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相手を黒く塗りつぶして黒だと批判する この人はどうしてヒステリックに突っかかってくるのかについての考察 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

相手を黒く塗りつぶして黒だと批判するというのは、
刑法の平野龍一先生の刑法総論が出典です。

他者への批判は、他者の論理的矛盾を示して
どういう風に矛盾するかを説明することが本当なのでしょうが、
やみくもに批判をして
その弟子たちは、なんだかわからないけれど、
その説への批判は、右に倣えですましている
という弊害が法律の学者の中にもあるわけです。

だから、批判されている本家本元筋から説明を受けると
全く目から鱗ともいうような衝撃を受け
「今までの批判は何だったんだ」
となることがあります。

大家の間でもこういうことがありますから
われわれの日常の中に、
そういう不合理な批判、突っかかりがあっても
不思議なことではないのでしょう。

この歳になると
批判をしてもらうことも少なくなるので、
批判でも何でも意見をいただくことがありがたいので、
何とかそこから改善点を学ぼうとしてしまうのですが、
自分の矛盾点を指摘されているのでもなければ、
派生問題の不都合を指摘されるわけでもなく、
こちらの言っていることと全くかみ合わないところで
エキサイトされていると、
やっぱり、嫌な気持ちになるものです。

こういうことは職場では多くあるのかもしれません。
パワハラ上司の指導がこうなっている傾向にあるかもしれません。

受け手は、何が何だかわからないけれど
攻撃されていることだけは理解できるということで
対人関係的な危機意識を無自覚に募らせてしまいます。

一言でいって、
「自分の領域を犯された」
という意識を持ってしまうと
相手に対して攻撃的になってしまう
ということがあるようです。

上司と部下であれば、
自分が上司としてこれくらいの尊敬なり、優位性が必要だと感じているのに、
部下の方が、一般職員から頼りにされていたり、
技術的能力が高かったりすると
部下を自分より下に下げようとして
揚げ足を取り出す(攻撃しやすいところから攻撃する)
ということが起こるようです。

これは、自分の上司としての領域を侵されたことに対する
危機意識の反映なのかもしれません。

こういうことを目撃した時は、
言われている方がへこんでいることが多いので、
批判が的を得ていないと思うということを
せめて、言われた方にだけでも告げてあげてほしいと思います。
これがあるとだいぶ救われます。

余力があれば、
やはりそういう的を得ていない批判は
単なる人格攻撃ですから、
上手にやめさせるべきではあります。

異業種間でもそういうことはあるようで、
例えば、教育の分野についての発言を
他の業種が行うと、
「学校の実情も知らないのにいい加減なことを言うな」
という形の批判が起きることがあります。

その批判がまっとうな批判ではなく、
単なる領域侵害に対する危機感の表れの場合は、
その話のどの点が実情に合わないかということを
具体的な指摘が無いのでよくわかります。

話をしている人が、何とかしなければならないと思って
善意でお話をしていただいているのだから、
もし実情に合わないところがあれば
指摘してあげることが親切で、建設的だと思うのですが、
領域侵害危機繁栄の場合は、
違う、間違っている、正しくない
という結論だけが出てきます。

相手や周囲に、不快な感情だけを与える行為ということになるでしょう。
大体は匿名で行われます。

結論のみ提示型の批判のほか、
専門領域引っ張り型の批判も見られるところです。

その専門領域の事例について述べていないのに、
この専門領域の事例では妥当しない
ということだけなら、
アウトラインを画する作業に役に立たないともいえないのですが、

その専門領域の対象者に対する批判だと決めつけられると、
そのことについて言っているのではないのになあと
だんだんどうでもよくなるわけです。

おそらく、その主張に対する批判ではなく、
それまでのその領域への踏み込みに対して危機意識を持っていて
それがあるとき噴出したということなのでしょう。

こういう場合、相手を黒く塗りつぶして黒だと批判するという
平野先生の批判が当てはまる批判形式になるのでしょう。

特に自死問題についての連携の中では
どうしても、他業種の領域に足を踏み込んで活動する必要があります。

そうではなくて、
心の問題はカウンセラーだということになってしまうと、
カウンセラー以外何もできないことになってしまいます。

それでは、連携ではなく分業になってしまいます。
要するにたらいまわしですね。

我慢しあいながら付き合わなければならないのだと思いますし、
法律の領域に口を出してくる業種があっても
歓迎するべきなのでしょう。
というか、権利が生まれるときというのは、
だいたいが、先ず、法律家以外の人たちが声を上げだして、
法律や法律の周辺科学の人たちと連携して
国家の承認にいたるものです。
自分の業種以外の知見を積極的に取り入れることが
本来的に法律学の命なのです。


どんどん分野を移動してお話は進むのですが、

これが親しい人間関係の場合は
領域侵害の危機意識ではない場合があります。

家族だったり友人関係だったりですね。

必ずしも相手に批判するわけではないのですが、
何か意見を言おうとしている時、
「これを言ったら攻撃されるのではないか」
という意識的あるいは無意識の不安を持つと
なかなか言うことができません。

それでも、言おうと思うことがあるのでしょうね。
そのために、怒りを少し借りてくる必要がある場合があります。

要するに、
「これを言ったら攻撃されるのではないか」
という思考形態が強すぎるので
これを麻痺させる作業ということになります。

この脳の活動を低下させるために
「怒り」という感情が必要になるようです。
あるいは、脳の活動を低下させた状態が
「怒り」なのかもしれません。

ところが、
これで発言することはできるのですが、
「怒り」の中での発言は
これを言ったらどういう感情になるだろうかという
将来に対する推論や
相手の心情に対する共鳴力が
同時に低下してしまいます。

先ずは、本当に言いたいことを言うことが難しくなります。
怒りに任せての発言で、なおかつ相手の気持ちを考えませんので
無駄に攻撃的になります。
話を組み立てることができないので、
否定的な結論だけが出てきます。
おそらく、それなのだろうと思いますが、
相手の言い分も理解することが難しくなり、
相手の言っていることが頭に入らなくなるようです。
同じことを波紋のように繰り返して言ってしまいます。

これが夫婦間だとかの関係だと
心底辟易してしまうわけです。
こちらも怒りがわいてきてしまい、
収拾がつかなくなるということですね。

先ず、怒りをもって話す人は、
危機意識を持っている人だと感じて聞くと
何割かは心が軽くなります。

「ああ、一方的にアドバンテージを預けられちゃったな」
と考えると、何割かは落ち着きます。

もし、これが家族であれば、
相手が怒りを借りなければ発言できない
ということを気にするべきかもしれません。

どうしたらよいか、
相手が怒って発言しているときがチャンスなのかもしれません。
怒って発言しても、
言葉を額面通り受け取らなくて、
本当に言いたいことを言い当ててあげて、
(こちらに怒りが向かっていても
 本当の敵は外部にあることが多いようです。)
受け止めて、あるいは、受け流してあげる
ということをしていくうちに、
相手も落ち着いてくるようです。

これを繰り返していくことによって、
少しずつ、発言しても窮地に陥らない
ということ学習してもらうということになるわけです。
そうして、怒らなくても話すことができる領域が
拡大していけば、平穏な生活となるわけです。

結局両者が、自己防衛をしながら付き合うということは
家族の場合、結構苦しいものです。
弱みをすべて見せ合う(原則として)関係が
楽な関係であるということになります。

この時、怒らなくても良いんだよということは逆効果だと思います。
「怒っていない!」ということになるからです。
本人は、怒っているのではなく、
言いたいことがあって、それを言うために工夫しているだけなのでしょう。

真剣に、真意に向き合うということがコツなのでしょう。

職場でも、何か指示を出すとびくびくしている部下がいます。
改善を提案すると、自分が批判をされているかのように
不機嫌な様子を見せます。

これも慣れが必要なのですが、
むしろ、そういう態度にいちいち気にしないという
上司の側の馴れの方が有効なのかもしれません。

その時も、上司を馬鹿にしているのではなく、
自己防衛の行動だと思えば
何パーセントかは、心が楽になるように思います。


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