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家庭不和が起きやすい現代社会の中で男性が心がけるべきこと 子どもたちのために [家事]

暴力も暴言もないのに、
妻が子どもを連れて出ていくという事件が平成に入ってから増えはじめ、
特に平成20年過ぎから飛躍的に増えています。

親の争いに巻き込まれる子どもたちの
健全な成長にも深刻な影を落とす場合があります。

妻側の体調の変化、考え方の変化
例えば、出産に伴うホルモンバランスの変化
甲状腺機能や婦人科疾患、肝臓の治療、

夫側でいえば、過労によるイライラや無気力
といった、二人に責任を問えないような事情で
夫婦問題が生じることが多くなってきているようにも思われます。

俺は悪くない
あなたが悪いのよ
ということを事後的に言いあっても
もはや解決ができない事態に陥れば
自分たちや子どもたちが
生まれてきた喜びや充実感を
感じられなくなるような事態に陥ってしまいます。

男性側が特に気をつけるべきこと、
意識するべきことを暫定的にまとめます。

1 妻は、不安を感じ易いと思おう!

こんなことくらいで
ということに傷つく可能性があるということを意識しましょう。
体調の変化等で、本人も家族も気が付かないことの方が多いのですが、
実際に不安になりやすくなっていることがあります。

だいたいそう思っていれば間違いはないです。
不安になりやすい人が快適なご家庭であれば
不安でない人だって快適なはずですから。

そんなことないよ。
いつもやり返されていて
妻の方が怖いくらいだ。

ということを言いがちですが、
妻の怒りの根源は
不安を解消しようとしているのかもしれません。

あなたが中学生くらいの時
親から勉強しなさいと言われたとき
「今しようと思っていたのに」
と切れたことはないでしょうか。
大体そんな感じで、
言われるのが嫌だから
怒りを含んだ対応をするということを
頭の中に入れておいてください。

2 言葉遣いの荒いのはダメ

これは、結構共通のことです。
男同士だと、ふざけて
お前なあとか、手命で勝手にしろ
等と言いますが、
女性に対してこのような言葉はNGです。

その時の雰囲気や流れを記憶しないで、
言葉だけが記憶に残り、
恐怖感情を抱くようです。

本人に対してそういう乱暴な言葉をぶつけるだけでなく、
例えば運転中トロトロ走って危ない運転手に
毒づくことも、恐怖の感情を起こさせるようです。
不安を感じている心が敏感な時には
ましましで恐怖になるようです。

3 相手へのダメ出しは最低限に

どうでもいいことが結構多い
ということを意識しましょう。

ダメ出しはマイナスポイントです。
どうでもよいことでダメ出しをしてしまうと、
マイナスポイントが累積して
肝心な時に相手に通じなくなります。

結構、気丈な奥さんも
食事や子育て、その他もろもろ
そんなに自信を持っていやっているわけではありません。

どうしても何か言いたいときは
先ず、肯定するところを探し出して、
感謝なりしてから、
ついでの様に付け加える等の作業が必要のようです。

一番意見が対立するのは子どものことです。
とかく、どちらも夢をみがちです。
完璧な子育てという無理な目標をたてがちです。

意見が鋭く対立しますが、
子どものためと言う言い訳が心に用意されていますから、
なかなか譲歩することがない場面です。

しかし、完璧も絶対的な正しさもありません。
生身の子どもですから。
自分が正しいと思うことも
実際は相手の方が正しかった
ということはよくあります。

奥さんが10と言ってあなたが0と言いあうとき、
着地点の目標は5にしましょう。
これも絶対目標にしないで、
7くらいまで行けば良しとしましょう。

それが子どもにとって一番良いことのようです。

7が良いというわけでなく、
親同士の対立がおさまるということも含めてです。

4 顔をつぶすことをしてはいけない

子どもの前とか、親の前とか
そういう所での対応がポイントです。
とにかく、人前で奥さんを否定しない。

うっかりする時はうっかりしますから。
意識しておくことが必要です。

特に子どもの前で批判することはこらえましょう。
これは子どもの取り合いになり、
子どもにとてつもない不安を与えてしまいます。

逆に人前でたてることによって
ポイントを獲得するチャンスです。

5 なにごともほどほどに

まあ、色々書きましたが
完璧を目指してはなりません。

一回間違えたら、この次は間違えないようにしようとか
間違えちゃったから、ケーキとか買ってこようとか
間違いをフォローするという気持ちの方が大事かもしれません。

そのためには、相手の間違いを許すということ、
この次頑張ろうということ、今度は頑張ろうということ
こういう家庭が結局はうまくいくみたいです。

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終末弁護という仕事 死を目前としているのに途方もなく立派に家族のための身辺整理の依頼者の方々 [家事]


若くして、突然ガンを告げられ、余命宣告まで受ける
それまでの生活が断たれてしまうことになります。
子育てだったり、趣味だったり、
当たり前に続いていくことを前提に人は生きている
そんなことに気が付かされます。

自分ならとても冷静ではいられないでしょう。

それでも、自分の家族のために、
あるいは自分が残した仕事のために、
なんとか形を作りたい
遺された家族がより快適に生きるために
今できることをしたい
そう思われる方がいらっしゃいます。

大変頭が下がる考えです。

そうして、生前にできること、
生前のうちにしなければならないこと
死んだ後に処理するためのこと
等を誰かに託したいというお気持ちになるようです。

この場合、客観的に弁護士は便利な職業です。
大抵のことは本人に成り代わって行うことができます。
最終的には、遺言の作成まで行うことができます。

本人は病院から外出できませんので、
色々と工夫をして、
本人の代理人として活動するということです。

いざと言うときにはじめて弁護士を探すということは
なかなか難しいこともあると思いますが、
それまでいくつかの仕事を一緒にやって、
気心が知れていれば、
自分が伝えたいことを一生懸命に伝えなければならない
という何ともじれったい打ち合わせが少なく済みます。

こちらの気持ちを分かってもらえれば
ある程度は任せてしまっても
心配はいりません。
とにかく全部やってもらえるからです。

ただ、弁護士の方は、
とても緊張をする上に、最短の作業を心がけなければなりません。
命が少なくなっていることを自覚している方々は、
それでもお金をかけて他人に依頼する方々は
見え透いた慰めではなく、
実務をしてもらいたい
それもなるべく早く済ませてもらいたい
という想いがあります。

そこを積極的に理解していこうとしなければなりません。

死ぬ間際、思いを残して死にたくない
というその思いを大切にしなくてはなりません。

亡くなることを前提として活動をしなくてはなりません。
全財産の調査を行うことも必要があればしなくてはなりません。

かなり精神的にはきつい仕事です。

日に日に弱っていく徴候が確認できます。
打ち合わせも、長時間行うことはとてもできません。
ひたすら心を隠して、鉄仮面をつけて、
打ち合わせをするわけです。
せめて、病状に動揺しないように
それだけはそうしてあげようという気持ちです。

強度の信頼関係が必要です。
信頼感を与えなければならないということと
信頼されていなければやっていられないということ、

ただ、それも病状の進行によってどうなるか。
なるべく、感情的乱れに伴う
攻撃的言動もあると予想して
しっかり対応(受け流し)しようと心構えを作っています。

今まで培ったノウハウを総動員し、
各専門業種の方々も総動員して、
思いを遂げるために頑張っています。



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わが子に会えない親の会 例会報告 ついに沖縄から駆け付けてきた参加者が! [家事]


忘れないうちに次回は、5月5日 
次々回は、6月1日です。

最近報告を怠っていてすいません。
今回、日付が急きょ決まったこともあり
事前報告も怠りご迷惑をおかけいたしました。

ちょっといろいろ都合があって(これ自体は良いこと)
例会がとびとびになっていたのですが、
4月6日に例会がありました。
10人参加でした。いつもよりも広い部屋。

関東在住の方、沖縄在住の方もいらっしゃいました。
沖縄から仙台に、このためだけにいらっしゃるということは
参加者一同驚きました。
あと、青森とYouTube?で参加した方と。

みんな色々あるのです。
詳しくは言えませんが、
いろいろの問題、苦しみ、怒りを抱えながらも
このひと時は、とても和やかに笑顔で参加です。

ネガティブな発言もしたいと思いますが、
少なくとも一次会は、ひたすら優しい時間です。
相手の悪口もほとんど聞かれません。

弁護士や裁判所や法制度への批判も
ユーモアを交えてのものなので、
かえって盛り上がるというか。

言わなくても分かりあっている
ということが大きな要因なのかもしれません。

それにしても、関東や沖縄!から駆け付ける
ということですから、
何かしらニーズにあっているのでしょうね。

幹事さん大奮闘です。

お子さんのもう一人の親御さんも参加してもらいたいなと思います。

こんな優しい人たちが、
どうして子どもに会えないのでしょう?
私は端的に理不尽だと思いますよ。
何かが間違っていると思います。

ところで、
次回ないし、次々回参加の方ご希望の方で、
初めてだという方は、
私の事務所022-212-3773で、
事務員ではなく私までご連絡をお願いいたします。
時間は6時くらいからダラダラ始めていますが、
場所は予約することとなりますので、
お問い合わせください。

二回目以降は、幹事さんから連絡が行きます。



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いわゆる連れ去り離婚請求訴訟で、妻の請求が有責配偶者であり、信義に反して認められないと棄却された判決の分析 [家事]

本件は私が担当した裁判ではありません。ご本人が、同じ苦しみをしている人の役に立つとよいということで報告を望まれたため、判例分析という形でご報告する次第です。


事案:今から数年前、小学生の子どもと2歳の子どもがいる30代の妻が、子ども連れて別居し、数か月後に離婚調停を申し立て、1回で不調にして、別居から半年後に離婚訴訟を提起した事例。妻の主張する離婚の原因は、夫のモラハラである。夫の主張は、別居直前婚姻生活は破綻しておらず、別居は不貞が目的であり、子どもの先天性の障害について妻が障害の事実を認めず治療を行うべきだという夫と感情的に対立したことも別居の理由だとしている。

事案の特徴:離婚の意思が固く、別居という事実が数年間続いてしまいました。有責配偶者からの離婚請求を認める現在の裁判例に照らすと、請求が棄却されたのは、極めて珍しい判決です。もしかすると、事案の特殊性、あるいは裁判官の個性があるかもしれませんが、針の穴を通す裁判に挑む人たちにとって、何らかのヒントが得られるかもしれないので、できるだけ教訓を抽出するべく分析を試みます。

先ず、判決は、夫の過去の粗暴さについては肯定しています。しかし、別居直前テーマパークへ家族旅行などをしていることをはじめとして、協力し合って生活していたことを重視します。
夫は、比較的写真を残しており、家族写真を証拠として提出しています。楽しそうな家族の姿は説得力があります。テーマパークでなければならないということはありませんが、写真を残しておくということは有効だったと思います。ところが、家族がいなくなってしまうと、ご自分も楽しかった時のことを具体的に思い出すことができなくなることが多いです。否定的なことは詳細に出てくるのに、何度も聞かないと楽しいイベントの記憶が語られないということはよくあります。


別居のきっかけとなった口論があったこと、夫の口調が追及的だったことの認定はあったのですが、子どもの必須の治療を受けさせない、障害を隠していた妻に対する追求なので、「執拗に問い質した」としても「非があるとは言えない」という判断でした。

肝心の不貞の事実ですが、妻は否定しています。しかし、妻の友人が妻自身から不貞の内容を事細かに聞いたという証言が飛び出し、一気に裁判は急展開していきました。その証人に対して、妻が脅迫をして、証人が怒り、裁判で証言するという経緯があったようです。不貞の事実は、実はなかなか証明が難しいです。また、開始時期やその程度などについても難しく、苦労します。別居直前に不貞が始まったことが証言されたことは大きかったと思います。

さらに、子どもたちの習い事などについても、子どもたちの名前を不貞相手の名字に変える等したことが、裁判官にとって目に余る事情だったようです。その不貞が始まるまでは、家族は協力し合って生活してきたので、別居までに破たんはなかったし、破綻があったとしても不貞が原因であり、有責配偶者だから、離婚を認めることは信義に反するという結論になりました。


この裁判官はベテランの女性です。どちらかというと、多くの裁判官の様に妻側に有利な判決を書くような印象を持つと何人かの女性弁護士は言っていました。判決前に、ある程度心証を開示して和解を打診したようでしたが、うまくいかなかったようです。

不貞の事実、特に開始時期と内容が明らかになったため、離婚を認めることがあまりにも抵抗があったということなのだと思います。
この証言で、妻の裁判所についた嘘がことごとく、芋づる式に露見したということも多く、妻の主張を認める要素が無くなったということなのだと思います。これが無ければ、家族が協力している証拠があっても、裁判官には色あせて見えたでしょう。生き生きと鮮やかに写真の笑顔が飛び込んできたということなのだと思います。

逆に言うと、これまでの苦い経験からすると、このような劇的な証人が無いとなかなか勝てないということなのだと思います。裁判は真実に基づいて判断されるのではなく、裁判所に提出できた資料に基づいて判断されるということは、見通しを考えるにあたって留意される必要のあることであることが明らかになったと考えるべきでしょう。

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妻が時折感情を爆発させて収拾がつかなくなり悩んでいる方へ [家事]

いつもではないけれど、時折、
妻が感情の収拾がつかなくなってしまい

例えば、抑制がきかない叫び声や怒号をあげて、
貴方や子ども罵倒するとか

メールで、さっきまで会社帰りの買い物の打ち合わせなんかをしていたのに
突如、「死ね」とか書きこんできたリ
身に覚えのない浮気を非難し始めるとか

刃物を持ちだして、自分やあなたや子どもに向ける
という悩みを聞く機会が増えています。

そのくせ、翌日になると
昨夜のことを覚えていないようにケロッとして
日常が始まったりします。

爆発しているときは修羅場で、
子どもにも影響が生じる心配もあるし、
とにかくののしられるので苦痛です。
どうして突然変貌するのかわかりません。
きっかけさえもつかめないのです。

また、突然家を飛び出したりしそうなこともあるので
抑えなければならず、
抑えても暴れ続けて殴られたりするので
どうしてよいのかわからなくなります。

貴方は心身とも消耗しきってしまい
こんな生活から何とか抜け出したいと思うでしょう。

思い余って行政に相談に行っても
貴方が男性の場合、相手にされないことも多いようです。

包丁を持ちだして怖い思いをしてどうすることもできず、
警察を呼んだところ、
何故か警察は妻を保護して、
子どもと一緒に行方不明になる
というケースさえ実在します。

どのくらい件数があるのかわかりませんが、
程度の差はあるものの、
このように妻がきっかけがわからないうちに爆発している
というケースは確かにあるようです。

妻の爆発の原因は、いろいろあるようですが、
今回は深く立ち入りません。

どうやら共通の要素として見えてきたのは、
妻の「不安」であることは間違いないようです。
不安とは危機感を感じている段階のことを言っています。

人間は、おそらく他の動物も
不安を感じると、それを解消しようとします。
生きることそのものですね。

解消の仕方は、
不安を与える事情に対して攻撃をする方法と
この時の心もちを怒りといいます。

不安を与える事情から逃げようとする方法があります。
この時の心もちが恐怖です。

ところが、爆発する奥さんの不安というもの
その危機感というものは
取り立てて合理的な理由がなくても
自然とわいてくるものらしいです。

具体的な言葉にすると
・自分が尊重されていない
・自分だけが損をしている
・自分が家族の奴隷のように感じる
・自分が自分の人生を生きているという実感がない
等の言葉が出てきていますが、
漠然とした不安、子どもを抱えて生きていくことの不安
というようなものみたいです。

一つの可能性としては
出産に伴うホルモンバランスの変化が考えられそうです。

多くは、第2子ないし、最終子出産後にこのような感情が生まれてきて
2年以内に爆発したり、
子どもを連れて別居するということがあり、
私のところに夫からの相談が入るという具合です。

夫側の母親に、多少のヒステリーの傾向があった場合は
それなりに免疫があるので、
何とか我慢して、時が過ぎることを待つのですが、
そうでない場合は、とにかく驚きます。
何かにとりつかれたのではないかと感じる場合もあるようです。

人格が豹変するという感じなのです。

修羅場に耐えられなく、精神疾患を発症したり、
要求に応じて金銭を渡しているうちに
会社のお金に手を付けたり、借金が膨大になったり
ということで発覚することもあります。

さて、その妻の不安なのですが、
不安の強さや、程度は、個性によってだいぶ違うようです。

考えすぎだという自己暗示をかけて
事なきを得ている方々もいます。
適切な協力者を得て
解決する場合もあります。

しかし、頑固な不安が強烈にある場合、
なんとか不安を解消しようとするのですが、
適切な方法が見当たりません。

こういう場合、過敏になっているから
些細なことが自分を攻撃しているように感じられます。
そうして、自分より弱いと思う相手、勝てると思う相手の
些細な言動に対して、
元々あったとその反応をひっくるめて
怒りとしてあらわしてしまうようです。

漠然とした不安80
些細なことによる不安5でも
怒りとしてぶつけるのは85になるわけです。

子どもに対してぶつけやすいことは
こういうことなのです。
また、子どもに過酷に怒りを表すのもこういうことのようです。

最悪のケースは、逆に
夫に怒りをぶつけられない場合です。
怒りをぶちまけようとすると
暴力で阻止されたり、
言葉で言い負かされたりして
かえって不安が募っていきます。

子どもに対して自分がヒステリックになったくせに、
夫の子どもに対する虐待を理由に
別居の上、保護命令を申し立て、離婚調停を申し立てる
というフルコースになるケースがあります。

夫が怒りを受け止める犠牲になることは、
子どもから見ればまだましなのかもしれません。

逆説的な言い方をすれば、
ヒステリーの標的になる夫は、
妻から信頼され、愛されているのです。

このような妻側の代理人になると、
「でも私は夫を愛しています」
とぬけぬけという人がほとんどです。
夫の不満をぶちまけている直後に言うので、
許されるのなら、両方のほっぺたをつかんで、
「どの口で言うんだ」と問いただしたくなります。

どうすればよいのか?

先ず、不安を否定しないこと
気の迷いとかそういうことを言っても何も良いことはありません。
可能な限り、心配なんだねと肯定してあげることです。

こうすればよいよというアドバイスは
あまり成功例は聞きません。
とりあえず、心配を肯定すること。
不安になっていること自体は間違いありませんから。


妻の不安を解消する方法がひとつあります。
興奮状態が収まった後、
こちらも何事もなかったようにふるまうということです。

妻は、何か変なことをしただろうということは覚えています。
大変気づまりな状態にあります。

妻自身が、自分を止められないことに
恥ずかしさや苦しさがあることが多いです。
でもそれを夫にだけは見せようとはしませんが。

そういう時、なかったことにされる、
「そういうこともあるよね」という切り替えが
安心させるようです。

あとあとしつこく責めることが最悪です。
そういうことはするなということ
後々言われることは
大変気づまりです。

妻からしてみれば
失敗してもフォローしてくれる
ということが、自分が尊重されているということを
実感できる事情ということになります。

特効薬は、怒りの的になることを甘んじるということのような気がします。


ということで、的になる夫の心構えです。

1 いざとなれば離婚という選択肢もある。
  やっぱりこういう気持ちの逃げ道は必要です。
  実家でも何でもよいのですが、
  逃げ道を一つ確保しておきましょう。
  協力者を作るのではないです。
  あくまでも心の逃げ道です。
  これがなければ沈没してしまいます。

2 あなたに怒っているうちは
  向こうの気持ちはつながっている。
  これは信じてもらうしかありませんね。

3 嵐はやがて過ぎ去る
  対応がうまくいけば、その日の夜に静まります。
  翌朝まで持続していないので、
  こちらがおはようと言えば解決することが多いです。

  気まずい気持ちでいる妻に
  近寄りがたい態度を示して舞うと
  新たな不安に基づく怒りを招いてしまいます。

  また、諸先輩の話を希望的に聞けば、
  やがて自然に収まっていくようです。
  奥さんに対するフォローが積み重なれば
  それは、あなたが安心の記憶となります。

4 緊急避難は近場で
  よく言われるヒステリーが始まったら
  夫は斜め下を向いて、やや口を開け
  悲しそうな、呆然としているような
  そういう無言の抵抗というマニュアルもあるのですが、

  別室に避難する
  顔を見せないということも有効なのだそうです。

5 妻は役割を果たしたからこうなったのかも
  出産はホルモンバランスの変化がものすごいのです
  妊娠までは、女性ホルモンが大量に出ます。
  しかし、出産後は女性ホルモンがなくならないと
  母乳が出ないそうです。
  母乳を出すホルモンが出ているときは
  攻撃的になるらしいです。
  子連れの母熊みたいなものです。

  もしかしたら、
  妻自身が悩んでいる爆発も
  子どもを産んだことがその原因かもしれないのです。

  子どもを自分の命に代えても守るというお父さん。
  妻の怒りの標的になることが
  いくつかの意味で、その時なのです。

6 家族の中に正義や条理は持ち込まない
  理不尽であろうとなんであろうと
  家族を守るということはそういうことなのです。
  奥さんだって、
  爆発しないで円満に生活したいのです。

  どうしてこうなってしまうのか
  そこを悩んでいるのです。

7 子どもに母親の悪口は言わない。
  そういうこともあるんだという説明をするしかないでしょう。
  あなたが子どもに謝ることで、子どもが安心するなら
  何度でも謝りましょう。
  信頼関係が生まれるという副産物もあります。

8 辛いかもしれませんが
  ぜひ修復を第1に考えてほしいものです。

  離婚調停などに備えて
  警察に事情聴衆に備えて

  実際、包丁を振り回したり
  誰かがけがしたりしそうになれば真剣に考えるべきかもしれませんが
  そのためには、動画撮影や録音、日記などをする必要があるのですが
  相手にそれを知られると決定的に不安が固定してしまいます。
  また、それをあなたが見る機会があれば
  修復は不可能になります。

  さらに、そういう証拠があっても
  警察や裁判所があなたの味方になる
  という楽観的な見通しが
  必ずしも立つわけではないからです。



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言葉の魔力、「DV」という言葉が思考を停止させる理由を考える [家事]


このようなブログを書いているからか、
月に一度か二度は、
妻が子どもを連れて別居して帰ってこない
という相談の電話が来ます。

とてつもなく大きな衝撃を受けていて、
本当はとても心配なので、
忙しくてもつい、時間が許す限り
話を聞いてしまいます。

多くは、
「自分は暴力をふるったことは一度もない」
ということですし、
中には、
「妻に対して暴言を吐いたこともない」
という人もいます。

それなのに、警察や弁護士から連絡があり、
自分がDV加害者だとされているというのです。

あるとても誠実な方がいて、
やはり妻子には、暴力も暴言もないと言い切って、
「もしかしたら他の人に対して感情的になり、
感情的な言葉を吐いたことがあるが、
それはDVとなるのか」
と尋ねられました。

私は、DVかどうかということは
行政や裁判という他人が気にすることであって、
夫婦という二人の関係では、
相手が嫌な思いをしたか
相手が怖い思いをしたか
そういうことがあれば
自分の行動を修正することが大切なのではないか
というお話をしました。

大変素直にご理解されました。
本当に家族を愛していて
何とかやり直したいというお気持ちを感じました。

DVかDVではないのか
そんなことばかりが注目されてしまう世の中に
なっているようです。


特に外野は、DVという言葉に過剰に反応しますし、
画一的に反応します。

一口にDVといっても、
本当に洗脳をしているかのような
暴力や脅迫が日常的に行われているものから

単に感情的なやり取りのことを指す場合もあり、
先ほど述べた相談者の例の様に、
例えば自動車を運転していて
急に割り込み運転されたときに毒づくことさえも
DVだと言われることもあります。

廃人同様になりかけているものから
快適ではないという程度のものまで
すべてが「DV」の一言で扱われているようです。

極めて曖昧な概念で使われています。
日本独特の言葉の使われ方のようです。

なぜ独特かというと
DVの行為を限定していないからです。
もっと厳密にいうと
DV加害とは何かということです。

この点例えば、
ランディ・バンクロフト(Lundy Bancroft)
ジェイ・G?シルバーマン(Jay・G・Silverman)の共著の
「DVにさらされる子どもたち
―加害者としての親が家族機能に及ぼす影響」(金剛出版)
「配偶者加害」という言葉で研究対象を表しているのですが、
著者は、16頁で、
「DV加害者とは、
パートナーとの間に威圧的な支配のパターンを形づくり、
時おり身体的暴力による威嚇、性的暴行、
あるいは身体的暴力につながる確実性が高い脅迫のうちの
ひとつ以上の行為を行う者のことである。」
と明確に定義を述べているのです。

17頁でも、
「威嚇的ではない、威圧のパターンを伴わない暴力は、
ここでは考慮しない。」とも述べています。

行政や裁判所という法律が他人の家庭に介入するのですから、
このような限定は必要ですし、
夫婦間暴力の本質を良く表していると思います。

さて、このような広範囲の行為を指すDVという言葉ですが、
これを聞いた第三者は思考を停止させます。

「DV」という言葉が出たとたん、
その夫婦について、加害者と被害者という
入れ替え不可のキャラクターが設定されます。

無条件で「被害者」を擁護し、
「被害者」の行動はすべて許され、
「加害者」に対する憎悪をあおりだします。

「被害者」の精神的不安定さも
人間関係のまずさも
貧困や時に「被害者」の不道徳な行為までも
その原因を「加害者」に求めるようになります。

「なんであなたがそこまで」というような憎悪を
「加害者」に対して無遠慮にぶつけてくるのです。

そしてそれをDV支援だと言ってはばかりません。

「被害者」に対する哀れみがあり、
自分では自分の運命を切り開けない
「要保護者」という意識が見え隠れしている場合も
少なくありません。

ある、小学校入学前後のお子さんがいるケースでは、
医師と教師が
父親に子どもを会わせることには絶対反対だ
という意見を出した例があります。

父親に会わせると子どもが精神的に不安定になる
というのです。
既に世界的にエビデンスが無いとして葬られている
エレナ・ウォーカーのDV神話を
教条的に引用した意見でした。

驚いていただきたいことは、
この医師も教師も
父親とは一切会っていないのです。
すべて、母親の言っていることを鵜呑みにして
子どもを実の父親から遠ざけようとしていたのでした。

妻は、裁判所では、
夫の暴力については一切主張しておらず、
精神的暴力についても具体的なことは
主張できていませんでした。

それにもかかわらず、
子どもを父親と会わせなくしようとしていたのです。

ちなみにこのケースでは、
この医師と教師の意見は無視されました。
感動的な面会交流が実現しました。

どうして医師や教師は、
一度も面会もしたことの無い父親に対して
これほどまでに敵対的な感情を
むき出しにしたような意見を述べたのでしょう。

最初は私も、医師や教師を許せないと思い、
何らかの責任を取ってもらおう
ということを考えましたが、
この人たちだけがこのような態度をとるわけではなく、
警察や自治体も同じようなことなので
何とか分析をしなくてはならないと思い
今しているわけです。

(警察は、だいぶ事実を見るようになってきています)

妻が、あることないこと夫の悪口を吹き込んだ
ということもないわけではないでしょう。
しかし、それでは、調停や裁判の話との乖離が大きすぎます。

考えなくてはならないことは、
DVという言葉が出たとたんに、思考停止になる
ということではないかと思うのです。

事実に反応しているのではなく、
言葉に反応しているのです。

そして、本当は、「快適ではないレベル」のDVなのに
「洗脳支配されているレベル」のDVであるかのように
考えてしまうのです。

それは、DVという言葉の曖昧さから来ます。
それにもかかわらず、
例えばランディバンクラフトのような研究者が対象としている
配偶者加害の被害者の被害
PTSD等が発症している被害をイメージしてしまうのです。

そうして、ここにはいない極端な被害を受けている被害者に対して
頭の中で共鳴、共感し、
素朴な正義感を発揮して、「加害者」を攻撃するのです。

自分が被害を受けていると主張している人たちの中には
精神的に不安定な人たちがいます。
様々な精神的不安定を招く要因があります。
内科疾患、婦人科疾患、ホルモンバランスの変化
元々の精神疾患等要因があります。

しかし、自分が習ったDV講習では
妻の不安の原因は全て夫にあるとされていますから
その「正解」を疑わないで当てはめるわけです。

元々、人間というものが
完全ではなく、共同生活の中で修正していく
ということを理解していないのだろうと思います。

だから、リアルな人間像、
過ちも、思いやりも、その時々のコンディションに左右されるという
当たり前の人間像を持つことができないようです。

最後の審判よろしく、
正と悪の境界を引こうとしているのです。
どうして自分のことを振り返ってみないのでしょう。
それだけで、その考えのばかばかしさと貧しさが理解できるでしょう。

このような二者択一的思考に着目すると
判断者は何らかの精神的圧迫を受けていることがわかります。
おそらく、極端なDVのケースをイメージしているのでしょう。
アメリカのDV加害の研究では、
極めて深刻なケースが多数報告されています。
妻子の人生そのものを破壊するようなケースや
命の危険にさらし続けるケースが報告されています。

「DV」という言葉がそのようなおぞましいケースを
イメージづけてしまうようです。
そうして、目の前の女性ではなく、
そのようなケース報告の中の被害者の心情に共鳴して
危機感を感じているのでしょう。

その自分の勝手な危機感ですが、
何とか解消しようとするのが生物です。
人間も同様で、解消するための
恐怖か怒りを持とうとするわけです。

しかし、自分が攻撃されることは想定されにくいので
逃げる必要はなく、
目の前にいない相手に対して
怒りという感情で危機感を解消しようとする
これは大変わかりやすい心の動きです。

怒りも恐怖も思考を二者択一化させることには変わりありません。

だから、事実関係を精査することもなく、
DVという言葉だけで怒りを向けることができるわけです。

中には、イメージが強すぎて
「関わりたくない」という
恐怖のモードになる人もいます。

しかし、DV講習会では
いざとなれば、警察がバックにつく
被害者を保護しなければならない
ということだけは徹底していますから
怒りのモードになる確率は多くなるでしょう。

但し、「自分の名前は絶対に明かすな」
という注文はつくわけです。

さて、このようなヒューリスティックともいうべき
思考の短縮によって、何が起こるのでしょうか。

まず、「被害者」である妻は
自分の生きづらさの原因に「DV」があるという
言語化をしてしまいます。

実際に「洗脳支配型DV」の場合は
なかなか言葉だけでは自分の置かれている状態を理解できませんが、
そこまで行かないケースは
「自分は悪くない、悪いのは夫だ
自分の生きづらさは夫が原因だ」
という福音を与えられます。

そうして「逃げなければならない」という呪文を与えられますから
怒りと恐怖の入り混じった感情を
より強く夫に抱くようになるわけです。

これまでのすべての出来事が
恐怖と失望、屈辱に塗り替えられるでしょう。

これは離婚が完成しても終わらなく妻を苦しめ続けます。
中には男性恐怖症が固定化する人たちも実際にいます。
逃げ続けているからこそ、
逃げる時の感情である恐怖を抱き続けるわけです。

事実はどうだったのか
自分の行動は修正するべきことはなかったのか
本当はもっとうまくやれたのではないか
という思考には決して向かいません。

むしろ、子どもを連れて別居された方が
このような発展的な思考になって、
苦しみが軽減されることも多くあります。

しかし、DVがあったかなかったか
ということにこだわり続けると
なかなか心の平穏を取り戻すことが難しく
自死に至るケースも多くあります。

一番の被害者は子どもです。

自分のルーツである親が
DV加害者であると烙印を押されるのです。
男性のちょっとした言動に対して
極端な拒否的感情が湧いてくるということもあるようです。

小学校のころまでは無邪気に父親を否定するわけですが、
自我が芽生え、母親から精神的に独立するころになって、
自分が悪の父親と正の母親の子どもであるという
とけない呪いに苦しむことになります。

事実をリアルに見て、
リアルに評価するということができなくなります。
リアルに見れば、人の弱さをリアルに見れば、
「賛成はできないけれど
そういうこともあり得るかな」
ということを感じ、咀嚼することができるはずです。

言葉は心を軽くすることも多いのですが、
固定化し、二者択一的な思考を強制し、
リアルなものの見方を阻害することも多くあるというお話でした。



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子連れ別居をされたときに覚えておくこと 「単純接触効果」 [家事]



多くは9月頃と年末年始、多くは妻が子どもを連れて
家からいなくなるというケースが
ここ10年、多く続いている。

多くは第二子を出産後から、妻が精神的に不安定になり、
些細なことでというよりも理由がわからずヒステリー状態となる。
かなり不穏な動きをすることもあるのですが、
翌日は忘れたようにケロッとしている。

そんなことが続くと
ある日仕事から帰ったらいなくなっている
というようなことが多いでしょうか。

よく見ると、妻には共通点があり、
ただでさえ、不安や疎外感を感じるようで、
さらに、
甲状腺機能の異常や婦人科の病気があったり、
お子さんに先天性の障害があったり、
職場や地域での人間関係に問題があったり、
住宅ローンで家を購入した
という事情がよく見られます。

さて、夫は、
最初は何が何だかわかりません。
だんだん、自分が強烈に否定されたような気がしてきます。
人によっては、ひたすら落ち込んでゆきます。
人によっては、怒りのはけ口がわからず、
子どものものを処分する人もいましたし、
家に外鍵をつけてはいられないようにしたりする人もいます。
夫もわけがわからない状態になってゆきます。

そのうち、警察から電話が来て、
身に覚えのない妻への暴力を言われ、
妻やその実家に連絡を取るな、出向くな
ということを言われるようになります。

このことについては、警察の職務内容なのか
疑問があることも少なくありません
国会などできちんと法令を確認する作業をすることを求めています。

さて、夫は警察からも暴力夫だ
警察の言うことを聞かないと逮捕するというように感じます。
これはとても怖いことです。
実際に妻の実家に話し合いに行って
多数の警察官に取り囲まれて
暴力をふるってもいないのに
今後暴力をふるいませんなどの誓約書をかかされそうになった人もいます。

警察から犯罪者扱いされること自体が辛いことです。

私はこういう時に、
管轄する警察署の(派出所や交番ではありません)生活安全課に
きちんと出向いて事情を説明することを勧めています。

仕事とは言え、警察官を煩わせて、
暴力夫と対峙するのかという多少の緊張感も抱かせ、
書類作成もさせているのですし、
それは妻という自分の家族のしたことなので、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ということや、ご挨拶に行くことは当然のことだからです。
そうして、「実際はこうなんです」という事情を説明し、
何らかの暴力事件がないことを説明し、
警察官を安心させることが市民の義務だと思うからです。

警察も証拠がない話で、一方の人の話だけで動くということはないので、
こちらの話も聞いてくれます。
頭に入れておいてくださいということで、
妻の逮捕を要請するわけではないので
聞いてくれます。

これが大事です。
妻の要請で警察官出動が免れなくても、
事情が頭に入っていますから
夫の予想を超えた対応をされるということが
圧倒的に少なくなるという実利があります。

これは、電話で済ませるのではなく、
きちんと警察署に顔を出すことが
一番大切なことです。

心理学には、「単純接触効果」というものがあります。
反復は、認知効果を容易にし、
なじみがあるという心地よい感覚を与える
とされています。

だいたい妻はきちんと警察に行って救援を要請しています。
妻は、本当にパニックになっています。
警察官は、妻の顔を見て、声を聴いて
「ああ、これはただならないことが起きている」
と感じ、妻の恐怖に共鳴するわけです。

実際は、妻の頭の中だけでただならぬことが起きていることも少なくありませんが。

警察官が弱者を守ろうとして、
権限ぎりの電話をかけてくるということがあり得るわけです。
この時点で、アドバンテージは妻にあります。

あなたが警察に顔を出すことで、
今度はあなたの顔を見て、声を聴くことになります。
それまでは、貴方に会わないことで、
どんなに悪辣で冷酷な男なのだろう
ということを無意識に膨らましてしまいます。
「DV」とか「虐待」という言葉が
人間の頭の中で勝手にイメージを連想させてしまっているのです。

このイメージの連鎖を断ち切るということが一つ。
それから、貴方と接触することによって
妻の夫から、貴方の顔をイメージし、声をイメージし、
生身の人間であることを認識するようになります。

何分か話したり、何回か話すうちに
馴れが出てきて、
あなたが危険な人ではないということを感じてくるわけです。
だんだん、真実はどこにあるか
考えていただけるようになってきます。

実際にこれは、各事件で見られる事象です。

この他、学校だったり役場だったり
あなたを敵視している公的機関には
顔を出して中立になってもらうことが極めて有効です。

コツは、対立したり抗議をしたりするためではなく、
自分の家人が迷惑をかけていることのお詫びと
ご挨拶、事情説明
それから、直ちに何かをしてもらうのではなく、
挨拶と事情を頭に入れてもらう
ということが鉄則です。

さて、この単純反復効果は
実は夫の妻に対する働きかけの際に
常に頭に入れておかなければならないことです。

多くのケースで、
暴力や精神的虐待というほどのことが無い多くのケースで
妻は夫を怖がっています。

一つには、妻が錯乱状態になっている時に
妻は記憶をあまり持っていません。
本当は妻が包丁をもって威嚇して
それを取り上げられたときでも
妻はあなたが包丁を持っているところしか覚えていません。

本当は妻が夫に突進してきて殴るなりつかむなりしていたのを
夫が振りほどいたとしても
最後に夫から手で殴られた、裏拳で殴られた
という記憶しかありません。

嫌な記憶しか残っていない仕組みがここにあります。

もっと正確に言えば
嫌な記憶を消せないのではなく、
夫と一緒にいても安心だという記憶を持つことができないのです。

夫は、何からの形で妻と接触し、
繰り返し繰り返し、自分と一緒にいても安心だ
ということを刷り込んでいくしかありません。
逆上して対応してはいけません。

誰だって、子どもを連れて出ていかれたら
メールや電話で、猛然と抗議するものです。
しかし、それは妻の不安を裏書きするようなもので
実際そのようになっています。

繰り返し繰り返し、
間接的にということになるでしょうが、
妻の気持ち要望を肯定していくことが
最初に考えるべきことだということになります。

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AERA 2017年1月29日号の面会交流に関する記事が具体的にどのように間違っているか [家事]

離婚する夫婦の7割に未成熟子がおり、婚姻期間5年未満の離婚率が高いことから、大多数の離婚家庭に小さな子どもがいるのが日本の特徴です。共働き夫婦でも、子どもが小さい場合は特に母親への依存度が高く、母親が主たる監護者として子どもの養育を担っているケースが大半です。母親が親権者となる割合が圧倒的に高いのは、これが理由です。

家庭裁判所では、監護継続の原則があって、
生まれてからの時間、一緒にいる時間がどちらの親が多いかが
親権者を決める大きな要素になります。
出産後の母体の保護という観点と、男女間の賃金格差という社会的事情から、
父と母とどちらが仕事を休んで子育てをするかといえば、
圧倒的に母親が仕事をしないで、あるいは仕事の時間を短縮して、
子育てをすることが多いため、母親が親権者になるケースが多いのです。

但し、子の監護について、母親に事情があって子育てに
夫以上に関与できない場合もあります。
しかし、こういう場合でも監護継続の原則を理解していないためか、
母親側に親権が認められる場合があります。
裁判所は自ら立てた基準を理解していないのではないか、
子育ては女性がするものというジェンダーバイアスがかかっているのではないか
と思われる事案もあります。

 父親が面会交流を求める場合、最も重要なのは子どもの健全な成育です。

父親が面会交流を求めるか否かにかかわらず、
現在の科学においては、子どもが別居親と一緒の時間を過ごすことが、
離婚の与える子どもへのマイナス効果を軽減することなどから、
子どもの健全な成長にとって必要だとされています。

面会交流も含め、主たる養育責任を担っている母親が必要だと考える、適切な養育環境が最大限考慮されるべきです。

日本の法律が、先進国の中で異例なことに、単独親権制度をとっているのは、
歴史的な事情を克服していないだけの話です。
お隣の韓国も離婚後であっても子どもが両親が育てるべきだという法制度になっています。
だから、離婚後であっても、両親が子どもの成長に責任を持つべきだ
というのが世界の流れということになります。

しかし、裁判所の実質的な運用は「原則面会交流」で、母親が子どもの健全な成育に適さないと考える面会交流も父親の要求によって認められているのが現状です。

これは、実態とはかけ離れた主張です。
1)実質的に原則面会交流が認められるべきだというのは、
先ほど述べたように子の利益のためです。
2)母親が子どもと同居している場合に、
父親との面会交流を拒否する場合が多くあります。
面会を拒否する同居親から、どのような子どもの利益を考えて面会を拒否するのか
ということを聞いたことがありません。
代理人として相手方に問いただしても答えが返ってきたためしがありません。
会わせたくないというのが、拒否の最大の理由です。
論者の見解は、一見、母親側の拒否を援助しているかのように見えますが、
面会拒否はこのような人間の当たり前の感情を理由としているわけではない、
そういうわがままな拒否は否定されるべきだという冷酷な主張です。
会わせたくないという事実は受け止めた上で、
どうやって、そのハードルを下げるかということが
実務では関係者一同が知恵を出し合っているということが実情です。
いかにして、同居親の安心感を獲得していくかということは、
みんなで考えるべきことです。
3)逆に父親が子どもと同居して、母親の面会を拒否する場合も多いです。
この論者は、母親がわが子に会えないことを全く考慮していません。
論者の論を進めると、母親は父親の拒否を受け入れるべきだ
ということになりかねません。
理不尽に子どもに会えない、あるいは極めて制限的にしか会えない
母親や子どもたちの表情が浮かんできて、憤りを禁じ得ません。

そもそも、離婚の9割は協議離婚で、DVや虐待などの深刻な問題がない夫婦は、離婚後の子どもの養育についても話し合って決めている。裁判所の判断が求められる高葛藤の夫婦は、仮にDVや虐待がなくとも困難な問題を抱えていることが多い。「松戸裁判」の東京高裁判決では「父母の葛藤を軽減していくことも重要だ」と述べている。夫婦の葛藤が高いままでは、裁判所が面会交流を命じても、子どもの成育にとって望ましくない結果になる可能性が高い。単純に夫婦と子どもの問題とは別、とは言えないのです。

このあたりが論者が最新の科学的知見について
不勉強なことが顕著に露見している点です。

たしかに、昭和の年代までは、このような議論がありました。
しかし、20世紀のうちに、
1)離婚の場合は、長年月を経ても元結婚相手に葛藤を抱き続け、
その葛藤も弱くならないことが多い。
2)子どもが別居親との面会を望んでおり、
面会交流をしていた子どもの方がそうでない子どもよりも、
離婚が子どもに与えるマイナス効果が少ないということが立証されています。

高葛藤の場合に子どもを別居親に合わせるべきではないという主張は、
なんら実証されたものではないということで、
(医者の頭の中だけで考えついたアイデアでした)
21世紀は日本以外ではあまり顧みられていません。

ほとんどの事例で離婚後も葛藤が続いているのだから、
子どもは別居親に会えないということになってしまいます。
別居親と面会させることによって、子どものマイナス効果が軽減するのですが、
別居親と会わせないで同居親が子育てに責任を持つということでは、
別居親に合わせないでマイナス効果を軽減させるという難題を同居親に責任を課すことであり、
これは極めて過酷な要求だと思います。

但し、その場合の被害者は子どもなのです。

 フレンドリーペアレントルールを絶対視するのも疑問です。相手に寛容であるほうが親権者とされるなら、「子どもにとって危険な父親」であっても、明確な証拠がない限り、母親は裁判でそれを主張しにくくなる。なぜなら裁判官に「根拠のない主張をして、父親との交流を制限するアンフレンドリーな親だ」と判断される恐れがあるからです。  母親はそれを避けようと、父親の危険性は主張せずに「寛容性」を示し、親権だけは取ろうと考える。すると、「絶対に子どもに会わせてはいけない父親」にも面会交流できる機会を与えてしまうことになる。最悪の場合、面会交流中に子どもを殺すという悲惨な事件につながってしまうこともあるのです。

父親が本当に合わせてはならない人間であれば、
子どものために堂々と主張するべきです。
具体的な根拠を示して主張をすれば、面会交流は実施されません。
面会交流をさせない基準も裁判所において確立しています。
そうでない場合でもやはり、裁判所は自ら定めた基準以外の基準を作り出して
面会を不当に制限することがいまだに残っています。

殺人事件に限らず刑事事件については、
人間の環境の中での感情の流れが大きくかかわっています。
不合理なことを人間が行うことには、必ず合理的な経緯があるのです。
これは法律家であれば知らなければならないことです。

悲惨な事件が起きると、あの人は悪い人だったのだという
結果バイアスがかかります。
事件前の性格や行動などの事情を検討しないで、
殺人があったからもともと危険だったという後付けの考え方では
何も予防することはできません。
バイアスや後付けの理論ということがありがちだということを自覚して
自らはそのような事実に反するとらえ方をしないとうところが、
一般の方と法律家の決定的な違いだと思います。本来は。

 面会交流がかえって子の福祉を害することがないよう、裁判所には慎重な判断が求められます。

昭和の年代に知識がとどまっている、周辺科学に関心がない、
バイアスに注意を払わない、実態を分からないのに主張だけはする。
そういう人の主張によって、子どもたちの健全な成長が阻害されないように、
裁判所には慎重な判断が求められると思います。


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日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか [家事]

日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか

<配偶者間トラブルの4類型>

世界的には「配偶者加害」という言い方をする現象を、日本では「DV」や「モラルハラスメント」と呼ぶ。日本においては、あまりにも漠然に言葉が使われている。しかし、一つの言葉で表現される行為ではあるが、その行為及びその程度、行為の効果、原因等において、いくつかの類型があるように思われる。先ずこの整理してみる。

第1類型 世界共通の概念としての「配偶者加害」と言われる類型がある。これは、日本と異なり限定された概念である。継続的な意思を制圧する暴力や言葉等によって、配偶者を支配しようとしている状態。この類型の行為があるというためには、それらの暴力や言葉等が、相手方を支配しようとする意思の元に行われていることが必要だとされる。マリー=フランス・イルゴイエンヌ(モラルハラスメントという言葉を作ったフランスの女性の精神科医)によれば、この類型での行為者は自己愛性パーソナリティ障害の疑いがある場合が多いとのことである。
この類型の行為は、第三者に気づかれることは少ない。なぜならば、行為を受ける側は、自分が支配を受けていることに気が付いていない場合が多いということが一つの理由である。自分が悪いからこのような事態にあっているのだと考えてしまう。支配を目的とした暴力や言葉があることは、援助を求める契機となるのではなく、自分の恥という意識を植え付けられている。このために第三者に対して援助希求を行わない。私が、担当した事案も、全く別の相談から、支配の実情を見つけ出し、女性問題の支援者と私と精神科医によって、ようやく支配から脱出させることができた。被支配者と接していても、「あれ?何かがおかしい。」と思わなければ見過ごすことが多い。深刻な被害、人格荒廃が起きているがゆえに、第三者から気づかれにくいという深刻なジレンマがある。

第2類型 本件で取り上げる日本的配偶者加害。通常は身体に対する直接の暴力はない。これまでの事例を見ると、行為者が、うつ病や不安障害を発症している場合が多い。しかし、その症状が、焦燥型優位のために、うつ病等であると気が付かれない。行為者が相手方に対して、支配しようとする意図はないけれども、行為を受ける側からすれば、結果的に支配されているような不自由で苦しい感覚になる。

第3類型 行為を受ける側の事情と行為者側の事情が加味して、結果として行為を受ける側が支配されているような不自由で苦しい感覚になる。行為者の事情としては、客観的規範、正義を優先して相手方の感情に考慮を払わないということが多い。やや細かすぎる性格、あるいは完璧を要求する性格等の問題がある。受け手側の事情としては、身体的な問題や発達上の問題があり、通常要求される程度の家事が苦手であったり、金銭管理ができなかったりという弱点を有していて、その弱点を指摘されることに恐怖に近い拒否反応を起こす。一般的には、道徳よりも自分の感情を優先する傾向はある。この類型では、支配を目的とする暴力、言動は見られない。この場合、日本以外では行政などの公的な第三者が介入することはない。しかし、日本ではDVとかモラルハラスメントであるとして、男性行為者は、第1の典型的な配偶者加害が起きたときと同じ扱いを受ける。行為を受ける側が被害者、行為者を加害者であると割り切り、被害者を加害者から分離して、加害者に対して一切協力しないという行政対応となる。日本において一番多い類型と思われる。これまでこのブログで多く取り上げてきた類型。

第4類型 虚偽、詐称型。被害救済とは別の意図、例えば不貞の成就、あるいは実母の支配に積極的に入る目的等により、夫からDVやモラルハラスメントがあったと訴えて、配偶者から逃亡する類型。純粋な第4類型ということよりもなんらかの第3類型の要素がある場合が少なくない。

今回は第2類型を扱う。

事案:あるシステムエンジニアの夫の事例である。

<現状>

夫と妻はおおよそ40歳。20代で結婚し、現在中学生と高校生の子どもがいる。家庭内別居の状況だったが、現在は、子どもたちは妻の実家で預かり、妻は一人で別居している。夫と妻の連絡はメールなどで取れる。妻はパート労働者である。
別居の原因は、夫の暴言、きっかけのわからない激昂である。必要以上に金銭的心配をして、子どもや妻に金を稼いで来いという。食事の時だけキッチンに来る。それ以外は自室にこもっている。食事の時は必ず飲酒する。飲んで酔っては、金銭的請求をしたり、自分に価値が無いということ等愚痴を言う。突然激高して、家族をなじりだし、「お前たちが俺を怒らせている」といって、収拾がつかなくなる。妻は、夫の夕食は作るが、夫がキッチンに来ると、子ども部屋に避難して顔をあわせないようにする。何か話すといつ激昂するかわからないので、話をしない。家庭内別居が続いていたが、子どもたちに対しての言動が不穏当になりだしたので、別居をすることにした。いつ切れるかわからない夫の顔色をうかがいながらの生活に疲れ切ったということもある。家族全員に何らかの精神的な問題が生じ、それぞれが精神的に不安定になっている。

<経緯>

結婚して数年で第1子を出産したが、そのころから、妻によれば夫の言動が「おかしくなった」という。些細なことに激昂することが時々みられるようになった。夫はシステムエンジニアで、当時(おかしくなり始めたころ)は始発で出勤し、終電で帰宅する状態。家にいる時間は、午前1時過ぎから午前6時前ということになる。最近さらにおかしくなってきた。数年前から家にお金を入れない。もっとも、家賃と光熱費は夫の給料口座から引き落とされる。子どもの学費や食費は、すべて妻の収入で賄っていた。そのころ、夫はリストラにあい、転職を余儀なくされたという事情もあった。

<分析>

夫は、結婚してすぐに、うつ病や不安障害等の精神疾患を発症している可能性がある。発症の原因は、睡眠障害(睡眠不足)が考えられる。時間外労働時間は月あたり、120時間を超えている可能性があり、1日5時間の睡眠が確保できない状態だったと思われる。また、システムエンジニアの仕事も、細部に神経を使う仕事であり、職場によっては、パワーハラスメント的な言動が盛んに行われている職場もある。この夫の具体的な症状としては、自分が仲間から評価されない、役に立たないと思われている、とるに足らない人間だと存在を否定されているのではないかという危機感が鋭敏になっているということである。これが基本的な症状である。当初、家庭では、まだ家族のことを思う余裕がわずかながら残されており、なんとか自分を保つ努力をしていたと思われる。しかし、その症状に対して医療機関を受診する等の手当てをしないで放置した上にリストラされたこと、リストラに至る過程の中での状況によってうつ病等が悪化したものと思われる。

<疑問>

 問題は、「なぜうつ病や不安障害を発症すると、家族に対して攻撃的になるのか。」ということであろう。うつ病というと、我々のイメージとしては、活動をしないで部屋などに引きこもる状態であると思われる。子の夫のやっていることはうつ病とは正反対の行動ではないかという疑問が生じるだろう。

<不安の中身の対人関係的危機の意識>

病気ということで済ませてしまわずに、夫の心理をもっとのぞいてみよう。簡単に言うと、夫は、特に理由なく、病的に、理由もなく悲観的になり、物事を悪い方に解釈してしまうという心理状態になっていた。もっとも、解釈という意識的な作業をしているのではなく、条件反射のようなものである。むしろ、意識的に努力していたことは、考え過ぎではないかと自問自答し、不安を抑え、怒りを高めないようにしていたということだと思う。
この病的な不安を抱いてしまうと、普通の人がなんとも感じない、聞き流すような他人の言動が、自分を否定していることを意味しているのではないかと受け止めてしまうのである。例えば、妻が、「今日、夕飯いらないんだよね。」と尋ねるとする。実際に夕飯が不要であるのは、職場の会合がある翌日であるとする。通常の人だと、この妻の間違いに気が付いて、「今日じゃないよ。明日だよ。今日は夕飯家で食べるよ。」という会話で話題が終了するはずである。ところが、病的に物事を悪い方に解釈する人は、「妻は、本当は明日が会合だとわかっていながら、今日も俺の夕飯を作らないつもりなのだ。そうして、自分が夕飯前に帰宅したら、こちらをなじるんだ。本当は俺の食事を作ることが面倒くさいのだ。」と瞬時に感じてしまう。第三者が見ると、あえて悪く解釈する努力をしているように感じてしまう。ふざけているのかと思うが、本人は真剣である。こういう考えだから、自分の食事という、生きていくための基本的なことが妻という家族によってないがしろにされたと思い、自分だけ家族の一員として扱われていないと感じていくようになる。これが対人関係的危機意識である。
対人関係的危機意識について、少しだけ説明しよう。これと対になるのが、生物的危機意識である。危険を感じた場合は、素早く逃げたり戦ったりして危険を回避することによって、危険の現実化を阻止する本能的な意識である。これは、街を歩いていても、自動車が近づいてきたら道路を横断することをやめる等、日常的に危機意識のおかげで、我々は生き延びている。人間は、この生物的危機意識の他に、群れを作る動物として、対人関係的危機意識を持つ。人間は、人間の群れの中に所属したいという遺伝子的な要求を持っている。これが満たされないと心身に不具合を生じる。つまり、どこにも所属していない場合や、所属はしているが、その群れから仲間として尊重されないという意識等を持つと、どうしようもない不安感、危機感を抱くのである。究極的には、自分は群れから外されるのではないかと感じさせる事情がある場合ということになる。この不安感を抱いた後の反応は、個性や環境に応じて変化して、一様ではない。いずれにしても、逃げたり戦ったりして危険の現実化を阻止しようとする行動をとることは同じである。

<不安・対人関係的危機意識と怒りの行動の関係>

われわれが想起しやすい、対人関係的危機意識の発現形態は、引きこもりであろう。活動性が低下し、他者と関係することができなくなる。いわゆる回避型、逃避型という類型である。しかし、危機意識への対処については、戦闘型、排除型という類型もある。大体は、危険の対象と対峙して「勝てる」と意識できる環境の場合に出現しやすい。要するに、怒りを持つということである。自分をないがしろにする妻に対して、言葉による攻撃を行うという行動である。この場合の行動は、よく考えて行動を選択するというものではなく、条件反射のように瞬時に行動に出てしまうことが特徴である。図式すると

{危機意識}+{勝てるという瞬間的判断}=怒り

 ここでなぜ、危険排除に怒りの感情が伴うかについて説明する。危険排除のために攻撃的行動に出る場合、攻撃を完遂させて危険の現実化を阻止するためには、相手に対しての容赦ない攻撃を行うことが必要である。例えば、ゴキブリを殺す場合、反撃されるのではないかとか、死なないのではないか、こんなものにも命があるのだから等という邪念が入っていれば、なかなかゴキブリを倒すことはできない。こんなやつ叩きのめせば終わりだという認識の元、怒りに任せて叩き潰せば、案外簡単に殺すことができる。怒りとは、攻撃に集中し、全力で危険が現実化することを阻止するためのシステムなのである。
 怒っている時は、思考が停止したり、思考力が低下したりする。危険の現実化阻止というシステムを合理的に作動させている。思考力が低下するため、特に人間関係に関する怒りの場合は、怒ってはいるが、何を怒っているかよく考えてみれば自分でもよくわからなくなることが多い。例えば、先ほどの会合の日を一日間違えた事例での夫の激昂は、「俺のこと、馬鹿にしやがって、何だっていうんだ。」という発言をすることが一般的であろう。一日間違えていることに気が付けば、「なんて大人げないことをしてしまったのだろう。」ということになる。しかし、自分が慢性的に家族の中でさげすまれている、正当に評価されていないという意識がある場合は、大人げない行動を謝ることはできない。謝罪するということは精神的に余裕がある人ができることであり、謝罪してもそれ以上立場が悪くならないという確信が無ければなかなかできないことである。

<夫の不安感、危機意識が病的になる事情>

 おそらく、第1子が生まれたばかりの、夫が長時間労働をしていたころは、対人関係的危機意識も、病的なほど固定していたわけではないだろう。突発的に、危機意識を感じてそれが抑えられなくなり、条件反射的に怒りのモードになったとしても、自分の考えなしの激昂を恥じるだけの余裕があったと思われる。もっともこの時の怒りの感情というか危機意識は、おそらく職場での自分の立場の不安定さに対するものであった可能性がある。職場の上司や会社に対しては勝てるという意識はないが、危機意識だけは発生している。ある程度過敏になっている状態である。同じような構造での危機意識を家庭の中で感じてしまい、本来会社に向けられるべき怒りが、家庭の中で爆発してしまったということもあるだろう。怒りの大部分は八つ当たりであると感じている。
 しかし、本人でさえそのような構造はわからないから、受け手である妻はそのような事情は全く分からない。時々、わけのわからないタイミングで激昂し、収拾がつかなくなり気まずくなる出来事を発生させる夫だという記憶が定着していった。会社の中では、状態は改善されず、恒常的に危機意識を感じている状態となっていくことはよくあることである。危機感が敏感になっていったものと思われる。生物的にも、例えば、熱いものを食べると食道がただれるなり損傷を受ける。これが継続していけば、食道炎になったり潰瘍ができ、さらには食道がんとなるというようなものである。後ろ向きの悲観的受け止め方が固定化していくということがある。さらには、リストラによって仕事を奪われる。仕事を奪われてしまえば案外、あとは再就職に全力を挙げるものだ。しかし、リストラされるかもしれないという不安と、自分がリストラされることが正当ではないという不公平感が、対人関係的危機意識をいやがおうにも高めてしまう。そうすると、益々危機意識に過敏になっていく。感じ方の歪みは固定化されて、病的状態となった。

<家族から見てみる>

 ところで、怒りを受ける方は、もともと八つ当たりをされているようなものであるから、何を怒っているかわからないことが多い。先ほどの夕飯を作るか作らないかの問題で言えば、言われた方は何が何だかわからない。せめて、「俺の食事を作りたくないとは何事だ」とでも言ってくれれば、「ああ、夕飯作らなくてよいかと聞いたことが気に障ったのか。」と気が付くヒントくらいにはなる。しかし、「何なんだいったい。」と言うことが精いっぱいの状態であるから、よくわからない。さらには、夫が怒るということは、妻側にも対人関係的危機意識を発生させる。攻撃的な妻であれば、口論が成立して、だんだんと誤解が解消したり、一つ飛び越えて、双方が双方を加害する意思のないことを確認できる場合もある。しかし、夫の怒りが強すぎる場合や、攻撃的になれない妻の場合は、自分が何か悪いことをしたのではないかと罪悪感を抱くようになることもある。
 また、この様なことが度々重なると、だんだんと疲れてくる。この人と一緒に時間を共有することは難しいという意識が芽生えてくる。事例の妻も、夫がキッチンに来ると別室に逃げ込むということをするようになった。
 最初は、自分が悪いのではないかと自分の行動を修正しようとするが、どうしても夫が切れるタイミングはわからない。対人関係的危機意識は夫の心の中だけで自動的に生まれることもある。群れを壊さないようにしようという本能から妻は何とか我慢しようとしてしまう。夫の顔色をうかがいながらの生活を我慢することになる。しかし、これが5年も10年も続くと限界になることは簡単に想像できると思う。

<再び夫、思春期の脳とアルコール依存と貧困妄想>

 妻側の行動によって、夫からすると、危険の現実化が始まったと益々感じるだろう。妻は自分と顔をあわせることすら嫌がるようになったと感じるのである。最初は、「こんなことはすぐに終わるだろう。機嫌が悪い時期なのだろう。」等と考えて、また料理を作ってくれているというギリギリの納得があるので、積極的に自分の行動を修正しようということができない。妻が相手をしてくれないのならば子どもたちに対して話をしようとするが、子どもたちも既にわけのわからないことで怒りだす父親に辟易するし、父親は酒に酔って自分たちを攻撃するという意識が強く、逃げるか攻撃するか、無防備に攻撃にさらされるという深刻な事態となることがある。
この時の夫の脳状態は、思春期の子どもの脳のようなものである。思春期の子どもは、親のわずかな表情の変化から、自分が否定されているのではないかと思い、怒りをぶつける。これと同じである。被害感覚が鋭敏になりすぎている。
それがさらに家族を自分から遠ざけている。それがさらに夫を自滅へと向かわせる。
食事の時以外は部屋に引きこもり、食事の時は飲酒をするということは、アルコール依存症が疑われる。素面では怖くて家族と会うことができない。だからアルコールの力を借りるのだ。但し、こういう人は対面でなければ、例えばメールなどでは、怖さを感じないので好き勝手辛辣なことを書く。これがまた、家族を怖がらせる。
 さて、夫が家にお金を入れなくなったり、子どもたちに金を稼いで来いというようになるのもうつ病などの影響もあるのではないかと考える。これは貧困妄想と呼ばれるうつ病の症状が影響している可能性がある。元々、うつ病には、自分はこのままではお金を使い果たしてしまうのではないかという妄想を抱く場合が少なくない。実際にお金は使えばなくなっていくのだが、収入が途切れるのではないかとか、実際には預貯金があっても、それを忘れている場合もある。本気でこのままでは我が家は財政破たんとなると考えている節がある。その不安を言葉に出して表現すると、学費などでお金を使う子どもたち自身に対して自分で働いて収入を得てこいと言う気持ちになっていると解釈する余地がある。しかし、これが子どもや妻からすれば、夫こそが自分たちを攻撃していると、無理難題を言うと受け止める。当然のことである。ますます夫は孤立する。
夫は、必ずしも妻や子どもたちを支配しようとしているわけではない。自分がないがしろにされていると感じることで、対人関係的危機意識をもち、怒りに転嫁しているだけである。だから、妻子に直接暴力をふるって、言うことを聞かせようとすることはしない。自分を分かってほしい、自分が辛い気持ちに共感を示してほしいという結論を求めるが、それが伝わらないので、イライラして物に当たるという行動が起こる。妻子は、これは、次は自分たちに向けられるという予告のような感覚を持つ。音や振動、壊れたものの形状から生物的危機意識を強く抱くことは当然である。
 夫は、本当は、家族から見捨てられたくないという無意識、無自覚の感情から出発している。人間的な感情からすればそういうことになる。しかし、逆に、自分の行動で家族から遠ざかっていくことになる。
 きちんと自分の置かれた環境と、それが感情や行動にどのように結びついているかについて、きちんと認識をすることが出発である。そして、家族が大切であることを自覚させ、そのための行動を確立する必要があったのだ。こういうと、専門のカウンセラーが必要だと聞こえるかもしれない。しかし、これは人間の精神的営みとして、古今東西あまり変わらない。日本においても、親や親方ご隠居や大叔父さんが説教していたことである。そのような人物や人間関係自体が破壊されたとすれば、やはり何らかの専門家の介入が必要となるかもしれない。しかし、夫を加害者として把握して、悔悟を促していく手法で解決しようとすることは、高価が上がらないどころかデメリットも出てくるだろうと思う。

<妻子の夫に対する感情まとめ>

 妻子は、最終的には恐怖感情が支配的になる。いつ切れるかわからない。常に顔色をうかがいながら生活する。自分の行動が、全て夫によって否定される。そのような不自由感、被支配感が蔓延する。さらには夫の後ろ向きの発言、自虐的な発言のオンパレードであるから、苦しさは倍増していく。夫に支配の意図が無くても、妻子は、支配されていると同じような拘束感を抱いている。そうして、妻や子どもたちが、夫を理解できないまま行政などの第三者機関に相談をして、判で押したような「精神的虐待が行われているから逃げなければならない。DVは治らない。」ということを言われて、逃げていくことになる。ひとたび逃げると、夫から見つかることを恐れ続けていくことになる。

<最後に>

冒頭、DV、モラルハラスメントを類型的に分けてみた。しかし、特に支援者を志向する方に留意していただきたいのは、どの類型も紛争の始まりについての考え方は一緒だということである。基本的に、夫は、自己愛性パーソナリティ障害かうつ病か等の原因はともかくとして、事情があって対人関係的危機意識を抱きやすくなっており、敏感になりすぎている。この危機意識が条件反射的に怒りに転嫁する。妻側は、その事情が分からず、当初は全てを真に受けて、あるいは受け流すことができず、次第に不自由感を感じていく。相乗効果で夫の危機意識が昂じていく。
今必要なことは、双方に事態を理解させることであろう。仮に離婚等の別離が不可避だとしても、きちんと理解して別れることによって、逃げることによる恐怖や、独りぼっちになった孤立感、絶望感から解放されることになる可能性が出てくる。
加害者、被害者という二者択一的な対立関係でものを把握しようとすることは、このような合理的解決を阻害することになる危険性が伴うものであることを肝に銘じるべきである。当事者は支援者から離れても人生は続くということをきちんと想定しなければならないと考える。

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【緊急告知】わが子に会えない親の会 忘年会とクリスマス&12回例会 来られない方こそ読んでほしい。あなたの居場所はここにある! [家事]

12月25日7時、仙台駅前の店
(参加を希望される方限り、土井法律事務所土井までお問い合わせください)
当日は、ずっと事務所におります。

11月は、私、事情があって欠席したのですが、
きちんと例会は続いております。
居酒屋ともすっかり顔なじみで、
時々、サービスもしてもらえるようになりました。

飲めない人は親子丼を食べてもらいながら
ということも、おんなじです。
いつも同じようなことを書くしかないということもあり、
あまり紹介をしなくなっておりました。
同じように新人さんがいらっしゃり、
暖かな会が続いています。

これをブログに書く方はともかく、
結局1年間、誰も喧嘩別れすることなく、
ニコニコと同じ時間を過ごす会が続くということは
それは、それでとても素晴らしいことだと思います。

とにかく暗いまま終わらないというところが
この会の一番すごいところだと思います。

11月に行かなくて、日程でご迷惑をかけたのですが、
よりによってクリスマスの日に行われるということは
正直、ちょっとどうなのよって感じはしたのですが、
これはとても大切なことのように感じてきました。
それで、今日こうやって緊急告知をしているのですが、

やっぱりクリスマスはきついということはあるようです。
どうしても、テレビも街もクリスマスというムードを盛り上げようとしてしまいます。
あなた本当に聖書読んだことあるの
と思う人もメリークリスマスです。

お子さん方とクリスマスのお祝いをしたことを
ほとんど強制的に思い出させられてしまいます。
そりゃ、誰が考えたって寂しいよ
嫌なことも考えてしまうよ。

そんな中、わが子に会えない親の会が
東北の仙台で開催されている。
クリスマスに背を向けて、向けなくてもよいけれど
みんなで新しい、楽しい思い出をつくっている
ということを考えてほしいと思います。

あなたは参加できないかも知れないけれど
あなたは十分参加する資格が有るし、
みんな来れば歓迎してくれるということです。
あなたの居場所がここにあるし、
あなたが居場所だと思ってくれることで
たくさんの人が喜ぶんですよ。

仙台会は来年も続いていくことでしょう。
関東からも毎回誰かが参加しています。

あなたには仲間がいて、
あなたが存在するだけで
私たちは無条件にうれしい。
そういうことなのです。

25日は、昼間は私は事務所にいます。
参加希望の方は
022-212-3773
です。
法律相談が2件入っているので、
事務員から終わるころの時間を聞いて
かけ直していただくことはあるかもしれません。




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