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妻が、ある日突然、子どもを連れて家から出て行ってしまわないための究極の方法 [家事]

第1章 なぜ妻は子どもを連れて突然出て行くのか

 1 根源は漠然とした不安
   はじめは、何となく不安だということから始まります。
   原因が良くわからないけれど不安だということから、
   だんだんと
   「自分だけ独りぼっちになる」ことが怖いとか
   「自分だけが損をしている」
   そんな感覚的なことのようです。

   「この不安の原因が夫だ」とか
   「夫がいなければ不安が無くなるだろう」
   ということで、「夫から離れよう」
   という気持ちになるようです。

 2 出て行くことの構造
   「不安素因」に、
   「外部的要因」が重なることで不安が大きくなり、
   「アドバイス」という要素が
   不安の原因を夫と特定して、
   子どもを連れて出て行くという結果につながることになります。

 3 不安素因
   これは主として、妻側の体調のようなものです。
   出産に伴うホルモンバランスの変化
   甲状腺機能亢進症、低下症のような病気、
   性格に近いようなもの
   年齢的なものとしか言いようのないこと、

   これら、誰が悪いというわけではなく
   結果として不安を感じて苦しんでいる
   ということが基本のようです。

 4 外部要因
   不安を高める要素として
   夫の収入や雇用の不安定さ
   子どもの障害等の事情
   その他、福島原発の放射能に対する恐怖
   などということも不安を高める要素のようです。

 5 アドバイス
   行政、警察が、奥さんが不安に苦しんでいるのを見ていると
   とりあえずDVを疑い、
   偶然的な接触を暴力でDVという場合があったり、
   何もなければ日頃のちょっとした言動が
   精神的DVだということで、
   不安の対象が夫だということになることがあると思います。

   実母等が、夫に原因を求めて
   自分の元にかくまうということも
   あるようです。
 
 6 その結果、妻は、夫と同じチームだという意識がなくなり、
   夫は敵対的な存在だと意識するようになり、
   客観的事情をはなれて、夫を怖がる傾向になるようです。

第2 夫が身につけるべき心構えと対策
 1 出産について
   出産後多かれ少なかれ人格が変わる女性は結構いらっしゃいます。
   攻撃的言動が増えてくるのですが、
   攻撃や怒りは、危険と感じる対象を
   叩き潰すことによって回避するメカニズムです。
   根源は、不安を感じ易くなっているのです。

   これは、本人の努力だけではどうしようもないことです。
   怒りを表現するほど不安があるのだから、
   むしろ夫は、最大限のねぎらいをかけるべきです。
   決して、理由なく攻撃的になっていることに
   怒り返してはいけないわけです。

   子どもじみた夫の言い分は共通しています。
   「だって俺は悪いことをしていない。」

   そんなこと言ったって、
   妻も何も悪いことはしていません。
   理由ない攻撃が悪いことだとしても
   その原因はホルモンバランスの変化にあるのかもしれません。
   妻の人格に原因があるわけではないのです。

   出産をなかったことにするわけにはいかないのです。
   そのような人間が変わるような苦労をしていただいた結果
   愛するわが子がこのように出現してきたわけですから、
   感謝こそすれ、怒って良いはずがありません。

   出産後、妻は夫に八つ当たりをする
   これは生きとし生けるものの共通であり、
   その最たるものがカマキリなのでしょう。

   八つ当たりをされても心を動かされない
   一夫一妻制とはそういうものだと思うべきです。

 2 妻をほめることで、ようやくプラスマイナスゼロになる。
   不安を抱くことに理由はありません。
   とにかく、普通に接していても
   悪く悪くとられてしまいます。
   冗談でからかっても、
   「夫はそれが原因で離婚を考えている」
   と受け止めてしまう危険があります。

   「けなすなんてしていない」
   と考えて身に覚えのない人は、
   褒めていないことに、ちやほやしていないことに
   思い当たるべきです。

   不安を抱く妻は、
   褒められているか、攻撃されているか
   どちらかしか感じない、中間なんてない
   と考えるとわかりやすいです。
   あなたが、褒めもけなしもしていないのならば
   それはけなしていると受け止められていると
   考えた方が無難でしょう。
   中間はないのです。

 3 良いとこ探しが人生さ

   「うちの妻には褒めるところが無い」
   なんていう罰当たりなことをいう人は、
   おそらく子供の育て方にも失敗するでしょう。
   思春期を乗り切ることは無理だと思います。

   その気になれば、何で褒められるのです。
   ご飯を作ってくれれば褒める。
   味がおいしくなくても、作ってくれたことに褒める。
   一つでもおいしい料理があれば
   徹底して褒める。

   褒めて誘導していくということです。
   褒められればうれしいので、
   また同じようなことをするわけです。

   これは誰でも一緒です。

   自分のアドバイスで実現したとしても
   手柄は妻に持たせましょう。

   最近の子どもじみた大人たちは
   手柄を譲ったり、
   わざと負けてあげたり
   という日本古来の美徳が身についていないようです。

 4 こうあるべきなんて勝手な話は捨てる

   例えば、料理はきちんと栄養がありやすくてうまいもの
   を作らなければならない
   なんて身勝手な発想はやめましょう。
   病気にならなければ良いんです。

   掃除はチリ一つ落ちていないようにしなければならない
   なんてことも思わない方良いでしょう。
   自分で掃除できるならばですが。

   できないことを怒らない
   これが基本ですね。
   
   できるところをほめていく、
   押しつけがましくなく自分でやる。
  
   夫はパートナーであって
   親でも先生でもないのです。
   ここを勘違いしている人が多いように思われます。

 5 それは自分の本能との闘い

   人間の生きていく本能として、
   危険を取り除いて命を長らえるというものがあります。

   何らかの不具合が余計は、敏感になり脳が警告を出します。
   良いところは、
それで良しで終わるので脳は警告を出しません。

そのために、悪いところばかりが目について
   相手の努力などはスルーするのが、
   本能的な行動ということになります。

   それでは、相手の不安のスイッチを押しまくってしまいます。

   悪いところに目をつぶり、
   良いところを積極的に見つけて褒めましょう。

   それは、意識しないとできないという理由があることだったのです。

 6 失敗や弱点に目をつぶってこそ仲間=帰属意識

   失敗は必ず起こります。
   弱点は人間に必ずあるものです。

   そういうウイークポイントを責めない、笑わない、批判しない
   もう一つ説教しない
   ウイークポイントは本人も自覚があります。
   だから、そのことをいじられることは、
   かさぶたをはがしていじられているようなものです。

   逆にウイークポイントをカバーされれば、
   この仲間のために貢献しようという気持ちが
   起きてくるものです。

   そうすると、不安になればなるほど
   あなたの元にとどまろうとするものです。

 7 自分と同じ事をしていても自分以上に努力しているかもしれない。

   例えば、妊娠を経験すると
   人によっては、床に落ちているごみを拾うことも
   出産後もおっくうになることがあるようです。
   だから、ゴミを拾うことだって、
   あなたには簡単なことだけど
   子どもの母親はあなた以上に努力をしないと
   できないことなのかもしれません。

   機嫌よく話していても
   本当は不安に苦しんでいるけれど
   家族のために笑顔を作っているのかもしれません。

   そこを褒めましょう。
   「笑顔がいいね。癒されるね。
    家に帰ってきたという気持ちになる。」
   そりゃあ、無理にでも笑顔でいようと思うようになるかもしれません。
   
   一緒にいることが楽しいということは
   そういうことなわけです。

 8 意見を言うことは可
   では、すべて妻の言うとおりに生きるのか
   と大上段に嘆く人がいると思いますが、
   意見を言うことはとても良いことです。
   但し、そういう時こそ、笑顔を作って、
   敵意のないことを示しながら話す必要があるようです。
   そしてサラっという。ということになりそうです。
   情報を伝達するより、余計な感情は伝達しないということですね。

以上、なんか皮肉めいたことを言っている
と読まれた人もいるでしょうが、
   全部本気で言っています。

但し、全部が全部できなくても、頭に入れておけば
悪いことは起きにくいでしょう。
例えば、相手が努力して機嫌よくしているのに
それに対するカウンターのような「からかい」はしなくなるはずです。

   男性だけ不平等ではないかという意見もあると思うのですが、
   そもそも命がけで子どもを産むのは女性だけです。
   これに勝る不平等はないのではないでしょうか。

    あなたが子どもを愛しているなら、
    子どもを命がけで生んでくれた妻に感謝をするべきですし、
    感謝をするということはこういうことのようだということが
    数々の事例からわかり始めたということになります。

    仲間とは、チームとはこういうことなのでしょう。


第7回わが子に会えない親の会の報告 [家事]



7月も例会はありました。報告が遅れていました。
結構熱く語っていたため、つい飲み過ぎて、
あまり覚えていなかったというのが
正直な理由です。

覚えている範囲でのご報告ですが、
7人の参加でした。

毎回参加する人(私もそうですが)、
久しぶりの人、
初めて参加する人がいるのは
いつものとおりです。

幹事さんや私から、
欠席の人のメッセージ伝達などがありました。


例会に参加していなくても、
自分の集まりだという想いを持っていただいていると感じて
私もうれしくなります。

メンバー同士で携帯電話番号を交換している人もいて、
会場に電話をよこして、
一部電話で参加というのもありました。


今回は、うれしいお知らせと残念なお知らせがありました。

嬉しいお知らせというのは、
今回初めて参加される方が、
なんと南関東から
わざわざこの集まりのために、
泊りがけで仙台にいらっしゃったことです。

子どもと別れて間もないということで
情報を集めにいらっしゃったようです。

ネットでの情報収集はしているようなのですが、
ネットでの情報は、どうしても断片的にならざるを得ず、
読み方に注意する必要があります

情報というものには、
メリットデメリットがあることがつきものなのですが、
読み手の能力に合わせて書いているわけではないので、
受け手が上手により分けて、
自分に活かす必要があります。

そういう意味では、こういう会に参加することは、
実体験に基づいたアドバイスを聞くことができますので、
情報の取捨選択もアドバイスを受けることができますし、
別の観点からの情報も入手できる可能性もあります。
とても有益だと思います。

どなたも初めてお会いした時は、
かなり落ち込んでいて、
口数も少なかった人ばかりなのですが、

二回、三回と参加されているうちに
堂々と自分の体験を語って
何とか仲間の役に立てばということで、
情報と勇気を分けあっています。

しかも、自分の体験を踏まえてなのでしょう、
決して押し付けることをしないということは
いつも感心しているところであります。

残念な話題の方ですが、
今回初めて女性の方が参加するはずだったのですが、
というか、
会場までいらっしゃったのですが、
店が気か利かなかったことと、
私と主催者が打ち合わせ不足があって、
席に通されなかったというハプニングがあり、
出席かなわなかったことです。

あとで、気転を利かしていただき、
店に電話をしてもらい、
連絡がとれて事情がわかりました。
まずは安心しました。

次回は、
8月25日金曜日
6時30分から
初参加の方は、
土井法律事務所(022-212-3773)
までお問い合わせください。

第6回わが子に会えない親の会 ただひたすら優しい時間が流れる理由の分析 [家事]

けっこう安定して開催されています。
予約した席が足りなくて結構ぎゅうぎゅう詰めでした。
初めて参加の方もまたいらっしゃいました。

青森関東からの参加者もいらっしゃいました。

初めての方がいつもいるので
いつも自己紹介をします。
名前を覚えることが苦手な私も
ようやく名前と顔が一致してきました。

今回の初参加の方のお話が、
とてもひどいお話で、
みんなで熱心に聞くという時間が長かったと思います。

初参加の方も
複数の人に
自分の話を理解されながら聞いてもらうという
そういう体験に驚きながら、喜びながら、
安心しながらお話されていました。

この件についてはいずれご報告ができると思います。

ほとんどの人たちが、
自治体や、警察、あるいは裁判所から
精神的虐待をしたとレッテルを張られた人たちです。
確かにいろいろと特徴のある方々かもしれませんが、
人の話を聞くときの表情や相槌を見ていると
なんとも優しい人たちなのです。

間違いなく、人間として大切な
インテリジェンスを兼ね備えている人たちです。

どうして、こんなに優しい時間を感じるのか
今回考えてみました。

一つは、

当たり前の話なのでしょうけれど
みんながみんな
誰かの失敗談を
笑わない、批判しない、否定しない
という態度が貫かれていることだと思います。

それぞれ事情があって
やむにやまれず今の立場にあるのですが、
追い打ちをかけるような人がいない
だからみんな安心して話ができるのでしょう。

二つ
「こうすればうまくいくからこうしろ」
「これを解決するためにはこれをしなければならない」
ということもありません。
押しつけがましく言われることは
それをしていないことに対する
否定評価を受けることなのかもしれません。

相談事が持ちかけられることが多くありますので、
提案や、アドバイスは頻繁に行われますが、
あくまでも、一つの選択肢として
あるいは情報として
提供されるにとどまります。

どうしてそういう態度を
打ち合わせもしないのに取れるのか
この理由についてはもう少し考える必要がありそうです。

だから初めて参加した人も
自分のことを分かってくれる場所
自分のいるべき場所
と、安心してもらえるのでしょう。

わざわざ遠方からホテルを予約して
駆け付けられるのかもしれません。

優しい時間の理由の3点目ですが、
奥さんなどの悪口をいう人が少ない
ということがあるかもしれません。

それはつらい目にあわされているのですから、
文句は出ます。
それはひどいという共感も示されますが、
結構多くの参加者が、
なぜ、奥さんがそういうことをしたのか
理由を考え始めています。

もしかしたら、いっぱいいっぱいだった
という事情があるのかもしれないと
考え始めている
自分を悲しませた相手に
それでもなお、愛情を注いでいるのでしょう。

お酒が入っても
あまり攻撃的な感情が飛び交うことはありません。

みなさんが望んでいるのは
攻撃ではなく、解決です。
それがかなわないのならば、前進や修正を望んでいるだけです。

話を聞いてもらえるだけで
目を潤ませている当事者の方々をみるにつけ
このような不合理な悲しみを押し付ける
力に対しての
静かな怒りが
涙の様に胸の内を流れるのです。


次回は平成29年7月14日金曜日6時半
参加ご希望の方は土井法律事務所(仙台)までお問い合わせください
大体4千円くらいでいつもすんでいます。

不合理な離婚、子連れ別居の源流は、昭和62年の最高裁判決にあるのではないか。その効果は離婚意思が有れば離婚が認められるという野蛮な制度になっているということ [家事]

昭和62年9月2日、最高裁判所大法廷は、
浮気をして別居した夫からの離婚請求を認めた。
いわゆる有責主義から破綻主義に移行したとされる判決である。

私はこの結論自体にも反対だが、
さらにこの破綻主義が独り歩きして、
裁判所においても日本の家族制度の破壊が
行われ始めていると感じている。

連れ去り別居、離婚とも関連するので、
記録にとどめたいと考えた。

<最高裁の事案>

最高裁の事案は、70歳の夫婦の事案である。
子どもができず二名の養子を迎え入れて平凡に生活していたが、
結婚12年目に夫が浮気をして、それが発覚し
夫は浮気相手と同棲するようになった。
また二人の子どもをもうけて認知をした。

その後34年を経過して
夫は二つの会社の代表取締役、不動産会社の取締役
として経済的に安定した生活を送っている。
妻は、人形店に勤務などしていたが
裁判時には無職になっていた。

また、上告人の主張だが、
夫は全財産を妻に給付したという事情があると主張している。

<最高裁の判断>

不貞をした夫からの離婚請求を事実上認めた。
(破棄差し戻し)

<最高裁の論理不貞の場合でも離婚を認める場合>

それまで日本の裁判所では、
離婚(回復しがたい婚姻破綻)の責任のある方
(本件では浮気した夫)からの
離婚請求は認めてこなかった。

本最高裁判決は
責任がある方からの離婚請求でも
二人の間が回復しがたい破綻状態にある場合は、
離婚を認める
という舵を切った判決ということになる。
法律は何も変わっていないのに
裁判所が法律の取り扱いを変更したことになる。

但し、無条件に有責配偶者の離婚を認めるのではなく、
条件が付いている。
1) 夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及ぶこと
2) 夫婦の間に未成熟の子が存在しない場合
3) 離婚の相手方が、離婚により、
   精神的・社会的・経済的に
   極めて過酷な状態におかれる等
   離婚を認容することが著しく社会正義に反しない場合
 この判決では、このような条件を付けたはずだった。

<最高裁の理由>
上記の条件付きながら、最高裁が
有責配偶者からの離婚を認めた理由は以下のとおり

1)有責配偶者からの離婚を認めないと法律に書いてない
2)夫婦という実態がないことを法的に追認するべきだ
a)夫婦とは、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯に共同生活を営むものである。
b)一方又は双方が、
この意思を確定的に喪失し、
夫婦としての共同生活の実態を欠いて
回復の見込みが確定的にない場合は、
夫婦としての社会生活上の実質的基礎を失っている。
 C)その場合に戸籍だけ夫婦というのは不自然
3)但し、正義に反することを認めてはだめだが、
  上記条件があれば正義に反しない

こういう理屈である。

<私の最高裁判決批判>

1 実態は悲惨な結論を招く
  弁護士をやっていて、この判決以降
  有責配偶者の離婚請求あるいは
  責任のない配偶者に対する離婚請求が
  裁判で認められるようになってきたように思います。
  具体的にどういうことかは後で述べます。
  
  この最高裁判決までは有責配偶者からの
  離婚請求は認められていませんでした。
  破たんの責任のない配偶者は
  離婚をされない権利が保障されていたことになります。
  ところが、この判決以降、
  自分が悪くないにもかかわらず
  裁判所から、自分が離婚したくないという気持ちを
  無視され、圧殺されるようになったしまったのです。

  これは、離婚を請求された方にとっては
  青天の霹靂です。
  精神的にかなりのショックを受けます。
  何も悪いことをしていないのに、
  相手の心変わりによって
  離婚を国家から命じられるということなのです。

  言われた当事者を目の当たりにすると、
  この判決の妥当性にははなはだしい疑問があります。

2 判例変更の根拠が薄弱である事

 a)
  これまで有責配偶者の離婚請求を
  裁判所は認めてこなかったわけですが、
  その時から有責性はだめだと
  法律には書いていませんでした。

  法律に書いていなくても
  裁判所の判断が確立していれば
  みんな、争っても裁判所ではこうなる
  ということを予想して争いをしていたわけですから
  書いてないから良いよということは
  あまり説得力はないと思います。

  これを最初に述べること自体が
  自身のなさの表れのように感じます。
b)
  次に、最高裁が考える夫婦ですが、
  「夫婦とは、永続的な
   精神的及び肉体的結合を目的として
   真摯に共同生活を営むものである。」

  私は、これ、余計なお世話だと思うのですけどね。
  皆さんどうお思いでしょう。

  いろいろな人間が夫婦という人間関係を形成するのですから、
  夫婦のかたちとは様々あって良い
  というのが民主主義的な考え方だと思います。

  精神的結合のかたちも様々ですが、
  肉体的結合ということは必ずしも条件ではないでしょう。
  肉体的条件、精神的条件、あるいは年齢的条件から
  それらの目的を必ずしも持つわけではない
  と思うのです。

  勝手に夫婦像を作って、
  それに会わなければ法的保護の対象外だというのは
  あまりにも冷酷な印象を私は受けます。
  誰が夫婦をこういう風に決めたのか
  何を根拠に行っているのか
  疑問が大きいところです。

 C)
 「一方又は双方が、
  この意思を確定的に喪失し、
  夫婦としての共同生活の実態を欠いて
  回復の見込みが確定的にない場合は、
  夫婦としての社会生活上の実質的基礎を失っている。」

   実はここが曲者であり、要注意のところです。
   一方が確定的に、肉体的結合を目的としなくなって、
   なおかつ共同生活をしていない場合は
   社会的に夫婦と言えないよ
   ということなのですが、

   一方当事者の「意思」を強調しているところは
   この判決の後の裁判実務に
   大きな影響を与えているところです。

   社会的に夫婦と言えるかどうかと
   そうした責任のある者の
   「離婚したい」という気持ちを
   相手の
   「離婚したくない」
   という気持ちを圧殺しても認めるかは
   大きな壁で隔てられてきたはずなのです。

   社会実態が変わったわけでもないのに
   判例を変更するのにもかかわらず、
   この社会実態が理由となることは
   理解をしかねるところです。

   籍をそのままにするのが不自然だとしても
   籍を抜くことが許されるべきかという問題とも
   同じように連動しないと思われます。

3 最高裁判決後の裁判実務
   
最高裁判所が示した破綻主義は
(有責配偶者からの離婚請求を認めるという考え方)
すでに破綻主義の枠を超えて、
独り歩きを始めています。
現状では、一方当事者の離婚の気持ちが固い場合
ほとんど離婚が認められる傾向になってしまっている
という状態です。

先ず、客観的に共同生活をしていないということが
必要なはずだと思われるかもしれません。

しかし、別居してほどなくして離婚調停を申し立てても、
離婚調停を開催し、裁判を続けていれば
あっという間に2年くらいたってしまいます。
裁判所は、2年を経過したことをもって
「客観的に共同生活が営まれていない」
と判断するケースがあります。

ほとんどそれだけ、つまり、
離婚したいという意思があって
別居さえすれば
離婚が認められてしまいます。

我々古い法律家の感覚からすると、
同居時に起きた破綻を示すエピソードは
あまり必要とされていないようです。
相手方はいろいろなことがあったというのですが、
重要視していないので、
あまりきちんと調べたり、
証拠法則に則って認定することはありません。
これが言った者勝ちの原因なのではないでしょうか。

未成熟の子どもがいても
子どもを養育することができれば
ノーカウントとされているような気がします。
相手方が生活が困難な状況は確かにないでしょう。
だって、別居で一人暮らしを余儀なくされているのだから、
これからだって同じだから
生物として生きていくだけならなんとなかるはずでしょう。

最高裁判所の判決の中に
こうなることの卵のようなものがありました。
   
「一方又は双方が、
この意思を確定的に喪失し、」
という部分です。

破綻主義と言いますが、
結局は、離婚したいという意思が強いならば
破綻と認めることになるのですから、
もはや「意思主義」と呼ぶべきなのです。

他国においては、このように意思主義で離婚を認めても、
アメリカの多くの州等先進国では
離婚後の子どもの養育計画書を提出させたり
レクチャーを受けたりという手当てもありません。
もはや自由に、相手方や子どものことを決めなくても
離婚できるという野蛮な国が日本なのです。

他にいろいろな制度を作って
離婚に伴う不具合を整備して破綻主義を採用した
先進国とは異なり
破綻主義で離婚ができるという結論だけを
真似しているのが日本の裁判所だと
非難するべきだと思います。

4 最高裁判所判決以降の調停実務
   
これが最高裁判所の判決の影響か
元からこういう傾向があったかについては
自信がないところですが、
  
この最高裁判決以降に弁護士になった私としては、
まだ、弁護士になりたてのころは
離婚について、人情の機微に触れるような
調停委員の先生方の対応があったように
思います。

最近の調停は、
申立人の離婚の意思が固く、
相手方が離婚の意思が無い
ということが確認できれば、
もう調停は打ち切って裁判にしようとします。

話し合いは、
離婚を前提とした養育費や財産分与
慰謝料の額だけだと決めつけているような気がします。
違いますか?

日本の法律では
離婚裁判をするときは、
必ずその前に調停を申し立てなければなりません。
(調停前置主義)

表面的な離婚意思の言葉はともかく、
いろいろな離婚後の派生効果等を一緒に考え、
離婚ということは避けられない結論なのか
ということを確認することによって、

一つは、やり直しの方策があれば
それをひとまず追及するということもありますし、

離婚という結論が避けれない場合でも
相手の真意を砕いて説明を受けることによって
ある程度は納得して離婚に応じることができる
離婚が不可避ならば
円満に離婚ができたということがあったように思います。

こういう作業は、当事者の精神衛生上も
離婚後の子どもの養育についても
無駄ではなく有益だったと思います。

昔の調停委員の先生が告げる
相手方の離婚の意思の説明は
重みがあり、絶望感もうけますが
新しい将来に目を向ける効果もありました。

いろいろな調停委員の先生がいますが、
今は、とても軽いような気がするのは
私だけでしょうか。

離婚条件について話し合いができるかどうか
だけでの調停ならば、
わざわざ調停を前置する必要もないと思います。
こういう調停ならば
単に訴訟を増やさないための下請けのような気がしまう。
要するに裁判所の利益のための家事調停です。

そうではなく、離婚は、
家族という人間の営みの基礎となる重要な
対人関係の解体ということだから、
なるべく当事者の納得のゆくところで結論を出し、
軽々しく国家が家庭に介入しない
という理念があったはずですが、
今は形骸化しているように思われます。

家庭裁判所で、離婚調停や訴訟で
事故が起きやすいのは、
このように、自分の人生を
裁判所の都合で形式的に処理されていると
感じる人が増加していることに
原因があると私は思います。

その気はないと思うのですが
人を馬鹿にしているのです。

5 連れ去りアドバイス
 
こういう裁判実務、最高裁判所の判決を
少しずつ取り入れていったのが、
一部にいる
連れ去りアドバイザーなのでしょう。

別居して離婚したくないと言えば
裁判で離婚ができる。
調停等で話し合うとぼろが出るので、
すぐに調停を不調にしたり取り下げて、
離婚訴訟にしてしまいましょう。

だから、先ず、別居することが第1です。
連れ戻されると、
「あなたは、また夫のところに戻るでしょうから」
居場所を相手に隠して別居しましょう。
   
子どもと別れたくないならば
子どもは一緒に連れて出てください。

学校を転校させたり
親に会わせるわけにはいかないけれど
「あなたが幸せにならないと
 子どもは幸せになりませんよ。」
 子どもにつらい思いをさせても
 連れて出てください。

子どもを育てるためにはお金が必要です。
こういう気持ちにさせたのは
相手の責任が大きいのです。
相手に何らかの虐待があれば
慰謝料が高額になるのですが・・・
どうしますか?

ちなみにここにあるのが
保護命令申立書です。
簡単でしょう?

「あなたは、意志の弱いダメな人間ですから
 放っておくと夫と連絡を取るでしょう。」
 だから携帯電話は預かります。

離婚制度の変遷の中で、
責任もなく離婚を強いられる大人、
わけのわからないうちに両親が別居して
もう一人の親と会えなくなる子ども、
そうして、自分のことを自分で決められず
軽蔑されながら、上から目線で
あれこれと指示されたように動かなければならない女性

いわれたとりやったのに
ろくに慰謝料ももらえず
話が違うといっても
どうすることもできません。
   
このような離婚制度の闇は
最高裁判決がもとになっている可能性があるぞと
今考えている次第です。

わが子に会えない親の会 第5回報告 [家事]


今年の1月から毎月1回ずつやっているので、
5月ですから第5回を数えました。

今回は私を含めて9名の参加です。
初めて参加される方もいらっしゃいましたし、
久しぶりの参加の方もいらっしゃいました。
どちらもみんなが大歓迎されました。
こういうユルいところがこの会の持ち味ですね。

10年近く前に離婚された方、数年前だという方、
今離婚調停中だという方
事情は様々なのですが、
子どもに会えていない親という共通項があります。
今のところ、男性ばっかりです。

世間の面会交流の事情を報告しあったり、
2週に一度の面会交流を頑張っていたら、
裁判官も、
「最近は、そういう傾向にありますよ。」
と相手を説得してくれたという情報だとか、

どこどこの家で、
子どもが勝手に戻ってきちゃった
という情報が入れられたりと
勉強にもなりますし、
希望にもつながります。

とにかく、他の団体さんからすると
何もしていないのではないかと言われそうなところが、
われわれのウリということになると思います。

それというのも、
ただでさえ、わけがわからないうちに苦しい立場に
突き落とされているのだから、
仲間内だけは、仲良くやろうということで
集まっているからです。

この立場の人たちは
孤立しています。
会社などの日常生活は送っているのですが、
一番語りたい気持ちを
語れる場所がないのです。

語っても理解されないことが多いようです。

最近では、
子どもと別居している親は
その親に主たる原因があるという
心無い非科学的な知ったかぶりの論調があり、
さらに傷つけられているところです。

この場所は、
一番語りたいことを語ることが歓迎されており、
全員がその気持ちを理解してくれるという場所です。
話すことによって、
気持ちや行動を整理する人も少なくありません。

また、語りたくなければ語らなくてもよい。
酒を飲みたくなければご飯を食べればよい。
何かをしなくてはならないということがない
そういう会でなければならないという意味では、
メンバーに価値観を押し付けてはだめだ
という決まりごとはあるのかもしれません。

音楽鑑賞が趣味という人もいれば、
人の歌は聞きたくない自分が歌う
という人もいるでしょう。

一緒に歌って方が楽しいよ
と言ってみるのは子どものうちです。
大人になってしまうと、
自分のやり方がある程度できちゃっているのだから、
それを尊重することがエレガントではないでしょうか。

生きているのに子どもと会えない
そういう方々の居場所なのです。
いづらい気持ちが出てきてしまうことが
一番の問題なのだと思います。

第5回は、関東からも2名ご参加いただきました。

次回は6月23日金曜日6時半です。
仙台駅前の某所で行われます。
お問い合わせは土井法律事務所まで
022-212-3773

なぜあの人は、人の話をろくに聞かないくせに、都合の悪いことを言うとこちらが怒鳴ったと抗議するのか。もしかしたら感覚過敏かもしれない。「自閉症の世界」感想文4 with NHKスペシャル「発達障害」 [家事]


私が「自閉症の世界」を読んでいる時、
都合良くNHKスペシャルで、
「発達障害 ~解明される未知の世界~」
という番組を放送していました。

あの竜頭蛇尾に終わった産後クライシスの時の
二人の司会ということでちょっと心配したのですが、
(なぜそんなことを言うかについては
 「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

とても興味深く、見ごたえのある番組でした。

ただ、自閉症については
やや感覚過敏に偏っているかなと思いつつ、
その分十分なプレゼンがなされていてよかったかもしれません。

ここで聴覚過敏ということについて
大変興味深い映像と音声の説明がありました。

自閉症の人の音声の感じ方ということなのですが、
これは番組を観ていただくしかないのですが、
(なんとかというNHKの見逃しチャンネルとか。
 この週は翌日のクローズアップ現代も、
 引きこもりの自立ビジネスの弊害を取り上げており
 お金を払う価値があるかもしれません。)

いわゆる普通の人は、
自分に必要な音と不要な音を無意識に区別して、
不要な音を聞かないというか、
意識の外に放り投げることをしているというか、
音がしないものとして扱っている
ということらしいのです。

この前書いた大雑把に受け止めるという力技を使えるのです。

ところが自閉症の人は、このように大雑把になれず
聞こえる音のすべてを聞いてしまう
ということらしいのです。

だからスーパーマーケット買い物をすると
パチンコ屋のじゃらじゃらした音の洪水の中にいるような
いたたまれなさを感じているみたいです。
(パチンコをしている人は、あまり気にならない)

だから、話し相手の声だけに集中することができない理由があるそうです。
例えば喫茶店で1対1で話していても、
その人の声とほかの人の声や車の音やエアコンの音、調理の音、サーブの時の音
等が平等に聞こえてくるために、
その人の声がよく聞き取れないということになるようです。

ただ、私は、結局、人によって、音の聞こえ方が違うのだ
と理解するべきだと感じました。

ある特定の音が苦手だということも
人によって違うようです。
例えば、私は人がかけている掃除機の音が苦手です。
できるなら別室に行くか外に出たくなります。
でも、自分で掃除機をかける時は、
それほど嫌な感じはしません。

もしかしたら、人によって、
台所の水仕事の音が嫌だったり、
ガスコンロの音が怖かったりするのではないかと
番組を観ながら思うようになりました。

あるいは食器のぶつかる音とか扇風機の音が
どうしても気になってしまい、
こちらの話す声が聞こえないということもありそうです。

こちらの感覚からすると
「こちらの声が相手に聞こえないはずがない」
と思うわけですが、
案外、相手にとっては
意味を持った言葉としては聞こえていない
ということがありそうです。

それから、夫婦問題で、妻側から
「夫がよく私のことを怒鳴る」という訴えが出されます。
普段の限定された私と夫との付き合いからは
直ぐに信じられないほど、穏やかな話し方をする人もいます。
(但し、地声の大きい人も確かにいます。)

一つには、実際に妻の前だけ人格が変わる人もいるかもしれませんが、
もしかしたら、妻の方が、夫の声に過敏に反応している
という可能性がありそうなのです。

特に、時々自分の問いかけに応えないので、
「ことによると耳が遠いのではないか」と誤解していたりすると、
大事な時には、しっかりはっきり発声してしまい、
ついつい、大きな声を出しているのかもしれません。
それから、夫側が真剣な表情をして声を出しているわけですから、
ついつい怒鳴り顔になっていることも考えられます。

そうすると大きな声は出しているし
真面目顔で口を大きく開けていることから
にくにくしげにこちらに向かって
叫んでいるように受け止める可能性はあるでしょうね。

もちろん、そうなってしまうと、
恐怖感情などが出てきますから、
言葉の意味を正確に認識することも
難しくなることでしょう。
脳が勝手に「話を聞くより逃げろ」
と指令を出している可能性があります。

妻が、顔をしかめて
「夫から、がーって怒鳴られた」
と「感じていること」は、案外真実なのかもしれません。

ここで、
「自分が怒鳴っていないから、
 行動を修正する必要はない」
ということを主張してしまっている場合があります。
ついついそう考えてしまうというか。

ここで、
「ああ、ちょっとかわいそうなことをしたな。」
という意識があれば、
100%うまくいくわけではないけれど、

50%くらい意識的に穏やかに話すことに勤めることで、

妻側も
「ああ、怒って言っているわけではないのかもしれない」
と気が付くきっかけになればハッピーになる可能性が
あるのかもしれません。

「怒鳴っていない」と怒鳴るよりも(これはどうしても怒鳴る)
「怒鳴っているように聞こえるんだぁ」
と驚いて見せることが有効かもしれません。

自閉症の世界を
自閉症の人たちだけの世界ではなく、
いわゆる普通の人たちも
少しずつ共有していると考えれば、

もっとエレガントな世の中にするための
豊富なヒントがあるように思えてきました。

親子断絶防止法に関する木村草太氏のコメントに対する批判 [家事]

平成29年5月17日に、
「親子断絶防止法の課題」と題したYouTube
ネット上に拡散されていました。
NHKラジオの、社会の見方私の視点という番組の
音声データのようです。

時間も限られていたことは理解できるのですが、
おそらく法学者としてコメントを求められたのだと思います。
この意見が法律家の意見だとされてしまうことは、問題が大きすぎると思いました。

古くからの友人にも説明をすることを要請されましたので、
あまり気が進まなかったのですが、忘備録を記しておきます。

1 視点が大人の利益しかないこと

 面会交流は、子どもの健全な成長のために行うものです。
 確かに、子どもと別居している親が子どもに会いたいことは当然です。
 しかし、法律は、子どもの健全な成長のために
 面会交流を拡充しようとしているのです。

 そして、これは、かけがえのない親だからという抽象的な俗論ではなく、
 20世紀後半からの世界的な実証研究によって、
 離婚の子どもに与える影響が深刻であり、
 健全な成長を阻害するという研究結果に基づいた
 科学的な結論なのです。

 25年間以上にわたり60組の離婚家庭を調査した
 ウォーラーシュタイン博士らの研究や
 大規模統計調査のアメイトの研究結果の報告等
 離婚後の子どもの心理的問題、
 そして、面会交流がその負担を軽減するという
 実証的研究結果が報告されました

 その結果を踏まえて日本の民法も改正され、
 子どもの健全な成長のために面会交流を促進する一つの方法として
 離婚届に面会交流の方法を記載することを要求するようになったのです。

 現在、裁判所も法務省も面会交流の促進をしているところです。

2 面会交流を危険視するのは科学的ではない

  次に面会交流を危険視することに対して疑問があります。

  木村氏は、今年1月に起きた長崎の事件と
  4月に起きた兵庫県の事件を危険の裏付けだとしています。

  これはきわめて乱暴なことでして、
  例えば、夜の酒場の口論から殺人事件につながった事件が多くありますが、
  そうだとすると、夜に酒場を営業することを禁止するような議論ではないでしょうか。

  要するに、本当に危険なのは面会交流ではなく、
  殺人に至る人間関係にあります。

  これはついこの間書きましたので、繰り返しません。
  「危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道」

  刑事弁護を担当する法律実務家からすれば、
  あまりにも当然のことです。

  なお、木村氏の論法で法律実務家からすると驚いてしまうことは、
  上記二つの事件について、新聞報道くらいしか知らないで発言しているということです。
  長崎の事件については、犯人が特定されたとどうやって断定するのでしょうか。

  要するに、仮にその報道が正しく、
  離婚した夫が犯人だとしても、
  面会交流の機会で起きたという情報しかないのです。
  
  殺人を犯すまで、精神的に圧迫されている場合、
  その精神圧迫に至る様々な要因があります。
  犯人の性格や考え方もあるでしょうが、
  被害者や第三者との関係、
  別離に至った原因と、方法等
  人が人を殺すということは簡単なことではありません。
  
  それを面会交流の時人が殺されたからといって
  面会交流が危険だというのは
  学者としての意見というのはお粗末すぎます。

  人間の営みに対しての敬虔な態度が欠けていると思います。

  また、彼が、このようなことを言わなければ
  面会交流が進んだのに
  過度の警戒感を持ってしまって
  子どもが親に会えない事態が生まれるのではないかという
  心配もあります。

  ちなみに、子どもに対する虐待死について
  父親よりも母親の方が多いことについても
  先ほど紹介したブログ記事の
  一番後ろの方に政府統計を示しています。

  また、面会交流中に暴力や虐待がしばしばある
  という聞き捨てならないことも言っていましたが、
  統計資料などがあるなら示すべきでしょう。
  おそらく日本の統計資料もないままに
  言っているのではないかと
  私は疑っています。

3 同居親が自己の感情を抜きに行動しているとする点

  聞いていて開いた口が塞がらなかったのは、
 
  同居親は、子どものことを第1に考えてふるまっている。
  同居親が別居親に会わせたくないと言っているならば、
  面会交流をさせないまっとうな理由があるからだ

  という発言です。
  これはひどい。
  さすがに、某私立大の教授だってここまでは言いません。
  こういうのを法律用語で
  畢竟独自(ひっきょうどくじ)の見解だというところです。

  そういうケースもまれにあるのかもしれませんが、
  
  大体は会わせることに抵抗がある

  会わせなければならないのはわかっているが、
  相手方と顔をあわせるのが嫌でどうしても具体的に約束できない

  ということが多いと思います。
  嫌がらせで会わせないというケースよりも
  こういうケースが多いと私は理解しています。

  そして、それも人間なのである程度やむを得ないところがあるから、
  何とかそのような葛藤を鎮める方法を編み出しながら
  具体的な面会交流を進めているのです。

  木村氏が法律学者として発言しているならば
  自説に対する根拠を述べるべきです。

  何も根拠がなく、子どもたちが親に会う可能性を
  阻害する発言を法学者として無邪気にすることは
  許されることではないと思います。

  家事実務を知らないなら発言を慎むべきですし、
  根拠のないことは言うべきでもありません。 

4 古典的な20世紀の議論にとどまっている点

  木村氏は、面会交流の実施は
  同居親に心理的負担をかける
  同居親に心理的負担がかかると子どもにとってもよくない
  だから面会交流を努力義務でもすることはできない

  子どもに強要することもできない
  という二つのことをいっぺんに話しているようです。

  これは、20世紀のゴールドシュミットやアンナ・フロイトの主張で、
  ああ、よく勉強しているなとは思います。
  但し残念なことに子どもの発達心理学は長足の進歩を遂げており、
  現代においては、
  定年間際の家裁の調査官くらいしか支持していない学説です。
  
  この理論は、既に心理学会でも家裁のまっとうな調査官の間でも
  採用されてはいません。
  採用されていない理由は、裏付けがないということです。
  科学的ではないからだということになります。  


  彼らも確かに面会交流には賛成だが、
  同居親の葛藤が鎮まったら面会交流をすればよい
  と主張します。

  しかし、その後の調査によると
  離婚後の相手方に対する葛藤は
  多くのケースでつきものであり、
  25年を経ても続くことが多いことがわかっています。
  人間ですから仕方のないこともあると思います。

  葛藤が鎮まるころには、
  どうしても、子どもは成人に達してしまっています。

  実質的に面会交流を否定する議論であることは
  理解できることだと思います。

  このような根拠のない面会交流制限から
  子どもたちの離婚の負の影響を軽減しようという
  科学者たちの様々な調査によって、
  現代では面会交流が進められるようになっている
  というのが、
  法律的見解として述べられなければならないのです。

  実務に携わる法律家は、
  調査官の方々のたゆまぬ調査研究を学んで
  自分の主張をしているのでして、
  ちょっと調べればわかることを調べないで
  わかったふりをしているというのが
  木村草太氏の発言だと感じるわけです。

  もし、木村氏が、このような科学の発展を踏まえてもなお、
  ゴールドシュミットらの見解を支持するというのであれば、
  すでに誰も支持していない説であるけれど
  特異な理由があって支持するということを
  述べるべきです。
  それが述べられていない以上
  議論の経過について知らないで発言していると
  評価するしかありません。

5 家庭裁判所に対する勝手な批判

  木村氏は、わずかの時間の中で様々なことを言っています。
  その中の一つとして、この時の木村氏の発言を
  象徴するような見解が述べられています。

  それは、
  本来面会交流がなされるべきではないが
  裁判所の人員不足で、
  DVや虐待を見抜けないために
  面会交流を認めてしまっている事例が多いようなことを
  言っていることです。

  人員不足が原因ということはどういうことでしょうか。
  よくわかりません。
  NHKで、民法のテレビ番組にも出ている学者が
  そのようなことを言えばみんな信じてしまう危険があります。

  よくわからない大学の教授が
  インターネットでつぶやいているのとは
  わけが違います。

  法律家が裁判所批判をする場合は、
  まさにそれが法律家の仕事ですから
  それこそ豊富なエビデンスを示しながら行うものです。

  何も資料がなく決めつけで裁判所を批判しているのであれば、
  それは法学者を名乗るべきではないでしょう。

  どのケースでDVや虐待があったのに
  裁判所が面会交流を認めたのでしょうか。
  それがどれくらいの頻度があるのでしょうか。
  法学者として見解を述べるならば
  それを明らかにするべきです。

  どちらかというと、
  DVや虐待が無いにもかかわらず
  面会交流が認められず
  手紙やメールのやり取りだけを強いられている
  というケースが実務的な実感としては多いのです。

  彼の議論の特徴はここにあります。

  私人である父親と母親の権利の調整をする場合、
  どちらかの意見に偏って判断することは大変危険です。

  DVや虐待が「あった」ということは
  大変難しいことですし、
  それぞれの立場によって違うということも大いにあります。

  そもそも日本の法律のDV概念が極めて曖昧かつ広範です。

  そういう場合でも面会交流が有効であることは
  ランディバンクラフトの引用で
  何度かこのブログでも紹介しているところです。

  要するに、複雑な人間の感情を一切捨象して
  一方の見方だけを肯定し、
  他方の見方を否定してしまっては、
  私人間の紛争調整はできません。


6 同居親の児童虐待は国家権力の強制力によって解決するべきだという点
 
  さすが見かねたアナウンサーがいろいろ突っ込みを入れるのですが、
  他説を考慮しない彼の発言は意に介さないで続きます。
  あるいは争点があることを理解しないのかもしれません。

  アナウンサーが
  同居親からの児童虐待があるケースを考慮した方が良いということに対して、
  そのようなケースは虐待防止法や監護権の変更で対処するべきだ
  と発言しています。

  まさに国家権力万能論です。
  面会交流が月に2回でもあれば、
  子どもの様子が変わったことはすぐ気が付くでしょうし、

  宿泊付きの面会交流があれば 
  痣やたばこのやけどなどにも気が付くでしょう。

  そもそも、相手親に会わせることを考えれば
  虐待などできない心理的な担保になると思います。

  子どもも、いざとなれば別居親に逃げればよい
  という逃げ道を意識することができれば
  虐待を告発することもできるでしょう。

  虐待は、世間からわからないようになされています。
  法律的制度があったところで少なくならないということから
  法律的制度があればそれでよい
  ということは児童の権利に対する、あまりにも無理解ではないでしょうか。

  また、そんなに簡単に保護を受けたり
  ましてや親権変更にが実現できるというような実務的感覚はありません。

  これに対して子どもの親が
  定期的にわが子に接することの方が
  まっとうな解決であるし、あるべき姿だと私は思います。

7 面会施設について
  
  面会施設を作り、無償で提供するべきだということも言っています。
  この結論自体は賛成です。

  しかし、この人、
  親を見張りながら面会をさせる施設が必要だとか
  監視が必要だと
  そういう言い方をラジオでしているのです。

  一緒に暮らしていた自分の子どもが親と会うのですよ。
  人間の感情を傷つけることを厭わない人が
  法学者として語ることに抵抗を覚えます。

  結局、全件原則DV虐待事案として扱え
  という主張のように感じられます。

  施設が必要であることは
  家事調整センター企画書

  で述べていますが、
  万人が犯罪者で国家権力の強制力に服すべきだ
  という観点からの議論ではなく
  現実の人間の弱さを前提として
  どうやって、大人の都合で子どもに与える負の影響を軽減するか
  無駄な大人同士の対立を鎮めて
  みんなが苦しみを少しでも和らげるという観点で述べています。

  ああそうかとここまで書いて気が付きました。
  彼の話は冷たいのです。

  それは別居親に対してだけ冷たいのではなく
  同居親に対しても
  自分の感情を持つことが許されず、
  子ども最善の利益で動かなければならない
  という人間像を前提とした議論になっているような
  冷酷さを感じます。

どうしてNHKは彼に発言をさせたのでしょうか。
それが一番の疑問かもしれません。
彼の議論が法学者としての一般的な見解だと
誤解を与えることはどうしても避けたいところです。

その次の週は、
家族問題に取り組んでいらっしゃる青木先生がお話しするようです。

問題点に対する研究の歴然とした差が
聞き比べると容易にわかることだと思います。

  
  
  

自分の子どもに会えない母親の面会交流調停について [家事]

不思議なことに、
意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちは、
夫婦離婚した場合、子どもを監護している親が
母親だと決めつけている印象があります。

しかし、面会交流に取り組んでいる弁護士の共通認識ですが、
少なくない割合で、
母親もわが子に会えない状況に苦しんでいます。

意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちが
男性に対して攻撃しようとしている文章を読むと、
面会交流に取り組んでいる弁護士は、
わが子に会えない母親に思いをはせてしまうのです。

まるで、子どもを連れて別居しない母親は
支援の対象ではないと言わんばかりに感じてしまいます。

これが、子どもを連れて離婚した母親だけを
商売の対象としている人たちであれば理解できるのですが、
勤務先の大学を常に掲げて意見を述べている学者が言っているのを見ると
その大学の水準を考えてしまうところですし、
「フェミニスト」を名乗られてしまうと、
支援を受ける女性には、子どもがいることが条件だと切り捨てられるような
差別意識を感じてしまいます。
男性に対する差別の他に
弱い女性に対する差別意識を感じてしまいます。


母親が子どもと会えなくなる形態は
父親が会えなくなる形態と異なることが多いです。

つまり、父親が子どもに会えなくなるのは、
母親が子どもを連れて、父親の元を去る場合が多いのに対して、
母親が子どもに会えなくなるのは、
父親から、子どもを取り上げられて
一人で家から追い出されるというパターンが圧倒的に多いです。

そして、これは一般化できるかどうかわかりませんが、
母親に実家が無かったり、
両親がいても夫に遠慮しているように怒らなかったり
というパターンが多く、
母親が孤立していることが多いように感じています。

ところで追い出される原因はいろいろあると思うのですが、
私が多く体験しているのは、
夫の両親と折り合いが悪くなり追い出されるということが多く、
その原因となるのが、
妻のヒステリー、うつなどの精神疾患
その他身体疾患が目につきます。

少なくない割合に妻の不貞ということがありますが、
多くのケースに、妻の不貞を誘引したのが
家庭の中の孤立という現象があります。
それでも不貞は賛成できることではありませんが、
ギリギリの精神状態になっていることから、
生きるための活動であることは理解できる気がするケースがほとんどです。

私は不貞に関する事件を多く扱っているのですが、
ギリギリの病的な環境の中で、
何かから逃げるような刹那的な行動であるケースがほとんどで、
最近のテレビドラマのような、
あっけらかんとした明るい不倫などというものは
変な話、不貞に対するというか、人間に対する冒涜だと感じてしまいます。

それはともかく

面会交流調停において、
子どもと同居する父親の主張は以下のとおり判で押したように
みんな同じことを言います。

・面会交流が大切なことは理解している。
・母親のいない生活が始まったばかりなので、精神的に安定していない。
 気持ちが落ち着いたら面会交流を始めたい。
・子どもが母親と会うことや電話をすることを嫌がっている。
・まず、手紙で子どもの写真を送るところから始めたい。

言うことは、男も女も同じです。

裁判所は、「面会交流の必要性は理解している」と言われると
安心してしまい、それで解決と直結して今います。
しかし、そんなことを言っても
具体的な面会交流に話を進むことはありません。

会えない子どもから見れば、
親と面会できないことには変わりないのです。

未だに裁判所は、このような実態について気が付いていません。
具体的な面会交流の話が始まらなくても
のんびりしていることが多いようです。
子どもに会えない親の焦燥感を
少しは考えなくてはならないのではないでしょうか。

「子どもを母親に取られてしまうのではないか」
という不安が、調停委員の報告を聞いただけでこちらはわかります。
男親の方が女親よりもわかりやすいのですが、
言葉をそのまま受け取る裁判所には良くわからないようです。


<なぜ母親は子どもを置いて出てきてしまうのか>

「子どもを置いてくるから悪いんじゃん。」
と、切り捨てるような考えを持つ人もいるかもしれません。

しかし、多くの場合(私が担当した事例では漏れなく)
おいてこざるを得ない事情があります。

その多くが、精神的問題です。
精神的に疲弊しているのです。

一言で言えばPTSD様の状態になっています。
本当の精神的な虐待が起きている場合があります。
連日の人格否定の発言や無視
母親としての対面を子どもの前で汚す行動
自分のつながりを切られてしまう
という極限的な配偶者加害が起きているケースがあります。

体重が極端に減少しているケースも多く、
慢性的な睡眠障害と併せて
精神的にも抵抗力がなくなっている状態です。

現実に精神的に虐待されているケースもあれば、
精神疾患によって虐待があるように思っている場合があることは
子どもを連れて別居するケースと同じです。

但し、真正の虐待(支配と従属関係)の割合が
母が子を置いて別居する時に多いと思います。

配偶者加害が完成すると、抵抗力がなくなります。
「何とかしよう」とか、「何とかできるのではないか」
という発想すらがなくなるわけですし、
「自分が悪いからこうなる」という気持ちに逃げ込むことで
自分をギリギリ保っている状態ですから、
自分が不合理な状態にさらされているのではないか
と疑うことも難しくなります。

だから、行政や女性支援者に相談に行くということが
なかなかないのです。
アドバイスを受けることなく、
言われるがままに子どもを置いて家を出ていくことになります。

こういう本当の配偶者加害(真正DV)のケースは
離婚させて「はい終わり」
という安直なかかわり方はできません。
いつ自傷行為や自死が起きるかわかりません。
さらには、また、配偶者加害の追い打ちがくる可能性もあります。
がっちりチームを組んで、1年や2年は連絡を取りあい、
人とのつながりを取り戻す共同作業を行います。

長期的なつながりの中で、
配偶者加害の被害者は生きる力を取り戻し、
病前のレベルまで活き活きと活動を開始することができるようになります。

まさに複雑性PTSDの知見がぴったり当てはまる状態です。
そういう方々とかかわって、
J L ハーマンの「心的外傷と回復」(みすず書房)が、
きわめて真実の道筋を述べていることを理解することができます。

日本で行われるDV政策の多くを
まがいもののようにいう理由は
こういう体験に根差すものなのです。

さらに、こういう真の配偶者加害の被害者を苦しめるのが、

「面会交流は、離婚の影響が落ち着いてから」
「子どもの意見を聞きましょう」
「継続性の原則」
さらには、
「面会交流は危険です」
等という妄言です。

本当に支援し続けなければならない女性を
面会交流を危険視する人たちが
追い込んでいるわけです。

わが子に会えない母親も
別居してしばらくすると
子どもを置いて出たことの誤りに気が付きます。

離婚調停などが始まって、
支援をする人たちとのつながりが生まれると
闘う気持ちも出てくることがあります。

しかし、面会交流を理解できない弁護士に当たる確率が高い
という事情があります。
女性の権利を回復する闘いだとして
いつも面会交流に抵抗する弁護士が紹介されるからです。

優秀な方々なので、金銭的な面では成果が上がるでしょう。
しかし、子ども会えるようにはなりません。
「どうしてこれだけ金銭的に勝ち取ったのに、
 離婚に応じないのだ?」
と、どちらの代理人かわからなくなるような
説得をされてしまいます。

子どもと会えない母親からすると
自分の子どもを金で売るような感覚になることもあるのです。

辛さを理解して、その上での提案だったら
どんなに救われるでしょう。
そういうお母さんから電話をもらって
電話口で一緒に泣くこともあります。

面会交流に取り組む弁護士は、
男女を敵対させる気持ちが理解できません。
性別にかかわりなく親が子を慕い、子が親を慕う心情に
偽りはないと感じているはずです。

稚拙で、不合理で、差別意識に基づく
親子を引き裂く司法が根絶されるよう、
もっともっと多くの弁護士が
面会交流に取り組むようになることを
願ってやみません。

危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道 [家事]

私は、弁護士なので、自分が担当していない事件については
理由がない限りコメントできないと思っているので、
今までコメントしてこなかったのですが、
あまりにもヒステリックな議論が横行していることを憂慮して
書かざるを得ない気持ちになっています。

今年1月に起きた長崎の女性死亡事件と
4月に起きた父と子の死亡事件について
離婚した男性の殺人だと決めつけて
面会交流中に起きたのだから、
面会交流は危険だという印象を与える操作を
ネット上で展開している人たちがいます。

ちなみに長崎の事件は犯人は特定されていません。

ところで、親子心中事件はそんなに多いのでしょうか。
政府統計によると、
平成26年の子どもを巻き込んだ心中事件は27件
うち23件は母親の心中で、父親の心中は二番目にも入りませんでした。
ほとんどなかったという結果です。
心中以外の虐待死は、母23件(363.6%)、父3件

25年ですと
心中事件 母18件、父13件
心中以外 母16件 父8件

24年ですと
心中事件 母24件 父6件
心中以外 母38件 父3件

23年は
心中事件 母33件 父表示されず
心中以外 母33件 父11件

それ以前も母の手に係る子殺しは二けたを維持しているようです。

但し、母親の子どもに対する殺人事件の少なくない割合に
出産日の殺害という類型があることは気に留めておいてください。

離婚後の殺害という分類はありません。

この統計を見ると、
仮に、長崎と兵庫の事件が離婚後の元夫の犯行だとしても
極めて例外的な事件であることがわかります。

一般的に
「離婚前後はお互いに気持ちも生活も落ち着いていない時期である。そのようなときに面会交流をおこなうことに危険が伴うことは、素人でも理解ができる。」

という根拠にはならないことは、
資料を隠されなければ、
学生さんも理解できるところでしょう。


では、離婚後しばらくすると葛藤がおさまるのでしょうか。
ある類型の離婚事例では、私のみてきた事例では
離婚後数年程度では葛藤が収まらない事例が多いようです。
「子どもをとられるのではないか。」
「何か良くないことが起きるのではないか。」
と不安定になっているケースが多くあります。

その類型では、男性の方も
精神的に不安定になり、
社会生活に適応が難しくなったり、
鬱的な日常と付き合わざるを得ない
悲惨な場合が多くあります。

しかし、その反対の事例では、
再婚率が高くなるように感じています。
離婚までの時間がかかっても、
離婚後の葛藤は鎮まるようです。

どういう類型が予後が悪くなるのかというと
「逃走型離婚」とでもいうようなケースです。

多重債務を抱えて夜逃げをするようなものです。
いつまでもいつまでも恐怖が消えないどころか、
元々はなかった恐怖まで上乗せされていきます。

逃走型離婚の予後が悪い理由の女性側のメカニズムについては
既に論じていますので省略します。

「支援による子連れ別居は、女性に10年たっても消えない恐怖を植え付ける  女の敵は女」2

取り残された方の心理ですが、
先ず、わけがわからない状態に陥ります。
朝まで一緒に日常の会話をしていた家族が、
仕事から帰ったら誰もいなくなっていることは
とてつもない衝撃です。

小さい子どもがいるケースが多く、
とても心配になります。
警察に届け出を出そうとすると
赤の他人の警察官が居場所を分かっているようなことを言います。
それでも、夫に教えることはしません。

「自分だけが家族から排除されている」
ということだけが強烈に理解できてしまうわけです。

実際は妻の実家に帰ることが多いのですが、
実家に行くと近くに警察官が待ち構えていて、
警察署に連れていかれて、
精神的虐待だから近づくなと
法的根拠のない事実上の強制をしてくることも
少なくありません。

市役所に行けば、自分の家族の住所がわかる書類は
一切見せられません。
「あなたと話すことは何もない」
等と職員から言われて
何が何だかわからないうちに、
市民としても当たり前に扱ってもらえなくなっています。

一番基本となる群れである家族と
一番強権力がある公権力が、
自分のすべてを否定してきている状態です。

これまで犯罪と無縁でいた善良な市民は
自分が犯罪者というレッテルを張られたという意識を持つようです。

子どもたちとも会えません。クリスマス目前でいなくなった家族や
クリスマス後にいなくなる家族があって
微妙なニュアンスの差があるのが実情です。

子どもたちは自分を嫌っているわけではない
日常の生活からそう考えます。
学校にも通っておらず、
学校も、結局は、どんな状態でも
転校手続きを進めてしまいます。
転校先では母親の旧姓を名乗っていることもあります。

「自分が人間として尊重されていない」
そう感じてしまうことに、有り余る事情があると思います。

一番の問題なことは、
どうしてそういうことになったのか見当がつかないことです。

こういうことになると、人間の考えることは
ほぼ共通しています。

先ずは、あったことを否定したくなるわけです。
何かの間違いであり、悪い夢で
目が覚めればまた日常が戻ってくる。
悪い冗談なのだろうと最初は思うでしょう。

だんだん警察官の制服を見るにつれ
現実に引き戻されていきます。

次に思うことは、
妻の本心ではないということです。
妻の実家に操られている
警察や男女参画や弁護士が主体的に行っている。

離婚調停や裁判で、自分が認識している事実と明らかに違うことが述べられているので、
その気持ちを強くしていきます。

一向に子どもとは会えません。

ここからの対応は個性や環境やタイミングの違いで
バリエーションがあるのですが、
要するに強い危機意識への対処の方法の違いに過ぎません。

ある人は、うつ状態になります。
すべてをあきらめて、
自分が再び尊重されることが不可能だと悟り、
生きる意欲を少しずつ失っていくわけです。
だいたいが焦燥型のうつで、
突然大声でわが身の不幸を嘆きたくなる
知らない人はびっくりするような精神状態です。

ある人は攻撃的になります。
意識としては、
「自分は間違ったことをしていないのに
 どうしてこんな目にあうのか」
というような感覚なのだと思います。

この時妻を攻撃の対象とするケースと
妻は攻撃の対象としないで、
弁護士や裁判所に対する怒りを募らせるケースと
それぞれです。

このような感情の不安定さを招いた一番の原因は、
わけのわからないうちに自分が否定された
ということなのです。

人間も他の動物と同様「生きていこう」と思うわけです。
但し、他の動物と違うことは
「人間として生きていきたい」ということです。

それは、「群れの中で尊重されて生きていく」
ということなのです。

これが理由もわからずに強烈に否定されてしまうと、
人間として生きていこうということが否定されることから危機意識が強くなり、
それに負けて逃避するか、
自分を守るためにやみくもにエキサイトするか
どちらかになってしまうことは
理の必然なのです。


どうすればよいのでしょうか。


離婚は、通常どちらかが離婚したくて
どちらかが離婚したくないというものです。

離婚したい側のすることは、
最終的には、自分が離婚したいという気持ちを
相手に理解してもらい、相手にあきらめてもらうことなのです。

自分の気持ちを理解してもらうためには、
相手を理解することが早道です。

「あの時、あなたは、こういうことを言った。
 あなたの感覚では、親愛の情を示すことなのかもしれない
 でも、私は言われて嫌だった。
 だから、あなたにまじめにやめてほしいと言ったのに
 あなたは私を馬鹿にしたように笑うだけだった。
 私は、これからもああいう場面のたびに傷つくことを言われる
 自分が大切にされていないと感じると思うと
 生きる気力が失われていくように感じた」

といえばよいのに、

「あなたは、あの時、こういう言葉で
 精神的虐待をした。モラルハラスメントだ。」
となってしまうと、
とてもではありませんが、
何が何だかわかりませんから
離婚したいという気持ちを許容する気にはなりません。

「精神的虐待のつもりではないことは
 分かっていたはずなのに針小棒大だ」
と感じてしまうことは当然でしょう。

「あなたは厳格するぎるお父様に育てられたので、
 私のそういうところを見過ごすことができないで
 こういう態度をした。
 確かに言っていることは正しいことかもしれないけれど
 私もどうしてもできない時があって、
 その時にああいう態度をとられると
 自分自身を否定されているような感じで
 あなたと一緒にいるとと、自分がだめな人間だと
 思われ続けているような気持ちになっていく」

といえばよいところを

「あなたの父もDVだから、DVが遺伝したんだ。」
という主張になれば収拾がつかなくなります。

実際に理解できなくても
理解しようとしている姿勢を見せると
離婚が早くなるものです。

当事者の方々はなかなかそれが難しいことですが、
代理人である弁護士は、当事者化しないで、
そのような合理的な主張を調停では組み立てられるはずです。

離婚事件の当事者の双方の痛みに向き合う作業をしなければ
代理人とは言えないのだろうと思います。

要するに、離婚したい方は、
離婚したいほど相手の嫌なところについて
相手なりに理由があるはずだと考え
その理由を言い当ててあげる。

相手を理解しても、
それでも、今後の人生
一緒に生活をしたくない
というメッセージを伝えなければならないはずです。
そして、それが、相手にあきらめてもらう王道なのです。

しかしながら、実際は、
わずかのすきをついて、
「それは取りようによっては精神的虐待といえる」
「裁判で主張すれば離婚できるかもしれない」
というような主張が横行しているように感じます。

子どもじみたゲーム感覚です。
とても、人の一生に影響を与える離婚事件を取り組んでいるようには
思えないのです。

当事者が一対一で話し合うことは難しいことが多いのですが、
夫婦には夫婦しかわからないことが多くあります。
一概に自分を否定しているわけではないということは
代理人を通してでも伝えることができます。

離婚を迅速に円満に進めるためには、
相手の十分な理解を通じて、自分の気持ちを理解してもらう
ということに尽きると思っています。


もう一つの
離婚を紛糾させて、当事者の感情を興奮に至らしめる事情は
「子どもを会わせない」ということです。
不思議なことに、多少の暴力事案であっても
子どもたちは、親を嫌いにならないということが多くあります。
子どもの方が、当事者夫婦よりも
かなり冷静に公平に見ているようです。

親に会いたいという気持ちは
言えない事情があっても多くの場合はあります。
会いたくないといっても
いざあってしまえば、時が遡ったような
親子関係が出現することが多いです。

ただ、年齢的に親と打ち解けることができなくなる時期があり、
4,5歳の、親の手を握り締めて歩いていた時を
求めていたのでは失望するでしょう。

また、相手が打ち解けないことに動揺してしまうと、
子どもはますます打ち解けるタイミングを逃してしまいます。
最悪なのは、「どうして楽しそうにしないのだ」といってしまうことです。

気にしなければ良いのです。
一緒にできることを探すのがベストですが、
親が一緒にいて楽しい、嬉しいという
そういうことを伝えれば時期になごんできます。
無条件に大事にされることが
子どもにとって一番です。

そのためには負の感情も肯定してあげることが
辛いですが必要となるのですが
いろいろと疑心暗鬼になるのも理解できるところです。

とにかく、子どもに会わせないということが
別居親の精神的葛藤を高めます。

親子という関係を否定されてしまうことは
特に日本人にとっては、
自分の宗教を否定されたような
強烈な衝撃を与えることです。

未来永劫子どもとは会えないという考えは
とてつもなく深刻な危機意識を与えてしまいます。

離婚調停の文書で大げさな表現を使い、
子どもに会わせない
ということが
相手を挑発することになることは
理解できると思われます。

さて、そのことを裏付ける統計がやはりあります。

離婚統計ですが、
以下のとおりです。
離婚統計.jpg

平成14年をピークに下がり続けています。
これを知らないで、
未だに離婚数は増加していて、
3件に一件が離婚する時代だなんてことを言っている人もいます。

その年の離婚数が
その年の婚姻数の3分の1だ
ということに過ぎません。

結婚している夫婦は、その年に結婚した夫婦だけではありません。
もっとたくさんいるわけですから、
夫婦の3組に1組が離婚するわけではありません。

このように離婚数は右肩下がりに減少しているのですが、
次のグラフを見てください。

面会交流調停新受件数.jpg

面会交流調停や審判の申立件数は
右肩上がりに上がっているのです。

配偶者暴力相談の相談件数の10分の1が
面会交流調停の数とぴったり合っています。
これが偶然であるとは思えません。

いかに、一方が納得行かない離婚や
子どもとの別れが増えているのか
ということをはっきり示しているのだと思います。

そして、その納得のゆかない離婚や別居に、
一方的な子どもを連れた逃走型離婚の増加が
関係しているのではないかという推論が成り立つはずです。


もし危険な面会交流が増えているとすれば、
それは作られた危険であり、
大人同士、人間同士の
当然な切り結びを否定して
相手の人格を否定するやり方に起因している可能性が
極めて高いと思う次第であります。

防止するべきは面会交流ではなく、
相手の人格を否定するような別居、離婚のかたち、
稚拙でヒステリックな方法論だと思います。

「子どものしつけに熱心な」父親が、妻から「子どものために離婚」を要求される場合に何が起きているかについて その1 [家事]

本記事は三部構成です。

順に「前の記事」に続いています。

 

1 ある離婚パターン

 

考えてみると、昔から多い事例だったのですが

子どもを守るために」という理由で

妻が離婚を申し出るパターンがあります。

 

夫が、ある日家に帰ると、

妻も子どももいなくなっていて、

行方も知れず、途方に暮れてしまいます。

 

妻に暴力をふるったことはなく

取り立ててひどい暴言もない。

少なくとも、妻よりひどい暴言はない。

 

それなのに、離婚調停の申立書が届き、

警察官が、家庭の中に入ってくることも多くあります。

場合によっては、保護命令が申し立てられ、

電話やメールをすることも禁止される上

自由に外を散歩することさえ禁止されることもあります。

 

離婚調停申立書の離婚理由を見て愕然とします。

自分が子どもを虐待していることを理由としていからです。

読んでも意味がわからないことが多いのではないでしょうか。

 

全てにおいてやる気がなくなったり、

怒りがこみあげてきたり、

精神的に不安定になりますが、

不安定になっていること自体に気づかないことも少なくありません。

 

そして、これは、誰かの陰謀なのだろうと考えるでしょう。

虚偽の理由によって、離婚を申し出るということは、

妻が浮気をしているとか

弁護士や行政、警察にそそのかされたとか

妻の両親が主導しているとか

そういうことを考え始めることも自然なことなのでしょう。

(実際そういう場合も少なくありません)

 

このように、相手に打撃を与える方法で別居が始まると

夫は、なかなか自分の行為に原因があるということに

思い当たることができなくなります。

また妻の心情を思いやることもできなくなります。

 

そもそも、「自分は間違ったことをしていない

間違ったことをしてないために自分が不利益を与えられるいわれがない」

という発想が人間の特に男の自然の発想です。

 

子どもを連れての突然の別居という方法は、

解決を遠のかせて、

事態を深刻に、双方にとって危険な状態にする

稚拙な方法であると私は思います。

 

2 夫(父)の言い分

 

確かに自分は子どもに厳しいところもあった

ということに、運が良ければ気が付くこともあるでしょう。

それだけで、立派な人物だと思います。

こういう理不尽な思いをした場合の人間の心理は、

自分を守るために、他人に原因を求めるものですし、

その過程の中で、無意識に自分の弁護に役に立つ記憶をかき集めているからです。

 

しかし、問題はこの先に進まないことです。

厳しく接したことには言い分があるということです。

 

1)      厳しくしたのは理由がある

 

なるほど、特に理由がないのにわが子に厳しくする人はあまりいません。

子どもの年齢によってまちまちですが、

例えば、おもちゃを片付けないで違う遊びを始める

勉強をしないでゲームばかりをしている。

そして、これまでも同じことを言っているのに守らない

また、大事な時に頑張らない

これを放置していると子どもがだめになってしまう

という意識があり、理由があるというわけです

子どもに八つ当たりをしていたわけではない。

むしろ子どものために行ったという意識があるからです。

 

2)      自分は子どもを理解し、コミュニケーションがとれている

 

確かに、こういうお父さんは、

子育てを妻に任せっきりという人とは正反対のようです。

妻に用事がある時は、自分で子どもを見ることができます。

遊園地やキャンプやミニ旅行に子どもを連れていくこともできるようです。

子どもの好きな漫画やゲームもわかっていて、

子どもと一緒に楽しむことができると思っています。

だから、多少厳しくしてもメリハリができていて、

子どもとしっかりコミュニケーションがとれている

と自分で思っていますし、

それはあながち独りよがりというわけではなさそうです。

 

3)      そうして、一番事態の理解ができない理由は、

別居の前日まで、普通にみんなで

一つ屋根の下で暮らしていて

会話も普通にあり、心の交流もあったのに

どうしてある日突然心変わりとなったのか

理解できないというものです。

誰が考えたって、それはそういう気持ちになるでしょう。。

本当に突然の別居という方法は

長期的に見れば紛争を拡大する稚拙な方法だと思います。

 

3 妻の実際の気持ち

  

  これは案外単純で、

  離婚調停で妻が言っている

  夫に対する、恐怖、嫌悪、不快という負の感情は

  実際に感じていることが多いです。

  一言で言って、夫と一緒にいることに安心できないのです。

  この原因は次に述べますが、子どもたちはどうでしょう。

 

  子どもたちが本当に怖がっているかどうかは

  それぞれの事情によって違います。

  

  よく妻が主張しているパターンは

  子どもが何人かいる場合、

  「一番上の長男にばかりつらく当たる」ということですが

 

  こういう場合でも、長男が本当に父親を怖がっているかと言えば、

  怖がっていないことも多いのですが、

  結果として深刻な精神症状が出ている場合もあります。

  

  むしろこの時父親を怖いというのは

  長男が厳しくあつかわれているのを見ていた二番目の子ども

  ということが多いです。

  ただ、これは、なかなか疑わしいことが多く、

  父親の行為を見て父親を怖がっているというよりは

  怖いと思うべきだという意識が強い場合も多く見られます。

  実際に会うと最初は拒否的ですが、

  父親が気にしないで遊びなどを始めると

  すぐに昔のように一緒にはしゃぐようになることが多いからです。

 

  3番目の子どもがいる場合、通常は全く怖がっていません。

 

「前の記事」に続きます。

 

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