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日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか [家事]

日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか

<配偶者間トラブルの4類型>

世界的には「配偶者加害」という言い方をする現象を、日本では「DV」や「モラルハラスメント」と呼ぶ。日本においては、あまりにも漠然に言葉が使われている。しかし、一つの言葉で表現される行為ではあるが、その行為及びその程度、行為の効果、原因等において、いくつかの類型があるように思われる。先ずこの整理してみる。

第1類型 世界共通の概念としての「配偶者加害」と言われる類型がある。これは、日本と異なり限定された概念である。継続的な意思を制圧する暴力や言葉等によって、配偶者を支配しようとしている状態。この類型の行為があるというためには、それらの暴力や言葉等が、相手方を支配しようとする意思の元に行われていることが必要だとされる。マリー=フランス・イルゴイエンヌ(モラルハラスメントという言葉を作ったフランスの女性の精神科医)によれば、この類型での行為者は自己愛性パーソナリティ障害の疑いがある場合が多いとのことである。
この類型の行為は、第三者に気づかれることは少ない。なぜならば、行為を受ける側は、自分が支配を受けていることに気が付いていない場合が多いということが一つの理由である。自分が悪いからこのような事態にあっているのだと考えてしまう。支配を目的とした暴力や言葉があることは、援助を求める契機となるのではなく、自分の恥という意識を植え付けられている。このために第三者に対して援助希求を行わない。私が、担当した事案も、全く別の相談から、支配の実情を見つけ出し、女性問題の支援者と私と精神科医によって、ようやく支配から脱出させることができた。被支配者と接していても、「あれ?何かがおかしい。」と思わなければ見過ごすことが多い。深刻な被害、人格荒廃が起きているがゆえに、第三者から気づかれにくいという深刻なジレンマがある。

第2類型 本件で取り上げる日本的配偶者加害。通常は身体に対する直接の暴力はない。これまでの事例を見ると、行為者が、うつ病や不安障害を発症している場合が多い。しかし、その症状が、焦燥型優位のために、うつ病等であると気が付かれない。行為者が相手方に対して、支配しようとする意図はないけれども、行為を受ける側からすれば、結果的に支配されているような不自由で苦しい感覚になる。

第3類型 行為を受ける側の事情と行為者側の事情が加味して、結果として行為を受ける側が支配されているような不自由で苦しい感覚になる。行為者の事情としては、客観的規範、正義を優先して相手方の感情に考慮を払わないということが多い。やや細かすぎる性格、あるいは完璧を要求する性格等の問題がある。受け手側の事情としては、身体的な問題や発達上の問題があり、通常要求される程度の家事が苦手であったり、金銭管理ができなかったりという弱点を有していて、その弱点を指摘されることに恐怖に近い拒否反応を起こす。一般的には、道徳よりも自分の感情を優先する傾向はある。この類型では、支配を目的とする暴力、言動は見られない。この場合、日本以外では行政などの公的な第三者が介入することはない。しかし、日本ではDVとかモラルハラスメントであるとして、男性行為者は、第1の典型的な配偶者加害が起きたときと同じ扱いを受ける。行為を受ける側が被害者、行為者を加害者であると割り切り、被害者を加害者から分離して、加害者に対して一切協力しないという行政対応となる。日本において一番多い類型と思われる。これまでこのブログで多く取り上げてきた類型。

第4類型 虚偽、詐称型。被害救済とは別の意図、例えば不貞の成就、あるいは実母の支配に積極的に入る目的等により、夫からDVやモラルハラスメントがあったと訴えて、配偶者から逃亡する類型。純粋な第4類型ということよりもなんらかの第3類型の要素がある場合が少なくない。

今回は第2類型を扱う。

事案:あるシステムエンジニアの夫の事例である。

<現状>

夫と妻はおおよそ40歳。20代で結婚し、現在中学生と高校生の子どもがいる。家庭内別居の状況だったが、現在は、子どもたちは妻の実家で預かり、妻は一人で別居している。夫と妻の連絡はメールなどで取れる。妻はパート労働者である。
別居の原因は、夫の暴言、きっかけのわからない激昂である。必要以上に金銭的心配をして、子どもや妻に金を稼いで来いという。食事の時だけキッチンに来る。それ以外は自室にこもっている。食事の時は必ず飲酒する。飲んで酔っては、金銭的請求をしたり、自分に価値が無いということ等愚痴を言う。突然激高して、家族をなじりだし、「お前たちが俺を怒らせている」といって、収拾がつかなくなる。妻は、夫の夕食は作るが、夫がキッチンに来ると、子ども部屋に避難して顔をあわせないようにする。何か話すといつ激昂するかわからないので、話をしない。家庭内別居が続いていたが、子どもたちに対しての言動が不穏当になりだしたので、別居をすることにした。いつ切れるかわからない夫の顔色をうかがいながらの生活に疲れ切ったということもある。家族全員に何らかの精神的な問題が生じ、それぞれが精神的に不安定になっている。

<経緯>

結婚して数年で第1子を出産したが、そのころから、妻によれば夫の言動が「おかしくなった」という。些細なことに激昂することが時々みられるようになった。夫はシステムエンジニアで、当時(おかしくなり始めたころ)は始発で出勤し、終電で帰宅する状態。家にいる時間は、午前1時過ぎから午前6時前ということになる。最近さらにおかしくなってきた。数年前から家にお金を入れない。もっとも、家賃と光熱費は夫の給料口座から引き落とされる。子どもの学費や食費は、すべて妻の収入で賄っていた。そのころ、夫はリストラにあい、転職を余儀なくされたという事情もあった。

<分析>

夫は、結婚してすぐに、うつ病や不安障害等の精神疾患を発症している可能性がある。発症の原因は、睡眠障害(睡眠不足)が考えられる。時間外労働時間は月あたり、120時間を超えている可能性があり、1日5時間の睡眠が確保できない状態だったと思われる。また、システムエンジニアの仕事も、細部に神経を使う仕事であり、職場によっては、パワーハラスメント的な言動が盛んに行われている職場もある。この夫の具体的な症状としては、自分が仲間から評価されない、役に立たないと思われている、とるに足らない人間だと存在を否定されているのではないかという危機感が鋭敏になっているということである。これが基本的な症状である。当初、家庭では、まだ家族のことを思う余裕がわずかながら残されており、なんとか自分を保つ努力をしていたと思われる。しかし、その症状に対して医療機関を受診する等の手当てをしないで放置した上にリストラされたこと、リストラに至る過程の中での状況によってうつ病等が悪化したものと思われる。

<疑問>

 問題は、「なぜうつ病や不安障害を発症すると、家族に対して攻撃的になるのか。」ということであろう。うつ病というと、我々のイメージとしては、活動をしないで部屋などに引きこもる状態であると思われる。子の夫のやっていることはうつ病とは正反対の行動ではないかという疑問が生じるだろう。

<不安の中身の対人関係的危機の意識>

病気ということで済ませてしまわずに、夫の心理をもっとのぞいてみよう。簡単に言うと、夫は、特に理由なく、病的に、理由もなく悲観的になり、物事を悪い方に解釈してしまうという心理状態になっていた。もっとも、解釈という意識的な作業をしているのではなく、条件反射のようなものである。むしろ、意識的に努力していたことは、考え過ぎではないかと自問自答し、不安を抑え、怒りを高めないようにしていたということだと思う。
この病的な不安を抱いてしまうと、普通の人がなんとも感じない、聞き流すような他人の言動が、自分を否定していることを意味しているのではないかと受け止めてしまうのである。例えば、妻が、「今日、夕飯いらないんだよね。」と尋ねるとする。実際に夕飯が不要であるのは、職場の会合がある翌日であるとする。通常の人だと、この妻の間違いに気が付いて、「今日じゃないよ。明日だよ。今日は夕飯家で食べるよ。」という会話で話題が終了するはずである。ところが、病的に物事を悪い方に解釈する人は、「妻は、本当は明日が会合だとわかっていながら、今日も俺の夕飯を作らないつもりなのだ。そうして、自分が夕飯前に帰宅したら、こちらをなじるんだ。本当は俺の食事を作ることが面倒くさいのだ。」と瞬時に感じてしまう。第三者が見ると、あえて悪く解釈する努力をしているように感じてしまう。ふざけているのかと思うが、本人は真剣である。こういう考えだから、自分の食事という、生きていくための基本的なことが妻という家族によってないがしろにされたと思い、自分だけ家族の一員として扱われていないと感じていくようになる。これが対人関係的危機意識である。
対人関係的危機意識について、少しだけ説明しよう。これと対になるのが、生物的危機意識である。危険を感じた場合は、素早く逃げたり戦ったりして危険を回避することによって、危険の現実化を阻止する本能的な意識である。これは、街を歩いていても、自動車が近づいてきたら道路を横断することをやめる等、日常的に危機意識のおかげで、我々は生き延びている。人間は、この生物的危機意識の他に、群れを作る動物として、対人関係的危機意識を持つ。人間は、人間の群れの中に所属したいという遺伝子的な要求を持っている。これが満たされないと心身に不具合を生じる。つまり、どこにも所属していない場合や、所属はしているが、その群れから仲間として尊重されないという意識等を持つと、どうしようもない不安感、危機感を抱くのである。究極的には、自分は群れから外されるのではないかと感じさせる事情がある場合ということになる。この不安感を抱いた後の反応は、個性や環境に応じて変化して、一様ではない。いずれにしても、逃げたり戦ったりして危険の現実化を阻止しようとする行動をとることは同じである。

<不安・対人関係的危機意識と怒りの行動の関係>

われわれが想起しやすい、対人関係的危機意識の発現形態は、引きこもりであろう。活動性が低下し、他者と関係することができなくなる。いわゆる回避型、逃避型という類型である。しかし、危機意識への対処については、戦闘型、排除型という類型もある。大体は、危険の対象と対峙して「勝てる」と意識できる環境の場合に出現しやすい。要するに、怒りを持つということである。自分をないがしろにする妻に対して、言葉による攻撃を行うという行動である。この場合の行動は、よく考えて行動を選択するというものではなく、条件反射のように瞬時に行動に出てしまうことが特徴である。図式すると

{危機意識}+{勝てるという瞬間的判断}=怒り

 ここでなぜ、危険排除に怒りの感情が伴うかについて説明する。危険排除のために攻撃的行動に出る場合、攻撃を完遂させて危険の現実化を阻止するためには、相手に対しての容赦ない攻撃を行うことが必要である。例えば、ゴキブリを殺す場合、反撃されるのではないかとか、死なないのではないか、こんなものにも命があるのだから等という邪念が入っていれば、なかなかゴキブリを倒すことはできない。こんなやつ叩きのめせば終わりだという認識の元、怒りに任せて叩き潰せば、案外簡単に殺すことができる。怒りとは、攻撃に集中し、全力で危険が現実化することを阻止するためのシステムなのである。
 怒っている時は、思考が停止したり、思考力が低下したりする。危険の現実化阻止というシステムを合理的に作動させている。思考力が低下するため、特に人間関係に関する怒りの場合は、怒ってはいるが、何を怒っているかよく考えてみれば自分でもよくわからなくなることが多い。例えば、先ほどの会合の日を一日間違えた事例での夫の激昂は、「俺のこと、馬鹿にしやがって、何だっていうんだ。」という発言をすることが一般的であろう。一日間違えていることに気が付けば、「なんて大人げないことをしてしまったのだろう。」ということになる。しかし、自分が慢性的に家族の中でさげすまれている、正当に評価されていないという意識がある場合は、大人げない行動を謝ることはできない。謝罪するということは精神的に余裕がある人ができることであり、謝罪してもそれ以上立場が悪くならないという確信が無ければなかなかできないことである。

<夫の不安感、危機意識が病的になる事情>

 おそらく、第1子が生まれたばかりの、夫が長時間労働をしていたころは、対人関係的危機意識も、病的なほど固定していたわけではないだろう。突発的に、危機意識を感じてそれが抑えられなくなり、条件反射的に怒りのモードになったとしても、自分の考えなしの激昂を恥じるだけの余裕があったと思われる。もっともこの時の怒りの感情というか危機意識は、おそらく職場での自分の立場の不安定さに対するものであった可能性がある。職場の上司や会社に対しては勝てるという意識はないが、危機意識だけは発生している。ある程度過敏になっている状態である。同じような構造での危機意識を家庭の中で感じてしまい、本来会社に向けられるべき怒りが、家庭の中で爆発してしまったということもあるだろう。怒りの大部分は八つ当たりであると感じている。
 しかし、本人でさえそのような構造はわからないから、受け手である妻はそのような事情は全く分からない。時々、わけのわからないタイミングで激昂し、収拾がつかなくなり気まずくなる出来事を発生させる夫だという記憶が定着していった。会社の中では、状態は改善されず、恒常的に危機意識を感じている状態となっていくことはよくあることである。危機感が敏感になっていったものと思われる。生物的にも、例えば、熱いものを食べると食道がただれるなり損傷を受ける。これが継続していけば、食道炎になったり潰瘍ができ、さらには食道がんとなるというようなものである。後ろ向きの悲観的受け止め方が固定化していくということがある。さらには、リストラによって仕事を奪われる。仕事を奪われてしまえば案外、あとは再就職に全力を挙げるものだ。しかし、リストラされるかもしれないという不安と、自分がリストラされることが正当ではないという不公平感が、対人関係的危機意識をいやがおうにも高めてしまう。そうすると、益々危機意識に過敏になっていく。感じ方の歪みは固定化されて、病的状態となった。

<家族から見てみる>

 ところで、怒りを受ける方は、もともと八つ当たりをされているようなものであるから、何を怒っているかわからないことが多い。先ほどの夕飯を作るか作らないかの問題で言えば、言われた方は何が何だかわからない。せめて、「俺の食事を作りたくないとは何事だ」とでも言ってくれれば、「ああ、夕飯作らなくてよいかと聞いたことが気に障ったのか。」と気が付くヒントくらいにはなる。しかし、「何なんだいったい。」と言うことが精いっぱいの状態であるから、よくわからない。さらには、夫が怒るということは、妻側にも対人関係的危機意識を発生させる。攻撃的な妻であれば、口論が成立して、だんだんと誤解が解消したり、一つ飛び越えて、双方が双方を加害する意思のないことを確認できる場合もある。しかし、夫の怒りが強すぎる場合や、攻撃的になれない妻の場合は、自分が何か悪いことをしたのではないかと罪悪感を抱くようになることもある。
 また、この様なことが度々重なると、だんだんと疲れてくる。この人と一緒に時間を共有することは難しいという意識が芽生えてくる。事例の妻も、夫がキッチンに来ると別室に逃げ込むということをするようになった。
 最初は、自分が悪いのではないかと自分の行動を修正しようとするが、どうしても夫が切れるタイミングはわからない。対人関係的危機意識は夫の心の中だけで自動的に生まれることもある。群れを壊さないようにしようという本能から妻は何とか我慢しようとしてしまう。夫の顔色をうかがいながらの生活を我慢することになる。しかし、これが5年も10年も続くと限界になることは簡単に想像できると思う。

<再び夫、思春期の脳とアルコール依存と貧困妄想>

 妻側の行動によって、夫からすると、危険の現実化が始まったと益々感じるだろう。妻は自分と顔をあわせることすら嫌がるようになったと感じるのである。最初は、「こんなことはすぐに終わるだろう。機嫌が悪い時期なのだろう。」等と考えて、また料理を作ってくれているというギリギリの納得があるので、積極的に自分の行動を修正しようということができない。妻が相手をしてくれないのならば子どもたちに対して話をしようとするが、子どもたちも既にわけのわからないことで怒りだす父親に辟易するし、父親は酒に酔って自分たちを攻撃するという意識が強く、逃げるか攻撃するか、無防備に攻撃にさらされるという深刻な事態となることがある。
この時の夫の脳状態は、思春期の子どもの脳のようなものである。思春期の子どもは、親のわずかな表情の変化から、自分が否定されているのではないかと思い、怒りをぶつける。これと同じである。被害感覚が鋭敏になりすぎている。
それがさらに家族を自分から遠ざけている。それがさらに夫を自滅へと向かわせる。
食事の時以外は部屋に引きこもり、食事の時は飲酒をするということは、アルコール依存症が疑われる。素面では怖くて家族と会うことができない。だからアルコールの力を借りるのだ。但し、こういう人は対面でなければ、例えばメールなどでは、怖さを感じないので好き勝手辛辣なことを書く。これがまた、家族を怖がらせる。
 さて、夫が家にお金を入れなくなったり、子どもたちに金を稼いで来いというようになるのもうつ病などの影響もあるのではないかと考える。これは貧困妄想と呼ばれるうつ病の症状が影響している可能性がある。元々、うつ病には、自分はこのままではお金を使い果たしてしまうのではないかという妄想を抱く場合が少なくない。実際にお金は使えばなくなっていくのだが、収入が途切れるのではないかとか、実際には預貯金があっても、それを忘れている場合もある。本気でこのままでは我が家は財政破たんとなると考えている節がある。その不安を言葉に出して表現すると、学費などでお金を使う子どもたち自身に対して自分で働いて収入を得てこいと言う気持ちになっていると解釈する余地がある。しかし、これが子どもや妻からすれば、夫こそが自分たちを攻撃していると、無理難題を言うと受け止める。当然のことである。ますます夫は孤立する。
夫は、必ずしも妻や子どもたちを支配しようとしているわけではない。自分がないがしろにされていると感じることで、対人関係的危機意識をもち、怒りに転嫁しているだけである。だから、妻子に直接暴力をふるって、言うことを聞かせようとすることはしない。自分を分かってほしい、自分が辛い気持ちに共感を示してほしいという結論を求めるが、それが伝わらないので、イライラして物に当たるという行動が起こる。妻子は、これは、次は自分たちに向けられるという予告のような感覚を持つ。音や振動、壊れたものの形状から生物的危機意識を強く抱くことは当然である。
 夫は、本当は、家族から見捨てられたくないという無意識、無自覚の感情から出発している。人間的な感情からすればそういうことになる。しかし、逆に、自分の行動で家族から遠ざかっていくことになる。
 きちんと自分の置かれた環境と、それが感情や行動にどのように結びついているかについて、きちんと認識をすることが出発である。そして、家族が大切であることを自覚させ、そのための行動を確立する必要があったのだ。こういうと、専門のカウンセラーが必要だと聞こえるかもしれない。しかし、これは人間の精神的営みとして、古今東西あまり変わらない。日本においても、親や親方ご隠居や大叔父さんが説教していたことである。そのような人物や人間関係自体が破壊されたとすれば、やはり何らかの専門家の介入が必要となるかもしれない。しかし、夫を加害者として把握して、悔悟を促していく手法で解決しようとすることは、高価が上がらないどころかデメリットも出てくるだろうと思う。

<妻子の夫に対する感情まとめ>

 妻子は、最終的には恐怖感情が支配的になる。いつ切れるかわからない。常に顔色をうかがいながら生活する。自分の行動が、全て夫によって否定される。そのような不自由感、被支配感が蔓延する。さらには夫の後ろ向きの発言、自虐的な発言のオンパレードであるから、苦しさは倍増していく。夫に支配の意図が無くても、妻子は、支配されていると同じような拘束感を抱いている。そうして、妻や子どもたちが、夫を理解できないまま行政などの第三者機関に相談をして、判で押したような「精神的虐待が行われているから逃げなければならない。DVは治らない。」ということを言われて、逃げていくことになる。ひとたび逃げると、夫から見つかることを恐れ続けていくことになる。

<最後に>

冒頭、DV、モラルハラスメントを類型的に分けてみた。しかし、特に支援者を志向する方に留意していただきたいのは、どの類型も紛争の始まりについての考え方は一緒だということである。基本的に、夫は、自己愛性パーソナリティ障害かうつ病か等の原因はともかくとして、事情があって対人関係的危機意識を抱きやすくなっており、敏感になりすぎている。この危機意識が条件反射的に怒りに転嫁する。妻側は、その事情が分からず、当初は全てを真に受けて、あるいは受け流すことができず、次第に不自由感を感じていく。相乗効果で夫の危機意識が昂じていく。
今必要なことは、双方に事態を理解させることであろう。仮に離婚等の別離が不可避だとしても、きちんと理解して別れることによって、逃げることによる恐怖や、独りぼっちになった孤立感、絶望感から解放されることになる可能性が出てくる。
加害者、被害者という二者択一的な対立関係でものを把握しようとすることは、このような合理的解決を阻害することになる危険性が伴うものであることを肝に銘じるべきである。当事者は支援者から離れても人生は続くということをきちんと想定しなければならないと考える。

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【緊急告知】わが子に会えない親の会 忘年会とクリスマス&12回例会 来られない方こそ読んでほしい。あなたの居場所はここにある! [家事]

12月25日7時、仙台駅前の店
(参加を希望される方限り、土井法律事務所土井までお問い合わせください)
当日は、ずっと事務所におります。

11月は、私、事情があって欠席したのですが、
きちんと例会は続いております。
居酒屋ともすっかり顔なじみで、
時々、サービスもしてもらえるようになりました。

飲めない人は親子丼を食べてもらいながら
ということも、おんなじです。
いつも同じようなことを書くしかないということもあり、
あまり紹介をしなくなっておりました。
同じように新人さんがいらっしゃり、
暖かな会が続いています。

これをブログに書く方はともかく、
結局1年間、誰も喧嘩別れすることなく、
ニコニコと同じ時間を過ごす会が続くということは
それは、それでとても素晴らしいことだと思います。

とにかく暗いまま終わらないというところが
この会の一番すごいところだと思います。

11月に行かなくて、日程でご迷惑をかけたのですが、
よりによってクリスマスの日に行われるということは
正直、ちょっとどうなのよって感じはしたのですが、
これはとても大切なことのように感じてきました。
それで、今日こうやって緊急告知をしているのですが、

やっぱりクリスマスはきついということはあるようです。
どうしても、テレビも街もクリスマスというムードを盛り上げようとしてしまいます。
あなた本当に聖書読んだことあるの
と思う人もメリークリスマスです。

お子さん方とクリスマスのお祝いをしたことを
ほとんど強制的に思い出させられてしまいます。
そりゃ、誰が考えたって寂しいよ
嫌なことも考えてしまうよ。

そんな中、わが子に会えない親の会が
東北の仙台で開催されている。
クリスマスに背を向けて、向けなくてもよいけれど
みんなで新しい、楽しい思い出をつくっている
ということを考えてほしいと思います。

あなたは参加できないかも知れないけれど
あなたは十分参加する資格が有るし、
みんな来れば歓迎してくれるということです。
あなたの居場所がここにあるし、
あなたが居場所だと思ってくれることで
たくさんの人が喜ぶんですよ。

仙台会は来年も続いていくことでしょう。
関東からも毎回誰かが参加しています。

あなたには仲間がいて、
あなたが存在するだけで
私たちは無条件にうれしい。
そういうことなのです。

25日は、昼間は私は事務所にいます。
参加希望の方は
022-212-3773
です。
法律相談が2件入っているので、
事務員から終わるころの時間を聞いて
かけ直していただくことはあるかもしれません。




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加害者プログラムという時点で終わっている。楽しい家庭の再生プログラムこそ主流にしよう!一例として産後クライシスの本質は出産後の夫婦の変化に対応しきれないための不具合という考え方。 [家事]

夫婦の問題なのですが、
DVをした主として夫の更生プログラムとして、
加害者プログラムというセミナーや勉強会が開催されます。

かなり高額な受講料をとるみたいです。
加害者プログラムの受講証明を持ってきてから
子どもに会わせるかどうか決める
なんていうやり取りもあるのでしょう。

私としては、夫婦問題で
一方を加害者と否定評価を込めた言葉で表すこと自体
本当に役に立つプログラムなのか、懐疑的になります。

例えば、夫が妻に暴力をふるったら
暴行罪の加害者でしょうけれど、
夫婦問題について一方を加害者
他方を被害者と決めつけることはデメリットも多いと思います。

このセミナーの当然の帰結は
夫婦の一方に対してだけ
考えを改めさせて
それで夫婦の状態を良くしようとするネーミングでしょう。

もしそうなら、一方だけが
自己否定を叩きこまれて、
今後は相手に服従していく
と極端に言えば、そういうことに
なりかねないわけです。
ひどい場合は、洗脳のセミナーになってしまいます。

夫婦の状態がうまくいかない、
一方が他方を怖がり、不快に思い、憎み
一緒にいたくないという意思と行動が起これば
それを是正することが求められます。

特に子どものためには
例え親同士が離婚を選択しても、
子どもは一生自分の母と父の子として生きていきます。
離婚してまでも、子どもの前でも
相手を怖がり、不快に思い、憎んでいたのでは
子どもの健全な成長を阻害する危険があるからです。

夫婦の状態が健全ではない理由は、
一方だけの問題ではなく、
相互の関係性の中にこそ見出さなければならないと思います。
なぜならば、
夫が妻を拉致してきて結婚に至ったという事例でもない限り、
元々は望んで夫婦になったはずだからです。

行政や児童相談所等から精神的虐待だ
と認定される夫の多くに、
あれこれと妻の弱点を指摘して
ああしろ、こうしろと命令する夫がいます。

これを支配を目的とした行動だと評価すると
精神的虐待になるわけです。
この点難しいことを考えないで
妻側が不快に思っていたら
即、精神的虐待だと
認定する機関が多すぎることは
加害者プログラムと共通の要素があります。

このように世話焼き夫につきものなのは
依存志向の妻です。
結婚前は母親に依存し、反発し、
結婚後は夫に依存していたケースが少なくありません。

幸せな結婚生活も、夫が作るべきで、
自分はそれを享受するだけ。
夫が幸せを作れなければ
性格の不一致を理由に離婚という筋書きが多すぎるように思えます。

自分は主体的に人生を切り開いているのではなく、
夫が何とかしてくれるのを待つという
人生をギャラリーから鑑賞する人のようです。
そうして、夫依存をやめると
一度は反発した母親に
依存する相手を変えるだけの人生ということになります。

夫婦状態の改善のためには
共同作業ということを始めることが
必須条件だと思います。

加害者セミナーというのは
名前のとおりが良く、宣伝がしやすく、
利益が上がりやすいということがあるのでしょう。
それはなんとなくわかります。
でも、本気で楽しい家庭を作りたいなら
加害者セミナーと同時に
被害者セミナーも開催するべきだと思います。

家庭のことは、加害、被害ではなく、
これからどう作り上げるかという視点こそが
大切ですし、
自分を殺して我慢するのではなく、
もともと持っていた愛情や善意の
発言の仕方を工夫するということ、
相互に相手が安心して共同生活を送るための
気構えと工夫を考えていく
ということこそが本筋だと思います。

例えば、一つの例として、
夫婦二人ならば、子どもが生まれる前ならば
世話焼き夫に依存妻でも逆でも全く問題がありません。
本人たちがそれを望んでやっているのですから、
「その生き方は間違っている」と
第三者が目くじら立てる必要性について
私は理解できません。

問題が起きるのは子どもが生まれるからです。

子どもが生まれると、
母親はホルモンバランスの変化などがあって
女性から母親へと変貌します。

もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12 

「人格」なんていう細かいことにこだわっている場合ではないのです。
それほど、妊娠出産は一大事業です。

先ず、一つ一つ、自分で子どもに接しなければならないのですから、
依存的な行動傾向はできなくなります。
自分が最終責任者になります。
これはとてつもなく、強烈な変化を求められているわけです。

自分の頭で考えて実行したことを否定されると
たまったもんじゃないということは
創造できると思います。

そこで相も変わらず、世話焼き夫が
実情も知らず、疲労や精神的ストレスも知らず
結論だけを押し付けて来たら、
妻から見れば
精神的虐待だと感じるでしょう。
あるいは他人から精神的虐待だと言われると
ああそうかも知れないなと思う余地がある
ということになります。

夫は出産後の妻に対して
少なくとも子育てに関しては
妻の裁量を広範に認める必要が出てきます。

依存傾向から、自主的行動を持ちつつある妻を
積極的に応援、援助する必要性が出てきます。
本当は共同作業と言いたいのですが、
妻の行動を支援するということがわかりやすいと思います。

妻の裁量を尊重するということがキーワードです。

責めない、笑わない。批判しない。

最近の親御さんは、少子化のため、
一人の子供に手をかける時間が多くなっています。
何とか完璧な子育てをしようという
どだい無理なことを目指してしまいがちです。

それでも、父親があれこれ口を出すよりも
母親の行動を尊重することが
結局子どもにとって一番良いということは
取り返しがつかなくなってからわかる事柄です。

無理やりでも褒めて誘導することくらいしか
できないことでしょう。

本当はDVということではなく、
出産という妻の変化、夫婦の変化に対応できずに
不具合が生じているだけの場合もある。
だから、変化を認識し、理解し、
相手が望むことはなにかということを相互に理解し、
大変だけどやりがいのある人生を送る
そんな幸せを呼び込むことが実行的だと思うのです。

そんな程度なことを目標として、
その実現を阻む認知の歪みを但し、
具体的に修正を行うことを試しながら
検証していく
そんなプログラムこそ主流になってほしいものです。


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平成29年の面会交流事件で見えてきた傾向と対策 [家事]

平成29年の面会交流調停事件

事案は、プライバシー保護のために事実を変えています。
また、私の面倒くさがりのために記録を当たっていません。
但し、裁判所や弁護士に関しては比較的事実に基づいています。
アルファベットは氏名の頭文字ではありません。
大体は、一方が子どもを連れて、突如家を出た事案

H事案 小学校低学年 精神的虐待を主張するが裏付けが怪しい
    それまで続けられていた面会交流が途切れた時点で調停申立
    調停委員が最悪のケースで、
      冒頭子どもに会いたい理由を尋ねたので、
      仕方なく怒鳴りまくる
      相調停員も、父親が子どもを心理的に圧迫した
という妻側の話を真に受け注意するので、
また怒鳴りまくる。
    最終的に裁判官が交代となり、熱心に妻を説得し、
    妻側代理人も妻のかたくなな態度に半ば呆れて
    面会交流の取り決めをする。
    不完全ながら、月1回、10時間弱の面会
    最終的には、父側も大胆に譲歩を積み重ねていった。
    裁判官の説得が功を奏した事案。
    実際は、夫の過重労働が背景にある。
    過重労働の影響を妻が理解できなかった面はかわいそう。

T事案 小学校高学年と中学生 相手方代理人なし。
    精神的虐待を主張するも、曖昧。
    調査官が、母親の影響を受けているのが
    丸わかりの子どもの調査報告書を提出
    心理士の批判のための意見書提出
    身体的暴力が無いのに警察が介入した事案
    一定の事務連絡はできるようになるが
    審判で間接交流となったので抗告を考えたが、
    細いパイプができたことを評価して抗告断念
    相手方に代理人がついたが、
    どちらかと言えば中立的評価ができる弁護士だった。
    調査官、裁判官が面会交流に全く非協力的だった事例

    妻の母による妻の精神的支配が見られる事例

F事案 小学校高学 代理人がついて精神的虐待を主張
    しかし、矛盾だらけで反論なくなる。
    妻が子どもを連れて、ショッピングなどに誘うようになり、
    月に2回以上の面会が自然にできるようになる。
    但し、妻に何らかの精神不安定が見られる。
    相手の不可思議な行動を悪意ととらえないで
    精神的不安定が理由だと考え、
    夫の母なども支援的に妻に接するようになったことが
    有効だったと思われる。
    不可思議、理解不能な事例。
    精神に影響を与える内科疾患のあるケース。

B事案 小学校低学年 代理人がついて精神的虐待を主張
    特に子どもに対する虐待を主張
    主張をしては撤回するを繰り返す。
    結局、子どもを父親から離せと言っていたのは
    子どものかかりつけ医(内科)等であったことが判明
    精神に影響がある内科疾患を妻が有していて、
    不安を全て夫が原因だとされたようだ。
    夫から事情も聴かないでそのような働きかけをする医師を
    何とかしようと考えている。
    調査官が子どもとしっかり向き合い、信頼を得て
    子どもの本音を聞き出してくれた
    調査官と裁判官が、
    相手方と相手方代理人を強硬に説得してくれて
    第1回面会が実現した。
    調査官の説得が功を奏した事案。

O事案 未就学児 代理人がついて精神的虐待を主張
    調査官に裁判官がいい加減な調査命令を出し
    職業倫理に反していい加減な調査報告書を作成し、
    ぶち切れまくった事案
    ぶち上げた後、
    調停委員と調査官が妻を強硬に説得し、
    強引に面会交流が開始された。
    警察が最後は協力的になってくれた事案
    妻側に精神疾患がある事例、母親の支配も見られる。

Z事案 小学校低学年 代理人がついて精神的虐待を主張
    別居時に荷物の引き上げに警察が介入した事案
    弁護士が入る前から、
    メール添付の写真で子どもたちの様子は送られていた。
    子どもが父親に会いたがっていることも隠さない
    本当は離婚をしたくないのではないかと思わせられた。
    自然と面会交流が始まったという印象
    調査官調査などはなし。
    やや性格的な問題が見られる。
    実は、妻が母親に支配されていることが
    うかがわれる事情が多く出てきた。

A事案 未就学児 代理人がついて精神的虐待と一度の暴力を主張
    妻にトラウマがあり、夫が地雷を踏んでしまった
    妻が母親に支配されている傾向も見られた。
    かなりやり合ったが、妻側代理人が
    面会交流の実現に熱心になってもらい、
    自ら立ち会う、子どもを父親と遊ばせる工夫をするなど
    私の出る幕が無いくらい活躍してくれた。
    最終的には、笑顔で裁判所を後にした事例
    弁護士の役割は大きいと実感した事案。

K事案 母親が夫婦生活で精神的消耗し
    子どもをおいて家を出てしまった事例
    相手方は代理人を立てず。
    意図的とも思えるのらりくらりの調停
    調停委員、調査官は相手方を説得せず。
    相手方の意見をスピーカーの様に伝えるだけ。
    裁判所を信じたこちらが馬鹿だったと
    捨て台詞を言った事案。
    最終的には、裁判官が父親を説得し、
    調停成立。


1 実感として一番強いことは、
  裁判所が、相手方を説得すれば、
  面会交流は実現するものだということ。
  もちろん、相手方の会わせたくない事情や
  漠とした不安を解消するために
  こちら側から相手方に対する配慮を
  形にして伝える必要がある。
  安全に面会交流が行われるための工夫を
  こちらから提案することで、
  相手方も、裁判所も安心して面会交流が実施される
  という流れになる。
  裁判所が積極的に同居親に働きかけなければ
  面会交流が実現する可能性は低くなる。

2 事案としては精神的虐待を主張するが、
  矛盾や、根拠の薄弱なところが多い。
  矛盾を指摘すると対応がまずい。
  思い込みDVが多いようだ。
  但し、本当に、夫と会うのが怖い。
  短絡的に夫の精神的虐待と周囲が決めつけていることが多い。
  夫から事情を聴いたうえで、事を始めてほしい。
  子どもを親から引き離すということを
  その影響をもっとまじめに考えてほしい。
  表立って妻側が主張しなければ
  夫側が反論をすることは難しいので
  裁判所の中で暗黙の了解で
  DV夫だから会わせないということになると
  袋小路に陥る。

3 妻側の精神的不安定がめにつく。
  特定の内科疾患が相変わらず多い。

4 妻が母親から支配されているケースも多い。
  要するに夫の些細な言動を、
  夫が妻を追放する兆しだと呪いをかけ、
  妻(自分の娘)に自信を失わせて、
  自分(母親)は最後までお前を見捨てない
  早く分かれてこちらに来い
  というような感じ。
  この問題が深刻だという理由は、
  妻が自分の子に同じことを繰り返している節がある事。

  この場合、妻も母親の所有物となり
  愛する夫との別離を余儀なくされているわけで
  本当はかわいそうなのだけれど。

5 夫の側の修正ポイントは、
  妻のやってもらいたいことをやり
  やってほしくないことをやらない
  これができない場合面会交流は難しい。

  見事なまでに、
  妻が嫌がることを実行していることが多い。
  メールだったり、直接だったり
  せっかくうまくいっている面会交流も
  自分でぶち壊していることがある。

  「こんなことで嫌がる方がおかしい」っていう発想は
  自滅の発想だということを理解する必要があるようだ。

  メンツだったり、変な道徳心だったり、
  自分を守るという意識が強すぎたり

  自分から妻を遠ざけている節がある上
  調停でも繰り返してしまう。

  恋愛中にできていたことをしなくなることは
  相手にとって大きな不安材料になるようだ。

  「相手が間違っている。自分は間違っていない。」
  ということを繰り返していたら
  いくら裁判所が頑張っても面会交流は実現しない。
  正しさをとるのか、子どもに自分を会わせることをとるのか
  その岐路に立っていることを自覚しない場合は悲惨な結果になる。
  子どもにとってということ。

  相手の弱点や失敗を許すという気持ちになることが
  面会交流やその先の未来につながるということが
  私の勉強したことである。
  私はこの学びに基づいて生活を変えた。
  いやかえようとしてる。
  
  20%くらいはうまくいっている。
  目標50%
  それできっとみんなが幸せになる。
  家族の笑顔が見れれば
  ちょっとの我慢もまた涼し

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ある国立大学教授の大森貴弘氏批判への疑問 必要なことは、親子断絶の危険性についての理解あるいは、子を思う親の気持ちへの理解ではないかと思う理由 [家事]

ある国立大の法学部教授が、朝日デジタル「私の視点」に大森貴弘氏を名指しして批判した記事が掲載されました。彼女は以下のように大森氏を批判しています。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S13186771.html

「兵庫県伊丹市で面会交流時に起きた痛ましい子殺し事件について「原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発 した事件と言える」とする見解が、何でもありのネット空間ではなく、新聞に掲載されたことに、深い悲しみを覚える。

これは、大森氏の文章に対して、ネット空間のような何でもありの主張であり、新聞に掲載されることは言語道断だという、極めて辛辣な批判です。彼女のこの主張は、仲間同士の閉ざされた人間関係の中での発言ではなく、これまた新聞という不特定多数人に向けた主張のはずです。そうだとすると、なぜ、何でもありのむちゃくちゃな主張であるのか、その理由を説明しなければ、失礼であり、品位を欠くものだと、私は思います。

 その後の彼女の論は、日本の法律は家庭に入りにくい設計になっているが、設計された明治時代は家という大人数で子どもを育てていた。両親に問題があっても、他のまともな大人が子どもを守っていたという趣旨のお話をされ、現在は、その安全弁が失われ、児童虐待に対する予算も体制も日本は貧弱だと展開されています。面会交流も大事だが、加害者の加害を見抜く制度設計が必要だとして、これがない親子断絶防止法を批判します。
そして「私は伊丹市の悲劇の詳細を知らないが、仮に父親が3カ月間、子に会えなくて精神的に病んだとしても、悲劇の責任は、面会交流を試行錯誤した母親にあるのでは決してない。子を守れなかった責任は、親を放置して育児を支援しなかった、私たち日本社会の無責任な無策にある。」と結んでいるのです。

 第1に、大森氏の論考が、伊丹の事件で、子どもが死んだのが母親の責任だなどとは言っていないのですが、彼女の話の流れは、さも大森氏がそのような主張をしているように読み手に誤解を与えることになります。 私の弁護士としての体験からですが、子どもを連れて別居した母親が、子どもに取って父親の愛情を受けることに、あくまでも反対だという人は少ないという実感があります。母親に対して適切な働きかけをして、周到に準備をして母親の不安を軽減した上での面会交流は例外的なケースを除いて実行されます。むしろ、母親に対して子どもを父親に会わせるなという無責任な「支援者」がいるために、面会を拒否するケースが大半です。この「支援者」として、行政や警察、弁護士や医者、学校等様々な権威のある職種の人たちが子どもが自分の親に会うことを妨害しているということが実情です。大体は、すでに論拠がないと否定されつくされているレノア・ウォーカー(DVサイクルとか)のお説をさらに劣化させて(DVは治らない等)繰り返し母親に吹き込んでいるのです。新しいケースの事情聴取をしても、デジャブ―のようにこういう風に言われたと聞かされるたびにうんざりしてしまいます。母親がそれを信じる原因として、夫の家族に対する日常の行動に問題がある場合もありますが、それよりも、母親の体調の問題からの精神的な不安定が要因となることが多いようです。体調の問題とは、漠然とした不安感、疎外感、孤立感です。実際の離婚事件で母親が医師によって診断された疾患名としては、甲状腺機能異常、産後うつ、月経前緊張症、全般性不安障害、うつ病、パニック障害などがあります。このような不安状態の中で、行政や弁護士、警察や医師、学校関係者といった権威があり、不安の解消のために依存をしたい人たちから、会わせてはいけないとアドバイスされると、会わせること自体が不安になるということも理解できることです。

 母親たちは、逃げることで、不安のほかに恐怖まで植え付けれられているのが実情です。現在の逃げるという政策は、即ち子どもを連れて逃げるということですから、当然に父親から子どもを引き離す政策だということを意味しています。この政策を転換するべきだということが、本来提言されるべきことだと思います。それが親子断絶防止法かといわれれば、極めて不十分であることは私も異論がありません。親子断絶防止法は、当初の案から大幅に後退してしまっており、メリットが少なくデメリットが増えてしまったと感じています。一番の問題は結論を提示しているだけで、その結論にどのように誘導するかという肝心の政策がない点です。

 第2に、彼女の論の疑問点として、親子断絶によって精神状態の悪化が起きたことを否定しているように読めることです。
 現実に、父親や母親がわが子と会えなくなることで、様々な精神症状が現れます。これまで精神科医がうつ病などの抑うつ状態、転換性障害、不眠症などと診断した人たちを私はまじかで実際に見ています。突如電話をしたくなり、相手の事情もかまわずに自分の不安を語りだす人、ほとんど日常的に涙目になっている人、誰彼構わずに攻撃的になる人、多かれ少なかれ、異常行動が見られます。

 日本人は、少なくとも江戸時代までは、子煩悩で有名でした。山上憶良の歌から始まり、モースの「日本その日その日」等、子どもがいかに大切にされていたかを物語る資料は尽きません。自分の一部だと思っている子どもと引き離されることで、精神的な不具合が生じることは当然なことでしょう。
 現在の母子を逃がし、父から断絶するという政策が人の精神を病ませる実例は枚挙にいとまがありません。

 家庭内暴力があり、命の危険がある場合はやむを得ないでしょう。しかし、現実に家族が分断されるケースは、私が知る限りそのような危険のないケースがほとんどです。むしろ、心身を蝕むケースの本当のDV事案では、なかなか法制度によって救済されない問題点があると感じています。支援制度を悪用して不貞相手の男性と同居していたケースも少なくありません。DVがないにもかかわらず、DVがあるように思いこんでしまっているケースも多くあります。この点の原因としては、この国立大学の教授の見解が支持されるべきであり、夫婦、家族が孤立していることに問題があると私も思います。但し、孤立しているため、加害者が被害者に加害をするという単純な話ではなく、お互いが、自分を客観的に見ることができず、疑心暗鬼をだれも止めてくれないということ、ちょっとの工夫をアドバイスされれば、みんなが幸せになるのにということなのです。この違いは決定的だと思います。

 逃がす政策が人を狂わせ、凶暴化させ、あるいは破れかぶれにさせ、あるいは思考力を奪い、さらなる悲劇を生んでいるということは真実だと思います。そのような側面が確かにあり、少なくないケースで見られるにもかかわらず、なかったことにされることはどうしても納得できません。まさに数の暴力です。こういう時に人権侵害が起きる者です。私は、人権侵害が行われていると思います。女性の権利を守る名目で、子どもと会えない親の人格が国家によって否定され、子どもが両親から愛情を注がれる権利が理由なく奪われ、子どもの親を絶対的な悪だと子どもに対して繰り返し吹き込む、そのような野蛮なことが横行していると声を大にして言いたいのです。最大の犠牲者は、自己のアイデンティティをないがしろにされる子どもたちです。

 第3に、彼女の主張で、もし、親子の引き離しによって父親の精神破綻が生じて暴力に出たということ自体を否定していたとしたら、それは元々、その父親は子どもを殺すような粗暴な人間だったということを主張しているのでしょうか。そのように読むと論述自体が一貫しているように読めるのです。彼女は、大森氏のどこがどのように何でもありなのか説明をしていないので、不明ではあります。しかし、もしそうだとしたら、人間観に問題があるように感じてなりません。

私は、長年刑事弁護を担当していますが、生まれながらに犯罪を実行する人などいないと感じています。みんな理由があって逸脱行動にでるということです。弁護人の仕事は、罪を犯した人とその理由を考え、理由を除去し再犯を予防することだと整理できると思います。伊丹の事件の理由の一つとして、子どもと過ごすことのできない絶望感や、そのことによって発症した精神疾患だということは大いにあり得ることで、その可能性があることを否定する事情は報道されている限りありません。大森氏の論述がなんでもありというような荒唐無稽の話でないことだけは確かです。

 気になるのは、彼女の論拠の背景として、妻が子どもを連れて別居するというそれだけのことから、別居の理由が夫にDVがあったからだという決めつけがないかということです。実際にそのような別居事案において暴力と呼べる事態ないことが多くあります。精神的虐待といっても、日常よくあるいさかいをもって虐待と呼んでいるケースがほとんどだと実感しています。いずれにしても、そのようないわゆるDV冤罪の事案は少なくありません。このようなDV冤罪を作り出し、父親の精神を破綻させ、子どもから父親と会う権利を奪い、子どもから父親を肯定する権利を奪う最大の原因が、このような類型的な決めつけ、ものの見方です。一言で言って差別です。

松戸家裁の事例では、父親のDVは裁判所でついに認定されませんでした。当事者がDVを裁判家庭において主張することはともかく、当事者でもないひとり親支援NPOの代表や、何も事情を知らないくせに父親をDV夫だと決めつけて、SNS等で流布したことで、刑事告訴をし、警察に受理されたとのことです。【訂正】当初、大学教授についてもNPO代表と同様の理由で刑事告訴をされたと記載していました。刑事告訴を受けたのは両名であることは間違いのない事実ですが、告訴事実について上記大学教授が父親をDV事案と決めつけてSNSで流布したということをもって刑事告訴されたかについては、現時点では未確認です。謹んでお詫びするとともに、その部分を削除いたします。伊丹の父親も自死してしまいましたので、告訴をする人がいないだけなのかもしれません。

 法律家は、事情を知らない事案では、当事者を非難するコメントをしないということが最低限の矜持だと理解しています。何らかの決めつけがあったならば、法律家としてのコメントとは言えません。このルールは実務家だけで研究者は例外なのでしょうか。

 現在の親子断絶防止法を批判することは自由でしょう。しかし、その批判の仕方のために、多くの人たちが傷つくことを謙虚に考えるべきだと思います。決めつけ、差別による批判は、その批判する人たちに何か裏があるようにさえ思えてくるものです。むしろ、多くの人たちに実際に起きている現実をぜひ知って、みんなが幸せになる方法を考えていただきたいと考えてやみません。みんながということが無理ならば、せめて子どもが自分の親を否定することを押し付けられた場合の、子どもの将来に起きることを考えていただきたいと思います。

以下引用。

「離婚後の子育て 共同親権で親子の関係守れ」と題した大森貴弘氏の「私の視点」(9月21日付)を読んでショックを受けた。兵庫県伊丹市で面会交流時に起きた痛ましい子殺し事件について「原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発 した事件と言える」とする見解が、何でもありのネット空間ではなく、新聞に掲載されたことに、深い悲しみを覚える。
 先進国の家族法と日本家族法との違いは、離婚後の共同親権の有無だけではない。両親間のトラブルに対する制度設計がまったく異なっている。明治政府は30年をかけて西欧法に倣った近代法を立法した。しかし明治民法の家族法部分については、「家」の自治にすべてを委ねる、独自の極端な法を立法した。離婚を必ず裁判離婚とするような西欧法は、手間のかかる不要な国家介入だと判断したのである。当時は、まだ自営業を担う「家」が中心の社会で、人々は地域共同体や大家族に包摂されて生活しており、親に問題があっても子どもたちはまともな大人と触れあうことで健康に成長できた。この社会的安全弁は、失われた。
 戦後の民法改正は「家」の自治を当事者の自治に変えただけだ。西欧の裁判所であれば、家庭内暴力(DV)被害者が助けを求めれば、加害者に別居命令を出し、養育費を取り立て、従わなければ刑事罰を加える。しかし、日本のDV被害者に残されているのは、逃げる自由だけである。DVは深刻な児童虐待であり、脳の成長を損傷する度合いは、肉体的虐待や育児放棄よりもむしろ大きいといわれる。そして児童虐待対応にかけられている公費も、日本は西欧諸国よりはるかに少ない。
 もちろん離婚後も親子の交流があるほうが望ましく、子の奪い合いにはときに強制力のある介入も必要である。しかし、それは物理的・精神的暴力から子を守りながら行わなければならない。パーソナリティーの偏りや精神的暴力の有無などを見抜く力のある精神科医や臨床心理士などのプロが調査・介入して、加害者に働きかけてリスクを軽減して初めて可能になる。親子断絶防止法案は、これらの支援の保障なく、当事者への義務づけを定めるもので、弊害が大きい。
 私は伊丹市の悲劇の詳細を知らないが、仮に父親が3カ月間、子に会えなくて精神的に病んだとしても、悲劇の責任は、面会交流を試行錯誤した母親にあるのでは決してない。子を守れなかった責任は、親を放置して育児を支援しなかった、私たち日本社会の無責任な無策にある。


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MVPは家裁調査官 あなたの面会交流の時のために 試行面会が実施されました。 [家事]


事案、1年プラスα前に妻が子どもを連れて突然別居。行き先不明。
   別居2か月後妻が離婚調停申立。3か月後夫側代理人受任。4カ月後、面会交流調停申立。子どもは、小学校低学年女児。

この事案で、先日「試行面会」というものを行いました。試行面会とは、子どもと別居親が面会することが子どもにとって何らかの問題がある可能性があるとき、裁判所の一室で、調査官が立ち会うなどして子どもの安全を確保しながら、試験的に面会をしてみるというものです。

夫と代理人は、先に家庭裁判所に入り、控室に通されます。時間までに控室にいることで、妻と子どもが後から家庭裁判所に入り、試行面会室に入るまで、夫と顔をあわせることが無いようにします。夫のDVは実際にはないケースが多いのですが、妻側がDVがあると思っているケースも多く、このような安心を提供することで、子どもが別居親に会えるということにつながるので、まあ良しとします。無線を携帯した職員が何か所に立っていましたが、こちらの問題ではないと信じましょう。当事者からすると、誰しも、挑発されているようにしか感じられませんが、そのようなインテリジェンスはないのかもしれません。

そうして準備が調ったら、呼び出し係の職員の方が、控室に迎えに来てくれて、面会室に向かいます。面会室はプレイルームと呼ばれるものです。実際に私がプレイルームに入ったことはありません。弁護士は隣の部屋で待機しています。隣の部屋にはモニターがあって、モニターでプレイルームの様子がわかります。調停員、妻、妻の代理人も、別室に待機しモニターでプレイルームの状況を見ているようです。

プレイルームは、カラフルな着色をした発泡スチロールみたいなマットが組み合わせらた2畳くらいでしょうかスペースと、テーブル、ソファのスペース、それから入り口の脇の箱庭制作のスペースがあるこじんまりとしたところです。箱庭のキャラクター、アイテムが並べられている棚が奥に見えます。かなり、アイテムは充実しているようです。それにボードゲーム機があると言った感じです。

われわれが到着した段階では、プレイルームには子どもと調査官がいます。調査官は、試行面会の前に子どもから聴取しています。今回も子どもも調査官を気にしていないようでした。もっとも、調査官の聴取が子どもにとって苦痛であった場合はそうはいかないかもしれません。
 弁護士は、先に別室に入ってモニターを見ます。父親が入室するところから見ることができます。

 ここが一番緊張するところです。何せ、1年以上あっていないのです。親の方が感極まってしまい、収拾がつかなくなることも人情としては理解できることです。でもそうしてしまうと、子どもの方が負担になったり、びっくりしてしまったりするということがあります。面会交流が重苦しい時間になって次につながらない心配もあるのです。そのため、事前の打ち合わせで、「昨日も会ったように、当たり前のような顔をして始めてください。」と無理を承知で言わなければなりません。また、子どもと話す内容も、妻が住所を秘匿している場合、住所を割り出されるのではないかと妻がおびえているので、それにつながる学校の名前とかを聞き出すことはしないことにしています。子どもから会えない理由を聞かれることも多いのですが、うっかり母親が会わせてくれないと言ってしまうと、母親が二度と会わせようとしなくなるので、注意しなければなりません。
 ここで、別居親は子どもを連れ去られたという被害意識がありますから、無意識、無自覚に、子どもに自分の窮状を理解してもらおうとしてしまうのです。自分が辛いとか、寂しいということを言ってしまうということがあります。私もそう言うと思います。一緒に住みたいとかですね。または、お母さんが会っていいよと言ってくれれば会えるよとかもそうですね。あるいは、子どもが寂しがっていないかと思い、お父さんは絶対見捨てないよとかですね。それは人情としてはわかります。しかし、考えなければいけないのは、子どもの立場です。そういうことを言われた場合の危険性として、自分が悪いからお父さんが苦しんでいるのだろうかとか、今自分はとんでもない危険な状況にいるのではないだろうかとか、どうしていいかわからなくて混乱してしまうとかですね。要するに親の思いは、子どもにとって重すぎて、支えきれないということなのです。また、子どもになついてもらいたいとか、楽しそうにしてもらいたいとか、色々リクエストはあるでしょうが、子どもには子どもの事情もありますから、こちらの思い通りはいきません。一緒に暮らしていても、子どもが言うことなんて聞きません。親ですから、子どもにサービスをする立場なので、子どもに何かを求めることはしないと特に意識する必要があるようです。子どもが、自分はいつもどおりでいいんだということを感じてもらえるように、別居親の心の踏ん張りどころということになります。
 
 先日の事例はうまくいったようです。モニターの位置が悪くはっきりはわからなかったようですが、お父さんは笑顔で入室したようです。それが、すべてでした。子どもは安心して、お父さんに抱きついて行きました。今思い出しても泣けてきます。一人でモニターで見ているので、人目をはばかることなく泣きました。1年以上も会えなかったわけです。会いたかっただろうな、不安だっただろうなといういろいろなことが、私の心にワッと飛び込んできたような感じでした。

 それからどうすればよいのか。別居親が真剣に子どもにとって有益な面会をしようと思った場合に出てくる当然の疑問があります。「その後どうすればよいのか。」ということです。あれもだめこれもだめということになるとどうしたらよいかわからなくなるということは当然です。これは、それぞれお子さんに合わせてということになるわけですが、いくつかサンプルを挙げましょう。

 娘と父親の場合、これは娘に合わせればよいです。要するに、娘にリードしてもらうということです。面会交流場所に遊具なんかがある場合、娘は、親と一緒に遊びたくなります。ごちゃごちゃ言わないで付き合ってあげればよいです。飽きて来たら、別のことをやろうと言いますから、ニコニコと従えばよいです。自分の思い通りに親が動いてくれることも貴重な時間になります。内気な男の子というとになると、最初はぎこちないですが、これこれをしようかとか言って、提案してあげることも必要かもしれません。次何をすると尋ねても良いかもしれません。子どもにげたを預けてしまうと楽です。何か話をするときも、自分のことを話すとよいでしょう。「昨日こういう面白いことがあって、お父さん笑っちゃったよ。」とかいう話が最適です。大事なことは、子どもが話し始めたら、興味を持って聞くということです。多少道徳的に逸脱したことを言ったとしても、条件反射的に注意するのではなく、どうしてそういうことを言ったのか興味を持ってください。そうして良いことをしたり、言ったりしたら褒めるということを忘れないでください。一緒に住んでいる親はなかなかそういうことはできません。短時間しか会えないなら、短時間の中で子どもに貴重な体験をしてもらうことができます。自分の感情を否定されないということですね。

子どもの年齢が高くなって打ち解けないという状況がしばしば見られます。気にしないことです。親の方が楽しそうにしていること、自分が親にぶっきらぼうでも親は自分を許してくれるという体験が有効です。ここも心の踏ん張りどころでしょう。

案外あっさりしているのは、帰り際です。子どもは、自分の立場をよく知っているようです。夢のような時間にも終わりが来るということをよくわきまえています。どんなに楽しんでいても、帰り支度をし始めます。極端な場合、親の顔を見ようとしなくなります。かえって悲しい現実を突きつけられたような気がする瞬間です。子どもは頑張っているのです。大人が頑張らなくてどうします。大事なことは、「またね。」ということのようです。「会えるの?」と尋ねられたら、「大丈夫だよ。」と言いましょう。子どもにとって、親の大丈夫という言葉は、何にも代えられない安らぎ、心の支えになるからです。「お母さんが良いって言ったら」等とごちゃごちゃしたことは言わない。抽象的な言葉は、こういう時のためにあるのだと思います。大丈夫でなければ、大丈夫なようにするだけのことです。

もし機会があれば、同居親に感謝を伝えるべきです。おそらく、子どもを連れ去られて、自分を否定した憎い相手かもしれません。そういう目に合わせられて感謝をするということは納得のできないことでしょう。
でも、相手親も、本当は、あわせたくないのです。嫌がらせをしていると非難する人が多いのですが、圧倒的多数の事例では、同居親にそこまで余裕はないです。子どもを別居親に会わせることで、何か良くないことが起きるかもしれないという漠然とした不安や苦痛を持っている場合が殆どです。もちろん連れ去りの不安もあるようですが、それは、場所的に安全な場所で行われていてもあって、本質は言葉にできない不安と言ってよいようです。それを無理して合わせているのだから、ねぎらいをすることは、相手も安心する。相手が安心すれば、面会も拡大するという関係になります。
 だから、感謝の気持ちを持たなくても、感謝の言葉を伝えることがとても大切だということなのです。女性にマメな男性は、本能的にできることのようです。

 今回は、時間も限られた試行面会でしたが、これまではなかなかそれすらできませんでした。最後まで、様々な方法で抵抗されました。しかし、調査官が、きっちり子どもの意向調査をされ、その調査結果を踏まえて、外野の声に耳を傾けず、毅然としかし情をもってお母さんを説得し、励ましていただいたおかげで実現しました。詳細は書けませんが、審判官(裁判官)にもご尽力いただきました。調査の過程で子どもとの信頼関係を構築し、子どもがスムーズに面会に入れたとも思います。まだお若いのですが、立派な調査官だと思いました。

 たった一人のお子さんのことで、たくさんの大人たちが自分の持っている力をフル稼働して、協力し合い、励まし合い、お子さんが、両親から愛情を注がれていると実感できる場を作る、なんて素敵なことでしょう。正常な家庭裁判所は感動があふれています。

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第10回親の会は10月27日6時30分 保護命令に対してはきっちり対処しましょう [家事]

最近、なかなか、こちらには手が回らず申し訳ありません。

第9回わが子に会えない親の会は、無事終了し、
またも、関東から参加された方もいらっしゃいました。

参加されない方からのメッセージも充実してきました。
第8回に引き続いて女性も参加されています。

私の方の最近の様子ですが、
夏場までは、油断していたのですが、
また、わが子に会えないという新規相談が増えてきました。
どうやら9月10月というのが、
別居決行が多い時期のようです。

相談者の範囲も、
東日本エリアとでもいうような
広範囲になってきましたし、

相談の内容も、
相手方の心情を把握したうえで、
ばらばらになった家族をどうするか
という形の相談も増えて、
たようになってきた感があります。

最近もまた保護命令が出されて、
異議申し立てをしないという方がいらっしゃいます。

色々理由があるようですが、
命にかかわる暴力が無い場合は、
保護命令を出させないことが鉄則です。

余計なことは考えないでください。

保護命令は、
配偶者の身体生命に重大な危険がある場合に限って
出ることになっています。

しかし、実際の事例を出された側から見るとですが、
配偶者の身体生命に重大な危険があった事例は
私は見たことがありません。
多少のいざこざはあるのですが、
とても身体生命というほどの大げさなものはありません。

それでも保護命令が出てしまうと、
貴方は、妻や夫の、
身体生命にとって危険な存在だということに
なってしまうのです。

もちろん、調停やら警察やら
他人がそういう目であなたを見るようになるでしょうが、
一番問題なのは奥さんがそういう目で見るということです。
申し立てた張本人なのにおかしなことを言うと思われると思います。
それがそうでもないのです。

保護命令申立は、
奥さんの「支援者」から強く勧められて行います。
申立書は用意されていて、
アンケートに答えるように書くことができます。
簡単に申し立てはなされてしまいます。

痣のできやすい体質の方っているわけで、
仕事や家事で痣がついても、
病院に行けば「打撲」と診断されます。
全治三日と書いてくれるお医者さんは良心的です。
ほとんど大したことが無いと言っているわけです。
それでも裁判所は傷害であると認定します。

2週間の安静などと書かれてしまうと
もう重大事件です。
あとは、包丁で魚をさばいていても
命の危険がある刃物を振り回した
ということになる危険があります。

ペットの犬の毛を刈るハサミを持ったまま大声を出しただけで
命の危険があると認定された事例も実話です。

その人は自宅の周囲を徘徊することも
禁じる命令が出されました。
散歩さえも裁判所から
刑罰の威嚇で禁じられたのです。

精神的に不安定になったことは
当然のことです。

さて、保護命令を出した奥さんも、
実際どうだったか知っていますから、
保護命令は出ないだろうなと思っているわけです。
言われたからやっているという話も聞くところです。

それが、裁判所が、身体生命の重大な危険がある
と宣言して保護命令が出されれば、
「ああ、やっぱり危ないところだったんだ」
「支援の人たちの言うとおりだったんだ」
と思ってしまうことも、
理解できるところだと思います。

さらに、あなたが、
保護命令に異議申し立てをしなければ、
やっぱり自分の夫は、
私に対して生命身体の危険があったことを
自分で認めたのだ
ということになりかねません。

こうなってしまうと、
哀れな奥さんは、あなたから逃げ続けなければなりません。
見つかったら、危険なことが起きる
というおおざっぱかつ抽象的な予期不安を抱き、
ただただ、自分の命にとって危険な存在だ
という認識で、毎日脅えて暮らすことになります。

逃げているという意識があるうちは
10年たっても恐怖は消えません。

町中に出るとあなたと会うのではないかと思いでません。

もう大丈夫と思って人ごみの中に出かけて、
貴方とよく似た背格好の人を見ただけで、
動悸が始まり、パニックになった人もいます。

保護命令は抵抗しなければ出されます。
抵抗しなければ、あなただけでなく、
相手も不幸になることの多い制度だと思います。

ところで、第10回親の会は、
27日6時半、
場所は、仙台駅前ですが
土井法律事務所03-212-3773
までお問い合わせください。

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第8回 わが子に会えない親の会開催報告 結局今の男女参画の離婚誘導政策は、女性の中でも一番弱い女性に鋭いブーメランとして襲い掛かっていること [家事]

第8回 わが子に会えない親の会開催報告

先日、第8回の例会を行いました。
基本的に6時半くらいから始まりますが、
みなさんが揃うのは、7時をだいぶ過ぎてからでしょうか。

居酒屋で行いますが、
お酒を飲めない方も複数いらっしゃるので、
お食事をしていただくということになります。
(親子丼がうまい)

いつものように欠席された方の近況報告を
幹事さんや私の方から行います。
第1回に参加しただけで
その後参加されない方も
マメに近況報告をくださります。

遠方に住んでいらっしゃるので
なかなか参加できないことは
みんな分かっています。

それよりも、
1回だけしか参加していないのに
自分の居場所だという意識を
持っていただいているなあということが感じられ、
この会を頑張って続けていくこと自体に
意味があるのかもしれないなあと思っています。
嬉しいです。

今回一番遠方の方は北関東の方でした。
お泊りかなあと思ったら、
終電でお帰りになりました。
わざわざこの会に出るためだけに
新幹線代金を使っていらっしゃっていると聞いて
これまた感激でした。

今回のビッグニュースは、
8回目にして初めて女性が参加されたことです。

わが子に会えないのは父親だけではありません。
母親も会えない方も多くいらっしゃいます。
私も3件担当しています。

やはり奇妙な共通項があります。
しかし、男性のケース(母親が会わせないケース)
よりも大分単純です。

父親が、母親に極度にやきもちを焼いていて、
些細なことをもって
浮気をしているのではないか
自分を見限ろうとしているのではないか
と疑い深くなっていて、
妻を攻撃してしまう、
妻は、わけがわからないで責められているうちに
精神的に圧迫されていくというものです。

最終的には、一人で子どもをおいて家を出されるのですが、
実際に大岡裁きみたいなケースもあるのですが、
やっぱり本当の母親は子供がかわいそうになり
手を離してしまうのですが、
21世紀の司法の元ではそれが今生の別れとなるわけです。

そうしているうちに家庭裁判所の案件となり、
継続性の原則が使われたり、
監護親の葛藤が高いことを理由に
裁判所が面会交流の提案自体を躊躇したり、
面会の約束が破られていくわけです。

今、無責任に、女性の権利を声高に叫んで、
「子どもを連れ去ったほうが勝ち」
という極端な現状追認を求めている人たちがいますが、
そのブーメランは、
婚家から追い出された
最も女性の権利を踏みにじられた、
最も弱い女性に突き刺さっているわけです。

会員さんの良いところは、
自分たちだって親に会えないで苦しんでいるのに、
自分のことそっちのけで、
新しい会員さんのことを
一緒に怒ったり、悲しんだりするところなのでしょう。

こういう時には、
自然と、
相手の話を最後まで聞くこと、
節目節目で共感を示すこと、
自分の提案はその後にしていること。
ということができるのです。
私も含めて。

なんかこういうところにも、
解決のヒントを見出したところであります。
当事者でなくても居心地の良い会ですから、
当事者の方が居場所だと思うのも
もっともなことかもしれません。

次回は、9月19日6時半からです。
参加希望の方は、土井までご連絡ください。

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妻が、ある日突然、子どもを連れて家から出て行ってしまわないための究極の方法 [家事]

第1章 なぜ妻は子どもを連れて突然出て行くのか

 1 根源は漠然とした不安
   はじめは、何となく不安だということから始まります。
   原因が良くわからないけれど不安だということから、
   だんだんと
   「自分だけ独りぼっちになる」ことが怖いとか
   「自分だけが損をしている」
   そんな感覚的なことのようです。

   「この不安の原因が夫だ」とか
   「夫がいなければ不安が無くなるだろう」
   ということで、「夫から離れよう」
   という気持ちになるようです。

 2 出て行くことの構造
   「不安素因」に、
   「外部的要因」が重なることで不安が大きくなり、
   「アドバイス」という要素が
   不安の原因を夫と特定して、
   子どもを連れて出て行くという結果につながることになります。

 3 不安素因
   これは主として、妻側の体調のようなものです。
   出産に伴うホルモンバランスの変化
   甲状腺機能亢進症、低下症のような病気、
   性格に近いようなもの
   年齢的なものとしか言いようのないこと、

   これら、誰が悪いというわけではなく
   結果として不安を感じて苦しんでいる
   ということが基本のようです。

 4 外部要因
   不安を高める要素として
   夫の収入や雇用の不安定さ
   子どもの障害等の事情
   その他、福島原発の放射能に対する恐怖
   などということも不安を高める要素のようです。

 5 アドバイス
   行政、警察が、奥さんが不安に苦しんでいるのを見ていると
   とりあえずDVを疑い、
   偶然的な接触を暴力でDVという場合があったり、
   何もなければ日頃のちょっとした言動が
   精神的DVだということで、
   不安の対象が夫だということになることがあると思います。

   実母等が、夫に原因を求めて
   自分の元にかくまうということも
   あるようです。
 
 6 その結果、妻は、夫と同じチームだという意識がなくなり、
   夫は敵対的な存在だと意識するようになり、
   客観的事情をはなれて、夫を怖がる傾向になるようです。

第2 夫が身につけるべき心構えと対策
 1 出産について
   出産後多かれ少なかれ人格が変わる女性は結構いらっしゃいます。
   攻撃的言動が増えてくるのですが、
   攻撃や怒りは、危険と感じる対象を
   叩き潰すことによって回避するメカニズムです。
   根源は、不安を感じ易くなっているのです。

   これは、本人の努力だけではどうしようもないことです。
   怒りを表現するほど不安があるのだから、
   むしろ夫は、最大限のねぎらいをかけるべきです。
   決して、理由なく攻撃的になっていることに
   怒り返してはいけないわけです。

   子どもじみた夫の言い分は共通しています。
   「だって俺は悪いことをしていない。」

   そんなこと言ったって、
   妻も何も悪いことはしていません。
   理由ない攻撃が悪いことだとしても
   その原因はホルモンバランスの変化にあるのかもしれません。
   妻の人格に原因があるわけではないのです。

   出産をなかったことにするわけにはいかないのです。
   そのような人間が変わるような苦労をしていただいた結果
   愛するわが子がこのように出現してきたわけですから、
   感謝こそすれ、怒って良いはずがありません。

   出産後、妻は夫に八つ当たりをする
   これは生きとし生けるものの共通であり、
   その最たるものがカマキリなのでしょう。

   八つ当たりをされても心を動かされない
   一夫一妻制とはそういうものだと思うべきです。

 2 妻をほめることで、ようやくプラスマイナスゼロになる。
   不安を抱くことに理由はありません。
   とにかく、普通に接していても
   悪く悪くとられてしまいます。
   冗談でからかっても、
   「夫はそれが原因で離婚を考えている」
   と受け止めてしまう危険があります。

   「けなすなんてしていない」
   と考えて身に覚えのない人は、
   褒めていないことに、ちやほやしていないことに
   思い当たるべきです。

   不安を抱く妻は、
   褒められているか、攻撃されているか
   どちらかしか感じない、中間なんてない
   と考えるとわかりやすいです。
   あなたが、褒めもけなしもしていないのならば
   それはけなしていると受け止められていると
   考えた方が無難でしょう。
   中間はないのです。

 3 良いとこ探しが人生さ

   「うちの妻には褒めるところが無い」
   なんていう罰当たりなことをいう人は、
   おそらく子供の育て方にも失敗するでしょう。
   思春期を乗り切ることは無理だと思います。

   その気になれば、何で褒められるのです。
   ご飯を作ってくれれば褒める。
   味がおいしくなくても、作ってくれたことに褒める。
   一つでもおいしい料理があれば
   徹底して褒める。

   褒めて誘導していくということです。
   褒められればうれしいので、
   また同じようなことをするわけです。

   これは誰でも一緒です。

   自分のアドバイスで実現したとしても
   手柄は妻に持たせましょう。

   最近の子どもじみた大人たちは
   手柄を譲ったり、
   わざと負けてあげたり
   という日本古来の美徳が身についていないようです。

 4 こうあるべきなんて勝手な話は捨てる

   例えば、料理はきちんと栄養がありやすくてうまいもの
   を作らなければならない
   なんて身勝手な発想はやめましょう。
   病気にならなければ良いんです。

   掃除はチリ一つ落ちていないようにしなければならない
   なんてことも思わない方良いでしょう。
   自分で掃除できるならばですが。

   できないことを怒らない
   これが基本ですね。
   
   できるところをほめていく、
   押しつけがましくなく自分でやる。
  
   夫はパートナーであって
   親でも先生でもないのです。
   ここを勘違いしている人が多いように思われます。

 5 それは自分の本能との闘い

   人間の生きていく本能として、
   危険を取り除いて命を長らえるというものがあります。

   何らかの不具合が余計は、敏感になり脳が警告を出します。
   良いところは、
それで良しで終わるので脳は警告を出しません。

そのために、悪いところばかりが目について
   相手の努力などはスルーするのが、
   本能的な行動ということになります。

   それでは、相手の不安のスイッチを押しまくってしまいます。

   悪いところに目をつぶり、
   良いところを積極的に見つけて褒めましょう。

   それは、意識しないとできないという理由があることだったのです。

 6 失敗や弱点に目をつぶってこそ仲間=帰属意識

   失敗は必ず起こります。
   弱点は人間に必ずあるものです。

   そういうウイークポイントを責めない、笑わない、批判しない
   もう一つ説教しない
   ウイークポイントは本人も自覚があります。
   だから、そのことをいじられることは、
   かさぶたをはがしていじられているようなものです。

   逆にウイークポイントをカバーされれば、
   この仲間のために貢献しようという気持ちが
   起きてくるものです。

   そうすると、不安になればなるほど
   あなたの元にとどまろうとするものです。

 7 自分と同じ事をしていても自分以上に努力しているかもしれない。

   例えば、妊娠を経験すると
   人によっては、床に落ちているごみを拾うことも
   出産後もおっくうになることがあるようです。
   だから、ゴミを拾うことだって、
   あなたには簡単なことだけど
   子どもの母親はあなた以上に努力をしないと
   できないことなのかもしれません。

   機嫌よく話していても
   本当は不安に苦しんでいるけれど
   家族のために笑顔を作っているのかもしれません。

   そこを褒めましょう。
   「笑顔がいいね。癒されるね。
    家に帰ってきたという気持ちになる。」
   そりゃあ、無理にでも笑顔でいようと思うようになるかもしれません。
   
   一緒にいることが楽しいということは
   そういうことなわけです。

 8 意見を言うことは可
   では、すべて妻の言うとおりに生きるのか
   と大上段に嘆く人がいると思いますが、
   意見を言うことはとても良いことです。
   但し、そういう時こそ、笑顔を作って、
   敵意のないことを示しながら話す必要があるようです。
   そしてサラっという。ということになりそうです。
   情報を伝達するより、余計な感情は伝達しないということですね。

以上、なんか皮肉めいたことを言っている
と読まれた人もいるでしょうが、
   全部本気で言っています。

但し、全部が全部できなくても、頭に入れておけば
悪いことは起きにくいでしょう。
例えば、相手が努力して機嫌よくしているのに
それに対するカウンターのような「からかい」はしなくなるはずです。

   男性だけ不平等ではないかという意見もあると思うのですが、
   そもそも命がけで子どもを産むのは女性だけです。
   これに勝る不平等はないのではないでしょうか。

    あなたが子どもを愛しているなら、
    子どもを命がけで生んでくれた妻に感謝をするべきですし、
    感謝をするということはこういうことのようだということが
    数々の事例からわかり始めたということになります。

    仲間とは、チームとはこういうことなのでしょう。


第7回わが子に会えない親の会の報告 [家事]



7月も例会はありました。報告が遅れていました。
結構熱く語っていたため、つい飲み過ぎて、
あまり覚えていなかったというのが
正直な理由です。

覚えている範囲でのご報告ですが、
7人の参加でした。

毎回参加する人(私もそうですが)、
久しぶりの人、
初めて参加する人がいるのは
いつものとおりです。

幹事さんや私から、
欠席の人のメッセージ伝達などがありました。


例会に参加していなくても、
自分の集まりだという想いを持っていただいていると感じて
私もうれしくなります。

メンバー同士で携帯電話番号を交換している人もいて、
会場に電話をよこして、
一部電話で参加というのもありました。


今回は、うれしいお知らせと残念なお知らせがありました。

嬉しいお知らせというのは、
今回初めて参加される方が、
なんと南関東から
わざわざこの集まりのために、
泊りがけで仙台にいらっしゃったことです。

子どもと別れて間もないということで
情報を集めにいらっしゃったようです。

ネットでの情報収集はしているようなのですが、
ネットでの情報は、どうしても断片的にならざるを得ず、
読み方に注意する必要があります

情報というものには、
メリットデメリットがあることがつきものなのですが、
読み手の能力に合わせて書いているわけではないので、
受け手が上手により分けて、
自分に活かす必要があります。

そういう意味では、こういう会に参加することは、
実体験に基づいたアドバイスを聞くことができますので、
情報の取捨選択もアドバイスを受けることができますし、
別の観点からの情報も入手できる可能性もあります。
とても有益だと思います。

どなたも初めてお会いした時は、
かなり落ち込んでいて、
口数も少なかった人ばかりなのですが、

二回、三回と参加されているうちに
堂々と自分の体験を語って
何とか仲間の役に立てばということで、
情報と勇気を分けあっています。

しかも、自分の体験を踏まえてなのでしょう、
決して押し付けることをしないということは
いつも感心しているところであります。

残念な話題の方ですが、
今回初めて女性の方が参加するはずだったのですが、
というか、
会場までいらっしゃったのですが、
店が気か利かなかったことと、
私と主催者が打ち合わせ不足があって、
席に通されなかったというハプニングがあり、
出席かなわなかったことです。

あとで、気転を利かしていただき、
店に電話をしてもらい、
連絡がとれて事情がわかりました。
まずは安心しました。

次回は、
8月25日金曜日
6時30分から
初参加の方は、
土井法律事務所(022-212-3773)
までお問い合わせください。

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