がなさります。

対人関係学は
自死、離婚、いじめ、退学、退職、破産、犯罪等の
社会的病理の根本には、
危険意識、不安があるために
慢性的に交感神経の活性化が持続し
冷静な思考ができなくなり、
その続きを考えられなくなり、
行動をしてしまうという考えをしています。

「交感神経持続による反応群」という概念と対人関係的アプローチの提案
   http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/koukanjizokuhannougunn.pdf


不安に対する対処としては、
根本になった対人関係の改善を
弁護士だったり、心理士だったり、ケースワーカー等
他業種で手当てすること

不安の正体を明確にして
危険の存否及び程度を分かりやすく提示し
過剰な不安を鎮める
という効果を期待しています。

基本的には、病気に対するアプローチではなく
危険に対する反応を鎮めるという日常的なものです。

ただ、もし、統合失調症のあるパターンや
PTSD、パニック障害、適応障害、うつが
不安がその根源に横たわっているのであれば、
何か共通するものがあるのかもしれません。

即ち、病気であると診断された状態ではなく
病気の前駆的な状態であれば、
アプローチに共通なものがあってもおかしくないかもしれません。

オープンダイアローグでは、
治療方針に対するカンファレンスも、
患者、家族とともに行い、
全員が同じ水平で、平等に話し合います。
統括するリーダがいるわけではなく、
意見の対立があれば、
お互いを尊重しながら話をすすめるそうです。

結論を出すことにこだわらず、
対話そのものに治療効果を期待しているようです。

これは、対人関係学的に言えば
交感神経を活性化させている人を
コミュニティーに帰属させることによって
副交感神経を活性化させる
あるいは、安心感を与える
ということの実践ということです。

(一昨日のブログ記事)
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-23

まず、幻覚幻聴のようなことを話したからといって
自分たちから遠く離れたところにいるわけではなく
それには何らかの理由があるはずだということから出発します。

その人の発言は、
言葉のもつ意味情報を音声によって伝達するものではなく、
自分の感情(不安)を何とか他人に理解してもらいたいという
メッセージととらえなおすわけです。

そうすることによって対象者は
いままで幻聴、幻覚、妄想だと否定されていた
自分の発言行為に対して
不安感情を伝えるための代替手段としての言葉
ととらえられることによって
本当に伝えたい不安の中身や
そこまで行かなくとも、少なくとも
伝えたいという要求を肯定してもらえることになります。

自分を否定されなくて済むわけです。

自分でも、発言内容が突拍子もないことはわかっているのですが、
真意を探ろうという姿勢がないと
突拍子もないということを認めることができないようです。

自分の、否定されても仕方がない部分
仲間としてやっていくことに障害の生じる部分を
尊重してもらうということは、
人間性の尊重ですし、
それでも仲間として認めてもらえていることですから
絶対的な安心感を獲得することができるわけです。

また、専門家どうしの
話し合いもオープンですし、
その話し合いをしている人たちが
お互いを尊重しあいながら
話し合いを進めていることは
あるべき、よい対人関係、群の在り方を
サンプルとして提示されている
それ自体が、群れの中にいる心地よさを
獲得することができます。

さらに、家族にとっては
対象者が社会的に受け入れられるところを見ることが
自信と安心につながります。
専門家の対象者に対する対応の仕方は
これから自分たちが行う対応のサンプルになります。

こうやって、対象者が本来帰属するべきコミュニティーの中で
対話という方式を実践することによって
コミュニティーに対象者を帰属させていく
まさに自死の0次予防の具体的実践ということになります。

医師、看護師、心理士、ソーシャルワーカーという
専門家集団が、家族の一人のために
自宅まで足を運んでくれる
自分たちの不安に配慮してくれる、そこを否定しない
ということは、それだけで対象者や家族の自信につながるでしょう。

まさにコミュニティーの力による癒し
その具体的実践展開です。

いろいろな病気に取って
不安が中核症状なのか、周辺症状なのかわかりませんが、
不安を解消ないし緩和させることによって
症状全体が緩和されることは
おそらく言えるのではないかと思われます。

オープンダイアローグの応用例は限りなくありそうです。

不安に始まる疑心暗鬼による対人関係の悪化
これにはすべて適用されそうです。

さしあたって、家族の再生
(私の職業では、離婚問題、面会交流問題)
で、
応用を考えることにします。

よい人間関係には癒しの効果があり、癒しこそが明日の活力になる 対人関係学の根幹 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

対人関係学的労務管理の根幹でもあり
家族関係でもそうですし、
学校運営でも言えることです。

人が人を追い込む人間関係があり、
追い込まれることによって、
自死や離婚、退職、退学
過労死をしたり
買い物、アルコール、薬物ほかの依存症になったり、
犯罪の原因にもなるのですが、

「よい」人間関係は
人を追い込まないだけでなく、
例えば家族が良い人間関係ですと
職場や学校で傷ついた心(神経、生理バランス)
をいやす効果があるという主張です。

だから、
自死を無くそうとかいじめをなくそう
という後ろ向きな目標ではなく

人間関係を助け合い、癒しの関係に転換しようと
いう目標を掲げるべきだという主張になるわけです。

まず、自死などの問題行動を起こす原因として
心理的に追い込まれたことによる
極端な思考停止(苦しみ続けるか死んで苦しみを終わらせるか等)
は、
対人関係的な危険を感じ続けることによる
慢性的な交感神経持続の結果であると主張します。

  「交感神経持続による反応群」という概念と対人関係的アプローチの提案
   http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/koukanjizokuhannougunn.pdf

しかし、特定の対人関係から追放されたとしても、
現代の人間は死に直面するわけではないです。

退職しても、退学しても、離婚しても
直ちに生き死にの問題にはなりません。

例えば職場や学校でいじめがあっても
家庭が「よい」対人関係を形成していたのであれば、
再出発が可能となるわけです。

現代人も、一つの対人関係での追放の予感が継続することによって
体(体の中の脳という部分)は
奈落の底に落とされかけているという反応をしてしまいます。
これは、人類20万年の記憶によるもので
現代社会では、「感覚の誤作動」ということになります。

心理学や精神医学も
現代社会を前提として考察していますが、
人間の心理的、生理的な反応様式は、
20万年の時代を潜り抜けた結果であり、
サルからの分岐は700万年前とも言われています。
この点を重視するべきだということも
対人関係学の根幹です。

家庭等核となる対人関係において
「よい」関係が形成されることによって、

学校や職場等特定の対人関係上の追放の予感が
いくつかある対人関係のうちの
一つについての不具合だ過ぎないのだという
リアルなものの見方が可能になります。

事態を正確に把握することで
必要以上の不安を抱き続けることがなくなりますから
復学や、就職に向けた活動が可能になります。

また、もともと対人関係という人間の群れは
20万年間
人間にとって安全地帯であったわけです。

一人で山を歩くことは
狼などに襲われると
全く無防備な状態でした。

比較的大型の人間が群れることで

オオカミやクマさえも
人間に手出ししにくい状況を作ることができたので
人間は群れの中にいることで安心することができました。

これを適者生存の原理に当てはめると
仲間の中にいることによって
心地よいと感じ、
交感神経が静まる人間たちが
生き残り、子孫を作ることができた
という表現になると思います。

だから、その人の現代的な人生感にかかわらず
人間は、対人関係の中にいることを実感すると
自然と交感神経が静まり、
副交感神経が高まり、
神経や血管の修復が起こり、
記憶が整理されて
安心感を獲得するように
できてしまっているということになるのだ
ということが対人関係学の主張になります。

だから、人間は、
対人関係の中で協調して存在したい
という根源的な要求を持つということになります。

また、
対人関係という群れとの一体感は
大きな力を産みます。

人間は、対人関係の中で役割を果たすことによって
対人関係の中で尊重されることを期待します。
追放される方向と逆方向に作用するということで
安心感を持つことができます。

そうすると、
「自分の群れ」という感覚になり、
群れを永続させたいという気持ちになります。

群れの中で役に立ちたいという気持ちも自然に出てくるようになります。

極端な話、
群れを守るために
即ち自分以外の群れの構成員を助けるために、
自分の命を差し出すことも起こりうるわけです。

東日本大震災の中で
これを裏付ける事例には事欠きませんでした。

群れと自分が一体的に感じられてしまうわけですね。
それによって、死の恐怖に打克ってしまう
という現象がいくつもありました。

対人関係学が東日本大震災を契機に体系づけられた
という意味の一つがここにあります。

要するに、非常時以外でこのようなモチベーションを産むためには
群れが「よい」群れになっていることが必要です。
そのような群れの中では、人々は自分の力以上の力を発揮するわけです。

さて、では、「よい」群れとはどういう群れでしょうか。
安心感を得られる群れということでしたね。
では、どういう場合安心感を得られるのでしょうか。

それは、「追放の心配がない」ということです。

どういう場合、追放の心配が起きるのでしょうか。
もちろん、攻撃されたり、不平等に損をさせられて
自分が尊重されていないという場合もそうです。

それ以外にも、自分が役に立っていない
劣っている、弱い、欠点があるという場合も不安を招きます。
また、自分が失敗した場合もそうでしょう。

こういう場合に
群れから否定的な評価を受けるのではないかと思い、
心配は高まるでしょう。

だから、

役にたたなくても、劣ったところや弱いところ、欠点があっても
あるいは失敗しても
変わらず尊重され続ける
そういう部分があっても、仲間であることには変わらない
絶対に見捨てない
ということを実感できれば、
心から自分が尊重されていると感じ、
安心感を持つことができるのではないでしょうか。

そうすることによって、
安心できる自分の群れという意識を持ち
群れのために本来の力以上の力を
自ら進んで発揮しようとする
ということになるのだと思います。

本来人間関係は
そこにいるだけで癒される関係であったはずです。
ところが、ここ数千年くらい
少しずつおかしな関係になってきているようです。

生産性の向上に伴い
富も偏在し、損をする人と得をする人が出てきてしまいました。

しかし、人間の遺伝子に組み込まれた
緊張と癒しの生理的バランスは
数万年程度では変化しないでしょう。

そこまで地球に人類が存続するかすら怪しい話です。

限られた今後の人類の歴史の中で、
本来の人間性、対人関係を取り戻すことが、
対人関係学の目的なのであります。








疑心暗鬼と不安というシステム 解消の方法の提案 [家事]

離婚事件を担当すると
最終的にはこじれていて
なかなか修復することが難しい場合があります。

しかし、丹念に事実調査をさかのぼっていくと
あるいは相手方の意見も聞いてみると

どうやら誤解から出発して、
小さな不信や疑心暗鬼が
つもり重なって、大きな疑心暗鬼になり
生理的嫌悪という感情になっていくようです。

これは「不安」という生きるためのシステム
誤作動ともいうような過剰反応を起こしているようです。

動物は、身体生命の危険を感じると不安になり、
行動を修正します。

危険な猛獣を見たり、
仲間が敵に襲われて叫んでいたり、
腐った臭いがしたり、
食べてみたら違和感があったり

こういう場合
そちらの方向に行かない、
別方向に逃げる
それを食べたり触ったりしない
という行動の修正ですね。

群れを作る動物である人間は、
群れから外されることは死活問題ですから、
身体生命の危険を感じるように
仲間から外される危険を感じて
行動を修正するわけです。

自分だけ楽しくふるまっていると
誰かから攻撃されたり批判を受けたり、
仲間が悲しんだり傷ついたり
ということで、
行動を修正するわけです。

群れに協調的に安住するため
人間は対人関係上の危険に敏感で
不安を感じやすくなっています。

もっとも、感じ方には個性がありますが・・・

この典型的なものは夫婦です。
もともとは他人で、育った環境も違うわけです。
自分の行動が相手にどのように評価されるのか
無意識に不安になってしまうことは当然です。

この不安の正体を自覚したら
どうなのよ?と尋ねたり、
ごめんごめんドンマイドンマイと
コミュニケーションをとって、
不安を解消することができます。

しかし、不安の正体を自覚しない場合は、
解消する行動をとらず、
不安が蓄積していってしまいます。

相手方の些細な言動が
自分を攻撃していると思うようになります。

風呂場のカビ何とかしなくちゃね」
というような会話も
「自分がちゃんと洗わないからカビが生えた
 と怒っているのか?」
というように受け止めるということですね。

信頼関係の強い夫婦ならば
あるいは不安を感じにくい個性ならば
「じゃあ頑張ってね。応援するよ。」
っていう場合もあるのです。

損をしていると思いませんか。

再び申し上げますが
こじれてしまったら修復は難しいです。

相手の不安を取り除く、
意識的な活動をするべきです。

端的には愛をささやくことですが、
実務的には、
あいさつすること(おはよう、いってきます。おやすみなさい)
相手の行動に感謝することです(ありがとう、これおいしいね。お疲れ様)
心配すること(どうしました。それはいたいね。何でも言ってね)
敵意のないことを示し、責任は自分がとるという姿勢を示す
(ごめんなさい)

行動としては、
一緒に行動する。外に連れ出す。
時間やお金、動作をその人の為に使う。

気にかけているよ、一番大事だよというメッセージなのですね。
それで喜んでくれるなら、安心してくれるなら
とてもかわいいじゃないですか。
大体は、それで安心して楽しくなることが多いようです。
そんなことで、なのですが、
そんなこともしない人が多いのです。


相手が不安に基づいて
攻撃されていると思うと、
人によっては(少なくはない)先制攻撃をする
嫌味ととらえて倍返しするわけですね。

「風呂のカビ黒くなったね。」
「私は一生懸命換気もしている。
 あなたの水の使い方が悪いんじゃない。」

おいおいおい
ということになることが結構日常ではないでしょうか。

もう一つ大切なことは
相手の不安を自分への評価と結びつけないこと
不安は合理的に起きるのではなく、

体調だったり、環境だったり、
会社や友人関係の出来事だったり
社会情勢だったり、
いろんなことで起きます。

相手の攻撃に対して反撃しなければ損をしたような気持ちになってはいけません。
反撃の連鎖をまず自分が断ち切るという
憲法9条のような考えが
家庭では必要のようです。

なんか怒っている、イライラしている
とみると
不安を感じるシステムが作動して
自分が悪いのではないか、自分が仲間として評価されていないのではないかと
無意識に不安がうつってしまいます。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
怒られまい怒られまいと思わないでどうぞ怒ってくださいと思う
大リーグボール一号のような考えこそ円満の秘訣かもしれません。

相手のイライラを受け止められるようになれば達人でしょうが
なかなかそうはいきません。
たまには反論することも精神衛生上必要だそうです。

家族が負の部分を受け止めて、
それを許し、
イライラが終わったらすぐに
「ところでさあ」
と何事もなかったように話を転換する。
こういう工夫が必要かもしれません。

大切なことは
不安というシステムは、
無意識に発動するということです。

自分の不安
家族の不安=いらいらや八つ当たり
は、
80%は誤作動を起こしているのではないでしょうか。

まず、攻撃を受けていると思わないで
自分に原因があると即断しないで

ああ、何か不安なんだ
苦しんでいるんだねと
思えるように
なりたいと思います。

どうやら優しくなるということは、そういうことらしいです。


労働者の家族組合結成によって、過労死環境にさらされない権利の確立を [労災事件]

先日、専業主婦の方とお話しする機会があったのですが、
とてつもない衝撃を受けました。

例えて言うと
分厚いカーテンをジャックナイフで切り裂かれて
まばゆい光がそこから一斉に差し込んできて
既に朝が来ていたことを知らされたような感じでした。

どんなお話かというと
自分の夫の働く環境が悪い、
家族との時間もろくにないのに
帰ってくるとイライラしている
働きすぎも心配だけど
家庭もぎすぎすしてくる。

夫に話しても取り合ってくれないし
労働組合も役に立たず、
かえって
文句を言った従業員を中止する始末。

こうなれば、私たち妻たちが
労働組合を作って
会社に申し入れるしかないのではないか

大体こういうお話でした。

これは、解説が必要だと思います。

第1に、過労死防止というのは、
死ななければよいのではないということです。

当たり前のことかもしれませんが、
ここはもっと強調されるべきです。

死なないまでも、
自分の健康を悪くしていたり、
毎日精神的に追い込まれているかもしれません。
死にそうな毎日、職場環境の中で、
無くなられた人は、
案外運が悪いだけ、
(その時の気温とか、風邪を引くなど体調が悪いとか
 体調によって寝付けなかったり
 食事の問題があったりとか)
逆に言うと、
無くならなかった人が運が良かっただけ
ということがありそうです。

大事なことは、
このような運まかせで
肝心の過労死環境を放置しては、
無くなる人が減らないということです。

また、死ななければよいってもんじゃないということは
死ななくても、
健康や精神面で、苦しい毎日を送っている人がいるってことです。
死なないからって感謝するわけにはいかないということです。

第2に、過労死環境は
労働者本人の心身の健康を蝕むだけでなく、
配偶者や子、親など家族に悪影響を与えているということです。

金があって衣食住が足りていれば良いってもんじゃないわけです。
そもそも、働くために家政婦を雇ったのか
家族と人生を楽しく過ごすために働くのか
その回答が怪しくなっていると思います。
人間の人生において、
家族がいかにかけがえのないシステムなのか
全く顧みられていないように思われます。

労働者が、過労死環境にさらされてないことは
家族の権利でもあるわけです。

第3に、労働者はいわば洗脳されており、
自分たちが過労死環境にさらされているという自覚がありません。

残業当たり前、残業手当がつかないのが当たり前、
休日出勤当たり前、
ノルマが達成できなければ家に持ちかえるのも当たり前、
同僚と仕事以外の会話をしないのが社会人
会議の時も無駄口は叩かず、否定するなら対案を出すのが当たり前、
取引相手の気分感情よりマニュアルに従うのが当たり前
自分より弱い者は、多少悪どい方法でも
情けをかけないことが当たり前
下請や非正規雇用は、安くたたいて当たり前
人格を否定するような叱責も指導。
会社の経営が上向かなければ
リストラ解雇も当たり前。

それに反することを言おうものなら
「甘い」と叱責されるわけです。

私から言わせれば
会社ということで労働者に甘え過ぎだ
としか思えません。

会社の中だけで通用するような話を
(本来それも間違っていると思いますが)
家庭や友人関係、社会の中でも
堂々と主張したりするわけです。
上司から厳しく指導されたように
得々と語るわけです。

人間は、仲間の役に立ちたいという
本能的な要求があります。
そのために命を投げ打つこともあります。

この、ヒューマニズム本能ともいうものを
会社は、利益追求のために借用しているわけです。
それを利用されている自覚がないから、
自分たちが、
本来さらされてはならない過労死環境にさらされていることを
自覚できないのです。

だから、専業主婦は、夫の過労死環境を
自らの手で改善するしかないということになります。

第4に、労働組合がないか役に立たないことが多い

どんなにまじめな労働組合でも
自分たちの働く環境を優先するわけではないようです。

安全保障法制は反対しても
自分たちの過労死環境を、人間として当然な職場環境に変える
という取り組みを熱心にしているのか疑問がある組合もあります。

そうすると、
自分で過労死環境に気が付いた人が一人で改善を求めても
職場の中に居づらくなるだけで
改善にはつながらないということも多いでしょう。

家族が乗り込むということは結構あるのですが、
改善されたケースとされないケースは半々くらいですね。

あいつのかみさんはということで
浮いてしまうことはよくあることです。

そうだとすると家族は団結しなければなりません。

第5に、もしかするとこれが一番大きいかもしれませんが、
家族が団結するということです。

今の世の中、フェミニズムというと
やれ、家事参加はだめだとか、
手伝うという言葉は何事だとか、
ともすれば、女性の敵は夫だというような
印象を受ける主張が多くあります。

しかし、根本の家族の分断を勧めるような主張は
男も女も孤立させ、
何よりも子どもたちの健全な成長が阻害されます。

私がインドアフェミニズムと批判する次第です。

フェミニズムの出発は、
社会の不合理不平等を
女性の視点からえぐり出して批判し、
改善していくところにあるはずです。

このような男女の対立は、
過労死環境と言う
人間の根本を阻害する不合理を
助長させるだけです。

家族の中で、「自分」と「相手」を対立させるのではなく
「自分たち」の幸せを阻害する環境を改善していく
ということが画期的だと思うのです。

家庭の中で犯人を探す必要がないことが多いのです。

第6 労働者の家族組合の活動対象
とは言いつつ、家族が何でもかんでも
職場に口を出すわけにはいかないでしょう。
また、口を出す必要もないのです。

人が人間扱いされていないことがあれば
それを改善してもらえばよいのです。

36協定も防災の必要もなく残業をさせることは
そもそも刑罰の対象として法律で禁止されていますし、
割増賃金を支払わないことも
同様に刑罰を持って禁止されています。

このような刑罰で禁止されていることをやっている場合
役所や裁判所を待ってはいられませんので
労働者の家族組合が団体交渉を行うというのは合理的でしょう。

また、危険業務に、安全対策もなしにやらなければならない
というのも、人間性を尊重していません。

理由もなく、人間を衆人環視の中で長時間叱責するということも
時と場合によっては殺人行為だと思います。
名誉棄損や侮辱にわたる言動もだめでしょう。

要するに、人間として尊重されていない扱いがだめなのです。

こんな人権侵害行為を放置する企業は
外部の力で、改善しなければならないのです。

職場内の人権侵害があるところには
労働者の家族組合が介入する必要があるようです。

労働者の家族組合は企業別にする必要はありません。
産業別に分ける必要すらないでしょう。
職場内の人間が尊重されない事情があれば、
すかさず団体交渉を申し入れることになるでしょう。

第7 労働者の家族組合は権利か?

現在は権利ではないかもしれません。
しかし、これが人間が人間として生きていくために必要なら
権利として認められるべきだと思います。

そもそも権利というのは、
誰かが善意で与えるものではありません。
もともと労働者の団結権も
国が警察などで弾圧してきたものを
労働者の正当性の確信から
憲法上の権利となったわけです。

団体交渉に関しては国の助成も
制度化されているようになったほどです。

当事者が、自分たちの行動は正しい
国も認めるべきだ
ということから権利になるわけです。

もっとも、
私一人がいきり立ったって権利にはなりません。

ただ、これはそう遠くない将来、
権利として認められるようになる
というような気がします。

全く正しいのではないかということを
開設したつもりなのでしょうがいかがでしょうか。



もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について [家事]


 すべてのお母さん、その夫、なによりも子どもたちのために

<初めに~本を手にしたきっかけ~>

ネットで「産後クライシス」という言葉が出てきて、興味を持ちました。ここ数年特に多くなってきた事例で、「会社から帰宅したら、妻が子どもを連れて家を出て行っていた。」という現象があります。相談を受けたり、依頼を受けたりする事例が増えています。取り残された夫側から依頼を受けることが多いのですが、妻側からの依頼や相談を受けることも増えています。
この事例には、奇妙なほどに共通する事項があります。
①第2子を生んだ2年以内の出来事である。
②取り立てて原因がわからない(不貞や暴力がない)。
③夫に対して生理的嫌悪を抱いていて面会や電話も拒否する。
③通常は実家に帰っている。
④話し合いにならない。
⑤結婚以前は、妻と妻の母親との折り合いは良好とは言えない。
等です。不思議と類似のケースが多くあるのです。解決が困難な事例ばかりでした。この現象を説明する言葉として、「産後クライシス」という言葉が使われているならば、当事者に本を読むように勧めようと思いました。NHKの「あさいち」という番組で取り上げられて、「産後クライシス」(ポプラ新書)という本になっているというのです。他人に薦める前に、先ずは自分で読んでからと思って読んでみました。読んだ結果、うんざりしました。当初は、それでも言葉を作った功績があるので、そこを評価したい気持ちがありました。しかし、結局は、いろいろなミスリードがあり、デメリットの方がはるかに大きいので、批判しなくてはならないと思いました。
批判のポイントは3点です。
ⅰ)これは、おおたとしまさ氏のブログ、「子育て事情 つっこみどころ満載の「産後クライシス」論争」で取り上げられているとおり、「トリガーを引くのは、夫ではなく生理作用」ということです。
  NHK産後クライシスは、解決方法として、夫の家事と子育て参加を提案しています。産後クライシスの主たる原因が、夫の家事不参加によるものだと考えていることになります。しかし、このような外的なところに原因はありません。夫がいくら頑張って、いくら優秀なイクメンとなったところで、解決しません。どうしたって、母となった妻は夫に対する「愛情」が低下し、攻撃的感情が芽生えるからです。
  逆上の対象となったり、「一緒の空間で息をしたくない。」といわれたりする夫は、むしろ、家事育児に積極的な夫です。仕事も人並み以上にこなします。夜遅く帰ってきても、眠っている妻を起こさないように子どもの夜泣きに対応している、休日は一日中子供の面倒を見ている夫が多いです。そういう健気な夫たちが、この本を読んで、もっと頑張ってしまったら、おそらく倒れてしまうでしょう。一番心配なのは、苦しい妻を支援する人たちが、この本を真に受けて、夫ばかりを責めてしまうことです。妻は苦しみから逃れるため、いよいよ怒りの照準を夫に定めるようになってしまいます。こうなってしまうと家庭崩壊に向かうしかありません。
ⅱ)産後クライシスは、夫婦にとっても、本にかかれているよりもっと深刻、NHKが取り上げる産後クライシスは、結局破綻が現実化していない軽いケースだということ
実際の産後クライシスは、離婚以外にも悲惨な結果をもたらします。
第1に、母親側の問題としては、孤独感の助長があります。産後うつとも連動して、自死や乳幼児を道ずれにした無理心中などが起こっています。
夫を残して、子どもを連れて実家などに生活の居を変えるということもしばしばあります。DVがないのに過激な手段をとり、激しい感情の対立が起こることがあります。
夫から逃げたのは良いが、経済的に困窮してしまうということもよく見られることです。小さい子を抱えていては、就労条件も不利なものになります。
精神的な回復が遅れることは多いように感じます。数年を経ても入退院を繰り返していたり、心理カウンセリングを続けていたりという人たちが、私の周囲に増えてきました。
記憶の混乱が見られたり、夫が関係する話になると話しが論理的に整合しなくなったり、つじつまが合わない話をしてしまうということも見られます。
第2に、夫側の問題としては、妻の突飛な行動が理解できず、子どもにも会えなくなるということで、精神的に深刻な問題が生じます。自死リスクも高まります。孤独とか疎外という言葉も正しいのですが、「一生懸命働いたり、一生懸命家庭のことを気にかけて、行動したりしていたのに、この仕打ち」ということで、自分に対す強烈な人格否定行為ととられます。
突発的な妻の逆上に、どう対処してよいかわからず、困惑して、無力感、絶望感を感じてうつ状態になる方もいらっしゃいます。
連れ去り離婚の影響として、長期間を経ても夫に精神的に深刻な状態が続き、仕事が続けられなくなったり、アルコールに逃避したり、犯罪につながる事例もありました。
ⅲ)HNKの産後クライシスの一番の問題は、生れた子どもの健全な成長の視点からの考察が何もされていないこと
  一番影響を受けるのは、生れたばかりの子どものはずです。子どものために夫婦で頑張って危機を乗り越えるとか、子どもへの影響を最小限にするということが考えられていません。連れ去られた子どもは、例えば父親が自分の目の前に現れなくなった。そうすると年齢によっては、母親もいなくなるのではないかという不安に襲われたり、自分のせいで父親が去っていったのではないかと考えたりすることが少なくないといわれています。離婚に伴う子どもへの悪影響は、取り返しのつかない場合も多くあります。
  産後クライシスは、夫婦の危機でもありますが、子どもを含めた家族の危機だととらえるべきです。もちろん、夫の両親も、妻に子どもを連れ去られ、夫と同じように憎しみの対象とされ、深刻な精神的な打撃を受けています。
  NHKの「産後クライシス」は、結局、産後の危機的状況が出現することから話が始まっているのに、軽微な妻の愚痴や不満ですむ程度のクライシスにすり替わっています。最初統計などで、産後クライシスの深刻な実態が紹介されたにもかかわらず、中盤からは、著者ら自分の体験を中心に産後クライシスを乗り切った段階での主婦の不満や口のレベルの問題にすり替わっているのです。このため、夫の家事参加、子育て参加の提案にすり替わるのです。実態を深く掘り下げることをしないで、夫に対する攻撃をして一件落着とするということは、「妻の主たる敵(苦しめる存在)は夫」だと結論付けているわけです。このように夫主敵論を唱えるIndoor feminismは、フェミニストたちから、「女性の視点で社会問題に対処し、平和で平等な社会を構築してゆくのではなく、家庭問題に矮小化し、社会問題から目をそらす弊害がある。」と総括されだしているところです。本件の問題でも、結局女性の感情の解放を優先するあまり、合理的な分析や解決、それ以前に事実の把握さえも遠ざけて、世の夫を攻撃しているのです。このことを自覚しなければなりません。夫の家事と育児の問題は、それはそれで、また別の問題として取り上げて啓発すればよいでしょう。


<産後クライシスのメカニズム>

1 産後の女性の不安
 ⅰ)共通する不安心理
出産後、特に産後クライシスの状況を呈している女性の心理には、共通する部分が多くあります。これから提示するお話は、統計的に証明されているものではなく、私が、実際の依頼者、相談者や相手方からの聴き取ったもの、その他の本人の作成した資料に基づくものであることをお断りしておきます。
   核になる共通項は以下の通りです。
・ 漠然とした不安がある。
・ 独りぼっちになりそうな気がする。
・ 自分だけ損をしているような気がする。
・ 「どうして自分だけ、こういう目に遭っている」という気持ちになる。
・ 自分が、人間として、女性として尊重されていない。
・ 子どもの奴隷になっているような気持ちになることがある。
・ 自分の実家もないがしろにされている。
   それでも、言葉にすることはなかなか難しく、漠然と不安を感じている方が多いと思いようです。不安だということさえも自覚がないことが少なくないようです。とにかく重苦しい気持ちになったり、暗い気持ちになったりするということが多いようです。
   通常は、合理的理由があるものではなく、まず、不安が最初にあるようです。
 ⅱ)不安の原因としてのホルモンバランスの変化
   このような不安を感じる原因として、セロトニンの分泌が少ないのではないかということが良く指摘されているようです。この真偽は私にはわかりません。
   私は、出産に伴うコルチゾールの消費が関連しているのではないかと考えています。
   コルチゾールは、危険を感じた場合に分泌されるホルモンで、アドレナリンなどと同時に分泌されます。アドレナリンなどが血圧や脈拍、体温などを上げる交感神経を活性化させるものですが、これを補完する形で血糖値などを上げる働きがあるそうです。そして、同時に、交感神経を抑制させる働きもあるそうです。コルチゾールが分泌されなかったり、うまく働かなかったりすると、交感神経がなかなかおさまらなくなりますから、危機意識に基づく逃避願望や戦おうとする怒りが持続してしまうということになりそうです。
   また、コルチゾールが多量に分泌され続けることによって、脳の海馬という、コンピューターのメモリのような働きをする部分が萎縮することが知られています。
   妊娠中もコルチゾールの分泌は多くなりますが、何よりも出産によって大量のコルチゾールが消費されるそうです。
   不安が止まらないという現象が、母親の脳内で起きても、そう不思議ではないでしょう。
 ⅲ)三面関係という新しい家族の形態
 誰しも、新しいことをするときには不安があるものです。学校に入学した時、会社に就職した時、結婚の時も不安を感じるのが当たり前です。この不安は、新しい対人関係を継続していくうちに、危険がない、安心できるということを学習し、安全であるという記憶を獲得する中で消えていきます。
 出産も、家族が一人増えるだけでなく、このような新しい家族関係が生まれることなのです。家族は、一人がなくなっても別の家族になりますが、一人増えても別の家族になると考えたほうが良い場合があります。夫婦二人で調和が保たれていても、もう一人の人間が登場し、常に一緒にいるということですから、これまでとは違う家族になります。なんとなく、不安になる原因となるのではないでしょうか。
 もちろん、弱い赤ちゃんという存在も不安を駆り立てるのかもしれません。
 コルチゾールの分泌が低下し、ないしは、機能が低下し、不安、危機意識を低下させられない場合、このような危機意識、不安は、外部の理由がなくても自然に発生し、なおかつ持続するということになります。また、コルチゾールの分泌過多によって、海馬という短期記憶をつかさどるメモリが十分機能しなければ、三者構成になった後の経験、馴れによる安心感の獲得、大丈夫だという記憶がなかなか定着しないこととなります。この観点からも、理由のない不安が持続することになります。

3 不安への対処、怒りまたは逃避
  さて、不安という危機意識を感じた場合、人間はどう対処するものなのでしょうか。これは、二つのFといわれる反応を行います。
一つは逃避行動(Flight)です。もちろん人間だけでなく、動物全般に妥当すると思います。危険から逃げるということは、基本だと思います。
もう一つは闘争行動(Fight)です。ゴキブリが家に出て、恐怖のあまり、動かなくなるまで叩き続けたという経験があると思います。条件次第では、闘って危険を解消しようとすることになります。逃走する余裕がなく、勝てるという意識があるときに怒りが起こりやすいようです。怒りは、怒りの矛先が、そもそもの危険に向かうことなく、勝てるという意識を持つ相手に向かう場合が多くあります。不安感を解消することが第一の目的となってしまい、自分よりも弱い者に怒りをぶつけて用をすますという形になります。差別等がこの典型例だと思います。
実は、もう一つのFがあります。凍結(Freeze)です。これは、逃げる余裕もなく勝つこともできないという意識の元に生じる反応です。高いところからつき落とされたり、猛獣の前に立たされたりして、仮死状態になったり気絶することがわかりやすい例です。
どのFの反応となるかは、条件によって異なります。また、逃げる余裕があると思うかどうか、勝てるかどうかは、個性やその人の立場(子どもを守る立場は勝てると思わなくても戦うなど)によってだいぶ変わります。

4 産後クライシス(怒り優位) 逆上・脱抑制型
  産後、妻の性格が変わってしまって、時折突然逆上し、大声で、言葉も極端に荒くなり、聞くに堪えないし、怖いという夫からの」訴えが時折あります。抑制がきかない状態ですから、全身全霊をかけて妻が自分を攻撃してくるのです。典型的な産後クライシスの現象だと思います。夫は、自分の母親がそのような傾向があれば別ですが、愛らしいイメージの妻が、突如豹変するわけですから戸惑ってしまいます。なにか、過酷な運命に叩き落されたような絶望感を抱くこともあります。
  冒頭にあげたおおたとしまさ氏のブログでは、母乳分泌を促すホルモンであるプロラクチンが敵対感情を高めるというイタリアの研究を紹介しています。これは、考えてみれば当たり前の成り行きです。
女性は、エストロゲン、プロゲストロンという、いわゆる女性ホルモンが多く分泌されます。このホルモンは、妊娠、出産時にも大量に分泌されます。ところが、出産後、これらのホルモンが極端に低下します。極端に低下することによって、プロラクチンが分泌され、母乳の分泌を促します。授乳中は子宮の修復が進みません。例えて言うと、女性は、出産によって一時的に女性から母親になるわけです。夫を生殖の相手としては意識できなくなることは、とても自然の成り行きだと思います。
  逆に女性ホルモンが低下することによって、女性ホルモンが旺盛に分泌されていて、夫が自分の生殖の対象とみている場合は、それなりの愛情表現、愛情感情が自然に湧いていたことがわかります。
  子連れの母クマが、気が荒くなり、父熊が近づいても牙をむくということは、わかりやすいでしょう。生殖の対象ではない父熊は、「危険」そのものですから、近づいてほしくないのです。また、弱い子どものために、闘うことでこの「危険」を乗り切ろうとするわけです。
  ホルモンの問題とは別に、夫が攻撃の対象になる理由があります。それは、近くにいるということです。妻の近くにいる人間は子どもと父親です。子どもを虐待する母親もいますが、通常は、子どもは、自分の体の一部と考えていますから、大切にすることになります。するとどうでもよい第三者は夫だけということになります。妻の不安は、これまでお話ししたとおり、外部に理由があることではなく、不安を感じやすい体調になっているということが理由です。正体のわからない不安に対しての反応の一つは、イライラすることです。何かに怒りをぶつけて、不安という危機意識を解消したい要求が生じています。そして怒りは、根本原因に向かわなくてもよいとすると、近くにいる夫に怒りがぶつけられるのは、避けることができないということになるわけです。要するにどうしたって、夫は怒りのサンドバックになる運命なのです。
カマキリの雄が生殖後に雌の食料になるのも、近くにいるということが、おそらく理由なのでしょう。他人事ではないのかもしれません。
  但し、この型の場合、妻は、夫に対する好意がなくならないということが特徴です。ぼろくそに言われている夫はなかなか実感できませんが、不安が収まりさえすれば、敵意もなくなることが多いです。あたかも男性がするDVのようです。もしかしたら、男性のDVも似たような構造なのかもしれません。
5  産後クライシス(逃避ないし萎縮優位) 連れ去り・生理的嫌悪型
妻が逆上することも夫に取って、毎日が暗く家に帰りたくないという状態となります。しかし、これからお話しする連れ去り妻の方が夫にとって致命的な打撃になる場合があります。
  どうやら、妻が逆上することによって不安を発散できない場合にこの型が出現するようです。
  不安を発散できない場合は以下の場合が確認されました。
 ・ 妻を暴力的に抑え込むために、怖くて妻が発散できない場合
 ・ 理詰めで追い詰めて、妻の逆上を精神的に抑え込む場合
 ・ 妻が夫を好きだ、ないし、捨てられたくないという感情が強いため、夫に対して怒りを向けることを抑制してしまう場合
 ・ 夫以外の、例えば夫の両親と同居していることで、感情の発散を抑制しなければならない環境にいる場合
  このように妻が感情を発散できない場合、妻は、自分の不安感が尊重されないという息苦しさを感じていくようです。両親同居型の場合は、最初両親に対して息苦しさを感じますが、結局は夫に怒りが集中していきます。
  自分の不安が強引に抑え込まれたという記憶だけが残り、記憶力の曖昧さゆえに、前後の脈絡が不明となり、暴力をふるわれた、暴言を吐かれたというふうに記憶が作り替えられていきます。「自分は、夫から、はがいじめにされた。」といっても、「どうしてそうなりましたか。」という問いに答えることができません。実際は、逆上して暴れているので、押えようとしただけなのに、そのことは記憶から失われていて、抑え込まれたことだけを記憶しているのです。何か不安を発散させようとしたところ、夫から理詰めで押さえつけられても、そのことを忘れて、最後の自分の意見を言わせられなかったことだけが記憶として定着しているのです。夫にとっては、妻がわかっていて自分を陥れていると考えることは当然でしょう。しかし、妻は本当に忘れているのです。逆に言うと、逆上している状態の妻は、本来の妻ではないと考えられるのかもしれません。
  こうして、自分の不安、危機意識に対する解消行動をことごとく夫に否定され続けていくと、妻は、自分が支配されているという気持ちになってゆきます。夫は、「自分の生きるための行動を阻止する人物」だということになっていきます。やがて、夫のために自分がだめになるという意識になるわけです。これは、言葉で意識が深まっていくのではなく、無意識のうちにイライラや不安、疎外感だけが深まっていきます。
  こうして、夫を生理的に受けつけられなくなります。街で夫と同じようなコートを着た男性を見ただけで足がすくんだと話してくれた女性もいます。声をかけられただけでパニックになったという女性も見ました。極めて深刻な関係が完成されてしまっています。暴力があった場合は、なんとなくそれもわかるのですが、暴力や暴言のないケースも、他の被抑圧感情が持続すると、このような相手に対する生理的嫌悪が完成するようです。
  特に理詰めで支配された妻は、夫と話し合うということをしません。それ自体がトラウマになっているのでしょう。子どもを連れて、或る日家から出ていくことになります。残された夫、特に暴力も暴言もなく、自分ではやましいことのない夫は当惑します。わかりやすい表現は、「他に男ができて自分が捨てられたのだろう」という気持ちになります。自分が家族の一員として否定されたということを感じるわけです。家族のために、残業や休日労働をして、安定した仕事を維持しようと必死に働いていたのです。それなのに、どうして自分が否定されるのか、全く思い当たらず、茫然としてしまいます。この状態が離婚後20年続いている人を偶然みました。どうして自分が捨てられたのだろうということが、生きているテーマのようで、そんなことを考えてばかりいたために、人間関係に自信がなくなり、それまでの不具合も噴出して仕事をやめさせられたようです。自分が何に悩んでいるのかも、よくわからなくなっているようでした。
  自死のニュースもよく聞きます。焼身自殺をしようとした父親を助けようとして小学生の子どもも焼死したニュースは忘れられません。祖父母も孫に会えなくなるだけでなく、自分たちに対しての罵詈雑言が耳に残り、精神科医への通院が長期にわたるケースもあります。眠れないのです。
  妻の側も、夫が主たる原因ではなかったので、夫から去っても不安が解消するわけではありません。長期の入通院を繰り返している方、心理カウンセリングを長期間受けている方もいらっしゃいます。通常は、男性不振になっていて、仕事にも影響が出ています。仕事のスタッフは、少しずつ馴れていきます。まさに馴れによって安心感を獲得していくのですが、遅々として進まないことも多いようです。

<対策編>
  残念ながら、この対策でうまくいったという実例はありません。また、わかっていても、罵詈雑言などによるショックのため、対策を実行できるのか心もとないところもあります。ただ、原因がこれで正しいなら、こういう対策になるはずなので、ヒントとして使われれば幸いです。

1 自分たちの状態を俯瞰視すること
  何か困難があっても、自分が今どのような状態で悩んでいるか、外から大づかみに見ることができれば落ち着くことができます。当事者になってしまうと、何が起きているのかわからず、悪い方向へ考えてしまいがちです。
  また、身体、生命に危険がないということを自覚することによっても、落ち着きます。不安、危険は、生命身体の危険を感じた場合の反応です。そういう反応をする必要がないということを自覚することが有効です。自律神経訓練法だったり、自分の体を感じることによって、生命身体的には安心する方法もあります。深呼吸は、肺のガス交換ではなく、空気が体を流れ、胸やおなかが膨らむことを感じることによって、身体生命の危険がないことを自覚する安心方法です。
2 原因は自然の摂理であり、誰が悪いわけではないこと
  自分たちの状態を俯瞰視することの続きでもあります。妻が産後に情緒不安定になったり、逆上することは、出産に伴うホルモンバランスの変化で、不安を感じやすくなっていることが出発だということです。妻がもともと危険な人格であったのを隠していたわけではありません。また、夫の対応が人並み外れて劣悪だったことが主たる原因ではありません。
  それだけ、命をかけた妊娠出産は、一大事業であり、失神することもなく無事出産した母親は、崇高な存在なのです。その大変さに比べれば、自分が精神的に参ってしまうことなんて、大したことがないことかもしれません。「よくぞ大変な思いをして子どもを産んでくれた。」慰めかもしれませんが、こういう気持ちだけでも、男は持つべきだと思いませんか?多少の妻の発散くらい許すべきだ。もっと、リアルに述べれば、あきらめるべきなのです。「こんなはずではなかった」というのは、むしろ女性のセリフなのでしょう。
3 発散はやむを得ない
  逆上しても、罵詈雑言を浴びせられても、やむを得ないというところから出発することは必要です。しょうがないと思うことです。罵詈雑言の言葉に意味はないのです。おそらく本人は、次の瞬間忘れているでしょう。真に受けないで、静かに受け流すことが大切です。静かに、頷きながら聞いたところで、それを肯定した効力が法律上発生するわけではありません。
  これと反対に、言葉の字面に反応して怒ってしまうと、妻の不安に火を注ぐことになります。あきらめて静かに聞いていることで、妻は安心していくでしょう。
  押さえつけたり、怒りの言葉に議論でねじ伏せてしまうと、夫に怒りを発散させられないということで、さらに悲惨な結果が待っています。連れ去り離婚だけではなく、子どもに対する虐待です。乳幼児の上の子がいる場合が特に注意が必要です。
  自分が発散の対象になれば、子どもたちにそれ以上の迷惑をかけなくてよい、いわば自分が防波堤だと思えば、我慢もできるでしょう。
4 切り替えが大事
  言葉に意味はないし、腹に何もない、怒りの原因もはっきりしないのですから、言うだけ言えばすっきりすることも多いです。落語に出てくる江戸っ子みたいなものです。気が付いたら家族が深刻な顔をしている。「あれどうしたの?」ということが良くあります。もし、妻側が、話題を変えて、怒りが収まっているようなら、すかさず、その話題に乗りましょう。「今まで親の悪口を言われていて、さあ仲良く話しましょうなんてできるか。」とは言わないでください。何の意味もない言葉が音になって流れていただけですから、そう思いましょう。逆上、罵詈雑言、不合理な行動、すべてなかったことにする。双方がなかったことにすることが大事です。
  逆上することを許すということです。妻にとっては、自分の一番負の部分を尊重してもらったという記憶、安心感を獲得できるかもしれません。そのためにも、切り替えを意識的に行えれば達人だということになるでしょう。
5 孤立を避ける
  そうはいっても、このような不安感は、すぐに収まるものではありません。母乳を与えている以上は続くことが理にかなっています。おそらく母乳が終わったからといってきれいさっぱりなくなるのかというとそうでもないようです。特に不安感が固定されてしまった場合は、終わることがないかもしれません。どんなに達人の男性でも、果てしなく続き、終わりが見えないということになると、「自分は何のために生まれてきたのかしら」と思い悩む人も出てきます。これは、子孫を設けるための仕組みですから、子どもを育てることも人生の目的だと割り切れば、それも楽なのですが、そうもいかないことも多いでしょう。
  同じ苦しみを経験している男性に話を聞いてもらうことが有効だと思います。昔、「だめオヤジ」という古谷三敏氏の漫画がありましたが、救われた男性は多かったと思われます。気を付けなければならないことは、その愚痴が間違っても拡散されないことです。信頼できる第三者を選ぶべきでしょう。
6 自分を変えることで予防効果を高める
  逆上している妻の行っていることはいかにも不合理です。よく聞くとつじつまの合っていないことも多いのですが、当事者はなかなか冷静になれないので気が付きません。
  この場合、自分は正しくて妻が間違っているということ100回言っても何の意味もないことを悟りましょう。「正しさ」というものは、他人通しを規律するためのものです。道徳も同じです。家族の中では、正しさに依拠して行動するのではなく、相手の感情に依拠して行動することが正解なのです。特に人前で、自分の女房の不合理を通すことはなかなかできませんが、自分の子どものことを考えれば、ある程度は妻を立てるほうが賢明です。そもそも、産後直後は、妻を自分の大切な取引先などに連れていかないことがセオリーでしょう。
  「正しさは行動基準にならない」と並び称されるべきは、「悪くなくても謝る」ということです。悪いことをして、それが否定的評価が与えられるべきことを認め、改善を約束することというのは、夫婦の中では忘れてください。誤るとは、「私はあなたに敵意がありません。」ということの最上級の表現だと考えを改めるべきです。
  「妻の行動を肯定すること。」、「おいしいね」、「そのセンスいいね。」。「ありがとう」、そんな言葉で落ち着くことが多いようです。ところが、その時落ち着いても、忘れることも多いのです。数を稼ぎましょう。
  真面目な男性は、心にもないことを言うことや葉が浮くようなことを言うことができない人がいます。相手を尊重することを過大に考える人も多いのです。そうではないようです。言葉にすることが大事なようです。それで安心してくれるならば、可愛いと思うべきでしょう。自分を大事にするあまり、そういうことができないならば、単なるいいわけです。
  弱い部分、自信のない部分の評価を求めてきたら、肯定しましょう。料理の味の改善などよりも、平穏を選ぶという選択肢がつきつけられているのです。
7 双方の実家との交流
  双方の実家と交流があっても、理屈上産後クライシスは防げません。しかし、産後クライシスによって破たんする夫婦の多くが、実家ぐるみの付き合いがない場合が多いです。だから、簡単に妻は自分の実家に逃げて閉じこもることができるのです。妻の実家の両親から何か注意を受けたら、喜んで素直に従いましょう。妻の両親にも安心感を持ってもらうことによって、最悪の事態を防げることができるかもしれません。
  双方の墓参りも、できる限り行うべきです。
8 のぞましい支援者と中止するべき支援者
  先ず望ましい支援者です。妻側の支援者は、子育て経験のある同性が良いようです。その人が、それは大変だ、苦労しているとねぎらう言葉をかけてくれることが有効のようです。同じことを夫が言っても効果がないのですが、他人の経験者が言うといやされるようです。子育て支援など、行政は活発な支援展開をするべきです。
  決して「たいしたことがない」と励ますのではなく、「大変だけどみんなが通る道であり、私も何とかやってこれたのだから、あなたも大丈夫だ」という視点で励ましていただきたいと思います。苦しんでいる人に、苦しむ理由がないというようなことを言ってはいけません。苦しむのは正当、正常だと肯定することが必要だと思います。
  注意するべき支援者がいます。妥当な解決方法を一緒に考えるのではなく、マニュアルに従った回答をしたり、自分の金もうけに利用しようとする支援者です。このような支援者の言うことを真に受けてしまうと、一時的に苦しみから解放された気になっても、新たな苦しみが待ち受けています。見抜く方法は案外簡単なのですが、自分の不安で精一杯である場合は、なかなか見抜けないものです。
・ 子どもがいるにもかかわらず、そのことを切り捨てる形で、離婚をするべきだという支援者
・ 夫から意見を聞こうとしない、夫に対して改善を提案しようとしない支援者
・ あってもいないあなたの夫に対して、悪口を言い始める支援者
  このような支援者は、あなたの漠然として不安、危機意識を、夫がすべての原因であるように水を向けます。本来一時的な産後の不安やイライラが固定化され、男性不信や人間不信にあなたを導く結果を招こうとしています。問題の解決に妥当するかどうかにかかわらず、あなたを夫から保護という名前の書く理をすると点数が上がる職業の人たちがいます。また、離婚をさせることによって金儲けになる人たちもいます。あなたが言ってもいない夫からのあなたに対する暴力がいつのまにか作られています。あなたは違和感を覚えながら、記憶を必死に呼び起こし、暴力らしきことがあったと言う努力をさせられます。おかしいなと思ったら、自分のことですから、手を切る勇気が必要です。迷ったら、「子どもの健全な成長のためにどうしたらよいか」ということを一生懸命考えてください。その「支援者」は、あなたの子どもの将来を考えていますか?経済的問題、心理的問題いろいろなことが将来にとって重要になります。「そんなことより、お母さんが幸せでなければ子どもは不幸になるのではないですか。」という大雑把な考えでは子どもの健全な成長は見込まれません。本気で子どもの将来などを考えていない人のセリフですから覚えていてください。「DVがあったと言う方が、離婚に伴う慰謝料が高くなる。」というのは詐欺です。あなたは犯罪行為に加担して子どもを健全に育てられますか?こういうことを言う人は、自分の体験をあなたでかたき討ちをしようとしている人たちが多いです。慰謝料を必要以上に取るということは、不合理に人生の烙印を押される夫がいるということを自覚してください。そういうことを捨象した子どもが、罪もない子どもを虐める側に回ってしまうということに目を覚ましてください。
  他人の作ったマニュアルで、自分や夫、何よりも子どもたちの運命を決められないようにここは踏ん張りどころです。
9 社会に向けて
  産後クライシスは、誰にでも起こりうることです。女性の不安の解消は、夫の力だけでは十分ではないかもしれません。
  第一に、産後の女性の変化について、対人関係の視点から、脳科学、生理学、医学、心理学等が、必要な研究をして、必要な情報を提供するべきです。それぞれが、それぞれの分野に限定した研究をすることで、すでに解明されていることがわからず、無駄な心配、不安、家族分離が行われています。健全な子供たちの成長の視点で、ぜひ協力していただきたいと思います。
  第二に、当面、母親を本当の上で励まし、家族の危機を解消するために、保育士などの子育て支援のメンバーに、お母さんが簡単にアクセスできるようにしていただきたいと思います。ある程度経験の豊かな年齢の支援者が多く必要です。それほど人を集めることに困難はないと思われるのですがいかがでしょうか。
  第三に、家族の危機を修復する公的な機関が必要だと感じています。


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