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市長救命の女性を土俵から降ろすアナウンスの「釈明」の何が足りないのか。あと一歩踏み込んだ反省を [労災事件]

極めて象徴的でわかりやすい事例になってしまったので、
取り上げさせていただく。

平成30年4月4日、大相撲舞鶴場所で、
土俵の上で挨拶をしていた市長が倒れた。
くも膜下出血だったらしい。
緊急に手当てをしようと女性の医療関係者が土俵に上がったところ、
女性は土俵から降りるよう場内アナウンスがされたとのことである。

当然大問題である。
ただ、相撲協会も釈明で、
“女人禁制”の伝統には「人命より大事なものはこの世に存在しない。女性が土俵に上がってはいけないという話とは違う次元の話」
と述べている。

「伝統」とか、「神聖」とかが
倒れた市長の命より優先されるアナウンスだった
ということを言葉にしたところは評価しなくてはならないだろう。

しかし、まだまだ足りない。
それは、なぜ、そのようなアナウンスをしてしまったか
その理由について
「(観客席の声に)あわてて反応してしまった」としているところである。

以上は、下記報道から。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00000161-spnannex-spo


この時、アナウンスをした者は、
二つの反応をすることが考えられる。

人命が最優先であるから、女性が土俵に上がることを容認する。
土俵は神聖であるから、女性が土俵に上がることをやめさせる。

前者の反応をしたのがなぜかということを考えなければならない。
これが、前向きな反省である。
アナウンスをしたものの責任で終わらせない反省である。

パワーハラスメントや、セクシャルハラスメント等は
だいたいが、些細なことに対する「反応」である。
ハラスメントをする、しないという
2種類の反応が選択肢としてある。

どちらを選ぶかにどのような違いがあるのだろうか。

それは一言でいえば、協会の言うように、
人命、人格に最大の価値をおくか
それ以外のものに価値をおくか
という違いである。

会社全体が、長時間労働や労働強化という
利益追求優先(利益優先ではない残念ながら)で
命や人格に価値をおかない風潮が多いところに
ハラスメントは横行している。
つまり退廃である。
当然、長続きしない経営方法である。

人命、人格、つまり人間を大事にしようとするならば、
過労死の危険云々の前に
家族と一緒の時間を過ごせない働き方自体を
させることができるわけがないと私は思う。

「会社は厳しいのだ」
という呪文を繰り返して労働者の人格を攻撃し、
その影響を家庭に持ち込んで
家族不和の原因を作ることになるかもしれないと
人間を大事にすることに価値をおくならば
気が付くはずだ。

そもそも感情のある人間を
困惑させることだって、
心理的抵抗を覚えるはずである。

過労死やハラスメントの情緒的原因は、
この人間を大切にしない風潮である。
人間を使い捨てのきく資材と考えている風潮である。

相撲協会の場合は、
「神聖」な「伝統」である。
これが人間を大切にする価値観よりも
重く置かれているということが
最大の問題なのだ。

だから、
横綱の話を聞かないということで暴行をするのだし、
先輩力士の気に障ったら、暴行をするのだし、
立行司がセクハラをすることになる。

今回のアナウンスと一連の不祥事は
同じ根を持っている。
ここまで気が付いてほしい。

むしろ今回のことは、
相撲協会の再出発のための
問題点をクリアーにした。
責任問題よりも、この問題点を解決する
その糸口になったとみるべきだと思う。

大相撲は、巨漢が猛スピードでぶつかり合う。
立ち合いの運動エネルギーはすさまじく、
死と隣り合わせと言っても過言ではない。

ついつい、人命や、健康を
おろそかに考えてしまう危険が常にある。
だからこそ先人たちは、
相手に対する礼や、威厳というものを
大切にして、人間性を失わないように
工夫をしてきたのだと思う。

ただ、会社での例を挙げたけれど、
何か、明確な目的があると
このように人間を大切にしようとする価値観が
後退するということに気づかせてくれた
と前向きにとらえたい。

学校の部活動でも
考えてもらいたいことではある。



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二度、地方公務員災害補償基金支部審査会で逆転認定を受けた公務員 [労災事件]

公務中の事故で、外傷性頸部症候群等の傷害を負った方がいます。

地方公務員の場合は、地方公務員災害補償基金に対して
当該公務員の所属長が公務災害を申請します。

裁判みたいに三審制になっており、
先ず地方公務員災害補償基金都道府県、政令市の支部長が判断します。
ここで認められない場合は、
支部に設置されている外部委員で構成する
支部審査会で判断します。

ここでも認められない場合は、
本部の審査会で判断することになります。

どこかで認められれば確定ですが、
どこでも認められない場合は裁判になります。

但し、この様に三審制ではありますが、
なかなか逆転認定が認められることはありません。
例えば、平成27年の数字
http://www.chikousai.jp/gyoumu/fufuku/kensuu/h27/h27saisin.pdf
57件中3件しか認められませんでした。逆転率は5%くらい。

と思っていたのですが、
28年は、結構逆転してますね
http://www.chikousai.jp/gyoumu/fufuku/kensuu/h28/h28sin.pdf
152件中27件というのは、18%くらいの逆転率ということになりますね。

それにしても、請求自体が倍増していますね。
(請求件数と処理件数が違うのは、年度またぎがあるからです。)
無理な不支給決定が増えてないとよいのですが。

外傷性頸部症候群の公務員は、
支部長段階で後遺症があるにもかかわらず、
後遺症が無いと認定されました。
支部審査会で、やっぱり後遺症があると
認められたのでした。

実はこの方、同じ公務災害で
前にも逆転認定を受けています。

それは、この怪我について
お医者さんの言われるとおりに治療を受けていたのですが、
それは公務災害とは認めないとか
もう治療は終わっていると
治療を継続しているにもかかわらず、
一方的に打ち切られたので、
不服申し立てをした結果、
まだ治療は終わっていなかったと
逆転認定されたという経験があります。

同じ人で、同じ事件で
二度の逆転認定があったということは
おそらく初めてのことではないかと思います。

この時の支部長の治療打ち切りの理由がすさまじかったのです。
むち打ちは、通常3カ月で治るのだから、
もう治っているはずだ
というようなことでした。
保険会社も、そんなこと言わないだろうという勢いのはなしでした。

そもそも、外傷性頸部症候群は、むち打ち症だけでなく、
その他の症状が出るから症候群なのです。

しかも、複合的な外圧がかかった複雑な症状なのに
3ヶ月でという単純なむち打ちのケースを持ち出してくることにも
無理がありました。

今回の理由もひどかったです。
レントゲンやMRI等の画像所見が無いから
後遺症はないというものでした。

しかし、軟部組織の挫滅の場合は
画像に写りません。
画像に写らないから痛みが無いとは言えないのです。
後遺症について知らないようでした。

さらには、
ストレートネックの画像所見があるにもかかわらず
臥位で写した画像でストレートネックが見られないとして
ストレートネックが治ったと言いました。

臥位(横になっての撮影)の場合は
ストレートネックがあっても判断が難しいのに、
それを根拠にないと言い張るのです。

もっとあきれたことは、
明らかなストレートネックが撮影された日から
わずか5日後の画像だったということです。
5日でストレートネックが治るということはありません。
こんな判断を医師がしたということになっていますが、
ことによると医師は関与していなかったのかもしれません。

もし医師がそのようなことを本当に言ったら、
大変問題だと思います。
医師のコミュニティーでの自浄作用が
必要なのではないかと考えます。

是非、実名で
「ストレートネックは5日で治る」
という本を出版していただきたいと思います。

公務災害や労働災害は、あるいは交通事故もそうですが、
法律や判例だけを知っていても
解決できないことがお分かりになると思います。

医学的常識を持たないと
どの点がむちゃくちゃで理由がないことを言っているか
分からないので、活動しようがないということになります。

逆に医学的な知識だけあっても
公務災害や労災保険の制度を知らないと
本当は補償されるはずなのに
申請すらさせてもらえないこともあります。

例えば、ブルガタ症候群は
遺伝的要素が大きい疾患だとされています。
(但し、患者の25%程度しか、
 関与している遺伝子を確認できなかった
 という報告もあるようです)

だから、労災制度を知らないと、
ブルガタ症候群だから
労災の対象にならないという
変な思い込みをする医師もいたりするわけです。

労災は、基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させる場合も含まれます。

つまり、医学と法律と両方をある程度わからなければなりません。
弁護士も、できるだけ多く医学的な事件
労災や交通事故等に関与し、
一つ一つの疾患について、
よく議論の内容を理解し、記憶に入れておくことが望ましいということになります。

とは言っても限界がありますから、
弁護士は、気軽に話を聞ける医師が身近にいる
お医者さんにアドバイスを受けられる状態にする
ということが実務的には有効です。

そうして作戦を練って
主治医の先生と相談したり、
鑑定を依頼したりするわけです。

はじめから丸投げでおねがいしても
有効な医学的証拠は得られません。

そうして、かつては開かずの扉だった
地方公務員災害補償基金の審査請求も
けっこう認められるようになってきました。

だから、支部長段階で認められなくても
医学的に、医師と連絡が取れる弁護士に
相談することが必要だし、
審査請求の件数が増大しているところを見ると
理不尽だと感じる不支給が増えている可能性もあることから、
先ずは、相談してみる価値がありそうだと
そう思いました。

最後に、今回二度目の逆転認定をされた公務員の方ですが、
先ずは、ご自分で、理不尽だという強い思いを持たれていました。
これが無ければ逆転認定はなされなかったと思います。

もう一つ、
ご家族の徹底したフォローがありました。
お一人では、なかなか打ち合わせに来ることも難しかったようです。
ご家族の支えがこの結果を導いたのではないかと考えます。

おめでとうございました。

それから最後に、
主治医の先生や当事務所のアドバイザー医師の先生
本当にありがとうございました。
何度も同じことを聞いても
時々しかうっとうしがらないで
粘り強く教えていただいたおかげで、
今回の結果につながりました。








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パパは写真の人 [労災事件]

「青空と千切れ雲はパパの記憶」

高い高い青空に 千切れ雲が浮かんでた
それは私のパパの記憶の全部

私が起きる前に出かけ 眠った後に仕事が終わる
日曜日もなくて いつも家にいなかった。
私が三つになったころ、パパは写真の人になった

私はパパの動いている姿は覚えていない
パパの声も知らないし、匂いもわからない。
それでも私には、確かにパパがいた。

高い高い青空に千切れ雲が浮かんでた
それは私のパパの記憶の全部

一度だけパパに連れてってもらった
その角を曲がったとこにある近所の公園
ただ一つだけ覚えていること

高い高い青空に千切れ雲が浮かんでた
それは私のパパの記憶の全部

人はみな青空を見ると 晴れ晴れとするという
私は青空を見ると懐かしい気持ちになる
私にはパパがいたことが私にも分かるから

高い高い青空 千切れ雲が浮かんでた
それは私のパパの記憶の全部



「早く帰ってくればいいのに」

パパ早く帰ってくればいいのにって
写真のパパに言ってた私の口ぐせ

でも今日私は気づいてしまった
本当はママの口ぐせだったこと

写真の人なる前に、ママが私と二人の時
ついつい口から出てしまっていた ママの口ぐせ

パパが写真の人になった時に
ママはその言葉を言わなくなった

ママが言わなくなったことが
意味もなくわたしは寂しかった

私が写真のパパを見るたびに
早く帰ってくればいいのにって

いつも言ってたのは、ママの代わり
本当はそうだったんだ

私がいつも言うたびに
ママはどんな顔をしていたのだろう
いつしか私も言わなくなって
ママの顔も思出せない

ママは一度だって 私のいうことを
止めることはなかったけど

本当はママこそ言いたかったんだ
パパ早く帰ってくればいいのにって





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過重労働=強すぎる責任感を脱却して、過労死を防ぐための人間らしく生きる価値観への価値観の転換を [労災事件]

1 過重労働に胸を張る人々
2 過労死の弊害
3 責任感を持つことは美徳だという考え方
4 ブッダの中道の教えとイエスのアガペーに学ぶ
5 新しい価値観 人間らしく生きるということを考える


1 過重労働に胸を張る人々

開業されているお医者さんからうかがったのですが、
最近の学校の先生方の長時間労働は目に余るというのです。
60歳前の管理職の先生は
いつも深夜零時まで仕事をしているけれど
充実していて楽しいとか
別の先生も、先月時間外労働100時間になっちゃって
とか、それは高血圧は治りませんねと私も相槌を打ちました。

「ずいぶん忙しいですね」と
言外に働き過ぎが良くないよというニュアンスで言っても
教師の場合は、真顔で
「ええ、忙しいです。」というのだそうです。
他の職業の人たちは、ごまかしたり、苦笑したりと
そういう態度をとるのに、
教師は二の句を継げられない反応をするそうです。

医師の言う「忙しいですね。」という意味に
否定的なニュアンスがあることを分からないというより、
どこか誇らし気な雰囲気がある
あるいは教師だから当たり前です
という雰囲気があるそうです。

もう一つエピソードがあります。
平成29年3月の仙台市の中学校の卒業式のことです。
仙台で、一番ではないけれど古い創立だろうという名前なのですが、
卒業式の校長の祝辞で、
銀座にすし店を構えて世界中から食べにくるという
寿司職員の話が出されました。
子どものころからろくに教育も受けないで、
みんなが寝ている暗いときから起き出して準備をして、
みんなが寝た後まで仕事をして
仕事を覚えて、上り詰めて
それで銀座ですし職人をやっている。
それを見習えというのでしょうかそういう話でした。

既に電通の過労死事件が広く報道され、
国を挙げて働き方改革を唱えている時に、
あえて挑戦するように過重労働に自ら飛び込めという話でした。

ちなみに、そのすし職人の方は80歳を超えているということですから、
特別に血管や肺が丈夫な人だったということです。
同じ時代の若者たちは
どんどん過労死で死んでいきました。
今の脳・心臓疾患ではなく
結核などの伝染病や
風邪をこじらせた肺炎、衰弱死などで若い命を落としてきました。
当時の栄養状態では、
脳・心臓疾患が発症する前に
栄養不良が原因で死んでいったのです。

このため、昭和22年に制定された労働基準法は
1日8時間の労働規制が定められて今に至っているのです。
労働基準法の作成に携わったお役人は
後に労働法の教授となり教科書を書いています。
1日8時間労働制や当時の48時間労働制は
早死にしないために法律に入れたとはっきり書いています。

過労死という言葉はなくても、
当時から働き過ぎで命を落とすということは
法律に盛り込まれるほど知れ渡ったことでした。

中学校の、校長ともいう立場の人が
これから社会に巣立つ教え子に贈る言葉が
過労死にいざなう言葉を祝辞で話すというのだから
学校現場の労働に関しての考え方が
うかがい知れるというものです。

2 過労死の弊害

教師には危機感を持っていただきたい。
長時間労働を中心とする過重労働は
本人を早死にさせるだけではありません。

死に至らなくても
脳梗塞を発症して長期入院を理由に自宅に帰され
奥さんが24時間管理をしていた事例

うつ病を発症させて
奥さんが買い物行くとすぐに電話がかかってきて
いつ帰る?どこにいる?とはじまる事例

またうつ病のために奥さんと話さなくなったため、
奥さんの方で自分が嫌われたと思い込んで
離婚に至ってしまった事例、

本人がイライラして家庭不和がおこり、
子どもたちが大人の分まで家族を支えようとして
力尽きてしまった事例、

そもそも、親と一緒にいる時間が極端に少ない事例
実際には、死ななくても家族は苦しんでいるのです。

3歳で父親を亡くした事例では、
日曜日も仕事に行っていたので、
娘の父親の思い出は
2回、近所の公園に行ったことだけでした。

家族だけではありません。

自分が無邪気に長時間労働をするため
同僚が早く帰宅することがはばかられたり、
そういうこともありますが、
前任者はここまでやってくれたと言われて
後任者の長時間労働の道筋をつけたりということもあります。

学校の先生の場合は、さらなる問題があります。
教え子がいるということです。

もし、過重労働、長時間労働が
テレビの中だけのことだったら
実際に自分が、長時間労働を強いられれば、
これは異常だとか、これはひどすぎると思うことができるでしょう。
しかし、良く知っている人が
夜中学校の近くを通ると仕事をしていたり、
休日労働をしていたりすると
その異常さや、ひどいと感覚はだいぶ薄れてしまいます。
過重労働職場からの離脱が遅れてしまうということが
あると思います。それは生死を分けるでしょう。

仙台市の中学校の校長の卒業式は極端な例だと信じますが、
(おそらく教育委員会は処分したのでしょう。)
そんな馬鹿な常識外れのことを言わなくても
自分の働き方で教え子を過労死に導いてしまう
そういうことも考えてもらわなければ困ります。

3 責任感を持つことは美徳だという考え方

過重労働をする人、もっと端的に言えば
過労死でなくなる方たちは、概ね、
責任感が強く能力の高い人たちです。
学校の先生方はまさにそういう方々なのでしょう。
仕事の内容がそれを要求するのだと思います。

大切な子どものために、
やらなければならないことはやり抜くと
責任感を持ってやるからこそ
過重労働となることが当たり前だ
という意識なのでしょう。

また、PTAや社会が要請するから仕方ない
という言い訳もよく聞きますが、
これも期待に応えようという
責任感なのでしょう。

これまで私は、そのような責任感を
否定的に評価することができませんでした。
しかし一方で、自分を大切にしない、家族への責任を果たせない、
同僚や教え子に害悪をまき散らし
他人の命を縮めている原因になっているとすれば
どうにか考えを改める必要があると思います。

このように社会的に正しいと思われた価値が
後に否定された例としては戦争協力があります。
ほかならぬ学校の先生が、
仙台市の中学校の卒業式の祝辞の様に、
生徒たちを鼓舞激励して、
戦地へ送り込んでいきました。

戦争反対などをいうならば
教育の名のもとに非国民扱いをしたわけです。
万歳三唱で戦争に送り込んだわけです。

当時は、戦争に対する表面的な評価は
日本の経済を打開し、
アジアの諸国民を解放する聖戦だというものでした。

戦争に行って国のお役に立つということこそ
責任感の最たるものだったのでしょう。

戦争協力は単純否定されましたが、
滅私奉公とでもいうような責任感は
肯定的に温存されたのかもしれません。

また、今やるべきことを目の前にして
あるいは、サービスを低下させて
家族の元に帰るということも
一抹の抵抗感があることも事実です。

責任感もほどほどにということもあるでしょうが、
ではどこで責任感=過重労働に歯止めをかければよいのでしょうか。
ここは悩んでよいところだと思います。

4 ブッダの中道の教えとイエスのアガペーに学ぶ

これからいうことは、宗教の奥義ではありません。
あくまでも高等学校の倫理社会の教科書レベルのはなし
ということをお断りしておきます。

さて、ブッダが登場するころ、
インドでは、堕落に対しての抵抗が強く
厳格な戒律の元、厳しい修業が行われていました。
ジャイナ教では、万物の命を大切にするということを徹底し、
空気中の小さな生き物を誤って食べてしまわないように
白い布で口を覆うなどの徹底ぶりでした。

修行も厳しく
生死の境に追い込むような厳しい修業が尊ばれていたそうです。

ブッダもこのような修行の道に入りかけたようですが、
まさに悟りを開いて、
厳しすぎる修行から離脱したそうです。
その時に、牛飼いの少女から牛乳をもらったということが
象徴的に語られています。

中道という言葉があるのですが、
どうやら、厳しいのもほどほどにという意味ではなさそうです。
私たちはそのようにとってもよいのでしょうけれど。

道という言葉は、実践を意味するのだそうです。
中という言葉は、一つに偏らないということが中核で、
左右の間ということよりも、
むしろ、右と左とか、善と悪とか
そのような二者択一的な思考から自由になる
そういう意味のようです。

もっとも私たちは、少し単純化して、
修行を厳しくするか否かということから考えをはなれて、
本当に大事なことは何なのかということを考え、
そのためにどのような修行をするかということだと
一応押さえておきましょう。

このような状況をこのような切り口で見ると
思い起こされるのがイエスのアガペーです。

やはり当時、堕落に対抗して、
戒律という神との約束を守り
神の国を作り救済されることを目指した、
厳格でまじめな集団であるパリサイ派の人たちが
活躍していた時代です。

神との約束を守るということですから
誰もそれを否定することはできなかったわけです。

しかし、戒律を守るということは
わかりやすいだけに難しい側面が出てきます。
例えば、安息日には仕事をしないという戒律があります。
病気で苦しんでいる人がいても
安息日は治療をすることができないということになります。

戒律を守るということに縛られてしまい、
是正してよいものかなんとも難しい思いをされたことでしょう。

そんな時に登場したのがイエスです。
もっと大事なことがあるということで、
神は、善なる者にも、悪なる者にも、
変わることなく、太陽の光の恵みを与えてくださる
という神の無償の愛、絶対愛を説いたわけです。

汝の敵を愛せとか黄金律の隣人愛等
戒律ではなく愛を説き、
神との新しい約束を説いたわけでありました。

こうやって見ていると
真面目過ぎる人たちは必ず、
世の中がおかしくなるときには出てきて、
その中から至高の実践家が登場し、
新しい価値観を示していたということがわかります。

大変興味深いことです。

5 新しい価値観 人間らしく生きるということを考える

それでは、責任感に代わる価値観を説く
スーパースターに橋渡しをするために
無理を承知で考える試みをしましょう。

責任感が正しいか否か、その程度は
という問題はいったん脇に置いておきましょう。

今考えなければならないことは
まじめな人たちが過労死しないための価値観です。

過労死を招く過重労働について考えましょう。
過重労働は、人を死なせる環境です。
この環境は、生きようとすることと逆行します。
少なくとも生物的にはそのように言えるでしょう。

過重労働をするということは
自分の命を守ろうとしないことになりますから、
少なくとも生物として間違っていると言えるのではないでしょうか。

そうして、先に述べたように
家族の中で自分の役割を果たす時間が無い
ということも言えそうです。
特に子どもに与える影響は深刻です。
過労死したり、致命的な状態になり寝たきりになれば
家族を苦しめるということも過重労働の結果です。

また、同僚に自分と同じ過重労働を無言で強制することですし、
後輩に過重労働の道筋をつけるということでもあります。
それは、他人の命の危険というリスクを拡大することです。

そうだとすると、この価値観を強調することが
問題の出発のような気がしてきます。

要するに過労死を起こすような過重労働は、
自分の命や健康を蝕むという環境であるとともに
自分が大切にするべき人達の人間関係を蝕む環境
出もあると言えると思うのです。

自分が大切にするべき人たちに
大切にするという役割を果たせないと言い換えてもよいでしょう。

これは、ただ命を守るという以上に
人間は、自分とつながりのある人たちに
役割を果たしていく責任があり、
つながりのある人たちと一緒に幸せになる
なろうとすることこそ、
人間として生きるということなのではないか
ということになるのだと思います。

自分とかかわりを持って生きることで
生まれてきてよかったと思ってもらうことができれば
なんて素晴らしいことでしょう。

6 価値観の転換をすることこそ過労死予防の一つの条件

法律には、もうすでに、過労死を防ぐための工夫が
色々と施されています。
これ自体が、禁止されても自分たちの権利を訴え続けた、
先人たちの努力と犠牲の結果です。

先人たちは、自分たちの主張こそが正当だという確信を持ち
国家などからの禁止、制限に対抗してきたと言われています。

実際の労働者の権利を拡充していったパイオニアは、
イギリスなどの西洋の人たちでした。

その不屈の精神は、
日本でもある程度は存在していましたが、
自力で法律を変えるという力になったというまでには
行かなかったと思います。

それはどうしてか。
おそらく、
自分たちこそ正当だ
という意識を
どのように作っていったか
その点を考える必要があったように思います。

西洋の人たちは、
自分たちこそ正当だという意識を持つ背景として、
自分たちを大切にしよう
自分の家族を大切にしよう
自分の仲間を大切にしようと
そういう考えに習熟していたのだと思います。

時代的背景や社会構造の違いなどがあると思います。
ただ、日本ではそのように、
自分や自分のつながりのある人を大切にする
という価値観が十分に確立しては
いなかったのではないでしょうか。

責任感が、教育や社会風習で、
会社のために自分の時間を費やすということに
すり替えられていたという
側面はないでしょうか。

私は、様々な法律の工夫だけではなく、
肝心な過労死防止の保障がここにあると思います。

自分の素朴すぎる責任感を疑うべきです。
長時間労働だけでなく、
パワーハラスメントやセクシャルハラスメント
不可能なことをやれと言われる環境等
自分の職場の出来事を家族に語れない環境
そのような職場は、
人間らしく生きるという価値観に照らして
不道徳な職場だと評価されるべきです。

与えられた仕事をやり抜くという
責任感に対する価値観よりも、
人間らしく生きるという価値観を優先するべきだと思います。
その行動の結果、
リスクがあるのか、デメリットがあるのか、
ということを十分に考えて、
人らしく生きるという観点に逆行するのであれば、
人間らしく生きるという方向に転換するべきです。

それこそが、過労死をしないで働く権利、
人間らしく生きる権利を保障する価値観だと思います。

過労死を防止するためには、
価値観の転換こそが必要だと思います。

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過労死防止対策推進シンポジウム宮城 過重労働が家族に与える影響 [労災事件]

平成29年11月18日土曜日
仙台メディアテーク1階オープンスクエアにおいて
厚生労働省主催の過労死防止シンポジウムを開催します。

シンポジウムと言っても
誰かが長々講演するのではありません。
(それが悪いというわけでもありませんが)

昨年過重労働等でうつ病に苦しんでいる人たちと
心理士、弁護士が共同研究を行い、
どうすれば、死ぬ前に過重労働から抜け出るか
ということを発表したのですが、
企業の労務担当の方を中心に
大きな反響をいただきました。

今回も宮城は一味違います。

実際に起きた事件
会社のトラブルを会社が放置してしまい、
逆に労働者を攻撃した形になり、
労働者がうつ病になり、
10年が経った今も働けない状態で
労災認定された事件をモデルに構成しています。

事件を、朗読劇のようにして発表し、
臨床心理士の方を中心に、
各ポイントポイントを指摘し、
どこが精神的に圧迫されたところか、
どうして精神的にきついのか、
逐一解説していきます。

パワハラとか過重労働とか、
不可能を強いられるという意識を持つのですが、
それを命令する方は、
相手を圧迫していることに
気が付かないことも多いのです。

具体的事例を参考に
ここだと指摘します。
資料配布予定(無料)

さらにメインは、
過重労働と家族の問題です。

過重労働とか過労死防止とかいう場合、
「働いている労働者の命を守る」
ということで、悪く言えば終わっているような気がするんです。

死ななければ良いということになってしまうのは論外ですが、
過重労働がある場合は、
リアルに見て、家族も苦しんでいます。

もちろん、夫や妻がうつ病になってしまって、
うつの看護や介護が大変だということもあるのですが、

病気にならなくても
苦しんでいる家族を見るのが辛いということもありますし、

病気にならなくても
イライラして家族に当たり散らすということもありますし、

病気にならなくても
家族と会話をすることが難しい状況になることもあります。

過重労働が原因で夫婦のチーム感覚がなくなってしまい、
離婚事件になるケースも最近増えていると実感しています。
このあたりが労災弁護士業務と、離婚復縁弁護士業務を
どちらも頑張っているならではの話ですね。

幸せになるために働いているのに、
家族を不幸せにするということもだめだと思うのです。
みんなが幸せになるようにすることこそ
働き方改革だと思うのです。

このモデルケースでは
旦那さんは一時重いうつ病にかかります。
奥さんもどうやらうつ的傾向にあったようです。

どこが、奥さんが精神的に圧迫されたポイントか
という問題もさることながら、
奥さんがどういう風にうつを乗り越えていったか
ということを
詳細に報告することとなります。

言い切ります。
世界中でこのような研究テーマでの
過労死防止シンポジウムはない
はず。

そして、宮城会場恒例のミニコンサート
また今年もあります。
今年もビッグネームです。

あの翼の折れたエンジェルの作詞作曲で有名な
高橋研さんが友情出演してくださるという
涙ものです。
無料なんです。

私は、高橋研さんと言えば、
加藤いずみさんの
好きになって良かったが
カラオケの持ち歌なので、
とても尊敬しています。
とても楽しみです。

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過労死遺族の会東北希望の会だより、11月18日の仙台シンポの打ち合わせと裁判と [労災事件]

東北希望の会のお話を久しぶりにしましょう。
毎月例会があるのですが、
参加させていただいていることが
私の財産になっているということを
是非お話ししたいのです。

東北希望の会の説明は後ろの方に書いておきます。

東北希望の会の活動の基本は、毎月の例会です。
なんでもここで話し合って自分たちで決めてゆきます。

先日は、狭い部屋に25人もはいり、
ぎゅうぎゅう詰めの中、熱い議論を交わしました。

東北希望の会という名前は、本物で、
北は青森から南は北関東まで会員がいます。
この会議にも、岩手県の海岸の町から車で4時間かけていらっしゃったり、
福島県からも、北関東からもわざわざ新幹線に乗って
いらっしゃるのです。
これだけで感激です。

さらに、旦那さんが自死して数か月の方や
自分が過重労働の後遺症で精神的に苦しんでいる方
いろんな方がいらっしゃいます。
みなさん、活発に発言されているんです。

今回は特別ゲストもいらっしゃいました。
厚生労働省のシンポジウムの打ち合わせということで、
宮城労働局の方が、土曜日にもかかわらず、お休みの所、
例会においでいただいて、和やかにお話に参加していただきました。
かなり偉い人なのですが、物腰の低い方でした。
当事者の方々の労災制度に対する憤懣を
どのようにお聞きされているか
冷や汗もののシーンもありました。

それから、テレビ局の記者さんもいらっしゃいました。
こういう例会に参加し、現場の雰囲気を味わってもらい、
インタビューでは出てこない本音を聞いていただくことは
とてもありがたいことです。

シンポジウムの内容などについては、
また別の機会にするべき分量になってきましたので、
今回は割愛します。

家族が過重労働で精神疾患になり、
夫婦共倒れになりそうな中から、
奥さんが回復して、
希望の会の例会にも参加できるようになった
そのお話を今回のシンポジウムでやるのですが、

毎回例会に、他県からでも来ようと思う
その理由は何かということが話し合われたのですが、
その時ご本人は、二つ理由を述べられました。
「詳しいことを言わなくても自分のつらさ、悲しさを分かってくれる」
「自分の発言を否定する人もいないし、
 誰かの発言を否定する人もいない。
 それが心地よいのかもしれない。」
ということをおっしゃっていただきました。

前者は、よく理解できます。
後者は、驚きでした。
誰も、ファシリテーターの訓練もオープンダイアローグの理解も
アサーションの技術もない人たちです。
それが、熟練の技術を屈指でもしているような
そういう話法を身につけているということになります。

今日は簡単に結論だけ言いますが、
おそらく、人間同士の思いやりの気持ち、
お互いをいたわる気持ち、
相手の苦しさや立場を理解しようとする気持ちが、
自然とそういう場を作っているのだと思います。

感激でした。
いろいろな方々の参加と合わせて、
普通に歩いていても、
目だけ半泣きの状態で帰りました。

10日くらい後に、
会員さんの一人の裁判の第一回がありました。
なんと、岩手から福島から北関東から
大勢の会員さんが応援に駆けつけていただきました。

ポッセの若者も応援に来ていただきました。

人と人との結びつきに
いつも感動させていただいています。
東北希望の会に参加させていただくことも
私の貴重な財産になっています。
私は幸せ者です。

<東北希望の会についての説明>

東北希望の会は、平成25年4月に生まれました。
家族を過労死や過労自死で失くした遺族が中心です。
初めから、ご自分が過重労働によって
うつ病や精神障害の闘病中の方も多く参加しています。

そこに私のような弁護士、社会保険労務士、臨床心理士が
脇を固めて活動をしています。

二つの大きな活動があって、
一つは、過労死を無くすという社会活動です。
平成26年の過労死防止法制定に向けた活動や
今度仙台で11月18日、郡山で12月2日に開催される
厚生労働省主催の過労死防止シンポジウムの企画をしたり、
11月14日に山鹿の同じシンポジウムに参加したりと
そういう活動です。
名前を出せる人は名前を出してお話ししますけれど、
それはちょっとという人は、無理をしないということにしています。

だって家族が無理をして亡くなったのですから。

もう一つの活動は、当事者同士の助け合いです。
夫を亡くしたお母さんが、
自らも闘病しながら子どもを育てるのに夢中で、
クリスマスをスルーしてしまったという話から、
みんなで助け合えば、荷を分かち合えば
愉しく過ごせるということで、

毎年冬はクリスマス会、
夏は、塩釜の島に船で出かけて
海水浴やスイカわりを楽しみます。
一つのご家庭ではなかなか大変なのですが、
みんなでやれば、色々なことができます。

毎年サンタクロースを呼んでプレゼントを渡してもらっています。
小学校以下の子どもたちはただただ楽しんでいただければよいですし、
中学校以上のお子さん方は、調理のお手伝いをしていただいたりしています。
ボランティアの高校生が大活躍したりしています。



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これが典型的なパワハラだ。「一度で覚えろ」、「こんなこともできないのか」がとても危険で即刻辞めるべきだという理由 [労災事件]

パワハラによって労働者が自死した事件を担当すると、
かなりの頻度で登場するのが、

「どうして一度でわからない」
「一度聴いたら覚えろ」
「何度説明すればよいのだ」
「何度言ったらわかるのか」
「どうしてこんなこともできないのか」
「こんなことができなくて今まで何やってきたんだ」

という、労働者の能力を直接否定する言動です。

挙句の果てには、
「一度言ったからもう言わない」
「あとは自分で調べろ」
「自分で理解する努力をしろ」
ということで、指導を放棄するという
行動に出ることも多く見られます。

(公共の安全にかかわる仕事で
 こういうことが横行しています。
 自分が言われたことをどうやってやればよいか
 わからない人に私たちの安全が
 ゆだねられているということが結構あることになります。)

こういうことは一度で終わらず、
何度も何度も繰り返されます。

そうすると言われた方はどうなるでしょうか。


人間は群れを作る動物です。
800万年前ですから「言葉」が生まれるはるか以前から
群れを作ってきました。
その仕組みは、
群れから追放されそうになると
「不安」を感じて、
自分の行動を修正することで
群れにとどまってきたというものだと思います。

この「不安」を生理学的に言ったのが
ストレスです。

そもそも群れから追放されるようなこと、例えば
理由もなく誰かを攻撃するとか
弱い者から食料などを奪い取るとか
そういうことを、はじめからしない
ということもこの仕組みです。

自分では気が付かなくても
群れの反応を見たり、推測したりして
やろうと思った行動をやめてみたり、
方法を少し変えてみたり
私たちもやっていることです。

現代社会ではもしかすると
群れにとどまる切迫した必要はないのかもしれませんが、

800万年の人類の歴史の上に自分たちは生きているわけですから、
こういう群れが命の維持の絶対条件だった時の
修正が無くなってしまうことはなく、
遺伝子にしっかり組み込まれているとみるべきでしょう。

無意識に、
不安感や自己嫌悪感が
キチンと形成されているわけです。

とにかく群れから追放されそうになると
群れにしがみつこうとしてしまいます。
人間というのはそういう動物です。

群れから追放されることの不安が高まるきっかけが、
自分が群れにとって不用な人物だという烙印を押されることです。
群れにとってふさわしくない人物だとか
どうでも良い人物だとか人より劣っているとか
自分がそういうふうに思われていると感じると
どんどん不安になり、ストレスが形成されていきます。

先ほどの言葉

「どうして一度でわからない」
「一度聴いたら覚えろ」
「何度説明すればよいのだ」
「何度言ったらわかるのか」
「どうしてこんなこともできないのか」
「こんなことができなくて今まで何やってきたんだ」

これらは、
自分が、職業をする職場の人間として
能力的資格がないということを突き付けています。

解雇するぞとか退職を示唆されているわけではないのですが、
遺伝子的レベルの無意識の反応の中に
群れから追放されるという不安を
つい持ってしまうきっかけになってしまいます。

要するにこれらの言葉の中には、
「これは、私たち職場の人間は、
 通常一回聞けばわかるものだ。
 これを一回聞いても覚えられないのは、
 私たち職場の人間の持っている資質よりも
 一段劣っている資質の人間だということだ。」
という言外の言葉が隠されていて、
その要点を、
むしろ無意識のレベルで把握してしまうということだと思います。

しかし、この評価が正しいということは極めて少ないです。
一回聞いて覚えられるような誰でもできる仕事が
プロとして行われている仕事だということはあまりありません。
素人にできない仕事だからプロの仕事なのです。
一回聞いて覚えられるということはあまりないということが現実です。

次に、すぐに把握できる環境にあるのか
ということが問題です。
過重労働が続いていないか
あれこれといろいろなことを同時期に行うことが要請されていないか
不必要な緊張を押し付けられていないか
という問題があります。

こういう悪条件があると、
新しいことを覚えることは難しくなります。

そしてさらに、
教え方は適切だったか
という問題があります。

立派な上司であれば、
自分に自信のある上司であれば、
自分の教え方を修正しようとして、
部下のわからないポイントを尋ねるでしょう。

そして、どこがわからないのか、
どのポイントに誤解なり、知識不足があるかを見極めて、
適切なアドバイスをするでしょう。

本当を言えば、それができないからこそ、
二度目を教えることができないのです。
一度目は、わけがわからないうちにまとまった指示を出すので、
聞いている方が疑問を持たないのです。

それで実際やってみて、
具体的にわからないことが出てくる。
その分からないことを聞かれると、
そこにピンポイントに応えて、説明しなければなりません。
おそらく、パワハラ上司は、
自分でも人に教えるほどはわかっていないのだと思います。

「自分はそれでも食らいついていった」と言うことも多いのですが、
食らいつく甲斐のあった自分のかつての上司と、
自分自身の比較をしてから言うべきです。

教えないで済ませることができる職場なら
どうでも良い職場ということになります。
上司が役割を果たさなくても不問に付されるということですから
上司にとってとても甘い職場ということになります。
あまり未来のある職場ではないでしょう。

大体は、一度聞いてわかるような話ではありません。
自分で調べると言ったって、
何をどう調べたらよいのか
経験などが無いためにわからないということが多い
ということが裁判等では明らかにされることが良くあります。

それでも、言われている方は
そんな事情は全く分かりません。
次第に、本当に自分には能力が無いのではないか
と考え始めてしまいます。

一つには、繰り返し上司から言われているうちに
そう思いこまされるということもあるでしょう。

ただ、見逃してはいけないことは、
人間は理不尽な扱いを、理由もなくされている
という絶望を感じることをなるべく回避しようとするようです。

だから、「自分が悪い」と思うと
かえって救われるのだそうです。

「どういう風にやったら良いかわからない
 上司に尋ねても教えてくれない
 このままだと、自分は指示されたことが
 達成できない」
労働者は途方に暮れているわけです。

できなければ叱責されるでしょう。
極めて理不尽なことになっているわけですが、
それが理由なくされていると
そこまでひどい扱いをされているとは
人間思いたくないようです。

「何か理由があるはずだ
 その理由を見つけて修正したい」
無意識に人間は救いを求めるようです。

「自分には能力が無い」
だからつらく当たられるのだ
という考えに逃げ込んでいくわけです。
事実、「自分が悪い」
そう思うことで、少し心が明るくなるようです。

どんどん自分に対する自分自身の評価が低下していきます。
自分が生きている価値が無いというような
考えに近づいていきます。

これに睡眠不足や
過重労働が加われば
精神的に破たんしていきます。
生きる意欲が失われていくわけです。

これは極めて悪質なパワハラなのです。
人の命を蝕む行為だと言わなければなりません。
このようなことを、
周囲も容認してはいけません。


このように追い込まれた労働者は
会社を辞めようという選択肢を持たないことも多いようです。

退職ではなく、
会社という群れから追放されそうな自分は、
死ぬことを考えるようになります。

このまま苦しみ続けるか
死ぬか

という発想になるようです。

先ほどの自責の念と似ていますが、
「死んだら」
苦しみが無くなるということを考えると
甘い誘惑に引き込まれていくようです。
次第に死ぬことが
希望のような感覚になっていってしまうようです。

まさに精神破綻です。

職場を挙げて、
このような理不尽を防止することが
会社のためにも労働者のためにも
必要なことだと思います。

過重労働が与える家庭への深刻な影響 妻のパワハラと子どもを連れての別居と離婚調停に至る経過(全般性不安障害) [労災事件]

過労死・過労自死遺族の会東北希望の会の
今年度の年間テーマは、過重労働の家庭に与える影響です。
昨年は、「どのようにして死ぬ前に過重労働職場を離脱したか」でした。
過労死防止啓発シンポジウム宮城ご報告 解決例の蓄積と他人の目の導入 survivor8

私は、過労死と離婚が今仕事の二本柱なので、
そういうことが良く目につくのでしょう。

過労死で死なないまでも、
それによって、家族が不幸になっていくということがあるので、
死ぬほどひどい職場でなくとも
(たまたま死者がまだ出ていないだけかもしれませんが)
過重労働はなくさなければいけないと思っているのです。

また、家庭に影響が出始める過重労働があるということは
死亡に至る危険が高まってきている
という指標にもなるようです。

離婚調停の中で、
妻側が、資料を出してくることがあります。
どういう事情があって離婚したいのか、
どこでどう相談をして、どういうアドバイスをもらったか
という資料です。
なぜか最近、よく出てきます。

その資料を見ていると、
勉強をして、曇りのない目で分析すれば、
「ああ、これは夫とは関係がなく追い込まれていたのだな」
ということがわかることが多いので助かっています。
どんどん資料を出してもらいたいと思います。

それに、一緒に住んでいた夫がいるのですから、
知識を補充することができます。
立体的に自体が把握できる貴重な事例ができあがります。

例えば、
子どもを連れて別居した妻の事例がありました。

このお母さんは、働きながら子育てをしていた方でした。

4月になり、職場の上司が変わりました。
この上司との折り合いが悪く、
夫に相談をすることが頻繁となりました。

(この時夫は、適確なアドバイスをしてしまったのですが、
 本当は、「それは大変だね。」と
 まず共感を言葉で示すことが必要でした。)

職場での軋轢がひどくなったのは、秋ごろです。
元々、まじめで責任感のある女性だったので、
上司の言うことをまともに受け過ぎたのかもしれません。
いろいろな言葉を受け流すということができない人でした。

だんだん、上司の言葉を悪くとるようになってしまって、
漠然と
何か良くないことが起きるのではないか、
自分ばかり損をしているのではないか
というような不安を抱くようになり、
あまり眠れなくなったようです。

もっとも、自分では全く眠れないと思っていますが、
実際は、短時間かもしれませんが眠っていたそうでした。
(夫のはなし)

年末から、不安は夫に向かうようになりました。
夫から何か言われると、
自分が責められているのではないかと思うようになり、
むきになって反論をするようになりました。

「コーヒーが飲みたいね」といわれると、
「自分ばかりコーヒーを飲みやがって、俺にもいれろ」
といわれたように受け止めるような感じです。
そういう風に受け止めた結果、
夫に対して、あれこれ不満をぶちまけて切れた状態になるのです。

子どもが散らかしているのを叱って片付けさせようと夫がすると、
自分のせいで子どもがまともではないと言われたような気になって

ただ夫が肩のあたりをポンポンと叩いたのに、
頭を叩いて首根っこを抑えつけて体を制圧した
と受け止めていたようです。
ただ、この感覚は、おそらくリアルタイムでは、
なんとなく嫌だなという気持ちだったのに、
時間をおいて、
具体的な記憶(真実ではない記憶)にすり替えられていく
といった感じでした。

年が明けて3月に、妻は、
子どもを連れて別居しました。
夫に何も言わないで突然でした。

ほどなく離婚調停が起こされました。

その中の資料で、
全般性不安障害という診断を
2月に受けていたことがわかりました。

全般性不安障害とは、
1. 仕事や学業、将来、天災、事故、病気などのさまざまな出来事または活動について、過剰な不安と心配がある。しかし、その原因は特定されたものではない。
2. 不安や心配を感じている状態が6ヶ月以上続いており、不安や心配がない日よりある日のほうが多い
3. 不安や心配は、次の症状のうち3つ以上の症状を伴っている。
o そわそわと落ち着かない、緊張してしまう、過敏になってしまう
o 疲れやすい
o 倦怠感
o 動悸・息切れ
o めまい・ふらつき感
o 集中できない、心が空白になってしまう
o 刺激に対して過敏に反応してしまう
o 頭痛や肩こりなど筋肉が緊張している
o 眠れない又は熟睡した感じがない

という病気だそうです。

精神科医の診断ですから、この基準に則って診断されています。
要するに妻は、
2月の6か月以上前から不安を抱いていたことになります。
前の年の9月頃からですね。

夫との関係は良好だったのですが、
仕事でのストレスが徐々に高まっていった時期だということになります。

その後の年末にかけての夫との緊張関係は、
この全般性不安障害が原因である可能性があるわけです。

即ち、病気のために、悪く悪く考えるようになり、
ちょっとした夫との会話も
自分を責めているのではないかと受け止めてしまうようになったということです。

妻に悪気はないので、
このことが分かったのなら、夫の方も対応を考えられました。

夫婦の場合はどうしても、
一方が不満や不安を表明する場合、
相手に対して攻撃的に発言することがある上、
そうでないとしても、
どうしても発想として、
一方が苦しんでいるのは他方が「悪い」からだと
思い込んでしまう
仮想加害者も、仮想被害者もです。

仮想被害者は、自分が悪くないと主張するのですが、
その際に、
「自分ではなく、相手が悪い」
という余計なことを口走る傾向にあります。

客観的には、どちらもかわいそうなのですが、
当事者は気が付きません。

だから、家族の誰かが悪いという発想は捨てるにこしたことがないのです。

ただ、相手が全般性不安障害に罹患しているとなると、
できれば夫婦そろって、本当は病院に行って専門医から
どういう病気で、どういう傾向があるか、
妻が不安を口にした場合、
不安で辛いということは共感を示しても、
その不安が実現するような肯定の仕方はしない。

例えば、仕事がなくなってしまうという不安に対しては、
「それは心配だね。
 もし本当にそうならば、正式に言われなくてはならないし、
 解雇の理由がないからそもそもなくならないよ。」
等と、説明することができます。
「大丈夫だよ。何とかなるんじゃない。」
というだけで安心することもあるみたいです。

その人によって違うようなので、
マニュアルはできませんが、
要は発言の後の妻の様子を見て、
安心するようなことを覚えればよいのです。

自分が責められているときも、
「ああ、不安なんだな」と受け止めることもできるし、
妻が責めれていると思う時も
「ごめんごめん。心配かけたね」
ということができるわけです。

こんなことをしなければならないのかと思う人もいるかもしれませんが
考えてみてください。
インフルエンザに罹ったときに、
布団に寝かせて、ゆっくり休ませますよね。
これと全く同じことなのです。

では、本件事例は、どうして別居になり、
離婚調停になったのでしょうか。

第1に、全般性不安障害を夫に告げなかったのです。
これでは、夫は何が起きているかわかりません。
突然、妻が攻撃的になり、
感情的になったと戸惑うだけになります。

第2に、では妻は誰に相談したのでしょうか。
先ずは自分の母親でした。
母親はしょうがないかもしれません。
病気になったのは夫のせいだと考える傾向が
最近のジジババにはとても多くうんざりします。

昔は、子供夫婦の独立と円満な生活を後押ししていたジジババは
今は、子どもに代わって相手を攻撃する傾向にあります。
我が国の文化的衰退を象徴的に示すものだと思います。
過労死の温床もこんなところにあるかもしれないと思います。

第3は、行政と警察です。
ここの果たしている役割は犯罪的だというべきでしょう。

強引に、夫の精神的虐待によって
不安が出現していると決めつけて
できるだけ早く子どもを連れて別居することを勧めたというのです。
弁護士も関与していたようです。

離婚調停で出てきた陳述書によれば、
何ら精神的虐待を示すものはなく、
客観的な調査結果からすると
つじつまの合わない不合理な主張といわざるを得ません。

要するに、極めてあやふやな話で、
簡単に家庭の崩壊を指導しているということです。

これでは不安を抱えた人が
行政機関に相談に行くと
必ず離婚を勧められることになるでしょう。

相談対応の引き出しが、
離婚しかないからです。
その必要性等一切検討せずに、
主張の裏付けを求めることもなく、
家庭を壊しているのです。

このことが離婚調停に提出された資料から
はっきりと確定できたのです。
こんな無責任なアドバイスで、
子どもは親から引き離されるのです。

夫が何が起きたかわからずに
精神的に混乱することは
極めて自然な成り行きです。

これは当該妻にとっても大きな精神的侵襲です。

全般性不安障害ですから、
根拠がなく不安になり、悪いことが起こるのではないかと
考えているわけです。

これら税金で動いている家庭崩壊軍団は、
あなたの不安は、正しいという烙印を押しているわけです。
不安に感じることは正しいということは、
あなたは不安を感じるべき環境にいる
あなたは逃げるべきだということですから、
ますます患者さんの不安を増長していっているわけです。

離婚しても親と子どもは会いましょう
なんていう曖昧な法律を作ったところで、
こういう親と子どもを引き離すことを
何の理解もないマニュアル人間たちが
税金で行っていることをやめさせなければ、
子どもたちだけでなく、親どうしも
むごい別れを押し付けられ続けるだけです。

こういう世の中ですから、
過重労働や、職場の人間関係を良好にしないと
あっという間に税金を使われて
離婚に誘導されてしまい、
子どもたちが不幸になるということになります。

失敗が許されず、緊張や不安を強いているのは、
ほかならぬ国家なのかもしれません。


過労死防止啓発シンポジウムIN相馬 子どもたちの未来に過労死を引き継がない【報告】 [労災事件]

平成29年4月16日日曜日
福島県相馬市で、過労死防止啓発シンポジウムを行ってきました。

取材は、過労死・過労自死遺族の会東北希望の会
仙台の会員と、宇都宮や八幡平の皆様と仙台駅集合で出発
常磐線沿線は、桜が満開で、暑いくらいでした。

会場は相馬市文化センターはまなすホール第三会議室
仙台より時間がかかりそうな福島市の方や郡山市の方が
既に会場の準備をしていただいていました。

私が作ってきたプログラムや資料を配布していただき、
時間を待ちました。
なんと、開始直前嬉しいハプニングがありました。
参議院議員の森まさ子先生(自民党)
に駆け付けていただきました。
急きょご挨拶をお願いしたところ
快く応じていただきました。

現職の国会議員で元大臣に過労死防止啓発シンポジウムで挨拶をいただくということは、
東京で厚生労働大臣にご挨拶いただくこと以外ないと思います。

60人の会場は用意した席が足りなくなり、
大量に追加の椅子を借りてきて後ろに並べたほど
参加された方があふれている状況でした。

森先生のお話は、過労死というものが何かということの
本質をついて、今後どのようにしていくべきかということを
適確についた素晴らしいスピーチでした。
圧巻でした。
こういう方が、どんどんイニシアチブをとれば
過労死のない社会を実現の加速度が増していくのだなあと
心強く、感激いたしました。

また、労働局の課長様もご挨拶にいらっしゃって
(シンポジウムの後援は、福島労働局と相馬市)
これまた、素晴らしいスピーチをいただきました。
まさに国を挙げての過労死防止に取り組み始めたということを
会場全体で実感しました。

遺族の訴えもよかったです。
本当は、もっと言いたいことがあったでしょうが、
ぐっと抑えて、淡々としかし構成を考えられていて
聞く者の心を最後まではなしませんでした。

若手の弁護士が事件報告をして
司会兼講演の私が40分ほど
「生きる仕組みが引き起こす過労死のメカニズム」
というお話をしました。

結局、
過労死、過労自死は破綻(死亡)するまで気が付かない
その人が大丈夫かどうかを調べても分からない
危険な働き方をやめさせるという方法しかないということや

心筋梗塞やクモ膜下出血、大動脈解離
あるいは精神障害等
一度罹患したらなかなか治らないから
予防をするしかない

自死する人が責任感が強すぎるから自死するという構造
等を話しました。

ゆっくり、語り合いたかったのですが、
電車の時刻も迫っていたので、
余韻を置き去りにしたまま
会場を後にしました。



上から目線の「過労死するくらいなら仕事をやめろ」ということが有害だと考える理由 [労災事件]


SNSなんかで、よく事情も分からずに
「自殺するな」とか、
「過労死するくらいなら仕事をやめろ」とか、
なんで?っていうくらい上から目線で
攻撃的に語り掛ける人がいますが、
やめてもらえないかと思います。

わたしでさえ、なんか責められているみたいで、
苦しくなってしまいます。
そこで働いていることが
悪いことをしているみたいに思えてきます。

だいたい、伝わるべき人の心に響きません。

その理由

「あたかも、そういう上からの人は、
 過重労働等で苦しんでいる人が
 自分の苦しさを自覚していて、
 それが過重労働によるものだと
 理解している
 そうして、過重労働から抜け出す選択肢を持っていながら、
 その選択肢を、行使しないで、しがみついている。
 つまらない見栄や、生活費のためが、その理由だ。」

これらは、概ね間違いです。

第1に、
自分が苦しいということを自覚することはなかなか難しい
という事情があります。
苦しいんですが、苦しみの連続なのですが、
何とかしなくてはならないという気持ちがあります。
自分が苦しんでいるという客観的な視点はありません。

これに気が付けば、多くの人は仕事をやめますよ。
どうやって、それに気が付くかということを
東北希望の会では、弁護士、心理士、
遺族、当該労働者のチームで去年研究したのでした。

特に、過労死に陥りやすい人は、
家族と接する時間が短いので、
家族の気づきはなかなか困難なので、

仕事との距離を置く(四、五日休む)ことが有効で、
距離を置くことを考えるべき性格の人
距離を置くべき事情を類型化し報告しています。

そのまとめの記事
【宣伝】 過労死する前に仕事をやめる方法 心理学者のみた過労死防止の技術 過労死防止啓発シンポジウム宮城 
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-10-27

この中では、特に、おかしくなる前から
華道とか、茶道とか、
自分の心の状態が客観視できることを続けることも
有効だということを報告しています。

それだけ、自分の状態を自覚することは
大変難しいようです。

第2に、過重労働のために苦しいという自覚はさらに難しい。

過労死や過労自死になりやすい人は、
苦しいからといってそれをやめようとしません。
先ず「与えられた仕事はやらなければならない。」
次に「やり通すことができない場合はさらに頑張る。
   残業してでもやり遂げなければならない。」
そして、「途中で投げ出すと、自分がだめな人間になる。」
という意識を持つ人が驚くほど多いのです。

従って、苦しいと自覚しても、
それは自分が悪いのだということで、
さらに頑張る理由にしかならないのです。
ここもポイントです。

おそらく、仕事のために苦しんでいるという自覚があるのですが、
さらに頑張ることが、彼らにとって
自己防衛の行動として自分を守る意識なのでしょう。

企業の方も、
まじめで責任感が強いという人に
甘えて仕事を振っていると、
思わぬ落とし穴があるということで、
「この人は特別大丈夫だ」
という気持ちを捨てることが大切です。

第3に、自発的に退職する選択肢はないということ。

特に、過重労働や職場の人間関係が原因で、
悩み切っている人たちは、
退職する選択肢はないようです。

いろいろな過労うつ体験者の話を聞いても、
もう辞めたいという気持ちにはならないようです。
「このまま苦しみ続けるか、
 死ぬか。」
という視野狭窄状態になっているようです。
やめるということと死ぬということが
同じ意味になってしまっているところが怖いところです。

第4に、生活費のために退職しないわけではない。
確かに、収入がなくなることはとても怖いです。
しかし、そこまで、つまり退職後のことまで
考えが及ぶようなら、半分危険から脱出しかけている状態です。

生活費が無くなることを恐れて
仕事をやめられない
というわけではないのです。

対人関係学的に言えば、
人間は本能的に、所属する群れ(対人関係)から
外されないように努力してしまう
ということなのです。

いじめも同じです。

攻撃されればされるほど、
自分の行動を修正しようとしますが、
どうしても群れから追放されることを
免れる手段がない、不可能だと認識すると
生きる意欲が失われていく
というように把握していた方が
予防の上からは有効だと思います。

冒頭掲げたSNSは
善意なのはわかるのですが、
以上申し上げたことから、
苦しんでいる労働者をさらに鞭打つ
あなたの選択肢は間違っている
ということを突き付けているだけで、
退職しろという結論が正しいとしても、
どうやってその結論に向かえばよいのかということを
一言も提案しないで
絶望だけを突き付ける結果となる
そういう可能性があるということを
指摘しなければなりません。

他人が頑張れと言っても
下手すれば、死ねといっていることと同じになる場合があります。

きちんとした信頼関係を築いた上で、
相手が自分の状態を自覚し、
合理的な選択肢を持てるように
誘導することが必要です。

また、それは専門家だけが行うことよりも、
家族なり友人関係なり、
その人を取り巻いている
暖かな対人関係の存在を自覚させ、
問題のある職場などの対人関係に
不具合があることに気が付かせる
そういう丁寧な
集団的な作業こそが有効であると
経験上感じていることを申し上げておきます。
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