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失敗を成功の母とする弁護人、付添人の役割PMG ( Post-Mistaking Growth ) [刑事事件]

実際によくあるのですが、
被疑者、被告人や、保護事件の少年と話していて
本人から、「逮捕されてむしろよかった」
という言葉を聞きます。

例えば、覚せい剤をやめようとして頑張っていても
どうしても、悪い仲間が寄ってきて誘われる。
誘われると決心が鈍る、断り切れない。

だから、覚せい剤をやめためには、
今は、逮捕されて、覚せい剤や使用者のいないところにいることが
自分にとっては幸いだ。

とか、

どうしても、自分は万引きを繰り返してしまう。
どうしてなのかわからなかった
でも、警察官や弁護士と話して、
落ち着いて考えてみて
自分の気持ちを圧迫しているものがある
ことががわかった。

こういう人たちに協力してもらい、
こういう方法で解決すればよいとわかったから
もう大丈夫だと思う。

逮捕されて、自己破産という制度があることがわかった、
生活保護という制度があることがわかった等

心理面、生活面、刑事政策面など
その人だけでは解決できない外部要因が重なって、
二者択一的な思考、
自分がこれをしたら誰にどんな迷惑をかけるか
自分がどういう立場になるかという
将来的なことを推測する思考が低下ないし停止して
犯罪を実行しているわけです。

もともと、素の状態で
犯罪を行う人はいないようです。
この犯罪に向かわせる外部要因を
「犯罪環境」と言います。

どんなに、反省を口にしても、
この犯罪環境から抜け出さなければ
結局、犯罪に向かってしまうわけです。

改善できない犯罪環境もある場合があるでしょうが、
その場合でも周辺的な犯罪環境を解消することによって
犯罪率は著しく低下するはずです。

失敗をしただけでは、成功にはつながりません。
失敗の原因を正しく分析し、
多角的に分析し、
原因を除去することによって、
その人の成長があるわけです。

逆に、その明確な失敗がなければ、
例えば、万引きを繰り返しても逮捕されないことが続くと、
取り返しのつかないところまで行ってしまっている
ということがあります。

そのためにも、
できるだけ、1度目の失敗は許されてほしいと思います。
もちろん、適切な働きかけを行い、
原因を分析し、対策を講じることのできる
支援者が必要です。
これが弁護人の役割だと思うのです。

気持ちが弱かった
流されやすい性格だった
今度は二度としない
というのが、だめな反省例です。

何の原因も分析されていませんし、
対策も立てようがありません。
どうやって気持ちを強くするのか、
腹筋を鍛えるのとわけが違います。

Post-Mistaking Growth とは、
心理学の用語で
Posttraumatic Growth
トラウマ後の成長
というものがあり、
そこからのパクリです。

対人関係学的労務管理のエッセンスとして
企業研修や、官公署の幹部研修の
最後のところでお話をしているテーマです。

出発は刑事弁護だったわけです。

これは人間の成長の基本です。

だから、夫婦関係、子育て、会社の人間関係にも
もちろん応用がきく話です。

その前提として、色々な不具合を
「失敗」というかどうかは別として
改善が必要なこと
という認識は必須になります。

不具合を隠そうとすることは
成長につながらないどころか
失敗が繰り返されていくということにつながります。

たくさんそういうケースは目にすることができますね。

【中学生の自殺予防】夏休み明け前後に親が言うべきことは、「嫌なことがあったらいつでも帰っておいで」だと思う。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

夏休み明けの中学生の自死が報道されている。
長期休暇明けの時期に中学生や高校生の自死が
あることがわかっていながら、
対策が浸透していない。
実際に、中学生の子どもを持つ親に、
学校からのアドバイスはない。

子どもたちは放置されている。

もし仮に、10人の自死があったとすると
10人が苦しんでいるだけでなく、
自死は思いとどまったが、
苦しくて仕方がない危険な状態にある人は
いったい何人いるのだろう。

自死を具体的に考えなくても
生きているのがつらい、
毎日が楽しくない
と考える中学生は
いったい何人いるのだろう。

このまま働きかけなければ
自死に至る中学生で
中学校は埋め尽くされているのではないだろうか。

大人は「些細なことで死を選ぶ」というかもしれないが、
中学生の残り人生を考えると
将来に絶望した場合の
生き地獄が延々に続くと思っているその年数に
大人以上の深刻さが理解できるだろう。

また、「夢」を持ち続けることが
いかに困難なのか
中学生の置かれている状況は、
大人の比ではない。

「中学生の自死(自殺)が短慮、浅はかに行われているという無知に強く抗議する 」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-05-13

さて、大人は、親は、
自分の子どもたちが死なないためにどうしたらよいだろうか。

私は、
「学校で嫌なことがあったら帰っておいで」
「何も聞かないから、いつでも帰っておいで」
ということなのだろうと思う。

これは、親としては
大変な勇気と理性がなければ言えないことだ。
大きな抵抗があって当たり前だ。

でも、
これは、最低限の命を守るという効果だけでなく、
子どもを強くして、
引きこもりにならず、
引きこもりになっても立ち直る力を与える
という効果がある。

先ず、子どもは、苦しみを親に相談できない。
親にだけは心配をかけたくないと思うからだ。

また、苦しみを打ち明けてしまって
「そんなことでくよくよするな。頑張れ!」
と、自己の感情を否定されるのが怖いのだ。

もし、子どもが、
適応障害やうつ病によるうつ状態ならば
この隠す傾向は強くなる。

親が、自分の子どもの自死の危険を感じるということは
子どもがわかりやすく病気になってもらわなければ
もともと絶望的に無理だ。

だから、親は、無差別攻撃のように
先ほどの言葉をかけるべきだ。
冗談めかしていっても良いだろう。
ただ、話をしているとき、あるいは直前
目は笑ってはいけない。

言いっぱなしがちょうどよい。
詳しく解説する必要もない。

自死を決行する人間は、
十分な思考力は失われている。
ここで停止ないし低下する思考力とは、
物事が複雑であることをありのままに理解する能力と
自分のなした行為の結果、将来的に起きることを
予測する能力などである。
また、それらの結果、自分が置かれている危険が
致命的なものであると考える傾向もある。

先ず、二者択一的になってしまう。
学校で味方がいないと
およそ自分には味方がいないと感じてしまう。

自分のために戦ってくれる味方がいないと
およそ自分には味方が一切いないと感じてしまう。

自分が安全か危険かという二者択一的になる。
自分の将来が明るいか、今の絶望が続くのか
絶望に終わりが来ることを想像できない。

折り合いを付けたり、
落としどころを考えたりすることもできなくなる。

危険を感じ続けて、修復の展望を持てなくなると
人間に限らず、動物は生きる活動をあきらめていく。

これが飛行機から投げ出されるとか、
飢えた猛獣の前に飛び出したとかすると
気絶するので、生きる活動をあきらめるということがわかりやすいが、

人間間の小さな攻撃が絶え間なく繰り返されると
絶望は緩やかに進行していく。

逃げる意識は、思考力を低下させ
やがて生きる活動を辞めていくことになる。

この時必要なことは
逃げ道を用意することだ。
自分の弱さ、不十分さを理由に
責められない、批判されない、笑われない
そういう人間関係が残されていることを
強く自覚してもらうことだ。

「自分には、
 いざという時に逃げるべき場所がある」
という気持ちが、
自分のさらされた危険性が
致命的ではないことを感じることができる。

そうすると、思考力が回復することを期待できる。
自分は、世界中の中で孤独ではないと感じることができる。
これは、苦しんでいるときはわからなくなる。
無理やり自覚してもらうことが大切だ。

思考力が回復すると、
自分の消極的味方の存在を自覚していやされ、
思考力が高まっていき、
戦う勇気や、戦いを回避する知恵が
生まれてくるかもしれない。

うつを隠す人たちにとって
何も聞かれず、何も意見をされず、
ただ、休息を受け入れてくれる人間関係は
本当にありがたい。

うつ病者が、うつを隠すことは良く行われるが、
笑顔を作ることは、
うつ病者にとって、とてもエネルギーが必要だ。
エネルギーを使い果たして
二、三日寝込むこともある。

先ず、疲れを取って、それからそれから
という気持ちでいてほしい。

夏休み、空き休み、冬休み、ゴールデンウィーク
あるいは月曜日の朝、
特別な日であるから、
目先の欠席を恐れずに、
理性を働かせ、歯を食いしばって
特別に寛容になろう。

衣食足りて礼節を知るの対人関係的補足 友人間のリンチの構造(ちょっとネガティブなのでその意味で閲覧注意) [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

中国の「菅子」が出典のようです。
意味は、

「一国の為政者たるものは、計画をたてて経済を豊かにしなければならぬ。豊かな国へは、どんなに遠くからでも 人民は集まってくるし、開発の進んだ国から逃げ出す人民はひとりもいない。その日暮らしにもことかく者に礼節 を説いたところでなんになろう。生活が豊かになれば、道徳意識は自然 と高まるものであり、衣食が十分であれ ば、自分の名誉や恥とかを重くみるようになる。」
ということらしいです。

紀元前600年頃の話ですから、
文明、生産技術と、生活状態が直結していたのでしょう。

なぜ、衣食が足りないと礼節を忘れるのでしょうか。
この場合の「衣食足りる」とは、この時代のことですから
寒さをしのぐ手段、飢えをしのぐ手段がある
ということになるでしょう。

寒さをしのげず、飢えたままであれば
人間だって動物ですから
生きようとするわけです。


飢えていたり、凍えていたりして
生存の危険が生じている場合は、
先ず、食料を口にしたい
生存の不安を解消したいという意識が高まります。

他の群れのやぎをこっそり奪っても食べたいと思うでしょう。
そして、このような慢性的な不安がある場合は、
他の群れのやぎを奪うことによって、
後でもめ事になるというような、

他人の気持ちを考えるという共鳴する能力や
将来的にまずいことが起きるかもしれないという推察力が
活動を停止ないし低下してしまいます。

だから、道徳とか、正義とか
目に見えないものが、心のストッパーにならないのです。
おそらく自分の家族の命を助けるために
他人の家族に不利益を与えるということが多かったと思われます。

この時期には権力者が存在していますから、
新都市の形成のために移住させられた形で
地縁も血縁もない群れが隣り合わせに存在した
可能性があります。

すると、仲間という意識はないですから
自分たちの生存競争のために
他の群れと敵対することはあったでしょう。
大変興味深いです。
家族や少し大きい小集団の中では
分け合って生活したとしても、
隣の群れとは、生存競争が激しかったりしたのでしょう。

だから、礼節を知らないというのは
飢えもあるのでしょうが、飢えそのものではなく
生命の危機に慢性的にさらされていることによって
交感神経の活性化が慢性的に持続していたことによる
脳の機能の停止ないし低下という側面を見逃してはいけない
のだと思います。

現代社会でも、礼節をわきまえず、
ヘイトスピーチを行ったり、
身近な人間をリンチで殺したり、
家族に暴力をふるうなどということが行われます。

曲がりなりにも、衣食はあるはずです。
どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。

対人関係学は、衣食が足りても、
交感神経の活性化が慢性的に持続している事情があるからだ
これが、現代社会においての
「衣食」なのだと考えます。

即ち、
このことわざを作った菅仲のころは、
群れの結束は強かったものと思われます。
群れの構成員どうしはかばい合い、補い合っていたと思います。
そうでなければ、群れ全体が消滅してしまうからです。
一人だけ食料を独占してしまうと
群れの他の構成員が死滅していき、
群れを失った者は、農業をすることもできません。
また、一つの群れに属するだけで、
複数の群れに属するということは滅多になかったはずです。

これに対して現代社会は、
家族を中心とする群れに所属するだけでなく、
学校や会社に所属していますし、
税金を払ったり選挙を行い、社会につながっています。
犯罪によって、実名が報道されたり、
ネットに自分の居場所を見つけたり、
ネットで傷ついたりしているわけです。
群れが複数存在しています。

群れの構成員相互の関係も
例えば、家族であっても、
あまり一緒にいる時間がないことが多いのではないでしょうか。

学校といっても他人の集まりということが多く、
好きや弱みを見せるといじめられたり、
就いていけなくなるということがあるのではないでしょうか。

職場といっても、人間として大事に扱われるのではなく、
会社の利益のために、人格を消すことを要求され、
恥ずかしさとか、辛さとか、そんなことは考慮されない
人間らしい結びつきも否定されてはいないでしょうか。

社会についても、
子どもたちは、中学の後半で、
自分の一生を悟ってしまう。
明るい展望を持つことを許されずに、
自分が将来的にみじめな生活を余儀なくされると
そんな気持ちになることも達が
かなりの数で存在するように感じてしまいます。

そのような子どもたちの唯一のよりどころは
同じような境遇の子どもたちです。
友達というような積極的プラスの付き合いではなく、
自分のそばにいる人間がいるという
ぎりぎり最低限の安心感のようです。

その子の弱いところを承認して助け合うわけではなく、
もともと承認されていないと感じる者同士が、
家庭でも、学校でも、職場でも
自分の存在自体を否定されていると感じている者たちにとって、
存在自体を承認する、一緒にいること自体を承認するという
最低限の「仲間」だった可能性があります。

16歳の少年が亡くなったケースでは
電話やメールに出なかったことが犯行の動機とされています。

これは、加害者たちにとっては死活問題だったのでしょう。
仲間すら、自分たちの存在を否定するという意識を持ってしまうと、
自己防衛的な意識が極めて強くなってしまいます。
危険をより大きなものととらえます。

そして、その対象者が、自分より弱い、自分たちは勝てる
という意識を持ってしまうと、
本来、社会や、家庭、学校との関係で持っている不安に対する
カウンター行動が、
弱い、勝てると思われる相手に向かってしまうわけです。

怒りの大部分は八つ当たりです。

回復できないはずの自分の存在意義の回復の行動ですから、
攻撃行動は、終わりが見つかりようがありません。

社会的存在に対する不安が慢性的に持続していて、
相手の心情を考えるような共鳴能力や
このまま続けると死んでしまうのではないか、
そうなったら取り返しのつかないことになってしまうという
近い将来を予測する推察力は
脳の機能が停止ないし低下しているために
発動することはありません。

凄惨な結果になる傾向になってしまいます。

だから、少年たちの加害も、
貧困が原因というよりも、
少年たちが置かれた、承認されない、否定されているような
社会構造にあると考えなければ再発防止にならないのではないでしょうか。

よるべき場所がない少年たちが吹き溜まりのように集まってしまうことは
社会の問題だと思います。
つまり、少年たちが、独力で改善することは極めて困難です。

それでも、社会は気楽なものです。
自分たちが、加害者を追い込んで、
交感神経の活性化が慢性的に持続される状況に落としておきながら、
全て自己責任ということで
加害者を処罰して終わりとしようとしているわけです。

これから、同種の事件は増えるでしょう。
むしろ、陰湿化、非人間化してくると思います。
自分が大切に扱われていないと思う人たちは
他人を大切にしようという気持ちになれないし、
どうすれば他人を大切にできるのかもわかりません。

それでも社会は、追い込まれた少年たちを放置して
即ち被害を放置して、
自分たちが追い込まれている社会からの不安、危機意識を
加害者に対する怒りにすり替えていくことでしょう。

自分のこととして原因を考え、対策を講じないで、
悪いやつを悪いと怒ればよいのですから
とても気楽なことだと思います。


足立区わいせつ容疑医師逮捕は、連れ去り虚偽DV(警察関与型)と構造が類似している可能性がある [刑事事件]

5月に、全身麻酔で手術をしたのちの女性患者に
わいせつな行為をしたとして、
足立区の病院の非常勤医師が警視庁に逮捕され
NHKを初めてとして実名報道がなされ、
病院の写真までテレビで流された。

虚偽DV事件で、子どもへの些細な懲戒を
重大事件のように扱い逮捕され、
性的虐待も取り調べると報道され、
職場まで撮影報道された事件を
ありありと思いだした報道だった。

舞台となった病院の見解はネットで見れる。

「警視庁による当院非常勤医師逮捕の不当性に抗議する」
http://yanagihara.kenwa.or.jp/statement.html

これによると、
女性の訴えは、術後35分の間に行われている。
従って、わいせつ行為もそれまでになされなければならない。

その部屋は4人部屋で、他に3人の患者がいた
看護師が頻繁に出入りする部屋だった。

女性患者は、翌日に、次回の予約を入れた。
予約通り二週間後に診察を受け、また予約を入れた。

病院も調査を行い、わいせつ行為は物理的に不可能である旨
調査記録、診療録等を警察に提示した。

2か月間そのようなやり取りを経て
所轄の千住署からは何の連絡も来なくなった。

そうしたところ、手術から3ヶ月を経て、
女性の供述に信ぴょう性があるということで、
突然逮捕に踏み切った。
それも千住署ではなく警視庁がである。

客観的に犯行を実行することが不可能であるにもかかわらず、
どうして、女性の供述の信ぴょう性が高いのだろうか。
腑に落ちない。

それにしても、事実関係に目をつぶって、
「被害」を主張する者の言い分にのっとって、
相手を逮捕してしまう。
そして実名を公表する
という手法は、この間何度も見ていることである。

報道機関は、内規があり、
警察の逮捕発表は、必ず報道することになっているそうだ。
警察は、報道をすることを予定して発表していることになる。

世論は、医師の立場を利用して患者という弱い立場の者に悪さした
というシチュエーションに飛びつき、
警察を支持するだろうという読みはあったと思う。

ところが、マスコミも、微妙に今回の報道は
ニュアンスを伝えてきていた。
続報をいち早く打ち、疑問があることを印象付けた。

これは、当該病院である柳原病院の
上述のコメントをいち早く公開したことによるもので
ファインプレーである。

これを読めば、今回の逮捕は不当であると感じざるを得ない。

問題はここからである。
警察を非難していても始まらない。
もっとも、逮捕状を出した、裁判官こそ注目されなければならないと思われる。

問題は、なぜ、警視庁(県警本部の東京版)ともあろうところが、
不必要な逮捕に踏み切ったのかというところにある。
しかも、逮捕の根拠は、「被害」を訴える
女性の言い分だけだという。

これは、先日アップして、数日間で何百人という方にお読みいただいた
「子どもの連れ去りDVが多発している。警察の違法、通達違反の民事介入」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-08-23
という記事に書かせていただいた事案と似ている。

妻の言い分だけで、夫のDVを認定し、
夫を警察署に連行して、暴力を振るわないという誓約書をかかせ、
妻や子どもを探さないと誓約させ、
妻の居場所を隠す。
そして、重要なことは法律や通達で、
このような警察官の支援措置は、
身体暴力があった場合に明確に限定されている
それにもかかわらず、これに反して介入している
という事案と似ている。

もしかすると、
今回の事案も、
「被害者に寄り添う」ということを旗印に、
法律の厳格な執行よりも、
「女性保護」を優先させたのではないかと
そのような危惧をしている。

この場合の女性保護は
女性を保護することではなく、
男性を制裁することである。

警察官と直接話をしたが、
「法的根拠がなくてやっているわけではない
 25年12月20日付の通達も
 変更されている可能性がある。」
というのである。

しかし、そもそも身体的暴力に限定するのは
法律で定められていることであり、
法改正はなされていない。

警察庁生活安全局に確認したが
25年通達も改められていないとのことだった。
(お忙しい中、調査確認の上のご回答いただきありがとうございました。)

要するに、日々の研修の中で、
通達が改正されたような錯覚を現場の警察官が
持ってしまっているということが重大な問題である。

通達を知らないで権力を行使していることもおそろしい。

一般市民の行動の範囲で、合法的に
女性の権利を啓発するのは何ら問題ないが、
自らが国家権力の行使という、強大な力で
一般市民の活動の自由を実質的に奪っていることに
恐れを抱かないということは、
基本となる警察官職務執行法も理解していない
といわざるを得ない。

そうは言っても、警察官になろうという方々は、
正義感にあふれ、人情味のある方々である。
そういう意味で、現場の警察官の方々は
とても親近感がある。

わが事務所は、警察官、自衛官、消防官
ご家族、ご遺族の方々は、初回相談無料としている。
体を張って、住民、国民の安全を守ろうとする心意気に賛同しているからだ。

だからこそ、
そのような警察官の正義感を操作するものの正体を明らかにして、
無茶な活動をさせることをやめていただきたいと強く思う。

おそらく一つの要因として統計があるのではないかとにらんでいる。

DV女性支援の類型別の件数を報告させられれば、
数字が上がらなければ、数字を作りたくなるのが人情である。
もっともそのような統計は、数字を増加させる狙いももちろんあるだろう。

もしかすると、そんな数字のために、
一人一人の平穏な暮らしが破壊されているかもしれないのだ。
善良に社会生活を送っている男性が、
あるときは、女性加害ということで逮捕されさらされて
職を失い、
妻子を失い、
不合理なしうち、孤立無援感、解決不能感等から
世捨て人のようになったり、自死をしたりと
その人の人間としての生を否定することになっているのだ。

数字のために、生身の人間の人生が
台無しにされているとしたら
とてもやりきれないことである。

本事件については、
裁判所が勾留決定しないことを切に願う。

会社のパワハラ防止規定がなぜ役に立たないか [労働事件]

大きな会社では、パワハラ防止規定とか防止基準とかが
定められています。

さて、このような規定や基準が作られて、
職場は快適になったでしょうか。

最近大企業の事例を目にすることがあり、
もしかすると、ほとんど役に立たないのではないかと
要らぬ心配をしているところです。

一つはパワハラの定義ですが、
厚生労働省の6類型を参考にして作られているようです。
1 身体的な攻撃(暴行・傷害)
2 精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)
3 人間関係からの切り離し
4 過大な要求
5 過小な要求
6 個の侵害(プライベート侵害)

厚生労働省の解説では、もっとわかりやすく
身体的な攻撃の中に、丸めたポスターで頭を叩く
等と言う具体例も例示されています。

しかし、この文言だけからすると
明らかに犯罪に該当するような行為しか
パワハラに該当しないように読めてしまいます。

実際にそのように運用されています。
脅迫・名誉棄損・侮辱等は犯罪ですから
わざわざ防止規定に掲げなくても
ほとんどの会社では懲戒処分の対象だと思います。

なまじ例示を入れることによって、
ハードルが高くなり、
パワハラが認定されにくくなっているようです。

なんといっても、
「暴言」は明らかにパワハラでしょう。
どうして「ひどい」暴言だけをパワハラにする
ような表現になっているか理解に苦しみます。

是が非でもパワハラを認定しないぞと
そういう心構えを見せられているような
感想さえ持ってしまいます。

いや、このようにハードルを高くすることには
実は理由があるのです。

それは、パワハラだからどうだというところです。

パワハラの改善ということを
あまり積極的に取り組まれていない。
パワハラを起こした場合は懲戒処分にする(ことがある)
という制裁のために概念になってしまっているのです。

このため、懲戒処分の要件として
悪質なものだけを
パワハラとしなければならない
という変な力が働いているのです。

パワハラ防止規定の目的を見ると笑ってしまいます。
従業員の能力発揮と職場の秩序が目的なんだそうです。

コンプライアンスではなく、
企業の利潤追求のためにパワハラ防止規定を設けるというのです。

従業員が安心して会社の生活を送る
従業員の人権なんて言うことは
目的ではないという会社がずいぶん多くあるようです。

これでは、パワハラはなくならないでしょう。
だって、
企業の利潤追求のために
許されるパワハラも出てきそうじゃないですか。

少なくともパワハラが行われた場合
懲戒処分だけを念頭におかず、
従業員相互の助け合いとか、安心感とか
そういうことを目的にして、
穏便な改善指導ということも
積極的に具体化するべきです。

そうでなければ、
相手を懲戒処分にしたいと思う人しか
パワハラの相談ができないという事態になりかねません。

これではパワハラ防止規定は
単なるアリバイ作りになってしまうのではないか、
本来刑事処分になるべきところを
社内で握りつぶす効果しかないんじゃないかと
邪推している次第です。

【解説】)他人事ではない。暴力がなくてもDV夫となり、妻子と引き離され、職がなくなる危険にさらされている夫たち。 [家事]

昨日の記事は、当事者の方々を中心にお読みいただいているようですが、
実は、今は円満に家庭生活を送っていると信じている
あなたが、将来のDV夫になる危険があるということなのです。

暴力をふるっていなくとも、
妻を支配するという気持ちがなくとも、
簡単にDV夫となるということを説明したいと思います。

妻が、夫に対して被害意識をもって、
警察や自治体に相談に行くと、
所によっては、簡単に
「それはDVです。」と断定されて、

妻子はシェルターにかくまわれて、
住民票は閲覧制限となり取れず、
実家に行けば警察を呼ばれて警察署に
「任意」同行を求められます。

やがて身に覚えのない暴力を原因として
裁判所から保護命令が出され、
家に近づくだけで逮捕されてしまい、
離婚調停が申し立てられ、
保護命令が出されているので慰謝料が高額となり、
妻子と一言も言葉を交わさないうちに
孤独の身になってしまいます。

さらに、身に覚えのない子どもに対する虐待で逮捕され、
広くテレビ報道され、住所がさらされ、
職場までテレビで写されてしまいます。
子どもに対する性的虐待の「疑い」等と報道され、
職を辞さなくてはならない状況になる可能性もあります。
そういう事件は実際に起きています。

妻が、夫を病的に怖がっていれば、
警察や自治体は、事の真偽を確かめないで
DV認定します。
夫の弁解は、「聞く耳持たない」ということがマニュアルですし、
妻の主張は、「疑わない」ということが「寄り添い」の
基本姿勢なのだそうです。

弁護士もこんな感じの人がまだ多く残っています。
「あなたの妻が弁護士に相談すると離婚を勧められるのは、理由のあることでした。」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-02-08

まだ、あなたは安心しているでしょう。
「妻が自分を病的に怖がる原因は自分にはない。」
と思っているからです。

私は、何十件と「DV」事件を扱ってきましたが、
支配を目的とした暴力があった事件はほとんどありません。
暴力がないからといって安心できないのです。

「いやいやうちは、妻が切れまくっていて
 こっちがびくびくしているよ。」
という方こそ要注意です。

妻が怒る理由は、
夫を恐れているからなのです。
夫が怖い、自分の身に危険が起きる
自分が家庭から追放される危険がある。
と思うと、
逃避する方よりも、むしろ
ヒステリーを起こし、危険を乗り切ろうと
無意識に行動する妻が多いようです。

それはそれで危険ですが。
虚偽DVの多くが、このような妻が切れやすいご家庭で起きています。

そうです。問題が絞り込まれてきました。
どうして妻は、夫を怖がるかということです。
そして、それは身体的暴力というよりも
妻としての立場を危うくする場合、
自分で思い通りの生活を送れない場合
ということになります。

具体的には、
① 精神的な問題
  妻に気が付かないうちに精神的問題が生じている場合が多いようです。
  産後うつが筆頭です。
  「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 
  産後に見られる逆上、人格の変貌について」 
  http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12
  統合失調症の事例もありました。
  単なるうつもあります。
  家事全般ができなくなります。
  掃除、片付けができなくなる。
  ちゃんとできないものだから、
  後ろめたさから、さらに危機感が募っていきます。

② 妻の落ち度
  金銭管理ができず、借金や滞納が生じる。
  不貞。
  その他。
  自分の落ち度をヒステリーを起こしてごまかすというか、
  相手を攻撃する行動に出る人は多いです。

③ 貧困
  夫がろくに家計を入れないという訴えがあります。
  よくよく聞くと、家賃や光熱費、学費は
  すべて引き落としになっており、
  食材も夫が買って帰るなんてことがあり、
  ほとんどがこづかいだとか。

  そもそも夫の給料が低く、
  妻が働かず、
  精一杯家計に入れているのに
  やりくりができない
  そういう場合も怒りは夫に向かうようです。

④ 夫を好きすぎる
  これは切ないのですが、
  夫を好きすぎて、
  自分が嫌われないだろうかというびくびくしている人が
  あらゆる夫のしぐさが
  だんだん自分を嫌っているのではないかという
  危機感を蓄積させていき、
  ある日壊れてしまうのです。

夫サイドからの考察なので、
妻側からは反論もあると思いますが、
わかりやすく事例をまとめると
こういうことです。

それでは、
夫には対処する方法がないのでしょうか。

これまでの対人関係学的な記事や
右上のリンクの対人関係学のページを参照していただければよいのですが、

第1には、一緒にいる時間を作ること
第2は、相手の弱点、失敗を責めない、笑わない、フォローする。
第3は、相手の行動を、法律、道徳、その他外部的基準で
    評価しようとしないで、
    どうしてそのような行動をするか、
    相手の心情を理解しようとする。
第4は、相手の状態を、相手の問題とせずに
    「自分たち」というチーム意識で
    チーム状態を改善するという観点で
    働きかけることだと思います。
第5は、相手が同じことを言っても
    何度も初めて聞くように相槌を打ち
    アドバイスしようという意識を少し抑えて、
    話を聞くという姿勢をとること。

あとは、離婚を勧めない専門家に相談する。
要するに、仲人を探すということですね。

グッドラック!

【緊急提起】子どもの連れ去り虚偽DVが多発している。警察の違法、通達違反の民事介入  [家事]

最近毎日がデジャヴのようで、
いくつかの事件が混乱することがあります。
私の事務所が、子どもを連れ去られたという夫の
駆け込み寺みたいになっているからです。

しかも、そのパターンが共通しているのです。

共通項の一つとして、
警察が、妻側を支援して、
妻と子どもを夫から引き離し、
夫に誓約書を書けなどと圧力をかけ、
妻と子どもの居所を隠してしまう
ということを行っています。

そして、夫側に妻に対する暴力がない
という特徴があります。

ところが、
DV法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)
は、警察が介入するのは
「配偶者又は配偶者であった者からの身体に対する暴力」
に限られています。(8条の2、6条1項)

平成25年12月20日付の警察庁生活安全局長等の通達によれば、
犯罪に該当しない行為は警察が実効ある措置をとることが困難であることと
身体に対する暴力の限定を外してしまうと
警察による配偶者間の問題に対する過度の関与となり、
その職の範囲を超えるおそれがあると考えられるため

だとしています。

ところが、私がかかわった事件においても
複数の県の警察において、
身体的暴力がない事案においても、
被害を自ら防止するための措置の教示(規則1条1号)
住所等を知られないようにするための措置(規則1条2号)
被害防止交渉を円滑に行うための措置(規則1条3号)
が実施されています。

暴力をふるってもいない夫に対して、
暴力をしないという誓約書を
警察署の取調室において書くようにいって、
書かないと帰さないと言っているようです。

夫は、書かないと勾留すると言われたと言っています。
私は直接警察官に質しましたが、
その点は否定していました。

しかし、警察と無縁の一般市民が
勾留等と言う言葉を知っているでしょうか。
甚だ疑問があります。

一般市民は、警察が自分を取り囲んで
妻の居所を探したり面会したりしてはいけない
と言われた場合、
委縮してしまい、それ以上の気力を失い、
自分は暴力夫と認定されたと
落胆してしまうものです。

極めて精神的侵襲が多い行為です。

これらの事案に、本当に夫の暴力はないの?
と疑問に思う人もいらっしゃると思いますが、
ほかならぬ、当の警察が、暴力の訴えはなかったと認める事案、
後に、他の資料から妻は暴力を訴えてはいないと明言している事案、
状況から見て、暴力をふるっていたのは妻だという事案
ですから、暴力がなかったか
暴力があったことを疑えない事案であるのです。

明確な法律違反、通達違反が行われているわけです。

では、なぜ、このような法に基づかない権力の行使が
一般家庭に入ってくるのでしょうか。

警察側の事情としては、
不当なレクチャーを繰り返し聞かされているところに
第一の事情があります。

即ち、DVというのは、暴力に限らない、
DVの被害はこれほど人を荒廃させる
女性の人権を考えなければならない
ということが、
繰り返し、長時間の研修で拘束され叩き込まれるのです。

それはそれで間違ってはいないとしても、
だんだんと、法律よりも、通達よりも
女性保護を優先させるべきだという錯覚が刷り込まれていきます。

通達の徹底はほとんどされていません。
通達の徹底がされていないということは
法律自体を知らない警察官が
生活安全課を拝命しているわけです。

法律や通達に反した
不当な民事介入は起こるべくして起きているわけです。

これは国会で是正しなければ是正されません。
ところが、この問題に気が付いているのは与党ばかりで
野党はむしろ、この事態を是認しているところがあるように見受けられます。
法律のゆるみは憲法九条ではなく
こういうところから慢性化していくのに、
危機感がまるでありません。

もう一つこの事態を招く理由があります。
女性の被害援助の訴えがとても強いということです。

これも共通項です。
やっぱり被害があるのではないかということですが、
違います。

専門医が
統合失調症の疑いや
境界性人格障害の疑いがあるという
意見がある事案が相次いでいるのです。

極めて異常な行動をしていて
ご近所もよく知っているのですが、
肝心の警察や弁護士はそれを知りません。

DVを長年受け続けた結果
精神的に不安定になっていると
解釈しているのです。

これではどうしようもありません。
せめて、夫から事情を聞くということをすればよいのですが、
DV夫の話は聞く耳持たない
というのがマニュアルのようです。

かくして、家族は国家権力によって違法に分断されていきます。
就労能力がない母親は、子どもを虜にして、
学校にも通わせないことがあります。
子どもの貧困が権力によって作出されてしまっているのです。

子どもは、先生や友達から分断されます。
分断されれば唯一の身内である母親にしがみつきます。
その結果、いじめにあったり、拒食過食を繰り返し
リストカットをして引きこもり
精神病院の入院、退院を繰り返す
という事例も多くあります。

子どもの未来よりも、
母親の被害妄想を優先する危険のある
DV法の運用を早急に見直すべきです。

現状では、稲田朋美先生にお願いするしかないのでしょうか。

試合直後の選手インタビューの発言に意味はない理由と、批判も利用ももっと無意味であること [事務所生活]

今年のリオオリンピックは、
これまでのオリンピックと違って、良く見たような気がします。
しばらく前から愛国中年を自称しているおかげで、
心ゆくまで日の丸君が代を堪能しました。

ところで、
特に敗者のインタビューの発言を批判する論調があります。

第1に、これは、仲間意識が強くなりすぎて
求める事項の自分勝手度と強さが大きくなった結果です。

第2に、世界レベルのスポーツ選手の
脳活動の仕組みを理解していないことが原因です。

第1の仲間意識が強すぎる弊害というのは
つい先日SNSのいいねが攻撃性を高めるとかいう記事で書きました。

自国民を応援する理由は、
自国民だからというよりも、
感情表現に共鳴しやすいということがあります。

もちろん前提として、
映像などの情報を一番多く見てますから、
少しずつ身内の意識を持つようになります。

ジャイアンツファンが多い理由ですね。

福原愛選手なんぞ20年以上前から
映像で拝見していますから
とても強い身内意識を持ってしまいます。

それと同時に
喜びの表現、悲しみの表現が
国によって少しずつ違い、
なじみのある表現の方が、
理解しやすいので共鳴しやすい
という理由もあると思います。

そうするといつしか、
自分の身内という意識が強くなり、
「こうあってほしい」とか
「こうあるべきだ」と
勝手に思うようになるわけです。

無遠慮に不特定多数に向かって発言したりするわけです。
まあ、私くらいの者がつぶやいている分には罪もないでしょうが、
影響力がある人がそれをやることはいかがなものかと思います。

これは、第2のスポーツ選手の脳の活動と関係があるわけです。

筋肉を動かしやすくする工夫として
動物全般に交感神経の活性化が起きます。
これは、通常の動物ですと
主として、逃げるということに
行動が特化しますので、
余計なことを考えないでひたすら逃げる活動となります。

猛獣の捕食はひたすら攻撃です。

これは、ルールのあるスポーツでは通用しません。

ただ、力を出せばよいという競技はないからです。

駆け引きだったり、相手の技を予想したりということもありますが、
その種目に合わせて筋肉の動きや視線、足の運び等
興奮を制御して、合理的な力の使い方となるよう操作しなければなりません。

単純な興奮状態ではないのです。

もっとも、極限まで筋肉を動かすのですから
相当の、それこそ極限的な興奮状態にあるのでしょう。
それと同時に、行動制御力も同じように極限的に使う
ということになるでしょう。

そのために、毎日毎日切磋琢磨を繰り返し、
体で、その感覚をつかんでいく
つまり、脳の矛盾する活動を体で覚えていく
ということになります。
これは、おそらく、動物の中でも
人間が突出して行い得る脳の活動だと思います。

左上のリンク先の対人関係学のページを参照していただきたいのですが、
人間は、危険に近づいて利益を得る宿命を持った
動物種であることから
このような宿命を負っているわけです。

だから毎晩晩酌して高いびきで寝ている私とは
全く異なります。
興奮のまま言いたいことを言って、
相手を怒らせても既にスリープモードでいられる
うまれたままの、人間だか何だかわからない
生活を送っているのではないのです。

そうすると、試合直後の脳の活動は
私のような凡人は理解できない状態なのでしょう。
直ちに興奮が収まることも、抑制が鎮まることも
ありえないことです。

要するに、そういう状態の発言に
言葉が文字通りの意味を持っていない
いるはずがないということになります。


勝った選手は、嬉しいということ
負けた選手は、悲しいだったり、悔しいだったり
試合直後は、それだけだと思って、
そっとしておくべきでしょう。

安心できる相手である家族の元に向かいたいということは
自分の異常に高度な脳活動を鎮めるために
有効ですから、よく理解できます。

吉田選手の試合直後の発言や所作を
あれこれ論評する人がいるようですが、
全くナンセンスな話です。

吉田選手の場合は、
パニックのような状態だったと思います。

その真意はわかりませんが、
ちょっと考えれば当たり前のことです。
15年間も負けなしですから。
負けたことを理解しえない、受け容れられない
ということは、当たり前のことです。

これは、凡人には到底理解ができません。
15年という重みは気が遠くなります。
その日常が絶たれたということですから、
どうしていいかわからなくなるでしょう。

あのパニックの状況に、
どれだけ偉業を成し遂げたか、
どれだけ、偉大な脳の活動を行っていたか
推量ってみることも難しい。

彼女の偉業は
凡人には星空を眺めるようなものだと
私は思います。

おこがましいことですが、
おなじ日本人として誇りに思います。

大きなテーブルのある部屋 離婚の子どもに与える影響と面会交流の意義を小説仕立てで説明してみた [家事]

その日、由果の母親は珍しく早く帰ってきた。定時前に仕事を切り上げたらしい。玄関に入るなり、リビングの固定電話に直行して電話をかけ始めた。
リビングにいた由果をちらりと見て、相手は弁護士で、ホームページを見て「この人なら」という人を見つけたということを早口で告げた。携帯電話からかけないで、わざわざ家に帰って電話をしているところからすると、由果を電話に出したいということらしい。話をいていくにつれて、母親の声のトーンが高くなっていった。どうやらお眼鏡にかなった人物だったようだ。
 由果の母親が、ついには弁護士にまで電話をかけている理由は、由果が中一の冬ころから学校に行かなくなり、そのまま中二の春を迎えてしまったからだ。これまでも、学校関係や行政関係の相談所に相談をしつくした。しかし、全く成果が得られなかった。母親が相手と口論になってしまった相談機関もあった。思い余って、あらゆるつてで調べ尽くして、手あたり次第電話をかけまくって、今日の弁護士の電話番号にたどり着いたようだった。
 案の定、母親は由果に電話に出るように手招きをした。
「これまでの人と全く違うよ、話のわかる人だから出なさい。」何度もそうやって呼ぶのだが、由果は無表情に首を振るばかりだった。そんなやり取りがしばらく続き、ようやくのことで母親はあきらめて、弁護士に丁重に詫びを入れ、何やら話をして電話を切った。
「なんで電話に出ないのよ。先生がせっかく時間を作ってくださったのに。」
「弁護士と話すことなんてないじゃん。」
「ああそうか、弁護士だと思うと話しにくいか。でもね、今度の先生は、今までの人と全然違うことを言うのよ。あなたが、完璧にやらないとだめだと思っているんじゃないかって。みんな60やればいいやと思って55しかできなくても平気でいるのに、あなたのような子は、90やらなきゃいけないと考えて95をやり抜こうとしてしまう。だから、足がすくんでしまうんだって。」
 由果は、はじめ何を言われても反発をするつもりで、こぶしを握り締めて聞いていたが、思い当たるところがあるように感じて、自分のこぶしをみつめていた。
「失敗できないって気持ちで、自分を追い込んでいる子どもたちって、今多いんですって。」
「お母さんは、先生とお話ししてよかったな。なんか、少し楽になった気もする。由果もお話すればよかったのに。でもね、由果がお話ししたいときに電話してもよいっておっしゃってくれたわよ。」
「弁護士さんだから、お金がかかるでしょう。」
「なんかね、これは弁護士の業務ではないからいらないって。自分の依頼者の子どもたちに引きこもりの子が多いので、研究しているんだって。もちろん、なんかお礼はするつもりだけど、由果はそんなこと考えなくても大丈夫よ。」
 母親は、弁護士の名前と電話番号を書いたメモを由果に渡した。由果はメモを見るや吹き出した。
「なに、これ。大仏弁護士って、仏教の人?」
「いやあね、おさらぎって読むのよ。大仏次郎っていう作家もいるのよ。でも、あなた久しぶりに笑ったわねえ。」
 その日はそれで終わった。後で考えると、大仏から母親に対して、あまりしつこいのは逆効果だからあっさり引いてみた方が良いとアドバイスがあったようだ。

由果は、次の日の昼ころに大仏に電話をしてみた。母親の話に興味をもったということもある。でも、どうやら母親の味方らしい弁護士に、本当は自分にとって母親こそが重荷になっているんだということを言って、鼻を明かしたいという意地悪な気持ちがどこかにあった。
由果が4歳の時に両親は離婚していた。離婚後、特に何かを言われたわけではないけれど、由果はいつも母親の顔を見ながら頑張り続けていた。ピアノのコンクールでも入賞の常連だった。学校の成績も常にトップクラスで、家庭訪問などで先生が良い子ですということが誇らしかった。でも、小学校5,6年生ころから、どんなに頑張っても、それまでのようによい成績を維持することができなくなった。それほど勉強しているようには思われない子どもたちに追い抜かれていくような焦りが強くなっていた。それと母親とどんな関係にあるのかはわからないが、苦しい気持ちを感じているときに、いつも母親の顔が出てきた。そんなときに、ある日、クラスの中で友達同士でグループができていて、自分だけ特定のグループに入っていないことに、突然気が付いた。そのことに気が付いてどんどん不安になっていった。
そんな時、吹奏楽部の部活動の時に、顧問から他の部員の前で強烈な嫌味を言われた。顧問は、由果に発奮させようとしたのかもしれないが、自分では限界まで頑張っているつもりだったので、どうしてよいかわからなくなった。次の日なんとなく学校に行きたくなくて、仮病でずる休みをした。次の日も病み上がりということで休んだ。そうしてそのまま、学校にも行かなくなった。
由果には5歳上の姉がいた。姉は、父親の悪口を言う時だけ母と気が合ったようだが、それ以外はその姉も母親も嫌っていた。姉は、高校を卒業すると同時に、就職して、アパートを借りて家を出ていた。

由果は、携帯電話からではなく、家の固定電話から大仏弁護士に電話をした。
電話口には、大仏が直接出たので、少し驚いた。事務員は昼休み中だというのだ。弁護士だというのに、中学生の自分にも敬語を使って話すので、意気込みがしぼんでしまった。いつしか、素直な自分が相談をしていた。
大仏は少し早口だが、一生懸命であることが十分伝わってきた。
由果は、素直に、自分が今挫折をしていること、なぜか苦しい時に母親の顔が浮かんでくるということを話していた。素直に話すことが、自分に真剣に向き合う人に対する礼儀だということを強く意識していた。
大仏は、鋭く切り込んできた。
「うん。あなた、由果さんは、お母さんが望むことは何かということを考えて、頑張っていらしたんでしょ。子ども心に、お母さんが寂しそうと思って、自分が頑張らなきゃと思っていらしたんでしょ。自分が楽しくてピアノを頑張っていたわけではないし、自分が勉強したくて勉強をしていたわけでもなかったのかもしれませんね。お母さんはどう思うだろうということが、ずうっと頭を支配していたのかもしれないと思います。」
 由果は、聞きながら、少し苦しくなった。
「成績が良くたって、ピアノがうまく弾けなかったって、そのままの今のあなたがゼロポイントなんですよ。大事なことは、そこから積み上げていくことだと思いますよ。今日0点なら明日10点に到達すれば上出来でしょう。100点じゃないからだめなんだではなくて、あなたは、あなただから無条件に大事にされるべきだと思います。」
 よくわからないところもあったが、大仏の一生懸命さが届いていた。
「それにしても、よく自分がなくなってしまうって気が付きましたね。すごいと思いますよ。どうやってきがついたのでしょうかね。ほかの子どもたちにも教えてあげたいです。」
 気が付かないうちに、そんなことを言っていたようだった。
 学校へ行けとは言われなかった。なんかそれがおかしかった。
「行くにしても、真面目に全部出ようとしないほうが良いんじゃないでしょうか。途中でギブアップして図書館に行って暇をつぶすっていうのもありだと思いますね。」
「それじゃあ、何にも意味がないんじゃないでしょうか。」
「そんなことないと思います。そこがあなたのアドバンテージなのです。今、全く学校に行っていない。早退とか、遅刻以前の段階です。ここが0ポイントです。だから、学校に入るだけでポイントゲットということになるのじゃないでしょうか。0より、だいぶ進んだことになると思います。」
「先生や同級生からなんて言われるか。」
「そうそう、なれるうちは緊張するかもしれません。でも、由果さんがさっきおっしゃっていたエリさんでしたっけ?彼女におはようというだけでもよいのじゃないでしょうか。」
 エリは、学校を休むようになってからも、時々電話をくれていた。出られないときもあったけれど、電話に出られる時は、さりげなくクラスの出来事を話してくれたりしていた。大仏と話すまでは、自分でも、エリの優しさに気が付かなかった。大仏の目を通して物事を見ると、世界に色が付いたような気がした。
「先生、また電話してもよいですか。」
「いいですよ。ただ、仕事中や出張中は出られません。それだけ予めご承知おきください。」
「今度いつ電話すればよろしいでしょうか。」
「あなたが電話したいときでしょうね。」
 由果は、電話を切った後、礼を言うのを忘れていたことに気が付いた。もう一度電話をしたが、話し中だった。

 大仏と話をした後も、学校には行けたわけではない。それでも由果の生活は少し変わった。
 大仏が熱心に勧めるので、部屋の片づけをしてみた。空間が広がった分だけ気持ちも広がって、部屋が少し明るくなった。ずうっと探していた本が見つかったので、読んでみた。少しずつのめり込んで読むことができた。日の光を浴びることを意識し始めたら、夜に眠れるようになった。眠れないときもあるけれど気にしなくなった。
 月刊の学習雑誌は、レベルが低いということで、馬鹿にして読んでいなかった。片づけをして、整理してみたら、すべてそろっていた。ちょっとやってみようと思った。大仏の言うように、難しいレベルは初めから手を出さないで、簡単なレベルを教科書を見ながらやってみたら、思ったより理解できた。答えを間違っても、なぜ間違いなのか簡単に理解ができた。どうやら、大仏が言う通り、最初から90を目指してしまっても、無理な話だということらしい。
 それでも、学校に行く気にはならなかった。由果は、その原因は、どうやら父にあるのではないかと考えていた。父が悪いというわけではないと思うが、自分が一歩を踏み出せないのは、父親と関係しているのではないかと考えるようになった。大仏に相談したかったのだが、なんとなく電話をすることはできなかった。

 土曜日、由果は、家の近くの図書館に行ってみた。大きなガラス張りの壁から通りの景色を見ていた。上から見るケヤキ並木は、緑の命が遠く果てまで続いていた。
 4歳の時にあったのが最後なので、父親の記憶はそれほど多くない。離婚した後に母と姉が父親の悪口を言う時にも、あまり話の輪に加わることがなかった。母と姉の話によると、父親は人を支配したがる人だということだった。何か些細なことでも、自分の思い通りに行かないと手厳しく叱っていたようだ。いつも縮こまっていなければならず、呼吸さえ控えめにして暮らさなければならなかったと言っていた。
「由果も怖かったわよね。」
と聞かれることがあった。よくわからないという顔をするのが怖かったので、子どもながらに、
「由果も怖かったよ。」
と相槌を打っていた。
それが、今、心の中にわだかまりとなって静かに降り積もっているような感じがした。もしかすると、母を守ろうとしていたのかもしれない。父を悪く言うことが母を守ることなら、母を守ることは父を裏切ることだったのか。考えは堂々巡りになった。
 ケヤキ並木の終点を探しているうちに、唐突に父に会ってみたくなった。別れてから10年が経っている。母親に聞くこともできないだろう。一度だけ、養育費が滞ったということで、調べてみたら、仕事をやめていたということが聞こえてきたことがある。最近では話題にも上らなった。父に会えば、何かが変わる予感があった。でもどうやって父に会えばよいのか。そう思ったとき、大仏のことを思い出した。
 大仏に電話をしてみた。確か土曜日は事務所が休みで、その上自分の携帯電話から電話しても大仏はわからないだろうと思った。どうせ出ないだろうという気持ちが思い切って電話をかけるきっかけとなった。
 しかし、大仏は電話に出た。
「ああ、由果さんですか。いやあ、土曜日にも事務所に出るもんですね。由果さんから電話をいただくなんて、今日は良い日だ。」
「あの、父親に会ってみたいんです。」
 由果はそう切り出した。
「そりゃそうでしょうね。いいことだと思いますが、そうですね。お母さんに黙ってというわけにはいかないでしょうね。ちょっと待ってくださいね。ノートだしますからね。ああ、村木由果さんでしたね。はいはい。お母さんは知子さん。そうですね。携帯の番号もメモされていますね。じゃあ、あなた、お父さんを訴えるということで依頼があったことにすると。」
「いえ、父を訴えるという気持ちはありません。」
「ああ、すいません。これはちょっと内輪話でした。」
「ところで、父の住所を探すことができますか?」
「ええ、ええ、そのために、一応訴えるという依頼をいただく必要があるわけです。ええ、気にしなくてよいです。それじゃあ、こちらの携帯に連絡入れますね。再来週かな?」
 由果は、大仏といろいろ話したかったが、土曜日に仕事をしているところからは、かなり忙しいということなんだと思って、我慢することとした。
 
 父の住んでいるアパートは、地下鉄の駅の近くだった。大仏が、父親に連絡を取って、この日に由果が訪問するので家にいるように言っておいてくれた。どうやら大仏は、母親の了解まで取ってくれたようだった。母親の態度でなんとなくそれがわかった。心配そうな母親にわざと笑顔を向けて安心させる由果の癖は直っていない。でも、本当は会わせたくないのだろうに、我慢して何も言わない母親は珍しかった。そんな母親に対する感謝の気持ちの笑顔でもあった。
 アパートは、住宅街の奥にあった。道路には面してなくて、玄関に向かうためには、駐車場を通っていかなければならなかった。それほど古い建物でもなく、小ざっぱりとした、感じの良い二階建てのアパートだった。父の部屋は、一階の一番手前の部屋だった。普段は表札をかけていないのだろう。真新しい紙に手書きした表札がかかっていた。
 チャイムを鳴らすと、父はすぐに出てきた。駐車場を通る様子が目に入っていたらしい。ドアを開けたとたんに部屋の隅々まで見渡せる狭いアパートだった。キッチン兼リビングの部屋ともう一つ寝室があるのだろう。部屋は、片付いているというよりも、散らかしようがないほど何も家具がなかった。
 ただ一つ、狭い部屋に不釣り合いのテーブルが一台、部屋を独り占めしているようだった。由果は、そのテーブルから目を話せなくなった。どこか懐かしい感じがするテーブルで、記憶の中にそれは確かに存在していた。
「あんなにちいちゃかった由果が一人で尋ねてきてくれただなんてなあ。」
「うん。」
「そうか、このテーブル覚えているか?」
「うーん。はっきり覚えていないけど、とっても懐かしい感じがする。」
「このテーブルで、由果もお姉ちゃんも大きくなったんだよ。」
「じゃあ、一緒に住んでた時のテーブルなのね。」
「あっ、ごめんごめん。オレンジジュースを買っておいたからのみなさい。」
 由果は、苦笑した。父親に取って由果は、4歳のままだったのだろう。あのころは、どこに行ってもオレンジジュースを飲んでいた。
「このテーブルは、由果にとってどんな思い出なのだろう。嫌な記憶なのか違うのか。」
「懐かしい思い出だよ。」すぐに返事をした。
「そう、何も心配事がないっていう感じ。パパとママが喧嘩していても、それでも心配にはならなかった。」
「ははは、よくけんかしていたからね。パパの思い出は、怖いイメージかい?」
「それが、よくわからないの。ママや姉さんは、怖いとか厳しいとか言っていたけれど、本当のところを言うと、怖いパパという記憶がないの。その理由を知りたくて今日来たのかもしれないの。」
「まあ、あの頃は、仕事ばかりで、ろくに家にもいなかったから、あまり記憶がなくてもしかたがないかもしれないな。」
「でもね、記憶の中で、笑っている男の人がいるの。どうしても、ママや姉さんの話とは一致しないの。でも今日ここに着てはっきりわかったわ。やっぱりその男の人はパパで良いんだって。」
「そりゃあ、由果はまだ4歳だったから、さすがに厳しくすることはなかったよ。姉さんは10歳になっていたから、だらしなくしていたら怒ったよ。暴力だけは振るわないようにしていたんだけど、厳しかったのかなあ。でも、今まで、そんなふうに考えたことなかったなあ。自分は悪くないって、悪くないはずなのにどうしてこうなんだろうって、そればっかり考えていたなあ。」
由果は、どきりとして、オレンジジュースを飲んだ。大仏と話す前の由果は同じことを考えていたからだ。由果は、自分は悪くないはずだと母親に言っていたのだということに気が付いた。一人暮らしの父は誰に言っていたのだろう。
「由果ねえ、冬から引きこもっているんだ。学校にも行っていない。」
「そうなんだってなあ。大仏っていう弁護士さんから聞いたよ。でも、パパがどうにかするってことはできないと思ったんだ。それにこんなみじめな姿を見せることは余計に悪くしちゃうんじゃないかって言ったんだよ。私にどうしろというのか聞いたんだ。」
「大仏先生なんて言っていた。」
「大仏先生は、パパはパパのままでいいんだっていうんだ。そのままのあなたが生きているということで、それだけで役に立つんだって言ってくれたんだ。本当かなと思ったけど、由果に会えると思ったら、会う約束をしてしまっていたんだ。」
 本当にそうだと由果は思った。パパがいるだけで、パパと話ができるだけでずいぶん違う。
「なあ、大仏先生が言っていたけど、0ポイントということを由果に教えてもらうといいってことなんだけど、わかるか?」
「わたしもよくわからないんだけど、人間は成長する動物なんだって。だけど、あまり頑張りすぎちゃって、実力以上のことをやっていると、それ以上成長することができなくなるでしょう。だから、余裕をもって生きていけなくてはいけないんだって。今よりも良くなれば成長でしょう。だから、今が一番悪いなら、少しの成長でもポイントゲットになるでしょう。だから、今が悪くても、そこから成長するかどうかが人間の価値なんじゃないかな。」
「なるほど。うーん。なるほどとしか言えないけれど。」
「由果はねえ、成長したよ。」
「ほう。」
「前は、部屋から出なかったし、部屋は汚いままだった。夜なのか昼なのかわからなかった。でも、部屋の片づけからはじめて、日に当たるようになったら、夜に眠るようになったよ。少しずつ勉強もしているんだよ。」
 父はしばらく考えていたが、ふっと表情の力が抜けた。
「ああ、そういうことか。ゼロポイントか。」
「でもね。どうしても学校に行くことができなかったの。よくわからないのだけれど、学校に行くためには、どうしてもパパに会わなければだめだと思ったの。」
「会ってみてどうなんだい。」
「学校行けると思う。私には、パパがいるから。」
「頼りにならないパパだぞ。」
「うーん。なんか違う。パパはやっぱりいればいいんだと思う。ねえ、また会いに着ていい?」
「もちろんだよ。そうだな、でも、今度来るときは夏休みになってからが良いな。ママにありがとうって言っておいてくれるか。今日、来るのを許してくれてありがとうだし、こんな良い子に育ててくれてありがとうだし。」
「私って良い子なの。」
「どう考えたって良い子だろう。優しくて、良く考える良い子だよ。」
「そっか、私は良い子か。」
「今日は本当にありがとう。本当にありがとうな。」
 気が付けば、ずいぶん時間がたっていた。玄関を出て駐車場の前から父の部屋を見てみた。父はテーブルの前に座っている後ろ姿だった。泣いているように感じた。
「一緒に頑張ろう。」
 由果が声に出してつぶやいた時、同じ言葉を父親も言ったに感じた。

【草稿】成果主義賃金の労務管理の敗北を認めよう。なぜ、効果が上がらなかったのか。 [労働事件]

日本経済の評価は詳細がわかりませんが、
成果主義賃金で生産が上がったという話は
あまり聞きませんね。

お世辞のないところで言えば、
むしろ、悪くなっているのではないでしょうか。
高度経済成長は、年功賃金、終身雇用制の下で起きていましたから。

成果主義賃金は、
自分の頑張りに応じて収入が増えるということから
働くモチベーションを高める
という触れ込みで導入されていきました。

もしその理論、あるいは建前が正しいなら
もっと経済は成長しているはずではないでしょうか。

少なくとも、現行の成果主義賃金は
欠陥があったわけです。
そこを検討しようと思います。

欠陥の1
「成果」が主観的だった
成果の量が客観的にわかるようなものであれば、
成果を上げて、機械的に評価されるのであれば、
頑張れば収入が上がるという気持ちに直結していたのでしょう。

現実の「成果」は上司の主観でした。
大体において仕事の成果は抽象的です。
また、チームプレイですから、
誰の成果ということがわかりにくい。

結局上司の判断で
成果評価が割り振られてしまった。
上司の評価が高ければ収入が上がるのであれば
労働者の考えは変わります。

「会社のためになることよりも
 上司の評価が上がることをしよう」
当たり前ですね。

その上司は、自分の上司、
その上司は、さらに上の上司の
御機嫌伺いばかりを行い、
結局専務取締役あたりの個人的な感情が満足させられて
会社は左前になっていくわけです。

これには副産物があります。
上司にへつらわないで、自分が損をしても
会社の利益を目指そうという人は
利害対立の相手とみられますから
成果主義賃金体系の元迫害されて
やる気を失い、転職していきます。

会社の崩壊が加速されていく要因でもあるわけです。

欠陥の第2は、競争条件の平等が確保されないということ。
もともと、いい加減な導入をしていましたから、
競争条件の平等なんてことを考えてもいなかったでしょう。

上司のおぼえの良い人は、
条件の良いポジションを与えられます。
売り上げが上がりやすい地域とか
成果を上げたことをアッピールしやすいポジションとか
与えられます。

その他のポジションの人は、
一生懸命働いても収入が上がりません。
モチベーションは下がる一方です。

欠陥の3は、上司が変わると評価が変わるということです。
もともと主観的な評価ですから
移動などで上司が変わると、
今度は優遇されなくなる可能性がある
そのことはえこひいきされていた人はよくわかっているわけです。

冷遇されるようになった人のモチベーションは下がりますが、
優遇されると思ったのにそのままだった人の
モチベーションもさらに下がります。

こういうことを繰り返していれば
一時的に優遇されている人も
懐疑的になりますよね。

欠陥の4は、果たして報酬のパイは十分だったか
一生懸命成果を出せば収入を上げるというのに、
収入を上げるための財源が確保されていたのか
という問題です。

単に昇進などでごまかしているうちに
管理職だけやたらと増えていないか
ご自分の会社を見てみてください。

頑張っても、収入が増えないのでは
モチベーションは上がりません。

欠陥の5は、そもそも論ですが、
人間はエサでつられるのだろうかという問題です。
短期的、イベント的に報酬が加算される
ということは、けっこう乗りで頑張ったりしますが
これが、長年続くときついということがあります。

だんだん、頑張ってようやく今のポジションを維持できる
すこし息継ぎすると転落する
ということがわかってくるので、
閉塞感、息苦しさが出てきます。
成果主義賃金体系は長続きしないシステムだということです。

欠陥6 成果でしか自分が評価されない
という感覚は、
だんだん、自分が尊重されいない
自分は尊重されるべき人間ではない、
人間は尊重されるべき存在ではない
という危険な感覚に陥る危険があります。

成果評価の対象ではない
非正規雇用労働者に対して、
人間的扱いをしなくなるようです。

人間的扱いをされていない非正規雇用労働者は
自分より弱い他人を探して、攻撃することによって
自分のポジションを確保しようとする危険があります。

正規従業員に対しても
成果という結論を出すことだけが
頭でっかちの命題になってしまっていて、
その方法論を検討することも指導することも
後景に追いやられてしまうことになります。



以上こんなことをわめいているのは
私だけかもしれませんが、
国を愛する心があるのであれば、
成果主義賃金体系について
真摯な見直しをする必要があるように思われます。
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