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現代社会において人が助け合うことができない理由 心は200万年前に置き去りにされている。 [進化心理学、生理学、対人関係学]



進化心理学に限らず認知心理学においても
人間の心が形成された時期は、
狩猟採集時代(旧石器時代)と言われています。

日本では(というより私はか)
あまり知られていませんでした(不勉強でした)。
偶然、この進化心理学とわれらが対人関係学の
結論部分が一致したことは興味深いことです。

私は、自分でそんなことを言っていながら、
どうしてこの時の生活様式が、
現代社会のわれわれに引き継がれたのかについて
なかなか説明ができませんでした。

遺伝子の記憶等ということを口走っていたのですが、
どうやら落ち着いて考えると
それもあながち間違っているというわけではないなと
思うようにはなっているのですが、*1

どうやら、話は逆だったようです。

チンパンジーと人間の祖先がわかれたのは
600万年前と言われています。
それまでは共通の祖先だったわけです。

おそらく、分かれ始めたころは
チンパンジーの祖先と人間の祖先と言っても
それほど厳密に別の種ではなかったはずです。
何せもともとは同じ種だったからです。

この頃は、まだ、樹の上で生活していたようです。
豊富な木の実がありましたから
木の上で生活できるような体の仕組みがあれば
生きていけたわけです。

群れを作る必要性もそれほどなかったことでしょう。

しかし、400万年くらい前から
地球には氷期が訪れます。
木の実が1年中ある時代が無くなるとともに
ジャングルが縮小していったようです。
食べられる実をつける木が減っていったのです。
エサが減少すれば縄張り争いもし烈になったでしょう。

木の上は住みにくい、生きにくいと感じた一群が
地上に降りてくるわけです。
地上には地上の生きにくさがあったでしょう。
木の実がないのに肉食獣がいます。
とてつもなく厳しい環境でした。

先ず、木の実ではなく、
動物を食べることができなければなりません。
そうでなければカロリーが不足するからです。
一番カロリーを必要としたのは脳だとされています。

ビタミンの豊富な内臓は肉食獣が食べますので、
残された骨についた肉なんかを食べていたのだとされています。

肉は食べられないという先祖たちは
木に帰れれば木に帰り、
それができなければ死滅することになります。

最初は、それで何とかやっていたようですが、
さらに時代が進み、
だいたい今から200万年くらい前には、
群れを作って集団行動をするようになったようです。

そうしなければならない事情があったのでしょう。
そしてそれに適応したのです。

つまり、群れを作り、群れを大切にする
自分と群れの他の仲間と
その大切さにおいては区別がつかないほど
群れを大切にする能力のある人間たちだけが
過酷な事情の中で生き残っていった
ということになります。

群れの仲間が肉食獣に襲われていたら
カーッと逆上して肉食獣を叩きに行く
そういう性格を持っていた人たちだけが
肉食獣から襲われてもただ食べられてばかりいないで反撃し
やがて肉食獣からも恐れられるようになって行ったのでしょう。
*2 袋叩き反撃仮説

群れの弱い者を食い物にして
自分だけ利益をむさぼることをしない、
弱い者に共鳴、共感して分け与えたグループだけが
弱いものから順に自滅して群れが縮小して消滅する
ということを避けることができたのでしょう。

群れの仲間に弱点があっても
責めない、攻撃しない、邪魔にしない
補い、助ける。
そうすることができる群れだけが強くなったはずです。

群れにいると安心することができる構成員だけが
昼間の生死にかかわるストレスによる体(血管等)の消耗を
副交感神経の活性化によって修復することができて
子孫を遺すことができたのでしょう。

徐々に、このように群れを作る仕組みを持った者たちだけが生き残り
このような心の仕組みを持たないものは
死滅していったということだと思います。

もちろん、当初から、このような行動傾向(心の仕組み)
・仲間のピンチを自分のこととして立ち向かう
・平等に分け与える
・仲間の弱点、欠点、不十分点を補おうとする
・仲間の中に入ると安らぎを感じる
・仲間を攻撃しない
が完全に備わった個体がそれほどいたわけではないでしょう。

徐々に、数百万年かけて脳の容量も大きくなるうちに
どうやらその方が、気持ちいい、楽だ、安全だ
という流れになって行ったのだと思います。
偶然の事情も多くあったでしょう。
徐々に行動傾向(心の仕組み)が固まっていった
ということだと思います。

このような狩猟採集時代は
おそらくつい最近
2万年前位まで続いていたし、
日本においては、江戸時代、
農村部では戦後までその残存物があったと思います。

私たちの心にも、
狩猟採集時代に人間関係を
求めてしまう残存物があるようです。

これは仕方がないことです。
人間の行動傾向(心の仕組み)は、
数百万年かけて、からだの構造である脳の構造を変化させながら
作られてきたものです。
わずか100万年でこれが入れ替わってしまうほど
進化は迅速ではないからです。

ところで先に述べた狩猟採集時代の行動傾向
心の仕組みを形成した条件は何でしょう。

外在的環境としては、
群れが存在することが個体が生存し子孫を継承することの
絶対条件だった。
そして、そのことを、ある程度認識していた。

人間の内的要因としては
群れの他者(即ち母子関係にないもの)の、
痛み、苦しみを、感じ取ることができるところの
共鳴する能力、共感する能力を有していたこと。
が必要だったと思います。

群れの形態としては
原則として、各個体は、生涯
一つの同じ群れで生活した
群れの人数は概ね200人未満
(個体識別できる人数)
ということになると思います。

現在の、ホモサピエンスの行動傾向は、
狩猟採集時代のもの
・仲間のピンチを自分のこととして立ち向かう
・平等に分け与える
・仲間の弱点、欠点、不十分点を補おうとする
・仲間の中に入ると安らぎを感じる
・仲間を攻撃しない
とは、大きく様変わりしています。

人間の脳の構造はそれほど変わっていません。
共鳴力や共感力をつかさどる脳は
きちんと存在しています(前頭前野腹内側部)
しかし、支配的ではないけれど行動傾向として
・他人の災難を見てみぬふりをする
・貧富の差がある
・仲間の弱点を執拗に攻撃する
・学校や職場、家庭でも、常に不安を抱いている。
ということが起きています。

この原因についての私の考えからは、
脳の構造の変化よりも
環境が変化したからではないか
ということになります。

この違いというのが、
先ず、我々が
群れが一つの群れだけでなく
様々な群れに帰属しているということです。
家庭、学校、職場、社会、地域、国家
様々な人間関係があります。

それぞれの群れの中の一つないし二つが無くなっても
あるいはそれらの群れから外されても
個体は生きていけます。
群れの絶対性は無くなりました。

さらには、関わる人数は果てしなく多くなり、
通勤途中に見る人物だけでも
相当な人数に上ります。
同じ社会で暮らしているのに
誰が誰だかわかりません。

人間の大脳皮質の量からすると
その出会う人間すべてを仲間だと認識することは
とても無理です。

狩猟採集時代の自分以外の人間は
みんな個体識別できる仲間でした。

当時の「他人」の概念は仲間と同じだったのです。
現在の「他人」の概念は仲間と同じではありません。
同じ脳の構造を持っていても、
個体識別できない他人に対して
共鳴する能力、共感する能力を
自然に発揮させることは無理だということになるでしょう。

ここは個体差があって、
人間の形をしていれば、共鳴、共感してしまう人がいる一方、
同じ職場、同じ教室、同じ家にいる人にも
共鳴、共感することが苦手な人もいます。
しかし、狩猟採集時代のように
安定した行動傾向、心の動きをもつことは
はじめから期待することはできないようです。

ここに矛盾があります。
心は狩猟採集時代のころからあまり変わりません。
仲間だと思う人からは、
・自分のピンチに一緒に立ち向かってほしい
・自分にも平等に分け与えてほしい
・自分の弱点、欠点、不十分点を補ってもらいたい。
 (責められたくない、批判されたくない、笑われたくない)
・仲間の中に入ると安らぎを感じたい
・自分を攻撃しないでほしい
とつい、感じてしまうのです。

この要求が満たされないと
自分は仲間から追放されるのではないかという
対人関係的危機(*3)感を抱いてしまい
ストレスが持続してしまいます。

環境が変わっても
心は200万年前におきざりのままです。
心は苦しめられることになります。

それでは、今後人間はどのように適応していくべきでしょうか。
どのような行動傾向があるべき姿なのでしょうか。

狩猟採集時代の要求を捨てるべきでしょうか。

これは無理でしょう。
1、そんなに都合よく脳の構造は変化しません。
2、誰かが苦しんでいる、悲しんでいるところを見ると
  つい共鳴、共感してしまう。
  これは事後的追体験によって、
共感者にストレスを与えてしまいます。
できることならば、すべての人が助け合った方が
生物学的には望ましいのです。
3、核や、地球温暖化、戦争、グローバル経済などから
  実は客観的には、
世界中の人間が運命共同体になってしまっている
この因果関係を把握することができるならば、
感覚的には、個体識別ができないために
仲間だと思えない人間に対しても
仲間だとして接することの必要と可能性がある
と私は思います。

4 どうでしょうか、私は、客観的に
  できるだけ多くの人、できればすべての人が
  一つの群れになり、
  ・仲間のピンチを自分のこととして立ち向かう
・平等に分け与える
・仲間の弱点、欠点、不十分点を補おうとする
・仲間の中に入ると安らぎを感じる
・仲間を攻撃しない
  ということをできる限り行うということが、
  人類生存のための客観的な条件になるように
  思えて仕方がないのです。
  これができなければ、
  人類は滅びるだろうなと思っています。



*1
遺伝子に記憶装置があり
遺伝子が記憶して子孫に記憶をよみがえらせている
というわけではありません。
(但し、比ゆ的に言えば、あながち間違いでもない。
 記憶の正体が、ニューロンの動的な活動だとすると
 それを保持(指示)する別のものが必要ではないか。
 そしてそれは、おそらくグリア細胞であり、遺伝子がそれだ
 ということに、
これから100年もしない間に人類は到達するでしょう。)

*2
ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19

*3 対人関係的危機
動物は一般に、身体生命の危機を感じると交感神経が活性化し、闘うか逃げるかという行動を起こしやすく、完遂しやすくする仕組み、心拍数の増加、血圧の上昇、体温の上昇、内臓の活動の低下と血液の流れを筋肉に向かわせる等の反応を起こす。人間は、身体生命の危険だけでなく、自分の所属する群れから仲間として尊重されていないと思うと同様の反応を起こしてしまう。この反応の中には、複雑な思考が停止し、一つのことだけに手中してしまう傾向、二者択一的な思考傾向、共鳴力、共感力の低下などの脳の機能低下が起きるという共通項もある。

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