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ある国立大学教授の大森貴弘氏批判への疑問 必要なことは、親子断絶の危険性についての理解あるいは、子を思う親の気持ちへの理解ではないかと思う理由 [家事]

ある国立大の法学部教授が、朝日デジタル「私の視点」に大森貴弘氏を名指しして批判した記事が掲載されました。彼女は以下のように大森氏を批判しています。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S13186771.html

「兵庫県伊丹市で面会交流時に起きた痛ましい子殺し事件について「原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発 した事件と言える」とする見解が、何でもありのネット空間ではなく、新聞に掲載されたことに、深い悲しみを覚える。

これは、大森氏の文章に対して、ネット空間のような何でもありの主張であり、新聞に掲載されることは言語道断だという、極めて辛辣な批判です。彼女のこの主張は、仲間同士の閉ざされた人間関係の中での発言ではなく、これまた新聞という不特定多数人に向けた主張のはずです。そうだとすると、なぜ、何でもありのむちゃくちゃな主張であるのか、その理由を説明しなければ、失礼であり、品位を欠くものだと、私は思います。

 その後の彼女の論は、日本の法律は家庭に入りにくい設計になっているが、設計された明治時代は家という大人数で子どもを育てていた。両親に問題があっても、他のまともな大人が子どもを守っていたという趣旨のお話をされ、現在は、その安全弁が失われ、児童虐待に対する予算も体制も日本は貧弱だと展開されています。面会交流も大事だが、加害者の加害を見抜く制度設計が必要だとして、これがない親子断絶防止法を批判します。
そして「私は伊丹市の悲劇の詳細を知らないが、仮に父親が3カ月間、子に会えなくて精神的に病んだとしても、悲劇の責任は、面会交流を試行錯誤した母親にあるのでは決してない。子を守れなかった責任は、親を放置して育児を支援しなかった、私たち日本社会の無責任な無策にある。」と結んでいるのです。

 第1に、大森氏の論考が、伊丹の事件で、子どもが死んだのが母親の責任だなどとは言っていないのですが、彼女の話の流れは、さも大森氏がそのような主張をしているように読み手に誤解を与えることになります。 私の弁護士としての体験からですが、子どもを連れて別居した母親が、子どもに取って父親の愛情を受けることに、あくまでも反対だという人は少ないという実感があります。母親に対して適切な働きかけをして、周到に準備をして母親の不安を軽減した上での面会交流は例外的なケースを除いて実行されます。むしろ、母親に対して子どもを父親に会わせるなという無責任な「支援者」がいるために、面会を拒否するケースが大半です。この「支援者」として、行政や警察、弁護士や医者、学校等様々な権威のある職種の人たちが子どもが自分の親に会うことを妨害しているということが実情です。大体は、すでに論拠がないと否定されつくされているレノア・ウォーカー(DVサイクルとか)のお説をさらに劣化させて(DVは治らない等)繰り返し母親に吹き込んでいるのです。新しいケースの事情聴取をしても、デジャブ―のようにこういう風に言われたと聞かされるたびにうんざりしてしまいます。母親がそれを信じる原因として、夫の家族に対する日常の行動に問題がある場合もありますが、それよりも、母親の体調の問題からの精神的な不安定が要因となることが多いようです。体調の問題とは、漠然とした不安感、疎外感、孤立感です。実際の離婚事件で母親が医師によって診断された疾患名としては、甲状腺機能異常、産後うつ、月経前緊張症、全般性不安障害、うつ病、パニック障害などがあります。このような不安状態の中で、行政や弁護士、警察や医師、学校関係者といった権威があり、不安の解消のために依存をしたい人たちから、会わせてはいけないとアドバイスされると、会わせること自体が不安になるということも理解できることです。

 母親たちは、逃げることで、不安のほかに恐怖まで植え付けれられているのが実情です。現在の逃げるという政策は、即ち子どもを連れて逃げるということですから、当然に父親から子どもを引き離す政策だということを意味しています。この政策を転換するべきだということが、本来提言されるべきことだと思います。それが親子断絶防止法かといわれれば、極めて不十分であることは私も異論がありません。親子断絶防止法は、当初の案から大幅に後退してしまっており、メリットが少なくデメリットが増えてしまったと感じています。一番の問題は結論を提示しているだけで、その結論にどのように誘導するかという肝心の政策がない点です。

 第2に、彼女の論の疑問点として、親子断絶によって精神状態の悪化が起きたことを否定しているように読めることです。
 現実に、父親や母親がわが子と会えなくなることで、様々な精神症状が現れます。これまで精神科医がうつ病などの抑うつ状態、転換性障害、不眠症などと診断した人たちを私はまじかで実際に見ています。突如電話をしたくなり、相手の事情もかまわずに自分の不安を語りだす人、ほとんど日常的に涙目になっている人、誰彼構わずに攻撃的になる人、多かれ少なかれ、異常行動が見られます。

 日本人は、少なくとも江戸時代までは、子煩悩で有名でした。山上憶良の歌から始まり、モースの「日本その日その日」等、子どもがいかに大切にされていたかを物語る資料は尽きません。自分の一部だと思っている子どもと引き離されることで、精神的な不具合が生じることは当然なことでしょう。
 現在の母子を逃がし、父から断絶するという政策が人の精神を病ませる実例は枚挙にいとまがありません。

 家庭内暴力があり、命の危険がある場合はやむを得ないでしょう。しかし、現実に家族が分断されるケースは、私が知る限りそのような危険のないケースがほとんどです。むしろ、心身を蝕むケースの本当のDV事案では、なかなか法制度によって救済されない問題点があると感じています。支援制度を悪用して不貞相手の男性と同居していたケースも少なくありません。DVがないにもかかわらず、DVがあるように思いこんでしまっているケースも多くあります。この点の原因としては、この国立大学の教授の見解が支持されるべきであり、夫婦、家族が孤立していることに問題があると私も思います。但し、孤立しているため、加害者が被害者に加害をするという単純な話ではなく、お互いが、自分を客観的に見ることができず、疑心暗鬼をだれも止めてくれないということ、ちょっとの工夫をアドバイスされれば、みんなが幸せになるのにということなのです。この違いは決定的だと思います。

 逃がす政策が人を狂わせ、凶暴化させ、あるいは破れかぶれにさせ、あるいは思考力を奪い、さらなる悲劇を生んでいるということは真実だと思います。そのような側面が確かにあり、少なくないケースで見られるにもかかわらず、なかったことにされることはどうしても納得できません。まさに数の暴力です。こういう時に人権侵害が起きる者です。私は、人権侵害が行われていると思います。女性の権利を守る名目で、子どもと会えない親の人格が国家によって否定され、子どもが両親から愛情を注がれる権利が理由なく奪われ、子どもの親を絶対的な悪だと子どもに対して繰り返し吹き込む、そのような野蛮なことが横行していると声を大にして言いたいのです。最大の犠牲者は、自己のアイデンティティをないがしろにされる子どもたちです。

 第3に、彼女の主張で、もし、親子の引き離しによって父親の精神破綻が生じて暴力に出たということ自体を否定していたとしたら、それは元々、その父親は子どもを殺すような粗暴な人間だったということを主張しているのでしょうか。そのように読むと論述自体が一貫しているように読めるのです。彼女は、大森氏のどこがどのように何でもありなのか説明をしていないので、不明ではあります。しかし、もしそうだとしたら、人間観に問題があるように感じてなりません。

私は、長年刑事弁護を担当していますが、生まれながらに犯罪を実行する人などいないと感じています。みんな理由があって逸脱行動にでるということです。弁護人の仕事は、罪を犯した人とその理由を考え、理由を除去し再犯を予防することだと整理できると思います。伊丹の事件の理由の一つとして、子どもと過ごすことのできない絶望感や、そのことによって発症した精神疾患だということは大いにあり得ることで、その可能性があることを否定する事情は報道されている限りありません。大森氏の論述がなんでもありというような荒唐無稽の話でないことだけは確かです。

 気になるのは、彼女の論拠の背景として、妻が子どもを連れて別居するというそれだけのことから、別居の理由が夫にDVがあったからだという決めつけがないかということです。実際にそのような別居事案において暴力と呼べる事態ないことが多くあります。精神的虐待といっても、日常よくあるいさかいをもって虐待と呼んでいるケースがほとんどだと実感しています。いずれにしても、そのようないわゆるDV冤罪の事案は少なくありません。このようなDV冤罪を作り出し、父親の精神を破綻させ、子どもから父親と会う権利を奪い、子どもから父親を肯定する権利を奪う最大の原因が、このような類型的な決めつけ、ものの見方です。一言で言って差別です。

松戸家裁の事例では、父親のDVは裁判所でついに認定されませんでした。当事者がDVを裁判家庭において主張することはともかく、当事者でもないひとり親支援NPOの代表や、何も事情を知らないくせに父親をDV夫だと決めつけて、SNS等で流布したことで、刑事告訴をし、警察に受理されたとのことです。【訂正】当初、大学教授についてもNPO代表と同様の理由で刑事告訴をされたと記載していました。刑事告訴を受けたのは両名であることは間違いのない事実ですが、告訴事実について上記大学教授が父親をDV事案と決めつけてSNSで流布したということをもって刑事告訴されたかについては、現時点では未確認です。謹んでお詫びするとともに、その部分を削除いたします。伊丹の父親も自死してしまいましたので、告訴をする人がいないだけなのかもしれません。

 法律家は、事情を知らない事案では、当事者を非難するコメントをしないということが最低限の矜持だと理解しています。何らかの決めつけがあったならば、法律家としてのコメントとは言えません。このルールは実務家だけで研究者は例外なのでしょうか。

 現在の親子断絶防止法を批判することは自由でしょう。しかし、その批判の仕方のために、多くの人たちが傷つくことを謙虚に考えるべきだと思います。決めつけ、差別による批判は、その批判する人たちに何か裏があるようにさえ思えてくるものです。むしろ、多くの人たちに実際に起きている現実をぜひ知って、みんなが幸せになる方法を考えていただきたいと考えてやみません。みんながということが無理ならば、せめて子どもが自分の親を否定することを押し付けられた場合の、子どもの将来に起きることを考えていただきたいと思います。

以下引用。

「離婚後の子育て 共同親権で親子の関係守れ」と題した大森貴弘氏の「私の視点」(9月21日付)を読んでショックを受けた。兵庫県伊丹市で面会交流時に起きた痛ましい子殺し事件について「原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発 した事件と言える」とする見解が、何でもありのネット空間ではなく、新聞に掲載されたことに、深い悲しみを覚える。
 先進国の家族法と日本家族法との違いは、離婚後の共同親権の有無だけではない。両親間のトラブルに対する制度設計がまったく異なっている。明治政府は30年をかけて西欧法に倣った近代法を立法した。しかし明治民法の家族法部分については、「家」の自治にすべてを委ねる、独自の極端な法を立法した。離婚を必ず裁判離婚とするような西欧法は、手間のかかる不要な国家介入だと判断したのである。当時は、まだ自営業を担う「家」が中心の社会で、人々は地域共同体や大家族に包摂されて生活しており、親に問題があっても子どもたちはまともな大人と触れあうことで健康に成長できた。この社会的安全弁は、失われた。
 戦後の民法改正は「家」の自治を当事者の自治に変えただけだ。西欧の裁判所であれば、家庭内暴力(DV)被害者が助けを求めれば、加害者に別居命令を出し、養育費を取り立て、従わなければ刑事罰を加える。しかし、日本のDV被害者に残されているのは、逃げる自由だけである。DVは深刻な児童虐待であり、脳の成長を損傷する度合いは、肉体的虐待や育児放棄よりもむしろ大きいといわれる。そして児童虐待対応にかけられている公費も、日本は西欧諸国よりはるかに少ない。
 もちろん離婚後も親子の交流があるほうが望ましく、子の奪い合いにはときに強制力のある介入も必要である。しかし、それは物理的・精神的暴力から子を守りながら行わなければならない。パーソナリティーの偏りや精神的暴力の有無などを見抜く力のある精神科医や臨床心理士などのプロが調査・介入して、加害者に働きかけてリスクを軽減して初めて可能になる。親子断絶防止法案は、これらの支援の保障なく、当事者への義務づけを定めるもので、弊害が大きい。
 私は伊丹市の悲劇の詳細を知らないが、仮に父親が3カ月間、子に会えなくて精神的に病んだとしても、悲劇の責任は、面会交流を試行錯誤した母親にあるのでは決してない。子を守れなかった責任は、親を放置して育児を支援しなかった、私たち日本社会の無責任な無策にある。


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MVPは家裁調査官 あなたの面会交流の時のために 試行面会が実施されました。 [家事]


事案、1年プラスα前に妻が子どもを連れて突然別居。行き先不明。
   別居2か月後妻が離婚調停申立。3か月後夫側代理人受任。4カ月後、面会交流調停申立。子どもは、小学校低学年女児。

この事案で、先日「試行面会」というものを行いました。試行面会とは、子どもと別居親が面会することが子どもにとって何らかの問題がある可能性があるとき、裁判所の一室で、調査官が立ち会うなどして子どもの安全を確保しながら、試験的に面会をしてみるというものです。

夫と代理人は、先に家庭裁判所に入り、控室に通されます。時間までに控室にいることで、妻と子どもが後から家庭裁判所に入り、試行面会室に入るまで、夫と顔をあわせることが無いようにします。夫のDVは実際にはないケースが多いのですが、妻側がDVがあると思っているケースも多く、このような安心を提供することで、子どもが別居親に会えるということにつながるので、まあ良しとします。無線を携帯した職員が何か所に立っていましたが、こちらの問題ではないと信じましょう。当事者からすると、誰しも、挑発されているようにしか感じられませんが、そのようなインテリジェンスはないのかもしれません。

そうして準備が調ったら、呼び出し係の職員の方が、控室に迎えに来てくれて、面会室に向かいます。面会室はプレイルームと呼ばれるものです。実際に私がプレイルームに入ったことはありません。弁護士は隣の部屋で待機しています。隣の部屋にはモニターがあって、モニターでプレイルームの様子がわかります。調停員、妻、妻の代理人も、別室に待機しモニターでプレイルームの状況を見ているようです。

プレイルームは、カラフルな着色をした発泡スチロールみたいなマットが組み合わせらた2畳くらいでしょうかスペースと、テーブル、ソファのスペース、それから入り口の脇の箱庭制作のスペースがあるこじんまりとしたところです。箱庭のキャラクター、アイテムが並べられている棚が奥に見えます。かなり、アイテムは充実しているようです。それにボードゲーム機があると言った感じです。

われわれが到着した段階では、プレイルームには子どもと調査官がいます。調査官は、試行面会の前に子どもから聴取しています。今回も子どもも調査官を気にしていないようでした。もっとも、調査官の聴取が子どもにとって苦痛であった場合はそうはいかないかもしれません。
 弁護士は、先に別室に入ってモニターを見ます。父親が入室するところから見ることができます。

 ここが一番緊張するところです。何せ、1年以上あっていないのです。親の方が感極まってしまい、収拾がつかなくなることも人情としては理解できることです。でもそうしてしまうと、子どもの方が負担になったり、びっくりしてしまったりするということがあります。面会交流が重苦しい時間になって次につながらない心配もあるのです。そのため、事前の打ち合わせで、「昨日も会ったように、当たり前のような顔をして始めてください。」と無理を承知で言わなければなりません。また、子どもと話す内容も、妻が住所を秘匿している場合、住所を割り出されるのではないかと妻がおびえているので、それにつながる学校の名前とかを聞き出すことはしないことにしています。子どもから会えない理由を聞かれることも多いのですが、うっかり母親が会わせてくれないと言ってしまうと、母親が二度と会わせようとしなくなるので、注意しなければなりません。
 ここで、別居親は子どもを連れ去られたという被害意識がありますから、無意識、無自覚に、子どもに自分の窮状を理解してもらおうとしてしまうのです。自分が辛いとか、寂しいということを言ってしまうということがあります。私もそう言うと思います。一緒に住みたいとかですね。または、お母さんが会っていいよと言ってくれれば会えるよとかもそうですね。あるいは、子どもが寂しがっていないかと思い、お父さんは絶対見捨てないよとかですね。それは人情としてはわかります。しかし、考えなければいけないのは、子どもの立場です。そういうことを言われた場合の危険性として、自分が悪いからお父さんが苦しんでいるのだろうかとか、今自分はとんでもない危険な状況にいるのではないだろうかとか、どうしていいかわからなくて混乱してしまうとかですね。要するに親の思いは、子どもにとって重すぎて、支えきれないということなのです。また、子どもになついてもらいたいとか、楽しそうにしてもらいたいとか、色々リクエストはあるでしょうが、子どもには子どもの事情もありますから、こちらの思い通りはいきません。一緒に暮らしていても、子どもが言うことなんて聞きません。親ですから、子どもにサービスをする立場なので、子どもに何かを求めることはしないと特に意識する必要があるようです。子どもが、自分はいつもどおりでいいんだということを感じてもらえるように、別居親の心の踏ん張りどころということになります。
 
 先日の事例はうまくいったようです。モニターの位置が悪くはっきりはわからなかったようですが、お父さんは笑顔で入室したようです。それが、すべてでした。子どもは安心して、お父さんに抱きついて行きました。今思い出しても泣けてきます。一人でモニターで見ているので、人目をはばかることなく泣きました。1年以上も会えなかったわけです。会いたかっただろうな、不安だっただろうなといういろいろなことが、私の心にワッと飛び込んできたような感じでした。

 それからどうすればよいのか。別居親が真剣に子どもにとって有益な面会をしようと思った場合に出てくる当然の疑問があります。「その後どうすればよいのか。」ということです。あれもだめこれもだめということになるとどうしたらよいかわからなくなるということは当然です。これは、それぞれお子さんに合わせてということになるわけですが、いくつかサンプルを挙げましょう。

 娘と父親の場合、これは娘に合わせればよいです。要するに、娘にリードしてもらうということです。面会交流場所に遊具なんかがある場合、娘は、親と一緒に遊びたくなります。ごちゃごちゃ言わないで付き合ってあげればよいです。飽きて来たら、別のことをやろうと言いますから、ニコニコと従えばよいです。自分の思い通りに親が動いてくれることも貴重な時間になります。内気な男の子というとになると、最初はぎこちないですが、これこれをしようかとか言って、提案してあげることも必要かもしれません。次何をすると尋ねても良いかもしれません。子どもにげたを預けてしまうと楽です。何か話をするときも、自分のことを話すとよいでしょう。「昨日こういう面白いことがあって、お父さん笑っちゃったよ。」とかいう話が最適です。大事なことは、子どもが話し始めたら、興味を持って聞くということです。多少道徳的に逸脱したことを言ったとしても、条件反射的に注意するのではなく、どうしてそういうことを言ったのか興味を持ってください。そうして良いことをしたり、言ったりしたら褒めるということを忘れないでください。一緒に住んでいる親はなかなかそういうことはできません。短時間しか会えないなら、短時間の中で子どもに貴重な体験をしてもらうことができます。自分の感情を否定されないということですね。

子どもの年齢が高くなって打ち解けないという状況がしばしば見られます。気にしないことです。親の方が楽しそうにしていること、自分が親にぶっきらぼうでも親は自分を許してくれるという体験が有効です。ここも心の踏ん張りどころでしょう。

案外あっさりしているのは、帰り際です。子どもは、自分の立場をよく知っているようです。夢のような時間にも終わりが来るということをよくわきまえています。どんなに楽しんでいても、帰り支度をし始めます。極端な場合、親の顔を見ようとしなくなります。かえって悲しい現実を突きつけられたような気がする瞬間です。子どもは頑張っているのです。大人が頑張らなくてどうします。大事なことは、「またね。」ということのようです。「会えるの?」と尋ねられたら、「大丈夫だよ。」と言いましょう。子どもにとって、親の大丈夫という言葉は、何にも代えられない安らぎ、心の支えになるからです。「お母さんが良いって言ったら」等とごちゃごちゃしたことは言わない。抽象的な言葉は、こういう時のためにあるのだと思います。大丈夫でなければ、大丈夫なようにするだけのことです。

もし機会があれば、同居親に感謝を伝えるべきです。おそらく、子どもを連れ去られて、自分を否定した憎い相手かもしれません。そういう目に合わせられて感謝をするということは納得のできないことでしょう。
でも、相手親も、本当は、あわせたくないのです。嫌がらせをしていると非難する人が多いのですが、圧倒的多数の事例では、同居親にそこまで余裕はないです。子どもを別居親に会わせることで、何か良くないことが起きるかもしれないという漠然とした不安や苦痛を持っている場合が殆どです。もちろん連れ去りの不安もあるようですが、それは、場所的に安全な場所で行われていてもあって、本質は言葉にできない不安と言ってよいようです。それを無理して合わせているのだから、ねぎらいをすることは、相手も安心する。相手が安心すれば、面会も拡大するという関係になります。
 だから、感謝の気持ちを持たなくても、感謝の言葉を伝えることがとても大切だということなのです。女性にマメな男性は、本能的にできることのようです。

 今回は、時間も限られた試行面会でしたが、これまではなかなかそれすらできませんでした。最後まで、様々な方法で抵抗されました。しかし、調査官が、きっちり子どもの意向調査をされ、その調査結果を踏まえて、外野の声に耳を傾けず、毅然としかし情をもってお母さんを説得し、励ましていただいたおかげで実現しました。詳細は書けませんが、審判官(裁判官)にもご尽力いただきました。調査の過程で子どもとの信頼関係を構築し、子どもがスムーズに面会に入れたとも思います。まだお若いのですが、立派な調査官だと思いました。

 たった一人のお子さんのことで、たくさんの大人たちが自分の持っている力をフル稼働して、協力し合い、励まし合い、お子さんが、両親から愛情を注がれていると実感できる場を作る、なんて素敵なことでしょう。正常な家庭裁判所は感動があふれています。

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第10回親の会は10月27日6時30分 保護命令に対してはきっちり対処しましょう [家事]

最近、なかなか、こちらには手が回らず申し訳ありません。

第9回わが子に会えない親の会は、無事終了し、
またも、関東から参加された方もいらっしゃいました。

参加されない方からのメッセージも充実してきました。
第8回に引き続いて女性も参加されています。

私の方の最近の様子ですが、
夏場までは、油断していたのですが、
また、わが子に会えないという新規相談が増えてきました。
どうやら9月10月というのが、
別居決行が多い時期のようです。

相談者の範囲も、
東日本エリアとでもいうような
広範囲になってきましたし、

相談の内容も、
相手方の心情を把握したうえで、
ばらばらになった家族をどうするか
という形の相談も増えて、
たようになってきた感があります。

最近もまた保護命令が出されて、
異議申し立てをしないという方がいらっしゃいます。

色々理由があるようですが、
命にかかわる暴力が無い場合は、
保護命令を出させないことが鉄則です。

余計なことは考えないでください。

保護命令は、
配偶者の身体生命に重大な危険がある場合に限って
出ることになっています。

しかし、実際の事例を出された側から見るとですが、
配偶者の身体生命に重大な危険があった事例は
私は見たことがありません。
多少のいざこざはあるのですが、
とても身体生命というほどの大げさなものはありません。

それでも保護命令が出てしまうと、
貴方は、妻や夫の、
身体生命にとって危険な存在だということに
なってしまうのです。

もちろん、調停やら警察やら
他人がそういう目であなたを見るようになるでしょうが、
一番問題なのは奥さんがそういう目で見るということです。
申し立てた張本人なのにおかしなことを言うと思われると思います。
それがそうでもないのです。

保護命令申立は、
奥さんの「支援者」から強く勧められて行います。
申立書は用意されていて、
アンケートに答えるように書くことができます。
簡単に申し立てはなされてしまいます。

痣のできやすい体質の方っているわけで、
仕事や家事で痣がついても、
病院に行けば「打撲」と診断されます。
全治三日と書いてくれるお医者さんは良心的です。
ほとんど大したことが無いと言っているわけです。
それでも裁判所は傷害であると認定します。

2週間の安静などと書かれてしまうと
もう重大事件です。
あとは、包丁で魚をさばいていても
命の危険がある刃物を振り回した
ということになる危険があります。

ペットの犬の毛を刈るハサミを持ったまま大声を出しただけで
命の危険があると認定された事例も実話です。

その人は自宅の周囲を徘徊することも
禁じる命令が出されました。
散歩さえも裁判所から
刑罰の威嚇で禁じられたのです。

精神的に不安定になったことは
当然のことです。

さて、保護命令を出した奥さんも、
実際どうだったか知っていますから、
保護命令は出ないだろうなと思っているわけです。
言われたからやっているという話も聞くところです。

それが、裁判所が、身体生命の重大な危険がある
と宣言して保護命令が出されれば、
「ああ、やっぱり危ないところだったんだ」
「支援の人たちの言うとおりだったんだ」
と思ってしまうことも、
理解できるところだと思います。

さらに、あなたが、
保護命令に異議申し立てをしなければ、
やっぱり自分の夫は、
私に対して生命身体の危険があったことを
自分で認めたのだ
ということになりかねません。

こうなってしまうと、
哀れな奥さんは、あなたから逃げ続けなければなりません。
見つかったら、危険なことが起きる
というおおざっぱかつ抽象的な予期不安を抱き、
ただただ、自分の命にとって危険な存在だ
という認識で、毎日脅えて暮らすことになります。

逃げているという意識があるうちは
10年たっても恐怖は消えません。

町中に出るとあなたと会うのではないかと思いでません。

もう大丈夫と思って人ごみの中に出かけて、
貴方とよく似た背格好の人を見ただけで、
動悸が始まり、パニックになった人もいます。

保護命令は抵抗しなければ出されます。
抵抗しなければ、あなただけでなく、
相手も不幸になることの多い制度だと思います。

ところで、第10回親の会は、
27日6時半、
場所は、仙台駅前ですが
土井法律事務所03-212-3773
までお問い合わせください。

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第8回 わが子に会えない親の会開催報告 結局今の男女参画の離婚誘導政策は、女性の中でも一番弱い女性に鋭いブーメランとして襲い掛かっていること [家事]

第8回 わが子に会えない親の会開催報告

先日、第8回の例会を行いました。
基本的に6時半くらいから始まりますが、
みなさんが揃うのは、7時をだいぶ過ぎてからでしょうか。

居酒屋で行いますが、
お酒を飲めない方も複数いらっしゃるので、
お食事をしていただくということになります。
(親子丼がうまい)

いつものように欠席された方の近況報告を
幹事さんや私の方から行います。
第1回に参加しただけで
その後参加されない方も
マメに近況報告をくださります。

遠方に住んでいらっしゃるので
なかなか参加できないことは
みんな分かっています。

それよりも、
1回だけしか参加していないのに
自分の居場所だという意識を
持っていただいているなあということが感じられ、
この会を頑張って続けていくこと自体に
意味があるのかもしれないなあと思っています。
嬉しいです。

今回一番遠方の方は北関東の方でした。
お泊りかなあと思ったら、
終電でお帰りになりました。
わざわざこの会に出るためだけに
新幹線代金を使っていらっしゃっていると聞いて
これまた感激でした。

今回のビッグニュースは、
8回目にして初めて女性が参加されたことです。

わが子に会えないのは父親だけではありません。
母親も会えない方も多くいらっしゃいます。
私も3件担当しています。

やはり奇妙な共通項があります。
しかし、男性のケース(母親が会わせないケース)
よりも大分単純です。

父親が、母親に極度にやきもちを焼いていて、
些細なことをもって
浮気をしているのではないか
自分を見限ろうとしているのではないか
と疑い深くなっていて、
妻を攻撃してしまう、
妻は、わけがわからないで責められているうちに
精神的に圧迫されていくというものです。

最終的には、一人で子どもをおいて家を出されるのですが、
実際に大岡裁きみたいなケースもあるのですが、
やっぱり本当の母親は子供がかわいそうになり
手を離してしまうのですが、
21世紀の司法の元ではそれが今生の別れとなるわけです。

そうしているうちに家庭裁判所の案件となり、
継続性の原則が使われたり、
監護親の葛藤が高いことを理由に
裁判所が面会交流の提案自体を躊躇したり、
面会の約束が破られていくわけです。

今、無責任に、女性の権利を声高に叫んで、
「子どもを連れ去ったほうが勝ち」
という極端な現状追認を求めている人たちがいますが、
そのブーメランは、
婚家から追い出された
最も女性の権利を踏みにじられた、
最も弱い女性に突き刺さっているわけです。

会員さんの良いところは、
自分たちだって親に会えないで苦しんでいるのに、
自分のことそっちのけで、
新しい会員さんのことを
一緒に怒ったり、悲しんだりするところなのでしょう。

こういう時には、
自然と、
相手の話を最後まで聞くこと、
節目節目で共感を示すこと、
自分の提案はその後にしていること。
ということができるのです。
私も含めて。

なんかこういうところにも、
解決のヒントを見出したところであります。
当事者でなくても居心地の良い会ですから、
当事者の方が居場所だと思うのも
もっともなことかもしれません。

次回は、9月19日6時半からです。
参加希望の方は、土井までご連絡ください。

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妻が、ある日突然、子どもを連れて家から出て行ってしまわないための究極の方法 [家事]

第1章 なぜ妻は子どもを連れて突然出て行くのか

 1 根源は漠然とした不安
   はじめは、何となく不安だということから始まります。
   原因が良くわからないけれど不安だということから、
   だんだんと
   「自分だけ独りぼっちになる」ことが怖いとか
   「自分だけが損をしている」
   そんな感覚的なことのようです。

   「この不安の原因が夫だ」とか
   「夫がいなければ不安が無くなるだろう」
   ということで、「夫から離れよう」
   という気持ちになるようです。

 2 出て行くことの構造
   「不安素因」に、
   「外部的要因」が重なることで不安が大きくなり、
   「アドバイス」という要素が
   不安の原因を夫と特定して、
   子どもを連れて出て行くという結果につながることになります。

 3 不安素因
   これは主として、妻側の体調のようなものです。
   出産に伴うホルモンバランスの変化
   甲状腺機能亢進症、低下症のような病気、
   性格に近いようなもの
   年齢的なものとしか言いようのないこと、

   これら、誰が悪いというわけではなく
   結果として不安を感じて苦しんでいる
   ということが基本のようです。

 4 外部要因
   不安を高める要素として
   夫の収入や雇用の不安定さ
   子どもの障害等の事情
   その他、福島原発の放射能に対する恐怖
   などということも不安を高める要素のようです。

 5 アドバイス
   行政、警察が、奥さんが不安に苦しんでいるのを見ていると
   とりあえずDVを疑い、
   偶然的な接触を暴力でDVという場合があったり、
   何もなければ日頃のちょっとした言動が
   精神的DVだということで、
   不安の対象が夫だということになることがあると思います。

   実母等が、夫に原因を求めて
   自分の元にかくまうということも
   あるようです。
 
 6 その結果、妻は、夫と同じチームだという意識がなくなり、
   夫は敵対的な存在だと意識するようになり、
   客観的事情をはなれて、夫を怖がる傾向になるようです。

第2 夫が身につけるべき心構えと対策
 1 出産について
   出産後多かれ少なかれ人格が変わる女性は結構いらっしゃいます。
   攻撃的言動が増えてくるのですが、
   攻撃や怒りは、危険と感じる対象を
   叩き潰すことによって回避するメカニズムです。
   根源は、不安を感じ易くなっているのです。

   これは、本人の努力だけではどうしようもないことです。
   怒りを表現するほど不安があるのだから、
   むしろ夫は、最大限のねぎらいをかけるべきです。
   決して、理由なく攻撃的になっていることに
   怒り返してはいけないわけです。

   子どもじみた夫の言い分は共通しています。
   「だって俺は悪いことをしていない。」

   そんなこと言ったって、
   妻も何も悪いことはしていません。
   理由ない攻撃が悪いことだとしても
   その原因はホルモンバランスの変化にあるのかもしれません。
   妻の人格に原因があるわけではないのです。

   出産をなかったことにするわけにはいかないのです。
   そのような人間が変わるような苦労をしていただいた結果
   愛するわが子がこのように出現してきたわけですから、
   感謝こそすれ、怒って良いはずがありません。

   出産後、妻は夫に八つ当たりをする
   これは生きとし生けるものの共通であり、
   その最たるものがカマキリなのでしょう。

   八つ当たりをされても心を動かされない
   一夫一妻制とはそういうものだと思うべきです。

 2 妻をほめることで、ようやくプラスマイナスゼロになる。
   不安を抱くことに理由はありません。
   とにかく、普通に接していても
   悪く悪くとられてしまいます。
   冗談でからかっても、
   「夫はそれが原因で離婚を考えている」
   と受け止めてしまう危険があります。

   「けなすなんてしていない」
   と考えて身に覚えのない人は、
   褒めていないことに、ちやほやしていないことに
   思い当たるべきです。

   不安を抱く妻は、
   褒められているか、攻撃されているか
   どちらかしか感じない、中間なんてない
   と考えるとわかりやすいです。
   あなたが、褒めもけなしもしていないのならば
   それはけなしていると受け止められていると
   考えた方が無難でしょう。
   中間はないのです。

 3 良いとこ探しが人生さ

   「うちの妻には褒めるところが無い」
   なんていう罰当たりなことをいう人は、
   おそらく子供の育て方にも失敗するでしょう。
   思春期を乗り切ることは無理だと思います。

   その気になれば、何で褒められるのです。
   ご飯を作ってくれれば褒める。
   味がおいしくなくても、作ってくれたことに褒める。
   一つでもおいしい料理があれば
   徹底して褒める。

   褒めて誘導していくということです。
   褒められればうれしいので、
   また同じようなことをするわけです。

   これは誰でも一緒です。

   自分のアドバイスで実現したとしても
   手柄は妻に持たせましょう。

   最近の子どもじみた大人たちは
   手柄を譲ったり、
   わざと負けてあげたり
   という日本古来の美徳が身についていないようです。

 4 こうあるべきなんて勝手な話は捨てる

   例えば、料理はきちんと栄養がありやすくてうまいもの
   を作らなければならない
   なんて身勝手な発想はやめましょう。
   病気にならなければ良いんです。

   掃除はチリ一つ落ちていないようにしなければならない
   なんてことも思わない方良いでしょう。
   自分で掃除できるならばですが。

   できないことを怒らない
   これが基本ですね。
   
   できるところをほめていく、
   押しつけがましくなく自分でやる。
  
   夫はパートナーであって
   親でも先生でもないのです。
   ここを勘違いしている人が多いように思われます。

 5 それは自分の本能との闘い

   人間の生きていく本能として、
   危険を取り除いて命を長らえるというものがあります。

   何らかの不具合が余計は、敏感になり脳が警告を出します。
   良いところは、
それで良しで終わるので脳は警告を出しません。

そのために、悪いところばかりが目について
   相手の努力などはスルーするのが、
   本能的な行動ということになります。

   それでは、相手の不安のスイッチを押しまくってしまいます。

   悪いところに目をつぶり、
   良いところを積極的に見つけて褒めましょう。

   それは、意識しないとできないという理由があることだったのです。

 6 失敗や弱点に目をつぶってこそ仲間=帰属意識

   失敗は必ず起こります。
   弱点は人間に必ずあるものです。

   そういうウイークポイントを責めない、笑わない、批判しない
   もう一つ説教しない
   ウイークポイントは本人も自覚があります。
   だから、そのことをいじられることは、
   かさぶたをはがしていじられているようなものです。

   逆にウイークポイントをカバーされれば、
   この仲間のために貢献しようという気持ちが
   起きてくるものです。

   そうすると、不安になればなるほど
   あなたの元にとどまろうとするものです。

 7 自分と同じ事をしていても自分以上に努力しているかもしれない。

   例えば、妊娠を経験すると
   人によっては、床に落ちているごみを拾うことも
   出産後もおっくうになることがあるようです。
   だから、ゴミを拾うことだって、
   あなたには簡単なことだけど
   子どもの母親はあなた以上に努力をしないと
   できないことなのかもしれません。

   機嫌よく話していても
   本当は不安に苦しんでいるけれど
   家族のために笑顔を作っているのかもしれません。

   そこを褒めましょう。
   「笑顔がいいね。癒されるね。
    家に帰ってきたという気持ちになる。」
   そりゃあ、無理にでも笑顔でいようと思うようになるかもしれません。
   
   一緒にいることが楽しいということは
   そういうことなわけです。

 8 意見を言うことは可
   では、すべて妻の言うとおりに生きるのか
   と大上段に嘆く人がいると思いますが、
   意見を言うことはとても良いことです。
   但し、そういう時こそ、笑顔を作って、
   敵意のないことを示しながら話す必要があるようです。
   そしてサラっという。ということになりそうです。
   情報を伝達するより、余計な感情は伝達しないということですね。

以上、なんか皮肉めいたことを言っている
と読まれた人もいるでしょうが、
   全部本気で言っています。

但し、全部が全部できなくても、頭に入れておけば
悪いことは起きにくいでしょう。
例えば、相手が努力して機嫌よくしているのに
それに対するカウンターのような「からかい」はしなくなるはずです。

   男性だけ不平等ではないかという意見もあると思うのですが、
   そもそも命がけで子どもを産むのは女性だけです。
   これに勝る不平等はないのではないでしょうか。

    あなたが子どもを愛しているなら、
    子どもを命がけで生んでくれた妻に感謝をするべきですし、
    感謝をするということはこういうことのようだということが
    数々の事例からわかり始めたということになります。

    仲間とは、チームとはこういうことなのでしょう。


第7回わが子に会えない親の会の報告 [家事]



7月も例会はありました。報告が遅れていました。
結構熱く語っていたため、つい飲み過ぎて、
あまり覚えていなかったというのが
正直な理由です。

覚えている範囲でのご報告ですが、
7人の参加でした。

毎回参加する人(私もそうですが)、
久しぶりの人、
初めて参加する人がいるのは
いつものとおりです。

幹事さんや私から、
欠席の人のメッセージ伝達などがありました。


例会に参加していなくても、
自分の集まりだという想いを持っていただいていると感じて
私もうれしくなります。

メンバー同士で携帯電話番号を交換している人もいて、
会場に電話をよこして、
一部電話で参加というのもありました。


今回は、うれしいお知らせと残念なお知らせがありました。

嬉しいお知らせというのは、
今回初めて参加される方が、
なんと南関東から
わざわざこの集まりのために、
泊りがけで仙台にいらっしゃったことです。

子どもと別れて間もないということで
情報を集めにいらっしゃったようです。

ネットでの情報収集はしているようなのですが、
ネットでの情報は、どうしても断片的にならざるを得ず、
読み方に注意する必要があります

情報というものには、
メリットデメリットがあることがつきものなのですが、
読み手の能力に合わせて書いているわけではないので、
受け手が上手により分けて、
自分に活かす必要があります。

そういう意味では、こういう会に参加することは、
実体験に基づいたアドバイスを聞くことができますので、
情報の取捨選択もアドバイスを受けることができますし、
別の観点からの情報も入手できる可能性もあります。
とても有益だと思います。

どなたも初めてお会いした時は、
かなり落ち込んでいて、
口数も少なかった人ばかりなのですが、

二回、三回と参加されているうちに
堂々と自分の体験を語って
何とか仲間の役に立てばということで、
情報と勇気を分けあっています。

しかも、自分の体験を踏まえてなのでしょう、
決して押し付けることをしないということは
いつも感心しているところであります。

残念な話題の方ですが、
今回初めて女性の方が参加するはずだったのですが、
というか、
会場までいらっしゃったのですが、
店が気か利かなかったことと、
私と主催者が打ち合わせ不足があって、
席に通されなかったというハプニングがあり、
出席かなわなかったことです。

あとで、気転を利かしていただき、
店に電話をしてもらい、
連絡がとれて事情がわかりました。
まずは安心しました。

次回は、
8月25日金曜日
6時30分から
初参加の方は、
土井法律事務所(022-212-3773)
までお問い合わせください。

第6回わが子に会えない親の会 ただひたすら優しい時間が流れる理由の分析 [家事]

けっこう安定して開催されています。
予約した席が足りなくて結構ぎゅうぎゅう詰めでした。
初めて参加の方もまたいらっしゃいました。

青森や関東からの参加者もいらっしゃいました。

初めての方がいつもいるので
いつも自己紹介をします。
名前を覚えることが苦手な私も
ようやく名前と顔が一致してきました。

今回の初参加の方のお話が、
とてもひどいお話で、
みんなで熱心に聞くという時間が長かったと思います。

初参加の方も
複数の人に
自分の話を理解されながら聞いてもらうという
そういう体験に驚きながら、喜びながら、
安心しながらお話されていました。

この件についてはいずれご報告ができると思います。

ほとんどの人たちが、
自治体や、警察、あるいは裁判所から
精神的虐待をしたとレッテルを張られた人たちです。
確かにいろいろと特徴のある方々かもしれませんが、
人の話を聞くときの表情や相槌を見ていると
なんとも優しい人たちなのです。

間違いなく、人間として大切な
インテリジェンスを兼ね備えている人たちです。

どうして、こんなに優しい時間を感じるのか
今回考えてみました。

一つは、

当たり前の話なのでしょうけれど
みんながみんな
誰かの失敗談を
笑わない、批判しない、否定しない
という態度が貫かれていることだと思います。

それぞれ事情があって
やむにやまれず今の立場にあるのですが、
追い打ちをかけるような人がいない
だからみんな安心して話ができるのでしょう。

二つ
「こうすればうまくいくからこうしろ」
「これを解決するためにはこれをしなければならない」
ということもありません。
押しつけがましく言われることは
それをしていないことに対する
否定評価を受けることなのかもしれません。

相談事が持ちかけられることが多くありますので、
提案や、アドバイスは頻繁に行われますが、
あくまでも、一つの選択肢として
あるいは情報として
提供されるにとどまります。

どうしてそういう態度を
打ち合わせもしないのに取れるのか
この理由についてはもう少し考える必要がありそうです。

だから初めて参加した人も
自分のことを分かってくれる場所
自分のいるべき場所
と、安心してもらえるのでしょう。

わざわざ遠方からホテルを予約して
駆け付けられるのかもしれません。

優しい時間の理由の3点目ですが、
奥さんなどの悪口をいう人が少ない
ということがあるかもしれません。

それはつらい目にあわされているのですから、
文句は出ます。
それはひどいという共感も示されますが、
結構多くの参加者が、
なぜ、奥さんがそういうことをしたのか
理由を考え始めています。

もしかしたら、いっぱいいっぱいだった
という事情があるのかもしれないと
考え始めている
自分を悲しませた相手に
それでもなお、愛情を注いでいるのでしょう。

お酒が入っても
あまり攻撃的な感情が飛び交うことはありません。

みなさんが望んでいるのは
攻撃ではなく、解決です。
それがかなわないのならば、前進や修正を望んでいるだけです。

話を聞いてもらえるだけで
目を潤ませている当事者の方々をみるにつけ
このような不合理な悲しみを押し付ける
力に対しての
静かな怒りが
涙の様に胸の内を流れるのです。


次回は平成29年7月14日金曜日6時半
参加ご希望の方は土井法律事務所(仙台)までお問い合わせください
大体4千円くらいでいつもすんでいます。

不合理な離婚、子連れ別居の源流は、昭和62年の最高裁判決にあるのではないか。その効果は離婚意思が有れば離婚が認められるという野蛮な制度になっているということ [家事]

昭和62年9月2日、最高裁判所大法廷は、
浮気をして別居した夫からの離婚請求を認めた。
いわゆる有責主義から破綻主義に移行したとされる判決である。

私はこの結論自体にも反対だが、
さらにこの破綻主義が独り歩きして、
裁判所においても日本の家族制度の破壊が
行われ始めていると感じている。

連れ去り別居、離婚とも関連するので、
記録にとどめたいと考えた。

<最高裁の事案>

最高裁の事案は、70歳の夫婦の事案である。
子どもができず二名の養子を迎え入れて平凡に生活していたが、
結婚12年目に夫が浮気をして、それが発覚し
夫は浮気相手と同棲するようになった。
また二人の子どもをもうけて認知をした。

その後34年を経過して
夫は二つの会社の代表取締役、不動産会社の取締役
として経済的に安定した生活を送っている。
妻は、人形店に勤務などしていたが
裁判時には無職になっていた。

また、上告人の主張だが、
夫は全財産を妻に給付したという事情があると主張している。

<最高裁の判断>

不貞をした夫からの離婚請求を事実上認めた。
(破棄差し戻し)

<最高裁の論理不貞の場合でも離婚を認める場合>

それまで日本の裁判所では、
離婚(回復しがたい婚姻破綻)の責任のある方
(本件では浮気した夫)からの
離婚請求は認めてこなかった。

本最高裁判決は
責任がある方からの離婚請求でも
二人の間が回復しがたい破綻状態にある場合は、
離婚を認める
という舵を切った判決ということになる。
法律は何も変わっていないのに
裁判所が法律の取り扱いを変更したことになる。

但し、無条件に有責配偶者の離婚を認めるのではなく、
条件が付いている。
1) 夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及ぶこと
2) 夫婦の間に未成熟の子が存在しない場合
3) 離婚の相手方が、離婚により、
   精神的・社会的・経済的に
   極めて過酷な状態におかれる等
   離婚を認容することが著しく社会正義に反しない場合
 この判決では、このような条件を付けたはずだった。

<最高裁の理由>
上記の条件付きながら、最高裁が
有責配偶者からの離婚を認めた理由は以下のとおり

1)有責配偶者からの離婚を認めないと法律に書いてない
2)夫婦という実態がないことを法的に追認するべきだ
a)夫婦とは、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯に共同生活を営むものである。
b)一方又は双方が、
この意思を確定的に喪失し、
夫婦としての共同生活の実態を欠いて
回復の見込みが確定的にない場合は、
夫婦としての社会生活上の実質的基礎を失っている。
 C)その場合に戸籍だけ夫婦というのは不自然
3)但し、正義に反することを認めてはだめだが、
  上記条件があれば正義に反しない

こういう理屈である。

<私の最高裁判決批判>

1 実態は悲惨な結論を招く
  弁護士をやっていて、この判決以降
  有責配偶者の離婚請求あるいは
  責任のない配偶者に対する離婚請求が
  裁判で認められるようになってきたように思います。
  具体的にどういうことかは後で述べます。
  
  この最高裁判決までは有責配偶者からの
  離婚請求は認められていませんでした。
  破たんの責任のない配偶者は
  離婚をされない権利が保障されていたことになります。
  ところが、この判決以降、
  自分が悪くないにもかかわらず
  裁判所から、自分が離婚したくないという気持ちを
  無視され、圧殺されるようになったしまったのです。

  これは、離婚を請求された方にとっては
  青天の霹靂です。
  精神的にかなりのショックを受けます。
  何も悪いことをしていないのに、
  相手の心変わりによって
  離婚を国家から命じられるということなのです。

  言われた当事者を目の当たりにすると、
  この判決の妥当性にははなはだしい疑問があります。

2 判例変更の根拠が薄弱である事

 a)
  これまで有責配偶者の離婚請求を
  裁判所は認めてこなかったわけですが、
  その時から有責性はだめだと
  法律には書いていませんでした。

  法律に書いていなくても
  裁判所の判断が確立していれば
  みんな、争っても裁判所ではこうなる
  ということを予想して争いをしていたわけですから
  書いてないから良いよということは
  あまり説得力はないと思います。

  これを最初に述べること自体が
  自身のなさの表れのように感じます。
b)
  次に、最高裁が考える夫婦ですが、
  「夫婦とは、永続的な
   精神的及び肉体的結合を目的として
   真摯に共同生活を営むものである。」

  私は、これ、余計なお世話だと思うのですけどね。
  皆さんどうお思いでしょう。

  いろいろな人間が夫婦という人間関係を形成するのですから、
  夫婦のかたちとは様々あって良い
  というのが民主主義的な考え方だと思います。

  精神的結合のかたちも様々ですが、
  肉体的結合ということは必ずしも条件ではないでしょう。
  肉体的条件、精神的条件、あるいは年齢的条件から
  それらの目的を必ずしも持つわけではない
  と思うのです。

  勝手に夫婦像を作って、
  それに会わなければ法的保護の対象外だというのは
  あまりにも冷酷な印象を私は受けます。
  誰が夫婦をこういう風に決めたのか
  何を根拠に行っているのか
  疑問が大きいところです。

 C)
 「一方又は双方が、
  この意思を確定的に喪失し、
  夫婦としての共同生活の実態を欠いて
  回復の見込みが確定的にない場合は、
  夫婦としての社会生活上の実質的基礎を失っている。」

   実はここが曲者であり、要注意のところです。
   一方が確定的に、肉体的結合を目的としなくなって、
   なおかつ共同生活をしていない場合は
   社会的に夫婦と言えないよ
   ということなのですが、

   一方当事者の「意思」を強調しているところは
   この判決の後の裁判実務に
   大きな影響を与えているところです。

   社会的に夫婦と言えるかどうかと
   そうした責任のある者の
   「離婚したい」という気持ちを
   相手の
   「離婚したくない」
   という気持ちを圧殺しても認めるかは
   大きな壁で隔てられてきたはずなのです。

   社会実態が変わったわけでもないのに
   判例を変更するのにもかかわらず、
   この社会実態が理由となることは
   理解をしかねるところです。

   籍をそのままにするのが不自然だとしても
   籍を抜くことが許されるべきかという問題とも
   同じように連動しないと思われます。

3 最高裁判決後の裁判実務
   
最高裁判所が示した破綻主義は
(有責配偶者からの離婚請求を認めるという考え方)
すでに破綻主義の枠を超えて、
独り歩きを始めています。
現状では、一方当事者の離婚の気持ちが固い場合
ほとんど離婚が認められる傾向になってしまっている
という状態です。

先ず、客観的に共同生活をしていないということが
必要なはずだと思われるかもしれません。

しかし、別居してほどなくして離婚調停を申し立てても、
離婚調停を開催し、裁判を続けていれば
あっという間に2年くらいたってしまいます。
裁判所は、2年を経過したことをもって
「客観的に共同生活が営まれていない」
と判断するケースがあります。

ほとんどそれだけ、つまり、
離婚したいという意思があって
別居さえすれば
離婚が認められてしまいます。

我々古い法律家の感覚からすると、
同居時に起きた破綻を示すエピソードは
あまり必要とされていないようです。
相手方はいろいろなことがあったというのですが、
重要視していないので、
あまりきちんと調べたり、
証拠法則に則って認定することはありません。
これが言った者勝ちの原因なのではないでしょうか。

未成熟の子どもがいても
子どもを養育することができれば
ノーカウントとされているような気がします。
相手方が生活が困難な状況は確かにないでしょう。
だって、別居で一人暮らしを余儀なくされているのだから、
これからだって同じだから
生物として生きていくだけならなんとなかるはずでしょう。

最高裁判所の判決の中に
こうなることの卵のようなものがありました。
   
「一方又は双方が、
この意思を確定的に喪失し、」
という部分です。

破綻主義と言いますが、
結局は、離婚したいという意思が強いならば
破綻と認めることになるのですから、
もはや「意思主義」と呼ぶべきなのです。

他国においては、このように意思主義で離婚を認めても、
アメリカの多くの州等先進国では
離婚後の子どもの養育計画書を提出させたり
レクチャーを受けたりという手当てもありません。
もはや自由に、相手方や子どものことを決めなくても
離婚できるという野蛮な国が日本なのです。

他にいろいろな制度を作って
離婚に伴う不具合を整備して破綻主義を採用した
先進国とは異なり
破綻主義で離婚ができるという結論だけを
真似しているのが日本の裁判所だと
非難するべきだと思います。

4 最高裁判所判決以降の調停実務
   
これが最高裁判所の判決の影響か
元からこういう傾向があったかについては
自信がないところですが、
  
この最高裁判決以降に弁護士になった私としては、
まだ、弁護士になりたてのころは
離婚について、人情の機微に触れるような
調停委員の先生方の対応があったように
思います。

最近の調停は、
申立人の離婚の意思が固く、
相手方が離婚の意思が無い
ということが確認できれば、
もう調停は打ち切って裁判にしようとします。

話し合いは、
離婚を前提とした養育費や財産分与
慰謝料の額だけだと決めつけているような気がします。
違いますか?

日本の法律では
離婚裁判をするときは、
必ずその前に調停を申し立てなければなりません。
(調停前置主義)

表面的な離婚意思の言葉はともかく、
いろいろな離婚後の派生効果等を一緒に考え、
離婚ということは避けられない結論なのか
ということを確認することによって、

一つは、やり直しの方策があれば
それをひとまず追及するということもありますし、

離婚という結論が避けれない場合でも
相手の真意を砕いて説明を受けることによって
ある程度は納得して離婚に応じることができる
離婚が不可避ならば
円満に離婚ができたということがあったように思います。

こういう作業は、当事者の精神衛生上も
離婚後の子どもの養育についても
無駄ではなく有益だったと思います。

昔の調停委員の先生が告げる
相手方の離婚の意思の説明は
重みがあり、絶望感もうけますが
新しい将来に目を向ける効果もありました。

いろいろな調停委員の先生がいますが、
今は、とても軽いような気がするのは
私だけでしょうか。

離婚条件について話し合いができるかどうか
だけでの調停ならば、
わざわざ調停を前置する必要もないと思います。
こういう調停ならば
単に訴訟を増やさないための下請けのような気がしまう。
要するに裁判所の利益のための家事調停です。

そうではなく、離婚は、
家族という人間の営みの基礎となる重要な
対人関係の解体ということだから、
なるべく当事者の納得のゆくところで結論を出し、
軽々しく国家が家庭に介入しない
という理念があったはずですが、
今は形骸化しているように思われます。

家庭裁判所で、離婚調停や訴訟で
事故が起きやすいのは、
このように、自分の人生を
裁判所の都合で形式的に処理されていると
感じる人が増加していることに
原因があると私は思います。

その気はないと思うのですが
人を馬鹿にしているのです。

5 連れ去りアドバイス
 
こういう裁判実務、最高裁判所の判決を
少しずつ取り入れていったのが、
一部にいる
連れ去りアドバイザーなのでしょう。

別居して離婚したくないと言えば
裁判で離婚ができる。
調停等で話し合うとぼろが出るので、
すぐに調停を不調にしたり取り下げて、
離婚訴訟にしてしまいましょう。

だから、先ず、別居することが第1です。
連れ戻されると、
「あなたは、また夫のところに戻るでしょうから」
居場所を相手に隠して別居しましょう。
   
子どもと別れたくないならば
子どもは一緒に連れて出てください。

学校を転校させたり
親に会わせるわけにはいかないけれど
「あなたが幸せにならないと
 子どもは幸せになりませんよ。」
 子どもにつらい思いをさせても
 連れて出てください。

子どもを育てるためにはお金が必要です。
こういう気持ちにさせたのは
相手の責任が大きいのです。
相手に何らかの虐待があれば
慰謝料が高額になるのですが・・・
どうしますか?

ちなみにここにあるのが
保護命令申立書です。
簡単でしょう?

「あなたは、意志の弱いダメな人間ですから
 放っておくと夫と連絡を取るでしょう。」
 だから携帯電話は預かります。

離婚制度の変遷の中で、
責任もなく離婚を強いられる大人、
わけのわからないうちに両親が別居して
もう一人の親と会えなくなる子ども、
そうして、自分のことを自分で決められず
軽蔑されながら、上から目線で
あれこれと指示されたように動かなければならない女性

いわれたとりやったのに
ろくに慰謝料ももらえず
話が違うといっても
どうすることもできません。
   
このような離婚制度の闇は
最高裁判決がもとになっている可能性があるぞと
今考えている次第です。

わが子に会えない親の会 第5回報告 [家事]


今年の1月から毎月1回ずつやっているので、
5月ですから第5回を数えました。

今回は私を含めて9名の参加です。
初めて参加される方もいらっしゃいましたし、
久しぶりの参加の方もいらっしゃいました。
どちらもみんなが大歓迎されました。
こういうユルいところがこの会の持ち味ですね。

10年近く前に離婚された方、数年前だという方、
今離婚調停中だという方
事情は様々なのですが、
子どもに会えていない親という共通項があります。
今のところ、男性ばっかりです。

世間の面会交流の事情を報告しあったり、
2週に一度の面会交流を頑張っていたら、
裁判官も、
「最近は、そういう傾向にありますよ。」
と相手を説得してくれたという情報だとか、

どこどこの家で、
子どもが勝手に戻ってきちゃった
という情報が入れられたりと
勉強にもなりますし、
希望にもつながります。

とにかく、他の団体さんからすると
何もしていないのではないかと言われそうなところが、
われわれのウリということになると思います。

それというのも、
ただでさえ、わけがわからないうちに苦しい立場に
突き落とされているのだから、
仲間内だけは、仲良くやろうということで
集まっているからです。

この立場の人たちは
孤立しています。
会社などの日常生活は送っているのですが、
一番語りたい気持ちを
語れる場所がないのです。

語っても理解されないことが多いようです。

最近では、
子どもと別居している親は
その親に主たる原因があるという
心無い非科学的な知ったかぶりの論調があり、
さらに傷つけられているところです。

この場所は、
一番語りたいことを語ることが歓迎されており、
全員がその気持ちを理解してくれるという場所です。
話すことによって、
気持ちや行動を整理する人も少なくありません。

また、語りたくなければ語らなくてもよい。
酒を飲みたくなければご飯を食べればよい。
何かをしなくてはならないということがない
そういう会でなければならないという意味では、
メンバーに価値観を押し付けてはだめだ
という決まりごとはあるのかもしれません。

音楽鑑賞が趣味という人もいれば、
人の歌は聞きたくない自分が歌う
という人もいるでしょう。

一緒に歌って方が楽しいよ
と言ってみるのは子どものうちです。
大人になってしまうと、
自分のやり方がある程度できちゃっているのだから、
それを尊重することがエレガントではないでしょうか。

生きているのに子どもと会えない
そういう方々の居場所なのです。
いづらい気持ちが出てきてしまうことが
一番の問題なのだと思います。

第5回は、関東からも2名ご参加いただきました。

次回は6月23日金曜日6時半です。
仙台駅前の某所で行われます。
お問い合わせは土井法律事務所まで
022-212-3773

なぜあの人は、人の話をろくに聞かないくせに、都合の悪いことを言うとこちらが怒鳴ったと抗議するのか。もしかしたら感覚過敏かもしれない。「自閉症の世界」感想文4 with NHKスペシャル「発達障害」 [家事]


私が「自閉症の世界」を読んでいる時、
都合良くNHKスペシャルで、
「発達障害 ~解明される未知の世界~」
という番組を放送していました。

あの竜頭蛇尾に終わった産後クライシスの時の
二人の司会ということでちょっと心配したのですが、
(なぜそんなことを言うかについては
 「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

とても興味深く、見ごたえのある番組でした。

ただ、自閉症については
やや感覚過敏に偏っているかなと思いつつ、
その分十分なプレゼンがなされていてよかったかもしれません。

ここで聴覚過敏ということについて
大変興味深い映像と音声の説明がありました。

自閉症の人の音声の感じ方ということなのですが、
これは番組を観ていただくしかないのですが、
(なんとかというNHKの見逃しチャンネルとか。
 この週は翌日のクローズアップ現代も、
 引きこもりの自立ビジネスの弊害を取り上げており
 お金を払う価値があるかもしれません。)

いわゆる普通の人は、
自分に必要な音と不要な音を無意識に区別して、
不要な音を聞かないというか、
意識の外に放り投げることをしているというか、
音がしないものとして扱っている
ということらしいのです。

この前書いた大雑把に受け止めるという力技を使えるのです。

ところが自閉症の人は、このように大雑把になれず
聞こえる音のすべてを聞いてしまう
ということらしいのです。

だからスーパーマーケットで買い物をすると
パチンコ屋のじゃらじゃらした音の洪水の中にいるような
いたたまれなさを感じているみたいです。
(パチンコをしている人は、あまり気にならない)

だから、話し相手の声だけに集中することができない理由があるそうです。
例えば喫茶店で1対1で話していても、
その人の声とほかの人の声や車の音やエアコンの音、調理の音、サーブの時の音
等が平等に聞こえてくるために、
その人の声がよく聞き取れないということになるようです。

ただ、私は、結局、人によって、音の聞こえ方が違うのだ
と理解するべきだと感じました。

ある特定の音が苦手だということも
人によって違うようです。
例えば、私は人がかけている掃除機の音が苦手です。
できるなら別室に行くか外に出たくなります。
でも、自分で掃除機をかける時は、
それほど嫌な感じはしません。

もしかしたら、人によって、
台所の水仕事の音が嫌だったり、
ガスコンロの音が怖かったりするのではないかと
番組を観ながら思うようになりました。

あるいは食器のぶつかる音とか扇風機の音が
どうしても気になってしまい、
こちらの話す声が聞こえないということもありそうです。

こちらの感覚からすると
「こちらの声が相手に聞こえないはずがない」
と思うわけですが、
案外、相手にとっては
意味を持った言葉としては聞こえていない
ということがありそうです。

それから、夫婦問題で、妻側から
「夫がよく私のことを怒鳴る」という訴えが出されます。
普段の限定された私と夫との付き合いからは
直ぐに信じられないほど、穏やかな話し方をする人もいます。
(但し、地声の大きい人も確かにいます。)

一つには、実際に妻の前だけ人格が変わる人もいるかもしれませんが、
もしかしたら、妻の方が、夫の声に過敏に反応している
という可能性がありそうなのです。

特に、時々自分の問いかけに応えないので、
「ことによると耳が遠いのではないか」と誤解していたりすると、
大事な時には、しっかりはっきり発声してしまい、
ついつい、大きな声を出しているのかもしれません。
それから、夫側が真剣な表情をして声を出しているわけですから、
ついつい怒鳴り顔になっていることも考えられます。

そうすると大きな声は出しているし
真面目顔で口を大きく開けていることから
にくにくしげにこちらに向かって
叫んでいるように受け止める可能性はあるでしょうね。

もちろん、そうなってしまうと、
恐怖感情などが出てきますから、
言葉の意味を正確に認識することも
難しくなることでしょう。
脳が勝手に「話を聞くより逃げろ」
と指令を出している可能性があります。

妻が、顔をしかめて
「夫から、がーって怒鳴られた」
と「感じていること」は、案外真実なのかもしれません。

ここで、
「自分が怒鳴っていないから、
 行動を修正する必要はない」
ということを主張してしまっている場合があります。
ついついそう考えてしまうというか。

ここで、
「ああ、ちょっとかわいそうなことをしたな。」
という意識があれば、
100%うまくいくわけではないけれど、

50%くらい意識的に穏やかに話すことに勤めることで、

妻側も
「ああ、怒って言っているわけではないのかもしれない」
と気が付くきっかけになればハッピーになる可能性が
あるのかもしれません。

「怒鳴っていない」と怒鳴るよりも(これはどうしても怒鳴る)
「怒鳴っているように聞こえるんだぁ」
と驚いて見せることが有効かもしれません。

自閉症の世界を
自閉症の人たちだけの世界ではなく、
いわゆる普通の人たちも
少しずつ共有していると考えれば、

もっとエレガントな世の中にするための
豊富なヒントがあるように思えてきました。

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