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わが子に会えない親の会 第5回報告 [家事]


今年の1月から毎月1回ずつやっているので、
5月ですから第5回を数えました。

今回は私を含めて9名の参加です。
初めて参加される方もいらっしゃいましたし、
久しぶりの参加の方もいらっしゃいました。
どちらもみんなが大歓迎されました。
こういうユルいところがこの会の持ち味ですね。

10年近く前に離婚された方、数年前だという方、
今離婚調停中だという方
事情は様々なのですが、
子どもに会えていない親という共通項があります。
今のところ、男性ばっかりです。

世間の面会交流の事情を報告しあったり、
2週に一度の面会交流を頑張っていたら、
裁判官も、
「最近は、そういう傾向にありますよ。」
と相手を説得してくれたという情報だとか、

どこどこの家で、
子どもが勝手に戻ってきちゃった
という情報が入れられたりと
勉強にもなりますし、
希望にもつながります。

とにかく、他の団体さんからすると
何もしていないのではないかと言われそうなところが、
われわれのウリということになると思います。

それというのも、
ただでさえ、わけがわからないうちに苦しい立場に
突き落とされているのだから、
仲間内だけは、仲良くやろうということで
集まっているからです。

この立場の人たちは
孤立しています。
会社などの日常生活は送っているのですが、
一番語りたい気持ちを
語れる場所がないのです。

語っても理解されないことが多いようです。

最近では、
子どもと別居している親は
その親に主たる原因があるという
心無い非科学的な知ったかぶりの論調があり、
さらに傷つけられているところです。

この場所は、
一番語りたいことを語ることが歓迎されており、
全員がその気持ちを理解してくれるという場所です。
話すことによって、
気持ちや行動を整理する人も少なくありません。

また、語りたくなければ語らなくてもよい。
酒を飲みたくなければご飯を食べればよい。
何かをしなくてはならないということがない
そういう会でなければならないという意味では、
メンバーに価値観を押し付けてはだめだ
という決まりごとはあるのかもしれません。

音楽鑑賞が趣味という人もいれば、
人の歌は聞きたくない自分が歌う
という人もいるでしょう。

一緒に歌って方が楽しいよ
と言ってみるのは子どものうちです。
大人になってしまうと、
自分のやり方がある程度できちゃっているのだから、
それを尊重することがエレガントではないでしょうか。

生きているのに子どもと会えない
そういう方々の居場所なのです。
いづらい気持ちが出てきてしまうことが
一番の問題なのだと思います。

第5回は、関東からも2名ご参加いただきました。

次回は6月23日金曜日6時半です。
仙台駅前の某所で行われます。
お問い合わせは土井法律事務所まで
022-212-3773

なぜあの人は、人の話をろくに聞かないくせに、都合の悪いことを言うとこちらが怒鳴ったと抗議するのか。もしかしたら感覚過敏かもしれない。「自閉症の世界」感想文4 with NHKスペシャル「発達障害」 [家事]


私が「自閉症の世界」を読んでいる時、
都合良くNHKスペシャルで、
「発達障害 ~解明される未知の世界~」
という番組を放送していました。

あの竜頭蛇尾に終わった産後クライシスの時の
二人の司会ということでちょっと心配したのですが、
(なぜそんなことを言うかについては
 「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

とても興味深く、見ごたえのある番組でした。

ただ、自閉症については
やや感覚過敏に偏っているかなと思いつつ、
その分十分なプレゼンがなされていてよかったかもしれません。

ここで聴覚過敏ということについて
大変興味深い映像と音声の説明がありました。

自閉症の人の音声の感じ方ということなのですが、
これは番組を観ていただくしかないのですが、
(なんとかというNHKの見逃しチャンネルとか。
 この週は翌日のクローズアップ現代も、
 引きこもりの自立ビジネスの弊害を取り上げており
 お金を払う価値があるかもしれません。)

いわゆる普通の人は、
自分に必要な音と不要な音を無意識に区別して、
不要な音を聞かないというか、
意識の外に放り投げることをしているというか、
音がしないものとして扱っている
ということらしいのです。

この前書いた大雑把に受け止めるという力技を使えるのです。

ところが自閉症の人は、このように大雑把になれず
聞こえる音のすべてを聞いてしまう
ということらしいのです。

だからスーパーマーケット買い物をすると
パチンコ屋のじゃらじゃらした音の洪水の中にいるような
いたたまれなさを感じているみたいです。
(パチンコをしている人は、あまり気にならない)

だから、話し相手の声だけに集中することができない理由があるそうです。
例えば喫茶店で1対1で話していても、
その人の声とほかの人の声や車の音やエアコンの音、調理の音、サーブの時の音
等が平等に聞こえてくるために、
その人の声がよく聞き取れないということになるようです。

ただ、私は、結局、人によって、音の聞こえ方が違うのだ
と理解するべきだと感じました。

ある特定の音が苦手だということも
人によって違うようです。
例えば、私は人がかけている掃除機の音が苦手です。
できるなら別室に行くか外に出たくなります。
でも、自分で掃除機をかける時は、
それほど嫌な感じはしません。

もしかしたら、人によって、
台所の水仕事の音が嫌だったり、
ガスコンロの音が怖かったりするのではないかと
番組を観ながら思うようになりました。

あるいは食器のぶつかる音とか扇風機の音が
どうしても気になってしまい、
こちらの話す声が聞こえないということもありそうです。

こちらの感覚からすると
「こちらの声が相手に聞こえないはずがない」
と思うわけですが、
案外、相手にとっては
意味を持った言葉としては聞こえていない
ということがありそうです。

それから、夫婦問題で、妻側から
「夫がよく私のことを怒鳴る」という訴えが出されます。
普段の限定された私と夫との付き合いからは
直ぐに信じられないほど、穏やかな話し方をする人もいます。
(但し、地声の大きい人も確かにいます。)

一つには、実際に妻の前だけ人格が変わる人もいるかもしれませんが、
もしかしたら、妻の方が、夫の声に過敏に反応している
という可能性がありそうなのです。

特に、時々自分の問いかけに応えないので、
「ことによると耳が遠いのではないか」と誤解していたりすると、
大事な時には、しっかりはっきり発声してしまい、
ついつい、大きな声を出しているのかもしれません。
それから、夫側が真剣な表情をして声を出しているわけですから、
ついつい怒鳴り顔になっていることも考えられます。

そうすると大きな声は出しているし
真面目顔で口を大きく開けていることから
にくにくしげにこちらに向かって
叫んでいるように受け止める可能性はあるでしょうね。

もちろん、そうなってしまうと、
恐怖感情などが出てきますから、
言葉の意味を正確に認識することも
難しくなることでしょう。
脳が勝手に「話を聞くより逃げろ」
と指令を出している可能性があります。

妻が、顔をしかめて
「夫から、がーって怒鳴られた」
と「感じていること」は、案外真実なのかもしれません。

ここで、
「自分が怒鳴っていないから、
 行動を修正する必要はない」
ということを主張してしまっている場合があります。
ついついそう考えてしまうというか。

ここで、
「ああ、ちょっとかわいそうなことをしたな。」
という意識があれば、
100%うまくいくわけではないけれど、

50%くらい意識的に穏やかに話すことに勤めることで、

妻側も
「ああ、怒って言っているわけではないのかもしれない」
と気が付くきっかけになればハッピーになる可能性が
あるのかもしれません。

「怒鳴っていない」と怒鳴るよりも(これはどうしても怒鳴る)
「怒鳴っているように聞こえるんだぁ」
と驚いて見せることが有効かもしれません。

自閉症の世界を
自閉症の人たちだけの世界ではなく、
いわゆる普通の人たちも
少しずつ共有していると考えれば、

もっとエレガントな世の中にするための
豊富なヒントがあるように思えてきました。

親子断絶防止法に関する木村草太氏のコメントに対する批判 [家事]

平成29年5月17日に、
「親子断絶防止法の課題」と題したYouTube
ネット上に拡散されていました。
NHKラジオの、社会の見方私の視点という番組の
音声データのようです。

時間も限られていたことは理解できるのですが、
おそらく法学者としてコメントを求められたのだと思います。
この意見が法律家の意見だとされてしまうことは、問題が大きすぎると思いました。

古くからの友人にも説明をすることを要請されましたので、
あまり気が進まなかったのですが、忘備録を記しておきます。

1 視点が大人の利益しかないこと

 面会交流は、子どもの健全な成長のために行うものです。
 確かに、子どもと別居している親が子どもに会いたいことは当然です。
 しかし、法律は、子どもの健全な成長のために
 面会交流を拡充しようとしているのです。

 そして、これは、かけがえのない親だからという抽象的な俗論ではなく、
 20世紀後半からの世界的な実証研究によって、
 離婚の子どもに与える影響が深刻であり、
 健全な成長を阻害するという研究結果に基づいた
 科学的な結論なのです。

 25年間以上にわたり60組の離婚家庭を調査した
 ウォーラーシュタイン博士らの研究や
 大規模統計調査のアメイトの研究結果の報告等
 離婚後の子どもの心理的問題、
 そして、面会交流がその負担を軽減するという
 実証的研究結果が報告されました

 その結果を踏まえて日本の民法も改正され、
 子どもの健全な成長のために面会交流を促進する一つの方法として
 離婚届に面会交流の方法を記載することを要求するようになったのです。

 現在、裁判所も法務省も面会交流の促進をしているところです。

2 面会交流を危険視するのは科学的ではない

  次に面会交流を危険視することに対して疑問があります。

  木村氏は、今年1月に起きた長崎の事件と
  4月に起きた兵庫県の事件を危険の裏付けだとしています。

  これはきわめて乱暴なことでして、
  例えば、夜の酒場の口論から殺人事件につながった事件が多くありますが、
  そうだとすると、夜に酒場を営業することを禁止するような議論ではないでしょうか。

  要するに、本当に危険なのは面会交流ではなく、
  殺人に至る人間関係にあります。

  これはついこの間書きましたので、繰り返しません。
  「危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道」

  刑事弁護を担当する法律実務家からすれば、
  あまりにも当然のことです。

  なお、木村氏の論法で法律実務家からすると驚いてしまうことは、
  上記二つの事件について、新聞報道くらいしか知らないで発言しているということです。
  長崎の事件については、犯人が特定されたとどうやって断定するのでしょうか。

  要するに、仮にその報道が正しく、
  離婚した夫が犯人だとしても、
  面会交流の機会で起きたという情報しかないのです。
  
  殺人を犯すまで、精神的に圧迫されている場合、
  その精神圧迫に至る様々な要因があります。
  犯人の性格や考え方もあるでしょうが、
  被害者や第三者との関係、
  別離に至った原因と、方法等
  人が人を殺すということは簡単なことではありません。
  
  それを面会交流の時人が殺されたからといって
  面会交流が危険だというのは
  学者としての意見というのはお粗末すぎます。

  人間の営みに対しての敬虔な態度が欠けていると思います。

  また、彼が、このようなことを言わなければ
  面会交流が進んだのに
  過度の警戒感を持ってしまって
  子どもが親に会えない事態が生まれるのではないかという
  心配もあります。

  ちなみに、子どもに対する虐待死について
  父親よりも母親の方が多いことについても
  先ほど紹介したブログ記事の
  一番後ろの方に政府統計を示しています。

  また、面会交流中に暴力や虐待がしばしばある
  という聞き捨てならないことも言っていましたが、
  統計資料などがあるなら示すべきでしょう。
  おそらく日本の統計資料もないままに
  言っているのではないかと
  私は疑っています。

3 同居親が自己の感情を抜きに行動しているとする点

  聞いていて開いた口が塞がらなかったのは、
 
  同居親は、子どものことを第1に考えてふるまっている。
  同居親が別居親に会わせたくないと言っているならば、
  面会交流をさせないまっとうな理由があるからだ

  という発言です。
  これはひどい。
  さすがに、某私立大の教授だってここまでは言いません。
  こういうのを法律用語で
  畢竟独自(ひっきょうどくじ)の見解だというところです。

  そういうケースもまれにあるのかもしれませんが、
  
  大体は会わせることに抵抗がある

  会わせなければならないのはわかっているが、
  相手方と顔をあわせるのが嫌でどうしても具体的に約束できない

  ということが多いと思います。
  嫌がらせで会わせないというケースよりも
  こういうケースが多いと私は理解しています。

  そして、それも人間なのである程度やむを得ないところがあるから、
  何とかそのような葛藤を鎮める方法を編み出しながら
  具体的な面会交流を進めているのです。

  木村氏が法律学者として発言しているならば
  自説に対する根拠を述べるべきです。

  何も根拠がなく、子どもたちが親に会う可能性を
  阻害する発言を法学者として無邪気にすることは
  許されることではないと思います。

  家事実務を知らないなら発言を慎むべきですし、
  根拠のないことは言うべきでもありません。 

4 古典的な20世紀の議論にとどまっている点

  木村氏は、面会交流の実施は
  同居親に心理的負担をかける
  同居親に心理的負担がかかると子どもにとってもよくない
  だから面会交流を努力義務でもすることはできない

  子どもに強要することもできない
  という二つのことをいっぺんに話しているようです。

  これは、20世紀のゴールドシュミットやアンナ・フロイトの主張で、
  ああ、よく勉強しているなとは思います。
  但し残念なことに子どもの発達心理学は長足の進歩を遂げており、
  現代においては、
  定年間際の家裁の調査官くらいしか支持していない学説です。
  
  この理論は、既に心理学会でも家裁のまっとうな調査官の間でも
  採用されてはいません。
  採用されていない理由は、裏付けがないということです。
  科学的ではないからだということになります。  


  彼らも確かに面会交流には賛成だが、
  同居親の葛藤が鎮まったら面会交流をすればよい
  と主張します。

  しかし、その後の調査によると
  離婚後の相手方に対する葛藤は
  多くのケースでつきものであり、
  25年を経ても続くことが多いことがわかっています。
  人間ですから仕方のないこともあると思います。

  葛藤が鎮まるころには、
  どうしても、子どもは成人に達してしまっています。

  実質的に面会交流を否定する議論であることは
  理解できることだと思います。

  このような根拠のない面会交流制限から
  子どもたちの離婚の負の影響を軽減しようという
  科学者たちの様々な調査によって、
  現代では面会交流が進められるようになっている
  というのが、
  法律的見解として述べられなければならないのです。

  実務に携わる法律家は、
  調査官の方々のたゆまぬ調査研究を学んで
  自分の主張をしているのでして、
  ちょっと調べればわかることを調べないで
  わかったふりをしているというのが
  木村草太氏の発言だと感じるわけです。

  もし、木村氏が、このような科学の発展を踏まえてもなお、
  ゴールドシュミットらの見解を支持するというのであれば、
  すでに誰も支持していない説であるけれど
  特異な理由があって支持するということを
  述べるべきです。
  それが述べられていない以上
  議論の経過について知らないで発言していると
  評価するしかありません。

5 家庭裁判所に対する勝手な批判

  木村氏は、わずかの時間の中で様々なことを言っています。
  その中の一つとして、この時の木村氏の発言を
  象徴するような見解が述べられています。

  それは、
  本来面会交流がなされるべきではないが
  裁判所の人員不足で、
  DVや虐待を見抜けないために
  面会交流を認めてしまっている事例が多いようなことを
  言っていることです。

  人員不足が原因ということはどういうことでしょうか。
  よくわかりません。
  NHKで、民法のテレビ番組にも出ている学者が
  そのようなことを言えばみんな信じてしまう危険があります。

  よくわからない大学の教授が
  インターネットでつぶやいているのとは
  わけが違います。

  法律家が裁判所批判をする場合は、
  まさにそれが法律家の仕事ですから
  それこそ豊富なエビデンスを示しながら行うものです。

  何も資料がなく決めつけで裁判所を批判しているのであれば、
  それは法学者を名乗るべきではないでしょう。

  どのケースでDVや虐待があったのに
  裁判所が面会交流を認めたのでしょうか。
  それがどれくらいの頻度があるのでしょうか。
  法学者として見解を述べるならば
  それを明らかにするべきです。

  どちらかというと、
  DVや虐待が無いにもかかわらず
  面会交流が認められず
  手紙やメールのやり取りだけを強いられている
  というケースが実務的な実感としては多いのです。

  彼の議論の特徴はここにあります。

  私人である父親と母親の権利の調整をする場合、
  どちらかの意見に偏って判断することは大変危険です。

  DVや虐待が「あった」ということは
  大変難しいことですし、
  それぞれの立場によって違うということも大いにあります。

  そもそも日本の法律のDV概念が極めて曖昧かつ広範です。

  そういう場合でも面会交流が有効であることは
  ランディバンクラフトの引用で
  何度かこのブログでも紹介しているところです。

  要するに、複雑な人間の感情を一切捨象して
  一方の見方だけを肯定し、
  他方の見方を否定してしまっては、
  私人間の紛争調整はできません。


6 同居親の児童虐待は国家権力の強制力によって解決するべきだという点
 
  さすが見かねたアナウンサーがいろいろ突っ込みを入れるのですが、
  他説を考慮しない彼の発言は意に介さないで続きます。
  あるいは争点があることを理解しないのかもしれません。

  アナウンサーが
  同居親からの児童虐待があるケースを考慮した方が良いということに対して、
  そのようなケースは虐待防止法や監護権の変更で対処するべきだ
  と発言しています。

  まさに国家権力万能論です。
  面会交流が月に2回でもあれば、
  子どもの様子が変わったことはすぐ気が付くでしょうし、

  宿泊付きの面会交流があれば 
  痣やたばこのやけどなどにも気が付くでしょう。

  そもそも、相手親に会わせることを考えれば
  虐待などできない心理的な担保になると思います。

  子どもも、いざとなれば別居親に逃げればよい
  という逃げ道を意識することができれば
  虐待を告発することもできるでしょう。

  虐待は、世間からわからないようになされています。
  法律的制度があったところで少なくならないということから
  法律的制度があればそれでよい
  ということは児童の権利に対する、あまりにも無理解ではないでしょうか。

  また、そんなに簡単に保護を受けたり
  ましてや親権変更にが実現できるというような実務的感覚はありません。

  これに対して子どもの親が
  定期的にわが子に接することの方が
  まっとうな解決であるし、あるべき姿だと私は思います。

7 面会施設について
  
  面会施設を作り、無償で提供するべきだということも言っています。
  この結論自体は賛成です。

  しかし、この人、
  親を見張りながら面会をさせる施設が必要だとか
  監視が必要だと
  そういう言い方をラジオでしているのです。

  一緒に暮らしていた自分の子どもが親と会うのですよ。
  人間の感情を傷つけることを厭わない人が
  法学者として語ることに抵抗を覚えます。

  結局、全件原則DV虐待事案として扱え
  という主張のように感じられます。

  施設が必要であることは
  家事調整センター企画書

  で述べていますが、
  万人が犯罪者で国家権力の強制力に服すべきだ
  という観点からの議論ではなく
  現実の人間の弱さを前提として
  どうやって、大人の都合で子どもに与える負の影響を軽減するか
  無駄な大人同士の対立を鎮めて
  みんなが苦しみを少しでも和らげるという観点で述べています。

  ああそうかとここまで書いて気が付きました。
  彼の話は冷たいのです。

  それは別居親に対してだけ冷たいのではなく
  同居親に対しても
  自分の感情を持つことが許されず、
  子ども最善の利益で動かなければならない
  という人間像を前提とした議論になっているような
  冷酷さを感じます。

どうしてNHKは彼に発言をさせたのでしょうか。
それが一番の疑問かもしれません。
彼の議論が法学者としての一般的な見解だと
誤解を与えることはどうしても避けたいところです。

その次の週は、
家族問題に取り組んでいらっしゃる青木先生がお話しするようです。

問題点に対する研究の歴然とした差が
聞き比べると容易にわかることだと思います。

  
  
  

自分の子どもに会えない母親の面会交流調停について [家事]

不思議なことに、
意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちは、
夫婦離婚した場合、子どもを監護している親が
母親だと決めつけている印象があります。

しかし、面会交流に取り組んでいる弁護士の共通認識ですが、
少なくない割合で、
母親もわが子に会えない状況に苦しんでいます。

意図的に面会交流のイメージを悪くしようとしている人たちが
男性に対して攻撃しようとしている文章を読むと、
面会交流に取り組んでいる弁護士は、
わが子に会えない母親に思いをはせてしまうのです。

まるで、子どもを連れて別居しない母親は
支援の対象ではないと言わんばかりに感じてしまいます。

これが、子どもを連れて離婚した母親だけを
商売の対象としている人たちであれば理解できるのですが、
勤務先の大学を常に掲げて意見を述べている学者が言っているのを見ると
その大学の水準を考えてしまうところですし、
「フェミニスト」を名乗られてしまうと、
支援を受ける女性には、子どもがいることが条件だと切り捨てられるような
差別意識を感じてしまいます。
男性に対する差別の他に
弱い女性に対する差別意識を感じてしまいます。


母親が子どもと会えなくなる形態は
父親が会えなくなる形態と異なることが多いです。

つまり、父親が子どもに会えなくなるのは、
母親が子どもを連れて、父親の元を去る場合が多いのに対して、
母親が子どもに会えなくなるのは、
父親から、子どもを取り上げられて
一人で家から追い出されるというパターンが圧倒的に多いです。

そして、これは一般化できるかどうかわかりませんが、
母親に実家が無かったり、
両親がいても夫に遠慮しているように怒らなかったり
というパターンが多く、
母親が孤立していることが多いように感じています。

ところで追い出される原因はいろいろあると思うのですが、
私が多く体験しているのは、
夫の両親と折り合いが悪くなり追い出されるということが多く、
その原因となるのが、
妻のヒステリー、うつなどの精神疾患
その他身体疾患が目につきます。

少なくない割合に妻の不貞ということがありますが、
多くのケースに、妻の不貞を誘引したのが
家庭の中の孤立という現象があります。
それでも不貞は賛成できることではありませんが、
ギリギリの精神状態になっていることから、
生きるための活動であることは理解できる気がするケースがほとんどです。

私は不貞に関する事件を多く扱っているのですが、
ギリギリの病的な環境の中で、
何かから逃げるような刹那的な行動であるケースがほとんどで、
最近のテレビドラマのような、
あっけらかんとした明るい不倫などというものは
変な話、不貞に対するというか、人間に対する冒涜だと感じてしまいます。

それはともかく

面会交流調停において、
子どもと同居する父親の主張は以下のとおり判で押したように
みんな同じことを言います。

・面会交流が大切なことは理解している。
・母親のいない生活が始まったばかりなので、精神的に安定していない。
 気持ちが落ち着いたら面会交流を始めたい。
・子どもが母親と会うことや電話をすることを嫌がっている。
・まず、手紙で子どもの写真を送るところから始めたい。

言うことは、男も女も同じです。

裁判所は、「面会交流の必要性は理解している」と言われると
安心してしまい、それで解決と直結して今います。
しかし、そんなことを言っても
具体的な面会交流に話を進むことはありません。

会えない子どもから見れば、
親と面会できないことには変わりないのです。

未だに裁判所は、このような実態について気が付いていません。
具体的な面会交流の話が始まらなくても
のんびりしていることが多いようです。
子どもに会えない親の焦燥感を
少しは考えなくてはならないのではないでしょうか。

「子どもを母親に取られてしまうのではないか」
という不安が、調停委員の報告を聞いただけでこちらはわかります。
男親の方が女親よりもわかりやすいのですが、
言葉をそのまま受け取る裁判所には良くわからないようです。


<なぜ母親は子どもを置いて出てきてしまうのか>

「子どもを置いてくるから悪いんじゃん。」
と、切り捨てるような考えを持つ人もいるかもしれません。

しかし、多くの場合(私が担当した事例では漏れなく)
おいてこざるを得ない事情があります。

その多くが、精神的問題です。
精神的に疲弊しているのです。

一言で言えばPTSD様の状態になっています。
本当の精神的な虐待が起きている場合があります。
連日の人格否定の発言や無視
母親としての対面を子どもの前で汚す行動
自分のつながりを切られてしまう
という極限的な配偶者加害が起きているケースがあります。

体重が極端に減少しているケースも多く、
慢性的な睡眠障害と併せて
精神的にも抵抗力がなくなっている状態です。

現実に精神的に虐待されているケースもあれば、
精神疾患によって虐待があるように思っている場合があることは
子どもを連れて別居するケースと同じです。

但し、真正の虐待(支配と従属関係)の割合が
母が子を置いて別居する時に多いと思います。

配偶者加害が完成すると、抵抗力がなくなります。
「何とかしよう」とか、「何とかできるのではないか」
という発想すらがなくなるわけですし、
「自分が悪いからこうなる」という気持ちに逃げ込むことで
自分をギリギリ保っている状態ですから、
自分が不合理な状態にさらされているのではないか
と疑うことも難しくなります。

だから、行政や女性支援者に相談に行くということが
なかなかないのです。
アドバイスを受けることなく、
言われるがままに子どもを置いて家を出ていくことになります。

こういう本当の配偶者加害(真正DV)のケースは
離婚させて「はい終わり」
という安直なかかわり方はできません。
いつ自傷行為や自死が起きるかわかりません。
さらには、また、配偶者加害の追い打ちがくる可能性もあります。
がっちりチームを組んで、1年や2年は連絡を取りあい、
人とのつながりを取り戻す共同作業を行います。

長期的なつながりの中で、
配偶者加害の被害者は生きる力を取り戻し、
病前のレベルまで活き活きと活動を開始することができるようになります。

まさに複雑性PTSDの知見がぴったり当てはまる状態です。
そういう方々とかかわって、
J L ハーマンの「心的外傷と回復」(みすず書房)が、
きわめて真実の道筋を述べていることを理解することができます。

日本で行われるDV政策の多くを
まがいもののようにいう理由は
こういう体験に根差すものなのです。

さらに、こういう真の配偶者加害の被害者を苦しめるのが、

「面会交流は、離婚の影響が落ち着いてから」
「子どもの意見を聞きましょう」
「継続性の原則」
さらには、
「面会交流は危険です」
等という妄言です。

本当に支援し続けなければならない女性を
面会交流を危険視する人たちが
追い込んでいるわけです。

わが子に会えない母親も
別居してしばらくすると
子どもを置いて出たことの誤りに気が付きます。

離婚調停などが始まって、
支援をする人たちとのつながりが生まれると
闘う気持ちも出てくることがあります。

しかし、面会交流を理解できない弁護士に当たる確率が高い
という事情があります。
女性の権利を回復する闘いだとして
いつも面会交流に抵抗する弁護士が紹介されるからです。

優秀な方々なので、金銭的な面では成果が上がるでしょう。
しかし、子ども会えるようにはなりません。
「どうしてこれだけ金銭的に勝ち取ったのに、
 離婚に応じないのだ?」
と、どちらの代理人かわからなくなるような
説得をされてしまいます。

子どもと会えない母親からすると
自分の子どもを金で売るような感覚になることもあるのです。

辛さを理解して、その上での提案だったら
どんなに救われるでしょう。
そういうお母さんから電話をもらって
電話口で一緒に泣くこともあります。

面会交流に取り組む弁護士は、
男女を敵対させる気持ちが理解できません。
性別にかかわりなく親が子を慕い、子が親を慕う心情に
偽りはないと感じているはずです。

稚拙で、不合理で、差別意識に基づく
親子を引き裂く司法が根絶されるよう、
もっともっと多くの弁護士が
面会交流に取り組むようになることを
願ってやみません。

危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道 [家事]

私は、弁護士なので、自分が担当していない事件については
理由がない限りコメントできないと思っているので、
今までコメントしてこなかったのですが、
あまりにもヒステリックな議論が横行していることを憂慮して
書かざるを得ない気持ちになっています。

今年1月に起きた長崎の女性死亡事件と
4月に起きた父と子の死亡事件について
離婚した男性の殺人だと決めつけて
面会交流中に起きたのだから、
面会交流は危険だという印象を与える操作を
ネット上で展開している人たちがいます。

ちなみに長崎の事件は犯人は特定されていません。

ところで、親子心中事件はそんなに多いのでしょうか。
政府統計によると、
平成26年の子どもを巻き込んだ心中事件は27件
うち23件は母親の心中で、父親の心中は二番目にも入りませんでした。
ほとんどなかったという結果です。
心中以外の虐待死は、母23件(363.6%)、父3件

25年ですと
心中事件 母18件、父13件
心中以外 母16件 父8件

24年ですと
心中事件 母24件 父6件
心中以外 母38件 父3件

23年は
心中事件 母33件 父表示されず
心中以外 母33件 父11件

それ以前も母の手に係る子殺しは二けたを維持しているようです。

但し、母親の子どもに対する殺人事件の少なくない割合に
出産日の殺害という類型があることは気に留めておいてください。

離婚後の殺害という分類はありません。

この統計を見ると、
仮に、長崎と兵庫の事件が離婚後の元夫の犯行だとしても
極めて例外的な事件であることがわかります。

一般的に
「離婚前後はお互いに気持ちも生活も落ち着いていない時期である。そのようなときに面会交流をおこなうことに危険が伴うことは、素人でも理解ができる。」

という根拠にはならないことは、
資料を隠されなければ、
学生さんも理解できるところでしょう。


では、離婚後しばらくすると葛藤がおさまるのでしょうか。
ある類型の離婚事例では、私のみてきた事例では
離婚後数年程度では葛藤が収まらない事例が多いようです。
「子どもをとられるのではないか。」
「何か良くないことが起きるのではないか。」
と不安定になっているケースが多くあります。

その類型では、男性の方も
精神的に不安定になり、
社会生活に適応が難しくなったり、
鬱的な日常と付き合わざるを得ない
悲惨な場合が多くあります。

しかし、その反対の事例では、
再婚率が高くなるように感じています。
離婚までの時間がかかっても、
離婚後の葛藤は鎮まるようです。

どういう類型が予後が悪くなるのかというと
「逃走型離婚」とでもいうようなケースです。

多重債務を抱えて夜逃げをするようなものです。
いつまでもいつまでも恐怖が消えないどころか、
元々はなかった恐怖まで上乗せされていきます。

逃走型離婚の予後が悪い理由の女性側のメカニズムについては
既に論じていますので省略します。

「支援による子連れ別居は、女性に10年たっても消えない恐怖を植え付ける  女の敵は女」2

取り残された方の心理ですが、
先ず、わけがわからない状態に陥ります。
朝まで一緒に日常の会話をしていた家族が、
仕事から帰ったら誰もいなくなっていることは
とてつもない衝撃です。

小さい子どもがいるケースが多く、
とても心配になります。
警察に届け出を出そうとすると
赤の他人の警察官が居場所を分かっているようなことを言います。
それでも、夫に教えることはしません。

「自分だけが家族から排除されている」
ということだけが強烈に理解できてしまうわけです。

実際は妻の実家に帰ることが多いのですが、
実家に行くと近くに警察官が待ち構えていて、
警察署に連れていかれて、
精神的虐待だから近づくなと
法的根拠のない事実上の強制をしてくることも
少なくありません。

市役所に行けば、自分の家族の住所がわかる書類は
一切見せられません。
「あなたと話すことは何もない」
等と職員から言われて
何が何だかわからないうちに、
市民としても当たり前に扱ってもらえなくなっています。

一番基本となる群れである家族と
一番強権力がある公権力が、
自分のすべてを否定してきている状態です。

これまで犯罪と無縁でいた善良な市民は
自分が犯罪者というレッテルを張られたという意識を持つようです。

子どもたちとも会えません。クリスマス目前でいなくなった家族や
クリスマス後にいなくなる家族があって
微妙なニュアンスの差があるのが実情です。

子どもたちは自分を嫌っているわけではない
日常の生活からそう考えます。
学校にも通っておらず、
学校も、結局は、どんな状態でも
転校手続きを進めてしまいます。
転校先では母親の旧姓を名乗っていることもあります。

「自分が人間として尊重されていない」
そう感じてしまうことに、有り余る事情があると思います。

一番の問題なことは、
どうしてそういうことになったのか見当がつかないことです。

こういうことになると、人間の考えることは
ほぼ共通しています。

先ずは、あったことを否定したくなるわけです。
何かの間違いであり、悪い夢で
目が覚めればまた日常が戻ってくる。
悪い冗談なのだろうと最初は思うでしょう。

だんだん警察官の制服を見るにつれ
現実に引き戻されていきます。

次に思うことは、
妻の本心ではないということです。
妻の実家に操られている
警察や男女参画や弁護士が主体的に行っている。

離婚調停や裁判で、自分が認識している事実と明らかに違うことが述べられているので、
その気持ちを強くしていきます。

一向に子どもとは会えません。

ここからの対応は個性や環境やタイミングの違いで
バリエーションがあるのですが、
要するに強い危機意識への対処の方法の違いに過ぎません。

ある人は、うつ状態になります。
すべてをあきらめて、
自分が再び尊重されることが不可能だと悟り、
生きる意欲を少しずつ失っていくわけです。
だいたいが焦燥型のうつで、
突然大声でわが身の不幸を嘆きたくなる
知らない人はびっくりするような精神状態です。

ある人は攻撃的になります。
意識としては、
「自分は間違ったことをしていないのに
 どうしてこんな目にあうのか」
というような感覚なのだと思います。

この時妻を攻撃の対象とするケースと
妻は攻撃の対象としないで、
弁護士や裁判所に対する怒りを募らせるケースと
それぞれです。

このような感情の不安定さを招いた一番の原因は、
わけのわからないうちに自分が否定された
ということなのです。

人間も他の動物と同様「生きていこう」と思うわけです。
但し、他の動物と違うことは
「人間として生きていきたい」ということです。

それは、「群れの中で尊重されて生きていく」
ということなのです。

これが理由もわからずに強烈に否定されてしまうと、
人間として生きていこうということが否定されることから危機意識が強くなり、
それに負けて逃避するか、
自分を守るためにやみくもにエキサイトするか
どちらかになってしまうことは
理の必然なのです。


どうすればよいのでしょうか。


離婚は、通常どちらかが離婚したくて
どちらかが離婚したくないというものです。

離婚したい側のすることは、
最終的には、自分が離婚したいという気持ちを
相手に理解してもらい、相手にあきらめてもらうことなのです。

自分の気持ちを理解してもらうためには、
相手を理解することが早道です。

「あの時、あなたは、こういうことを言った。
 あなたの感覚では、親愛の情を示すことなのかもしれない
 でも、私は言われて嫌だった。
 だから、あなたにまじめにやめてほしいと言ったのに
 あなたは私を馬鹿にしたように笑うだけだった。
 私は、これからもああいう場面のたびに傷つくことを言われる
 自分が大切にされていないと感じると思うと
 生きる気力が失われていくように感じた」

といえばよいのに、

「あなたは、あの時、こういう言葉で
 精神的虐待をした。モラルハラスメントだ。」
となってしまうと、
とてもではありませんが、
何が何だかわかりませんから
離婚したいという気持ちを許容する気にはなりません。

「精神的虐待のつもりではないことは
 分かっていたはずなのに針小棒大だ」
と感じてしまうことは当然でしょう。

「あなたは厳格するぎるお父様に育てられたので、
 私のそういうところを見過ごすことができないで
 こういう態度をした。
 確かに言っていることは正しいことかもしれないけれど
 私もどうしてもできない時があって、
 その時にああいう態度をとられると
 自分自身を否定されているような感じで
 あなたと一緒にいるとと、自分がだめな人間だと
 思われ続けているような気持ちになっていく」

といえばよいところを

「あなたの父もDVだから、DVが遺伝したんだ。」
という主張になれば収拾がつかなくなります。

実際に理解できなくても
理解しようとしている姿勢を見せると
離婚が早くなるものです。

当事者の方々はなかなかそれが難しいことですが、
代理人である弁護士は、当事者化しないで、
そのような合理的な主張を調停では組み立てられるはずです。

離婚事件の当事者の双方の痛みに向き合う作業をしなければ
代理人とは言えないのだろうと思います。

要するに、離婚したい方は、
離婚したいほど相手の嫌なところについて
相手なりに理由があるはずだと考え
その理由を言い当ててあげる。

相手を理解しても、
それでも、今後の人生
一緒に生活をしたくない
というメッセージを伝えなければならないはずです。
そして、それが、相手にあきらめてもらう王道なのです。

しかしながら、実際は、
わずかのすきをついて、
「それは取りようによっては精神的虐待といえる」
「裁判で主張すれば離婚できるかもしれない」
というような主張が横行しているように感じます。

子どもじみたゲーム感覚です。
とても、人の一生に影響を与える離婚事件を取り組んでいるようには
思えないのです。

当事者が一対一で話し合うことは難しいことが多いのですが、
夫婦には夫婦しかわからないことが多くあります。
一概に自分を否定しているわけではないということは
代理人を通してでも伝えることができます。

離婚を迅速に円満に進めるためには、
相手の十分な理解を通じて、自分の気持ちを理解してもらう
ということに尽きると思っています。


もう一つの
離婚を紛糾させて、当事者の感情を興奮に至らしめる事情は
「子どもを会わせない」ということです。
不思議なことに、多少の暴力事案であっても
子どもたちは、親を嫌いにならないということが多くあります。
子どもの方が、当事者夫婦よりも
かなり冷静に公平に見ているようです。

親に会いたいという気持ちは
言えない事情があっても多くの場合はあります。
会いたくないといっても
いざあってしまえば、時が遡ったような
親子関係が出現することが多いです。

ただ、年齢的に親と打ち解けることができなくなる時期があり、
4,5歳の、親の手を握り締めて歩いていた時を
求めていたのでは失望するでしょう。

また、相手が打ち解けないことに動揺してしまうと、
子どもはますます打ち解けるタイミングを逃してしまいます。
最悪なのは、「どうして楽しそうにしないのだ」といってしまうことです。

気にしなければ良いのです。
一緒にできることを探すのがベストですが、
親が一緒にいて楽しい、嬉しいという
そういうことを伝えれば時期になごんできます。
無条件に大事にされることが
子どもにとって一番です。

そのためには負の感情も肯定してあげることが
辛いですが必要となるのですが
いろいろと疑心暗鬼になるのも理解できるところです。

とにかく、子どもに会わせないということが
別居親の精神的葛藤を高めます。

親子という関係を否定されてしまうことは
特に日本人にとっては、
自分の宗教を否定されたような
強烈な衝撃を与えることです。

未来永劫子どもとは会えないという考えは
とてつもなく深刻な危機意識を与えてしまいます。

離婚調停の文書で大げさな表現を使い、
子どもに会わせない
ということが
相手を挑発することになることは
理解できると思われます。

さて、そのことを裏付ける統計がやはりあります。

離婚統計ですが、
以下のとおりです。
離婚統計.jpg

平成14年をピークに下がり続けています。
これを知らないで、
未だに離婚数は増加していて、
3件に一件が離婚する時代だなんてことを言っている人もいます。

その年の離婚数が
その年の婚姻数の3分の1だ
ということに過ぎません。

結婚している夫婦は、その年に結婚した夫婦だけではありません。
もっとたくさんいるわけですから、
夫婦の3組に1組が離婚するわけではありません。

このように離婚数は右肩下がりに減少しているのですが、
次のグラフを見てください。

面会交流調停新受件数.jpg

面会交流調停や審判の申立件数は
右肩上がりに上がっているのです。

配偶者暴力相談の相談件数の10分の1が
面会交流調停の数とぴったり合っています。
これが偶然であるとは思えません。

いかに、一方が納得行かない離婚や
子どもとの別れが増えているのか
ということをはっきり示しているのだと思います。

そして、その納得のゆかない離婚や別居に、
一方的な子どもを連れた逃走型離婚の増加が
関係しているのではないかという推論が成り立つはずです。


もし危険な面会交流が増えているとすれば、
それは作られた危険であり、
大人同士、人間同士の
当然な切り結びを否定して
相手の人格を否定するやり方に起因している可能性が
極めて高いと思う次第であります。

防止するべきは面会交流ではなく、
相手の人格を否定するような別居、離婚のかたち、
稚拙でヒステリックな方法論だと思います。

「子どものしつけに熱心な」父親が、妻から「子どものために離婚」を要求される場合に何が起きているかについて その1 [家事]

本記事は三部構成です。

順に「前の記事」に続いています。

 

1 ある離婚パターン

 

考えてみると、昔から多い事例だったのですが

子どもを守るために」という理由で

妻が離婚を申し出るパターンがあります。

 

夫が、ある日家に帰ると、

妻も子どももいなくなっていて、

行方も知れず、途方に暮れてしまいます。

 

妻に暴力をふるったことはなく

取り立ててひどい暴言もない。

少なくとも、妻よりひどい暴言はない。

 

それなのに、離婚調停の申立書が届き、

警察官が、家庭の中に入ってくることも多くあります。

場合によっては、保護命令が申し立てられ、

電話やメールをすることも禁止される上

自由に外を散歩することさえ禁止されることもあります。

 

離婚調停申立書の離婚理由を見て愕然とします。

自分が子どもを虐待していることを理由としていからです。

読んでも意味がわからないことが多いのではないでしょうか。

 

全てにおいてやる気がなくなったり、

怒りがこみあげてきたり、

精神的に不安定になりますが、

不安定になっていること自体に気づかないことも少なくありません。

 

そして、これは、誰かの陰謀なのだろうと考えるでしょう。

虚偽の理由によって、離婚を申し出るということは、

妻が浮気をしているとか

弁護士や行政、警察にそそのかされたとか

妻の両親が主導しているとか

そういうことを考え始めることも自然なことなのでしょう。

(実際そういう場合も少なくありません)

 

このように、相手に打撃を与える方法で別居が始まると

夫は、なかなか自分の行為に原因があるということに

思い当たることができなくなります。

また妻の心情を思いやることもできなくなります。

 

そもそも、「自分は間違ったことをしていない

間違ったことをしてないために自分が不利益を与えられるいわれがない」

という発想が人間の特に男の自然の発想です。

 

子どもを連れての突然の別居という方法は、

解決を遠のかせて、

事態を深刻に、双方にとって危険な状態にする

稚拙な方法であると私は思います。

 

2 夫(父)の言い分

 

確かに自分は子どもに厳しいところもあった

ということに、運が良ければ気が付くこともあるでしょう。

それだけで、立派な人物だと思います。

こういう理不尽な思いをした場合の人間の心理は、

自分を守るために、他人に原因を求めるものですし、

その過程の中で、無意識に自分の弁護に役に立つ記憶をかき集めているからです。

 

しかし、問題はこの先に進まないことです。

厳しく接したことには言い分があるということです。

 

1)      厳しくしたのは理由がある

 

なるほど、特に理由がないのにわが子に厳しくする人はあまりいません。

子どもの年齢によってまちまちですが、

例えば、おもちゃを片付けないで違う遊びを始める

勉強をしないでゲームばかりをしている。

そして、これまでも同じことを言っているのに守らない

また、大事な時に頑張らない

これを放置していると子どもがだめになってしまう

という意識があり、理由があるというわけです

子どもに八つ当たりをしていたわけではない。

むしろ子どものために行ったという意識があるからです。

 

2)      自分は子どもを理解し、コミュニケーションがとれている

 

確かに、こういうお父さんは、

子育てを妻に任せっきりという人とは正反対のようです。

妻に用事がある時は、自分で子どもを見ることができます。

遊園地やキャンプやミニ旅行に子どもを連れていくこともできるようです。

子どもの好きな漫画やゲームもわかっていて、

子どもと一緒に楽しむことができると思っています。

だから、多少厳しくしてもメリハリができていて、

子どもとしっかりコミュニケーションがとれている

と自分で思っていますし、

それはあながち独りよがりというわけではなさそうです。

 

3)      そうして、一番事態の理解ができない理由は、

別居の前日まで、普通にみんなで

一つ屋根の下で暮らしていて

会話も普通にあり、心の交流もあったのに

どうしてある日突然心変わりとなったのか

理解できないというものです。

誰が考えたって、それはそういう気持ちになるでしょう。。

本当に突然の別居という方法は

長期的に見れば紛争を拡大する稚拙な方法だと思います。

 

3 妻の実際の気持ち

  

  これは案外単純で、

  離婚調停で妻が言っている

  夫に対する、恐怖、嫌悪、不快という負の感情は

  実際に感じていることが多いです。

  一言で言って、夫と一緒にいることに安心できないのです。

  この原因は次に述べますが、子どもたちはどうでしょう。

 

  子どもたちが本当に怖がっているかどうかは

  それぞれの事情によって違います。

  

  よく妻が主張しているパターンは

  子どもが何人かいる場合、

  「一番上の長男にばかりつらく当たる」ということですが

 

  こういう場合でも、長男が本当に父親を怖がっているかと言えば、

  怖がっていないことも多いのですが、

  結果として深刻な精神症状が出ている場合もあります。

  

  むしろこの時父親を怖いというのは

  長男が厳しくあつかわれているのを見ていた二番目の子ども

  ということが多いです。

  ただ、これは、なかなか疑わしいことが多く、

  父親の行為を見て父親を怖がっているというよりは

  怖いと思うべきだという意識が強い場合も多く見られます。

  実際に会うと最初は拒否的ですが、

  父親が気にしないで遊びなどを始めると

  すぐに昔のように一緒にはしゃぐようになることが多いからです。

 

  3番目の子どもがいる場合、通常は全く怖がっていません。

 

「前の記事」に続きます。

 

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「子どものしつけに熱心な」父親が、妻から「子どものために離婚」を要求される場合に何が起きているかについてその2 [家事]

4 妻の否定的な感情の理由

 

  それでは、なぜ、妻は夫に安心できなくなるのでしょうか。

  もちろん理由があることです。

 

1)      自分が叱責されているときと同じようにつらい

 

夫だって、妻がねちねちと子どもにあたっていると

イライラするわけですから、

当然妻だって同じでしょう。

 

夫が、感情を伴って子どもを叱責すると

子どものつらい感情に、

場合によっては本人が感じているよりも

母親が強く共鳴してしまうということは、

親ですから当たり前です。

 

そうすると子どもを守ろうという意識も当然強くなります。

それでも叱責をやめない父親に敵意が自然に湧き出てきます。

 

これは、とても便利な仕組みで、

過剰な親の叱責に対する抑止効果となります。

どうしても親も感情的になることがありますが、

両親がそろっているときは、

お互いがストッパーになるわけです。

  

    大体、子どもの弱点は親の遺伝です。

    自分が言われたくないことを夫が子どもにとはいえ

言っているのですから、

    だんだんと腹が立ってくることも、

これも男も女も一緒でしょう。

    子どもへの叱責を口実に自分の悪口を言われているような

感覚になることを感じたことはあると思います。

 

    それでも調子に乗って夫が子供を叱り続けると

    妻は、「自分を無視している」

    という気持ちになっていくようです。

 

    「子どもを守るための離婚」という理由の少なくない部分に

    自分を守るためということが入っていることは当然だし

    それは通常は、子どものためになる仕組みに基づくものだ

ということになります。

 

2)      子どもに障害がある場合

 

この種の事例では、お子さんに障害があるケースが多いです。

子どもの障害については、一つ傾向があります。

父親は、それが障害であることを否定する傾向にあり、

障害がない子として接する傾向にあります。

 

母親は、障害であること認める傾向にあります。

そうして、子どもの障害に対して

男親から見れば、必要以上ではないかと思えるほど

自分の落ち度のように罪悪感を抱いているようです。

 

母親は自分で叱る分にはそれほど感じないようですが、

父親に子どもが叱られていると、

自分が障害なく生まなかったことを

父親に責められているというか、

自分のせいで子どもが父親に責められているような反応を示してしまうようです。

もちろん、父親はそんなことまで頭が回らないのです。

子どもをかわいそうだとみていないからです。

 

子どもが片付けなかったり

最後の踏ん張りがきかなかったり

勉強をしなかったりしても、

それは障害の為であり、自分が悪いんだ

という意識で、余計に子どもがかわいそうに思うようです。

 

夫が「正しいこと」を言うことにより、

妻は身を切られるような苦しみを感じていたのです。

 

これが毎日続くことによって、

母親は次第に追い込まれていきます。

終わることのない家族の営みが苦痛になっていきます。

苦痛を終わらせたいという要求が出てくることは

自然なことだと思います。

 

離婚という方法を示されて飛びつくということは

もしかしたら、夫の行動も一因となっていることも

どうやらあるようです。

 

3)      もっと端的に、夫の

 

 

 

 

 

夫の叱りによって、否定的感情だけが子どもに伝わり、

 

教育的効果がない場合が多くあります。

 

この場合は子どもは恐怖を、妻は嫌悪を感じます。

 

 

 

「ちゃんとしろ、ちゃんとしろ」と

 

結局何を言っているか伝わっていなくて

 

怒っていることだけは伝わる場合、

 

 

 

「だからだめなんだ」というような場合もそうですね。

 

 

 

傍で聞いていると同じ言葉ばかりを繰り返している場合、

 

 

 

年齢的な到達度から比べると

 

どだい無理なことをやれと言っている場合

 

 

 

子どもに何らかの事情があるのに

 

それを知らないで、理解しないで、気が付かないで

 

結局無理を強いているような場合、

 

 

 

言葉遣いが乱暴な場合

 

自分では親身になっているつもりでも

 

特に女性が聞くと大変怖いものらしいです。

 

 

 

罰として食事を抜くとか

 

家から外に出す

 

というような叱り方の限度を超えている場合。

 

 

 

こういう場合もあるようです。

 

 

 

それでも自分は悪くないという父親がいますが、

 

それはだめです。

 

こういう場合は、子どもに障害があるお母さんのように

 

毎日が苦痛になり、

 

父親が嫌悪と恐怖の対象のように思われてきます。

 

 

 

ちょうど職場の嫌な上司と

 

毎日同居しているようなものです。

 

 

 

 

さらに「前の記事」に続きます。

 

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「子どものしつけに熱心な」父親が、妻から「子どものために離婚」を要求される場合に何が起きているかについてその3 [家事]

5 なぜ夫は稚拙な叱り方をするのか

  こんなことを夫がして、

  妻の言い分を聞かないで

  正しいことをするのを妨害するなという態度だと

 

  妻が行政や警察に相談して

  「それは精神的虐待です。DV男は一生治りません」

  という言葉に縋りついてしまうのですが、

  このような稚拙な叱り方をすることには理由があり、

  比較的簡単に行動を改めることはできます。

  但し、自分の行動が合理的ではなく、

  特に妻の感情を害しているということを理解し、

  妻の感情を害さないことに価値を置かなければなりませんが。

 

  では、その理由を考えてみましょう。

 

1)      父親が育った環境に原因がある場合

 

父親にやさしくされた記憶のない人が結構います。

そもそも父親と生活した記憶のない人

父親に厳格に育てられすぎて、

自分の意見を父親に受け入れてもらった記憶のない人

 

父親から厳しくされて、追い込まれたという記憶のない人も

父親から厳しくされ過ぎて子どもが絶望的な孤立感を抱く

ということを理解できません。

 

こういう父親には

子どもも、自分で考えて自分の身を守りたいという気持ちが

少しずつ出てくることを理解させる必要があります。

絶望的な孤独の恐怖を教える必要があります。

 

2)      職場での環境

 

夫の会社が、従業員に甘えているよう会社で

会社の論理が夫の行動原理である場合があります。

 

無理なノルマを課して長時間労働を強いる職場

従業員の人格を無視してパワハラをしても誰も止めない職場

 

上司に説明をすることをすべて言い訳だといわれて

許されない職場

 

下請けや取引先を食い物にするような職場

 

そのように合理性よりも

厳しさを追及している会社

人を大事にしないで、結局生産性が阻害されている

日本の平均的な会社で、

自分が扱われているように

長男を扱ってしまう

ということも見られるようです。

 

八つ当たりや報復というよりも

それが男として当然の扱いだと

思いこんでいるような印象を受けます。

 

会社の洗脳から自分を解放する必要があります。

 

3)      教育やしつけのノウハウがない

 

例えば、片づけをしない子どもに

片づけをさせる方法を知らないということです。

知らないくせに、片付けさせたいので、

「片付けろ」と求める結論を連呼するしかないのです。

 

片づけをするように誘導することができないのです。

せめて、なだめたりすかしたりという知恵があれば

もう少しうまくゆくでしょう。

 

4)      子どもの事情を考慮できない

 

子どもが、どうしてそういうことをするのか

あるいはしないのかについて

情報量が少ない場合があります。

 

原因がわからないのに

行動の修正を誘導するということは難しいことです。

それはイライラもしてくるでしょう。

 

この間知ったことですが、

耳から聞く情報が頭に入りにくい

というお子さんもいらっしゃるようです。

 

面倒でも雑記帳を手元において

字や絵をかいて

教えるという方法をとると有効です。

 

また、集中力が足りない、続かない子どもは

多くいますし、また

将来知的職業に就く人の子どものころというのは

大抵そんな感じです。

興味関心が、次から次へと移ってしまうのです。

 

こういう子どもでも

一緒にいることで、集中力が続くことがあります。

中学校の部活動の顧問みたいなものです。

 

しかし、偶然うまくいっただけなので

どうしてうまく言ったのか教訓がわからず、

妻ではなく自分がやったほうがうまくゆくという

勘違いが起きる理由もここにあるのです。

 

5)      理想が高すぎる

 

自分だって子どもの年齢の時は、

そんなに大してきちんとできていなかったのに

子どもに多くを望む人もいます。

そりゃあ、大人になった今なら簡単でしょう。

子どもの時に、自分が要求していることが

できていたかということを

振り返ることができない人も多くいるようです。

 

6)      正しさに価値観をおくこと

 

やはり男性の方が多いようなのですが、

正しいことをやっていればうまくゆくと信じている人です。

もっとわかりやすく言えば

間違ったことをしていないのにどうしてつらい思いをするのか

と、自分の境遇について思考停止になってしまうヒトです。

 

正しさは、一つではない

そうだとすると正しさがぶつかり合うことがある

 

    一見正しいようだが、

    個別事情という情報を見落として結局正しくない場合がある

 

    正しさは他人同士を規律する概念であり、

    家族を規律する行動規範は

    相手の気持ちを大切にするということだと

考えることはできませんでしょうか。

    そういう考え方もあるかもしれない

    という程度でよいので、そういう視点を持ってみると

    見えてくることもあるようです。

 

6 どうすればよいのか

 

1)      もし、やり直すことができた場合

 

まだ、妻が我慢しているうちに

夫は行動を修正するべきです。

何よりも、このように、

子どもの都合も聞かないで正しい事ばかり押し付けていると、

子どもは父親の話を受け付けなくなります。

 

人間も他の動物と同じように、

自分で自分の身を守りたいという要求があります。

この思いが強くなる時期が反抗期と言われる時期です。

 

自分の行動を自分で決められないということは

自分の身を自分で守れないという意識となり、

それは、生きることの妨害者として意識付けされてしまうからです。

 

逆に、すべて親の言いなりになる場合は、

親の言うことを聞かないと自分で何もできない

依存体質になりますので、

子どもの健全な成長を妨げるだけのことです、

 

    それぞれの事情に合わせた解決方法が必要なのですが、

    一つの方法論として

    チームとして行動するということがあります。

 

    家族というチームの中の

    両親というユニットで対応するということです。

    

    子どもの問題については、

    特に叱る場合は、

    母親と相談して、情報を共有し、

    どう誘導するかという観点で意見を出し合う

    ということです。

 

    そして、自分が子どもをどうしたいという

    理想から始まるのではなく、

    今の子どもの状態を0として、

    ここからどう誘導してプラスを増やしていくか

    という発想に切り替えると良いかもしれません。

 

    要するに、子どもを信頼するということなのです。

    子どもの人格は自分と同じところと妻と同じところと

    親と関係のないところがあり

    興味が尽きないところです。

    これを楽しむことができれば幸いです。

 

    子どもを縛るのではなく

    自由に行動できる部分を承認するということなのでしょう。

    

    チームのメンバーを自分の思い通りに動かそうとするのではなく、

    それぞれの良いところを引き出し

    それぞれの弱点をかばおうとするということですね。

 

2)      不幸にしてバラバラになったとき

 

もし、私の分析に心当たりがあるならば、

自分の行動を修正するという方法で

チーム状態を修復できる可能性が出てきます。

 

相手があなたを怖がっているならば

安心させることをめざすことです。

 

少しずつ、安心させることです。

貴方と「一緒にいても、悪いことが起きない」

という経験を少しずつ積んでもらい

なれてもらうということなのです。

 

但し、最初は、自分の行動を修正しようとしている

ということを理解してもらう何らかの行動が必要です。

 

それは次のような文章を作成することが有効だと思います。

 

   自分の行動の何が修正すべきことだったのか

 これを具体的に、述べることです。

   その時どうすればよかったのか

ということですね。

 

例えば、

平成28年夏ごろ、

自宅で、子どものゲーム機を取り上げて隠したことがあった。

この時、子どもなりに精神的に辛いことがあり、

何もする気になれず

ゲームをすることによって気を紛らわせて、

つらい思いをやり過ごそうとしていたのに、

そんなことを聞きもしないで取り上げて隠してしまった。

子どものつらい気持ちに気づくことも、共感してあげることもできず、

ただ、勉強しろという気持ちをぶつけてしまった。

 

子どもにもうまくやれないときがあることを理解せず、

信じてあげることもできなかった。

子どもは、家族として信頼されていないという

辛い気持ちが強くなったかもしれない。

 

妻は、そんな子どもの気持ちを察して黙っていたのだから、

自分が行動に出る前に一言事情を聴けばよかった。

 

これからは、先ず、何か理由があるかもしれないという態度で、

家族を先ず肯定することから始める。

先ず、妻から事情を聞いてから、

妻と相談してから強い行動に出ることにしようと思う。

 

とか、

 

29年1月に子どもに食事をさせないということをしてしまった。

子どもにとっては食事をしないということは、

自分を家族として認めてもらっていない、

何かあったら守ってくれないという

絶望的な孤独を与えてしまった。

どんなに子どもが言うことを聞かなくても

粘り強く、子どもを尊重しながら

少しずつ修正していくように考えるし、

妻がそんなことをやめてと言っているときは、

先ず必ず妻に従い、

どうしたらよいか相談する

とか

 

相手の心を言い当ててあげて

それでよいんだというメッセージを送り続ける

ということだと思います。

 

長々と書きましたが

何かの参考になれば幸いです。

 

一番のカギは、

自分が攻め込まれている状態で難しいことなのですが、

自分を守るという発想よりも

家族の状態を自分が修正する

という意識を持てるかどうかだと思います。

 

 


母親が娘を支配し、娘に子どもを連れて別居させて離婚をさせるその仕組み [家事]


少し前に、斉藤由貴と波留が出演した
NHKのドラマ「お母さん、娘をやめて良いですか?」
が放送されていました。
大変興味深く観ていました。

離婚事件を担当していて、
貴方の妻がどうしてこういう行動をとるか
ドラマを観ている人には説明が楽になりました。
このようなことは実際に起きています。

どこまで母親が意図的に娘を操作しているのか、
無意識に行った結果なのかはわかりませんが、
娘は母親の意向を受けて離婚をするということが
けっこう起きています。


そこには極めて高度な心理操作が行われています。

しかもどうやら子どものころからの長期にわたる作業のようです。

NHKドラマでもあるのですが、
母と娘の間にある種の関係ができてしまうと、
娘にとっては母親の気持ちにたどり着くことが正解なのです。
娘は無意識に正解を探すようになります。

例えばコーヒーカップを買う場合一つとっても、
自分の母親ならばどれを選ぶだろうかと考えます。
そもそも、自分がどういうものが使ってみて心地よいか
という発想がないのです。
母親に褒めてもらったコーヒーカップを使うことが
心地よく、安心するようです。

服装もそうです。
母親に気に入られるような服装を選ぶようになります。

部活や自分の進路さえも母親の気持ちを考えます。
母親の意見がわからないと、何も決定できない
自分の選択が正しいのか不安になるようですね。
そういう風に母親に作られてしまうわけです。

但し母親も確かな意見があるわけではなく、
娘が自分の意見に従うことを求めているだけのような
そういう印象を受けることも多くあります。
(かなり無茶なことを子どもに要求して
子どもが反発して呪いが解けることもあります)

ところで、どうやってそのように子どもを飼育するか
ということですが、
実に驚くべき方法でした。

先ず、わが子に対して、孤独の恐怖を味あわせるのです。
(あるいは既にある小さな不安を無理やり大きくして)
子どもが助けを求める状況を作っておいて、

母親である自分だけがあなたを助ける存在だと
打って変わって手を差し伸べます。
子どもは、やっぱり母親が大切だと思わされるわけです。

「お前はだめな子だ。劣っている子だ。
だからみんなから見放される。
一人ぼっちで生きて行かなければならない。
現にお父さんも見捨てた。」

こう言う言葉は、
小さい子にはとてつもなく恐怖です。
自分はどうなるのだろうという気持ちになります。

子どもが十分恐怖を味わったなと思った段階で、
「でもお母さんだけはお前を見捨てない。
お母さんだけはお前の味方だ。」
と繰り返し吹き込みます。

へたをすると、フルコースで一晩中やっていることもあるようです。
但し、こういうあからさまな心理操作をやる場合と
時間をかけて誘導する場合とバリエーションはあるようです。

だんだん母親の言うことを先取りしようとするようになるようです。

このような心理操作は、子どもを心理的な恐慌に陥れるもので、
精神的虐待であり、許されない行為だと思います。

私は、こういう心理操作は、
離婚後の母子家庭に起きる場合があるものだと思っていましたが、
そうではなく、父親もいる家庭の方が露骨に行われているようです。

では、父親は何をしているのでしょう。

単身赴任や長時間労働のため、家庭にいない
ということがありますが、
むしろ、父親が気が弱くて、
母親を制止できないというケースが多いようです。
おしなべて、離婚調停等で出てくるのは
妻の母親であり、父親の影は極めて薄いです。
父親はいないものとして事態は進んでゆきます。

この魔力から離れるためにあるのが
反抗期だという言い方もできるでしょう。
親と異なる人間関係(幼稚園、学校)ができて、
その軸足が外に移動することで
呪いが解けるときがあります。

しかし、子どもにいじめなどがあると
助けてくれるのはやっぱり母親だけだという意識が強まり
呪いの威力が強化されてしまうこともあります。

支配された子どもは極めて優等生です。
自分のやりたいことをやるという発想がなく、
「お母さんなら自分にどういう風に行動してもらいたいか」
という発想で動きますので、
学校ではきちんとしており、
実力を超えて勉強をしようとします。

疲れたとか、遊びたいという気持ちは
母親が悲しい顔をするので自分で否定していきます。

「休もう」とか「途中だけどあきらめよう」
という気持ちは、
自堕落な情けないことだと
そんなことを考える自分を悪だと責めるようになります。
(過労死予備軍も同時に育てていることになります)

友だちからは、四角四面で面白くないやつ
子どもらしくないロボットみたいなやつで、
自分を守ろうとせずに先生に言つけたりしますから、
嫌われていじめられたりします。

それよりも深刻なことは、
自分で自分を守ろうとすることを放棄しているので、
他人の気持ちを考えて自分の行動を修正することも
なかなかできないままに大人になっていくようです。
なんで自分は他人に受け入れられないか
分かりません。
「こういうことをすれば、他人が不愉快になる」
ということを学習しないまま体は大きくなります。
友人関係にはあまり重きを置かないので気にしないから、
何も学ばないままになっているのです。

最初の破たんは15歳のころです。
自分というものがありませんから
自分と他人の区別がつかなくなり、不安になります。
自分とは何かということを考えることが恐ろしくなります。
友達がいないどころか、いじめにあっているかもしれません。

引きこもり、拒食、過食が始まる時期で、
それが昂じるとリストカットや薬物が始まります。

自分の欲望すべてを否定し、罪悪感をもつようです。

しかし、この時期も余計なことを考えないで
母親の言うとおりに過ごすことで安心する一群があります。
比較的成績もよく、自分が恵まれていると感じて
母親のおかげだと思うのでしょう。
偶然仲の良い友達ができて
苦しむ必要がない場合もあるようです。

そうした場合の次の破たんの時期が
大体は結婚相手との関係です。
この手の母親は娘の結婚相手を
自分が決めるという意気込みが強くあるようです。
何度も見合いをさせますが、
破談にしているのは、実質的には母親です。

娘の前で相手のことをいろいろと難癖をつけて、
娘に断らせるのです。
「あの人、あの犯罪をした人に似ているあの人」とか
「ああいう顔って遺伝するのよね。」とか

人間完璧な人はいません。
どこかに非難できるところはありますし、
好みもひとそれぞれです。

実際は、気に食わないのではなく、
娘をとられるのが嫌なだけのようです。

それでも、偶然交際が始まることがあります。
巡り合うことはそれほど難しいことではありません。
娘にとって母親以外に、
自分のことを好きだと言ってくれる人は、
とても新鮮に感じられます。

この時から、夫と母親の綱引きが始まっているのです。
繁殖期の力は侮れません。
娘は、母親の眉をひそめて断れというサインも見逃します。
難癖をつける母親の言葉は聞こえません。
むしろ、母親が疎ましくなるのかもしれません。
今まで、母親から支配を受けていたことの
その意味を急に悟るようです。
結婚直前、母親と娘の仲は良くなく、
夫は、前から折り合いが悪いように聞かされるのでしょう。

結婚し、子どもを授かることはそれほど遠い話ではありません。
しかし、ハッピーエンドとはならず、本当の悲劇はこの後始まります。

いくつかのパターンがあるようですが、
妻となった娘が理由なく不安を感じるようになります。
気の迷いだったり、
産後のうつ気味かなといわれたり、
全般性不安障害だといわれたり、
早い更年期といわれることもあるでしょう。
重い病気にかかったり、
子どものことで思い悩むこともそれは出てきます。

どうやら、現実の乗り越えるべき出来事が出てきてしまい、
そしてそれへのうまい対処がなかなかできないと
(別に対処しないでやり過ごせばよいだけなのに、)
不安になってゆき、自然と母親を求めるようになるようです。
かつての呪いが時を経てよみがえるようなものです。

また、実際に甲状腺機能の異常とか
職場での人間関係による適応障害やうつ病
不安を感じさせる要素は年齢とともに出現しやすくなります。

この時期に、夫が適切な対処をすればよいのですが、
妻に何が起きているかわからないものですから、
できたものではありません。
長時間労働等で家にいる時間が短かったり、
疲れ果てて、一緒に悩むこともできなかったり、
何か妻が暗い顔をしていると
自分が悪いと責められているような気持ちになって
逆に妻を攻撃してしまうこともあるようです。

そうすると、妻は娘に戻り、母親に助けを求めるようになるようです。

母親は、かつての日本では、
「嫁に出したのだから」とぐっとこらえて、
知恵をつけてまた来なさいよと追い出していたのですが、
今の日本では、矜持が無くなったのでしょう。

「その不安は夫が原因だ。私だけは見捨てないと」
猛然と綱引きの綱を引き始めるのです。
かつて、自分の夫を駆逐したことを
今度は娘の夫に対して行うわけです。

「貴方の不安は正しい。不安を持つべきだ。
貴方はひどい目にあっている。
早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

これに役所や警察が裏打ちするわけです。
「あなたの不安は正しい。不安を持つべきだ。
 あなたが受けているのは精神的虐待だ。
 早く逃げないとあなたも子どももだめになってしまう。」

そうすると、娘に戻った妻は、
幼稚園の時に母親からベッドで聞かされた
怖い思いと、その後に来る安心感を思い出して、
夢中で母親の気持ちを言い当てようという傾向を
取り戻してしまうわけです。

夫と別居して母親の元に戻る
ということをあっさりやり遂げてしまいます。
自分が求められているのではなく
母から見た孫を求めていることも察していますが、
喜んで差し出すわけです。
母親が喜びさえすれば安心だ
というパターンを復活させているからそれでよいのです。

これが徹底すると調停に出てくる離婚理由は、
・夫が自分の母親に失礼なことをした
・母親の話では夫はこんなことをしていた
ということになるわけです。

「自分」という存在がかつてのように失われ、
母親が自分の体と心を乗っ取るわけです。

夫とともに「自分の気持ち」も失います。
また、子どもから父親を奪います。

そうして、父親を排除して
また自分と同じような娘を作ろうとするのです。

実際は、子どもが男の子の場合も多くあります。
マザーコンプレックスという言葉がひところはやりましたが、
おそらく、少なくない部分で、
洗脳めいた活動がなされた母親依存症なのだったのかもしれません。

封建制度の昔は、家長とか戸主がいて、
また道徳が人々の心に明確があって、
このような行為は、諌められていたようです。

封建制度を否定したからといって、
家族を大切にするという作業、行動を
否定してしまっては、
人間は健全に成長できない仕組みになっていると思います。

今家族は分断されています。
若い夫婦は、何も知識も経験も
伝統や慣習も受け継ぐことが困難な状況にあります。
よこしまな気持ちに無防備な状態です。

そうであれば、
やはり公的に、家族の在り方を研究し、
家族を壊すものを解明し、
家族を維持し、楽しい生活を送るということを
科学的に研究するべきだと思います。



続・身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 離婚調停における必須戦略と自分を変える勇気という作戦 [家事]

先日書いたブログの記事

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 杉山先生から頂いたコメントをきっかけに」

に、とても切ないコメントをいただきました。

相手の気持ちを考えてみた場合、
自分を変えることで、
あるいは自分の主張を一部譲歩することで
状況が良くなるかもしれないと思うことがあるけれど、
それはとても勇気が必要だ

というものでした。

引くことで、なるほど相手の気持ちは柔らかくなるかもしれないけれど、
それは自分が家族から益々離れてしまうことを意味することなので不安だ
それでも自分は引かなければならないのかもしれない
と思うことは、大変つらいことです。

一つ、考え方の試行錯誤を示してみます。

先ず、一歩引くことで、
現状より状況が悪くなるかどうかを見極める必要がありそうです。

ここから先の話は、
いつもと私が言っていることと違うことを言っているように思われるでしょうが、
離婚(円満)調停は、戦争なのです。
 戦争である以上作戦をたてて望まないとだめだ」
ということを対人関係学を始める前から今でも
依頼者に申し上げています。

作戦を構築するためには、
相手と自分の分析をしなければなりません。
この分析を抜きに感情のおもむくまま
調停を進めている方が多いと感じます。

相手の状況を考えるとは、
相手が今何を考えているか、
相手の望んでいることは何か、
その背景は何か、
相手の状況において、こちらに有利に働くポイントは何か
不利に働くポイントは何か。
これを考えることです。

但し、調停申立書や準備書面
調停委員から聞く相手方の発言だけで
一喜一憂していたのでは調停にはなりません。

あなたは、これまでの生活の歴史という
一番貴重な情報をおもちなのですから、
そこから、相手の変化の要因を分析する
という一番有効な分析ツールを持っていることになります。

この場合、自分が相手の変化に
どの程度関与していたかを冷静に見極める
過不足なくリアルに見極めるということが必要です。

自分が良くても悪くても、自分に何らかの原因がある
というならばチャンスです。
それを言い当てて、対応策を提示する
という爆弾を落とすことができるからです。
これが有効打になることが少なくありません。

自分の「やったこと」に問題があれば簡単ですけれど、
自分が「やらなかったこと」に原因があるというのであれば、
何をすればよかったかという分析が必要になります。

この分析方法をとれば、
あなたが実行することができる作戦を
構築することができるという利点があります。

また、自分の対応に問題があるのに、
引かないでどんどん攻め込むというのであれば、
それは自分で状況を悪化させていることになります。

この場合、一歩退くことは
自分の感覚では後退しているように見えても、
客観的には、ずんずん前進している
ということになります。

もしかすると、退いているように見えるだけ
ということがあるのです。
状況分析をしていないことによる
戦略ミスということになります。

相手を理解し、自分を理解するということは
離婚する時も、修復する時も必須の作戦で、
離婚でもめているときこそ、
相手を理解することに力を入れるべきなのです。


ここで、相手方弁護士や行政、調停委員に
責任を擦り付けてしまったのでは、
武器を持つことができません。
状況を変えていくためには、
やはり自分の行動を修正することが
最も確実にできることなので、
そこを考えることが有効であると思います。

自分の行為で相手が嫌がっている部分を
冷静に周到に分析する必要があるわけです。
分析ツールが、言わずもがなですが、対人関係学なのです。

自分を攻撃してきていることは、
自分を怖がっているからかもしれない。
相手が仲間はずれにされる不安を感じているからかもしれない。

怒りという助けがなければ
自分にものが言えないだけなのかもしれない。

そういう発想に立ってみると見えてくることがあるようです。
もしかしたら、
あなたが相手に対して現状を怒りを持っているのは、
あなたが不相当な攻撃を受けていることが原因かもしれません。
自分が悪くないのに、子どもを連れて出て行かれた。
状況が呑み込めないまま警察と一緒に相手がきて
荷物を持ち去られるままにしなければならなかった。


なにくそと怒りが沸き立たなければ
自己効力感が無くなり抵抗力が無くなってしまいます。
だからどうしても攻撃的になることは
仕方がありません。

ただ、ここで、攻撃一辺倒となると
家族を守ることができません。
ここでいう家族とはご自分も含めてということです。

また、逆に、自虐的な分析も有害です。
相手の心には響かないため、
事態が打開できる有効打にならないからです。

先ず、良い悪い、正しい誤りという評価をしないで、
どうして相手がそういう心情になったのか
冷静に過不足なく分析することが必要だということになります。

分析が終わったら、
分析結果を相手に示すことが必要です。
相手を理解していることを示すこと、
自分を理解してもらおうとすること。

これも、夫婦の歴史の中で生まれてきた
経験に裏打ちされた独自の言語があるはずなのです。
この相互理解が欠けていたために
チームが遊離している状態が
家族紛争だと思います。

やや抽象的な言葉に終始しましたが、
戦略上最も大切なことは、
「どうしたいか」ということの自覚です。

「やり直したい」という気持ちがあるならば、
それを前面に立てることが必要です。
弁護士や友人に堂々と宣言しましょう。
無理だというヒトとは別れればよいです。

そうして、やり直したいということと
矛盾した行動を自分がしないように
見守ってもらうことが大事です。

但し、目標は
大目標の外に、中間目標を用意することがコツです。

毎回最終決戦で、こちらの言う通りにしない相手に怒っていたのでは
距離が縮まるわけがありません。
手をつないで歩く場合は、
一番遅い人の速度で歩かなければならなりません。

また、手をつないで歩くだけで
幸せですから、
先を急ぐ必要もないわけです。

今日はここまで進んだからいいやと
そういう評価の仕方を導入してください。
結論に到達しなかったからだめというのは、
あまりにも非科学的な、ないものねだりではないでしょうか。

そのためには、相手の反応を見極めて、
どこまで進むべきかということは
臨機応変にその場で定める必要があります。

また、そこに向かうためには、
無理な方向から攻めるのではなく、
相手の一番弱い部分から変化をさせていくことが肝要です。

さて、また、最後に誰の利益を目標とするべきか
という問題をお話ししなければなりません。

例えば、面会交流の場合、
当事者の方が、「子どもに会いたい」ということを
いうことは仕方のないことですが、
それだけだと負けてしまいます。

「会いたい」と「会わせたくない」の争いだと
裁判所はあまり積極的に介入してもらえない傾向があるからです。
本当は、人情的にも、
子の親を子どもに会わせたいんだということで出発したとしても、
私はそういう言い回しは、ここ何年かしていません。

子どもをこの親に、大人たちが努力して
あわせなければいけないんだということであれば、
誰も賛成しないわけにはゆきません。
ここから、裁判所も出発しなければなりません。
そのために、どうやって障害を取り除いていくか。
という議論に進めるということですね。

ところが、そう言っても、
なかなか子供の視点で調停が進みません。
ここだけは、何度も何度も
調停委員や裁判官、調査官を説得しなければなりません。
反対しないだけでは足りずに、
賛成してもらわなければなりません。

先ず、子どもの視点から始めるべきだということですが、
その先にあるのは、家族というチームの在り方の問題です。

子どもの健全な成長のためには、
家族構成員間に、最低限度の信頼関係が必要です。
家族のかたちはそれぞれあります。
同居の家族もいれば、一部別居の家族もあるわけです。
しかし、子どもを健全に育てるため、
お互い悪口を言わず、
子どもに親を誇れるように協力しなければなりません。

ここを目標にすることが
客観的というか理屈では求められているのだと思います。

自分の利益と、家族の利益は
常に一緒であることが理想なのですが、
表面的には、自分の感情を殺して
家族というチームの状態を悪くしないことも
必要な局面があるように思われるのです。

「自分」とは何でしょう。

家族間で対立しながらも、
配偶者がいて子どもがいれば、
別居しても、離婚しても
やはり家族であるし、
家族であると考えることが必要だと思います。

離れて暮らしていても
家族相互にいたわり合うことを続ける必要が
どうしてもあると思うのです。

自分とは、
そのような家族も含めて
家族を持った人間であることなのだと思います。

家族のためにできること
別居しても、離婚しても
それは必ずあるのだと思います。

離婚に際して、そのようなことを考えなくて済む国は、
実は先進国では日本だけのようです。
離婚後をしたら今生の別れという
非科学的な信仰を持ち続けているのかもしれません。

一度家族を作ったということは
消えない大きな出来事であるということが
世界標準の考え方であり、
人間を大事に考える考え方だと思います。

いま日本で苦しんでいる人たちこそ、
自分を大事にするということの意味を考え、
人間を大事にするとは何かを提起していくことが
求められていると思います。

あなたでなければできないことの一つだと思います。
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