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引きこもりの科学 引きこもりこそ人間らしい行動である。対策のパラドクス。 [進化心理学、生理学、対人関係学]



引きこもりという現象が起きています。
不登校から始まって
徐々に社会の中での家庭内引きこもりの
年齢が高まっています。

考えてみれば
引きこもるということは
人間の生理からすると
むしろ当たり前なのではないかと
正しい行動選択なのではないかと
そういう風に考えるようになってきました。

引きこもりについて考えてみます。

ロビン・ダンバーという進化生物学者は、
人間が個体識別できる人間の人数を
50人から200人くらいだろうという
研究結果を発表しています。

かなり幅のある数字ですが、個性の違いに起因しているようです。
厳密に言えば大脳皮質の量の個体差ということのようです。

農業革命前は、
狩猟採集をして生活していて、
一説によると30人から50人くらいの群れで
一説によると200人くらいの群れで
共同生活をしていたようです。

一つの群れで一生を終えるならば
50人くらいの人間の個体識別ができれば
(誰がどういう人かを認識できること)
それで足りたということになります。

逆に言うと
そのような人数の個体識別ができるように
人間の大脳皮質が進化したのだということになります。

だいたい200万年前までには
このような脳が形成されたようです。
チンパンジーと別れて600万年ですから
数百万年かけて形成されたということになります。

農業革命が1万年くらい前と言われていますから、
人類史のほとんどが、
50人くらいの固定した人たちとだけ
一生を過ごしたことになります。

急に国家だグローバル経済だと言われても
都合良く脳の容量は急には変わりません。

200万年前当時の生活をきちんと想像することが
現代の社会病理の解決にとって
不可欠なことだと考えています。

50人の群れの人間関係は小さいかもしれませんが、
相当濃いものだったと思います。
血縁の有無にかかわらず群れを形成したようですが、
なんせ一生変わらないメンバーですから、
そのメンバーですべてを行わなければなりません。

メンバーの中には役に立つ者も
役に立たない者もいたでしょう。
でも、批判しても、笑っても、責めても
変化には限界があります。
あまり強く言って、いじけて群れをはなれれば、
その群れを離れた者も野獣の餌食になるでしょうが、
群れ自体が小さくなって行きますので、
群れを出ることは、群れに残る者にとっても
不安、危機感を感じさせるものだったと思います。

そういうこともあり、
また、個体識別ができるということの結果として、
それぞれの構成員は互いに
個体の変化が期待できないことを把握していたはずです。
弱さ、不十分さを
群れは受け入れていたのだと思います。

構成員は、
あたかも、群れという一つの体の
手だったり、足だったりというパーツのようなものだったのでしょう。
右手が不自由なら左手でカバーしたでしょう。
右足が不自由だからと言って
右足を切り捨てることをしないことと一緒だったのだと思います。

前に、武器も逃走手段もない時代に
人間はどうやって生き残ったかということで
袋叩き反撃仮説を述べさせていただきました。
ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19

誰かが肉食獣に襲われた場合、
群れの他の構成員が、一斉に反撃を行い
怒りをもって袋叩きを行ったということで
危険を回避した、回避できたという仮説です。

一人では大型肉食獣には太刀打ちできません。
多ければ多いほど撃退できる可能性が高まったでしょう。

肉食獣の方も、うっかり人間を襲うと
袋叩きに合うので危険だ、不吉だと学習し、
なかなか人間を襲うことをしなくなって行ったと思います。
特に複数の人間がいる時は襲わなくなって行ったと思います。

人間の方も
狩りなどで群れを離れたグループ行動をするときは
少人数なので、言い知れぬ緊張感を持ったし、
屈強な群れのメンバーが狩りをして群れを離れている時は、
留守番部隊も緊張をしていたと思います。
肉食動物に対抗するためには、
緊張を持続することが必要でした。

しかし、縄張りに戻り
群れの全メンバーが揃うと
人数的に、肉食獣に襲われても十分反撃できますし、
そもそも大勢の人間がいるということで
肉食動物の方も警戒したでしょうから
特に襲われることは滅多にないという
状態になっていたのだと思います。

人間は群れに戻ったとき、
緊張が解かれたと思います。

これを生理学的に観察しますと
群れから離れている時は、
肉食獣に襲われやすくなりますので、
臨戦態勢を敷きます。
いつでも攻撃に、あるいは逃亡に移らなければなりませんので、
交感神経が活性化しています。

危険であることを認識し、
扁桃体が交感神経を活性化します。
副腎髄質や副腎皮質からホルモンが出され、
心臓が活動的になり、内臓にある筋肉を
走ったり叩いたりするために筋肉に流そうとします。
心拍数が増加し、血圧が高くなるわけです。
体温も上がります。
かあーっとなり、ドキドキするわけです。
その他にも血液が粘化したり
血糖値が上がったりして、
闘ったり、逃げたりすることをしやすくする
からだの状態を作るような
様々な反応が起きる状態です。

これを心の状態で見ると
不安、危機感、緊張という心の状態です。

これに対して縄張りに戻った場合、
緊張が解かれますので、
心臓の活動は静かになり、体温は低下し、
血液もサラサラに戻ります。
落ち着くわけです。
交感神経が鎮まるだけでなく
副交感神経が活性化しやすい状況となります。

この時の心の状態は、落ち着き、平穏
安らぎ、癒しというものでしょう。

緊張よりも平穏の方が楽なわけですから、
人の中にいたいという気持ちがあり、
群れから離れたくないという気持ちになるのは
極めて自然なことだと思います。

人間は、緊張を伴う捕食するために生きるのではなく、
生きるために緊張を伴う狩りをする
という当たり前のことだと思います。

昼に交感神経が優位になり、
夜に副交感神経が優位になるという
概日リズムが形成されるのも
昼に狩りに行き、夕方群れに戻る
というライフスタイルに適合しています。

この概日リズムは、細胞レベルで起きているようです。
現代の人間にも受け継がれています。

(ちなみに、一日中交感神経が活性化して
副交感神経が活性化しない状態が続くと
血圧の上昇や血液の粘化が続くことですから、
血管が硬化したり、血管内にカスがたまりやすくなります。
これが続くと心筋梗塞やくも膜下出血を起こしやすくなり、
過労死の原因になります。)

このような生理的変化は無意識に起こります。
ああ、自分は安全なんだなと考えて副交感神経が活性化するのではなく、
なんとなく、群れから離れると緊張し、
群れに戻るとほっとするということだと思います。

この結果、人間の恐怖は、
動物が感じる恐怖である身体生命に直面する危険を認識しただけでなく
かけがえのない群れから外されるという場合にも
危険を同じように感じるようになり、
交感神経が活性化されるように
なったのだろうと思います。

これが対人関係的危険です。
対人関係的危険を感じても、
現代では、例えば、警察官に呼び止められたり、
上司から叱責されたり、何かミスしても
走って逃げたり、開き直って闘うということはありませんので、
交感神経が活性化してもあまりよいことはないのですが、
200万年前は対人関係的危険、即ち
群れから追放されそうな場合は、
肉食獣や自然の脅威にさらされるわけですから
合理的な反応だったのかもしれません。

群れに戻るということは、群れのある場所に戻るということで、
200万年前は定住をしていたわけではないのですが、
比較的長期に滞在する縄張りはあったようです。
縄張りに戻ることは、
かなりの安心感を抱いたことでしょう。

縄張りはそういう意味で神聖なものだったと思います。
だから、この縄張りが侵されるようなことになれば、
全員が命がけで、徹底的に侵入者を排除したでしょう。
縄張り意識は人間だけでなく
群れを作る動物でよく見られます。

縄張りは、物理的な生きる空間というだけでなく
精神的にも必須な空間で、
これがなければ、緊張感が解かれませんので
早死にしてしまうということになります。
過労死が起きてしまいます。

ここで考えてみてください。
もし、私たちが200万年前にタイムトラベルできたとして、
群れの中に入って安心できるでしょうか。
いつ肉食獣に襲われるかわからない状況で、
ピストルなどの武器もなく
煉瓦の壁に囲まれた居住環境もないのに、
安心できるでしょうか。
とても無理だと思います。

でも当時の人間は、
確かに概日リズムを刻んでいて
副交感神経が活性化していたはずです。
つまりそんな環境でも、群れに帰ると安心したと思います。
そうでなければみんな過労死して
私たちが生まれてこなかったからです。

群れに戻ることで安心した
その原因をまとめると
一つは、群れの中にいることで肉食獣が襲ってきにくい
二つは、いざ襲われても群れが守ってくれるだろうという期待
三つは、群れのメンバーは、
個体が自分ではどうすることもできない欠点、不十分点、弱点によって、
 個体を攻撃しないということがあるのだと思います。
 
そうでなければ、何かしら弱点を抱えた人間は、
群れから外されないように常に緊張していなければなりません。
200万年前ですから、成人になる前に
色々な病気やけがをしたでしょう。
五体満足で一生を終わるということは
よほど恵まれた少数派だったと思うのです。
みんな弱点があった、欠点があった。
しかし、群れの構成員は、お互いを一つの体の
パーツのようにかばいあったはずだと思うのです。

これらがセットになって、人間は
概日リズムを維持、形成し、生き永らえたのだと思います。

現在は、飢餓に苦しむ地域は根絶されていませんし、
戦争も続いています。
しかし、その他の地域では
肉食獣に襲われることはほとんどありません。
飢えに苦しむことも回避することができます。
病気やケガも治療を受けることができます。

でも、
私たちは、人の中にいて安心できるでしょうか。
緊張を解くことがどのくらいできるでしょうか。

できていないと思います。
学校も、職場も、家庭でさえも
常に緊張にさらされている人が
多すぎるように思うのです。

その原因を考えてみましょう。

現在は、関わりになる人間は200人では到底足りません。
朝に出勤のために家を出て職場に着くまでに
何百人以上の人間を至近距離で目撃します。
しかも、200年前では考えられないほど
密集しています。
とても個体識別できません。

この人たちは、仲間なのでしょうか。

先ず、個体識別できない時点で
200万年前なら仲間ではありません。
敵かもしれないという緊張感を抱かせたことでしょう。

何か失敗すると庇ってくれる親切な人もいるにはいます。
しかし、みんながみんなそういう人ばかりではなく、
些細なことで攻撃をしてくる人たちも多くいます。
歩くのが遅いだけで叱責する人もいるでしょうし、
ちょっとよろけただけでにらむ人もいます。

安心することはできず、緊張は必要ですが、
通常は、命の危険を感じるほどではありません。

さて、無事に学校や職場にたどり着いたら
群れですし、ある程度個体識別できるクラスや部署で
いつもの場所に座るのですから安心できるでしょうか。

職場では当然のこととされているようですし、
学校でさえも
個体の個性である弱点、欠点を受け入れたり、
失敗を受け入れてくれる人は滅多にいません。

失敗が許されない群れです。
自分の近くにいる人たちが
仲間のか敵なのかわかりかねます。

もし、弱点、欠点を受け入れ、
助けを求めたら助けてくれる人を
同じ群れの仲間だとしたならば、
もしかすると、仲間がいない環境かもしれません。

縄張りは家庭だけかもしれません。

では家に帰ると安心できるでしょうか。
家族は、家族を攻撃しないのでしょうか。
学力が低い、出世が遅い、給料が少ない、
掃除ができない、人間付き合いが下手だ
弱点、欠点をついてくることだらけのような気がします。
もちろん、現代社会では、特に日本では、
少しでも努力をしないと
将来的な不利益があるとされていますから、
努力をさせることも家庭の義務でしょう。
それ自体が悪いことではありません。
ただ、200万年前の群れとは
決定的に違うのです。

群れの中にいる現代の個体は、
確かに学力が低い、給料が少ないという
自分の弱点がわかりますから、
それを指摘されなくても
群れから外されそうになる不安、危機感を感じます。
緊張が高まるのです。
具体的に肉食獣が見えなくても危険意識を感じる
交感神経が活性化する
いわゆる対人関係的危険を感じ続けるのです。

安らいだり、くつろいだり、癒されたりすることが
圧倒的に少ない。
むしろ肉食獣に囲まれ、飢えの危険が現実的な
200万年前よりも緊張が解けないのです。

これもまた真実だと思います。

児童生徒の引きこもりの原因となっている
人間関係を考察しましょう。

人間は、脳は200万年前とそれほど変わらないし、
数百万年かけて形成した心の仕組みが
農業革命から1万年では簡単に変わらないので、
群れに対する期待はほとんど同じと考えてよいでしょう。

およそ群れであれば、自分の
欠点、弱点、不十分点を受け入れてほしいと思うでしょうし、
自分が攻撃されていれば群れに助けてほしいと思うでしょう。

学校でいじめにあったらどうでしょうか。
いじめが起きる時、
ターゲットの欠点、弱点、不十分点が
批判され、笑われ、責められます。
弱点を攻撃してくるわけです。
まさに200万年前の人間の狩りの手法です。
むしろ、孤立させて、弱体化して攻撃するのです。

ターゲットにとって攻撃してくる相手は
自分の群れの仲間とは認識できないでしょう。
攻撃している者達も、ターゲットを仲間として扱っていません。
群れに侵入してきた野獣のように、
怒りをもって消耗するまで攻撃し続けるのです。

いじめがこういう単純に少数の加害者と一人の被害者
だけで構成されるのであれば、
いじめが終われば回復する可能性があります。
しかし、通常いじめは傍観者も重要な役割を果たしています。

傍観者がいるということは、
自分が攻撃されているのに、群れの仲間が助けてくれない
ということです。

自分が攻撃されていても助けてくれない傍観者も、
ターゲットにとっては群れの仲間ではありません。
加害者、傍観者を含めて、
群れ全体が自分を群れから排除しようとしていると感じるのです。
これは恐ろしいことです。
対人関係的危機感を最大に感じるでしょう。

ちなみにいじめられている時は、
弱い支援は、支援だと感じない特徴があるようです。
事実を認識していても支援の手を差し伸べられていることに
なかなか気が付くことは無いようです。
自分が陥っている窮地の程度に応じて
求めるものが大きくなっていると考えれば納得できます。

決定的なことは大人です。

子ども同士でいさかいがあったとしても、
それを何とかしてくれるのが大人だと
無意識に信じているところがあります。

その大人が、
助けてくれない、被害を放置している
ということになると、
わずかな望みが絶たれてしまいます。
絶望です。

ますます、ターゲットが
いじめてもよいのだ、仲間ではないのだ
という評価になってしまい、
怒りのボルテージが上がってしまうのです。

いじめがなくても大人が、
子ども同士のコミュニティーの中で
欠点、弱点、不十分点を
批判し、笑い、責める、
その子にとって不可能なことを要求するようになると、
子どもはどうしてよいかわからなくなります。

絶望が起きます。

一つの学校でいじめられたり、無茶な指導をされても
転校するなり学校をやめれば済む話だろうと
そういう正論を吐く人もいらっしゃいます。

それはそうなのですが、
群れは群れなのです。
数百万年かけて形成されてきた
人間の心、無意識の反応は、
理性的に抑えることは難しいのです。

群れから外される
という対人関係的危機は
無意識に感じてしまう反応のようです。

対人関係的危険を感じると
逆に何とかして群れの中で尊重されたいと感じてしまいます。
しかし、その方法がない
危機感だけが、慢性的に持続していくことになります。
家族にも心配をかけたくない
こんな情けない自分を教えることで
家族を悲しませたくない
という気持ちも起きてしまうようです。

何も言わないで学校に行かなくなるわけです。
当たり前のこと、自然なことだと思います。

対人関係的危険が慢性的に持続して
解決方法がないと認識することが絶望ですし
絶望を味わうことは予後が悪く
自死の危険が高まります。
学校に行かないことは、
とても有効な命を守る手段となります。

このようなお子さん、大人もそうですが、
一つの対人関係、学校、職場でいじめにあうと、
人間自体が怖くなります。
個体識別できる親や家族は良いとしても、
個体識別できない人はみんな敵になります。

群れの外の人間を、
200万年前の人間が見た時の
緊張をしてしまうわけです。

これが、人間として当たり前の姿だと思います。

われわれ人間は、見ず知らずの人間と
歩道ですれ違っても、満員電車で押し合っても
いちいち危険を感じません。

これは学習の成果です。

親子の本能的な安心感、
あるいは親の献身的な子育ての中で
安心感が育まれ、
親が安心して接する人間に対して
親をまねて緊張しなくて良いということを学習していきます。

また、見ず知らずの人間と接触しても
悪いことが起きないという経験の積み重ねから
人間に対する脅威が馴化するのです。

(人見知りをして知らない大人に泣き出す子供は
正しい反応、自然な反応といえるでしょう。)

ところが、群れ全体から攻撃されるという経験をすると
また、仲が良いと思っていた友達から攻撃されると、
あるいは、守ってくれると思っていた教師から攻撃されると
人間は、本当は安心できない動物だと気が付くわけです。
普通に生活していて犯罪に巻き込まれる人も同様です。
戦争のように、人間から致命的な攻撃を受けた場合も同様でしょう。

それは危険であることを学習するというよりも、
200万年前の群れの外の人間を見た時の反応が
よみがえってしまうということに近いと思います。
馴化が解かれるということです。

誤解ではなくて、正解なのです。
だから、なかなか元に戻らないのです。

家に引きこもるだけでなく、
自室に引きこもるということも
理由のあることなのです。

引きこもりを一度に解消することは難しいです。
少しずつ個体識別ができて、
自分の弱点、欠点、不十分点
(一番は引きこもっているということ)
を批判しない、笑わない、責めない人を作ることが
解決策ということになるでしょう。

「学校に出て来いよ」
と弱点を突くようなことをいわれるよりも、
家の中で一緒に遊んだり勉強したり
引きこもりを承認してくれる仲間があることが
逆に馴化を促し、
学校復帰のきっかけになった事例を
いくつか体験しています。
この人は大丈夫、この人も大丈夫という
焦らない馴化の道筋です。

引きこもりを解消するためにも、
引きこもりを許容する、承認するという
対策のパラドクスがやはりあるようです。

献身的な子ども、献身的な教師の経験を
制度化していくような工夫が求められているようです。

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QP

土井先生が2017/03/24に書かれたBlogで
「浮気をされた女性の心理 何年たっても消えない傷の正体」を読みました。

私自身、元夫に浮気されてそれを問い詰めたら離婚を切り出され、最終的には仕方なく離婚に応じてしまいました。
私自身離婚はしたくなかったのですが、元夫は「離婚に応じないのなら別居する」などと夫婦関係を【積極的破綻】させる方向にもっていこうとしていたからです。

浮気された時の衝撃も恐怖感を伴って相当大きかったのですが、離婚後も伴侶を失った大きな喪失感で恐怖その他の感情で私自身引きこもってしまいました。
実際に恐怖感で震えが止まらずに食事も睡眠も受け付けなくなり、心身ともに衰弱しました。

子供達は成人していますが、親の離婚で良くない影響も色々と出ています。

元夫はまだその女性とは法律的に再婚はしていないみたいです。

私は復縁したく思っているのですが、弁護士さんは復縁の交渉の代理人というのは引き受けていただけるのでしょうか?
by QP (2018-06-20 17:36) 

ドイホー

私は、けっこう復縁の仕事が多いです。しかし、離婚の方法は教わるのですが、円満解決の方法は教わらないので、あまり積極的に引き受ける弁護士は少ないかもしれません。
by ドイホー (2018-06-20 20:36) 

QP

土井先生はけっこう復縁の仕事が多いということですが、離婚成立前でない、【離婚成立後】の復縁交渉の依頼もお引き受けになったことが有りますか?
そして、良い結果になったことは有りますか?
by QP (2018-06-21 23:56) 

ドイホー

相手方の起こしてきた離婚訴訟に対して離婚しないと頑張る形態が圧倒的に多いですね。
離婚後の復縁というのは、すぐに思い浮かびませんね。
調停中の復縁、調停中に入籍というのはありましたが。
by ドイホー (2018-06-22 13:11) 

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