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母親が娘を支配し、娘に子どもを連れて別居させて離婚をさせるその仕組み [家事]


少し前に、斉藤由貴と波留が出演した
NHKのドラマ「お母さん、娘をやめて良いですか?」
が放送されていました。
大変興味深く観ていました。

離婚事件を担当していて、
貴方の妻がどうしてこういう行動をとるか
ドラマを観ている人には説明が楽になりました。
このようなことは実際に起きています。

どこまで母親が意図的に娘を操作しているのか、
無意識に行った結果なのかはわかりませんが、
娘は母親の意向を受けて離婚をするということが
けっこう起きています。


そこには極めて高度な心理操作が行われています。

しかもどうやら子どものころからの長期にわたる作業のようです。

NHKドラマでもあるのですが、
母と娘の間にある種の関係ができてしまうと、
娘にとっては母親の気持ちにたどり着くことが正解なのです。
娘は無意識に正解を探すようになります。

例えばコーヒーカップを買う場合一つとっても、
自分の母親ならばどれを選ぶだろうかと考えます。
そもそも、自分がどういうものが使ってみて心地よいか
という発想がないのです。
母親に褒めてもらったコーヒーカップを使うことが
心地よく、安心するようです。

服装もそうです。
母親に気に入られるような服装を選ぶようになります。

部活や自分の進路さえも母親の気持ちを考えます。
母親の意見がわからないと、何も決定できない
自分の選択が正しいのか不安になるようですね。
そういう風に母親に作られてしまうわけです。

但し母親も確かな意見があるわけではなく、
娘が自分の意見に従うことを求めているだけのような
そういう印象を受けることも多くあります。
(かなり無茶なことを子どもに要求して
子どもが反発して呪いが解けることもあります)

ところで、どうやってそのように子どもを飼育するか
ということですが、
実に驚くべき方法でした。

先ず、わが子に対して、孤独の恐怖を味あわせるのです。
(あるいは既にある小さな不安を無理やり大きくして)
子どもが助けを求める状況を作っておいて、

母親である自分だけがあなたを助ける存在だと
打って変わって手を差し伸べます。
子どもは、やっぱり母親が大切だと思わされるわけです。

「お前はだめな子だ。劣っている子だ。
だからみんなから見放される。
一人ぼっちで生きて行かなければならない。
現にお父さんも見捨てた。」

こう言う言葉は、
小さい子にはとてつもなく恐怖です。
自分はどうなるのだろうという気持ちになります。

子どもが十分恐怖を味わったなと思った段階で、
「でもお母さんだけはお前を見捨てない。
お母さんだけはお前の味方だ。」
と繰り返し吹き込みます。

へたをすると、フルコースで一晩中やっていることもあるようです。
但し、こういうあからさまな心理操作をやる場合と
時間をかけて誘導する場合とバリエーションはあるようです。

だんだん母親の言うことを先取りしようとするようになるようです。

このような心理操作は、子どもを心理的な恐慌に陥れるもので、
精神的虐待であり、許されない行為だと思います。

私は、こういう心理操作は、
離婚後の母子家庭に起きる場合があるものだと思っていましたが、
そうではなく、父親もいる家庭の方が露骨に行われているようです。

では、父親は何をしているのでしょう。

単身赴任や長時間労働のため、家庭にいない
ということがありますが、
むしろ、父親が気が弱くて、
母親を制止できないというケースが多いようです。
おしなべて、離婚調停等で出てくるのは
妻の母親であり、父親の影は極めて薄いです。
父親はいないものとして事態は進んでゆきます。

この魔力から離れるためにあるのが
反抗期だという言い方もできるでしょう。
親と異なる人間関係(幼稚園、学校)ができて、
その軸足が外に移動することで
呪いが解けるときがあります。

しかし、子どもにいじめなどがあると
助けてくれるのはやっぱり母親だけだという意識が強まり
呪いの威力が強化されてしまうこともあります。

支配された子どもは極めて優等生です。
自分のやりたいことをやるという発想がなく、
「お母さんなら自分にどういう風に行動してもらいたいか」
という発想で動きますので、
学校ではきちんとしており、
実力を超えて勉強をしようとします。

疲れたとか、遊びたいという気持ちは
母親が悲しい顔をするので自分で否定していきます。

「休もう」とか「途中だけどあきらめよう」
という気持ちは、
自堕落な情けないことだと
そんなことを考える自分を悪だと責めるようになります。
(過労死予備軍も同時に育てていることになります)

友だちからは、四角四面で面白くないやつ
子どもらしくないロボットみたいなやつで、
自分を守ろうとせずに先生に言つけたりしますから、
嫌われていじめられたりします。

それよりも深刻なことは、
自分で自分を守ろうとすることを放棄しているので、
他人の気持ちを考えて自分の行動を修正することも
なかなかできないままに大人になっていくようです。
なんで自分は他人に受け入れられないか
分かりません。
「こういうことをすれば、他人が不愉快になる」
ということを学習しないまま体は大きくなります。
友人関係にはあまり重きを置かないので気にしないから、
何も学ばないままになっているのです。

最初の破たんは15歳のころです。
自分というものがありませんから
自分と他人の区別がつかなくなり、不安になります。
自分とは何かということを考えることが恐ろしくなります。
友達がいないどころか、いじめにあっているかもしれません。

引きこもり、拒食、過食が始まる時期で、
それが昂じるとリストカットや薬物が始まります。

自分の欲望すべてを否定し、罪悪感をもつようです。

しかし、この時期も余計なことを考えないで
母親の言うとおりに過ごすことで安心する一群があります。
比較的成績もよく、自分が恵まれていると感じて
母親のおかげだと思うのでしょう。
偶然仲の良い友達ができて
苦しむ必要がない場合もあるようです。

そうした場合の次の破たんの時期が
大体は結婚相手との関係です。
この手の母親は娘の結婚相手を
自分が決めるという意気込みが強くあるようです。
何度も見合いをさせますが、
破談にしているのは、実質的には母親です。

娘の前で相手のことをいろいろと難癖をつけて、
娘に断らせるのです。
「あの人、あの犯罪をした人に似ているあの人」とか
「ああいう顔って遺伝するのよね。」とか

人間完璧な人はいません。
どこかに非難できるところはありますし、
好みもひとそれぞれです。

実際は、気に食わないのではなく、
娘をとられるのが嫌なだけのようです。

それでも、偶然交際が始まることがあります。
巡り合うことはそれほど難しいことではありません。
娘にとって母親以外に、
自分のことを好きだと言ってくれる人は、
とても新鮮に感じられます。

この時から、夫と母親の綱引きが始まっているのです。
繁殖期の力は侮れません。
娘は、母親の眉をひそめて断れというサインも見逃します。
難癖をつける母親の言葉は聞こえません。
むしろ、母親が疎ましくなるのかもしれません。
今まで、母親から支配を受けていたことの
その意味を急に悟るようです。
結婚直前、母親と娘の仲は良くなく、
夫は、前から折り合いが悪いように聞かされるのでしょう。

結婚し、子どもを授かることはそれほど遠い話ではありません。
しかし、ハッピーエンドとはならず、本当の悲劇はこの後始まります。

いくつかのパターンがあるようですが、
妻となった娘が理由なく不安を感じるようになります。
気の迷いだったり、
産後のうつ気味かなといわれたり、
全般性不安障害だといわれたり、
早い更年期といわれることもあるでしょう。
重い病気にかかったり、
子どものことで思い悩むこともそれは出てきます。

どうやら、現実の乗り越えるべき出来事が出てきてしまい、
そしてそれへのうまい対処がなかなかできないと
(別に対処しないでやり過ごせばよいだけなのに、)
不安になってゆき、自然と母親を求めるようになるようです。
かつての呪いが時を経てよみがえるようなものです。

また、実際に甲状腺機能の異常とか
職場での人間関係による適応障害やうつ病
不安を感じさせる要素は年齢とともに出現しやすくなります。

この時期に、夫が適切な対処をすればよいのですが、
妻に何が起きているかわからないものですから、
できたものではありません。
長時間労働等で家にいる時間が短かったり、
疲れ果てて、一緒に悩むこともできなかったり、
何か妻が暗い顔をしていると
自分が悪いと責められているような気持ちになって
逆に妻を攻撃してしまうこともあるようです。

そうすると、妻は娘に戻り、母親に助けを求めるようになるようです。

母親は、かつての日本では、
「嫁に出したのだから」とぐっとこらえて、
知恵をつけてまた来なさいよと追い出していたのですが、
今の日本では、矜持が無くなったのでしょう。

「その不安は夫が原因だ。私だけは見捨てないと」
猛然と綱引きの綱を引き始めるのです。
かつて、自分の夫を駆逐したことを
今度は娘の夫に対して行うわけです。

「貴方の不安は正しい。不安を持つべきだ。
貴方はひどい目にあっている。
早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

これに役所や警察が裏打ちするわけです。
「あなたの不安は正しい。不安を持つべきだ。
 あなたが受けているのは精神的虐待だ。
 早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

そうすると、娘に戻った妻は、
幼稚園の時に母親からベッドで聞かされた
怖い思いと、その後に来る安心感を思い出して、
夢中で母親の気持ちを言い当てようという傾向を
取り戻してしまうわけです。

夫と別居して母親の元に戻る
ということをあっさりやり遂げてしまいます。
自分が求められているのではなく
母から見た孫を求めていることも察していますが、
喜んで差し出すわけです。
母親が喜びさえすれば安心だ
というパターンを復活させているからそれでよいのです。

これが徹底すると調停に出てくる離婚理由は、
・夫が自分の母親に失礼なことをした
・母親の話では夫はこんなことをしていた
ということになるわけです。

「自分」という存在がかつてのように失われ、
母親が自分の体と心を乗っ取るわけです。

夫とともに「自分の気持ち」も失います。
また、子どもから父親を奪います。

そうして、父親を排除して
また自分と同じような娘を作ろうとするのです。

実際は、子どもが男の子の場合も多くあります。
マザーコンプレックスという言葉がひところはやりましたが、
おそらく、少なくない部分で、
洗脳めいた活動がなされた母親依存症なのだったのかもしれません。

封建制度の昔は、家長とか戸主がいて、
また道徳が人々の心に明確があって、
このような行為は、諌められていたようです。

封建制度を否定したからといって、
家族を大切にするという作業、行動を
否定してしまっては、
人間は健全に成長できない仕組みになっていると思います。

今家族は分断されています。
若い夫婦は、何も知識も経験も
伝統や慣習も受け継ぐことが困難な状況にあります。
よこしまな気持ちに無防備な状態です。

そうであれば、
やはり公的に、家族の在り方を研究し、
家族を壊すものを解明し、
家族を維持し、楽しい生活を送るということを
科学的に研究するべきだと思います。



過重労働が与える家庭への深刻な影響 妻のパワハラと子どもを連れての別居と離婚調停に至る経過(全般性不安障害) [労災事件]

過労死・過労自死遺族の会東北希望の会の
今年度の年間テーマは、過重労働の家庭に与える影響です。
昨年は、「どのようにして死ぬ前に過重労働職場を離脱したか」でした。
過労死防止啓発シンポジウム宮城ご報告 解決例の蓄積と他人の目の導入 survivor8

私は、過労死と離婚が今仕事の二本柱なので、
そういうことが良く目につくのでしょう。

過労死で死なないまでも、
それによって、家族が不幸になっていくということがあるので、
死ぬほどひどい職場でなくとも
(たまたま死者がまだ出ていないだけかもしれませんが)
過重労働はなくさなければいけないと思っているのです。

また、家庭に影響が出始める過重労働があるということは
死亡に至る危険が高まってきている
という指標にもなるようです。

離婚調停の中で、
妻側が、資料を出してくることがあります。
どういう事情があって離婚したいのか、
どこでどう相談をして、どういうアドバイスをもらったか
という資料です。
なぜか最近、よく出てきます。

その資料を見ていると、
勉強をして、曇りのない目で分析すれば、
「ああ、これは夫とは関係がなく追い込まれていたのだな」
ということがわかることが多いので助かっています。
どんどん資料を出してもらいたいと思います。

それに、一緒に住んでいた夫がいるのですから、
知識を補充することができます。
立体的に自体が把握できる貴重な事例ができあがります。

例えば、
子どもを連れて別居した妻の事例がありました。

このお母さんは、働きながら子育てをしていた方でした。

4月になり、職場の上司が変わりました。
この上司との折り合いが悪く、
夫に相談をすることが頻繁となりました。

(この時夫は、適確なアドバイスをしてしまったのですが、
 本当は、「それは大変だね。」と
 まず共感を言葉で示すことが必要でした。)

職場での軋轢がひどくなったのは、秋ごろです。
元々、まじめで責任感のある女性だったので、
上司の言うことをまともに受け過ぎたのかもしれません。
いろいろな言葉を受け流すということができない人でした。

だんだん、上司の言葉を悪くとるようになってしまって、
漠然と
何か良くないことが起きるのではないか、
自分ばかり損をしているのではないか
というような不安を抱くようになり、
あまり眠れなくなったようです。

もっとも、自分では全く眠れないと思っていますが、
実際は、短時間かもしれませんが眠っていたそうでした。
(夫のはなし)

年末から、不安は夫に向かうようになりました。
夫から何か言われると、
自分が責められているのではないかと思うようになり、
むきになって反論をするようになりました。

「コーヒーが飲みたいね」といわれると、
「自分ばかりコーヒーを飲みやがって、俺にもいれろ」
といわれたように受け止めるような感じです。
そういう風に受け止めた結果、
夫に対して、あれこれ不満をぶちまけて切れた状態になるのです。

子どもが散らかしているのを叱って片付けさせようと夫がすると、
自分のせいで子どもがまともではないと言われたような気になって

ただ夫が肩のあたりをポンポンと叩いたのに、
頭を叩いて首根っこを抑えつけて体を制圧した
と受け止めていたようです。
ただ、この感覚は、おそらくリアルタイムでは、
なんとなく嫌だなという気持ちだったのに、
時間をおいて、
具体的な記憶(真実ではない記憶)にすり替えられていく
といった感じでした。

年が明けて3月に、妻は、
子どもを連れて別居しました。
夫に何も言わないで突然でした。

ほどなく離婚調停が起こされました。

その中の資料で、
全般性不安障害という診断を
2月に受けていたことがわかりました。

全般性不安障害とは、
1. 仕事や学業、将来、天災、事故、病気などのさまざまな出来事または活動について、過剰な不安と心配がある。しかし、その原因は特定されたものではない。
2. 不安や心配を感じている状態が6ヶ月以上続いており、不安や心配がない日よりある日のほうが多い
3. 不安や心配は、次の症状のうち3つ以上の症状を伴っている。
o そわそわと落ち着かない、緊張してしまう、過敏になってしまう
o 疲れやすい
o 倦怠感
o 動悸・息切れ
o めまい・ふらつき感
o 集中できない、心が空白になってしまう
o 刺激に対して過敏に反応してしまう
o 頭痛や肩こりなど筋肉が緊張している
o 眠れない又は熟睡した感じがない

という病気だそうです。

精神科医の診断ですから、この基準に則って診断されています。
要するに妻は、
2月の6か月以上前から不安を抱いていたことになります。
前の年の9月頃からですね。

夫との関係は良好だったのですが、
仕事でのストレスが徐々に高まっていった時期だということになります。

その後の年末にかけての夫との緊張関係は、
この全般性不安障害が原因である可能性があるわけです。

即ち、病気のために、悪く悪く考えるようになり、
ちょっとした夫との会話も
自分を責めているのではないかと受け止めてしまうようになったということです。

妻に悪気はないので、
このことが分かったのなら、夫の方も対応を考えられました。

夫婦の場合はどうしても、
一方が不満や不安を表明する場合、
相手に対して攻撃的に発言することがある上、
そうでないとしても、
どうしても発想として、
一方が苦しんでいるのは他方が「悪い」からだと
思い込んでしまう
仮想加害者も、仮想被害者もです。

仮想被害者は、自分が悪くないと主張するのですが、
その際に、
「自分ではなく、相手が悪い」
という余計なことを口走る傾向にあります。

客観的には、どちらもかわいそうなのですが、
当事者は気が付きません。

だから、家族の誰かが悪いという発想は捨てるにこしたことがないのです。

ただ、相手が全般性不安障害に罹患しているとなると、
できれば夫婦そろって、本当は病院に行って専門医から
どういう病気で、どういう傾向があるか、
妻が不安を口にした場合、
不安で辛いということは共感を示しても、
その不安が実現するような肯定の仕方はしない。

例えば、仕事がなくなってしまうという不安に対しては、
「それは心配だね。
 もし本当にそうならば、正式に言われなくてはならないし、
 解雇の理由がないからそもそもなくならないよ。」
等と、説明することができます。
「大丈夫だよ。何とかなるんじゃない。」
というだけで安心することもあるみたいです。

その人によって違うようなので、
マニュアルはできませんが、
要は発言の後の妻の様子を見て、
安心するようなことを覚えればよいのです。

自分が責められているときも、
「ああ、不安なんだな」と受け止めることもできるし、
妻が責めれていると思う時も
「ごめんごめん。心配かけたね」
ということができるわけです。

こんなことをしなければならないのかと思う人もいるかもしれませんが
考えてみてください。
インフルエンザに罹ったときに、
布団に寝かせて、ゆっくり休ませますよね。
これと全く同じことなのです。

では、本件事例は、どうして別居になり、
離婚調停になったのでしょうか。

第1に、全般性不安障害を夫に告げなかったのです。
これでは、夫は何が起きているかわかりません。
突然、妻が攻撃的になり、
感情的になったと戸惑うだけになります。

第2に、では妻は誰に相談したのでしょうか。
先ずは自分の母親でした。
母親はしょうがないかもしれません。
病気になったのは夫のせいだと考える傾向が
最近のジジババにはとても多くうんざりします。

昔は、子供夫婦の独立と円満な生活を後押ししていたジジババは
今は、子どもに代わって相手を攻撃する傾向にあります。
我が国の文化的衰退を象徴的に示すものだと思います。
過労死の温床もこんなところにあるかもしれないと思います。

第3は、行政と警察です。
ここの果たしている役割は犯罪的だというべきでしょう。

強引に、夫の精神的虐待によって
不安が出現していると決めつけて
できるだけ早く子どもを連れて別居することを勧めたというのです。
弁護士も関与していたようです。

離婚調停で出てきた陳述書によれば、
何ら精神的虐待を示すものはなく、
客観的な調査結果からすると
つじつまの合わない不合理な主張といわざるを得ません。

要するに、極めてあやふやな話で、
簡単に家庭の崩壊を指導しているということです。

これでは不安を抱えた人が
行政機関に相談に行くと
必ず離婚を勧められることになるでしょう。

相談対応の引き出しが、
離婚しかないからです。
その必要性等一切検討せずに、
主張の裏付けを求めることもなく、
家庭を壊しているのです。

このことが離婚調停に提出された資料から
はっきりと確定できたのです。
こんな無責任なアドバイスで、
子どもは親から引き離されるのです。

夫が何が起きたかわからずに
精神的に混乱することは
極めて自然な成り行きです。

これは当該妻にとっても大きな精神的侵襲です。

全般性不安障害ですから、
根拠がなく不安になり、悪いことが起こるのではないかと
考えているわけです。

これら税金で動いている家庭崩壊軍団は、
あなたの不安は、正しいという烙印を押しているわけです。
不安に感じることは正しいということは、
あなたは不安を感じるべき環境にいる
あなたは逃げるべきだということですから、
ますます患者さんの不安を増長していっているわけです。

離婚しても親と子どもは会いましょう
なんていう曖昧な法律を作ったところで、
こういう親と子どもを引き離すことを
何の理解もないマニュアル人間たちが
税金で行っていることをやめさせなければ、
子どもたちだけでなく、親どうしも
むごい別れを押し付けられ続けるだけです。

こういう世の中ですから、
過重労働や、職場の人間関係を良好にしないと
あっという間に税金を使われて
離婚に誘導されてしまい、
子どもたちが不幸になるということになります。

失敗が許されず、緊張や不安を強いているのは、
ほかならぬ国家なのかもしれません。


続・身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 離婚調停における必須戦略と自分を変える勇気という作戦 [家事]

先日書いたブログの記事

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 杉山先生から頂いたコメントをきっかけに」

に、とても切ないコメントをいただきました。

相手の気持ちを考えてみた場合、
自分を変えることで、
あるいは自分の主張を一部譲歩することで
状況が良くなるかもしれないと思うことがあるけれど、
それはとても勇気が必要だ

というものでした。

引くことで、なるほど相手の気持ちは柔らかくなるかもしれないけれど、
それは自分が家族から益々離れてしまうことを意味することなので不安だ
それでも自分は引かなければならないのかもしれない
と思うことは、大変つらいことです。

一つ、考え方の試行錯誤を示してみます。

先ず、一歩引くことで、
現状より状況が悪くなるかどうかを見極める必要がありそうです。

ここから先の話は、
いつもと私が言っていることと違うことを言っているように思われるでしょうが、
離婚(円満)調停は、戦争なのです。
 戦争である以上作戦をたてて望まないとだめだ」
ということを対人関係学を始める前から今でも
依頼者に申し上げています。

作戦を構築するためには、
相手と自分の分析をしなければなりません。
この分析を抜きに感情のおもむくまま
調停を進めている方が多いと感じます。

相手の状況を考えるとは、
相手が今何を考えているか、
相手の望んでいることは何か、
その背景は何か、
相手の状況において、こちらに有利に働くポイントは何か
不利に働くポイントは何か。
これを考えることです。

但し、調停申立書や準備書面
調停委員から聞く相手方の発言だけで
一喜一憂していたのでは調停にはなりません。

あなたは、これまでの生活の歴史という
一番貴重な情報をおもちなのですから、
そこから、相手の変化の要因を分析する
という一番有効な分析ツールを持っていることになります。

この場合、自分が相手の変化に
どの程度関与していたかを冷静に見極める
過不足なくリアルに見極めるということが必要です。

自分が良くても悪くても、自分に何らかの原因がある
というならばチャンスです。
それを言い当てて、対応策を提示する
という爆弾を落とすことができるからです。
これが有効打になることが少なくありません。

自分の「やったこと」に問題があれば簡単ですけれど、
自分が「やらなかったこと」に原因があるというのであれば、
何をすればよかったかという分析が必要になります。

この分析方法をとれば、
あなたが実行することができる作戦を
構築することができるという利点があります。

また、自分の対応に問題があるのに、
引かないでどんどん攻め込むというのであれば、
それは自分で状況を悪化させていることになります。

この場合、一歩退くことは
自分の感覚では後退しているように見えても、
客観的には、ずんずん前進している
ということになります。

もしかすると、退いているように見えるだけ
ということがあるのです。
状況分析をしていないことによる
戦略ミスということになります。

相手を理解し、自分を理解するということは
離婚する時も、修復する時も必須の作戦で、
離婚でもめているときこそ、
相手を理解することに力を入れるべきなのです。


ここで、相手方弁護士や行政、調停委員に
責任を擦り付けてしまったのでは、
武器を持つことができません。
状況を変えていくためには、
やはり自分の行動を修正することが
最も確実にできることなので、
そこを考えることが有効であると思います。

自分の行為で相手が嫌がっている部分を
冷静に周到に分析する必要があるわけです。
分析ツールが、言わずもがなですが、対人関係学なのです。

自分を攻撃してきていることは、
自分を怖がっているからかもしれない。
相手が仲間はずれにされる不安を感じているからかもしれない。

怒りという助けがなければ
自分にものが言えないだけなのかもしれない。

そういう発想に立ってみると見えてくることがあるようです。
もしかしたら、
あなたが相手に対して現状を怒りを持っているのは、
あなたが不相当な攻撃を受けていることが原因かもしれません。
自分が悪くないのに、子どもを連れて出て行かれた。
状況が呑み込めないまま警察と一緒に相手がきて
荷物を持ち去られるままにしなければならなかった。


なにくそと怒りが沸き立たなければ
自己効力感が無くなり抵抗力が無くなってしまいます。
だからどうしても攻撃的になることは
仕方がありません。

ただ、ここで、攻撃一辺倒となると
家族を守ることができません。
ここでいう家族とはご自分も含めてということです。

また、逆に、自虐的な分析も有害です。
相手の心には響かないため、
事態が打開できる有効打にならないからです。

先ず、良い悪い、正しい誤りという評価をしないで、
どうして相手がそういう心情になったのか
冷静に過不足なく分析することが必要だということになります。

分析が終わったら、
分析結果を相手に示すことが必要です。
相手を理解していることを示すこと、
自分を理解してもらおうとすること。

これも、夫婦の歴史の中で生まれてきた
経験に裏打ちされた独自の言語があるはずなのです。
この相互理解が欠けていたために
チームが遊離している状態が
家族紛争だと思います。

やや抽象的な言葉に終始しましたが、
戦略上最も大切なことは、
「どうしたいか」ということの自覚です。

「やり直したい」という気持ちがあるならば、
それを前面に立てることが必要です。
弁護士や友人に堂々と宣言しましょう。
無理だというヒトとは別れればよいです。

そうして、やり直したいということと
矛盾した行動を自分がしないように
見守ってもらうことが大事です。

但し、目標は
大目標の外に、中間目標を用意することがコツです。

毎回最終決戦で、こちらの言う通りにしない相手に怒っていたのでは
距離が縮まるわけがありません。
手をつないで歩く場合は、
一番遅い人の速度で歩かなければならなりません。

また、手をつないで歩くだけで
幸せですから、
先を急ぐ必要もないわけです。

今日はここまで進んだからいいやと
そういう評価の仕方を導入してください。
結論に到達しなかったからだめというのは、
あまりにも非科学的な、ないものねだりではないでしょうか。

そのためには、相手の反応を見極めて、
どこまで進むべきかということは
臨機応変にその場で定める必要があります。

また、そこに向かうためには、
無理な方向から攻めるのではなく、
相手の一番弱い部分から変化をさせていくことが肝要です。

さて、また、最後に誰の利益を目標とするべきか
という問題をお話ししなければなりません。

例えば、面会交流の場合、
当事者の方が、「子どもに会いたい」ということを
いうことは仕方のないことですが、
それだけだと負けてしまいます。

「会いたい」と「会わせたくない」の争いだと
裁判所はあまり積極的に介入してもらえない傾向があるからです。
本当は、人情的にも、
子の親を子どもに会わせたいんだということで出発したとしても、
私はそういう言い回しは、ここ何年かしていません。

子どもをこの親に、大人たちが努力して
あわせなければいけないんだということであれば、
誰も賛成しないわけにはゆきません。
ここから、裁判所も出発しなければなりません。
そのために、どうやって障害を取り除いていくか。
という議論に進めるということですね。

ところが、そう言っても、
なかなか子供の視点で調停が進みません。
ここだけは、何度も何度も
調停委員や裁判官、調査官を説得しなければなりません。
反対しないだけでは足りずに、
賛成してもらわなければなりません。

先ず、子どもの視点から始めるべきだということですが、
その先にあるのは、家族というチームの在り方の問題です。

子どもの健全な成長のためには、
家族構成員間に、最低限度の信頼関係が必要です。
家族のかたちはそれぞれあります。
同居の家族もいれば、一部別居の家族もあるわけです。
しかし、子どもを健全に育てるため、
お互い悪口を言わず、
子どもに親を誇れるように協力しなければなりません。

ここを目標にすることが
客観的というか理屈では求められているのだと思います。

自分の利益と、家族の利益は
常に一緒であることが理想なのですが、
表面的には、自分の感情を殺して
家族というチームの状態を悪くしないことも
必要な局面があるように思われるのです。

「自分」とは何でしょう。

家族間で対立しながらも、
配偶者がいて子どもがいれば、
別居しても、離婚しても
やはり家族であるし、
家族であると考えることが必要だと思います。

離れて暮らしていても
家族相互にいたわり合うことを続ける必要が
どうしてもあると思うのです。

自分とは、
そのような家族も含めて
家族を持った人間であることなのだと思います。

家族のためにできること
別居しても、離婚しても
それは必ずあるのだと思います。

離婚に際して、そのようなことを考えなくて済む国は、
実は先進国では日本だけのようです。
離婚後をしたら今生の別れという
非科学的な信仰を持ち続けているのかもしれません。

一度家族を作ったということは
消えない大きな出来事であるということが
世界標準の考え方であり、
人間を大事に考える考え方だと思います。

いま日本で苦しんでいる人たちこそ、
自分を大事にするということの意味を考え、
人間を大事にするとは何かを提起していくことが
求められていると思います。

あなたでなければできないことの一つだと思います。

性的役割分担を主張し、男も女も生産効率に寄与することで人間の価値を統一するべきだという奇妙な一部のフェミニズムについての考察 [事務所生活]

日本には、世界的視点、歴史的視点に立つと
とても独特なフェミニズムの一派があります。
ごく一部の人たちですが、

この一派の家庭に対する考え方と
雇用問題に対する考えかたを見てゆきましょう。

<家庭に関する考え方>

第1に、性による役割分担をするべきだと
強行に主張します。
具体的には、
離婚に際して、
子どもは母親だけが育てるべきだと主張します。

できるだけ父親の情緒的関与を排斥することを
主張し、実践します。
特に離婚後の父親は、
子どもと情緒的なかかわりをするべきではなく、
就労して金銭収入をあげて、
金銭的にのみ子育てに関与するべきだと
主張します。

まさに男性が就労し、女性は育児を行う
という主張を現在でも貫いています。
一貫しています。

第2は、女性という性は
国家による手厚い保護を受けなければならない
という主張です。
法令では、身体的暴力や
極端な脅迫の場合にのみ
警察権力が家庭に入ることができるとされていますが、
妻が夫の言論による不快な思いをした場合は、
法令に反してでも
直ちに警察権力は私人間の活動に介入するべきだ
と主張しています。

女性はとても弱く、
男性の暴力のみならず、
言葉によっても傷つきやすいので、
女性の主張は必ず認められなければならず、
男性が女性の意見を否定的に表する場合は、
警察権力を介入させて女性を保護するべきだとしています。

第3は、女性は、思考能力的に劣っていると考えています。
支離滅裂な話であっても、
それは男性の支配によるものであるとして、
女性の話を疑うということは許されないと主張しています。
女性とはそういう性だという主張なのでしょうか。

それに比べて男性は、狡猾で論理的な話を組み立てる能力があるから、
男性の話を信用してはならないとしています。
男性と女性の主張が食い違う場合、
主張の論理を吟味してはならず、
女性の話を信用しなければ差別者だとされています。

「理解が足りない」、「寄り添っていない」
という烙印を押されないように一派の人間は
細心の注意を自分に繰り返し言い聞かせるそうです。

第4は、女性は自己決定が許されません。
一度一派の保護を受けると、
必ず、離婚調停を申し立てなければなりません。
弁護士を依頼して離婚調停を申し立てなければ、
保護を打ち切ると言い、離婚を強制します。
法律の要件を満たしていなくても
常に用意してある保護命令申立用紙に記入することを勧められます。

「夫ともう一度話してみる」
ということを言うような女性は、
経済的にも精神的にも夫に依存している女性であるか、
DVによって洗脳されているとみなされ、
地域によっては、大量の向精神薬の服用を
義務付けられているという報告もあります。

女性は、自分で意思決定できる能力がない
という考え方のようです。

夫と連絡を取らないために
携帯電話などの連絡手段を奪われる場合もあるようです。

一方、女性に対して精神的疾患を疑うことは許されません。
すべては、夫に原因を求めなければならないとされています。

このため、統合失調症も、双極障害も
甲状腺機能低下症も亢進症も
適切な治療受けることが遅延する傾向にあります。
このような疾患が発覚しても、
女性の夫から精神的虐待を受けたということが
妄想だったかもしれないと考えることは
言語道断であるようです。

第5に、個人の個性よりも遺伝的要素を重視します。
保護を受けた女性は、子どもが男性の場合
一定年齢に達すると未成年であっても
男性は女性の保護施設を退出しなければなりません。
あてもなく一緒に退所するか男の子だけ施設に預けるか
という選択の自由はあるようです。
夫の子どもという遺伝的要素を重視するようです。
教育は無意味であるという決定論的な立場と
男性観が如実に表れているわけです。

このため、離婚が奨励されているのかもしれません。
あたらしい家族制度として、
夫のいない家族というものを理想としている
一派が存在するようです。


<雇用関係に関する考え方>

第6に、女性の肉体的条件がある事を否定しようとしています。そんな物は無いというのでしょう。
それまで禁止されていた女性の深夜労働を解禁し
それまで認められていた生理休暇を廃止しました。

一派の主張と合致しますし、そのような立場から法改正を主張していました。
女性の働かせ方に制限があることが
女性が社会進出をしない理由であるとして廃止するべきだと主張していたのです。

女性が女性であることを否定したわけです。
要するに、大切にするべき価値は、
労働時間当たりの生産量であり、
よりよく生きる、楽しく生きるということは
価値として劣後するものだということです。

過労死するのも男女平等に
ということなのかもしれません。

国には重量物取り扱い指針があり、
女性は一定重量以上のものを扱うことができません。
これは、女性は男性に比べて筋肉量が少なく、
一定以上の重量物を持ち上げると
骨盤が開きやすくなるために、流産の危険が増加する
ということが理由なのですが、
女性の保護は、妊娠してからという発想のようで、
筋肉量に違いがあるということも
差別的だという主張がなされるのかもしれません。

第7に、社会的な不合理について
あまり主張を鮮明にしません。
同じ労働をしながら
賃金やその他の待遇が違ういわゆる非正規労働が、
女性のライフサイクルに合わせた合理的な制度だとして、
低賃金労働の構造的要因になっているということに対しても
あまり著名な主張が見られませんが、
これは私が勉強不足なのかもしれません。

もっとも、これら非正規労働や成果主義労務管理等の問題点について
オピニオン的な役割を果たしているのが
竹信美恵子先生であることは言うまでもありません。
家事労働が低く見られて低賃金労働の温床になっていること等
実証的な研究に基づく鋭い告発を次々となさっています。
しかし、この一派は、
国や社会が、介護労働や保育労働といった家事的な労働に対して
低賃金や低労働条件の労働を強いることを解明し批判している先生の主張を
夫が妻の家事に依存しているという主張にすり替えています。
国家社会の女性に対するハラスメントを
夫の妻に対するハラスメントに矮小化しているわけです。

このすり替えは、社会的告発を家庭のレベルで封じ込め
介護労働や保育労働の賃金の上昇を阻止します。
その結果、介護企業や派遣企業の利益の流出を避けることができます。

ことによると、派遣会社の株主と人的関係があるかもしれません。
しかし、論者の支持者の方がは、
身近の男性が批判されることに喝采し、
思考停止となり、指示し続けるようです。
大変わかりやすい戦略です。

ソーシャルなフェミニズムの主張は
こうしてインドアフェミニズムの刹那的な快楽誘導で
封じ込められていきます。

第8に、社会的な女性の役割を否定します。
これは、生産性重視に価値を置く一貫した姿勢から来るものなのかもしれません。
効率性や競争に価値を置くのではなく、
人間関係の調和や弱者保護に価値を置く
という傾向が女性の傾向だということは
女性に対する差別だと考えるのでしょう。

第9として、数字を重視します。
女性の管理職や、女性の審議委員の数字が
男性と同等であることを要求します。

あくまでも価値は生産効率に置きながら、
女性であるという理由で役職に就けるというのです。
実際は、生産効率等価値ではその女性よりも優位だと思っている特定の男性からは、
不合理で差別的な人事だと不満を持たれて、
女性であることを理由に昇進した女性は
陰湿な男性の嫉妬に苦しめられているようです。
男性と同じ時間外労働をしろと追及されているようです。
家族と一緒に過ごす時間を大切にする
という人間らしい働き方を主張することはあまり効きません。

過労死のジェンダーバランスを気にしているのかもしれません。

女性的価値の尊重を普及させることもなく、
特定の利益を助長するだけの効率性という価値観を温存したいようです。

女性が管理職や審議会委員になることの合理的理由を説明することさえも
タブーとされています。
「ジェンダーバランス」という呪文を唱えると
それ以上の口出しはできないことになっています。

この結果、男性は、男性であるということを理由に
昇進適格があったとしても昇進できません。

数字には強いようです。
DV政策に熱心に取り組まれていらっしゃいますが、
そこで追及されているのはあくまでも数字です。
相談件数、検挙件数等については
アプリオリに追求されているようです。
具体的内容について言及されることは稀です。


第10に男女の賃金格差についても
実質的には是正を放置をしています。

何しろ男性優位の価値観にありますので、
女性の労働者としての価値を認めていません。
男性以上の労働をしても
女性の賃金は男性の何割かという
このような不合理よりも、
先ず、家庭内の男性批判が優先のようです。

これでは、派遣会社の経営者から
大変感謝されることでしょう。

一部の人にとどまることですが、
このような傾向をすべて兼ね備えながら、
自らをラディカルと名乗る人たちがいることは
大変興味深いと思います。

ラディカリー コンサーバティブ フェミニズム
というのが実態に合っているようです。

第4回子どもを連れて別居されてしまった親の会開催報告 このブログの使用実例という貴重なご報告を受けました [家事]

4月21日 第4回目の例会がありました。
今回は新規参加の方はいらっしゃいませんでした。

特別ゲストとして
一度母親が連れ去ったけれど、
母親を論破して父親の元に戻った
6歳の英雄が参加してくれました。

お父さんが大事に育てていることがよくわかる
天真爛漫な男の子で、
男の子も可愛いものだなと思いました。

私の依頼者だけでなく、
この場で知り合った方々なのですが、
おしなべて、おくゆかしい人ばかりで、
誰かがしゃべりだすと
じっと最後まで聞いているし、
きちんと内容も理解してい聞いていらっしゃる。

けっこう精神的にきつい状況にいると
人の話が耳に入らない人が多く、
自分のことだけ話したくなるのですが、
穏やかです。

面白い傾向があって、
私の依頼者は、あまりこのブログを読まないようで、
依頼者じゃない人の方が熱心に読んでいただいているようです。
もっとも、打ち合わせの時にさんざん話しているので、
同じようなことをわざわざ読む気になれないということは
大いに共感するところではありますが。

で、依頼者じゃない方から、
とても感激してしまうご報告がありました。

先日の記事を読んでいただき、
もしかしたら、奥さんが自分を怖いと思っているのかもしれない
と考えてみたのだそうです。

面会交流調停をされているとのことなのですが、
これまでは、そんなことを思ったことが無く、
自分を怖いわけがあるはずないと
奥さんの主張を相手にしていなかったそうです。

でも、もし、本当に怖いと思っているのならば、
しょっちゅう自分と会わなければならない面会交流を
頻繁に要求するのはかわいそうかなと
考えてみたのだそうです。

あまりにも切ない話だと胸が締め付けられ
言葉が出ませんでした。
自分に対して攻撃的になっている相手の気持ちを
思いやるという真実の愛に触れたような気がしました。

面会交流をするかしないか、
するとしたらどのくらいの頻度で実施するか
が争点だったのですが、

駆け引きをすることをやめて、
奥さんの主張を受け入れることにすることを
調停でお話ししたそうです。

ところがそうしたら、
とんとん拍子に話が進んでいったとおっしゃるのです。
面会交流は実施されることが決まり、
奥さんの方から
どういう場所が楽しく面会できるかの
提案までしてもらったそうです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

大変貴重なお話をいただき、
お話をいただいたことに私は、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

それまで張りつめていた対立的感情を捨てて、
相手の気持ちを受け入れる。

もしかしたら、それは敗北とも取れることかもしれません。
それで、うまくいったと言えないかもしれません。

自分を中心に考えると
そういう否定的評価になるのかもしれませんし、
客観的には、あるいはそうなのかもしれません。

しかし、このお父さんは、
自分対妻という対立をやめて、
奥さんの気持ちを優先してみました。

離れて暮らしていても
家族全体として一番良い方法を考えられたということだと思います。

奥さんは、自分の主張を夫が受け入れてくれたことに
新鮮な驚きを感じたのだと思います。
おそらくあまり自覚はしていらっしゃらないと思いますが、
嬉しかったのだと思います。

もともと好きあって結婚
子どもももうけた夫婦です。
いろいろな事情があってすれ違っていますが、
常に仲直りをする可能性があると思います。

ただ、一回できた壁が高く
なかなか結論まで行き着く自信を持つことができない状態
であることは間違いありません。

少しずつ、少しずつ受け入れあう経験を
一つずつ慎重に積み重ねて行けば、
その先にトンネルの出口があると
私は確信しています。

自分の気持ちを尊重してもらうことは
本当にうれしいことです。
自分の弱点を守ってもらうことは
ありがたいことです。

対立はやむを得ませんが、
ちょっとのチャンスを見逃さずに
このポイントを見つけてゆきましょう。
対立点を研究するより
一致点を探し出していくということだと思います。

そうして接点を作らなければ
少しずつ慣れていくということができません。

そういう実践例を作られたお父さんに
最大限の敬意を示します。

そうして、ご報告いただいたことに
重ねて感謝申し上げます。



仙台の桜はもう散り加減になりました。
どんどん散ればよいと思います。
どうせ来年また咲くんですから。

離婚事例にみる甲状腺機能障害を患う人がDV法の犠牲になり、行政や調停でますます苦しみ、最大の被害が子どもに及ぶ構造 [家事]

冒頭に申し上げておきますが、甲状腺機能異常があるからといって、必ず家庭生活に影響を及ぼす精神症状が出現するわけではありません。私の身近でも、かえって家族のきずなが強まった方々がいらっしゃいます。本稿は、それと知らないまま、治療を受ければ軽減するはずの病気に苦しんでいる方、その家族の方の苦しみの軽減になればという思いで書いております。

震災後、離婚事件の当事者、
特に子どもを連れて別居したまま離婚に至る女性に、
甲状腺機能異常がある事例が増えています。

機能亢進症の事例が多いのですが、
機能低下症の事例もあります。

精神症状として著名なものは、
イライラ感、抑うつ症状であり、
中には、幻覚妄想状態などが出現することがあるそうです。
記銘力も弱くなるということもポイントです。

何か自分ばかりが損をしているような気持ちになり、
夫と生活していても落ち着かなくなるようです。
精神的な興奮状態となり、
刃物を持ちだしたりするので
取り押さえられるわけですが、

その経緯はほとんど覚えていなくて、
ただ、取り押さえらえたことだけが
記憶に残っているのです。

また、夫も、
妻の奇怪な行動の意味が分からず、
妻の人格に基づく行為だと思いますから
疎ましく思ったり、不気味に思うようにもなるでしょう。
寛容になることはなかなか難しいようです。

負のスパイラルが働いて、
ますます夫婦仲が悪くなっていきます。
ますます自分が迫害されているように感じていきます。

実際にあった例ですが、
このような、曖昧な記憶の被害妄想的な評価を
行政や警察に訴えた女性がいます。

行政や警察は、「それはDVだ」という決まり文句で
「DVは治らない」ということで
夫のもとから子どもを連れて出て行くことを勧め、
住民票の閲覧制限をして
夫から妻と子どもを引き離しました。

ところが、既に、その時妻は
甲状腺腫の肥大や眼球突出が著明で
精神的にも不安定ですぐ泣きだすという有様でした。
本人も健診で甲状腺機能亢進症を指摘されていました。

それにもかかわらず、
夫が悪いということで、家族を引き離しました。

アメリカのDV提唱者レノア・ウォーカーの説を
金科玉条のごとく暗記して
極端な配偶者加害の事例に対する対処方法を
マニュアル通りに押し付けたわけです。

そんな今では日本以外に誰も見向きもしない学説を知っていながら
甲状腺機能障害については無知だったわけです。

カウンセラーにも相談したとこの妻は言っています。
カウンセラーは、子どもの精神不安を見逃さなかったのですが、
妻の話を信じる限り、
甲状腺機能障害は見落としました。
「子どもにもっと愛情を注いでください」
という結論を押し付けて終わったようです。

なぜ、子どもに愛情を注げないのか、
なぜ、子どもに過酷な八つ当たりをするのか
原因についての考察はなかったことになります。

子どもに愛情を注がなければならない
それは、その妻も気にしていました。
そうするべきなのにできない。
この結果、子どもに精神不安が出現したわけです。
だから、愛情を注げという結論だけ提示しても
何の助けにもならなかったわけです。

かえって妻の焦燥感を強め、
行政や警察の無知のせいで、
妻は子どもを連れて別居し、
夫からは行方不明になりました。

ところで、行政や警察はどうして
妻の精神的不安定などの異常に気が付かなかったのでしょうか。
それには理由があります。

まず、日本におけるDVは、一言でいって
夫が妻に対して、感情を隠さない行動をすること
それがすべてDVになるわけです。

そしてDV認定された場合どうなるか、
夫は、妻を暴力や脅迫で支配をする人間だと扱われ、
同居を続けると、妻の生命に危険が生じる
ことを想定して扱われるのです。

入り口が感情的なことであっても、
一度入り口を通ってしまうと、
いつの間にか、極悪非道の人間になっているのです。

そうすると、妻が感情的に不安定になっている理由は、
極悪夫のDVのためだと考えなければならないという掟に縛られます。
マニュアルという名の掟です。

夫の話を聞いて妻の言っていることの信ぴょう性を確認する
なんてことは、かわいそうな女性を疑うこととして
行わない掟があるのです。

夫から話を聞く事情があったとしても
それはDV加害者だから冷静で狡猾だから
うそをついていると思わなければならない掟があるのです。

掟を守らないと、
女性保護を担当する資格がないのだそうです。


さて、その身を隠すように言われた妻と子はどうなったでしょうか。

妻は、甲状腺機能の治療をしないまま、
焦燥感や不安に苦しめられ続けています。

馬鹿な掟の結果、
妻の言動は夫のDVの結果だとされているために
甲状腺機能の影響かもしれない
と考えることが許されませんので、
眼球が突出してのどが太くなり、
精神的に不安定になっても
甲状腺機能の治療を勧められることはありません。

苦しまなくてよいのに苦しみ続けています。

もっと苦しんでいるのは子どものようです。
父親と会えないことで問題行動を起こしているようです。

父親も、理解できないまま妻と子どもと引き離されて
精神的に大打撃を受けましたが、
甲状腺機能障害の精神書状を理解して落ち着きました。

甲状腺機能障害については
重篤な精神症状については
事例報告がいくつかありますが、
そのような重篤な精神症状にならなければ
なかなか医師に訴えるということもないようです。

その結果、重篤な精神症状が出なくても、
何らかの精神症状のために家庭で何が起きるかについては
言及がないのです。

簡単な話、
重篤精神症状が出るのだから、
そこまで大きくならない精神症状は普通に出るのです。

家族生活を守るために
甲状腺機能障害の家庭に与える影響について
説明書きが無くてはならないと思います。

家族の方も、妻の行動を理解できれば、
対処の方法も見えてくるし、
精神的に余裕も生まれます。

みんなが不幸にならないで済むのです。

家庭裁判所は、
5年前と比べてもだいぶ変わり、
面会交流を促進していく姿勢を見せる
調停委員も増えてきました。

しかし、なかなか父親と母親の対立としてしか
考えてくれません。
子どもが別居親から愛情を注いでもらう
という人間固有の人権という視点が欠落している場合も
多く見られるということが実感です。

母親が合わすことができないと言えば
面会交流の話がストップしてしまうことが多いことが実情です。
どう合わせるかという視点に立ち
母親をどう説得するかということで知恵を絞るべきです。

さて
母親の不安や現実の面会拒否が
甲状腺機能障害の影響のものだということは伝えました。
大半の精神症状は、投薬によるホルモンのコントロールがなされれば消失します。
まさに無駄に苦しむ必要はないのです。

それでも治療を勧めないということは
母親の無駄な苦しみを放置することだと思います。

それでも治療を勧めないということは、
全身、全精神で、父親と会いたいことを表現している
子どもの願いを
大人たちが否定し、縛ることです。
これほど明白な児童虐待はないと思います。
本当にむごいことが家庭裁判所では等閑視されています。

「離婚の話を始めたら、離婚をしたら
面会交流に応じる」
ということもよく聞かれます。

しかし、離婚をしたいのは親の都合です。
面会交流をするのは
子ども要求と子どもの健全な成長のために
大人がしてあげるべきことなのです。

大人の都合で、子どもの健全な成長という
取り返しのつかない切実な都合を阻害する
自分の離婚のために一個の独立した人格である
子どもを人質に取るという主張が
日常的に容認されているのが日本の家庭裁判所です。

こんな主張は、家庭裁判所という公的な場所では
許されてよいわけがありません。

先ず、子どもを別居親に会わせることを動かさず、
同居親の精神的負担をどのように軽減して実行するか
という議論につなげるしかないはずです。

他人の子どものことだからあまり具体的に考えないのか、
健全な成長が阻害された子どもがどうなるかを
考える力がないかどちらかなのだろうと思います。

このような制度を作ったのは、
女性の保護を目的としたのだと思いますが、
マニュアル的な対応や
子どもの健全な成長の観点の欠落によって、
取り返しのつかない悲劇が生まれているのです。

女性の敵は誰なのか
議論が必要だと思ってやみません。

幸せの定義:その人の望む人間関係において、安定した立場が継続している状態、またはその時の感情 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

自死、いじめ、過労死、破産離婚、犯罪
というあらゆる社会病理の予防のためには、
不幸をなくすという目標を掲げるよりも、
幸福になるという目標を掲げるべきだと思います。

では、その人が感じる幸福とは何か

「その人の望む人間関係において

安定した立場が

継続している状態

またはその時の感情」


これを幸せと定義づける試みをしてみます。


1 「人間関係」

現代人は、様々な人間関係の中で生活しています。
家族、職場、学校、友人という身近で継続的な関係の外
病院、お店、交通機関等比較的短期で、
関係が希薄な人間関係もあります。
また、社会や国家のように
漠然とした人間関係の一員ということにもなっています。

2 「望む」

その人によってそれぞれの人間関係の
大切さとその程度は違うようです。

家族が第一で、家族との関係さえよければ
職場で苦労しても幸せを感じる人もいれば、

同好会みたいなところで評価が高ければよくて、
家族にさえあまり多くを望まない人もいると思います。
すべてを犠牲にして、社会的評価、何らかの表彰等
を勝ち取ろうと人生をかけている人もいるでしょう。

ただ、そうはいっても、
どこかの人間関係で、自分が迫害されていると
なかなか幸せだと納得することは難しいかもしれません。

むしろ不幸は、
自分の大切にしていない人間関係の中で起きてしまい、
自分が大切な人間関係にも影響を与えるのかもしれません。

3 「安定した立場」

安定した立場とは、一言でいえば、
追放や排除の心配がない
仲間あるいは人間関係を構成する者
として受け入れてくれるということです。

この安定を感じるための要素、事情についても
人によって様々です。

リーダー的な立場でないと安心できない人
何事か自分の役割を果たすことで安心する人
要するに仲間から必要とされることで
安心する人たちですね。
むしろ、
誰からも非難されないで受け入れてもらえば
それでよい人もいらっしゃいますね。
強い人だということになるようです。

仲間の注目を浴びたい人
なるべくそっとしておいてほしい人
様々ですね。

また、それぞれの人間関係において
望む安定した関係も異なることが自然でしょう。

家族や友人など、継続的で密な人間関係では
自分の弱点をさらけ出しても
そこを攻撃されないような
強い信頼関係を望むでしょうし、

社会的な評価のように
多少無理をしてつくろっても
尊敬を集めたいというという
尊重されていることを感じる形があるでしょう。

4 継続

恒常的な人間関係の安定感ということは
なかなか難しいようです。
完全に調和し続けること自体は無理な話で、
少しずつ修正しながら
仲間と自分の求める安定を探していく
ということがノーマルということでよいのでしょう。

逆に言えば、一瞬の幸福
というものもあるでしょう。

例えば街頭で困っていたら、
見ず知らずの人に親切にされたというような
偶然の人間関係の中で
幸福を感じることもあるでしょう。

5 不幸との関係

幸せの定義の検討においては
対義語である不幸を検討する必要があると思います。

このブログのテーマである対人関係学からの帰結です。
幸せの定義についての説明は、
抽象的でピンと来ない方もいらっしゃると思います。

謎解きの意味も込めて、先ず対人関係学を簡単におさらいです。

人間はチンパンジーの祖先から分かれて
800万年といわれています
この大半の時代、武器も文明もたなかった人間は、
群れを作って生き延びるしかありませんでした。

言葉もない時代に群れを作れたというのは、
群れを作ろうとする遺伝子を持った個体だけが
生き延びてきたことに由来します。

群れを作る遺伝子の仕組みというのは、
仲間から排除、追放されるようなことをしようとすると
本能的に危険を感じて、自分の行動を修正する
という仕組みです。
前頭前野腹内側部という脳の部分が主として担い、
他者への共鳴力、共感力、
将来に対する推察力が必要になります。

こうして自分を群れから排除されないようにするわけです。

また、群れの頭数を確保する仕組みもあります。
可愛い」という感情です。
これは、群れの一番弱い者を守ろうとする
本能的な仕組みということだと思います。
赤ん坊など弱い者は攻撃の対象となります。
これを守ることで群れの頭数を守り
群れを恒常的に守っていくことになります。

群れのために戦う場合、
恐れを感じにくくなるという仕組みもあります。
誰かのために戦う者は強いということですね。

そう考えてみると
群れに属しないで孤立していることは
常に不安に苦しむことになりますから
不幸なのだと思います。

もちろん、群れの中に物理的に存在しても
尊重されず、攻撃的を受け続けている場合、
物理的に孤立している以上に孤立感を感じるでしょう。

本当の不幸の中にいる場合に、
不幸を感じなくて済む方法が、
感情自体を失わせることなのかもしれません。

喜びも悲しみも、興味関心もなくすことで、
不幸せを乗り切ろうとする仕組みなのかもしれません。

だから幸せといっても、
全くにこにこだけしているわけではなく、
微修正しながらも群れの中で尊重されて生きていく
ということになりそうです。

トータルな営みの中で
自分が恒常的な関係を継続する、
排除や追放の不安がない状態
そのような状態の人間の感情が
幸せということになるのではないかという試論でした。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 杉山先生から頂いたコメントをきっかけに [家事]

4日ほど前の記事に対して
子を連れて別居した妻に対して家族再生を進めるために克服するべき夫の2つの誤った意識傾向

なんと、面会交流事件の大家である
弁護士の杉山程彦先生から直々にコメントをいただきました。
まだお若いのに、次々と重要判例を引き出す
今一番尊敬している弁護士の一人です。 

誇りをもって引用させていただくと
「もっともだと思う反面、連れ去られたら男性にだけ
 一方的な反省を強いるのかという反発もあります。
 真の反省を促すためにも、司法が公平でなければならないでしょう。」

大変恐縮でありごもっともなコメントではありますが、
杉山先生と私のアプローチの違いがわかりやすい形になっています。

第1は、司法に対する期待ないし信頼の程度に違いがあると思います。
本当は、私も弁護士だから、司法の公平を訴えていかなければならない
のだと思います。
ダメだとあきらめたら、何も変わらないので、
この姿勢こそが正しいのだと思います。

しかし、私は、司法の公平を追及するには
年齢を重ね過ぎたような気がします。
今、国家や権力によって家族が分断され、
問答無用に家族再生が切り捨てられる現状について
司法の公平の実現を主たる戦場とするには、
司法に対しての期待があまり残っていない
ということなのだと思います。

それは伝える側の弁護士の責任かもしれません。
現に杉山程彦先生や上野晃先生は、
先進的な判決を勝ち取っています。
この点については、大いに学ぼうと思っています。

第2に予防の観点です。
それではどうするか?
どちらかというと、私は、
予防が主戦場だと思っています。
あるいは、裁判外の解決を目指すということを考えています。

やはり一度壊れると、
なかなか人間の気持ちが再生することが難しいので、
壊れるまえに、
家族の在り方を修正することを
主眼としてこのブログを書くことが多いです。

また、私の依頼者群がそうなのかもしれませんが、
一番の目的は、家族でまた
昔のように一緒に行動して一緒に笑いあう
子ども誕生日をみんな笑顔で祝ったり、
遊園地旅行で、少し冒険してドキドキしたりという
あの時を取り戻したいという方が多いということがあるかもしれません。
こういう祈りは、そもそも、裁判では何も解決しません。
裁判で勝っても家族は戻りません。

3夫が妻の心に働きかける方法として

何かできることが無いかということになれば、
必死になって、相手の心に働きかけることだと思います。

大体の子どもを連れて別居に至った妻は、
夫が怖いという心理状態にありますが、
そのように恐怖の対象が特定される前は、
漠然とした不安を抱いていることが多いようです。

この不安に夫が対応できれば、
妻の態度はだいぶ変わるということも実際に起きています。

面会交流の連絡の時とか
調停や裁判であっても、
わずかなチャンスを利用して
妻の不安を承認し、それに手当てしようという態度を示すことで、
法律的結論は不利になっても
最低限度の信頼関係を形成し、
子どもの気持ちを安定させたい
という思いでおります。

そのためには、自己の行動を修正し、
修正したことを相手に伝える必要があります。
何を修正するかということで
冒頭のブログを書いたつもりです。

相手の気持ちを変えるためには、
自分の行動を修正することが一番だと思っています。
自分を変えて見せることで
相手の変化を期待するわけです。

必ずしも万能の方法ではありませんが、
これをしないことには
なかなか他人の心に影響を与えることは
難しいと感じています。

その人にとって、何が一番大切なのか、
守るべき自分とは何か。

そうすると、自分とは、
単体で生きているわけではなく
家族の中にいる自分、家族と関係を有している自分
これが一番大事であると思い当たる方が
多くいらっしゃいます。
(そうでない方ももちろんいらっしゃいますが)

そうなると、我を通すよりも
相手にあわせて柔軟に行動を修正することの
大切さを再認識していただくようになります。

4 反省という言葉について

杉山先生は、反省という言葉をお使いになっています。
私は、反省という言葉は誤解を生むのであまり使っていません。

何があるべき行動であったかを振り返り、
相手方の心情を思いやって何をするべきか
ということを考えるので、文字通り反省なのかもしれませんが、

自分のやったことが悪いことだったという評価は
迂遠であり害ばかりです。
そうではなく、相手を安心させる行動をする。
それができなかったのは、必ずしも夫が悪いわけではない。
ということなのです。
その事実を認識するということです。

そうして、一つの家族を
夫が主体となって理性的に修正していくということですから、
自分を殺すという感覚でもないはずです。

ただ、打ち合わせが終わって、やるべきことを理解しても
自宅に帰ってしばらくすると、
自分だけが努力をするという意識が起きることも通常かもしれません。

しかし、これは家族の関係の中に存在する自分というものを
取り戻すための前向きの行動だと思っています。

5 絶望回避のために
もう一つ、このような家族再生アプローチをする理由は、
自己の行動で修正をするポイントを提案することで
絶望を回避していただくということがあります。

何も理由なく、妻が子どもを連れて知らないうちに別居されていた
となると、絶望しか残りません。
実際に、うつ状態になっている方が大勢いらっしゃいます。

出て行ったのは何か理由があり、
自分が行動を修正することで回避できたことかもしれない
という考えは、
最悪の絶望を回避する場合があります。

そうでなければ、自分の存在自体を
全面的に否定されたという意識になられるようです。
この絶望を回避していただきたいという思いもあります。

6 まとめ
自分にもおぼえがありますが、
自分の行動様式を守りたいという要求がありました。
つまらない意地を張って相手を傷つけたこともあります。
しかし、それもこれも、本来
仲間の中で安定した状態でいるための手段だったのではないかと思っています。

そうであるならば、
そのような行動様式はいくらでも捨てられる
そういう「自分」を放棄することで、
本当に望む自分を手に入れる可能性があるのではないかと
自分の実体験も含めて考えているところでした。









過労死防止啓発シンポジウムIN相馬 子どもたちの未来に過労死を引き継がない【報告】 [労災事件]

平成29年4月16日日曜日
福島県相馬市で、過労死防止啓発シンポジウムを行ってきました。

取材は、過労死・過労自死遺族の会東北希望の会
仙台の会員と、宇都宮や八幡平の皆様と仙台駅集合で出発
常磐線沿線は、桜が満開で、暑いくらいでした。

会場は相馬市文化センターはまなすホール第三会議室
仙台より時間がかかりそうな福島市の方や郡山市の方が
既に会場の準備をしていただいていました。

私が作ってきたプログラムや資料を配布していただき、
時間を待ちました。
なんと、開始直前嬉しいハプニングがありました。
参議院議員の森まさ子先生(自民党)
に駆け付けていただきました。
急きょご挨拶をお願いしたところ
快く応じていただきました。

現職の国会議員で元大臣に過労死防止啓発シンポジウムで挨拶をいただくということは、
東京で厚生労働大臣にご挨拶いただくこと以外ないと思います。

60人の会場は用意した席が足りなくなり、
大量に追加の椅子を借りてきて後ろに並べたほど
参加された方があふれている状況でした。

森先生のお話は、過労死というものが何かということの
本質をついて、今後どのようにしていくべきかということを
適確についた素晴らしいスピーチでした。
圧巻でした。
こういう方が、どんどんイニシアチブをとれば
過労死のない社会を実現の加速度が増していくのだなあと
心強く、感激いたしました。

また、労働局の課長様もご挨拶にいらっしゃって
(シンポジウムの後援は、福島労働局と相馬市)
これまた、素晴らしいスピーチをいただきました。
まさに国を挙げての過労死防止に取り組み始めたということを
会場全体で実感しました。

遺族の訴えもよかったです。
本当は、もっと言いたいことがあったでしょうが、
ぐっと抑えて、淡々としかし構成を考えられていて
聞く者の心を最後まではなしませんでした。

若手の弁護士が事件報告をして
司会兼講演の私が40分ほど
「生きる仕組みが引き起こす過労死のメカニズム」
というお話をしました。

結局、
過労死、過労自死は破綻(死亡)するまで気が付かない
その人が大丈夫かどうかを調べても分からない
危険な働き方をやめさせるという方法しかないということや

心筋梗塞やクモ膜下出血、大動脈解離
あるいは精神障害等
一度罹患したらなかなか治らないから
予防をするしかない

自死する人が責任感が強すぎるから自死するという構造
等を話しました。

ゆっくり、語り合いたかったのですが、
電車の時刻も迫っていたので、
余韻を置き去りにしたまま
会場を後にしました。



妻に絶対言ってはならない言葉 [家事]

離婚事件を担当していると、
離婚の理由は様々で、
それこそ原因は一つではないことがわかります。

案外、われわれも、
首の皮一枚で、家庭という人間関係を維持しているような
綱渡りの状態なのかもしれません。

誰しも家族崩壊の危険性をもっている
そんなふうに思えてくるし、
今家族で一緒に笑うことができれば
けっこうそれだけで幸運だと
つくづく感じ行ってしまうこともあります。

このせっかくの幸運を
大事に守っていきたいという気持ちになります。

そんなありふれた家庭の中で、
つまり、色々な行き違いや疑心暗鬼が渦巻く夫婦の関係で、
絶対に行ってはいけない言葉というものが
どうやらあるようです。

実際に多くの離婚事例で、
夫が離婚したくないのに、
妻が離婚の気持ちをゆるぎないまでにする
夫の一言があります。

それは
「離婚」(りこん、別れる)という言葉です。

この言葉を妻が聞いた場合、
これまでの夫の行動が
すべて違う意味に変更され、
夫婦の歴史が
自分が迫害されてきた歴史に記憶が塗り替えられてしまうようです。

楽しかったことの記憶は消去され、
嫌なことだけが思い出されるだけでなく、
現実以上の虐待がなされたという記憶に改変されます。

仲間だと思っていた相手から
仲間から外すと言われることは、
それだけ強烈なことのようです。

人間は、単体の生物として自分を把握するのではなく、
親がいて、配偶者がいて、子どもがいて
友人がいて、
そういう人間関係を持つ自分という把握らしいのです。

その一番の中である夫が自分を否定してしまうと
それまでの「自分」というものが無くなってしまうようです。

また、そういう自分を否定された場合、
人間として生きていくためには
否定した夫を否定しなければならない
脳のシステム(絶望回避のシステム)があるようです。
自分は被害者であり、夫は加害者である、
夫は自分が生きていくことを妨害する存在だ
ということになります。

これまで気持ちを許していたこと
弱みをさらけ出していたことが
とてつもなく恐ろしいことに思えてくるようです。

軽々しく離婚を口にする人はいないでしょう。
なんかよっぽどのことがあったり、
精神的につかれていたり、
つい口に出ることがほとんどです。

しかし、みんながみんな後悔しています。
子どもから引き離されて苦しんでいます。

夫のサイドからも自分を壊さないためにも
「離婚」という言葉は、
離婚するまで口に出してはならない言葉であると
離婚で苦しんでいる男たちをみながら
お話ししなければならないと思いました。
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