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母親が娘を支配し、娘に子どもを連れて別居させて離婚をさせるその仕組み [家事]


少し前に、斉藤由貴と波留が出演した
NHKのドラマ「お母さん、娘をやめて良いですか?」
が放送されていました。
大変興味深く観ていました。

離婚事件を担当していて、
貴方の妻がどうしてこういう行動をとるか
ドラマを観ている人には説明が楽になりました。
このようなことは実際に起きています。

どこまで母親が意図的に娘を操作しているのか、
無意識に行った結果なのかはわかりませんが、
娘は母親の意向を受けて離婚をするということが
けっこう起きています。


そこには極めて高度な心理操作が行われています。

しかもどうやら子どものころからの長期にわたる作業のようです。

NHKドラマでもあるのですが、
母と娘の間にある種の関係ができてしまうと、
娘にとっては母親の気持ちにたどり着くことが正解なのです。
娘は無意識に正解を探すようになります。

例えばコーヒーカップを買う場合一つとっても、
自分の母親ならばどれを選ぶだろうかと考えます。
そもそも、自分がどういうものが使ってみて心地よいか
という発想がないのです。
母親に褒めてもらったコーヒーカップを使うことが
心地よく、安心するようです。

服装もそうです。
母親に気に入られるような服装を選ぶようになります。

部活や自分の進路さえも母親の気持ちを考えます。
母親の意見がわからないと、何も決定できない
自分の選択が正しいのか不安になるようですね。
そういう風に母親に作られてしまうわけです。

但し母親も確かな意見があるわけではなく、
娘が自分の意見に従うことを求めているだけのような
そういう印象を受けることも多くあります。
(かなり無茶なことを子どもに要求して
子どもが反発して呪いが解けることもあります)

ところで、どうやってそのように子どもを飼育するか
ということですが、
実に驚くべき方法でした。

先ず、わが子に対して、孤独の恐怖を味あわせるのです。
(あるいは既にある小さな不安を無理やり大きくして)
子どもが助けを求める状況を作っておいて、

母親である自分だけがあなたを助ける存在だと
打って変わって手を差し伸べます。
子どもは、やっぱり母親が大切だと思わされるわけです。

「お前はだめな子だ。劣っている子だ。
だからみんなから見放される。
一人ぼっちで生きて行かなければならない。
現にお父さんも見捨てた。」

こう言う言葉は、
小さい子にはとてつもなく恐怖です。
自分はどうなるのだろうという気持ちになります。

子どもが十分恐怖を味わったなと思った段階で、
「でもお母さんだけはお前を見捨てない。
お母さんだけはお前の味方だ。」
と繰り返し吹き込みます。

へたをすると、フルコースで一晩中やっていることもあるようです。
但し、こういうあからさまな心理操作をやる場合と
時間をかけて誘導する場合とバリエーションはあるようです。

だんだん母親の言うことを先取りしようとするようになるようです。

このような心理操作は、子どもを心理的な恐慌に陥れるもので、
精神的虐待であり、許されない行為だと思います。

私は、こういう心理操作は、
離婚後の母子家庭に起きる場合があるものだと思っていましたが、
そうではなく、父親もいる家庭の方が露骨に行われているようです。

では、父親は何をしているのでしょう。

単身赴任や長時間労働のため、家庭にいない
ということがありますが、
むしろ、父親が気が弱くて、
母親を制止できないというケースが多いようです。
おしなべて、離婚調停等で出てくるのは
妻の母親であり、父親の影は極めて薄いです。
父親はいないものとして事態は進んでゆきます。

この魔力から離れるためにあるのが
反抗期だという言い方もできるでしょう。
親と異なる人間関係(幼稚園、学校)ができて、
その軸足が外に移動することで
呪いが解けるときがあります。

しかし、子どもにいじめなどがあると
助けてくれるのはやっぱり母親だけだという意識が強まり
呪いの威力が強化されてしまうこともあります。

支配された子どもは極めて優等生です。
自分のやりたいことをやるという発想がなく、
「お母さんなら自分にどういう風に行動してもらいたいか」
という発想で動きますので、
学校ではきちんとしており、
実力を超えて勉強をしようとします。

疲れたとか、遊びたいという気持ちは
母親が悲しい顔をするので自分で否定していきます。

「休もう」とか「途中だけどあきらめよう」
という気持ちは、
自堕落な情けないことだと
そんなことを考える自分を悪だと責めるようになります。
(過労死予備軍も同時に育てていることになります)

友だちからは、四角四面で面白くないやつ
子どもらしくないロボットみたいなやつで、
自分を守ろうとせずに先生に言つけたりしますから、
嫌われていじめられたりします。

それよりも深刻なことは、
自分で自分を守ろうとすることを放棄しているので、
他人の気持ちを考えて自分の行動を修正することも
なかなかできないままに大人になっていくようです。
なんで自分は他人に受け入れられないか
分かりません。
「こういうことをすれば、他人が不愉快になる」
ということを学習しないまま体は大きくなります。
友人関係にはあまり重きを置かないので気にしないから、
何も学ばないままになっているのです。

最初の破たんは15歳のころです。
自分というものがありませんから
自分と他人の区別がつかなくなり、不安になります。
自分とは何かということを考えることが恐ろしくなります。
友達がいないどころか、いじめにあっているかもしれません。

引きこもり、拒食、過食が始まる時期で、
それが昂じるとリストカットや薬物が始まります。

自分の欲望すべてを否定し、罪悪感をもつようです。

しかし、この時期も余計なことを考えないで
母親の言うとおりに過ごすことで安心する一群があります。
比較的成績もよく、自分が恵まれていると感じて
母親のおかげだと思うのでしょう。
偶然仲の良い友達ができて
苦しむ必要がない場合もあるようです。

そうした場合の次の破たんの時期が
大体は結婚相手との関係です。
この手の母親は娘の結婚相手を
自分が決めるという意気込みが強くあるようです。
何度も見合いをさせますが、
破談にしているのは、実質的には母親です。

娘の前で相手のことをいろいろと難癖をつけて、
娘に断らせるのです。
「あの人、あの犯罪をした人に似ているあの人」とか
「ああいう顔って遺伝するのよね。」とか

人間完璧な人はいません。
どこかに非難できるところはありますし、
好みもひとそれぞれです。

実際は、気に食わないのではなく、
娘をとられるのが嫌なだけのようです。

それでも、偶然交際が始まることがあります。
巡り合うことはそれほど難しいことではありません。
娘にとって母親以外に、
自分のことを好きだと言ってくれる人は、
とても新鮮に感じられます。

この時から、夫と母親の綱引きが始まっているのです。
繁殖期の力は侮れません。
娘は、母親の眉をひそめて断れというサインも見逃します。
難癖をつける母親の言葉は聞こえません。
むしろ、母親が疎ましくなるのかもしれません。
今まで、母親から支配を受けていたことの
その意味を急に悟るようです。
結婚直前、母親と娘の仲は良くなく、
夫は、前から折り合いが悪いように聞かされるのでしょう。

結婚し、子どもを授かることはそれほど遠い話ではありません。
しかし、ハッピーエンドとはならず、本当の悲劇はこの後始まります。

いくつかのパターンがあるようですが、
妻となった娘が理由なく不安を感じるようになります。
気の迷いだったり、
産後のうつ気味かなといわれたり、
全般性不安障害だといわれたり、
早い更年期といわれることもあるでしょう。
重い病気にかかったり、
子どものことで思い悩むこともそれは出てきます。

どうやら、現実の乗り越えるべき出来事が出てきてしまい、
そしてそれへのうまい対処がなかなかできないと
(別に対処しないでやり過ごせばよいだけなのに、)
不安になってゆき、自然と母親を求めるようになるようです。
かつての呪いが時を経てよみがえるようなものです。

また、実際に甲状腺機能の異常とか
職場での人間関係による適応障害やうつ病
不安を感じさせる要素は年齢とともに出現しやすくなります。

この時期に、夫が適切な対処をすればよいのですが、
妻に何が起きているかわからないものですから、
できたものではありません。
長時間労働等で家にいる時間が短かったり、
疲れ果てて、一緒に悩むこともできなかったり、
何か妻が暗い顔をしていると
自分が悪いと責められているような気持ちになって
逆に妻を攻撃してしまうこともあるようです。

そうすると、妻は娘に戻り、母親に助けを求めるようになるようです。

母親は、かつての日本では、
「嫁に出したのだから」とぐっとこらえて、
知恵をつけてまた来なさいよと追い出していたのですが、
今の日本では、矜持が無くなったのでしょう。

「その不安は夫が原因だ。私だけは見捨てないと」
猛然と綱引きの綱を引き始めるのです。
かつて、自分の夫を駆逐したことを
今度は娘の夫に対して行うわけです。

「貴方の不安は正しい。不安を持つべきだ。
貴方はひどい目にあっている。
早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

これに役所や警察が裏打ちするわけです。
「あなたの不安は正しい。不安を持つべきだ。
 あなたが受けているのは精神的虐待だ。
 早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

そうすると、娘に戻った妻は、
幼稚園の時に母親からベッドで聞かされた
怖い思いと、その後に来る安心感を思い出して、
夢中で母親の気持ちを言い当てようという傾向を
取り戻してしまうわけです。

夫と別居して母親の元に戻る
ということをあっさりやり遂げてしまいます。
自分が求められているのではなく
母から見た孫を求めていることも察していますが、
喜んで差し出すわけです。
母親が喜びさえすれば安心だ
というパターンを復活させているからそれでよいのです。

これが徹底すると調停に出てくる離婚理由は、
・夫が自分の母親に失礼なことをした
・母親の話では夫はこんなことをしていた
ということになるわけです。

「自分」という存在がかつてのように失われ、
母親が自分の体と心を乗っ取るわけです。

夫とともに「自分の気持ち」も失います。
また、子どもから父親を奪います。

そうして、父親を排除して
また自分と同じような娘を作ろうとするのです。

実際は、子どもが男の子の場合も多くあります。
マザーコンプレックスという言葉がひところはやりましたが、
おそらく、少なくない部分で、
洗脳めいた活動がなされた母親依存症なのだったのかもしれません。

封建制度の昔は、家長とか戸主がいて、
また道徳が人々の心に明確があって、
このような行為は、諌められていたようです。

封建制度を否定したからといって、
家族を大切にするという作業、行動を
否定してしまっては、
人間は健全に成長できない仕組みになっていると思います。

今家族は分断されています。
若い夫婦は、何も知識も経験も
伝統や慣習も受け継ぐことが困難な状況にあります。
よこしまな気持ちに無防備な状態です。

そうであれば、
やはり公的に、家族の在り方を研究し、
家族を壊すものを解明し、
家族を維持し、楽しい生活を送るということを
科学的に研究するべきだと思います。



続・身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 離婚調停における必須戦略と自分を変える勇気という作戦 [家事]

先日書いたブログの記事

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 杉山先生から頂いたコメントをきっかけに」

に、とても切ないコメントをいただきました。

相手の気持ちを考えてみた場合、
自分を変えることで、
あるいは自分の主張を一部譲歩することで
状況が良くなるかもしれないと思うことがあるけれど、
それはとても勇気が必要だ

というものでした。

引くことで、なるほど相手の気持ちは柔らかくなるかもしれないけれど、
それは自分が家族から益々離れてしまうことを意味することなので不安だ
それでも自分は引かなければならないのかもしれない
と思うことは、大変つらいことです。

一つ、考え方の試行錯誤を示してみます。

先ず、一歩引くことで、
現状より状況が悪くなるかどうかを見極める必要がありそうです。

ここから先の話は、
いつもと私が言っていることと違うことを言っているように思われるでしょうが、
離婚(円満)調停は、戦争なのです。
 戦争である以上作戦をたてて望まないとだめだ」
ということを対人関係学を始める前から今でも
依頼者に申し上げています。

作戦を構築するためには、
相手と自分の分析をしなければなりません。
この分析を抜きに感情のおもむくまま
調停を進めている方が多いと感じます。

相手の状況を考えるとは、
相手が今何を考えているか、
相手の望んでいることは何か、
その背景は何か、
相手の状況において、こちらに有利に働くポイントは何か
不利に働くポイントは何か。
これを考えることです。

但し、調停申立書や準備書面
調停委員から聞く相手方の発言だけで
一喜一憂していたのでは調停にはなりません。

あなたは、これまでの生活の歴史という
一番貴重な情報をおもちなのですから、
そこから、相手の変化の要因を分析する
という一番有効な分析ツールを持っていることになります。

この場合、自分が相手の変化に
どの程度関与していたかを冷静に見極める
過不足なくリアルに見極めるということが必要です。

自分が良くても悪くても、自分に何らかの原因がある
というならばチャンスです。
それを言い当てて、対応策を提示する
という爆弾を落とすことができるからです。
これが有効打になることが少なくありません。

自分の「やったこと」に問題があれば簡単ですけれど、
自分が「やらなかったこと」に原因があるというのであれば、
何をすればよかったかという分析が必要になります。

この分析方法をとれば、
あなたが実行することができる作戦を
構築することができるという利点があります。

また、自分の対応に問題があるのに、
引かないでどんどん攻め込むというのであれば、
それは自分で状況を悪化させていることになります。

この場合、一歩退くことは
自分の感覚では後退しているように見えても、
客観的には、ずんずん前進している
ということになります。

もしかすると、退いているように見えるだけ
ということがあるのです。
状況分析をしていないことによる
戦略ミスということになります。

相手を理解し、自分を理解するということは
離婚する時も、修復する時も必須の作戦で、
離婚でもめているときこそ、
相手を理解することに力を入れるべきなのです。


ここで、相手方弁護士や行政、調停委員に
責任を擦り付けてしまったのでは、
武器を持つことができません。
状況を変えていくためには、
やはり自分の行動を修正することが
最も確実にできることなので、
そこを考えることが有効であると思います。

自分の行為で相手が嫌がっている部分を
冷静に周到に分析する必要があるわけです。
分析ツールが、言わずもがなですが、対人関係学なのです。

自分を攻撃してきていることは、
自分を怖がっているからかもしれない。
相手が仲間はずれにされる不安を感じているからかもしれない。

怒りという助けがなければ
自分にものが言えないだけなのかもしれない。

そういう発想に立ってみると見えてくることがあるようです。
もしかしたら、
あなたが相手に対して現状を怒りを持っているのは、
あなたが不相当な攻撃を受けていることが原因かもしれません。
自分が悪くないのに、子どもを連れて出て行かれた。
状況が呑み込めないまま警察と一緒に相手がきて
荷物を持ち去られるままにしなければならなかった。


なにくそと怒りが沸き立たなければ
自己効力感が無くなり抵抗力が無くなってしまいます。
だからどうしても攻撃的になることは
仕方がありません。

ただ、ここで、攻撃一辺倒となると
家族を守ることができません。
ここでいう家族とはご自分も含めてということです。

また、逆に、自虐的な分析も有害です。
相手の心には響かないため、
事態が打開できる有効打にならないからです。

先ず、良い悪い、正しい誤りという評価をしないで、
どうして相手がそういう心情になったのか
冷静に過不足なく分析することが必要だということになります。

分析が終わったら、
分析結果を相手に示すことが必要です。
相手を理解していることを示すこと、
自分を理解してもらおうとすること。

これも、夫婦の歴史の中で生まれてきた
経験に裏打ちされた独自の言語があるはずなのです。
この相互理解が欠けていたために
チームが遊離している状態が
家族紛争だと思います。

やや抽象的な言葉に終始しましたが、
戦略上最も大切なことは、
「どうしたいか」ということの自覚です。

「やり直したい」という気持ちがあるならば、
それを前面に立てることが必要です。
弁護士や友人に堂々と宣言しましょう。
無理だというヒトとは別れればよいです。

そうして、やり直したいということと
矛盾した行動を自分がしないように
見守ってもらうことが大事です。

但し、目標は
大目標の外に、中間目標を用意することがコツです。

毎回最終決戦で、こちらの言う通りにしない相手に怒っていたのでは
距離が縮まるわけがありません。
手をつないで歩く場合は、
一番遅い人の速度で歩かなければならなりません。

また、手をつないで歩くだけで
幸せですから、
先を急ぐ必要もないわけです。

今日はここまで進んだからいいやと
そういう評価の仕方を導入してください。
結論に到達しなかったからだめというのは、
あまりにも非科学的な、ないものねだりではないでしょうか。

そのためには、相手の反応を見極めて、
どこまで進むべきかということは
臨機応変にその場で定める必要があります。

また、そこに向かうためには、
無理な方向から攻めるのではなく、
相手の一番弱い部分から変化をさせていくことが肝要です。

さて、また、最後に誰の利益を目標とするべきか
という問題をお話ししなければなりません。

例えば、面会交流の場合、
当事者の方が、「子どもに会いたい」ということを
いうことは仕方のないことですが、
それだけだと負けてしまいます。

「会いたい」と「会わせたくない」の争いだと
裁判所はあまり積極的に介入してもらえない傾向があるからです。
本当は、人情的にも、
子の親を子どもに会わせたいんだということで出発したとしても、
私はそういう言い回しは、ここ何年かしていません。

子どもをこの親に、大人たちが努力して
あわせなければいけないんだということであれば、
誰も賛成しないわけにはゆきません。
ここから、裁判所も出発しなければなりません。
そのために、どうやって障害を取り除いていくか。
という議論に進めるということですね。

ところが、そう言っても、
なかなか子供の視点で調停が進みません。
ここだけは、何度も何度も
調停委員や裁判官、調査官を説得しなければなりません。
反対しないだけでは足りずに、
賛成してもらわなければなりません。

先ず、子どもの視点から始めるべきだということですが、
その先にあるのは、家族というチームの在り方の問題です。

子どもの健全な成長のためには、
家族構成員間に、最低限度の信頼関係が必要です。
家族のかたちはそれぞれあります。
同居の家族もいれば、一部別居の家族もあるわけです。
しかし、子どもを健全に育てるため、
お互い悪口を言わず、
子どもに親を誇れるように協力しなければなりません。

ここを目標にすることが
客観的というか理屈では求められているのだと思います。

自分の利益と、家族の利益は
常に一緒であることが理想なのですが、
表面的には、自分の感情を殺して
家族というチームの状態を悪くしないことも
必要な局面があるように思われるのです。

「自分」とは何でしょう。

家族間で対立しながらも、
配偶者がいて子どもがいれば、
別居しても、離婚しても
やはり家族であるし、
家族であると考えることが必要だと思います。

離れて暮らしていても
家族相互にいたわり合うことを続ける必要が
どうしてもあると思うのです。

自分とは、
そのような家族も含めて
家族を持った人間であることなのだと思います。

家族のためにできること
別居しても、離婚しても
それは必ずあるのだと思います。

離婚に際して、そのようなことを考えなくて済む国は、
実は先進国では日本だけのようです。
離婚後をしたら今生の別れという
非科学的な信仰を持ち続けているのかもしれません。

一度家族を作ったということは
消えない大きな出来事であるということが
世界標準の考え方であり、
人間を大事に考える考え方だと思います。

いま日本で苦しんでいる人たちこそ、
自分を大事にするということの意味を考え、
人間を大事にするとは何かを提起していくことが
求められていると思います。

あなたでなければできないことの一つだと思います。

第4回子どもを連れて別居されてしまった親の会開催報告 このブログの使用実例という貴重なご報告を受けました [家事]

4月21日 第4回目の例会がありました。
今回は新規参加の方はいらっしゃいませんでした。

特別ゲストとして
一度母親が連れ去ったけれど、
母親を論破して父親の元に戻った
6歳の英雄が参加してくれました。

お父さんが大事に育てていることがよくわかる
天真爛漫な男の子で、
男の子も可愛いものだなと思いました。

私の依頼者だけでなく、
この場で知り合った方々なのですが、
おしなべて、おくゆかしい人ばかりで、
誰かがしゃべりだすと
じっと最後まで聞いているし、
きちんと内容も理解してい聞いていらっしゃる。

けっこう精神的にきつい状況にいると
人の話が耳に入らない人が多く、
自分のことだけ話したくなるのですが、
穏やかです。

面白い傾向があって、
私の依頼者は、あまりこのブログを読まないようで、
依頼者じゃない人の方が熱心に読んでいただいているようです。
もっとも、打ち合わせの時にさんざん話しているので、
同じようなことをわざわざ読む気になれないということは
大いに共感するところではありますが。

で、依頼者じゃない方から、
とても感激してしまうご報告がありました。

先日の記事を読んでいただき、
もしかしたら、奥さんが自分を怖いと思っているのかもしれない
と考えてみたのだそうです。

面会交流調停をされているとのことなのですが、
これまでは、そんなことを思ったことが無く、
自分を怖いわけがあるはずないと
奥さんの主張を相手にしていなかったそうです。

でも、もし、本当に怖いと思っているのならば、
しょっちゅう自分と会わなければならない面会交流を
頻繁に要求するのはかわいそうかなと
考えてみたのだそうです。

あまりにも切ない話だと胸が締め付けられ
言葉が出ませんでした。
自分に対して攻撃的になっている相手の気持ちを
思いやるという真実の愛に触れたような気がしました。

面会交流をするかしないか、
するとしたらどのくらいの頻度で実施するか
が争点だったのですが、

駆け引きをすることをやめて、
奥さんの主張を受け入れることにすることを
調停でお話ししたそうです。

ところがそうしたら、
とんとん拍子に話が進んでいったとおっしゃるのです。
面会交流は実施されることが決まり、
奥さんの方から
どういう場所が楽しく面会できるかの
提案までしてもらったそうです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

大変貴重なお話をいただき、
お話をいただいたことに私は、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

それまで張りつめていた対立的感情を捨てて、
相手の気持ちを受け入れる。

もしかしたら、それは敗北とも取れることかもしれません。
それで、うまくいったと言えないかもしれません。

自分を中心に考えると
そういう否定的評価になるのかもしれませんし、
客観的には、あるいはそうなのかもしれません。

しかし、このお父さんは、
自分対妻という対立をやめて、
奥さんの気持ちを優先してみました。

離れて暮らしていても
家族全体として一番良い方法を考えられたということだと思います。

奥さんは、自分の主張を夫が受け入れてくれたことに
新鮮な驚きを感じたのだと思います。
おそらくあまり自覚はしていらっしゃらないと思いますが、
嬉しかったのだと思います。

もともと好きあって結婚
子どもももうけた夫婦です。
いろいろな事情があってすれ違っていますが、
常に仲直りをする可能性があると思います。

ただ、一回できた壁が高く
なかなか結論まで行き着く自信を持つことができない状態
であることは間違いありません。

少しずつ、少しずつ受け入れあう経験を
一つずつ慎重に積み重ねて行けば、
その先にトンネルの出口があると
私は確信しています。

自分の気持ちを尊重してもらうことは
本当にうれしいことです。
自分の弱点を守ってもらうことは
ありがたいことです。

対立はやむを得ませんが、
ちょっとのチャンスを見逃さずに
このポイントを見つけてゆきましょう。
対立点を研究するより
一致点を探し出していくということだと思います。

そうして接点を作らなければ
少しずつ慣れていくということができません。

そういう実践例を作られたお父さんに
最大限の敬意を示します。

そうして、ご報告いただいたことに
重ねて感謝申し上げます。



仙台の桜はもう散り加減になりました。
どんどん散ればよいと思います。
どうせ来年また咲くんですから。

離婚事例にみる甲状腺機能障害を患う人がDV法の犠牲になり、行政や調停でますます苦しみ、最大の被害が子どもに及ぶ構造 [家事]

冒頭に申し上げておきますが、甲状腺機能異常があるからといって、必ず家庭生活に影響を及ぼす精神症状が出現するわけではありません。私の身近でも、かえって家族のきずなが強まった方々がいらっしゃいます。本稿は、それと知らないまま、治療を受ければ軽減するはずの病気に苦しんでいる方、その家族の方の苦しみの軽減になればという思いで書いております。

震災後、離婚事件の当事者、
特に子どもを連れて別居したまま離婚に至る女性に、
甲状腺機能異常がある事例が増えています。

機能亢進症の事例が多いのですが、
機能低下症の事例もあります。

精神症状として著名なものは、
イライラ感、抑うつ症状であり、
中には、幻覚妄想状態などが出現することがあるそうです。
記銘力も弱くなるということもポイントです。

何か自分ばかりが損をしているような気持ちになり、
夫と生活していても落ち着かなくなるようです。
精神的な興奮状態となり、
刃物を持ちだしたりするので
取り押さえられるわけですが、

その経緯はほとんど覚えていなくて、
ただ、取り押さえらえたことだけが
記憶に残っているのです。

また、夫も、
妻の奇怪な行動の意味が分からず、
妻の人格に基づく行為だと思いますから
疎ましく思ったり、不気味に思うようにもなるでしょう。
寛容になることはなかなか難しいようです。

負のスパイラルが働いて、
ますます夫婦仲が悪くなっていきます。
ますます自分が迫害されているように感じていきます。

実際にあった例ですが、
このような、曖昧な記憶の被害妄想的な評価を
行政や警察に訴えた女性がいます。

行政や警察は、「それはDVだ」という決まり文句で
「DVは治らない」ということで
夫のもとから子どもを連れて出て行くことを勧め、
住民票の閲覧制限をして
夫から妻と子どもを引き離しました。

ところが、既に、その時妻は
甲状腺腫の肥大や眼球突出が著明で
精神的にも不安定ですぐ泣きだすという有様でした。
本人も健診で甲状腺機能亢進症を指摘されていました。

それにもかかわらず、
夫が悪いということで、家族を引き離しました。

アメリカのDV提唱者レノア・ウォーカーの説を
金科玉条のごとく暗記して
極端な配偶者加害の事例に対する対処方法を
マニュアル通りに押し付けたわけです。

そんな今では日本以外に誰も見向きもしない学説を知っていながら
甲状腺機能障害については無知だったわけです。

カウンセラーにも相談したとこの妻は言っています。
カウンセラーは、子どもの精神不安を見逃さなかったのですが、
妻の話を信じる限り、
甲状腺機能障害は見落としました。
「子どもにもっと愛情を注いでください」
という結論を押し付けて終わったようです。

なぜ、子どもに愛情を注げないのか、
なぜ、子どもに過酷な八つ当たりをするのか
原因についての考察はなかったことになります。

子どもに愛情を注がなければならない
それは、その妻も気にしていました。
そうするべきなのにできない。
この結果、子どもに精神不安が出現したわけです。
だから、愛情を注げという結論だけ提示しても
何の助けにもならなかったわけです。

かえって妻の焦燥感を強め、
行政や警察の無知のせいで、
妻は子どもを連れて別居し、
夫からは行方不明になりました。

ところで、行政や警察はどうして
妻の精神的不安定などの異常に気が付かなかったのでしょうか。
それには理由があります。

まず、日本におけるDVは、一言でいって
夫が妻に対して、感情を隠さない行動をすること
それがすべてDVになるわけです。

そしてDV認定された場合どうなるか、
夫は、妻を暴力や脅迫で支配をする人間だと扱われ、
同居を続けると、妻の生命に危険が生じる
ことを想定して扱われるのです。

入り口が感情的なことであっても、
一度入り口を通ってしまうと、
いつの間にか、極悪非道の人間になっているのです。

そうすると、妻が感情的に不安定になっている理由は、
極悪夫のDVのためだと考えなければならないという掟に縛られます。
マニュアルという名の掟です。

夫の話を聞いて妻の言っていることの信ぴょう性を確認する
なんてことは、かわいそうな女性を疑うこととして
行わない掟があるのです。

夫から話を聞く事情があったとしても
それはDV加害者だから冷静で狡猾だから
うそをついていると思わなければならない掟があるのです。

掟を守らないと、
女性保護を担当する資格がないのだそうです。


さて、その身を隠すように言われた妻と子はどうなったでしょうか。

妻は、甲状腺機能の治療をしないまま、
焦燥感や不安に苦しめられ続けています。

馬鹿な掟の結果、
妻の言動は夫のDVの結果だとされているために
甲状腺機能の影響かもしれない
と考えることが許されませんので、
眼球が突出してのどが太くなり、
精神的に不安定になっても
甲状腺機能の治療を勧められることはありません。

苦しまなくてよいのに苦しみ続けています。

もっと苦しんでいるのは子どものようです。
父親と会えないことで問題行動を起こしているようです。

父親も、理解できないまま妻と子どもと引き離されて
精神的に大打撃を受けましたが、
甲状腺機能障害の精神書状を理解して落ち着きました。

甲状腺機能障害については
重篤な精神症状については
事例報告がいくつかありますが、
そのような重篤な精神症状にならなければ
なかなか医師に訴えるということもないようです。

その結果、重篤な精神症状が出なくても、
何らかの精神症状のために家庭で何が起きるかについては
言及がないのです。

簡単な話、
重篤精神症状が出るのだから、
そこまで大きくならない精神症状は普通に出るのです。

家族生活を守るために
甲状腺機能障害の家庭に与える影響について
説明書きが無くてはならないと思います。

家族の方も、妻の行動を理解できれば、
対処の方法も見えてくるし、
精神的に余裕も生まれます。

みんなが不幸にならないで済むのです。

家庭裁判所は、
5年前と比べてもだいぶ変わり、
面会交流を促進していく姿勢を見せる
調停委員も増えてきました。

しかし、なかなか父親と母親の対立としてしか
考えてくれません。
子どもが別居親から愛情を注いでもらう
という人間固有の人権という視点が欠落している場合も
多く見られるということが実感です。

母親が合わすことができないと言えば
面会交流の話がストップしてしまうことが多いことが実情です。
どう合わせるかという視点に立ち
母親をどう説得するかということで知恵を絞るべきです。

さて
母親の不安や現実の面会拒否が
甲状腺機能障害の影響のものだということは伝えました。
大半の精神症状は、投薬によるホルモンのコントロールがなされれば消失します。
まさに無駄に苦しむ必要はないのです。

それでも治療を勧めないということは
母親の無駄な苦しみを放置することだと思います。

それでも治療を勧めないということは、
全身、全精神で、父親と会いたいことを表現している
子どもの願いを
大人たちが否定し、縛ることです。
これほど明白な児童虐待はないと思います。
本当にむごいことが家庭裁判所では等閑視されています。

「離婚の話を始めたら、離婚をしたら
面会交流に応じる」
ということもよく聞かれます。

しかし、離婚をしたいのは親の都合です。
面会交流をするのは
子ども要求と子どもの健全な成長のために
大人がしてあげるべきことなのです。

大人の都合で、子どもの健全な成長という
取り返しのつかない切実な都合を阻害する
自分の離婚のために一個の独立した人格である
子どもを人質に取るという主張が
日常的に容認されているのが日本の家庭裁判所です。

こんな主張は、家庭裁判所という公的な場所では
許されてよいわけがありません。

先ず、子どもを別居親に会わせることを動かさず、
同居親の精神的負担をどのように軽減して実行するか
という議論につなげるしかないはずです。

他人の子どものことだからあまり具体的に考えないのか、
健全な成長が阻害された子どもがどうなるかを
考える力がないかどちらかなのだろうと思います。

このような制度を作ったのは、
女性の保護を目的としたのだと思いますが、
マニュアル的な対応や
子どもの健全な成長の観点の欠落によって、
取り返しのつかない悲劇が生まれているのです。

女性の敵は誰なのか
議論が必要だと思ってやみません。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 杉山先生から頂いたコメントをきっかけに [家事]

4日ほど前の記事に対して
子を連れて別居した妻に対して家族再生を進めるために克服するべき夫の2つの誤った意識傾向

なんと、面会交流事件の大家である
弁護士の杉山程彦先生から直々にコメントをいただきました。
まだお若いのに、次々と重要判例を引き出す
今一番尊敬している弁護士の一人です。 

誇りをもって引用させていただくと
「もっともだと思う反面、連れ去られたら男性にだけ
 一方的な反省を強いるのかという反発もあります。
 真の反省を促すためにも、司法が公平でなければならないでしょう。」

大変恐縮でありごもっともなコメントではありますが、
杉山先生と私のアプローチの違いがわかりやすい形になっています。

第1は、司法に対する期待ないし信頼の程度に違いがあると思います。
本当は、私も弁護士だから、司法の公平を訴えていかなければならない
のだと思います。
ダメだとあきらめたら、何も変わらないので、
この姿勢こそが正しいのだと思います。

しかし、私は、司法の公平を追及するには
年齢を重ね過ぎたような気がします。
今、国家や権力によって家族が分断され、
問答無用に家族再生が切り捨てられる現状について
司法の公平の実現を主たる戦場とするには、
司法に対しての期待があまり残っていない
ということなのだと思います。

それは伝える側の弁護士の責任かもしれません。
現に杉山程彦先生や上野晃先生は、
先進的な判決を勝ち取っています。
この点については、大いに学ぼうと思っています。

第2に予防の観点です。
それではどうするか?
どちらかというと、私は、
予防が主戦場だと思っています。
あるいは、裁判外の解決を目指すということを考えています。

やはり一度壊れると、
なかなか人間の気持ちが再生することが難しいので、
壊れるまえに、
家族の在り方を修正することを
主眼としてこのブログを書くことが多いです。

また、私の依頼者群がそうなのかもしれませんが、
一番の目的は、家族でまた
昔のように一緒に行動して一緒に笑いあう
子ども誕生日をみんな笑顔で祝ったり、
遊園地旅行で、少し冒険してドキドキしたりという
あの時を取り戻したいという方が多いということがあるかもしれません。
こういう祈りは、そもそも、裁判では何も解決しません。
裁判で勝っても家族は戻りません。

3夫が妻の心に働きかける方法として

何かできることが無いかということになれば、
必死になって、相手の心に働きかけることだと思います。

大体の子どもを連れて別居に至った妻は、
夫が怖いという心理状態にありますが、
そのように恐怖の対象が特定される前は、
漠然とした不安を抱いていることが多いようです。

この不安に夫が対応できれば、
妻の態度はだいぶ変わるということも実際に起きています。

面会交流の連絡の時とか
調停や裁判であっても、
わずかなチャンスを利用して
妻の不安を承認し、それに手当てしようという態度を示すことで、
法律的結論は不利になっても
最低限度の信頼関係を形成し、
子どもの気持ちを安定させたい
という思いでおります。

そのためには、自己の行動を修正し、
修正したことを相手に伝える必要があります。
何を修正するかということで
冒頭のブログを書いたつもりです。

相手の気持ちを変えるためには、
自分の行動を修正することが一番だと思っています。
自分を変えて見せることで
相手の変化を期待するわけです。

必ずしも万能の方法ではありませんが、
これをしないことには
なかなか他人の心に影響を与えることは
難しいと感じています。

その人にとって、何が一番大切なのか、
守るべき自分とは何か。

そうすると、自分とは、
単体で生きているわけではなく
家族の中にいる自分、家族と関係を有している自分
これが一番大事であると思い当たる方が
多くいらっしゃいます。
(そうでない方ももちろんいらっしゃいますが)

そうなると、我を通すよりも
相手にあわせて柔軟に行動を修正することの
大切さを再認識していただくようになります。

4 反省という言葉について

杉山先生は、反省という言葉をお使いになっています。
私は、反省という言葉は誤解を生むのであまり使っていません。

何があるべき行動であったかを振り返り、
相手方の心情を思いやって何をするべきか
ということを考えるので、文字通り反省なのかもしれませんが、

自分のやったことが悪いことだったという評価は
迂遠であり害ばかりです。
そうではなく、相手を安心させる行動をする。
それができなかったのは、必ずしも夫が悪いわけではない。
ということなのです。
その事実を認識するということです。

そうして、一つの家族を
夫が主体となって理性的に修正していくということですから、
自分を殺すという感覚でもないはずです。

ただ、打ち合わせが終わって、やるべきことを理解しても
自宅に帰ってしばらくすると、
自分だけが努力をするという意識が起きることも通常かもしれません。

しかし、これは家族の関係の中に存在する自分というものを
取り戻すための前向きの行動だと思っています。

5 絶望回避のために
もう一つ、このような家族再生アプローチをする理由は、
自己の行動で修正をするポイントを提案することで
絶望を回避していただくということがあります。

何も理由なく、妻が子どもを連れて知らないうちに別居されていた
となると、絶望しか残りません。
実際に、うつ状態になっている方が大勢いらっしゃいます。

出て行ったのは何か理由があり、
自分が行動を修正することで回避できたことかもしれない
という考えは、
最悪の絶望を回避する場合があります。

そうでなければ、自分の存在自体を
全面的に否定されたという意識になられるようです。
この絶望を回避していただきたいという思いもあります。

6 まとめ
自分にもおぼえがありますが、
自分の行動様式を守りたいという要求がありました。
つまらない意地を張って相手を傷つけたこともあります。
しかし、それもこれも、本来
仲間の中で安定した状態でいるための手段だったのではないかと思っています。

そうであるならば、
そのような行動様式はいくらでも捨てられる
そういう「自分」を放棄することで、
本当に望む自分を手に入れる可能性があるのではないかと
自分の実体験も含めて考えているところでした。









妻に絶対言ってはならない言葉 [家事]

離婚事件を担当していると、
離婚の理由は様々で、
それこそ原因は一つではないことがわかります。

案外、われわれも、
首の皮一枚で、家庭という人間関係を維持しているような
綱渡りの状態なのかもしれません。

誰しも家族崩壊の危険性をもっている
そんなふうに思えてくるし、
今家族で一緒に笑うことができれば
けっこうそれだけで幸運だと
つくづく感じ行ってしまうこともあります。

このせっかくの幸運を
大事に守っていきたいという気持ちになります。

そんなありふれた家庭の中で、
つまり、色々な行き違いや疑心暗鬼が渦巻く夫婦の関係で、
絶対に行ってはいけない言葉というものが
どうやらあるようです。

実際に多くの離婚事例で、
夫が離婚したくないのに、
妻が離婚の気持ちをゆるぎないまでにする
夫の一言があります。

それは
「離婚」(りこん、別れる)という言葉です。

この言葉を妻が聞いた場合、
これまでの夫の行動が
すべて違う意味に変更され、
夫婦の歴史が
自分が迫害されてきた歴史に記憶が塗り替えられてしまうようです。

楽しかったことの記憶は消去され、
嫌なことだけが思い出されるだけでなく、
現実以上の虐待がなされたという記憶に改変されます。

仲間だと思っていた相手から
仲間から外すと言われることは、
それだけ強烈なことのようです。

人間は、単体の生物として自分を把握するのではなく、
親がいて、配偶者がいて、子どもがいて
友人がいて、
そういう人間関係を持つ自分という把握らしいのです。

その一番の中である夫が自分を否定してしまうと
それまでの「自分」というものが無くなってしまうようです。

また、そういう自分を否定された場合、
人間として生きていくためには
否定した夫を否定しなければならない
脳のシステム(絶望回避のシステム)があるようです。
自分は被害者であり、夫は加害者である、
夫は自分が生きていくことを妨害する存在だ
ということになります。

これまで気持ちを許していたこと
弱みをさらけ出していたことが
とてつもなく恐ろしいことに思えてくるようです。

軽々しく離婚を口にする人はいないでしょう。
なんかよっぽどのことがあったり、
精神的につかれていたり、
つい口に出ることがほとんどです。

しかし、みんながみんな後悔しています。
子どもから引き離されて苦しんでいます。

夫のサイドからも自分を壊さないためにも
「離婚」という言葉は、
離婚するまで口に出してはならない言葉であると
離婚で苦しんでいる男たちをみながら
お話ししなければならないと思いました。

子を連れて別居した妻に対して家族再生を進めるために克服するべき夫の2つの誤った意識傾向 [家事]

子どもを連れて別居するお母さん方は、
いろいろな不安を抱えていらっしゃいます。

夫が暴力などを行わない場合であったとしても、
病気が原因であろうと、
誰かの無責任なアドバイスがあろうと、
自分の夫に対して「怖い」という気持ちがあります。

この怖いという感情が夫には理解ができないところです。
それはそうかもしれません。
今までひとつ屋根の下で生活していて、
一緒に笑ったり、相談を受けたり
ガンガン言い返されたりしていたのに、
自分のことを妻が怖いと思っていると言われても
なかなか実感が持てないということは理解ができるような気がします。

だから、自分の元を去った妻が子どもに会わせないことは
妻の嫌がらせだと自然に考えてしまうのだと思います。
自分の元を去ったことも、誰か新しい男性ができたのではないか
ということを考える人も多くいらっしゃいます。
調停や訴訟の妻側の言い分を書いた書類を見ても
まさか妻が書いているはずはない、
弁護士がいいようにねつ造して主張しているんだ
と、思う傾向にあるようです。

金銭的な条件が悪くなることや
子育てが大変になることを
(ある程度)覚悟して別居するほど
妻が追い込まれていることや
必死になっているということを
理解することができないのです。

自分は理由のない攻撃を受けていると夫は思っています。

本当は、そういう夫たちも
また、夫婦と子どもたちで生活をしたいと
思っていることが殆どです。

だったら、
妻の心情を理解して、自分の行動を修正することが
どうしても必要なのです。

先ず、妻が、自分を怖がっているという事実を認めなければ
話は始まらないのです。

ここで合理的な行動に進まない二つの理由があります。

一つは、自分は間違ったことをしていないという意識です。

なるほど彼は正しいのです。
勉強をしない子どもを注意したり、
きちんと話を聞かない子どもを注意したり、
家計簿をつけない妻に家計簿をつけるように言ったり、
子どもに無駄な出費をする妻に反対意見を言ったり、

間違ったことを言っていないから
自分の行動を修正する必要はないという意識こそが間違いなのです。

知らず知らずのうちに、夫は
妻に対して100点を要求しているわけです。
あるいは常に80点以上とか。
それができないと、否定的感情をあらわにしてしまうのです。
これはパワーハラスメントと似ています。

相手の事情を考慮せずに結果を出すように要求するわけです。
片づけをするのは当たり前だろう、掃除をするのは当たり前だろう
ということで当たり前なのですが、
できない人もいれば、できない時もある。
そこを許すというか、受け容れることができないようなのです。

できなければしょうがないということが
なかなかできないようです。

どうも、姑(しゅうとめ)的な視点、評価者になっているようです。
だから妻も、
夫の母親からも馬鹿にされているのではないか
という意識を無自覚に持ってしまい
ますます息苦しくなるようです。

妻のできないことを夫が補えばよいのですが、
自分はこんなにできるんだぞということを
無自覚にアッピールしてしまう場合が最悪です。

妻が、自分の弱さ、不十分な点を
日常生活で隠したりごまかさなければならないとしたら、
家にいて安心することができません。
夫と同じチームにいる実感が無くなり、
ただ自分を攻撃したり責めたりするだけの
夫から逃げたくなるようです。

これから別居した妻と復縁したいという場合でも、
妻の落ち度をSNS等でアップしている人もいます。
同じ仲間の落ち度を他人にさらすということは
仲間としてしてはいけないことです。

仲間であるということは
相手の弱点を受け入れる、
失敗は目をつぶり、自分が補う
ということなのだと思います。
なかなか難しいことですが、
自らを戒めたいと思います。

もう一つの復縁を阻害する意識は
対抗心です。
無意識に妻と対抗心を持ってしまうようです。

これは子どもを連れて出て行かれた以上
ある程度やむを得ないことですが、
一番は、
「妻だけが子どもと時間を過ごすことができて
 自分は一人でいなければならない」
相手がずるいという感覚です。

どっしりと受け止めて、
自分を怖がること自体を受け止める必要があるのですが、
なかなか難しいです。

別々に暮らしてなお、
相手とはりあおうとしてしまいます。
妻は、それを何らかの方法で感じ取って
息苦しさ感を強めるわけです。

この間違っていないという意識と
対抗意識は、
自分の行動を修正することを妨げます。

間違っていないといっても
妻は追い込まれている
どうしていいかわからない状態になっているのです。

間違っていなくても
先ず、仲間である妻の感情を優先し、
相手を追い込まないことに価値を置くべきだと思います。
相手の弱さを許して、
相手が自分と同じチームの仲間なのだと
安心してもらうことにこそ、
最大の価値を置くべきなのです。

自分から間違いを指摘されたり、
非難されている妻がかわいそうだと思うことが
出発点にするべきなのです。

妻が喜ぶならば
自分が二の次になってもむしろ喜びであった
結婚直前の時の状態を再現するべきなのです。
あの時できたのだから、
さらに自分の子どもを産んでもらったのだから
そもそもこんな自分と一緒にいてくれているのだから
最大限の尊重と保護をするべきなのです。
(鋭いブーメランが自分をえぐる)

変な男女平等
つまり男も女も全くの平等だという意識は捨てるべきです。
対人関係学的に言っても、
女性は、男性に比べて(個別具体的な男女ではなく総体としての男女)
チームの中で安定したポジションにいることを欲する傾向にあります。

大事にされなければ傷ついてしまう傾向にあります。
星の王子様のバラは見事に象徴的です。
男は妻の3歩先を歩いて
自分が盾になり妻だけは逃がすという意識を
常に持ち続けたいところです。

もう一つの問題は、
簡単に別居を進めるべきではないということです。
家族再生の弁護士やカウンセラーが
妻の潜在的な息苦しさを評価して
適切な修正方法を提起するというサービスを
どこででも安価に受ける必要があります。

夫が凶暴だから別居するというよりも
別居の仕方が夫を凶暴化させて
夫の対抗心を無駄にあおり、
夫の行動修正を妨げている
そう感じてなりません。







親子断絶防止法の真の不十分点 結論を押し付けずに誘導する姿勢の大韓民国民法にはるかおいて行かれている [家事]

もういい加減よいだろうと思うのだけど
今出ている親子断絶防止法案は、
特に賛成する人はいないのではないかと思われる。
それよりも、
全くオープンな議論もなく、
法案自体が改悪されていることに着目するべきだろう。

改悪したのは、女性を自分の欲望の対象としか見ない
国会議員だとされている。

とにかく、低レベル過ぎるのだ。
本当に離婚後の子どものことを考えているのか。
といっても、もはや誰も信じないだろう。
葛藤の高い元夫と元妻の
どちらの利益をとるかの駆け引きの産物になっていると感じる。

どのくらい、低レベルの遅れた状況かということは
お隣の韓国の離婚制度を参考にすると
一目瞭然である。

先ず、離婚自体がこれほど野放しにされている国も
先進国では日本くらいである。

普通の国は、離婚に伴う養育費や面会交流の取り決めについて書類を作成し、
裁判所の許可をとる等の手続きが必要とされている。
親が自分の気持ちを優先して
子どもの利益をそっちのけで離婚を優先することを避けるためである。

日本は、面会交流や養育費について
それなりのことを離婚届に記載すれば
誰もチェックなどしないで離婚が成立してしまう。
全く不道徳な国である。

通常の先進国は、
離婚後も共同親権である。これが原則。

単独親権制度は日本の国民性に合致しているという意見があるが、
子どもをそっちのけで離婚を優先する国民性が日本の国民性だなどと
誰が言っているのだろう。

あるいは、他の先進国と比べて
深刻なDVが多発する野蛮な国民性だとでもいうのだろうか。
まじめに考えてほしい。

なんにせよ、あまり法案がオープンにされていないので、
ネット情報だよりということもあり、不確かな法案なのだが、
じゃあ、面会交流一つ取ったって、
具体的にどうやって実現するか
どのように規定されているのか、
見えてこない。

これに対して、既に2007年から
子どもの福祉に配慮した離婚手続きを整備した韓国は、
2014年にさらなる具体的配慮がなされている。
どんどん日本は置いてきぼりを食っている。

2007年の大韓民国民法改正では
子の養育と子の親権者決定に関する協議書の提出義務が課された。
これが不十分である場合は、補正命令や家庭法院の訂正決定がなされる。
子どもの将来に対して当事者任せにしないのだ。

また、「離婚案内」というガイダンスがなされていて、
専門相談員との相談勧告がされる場合がある。
別居親の面会交流についても説明を受ける。

離婚案内を受けて、
「離婚をめぐる法的問題」や
「親の離婚が子に与える影響」などのレクチャーも受ける。

2014年になると、
離婚をするためには、日本の家庭裁判所にあたる家庭法院で
離婚意思確認申請の手続きが必要とされているが、
その際、ソウル家庭法院では、
専門の相談員が、相談員と面談することになっている。
その後に上記の離婚案内を受ける。

大事なことは、このような細やかな働きかけをして、
離婚後の共同親権の実効性を確保しようとしているのである。
養育費や面会交流が
「ああなるほど必要なのだな」と
「それなら子どものために頑張るか」
という誘導がなされているのである。

きわめて実務的である。

もしかすると日本の親子断絶防止法案は
「面会交流はやったほうがいいですよ」
「自治体は援助しなさい」
という言いっぱなしの結論押し付け型ではないだろうか。

こういう定めであれば、無駄に不安になる人が続出してもやむを得ない。

面会交流の実施の具体的な後押しになることが
何も定められていない恐れがある。

問題は会わせるか会わせないかという不毛な
決着済みの議論の中で生まれた法案だというところが
消耗の議論の始まりなのである。

「どのように会わせるか」
ということが定めらることが重要なのである。

同居親が安心して、大きな苦痛なく
別居親と面会させる
物的施設や
心理的葛藤を鎮める援助者が必要なのである。

その過程の中で、
あわせないことがこの福祉に合致するという例外的ケースを発見し、
面会交流を実現しなかったり、
付添型の面会交流等の厳格な手続きをとる等の
ふるいをかけることができる。


こういうことを法定化しないで、
法律で面会交流したほうがいいですよと定めても
なんの力にもならないだろう。

当然、離婚制度も問題になるだろう。
葛藤を高め、危険性を高める離婚が横行している
多くの人たちが離婚にまつわり
無駄に精神的ダメージを追っている。

子どもが、別居を余儀なくされた親が、
そして死ぬまで逃げているという意識を持たされた同居親もである。

お隣の国でできていることが
日本でできないことはないだろう。
よく学んで、より良い制度を作ればよいだけの話のはずである。

韓国は日本以上に儒教の影響の強いお国であったと理解していたが、
それでも先進国の例に漏らさず、共同親権制度をとっている。
そうして日本のはるか先を行く制度を法律や
そうる家庭法院の規則で実現しているのである。

養育費についても差し押さえと転付命令を一つの手続きでできるようだ。
専門の取り立て制度もあるようだ。

すべては子どもの健全な成長のためである。

最近、配偶者加害の影響を回避するための論者の主張を曲解して、
面会交流原則廃止と必死さだけが伝わってくる論陣を張っている
学者や社会活動家が跳梁している。


よく勉強してから
公的な発言をするべきであり、
そのような発言を繰り返したところで
役所から気に入られるわけではない。

エビデンスがないという前に
アメイトやウォーラスタイン等を勉強し
どのように議論がなされているか
せめて知ってから発言するべきである。



参考文献
家族法と戸籍を考える(50)義務面談,面会交流センターと養育費履行管理院 : 離婚紛争解決の入口と出口に関する韓国の新展開(二宮 周平 金 成恩)戸籍時報 (741), 11-22, 2016-06  日本加除出版
ネット上では読めないようだ。

韓国法における養育費の確保・面会交流センターの実務について 宋 賢鍾 , 犬伏 由子 , 田中 佑季

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00224504-20150928-0130.pdf?file_id=105395






わが子に会えない親の会(仮称)第3回会合報告 [家事]

このブログを読んで、この会を知って、
新たに参加した方がいたので、
これは、報告しなければならないと思って。

先ず、次回は
4月21日金曜日
18時ころから
遅刻可、但し割り勘(但し自己申告で飲み過ぎた人加算)

先日、子どもと離れて暮らす親の人たちの交流会を
仙台駅前の某居酒屋で行いました。

今年に入って毎月行っていますので
3回目になります。

前回からの人や
今回初めての人、
前回来なくて今回の人
皆勤賞の私と
いろいろな人が、
仕事を終わった人から順番に集まってきます。

持ち回りで幹事を決めて、
店を予約してもらいます。
結構他の席と区切られているので、
自由に話をすることができます。

大体一人3000円台に収まります。

あたらしい人が来るたび自己紹介から始めますが、
みんな、仕事から帰ったら
家族と荷物が無くなっていて、
子どもに自由に面会できない
という事情を抱えています。

自己紹介の途中で、
仕事の関係で時間までにこれなかった人が
到着するたびに乾杯をやり直します。
結構、メンタル的につらい人たちが多いので、
また会えたことにほっとして
自然と乾杯ということになるわけです。

離婚をした人、調停中の人
それも様々ですね。

子どもと会えなくなった時期も
千差万別です。

メンバー同士、
自分と違うところを見つけて
慰め合ったり励まし合ったりするところも面白いです。

今全く子どもと会えない人は、
それでも自分は子どもが思春期の手前まで
一緒に暮らせたことを
幸せに感じなければならないなと思い、

4歳の子と自由に会えなくなった人は
それでも全く会えないわけではなく、
制限付きながらも面会できるところに
幸せだと思いなさいよと励まされるわけです。

どちらかというと、
そうやって納得するというよりも、
相手を励ますことによって、
生きていく力を少しずつ取り戻していく
ということでしょうか。

仙台開催なので、
今は宮城県の人たちが中心です。
土地柄なのか、
子どもを連れ去った母親に対する憎しみや
攻撃的発言はあまりないことが特徴かもしれません。

どうすればよかったのか、
今後自分をどのように修正して
相手の変化を修正するか
という視点での建設的な話し合いが
自然と主流になります。

とても素晴らしい。
尊敬に値する話し合いだと感じ入っています。

ただもちろん、
子どもに会いたいという気持ちは、
当事者でなければ話せない言葉で
聞いているだけで、身を切る思いです。

全員が、配偶者暴力のない事案です。
(調停や裁判でも主張されていない)
また、奥さんが離婚の原因になりやすい
三大疾患を抱えています。
大変勉強になります。

当事者の方々は、
そんなことはあまり気にしません。
同じ思いをしている人たちなので、
面倒な説明をする必要がなく、
事実を淡々と話せば
気持ちを分かってくれるという安心感があるようです。

また、相手の気持ちがわかっているからこそ、
空虚な励ましや、アドバイスはありません。
発言一つ一つが相手に対する思いやりに満ちて
ぼんやりと灯りがともるような言葉になっているようです。
だから、厳しい話題なのですが、
にこやかに、和やかに話は進みます。

ブログを見て積極的に参加される方もいるのですが、
私の依頼者とかは、何度誘っても来ない人もいます。

来ればよいのになあといつも思います。

次回参加をご希望の方は、
ブログ左上のプロフィール欄から
あるいはリンク先から
弁護士事務所のホームページを見つけていただき、
ホームページの上のタブの事務所案内をクリックしていただき、
電話番号をお調べいただいて
お問い合わせください。

次回も仙台駅前付近の居酒屋で行います。


私がフェミニストだったら、強硬に離婚後の共同親権を主張するだろうということ。20年先を行く韓国の法制度並みに。 [家事]

突然、ある有名な判決の事件の代理人をした
弁護士の方から電話があり、
面会交流を含めた離婚に関する法制度のことで
しばらく話し込んでしまったのですが、
なかなか刺激的な体験でした。

その中でも話題になったことを、
その後のこちらの調査も含めて少しお話します。

つい2,3日前に思いついた話なので、
まだ持論ともいえないでしょうが、
論を持ったというところまでは言えると思います。

先ず、離婚をした場合に、父と母の
どちらを親権者とするかという法制度では、
特に理性的な考察をしなければ
単独親権制度ということになるのでしょう。

離れて暮らす父と母が共同で親権を行使すると
居住場所にしても、教育方針にしても
離婚しても話し合って合意しなければならないので、
実際は不便だろうということで、
どちらかに単独で行使したほうが
子どもの利益になるだろうという
そういう考えはもっとものようです。

日本においても単独親権制度なのですが、
そういう合理性に基づいた立法とだけも
言い切れないのではないかとそう思いだしました。

もともと日本の戦前の法制度は、
母は原則法的能力がないとされていました。
はっきりとした男女差別の考えですね。

戦前の法制度では、
父系を中心として血統を重んじた概念であるところの
「家」という制度が個人よりも優先されていまして、
個人の気持ちというのが家に劣後していたわけです。

だから戦前の法制度の離婚は
原則として家が気に入らない妻が(嫁が)、
「家」から追放される
というものでした。

もちろん、こういう制度は
日本国憲法における男女平等や
個人の尊厳原理に反するものなので、
戦後日本国憲法の成立に伴って、
民法も改正されました。

ただ、当時は、
まだ、子どもの成長や、子どもの人格
ということを法律に反映するということが
世界的にも遅れていましたから、
日本においても、あるべき離婚後の親権制度については
従来の離婚の制度を部分的に手直しする
という範囲での改正でした。

即ち、
封建制度の単独親権制度が
単に男女平等という観点だけから修正され、
子どもの権利や、子どもの健全な成長
という観点からの修正までは及ばなかったことになります。

両親が離婚してしまうと
子どもがもう一方の親とはなかなか会えない
ということは続いたわけです。

これまで母親が差別されて、子どもに会えない状態だったのが、
子どもに対して寂しい思いをさせる加害者が
平等の立場になったにすぎません。

時代的な限界なので、当時の立法を批判するわけではありません。

ただ、子どもがどちらかの親の単独親権に服す
ということは、
単に離婚が男女に葛藤をもたらせ持続する
という普遍的な事情の陰に
封建制度の残存物という側面があることを
現代人は認識しなければなりません。
しかも、性差別に根差した残存物だったのです。

男女平等の観点から現行制度をもう少し見てみましょう。
高度成長期以前は、家イデオロギーや
女性の働く環境の劣悪という諸条件から、
離婚後に子どもを引き取るのは父親が多かったようです。
家イデオロギーの希薄化に伴って、
高度成長期以後は母親が引き取るようになりました。

しかし、いまだに家イデオロギーのように
気に入らない嫁を追い出す悲惨な事件が無くなってはいない
ということを忘れてはなりません。
また、収入が低いということから
泣く泣く父親に子どもを預けて離婚している事例も多くあります。

あたかも封建イデオロギーに基づく単独親権制度で、
子どもを引き取りやすくなっていた男性が、
男女平等で逆に子どもと引き離されるように、
単独親権制度の恩恵を受けていた女性が
同じ女性の子別れを作り出してしまっている危険がある
ということを忘れてはならないのです。

但し、本当に女性は「恩恵」を受けているのでしょうか。
単独親権制度は合理的なのでしょうか。

そもそも、離婚後に女性が子どもを引き取るべきだ
という考えはどこから来るのでしょう。
子どもと離れたくないという気持ちは男女共通です。

現在のアタッチメントの理論は、
ともすれば、性差による役割分担の考えに基づいている危険があります。

アタッチメントの理論を提唱したボウルビーは、
必ずしも母親とのアタッチメントが不可欠だとは言っていません。
胎内記憶とアタッチメントというくくりでは
理論づけられているわけではないようです。

産後直後は母体の回復の必要がありますから、
母親が専従子育て者になることに合理性はありますが、
「母体が回復してもなお、母親が職を持たずに子育てをしなければならない」
ということは、性差による役割分担の主張だ
ということになるはずです。

裁判所は、現実の男女の労働条件や賃金格差を
現状追認的に肯定する傾向があります。

何が何でも、子どもが小さいうちは
母親が育てるべきだという考えが
性差別による役割分担論だとすると
離婚後も、主たる監護者である母親を親権者とするべきだという考えは
性差別による役割分担を現状追認する敗北主義的な主張
だということにならないでしょうか。

離婚後も母親が親権者になるべきだという考えがあります。
日本の親権者は、監護権、法定代理権があります。
一般的には親権者が子どもと同居して、
働きながら子どもを育てるということを余儀なくされるわけです。
それが母親でなければならないという主張があります。

その中の一つには、父親は、外に出て働いて、養育費を払えばよいのだという考え、
ないし感情があるようです。
まさに、封建イデオロギーの性差による役割分担の主張です。
この本音が、むしろ、男女平等を訴える側から出されていることが少なくない
ということは私の認識がおかしいでしょうか。

それから、母親が子どもを育てるべきだという考え方も
母性信仰という極めて古典的な女性蔑視ではないでしょうか。

この考えで行くと離婚後父親は孤独を抱えながらも自由に生活ができ、
再婚するチャンスも多いわけです。
これに対して、離婚後の母親は、
子どもの弁当を作り、幼稚園などの送り迎えをして、
さらに食事の準備から身の回りの世話をして
ということになり、
子どものためばかり時間を使い、
自分という一人の人間であることを否定されているような
そういう状況にあるわけです。

母性信仰に離婚後の女性を縛り付けているのは
男女、どちらが多いのでしょうか。

男性が親権を持つのか、
女性が親権を持つのか
二者択一的な選択肢は、
子どもの健全な成長という視点が欠落しています。

同じ儒教の国である韓国
離婚後は共同親権です。

民法などが改正されて、
離婚の時には裁判所が後見的に
離婚や親の葛藤が与える子どもへのマイナス影響
等のレクチャーが公的になされていますし、
養育費や面会交流の定めを書面にする義務があります。
それが不十分である場合は
是正を求められたり、裁判所が定めたりするようです。

面会交流センターというものも
日本でいう家庭裁判所の中にあり、
面会交流支援や引き渡し支援など
子どもの健全な成長のためのサービスが運用されています。

子どもという次世代の国家を担う者への
国家的配慮がなされているわけです。

日本は未だに、
子どもの健全な成長とは何かということについて
理解が進んでいないようです。
親子断絶防止法案を見ても、
精神論ばかりであり、具体的なことは
子どもの意見を尊重して面会交流を進める
ということぐらいです。

何も学習せずに、
子どもの成長など掛け声だけだということが
韓国の法制度と比較すると歴然です。
感情の対立を放置し
国家が子どもの健全な成長の観点から
後見的に、面会交流を進めやすくする
という肝心な点がきわめて抽象的です。

そうして、現在の離婚制度が
極めて女性蔑視、女性の役割論に基づいている
ということは、一切考慮されていません。

韓国と比べても
20年くらい日本は遅れている
といわざるを得ないようです。

この20年の遅れは、現在の評価です。
日本が子どもの健全な成長のための理性的な改革がなされない以上、
時がたつにつれて遅れの期間が増大していくことになります。

残念ながら、役に立たずに弊害ばかりの
親子断絶防止法が
せめて、オープンな議論が始まるならばともかく、
こっそりと提案されるだけであるならば、
取り返しのつかない遅れが確定してしまうような危惧があります。


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