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プロスペクト理論の「原理」と対人関係への応用 ひき逃げの心理等 [進化心理学、生理学、対人関係学]

ノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者カーネマン(Kahneman)先生と
トゥヴェルスキー(Tversky)先生の
プロスペクト(予想、見通し)理論というものがある。

結論からいうと、
人間は利得(gain)の文脈ではリスク回避の意思決定をする傾向にあるが、
損失(lose)の文脈ではリスク指向(risk seek)の意思決定をする傾向がある
というものである。

これは実験をもとに理論化されている。
二つの選択肢のどちらを選ぶかというものである。

実験1
まずあなたが現金300ドルを贈られ、あなたの全財産がその分増加した
と想像せよ。
その後あなたは次の2つの選択肢から選ぶよう求められている。
A;確実な100ドルの利得
B;50%の確率で200ドルの利得、50%の確率で何の利得もない

実験2
まずあなたが現金500ドルを贈られ、あなたの全財産がその分増加した
と想像せよ。
その後あなたは次の2つの選択肢から選ぶよう求められている。
C;確実な100ドルの損失
D;50%の確率で200ドルの損失、50%の確率で何の損失もない

カーネマン先生らの実験の結果は、
実験1ではAを選択した者が多く、72%
実験2ではDを選択した者が多く、64%
とのことである。

そこで、利得の文脈(実験1)では、確実さを求めるのに、
損失の文脈(実験2)では、ギャンブルに出るという結論となった。

おそらく心理学の分野では、
プロスペクト理論という結論が明らかになれば、
あとは、それを現実に適用したり
ある現象をプロスペクト理論を用いて説明する
ことに勢力を向けるのだろう。
特に臨床心理の場合、事象の説明としての理論が多いように感じる。

対人関係学は、どうしても、
なぜ、そのような傾向を人間が持つかということを考えてしまう。
着目するのは、損失の文脈である。
Risk seek という英語の訳、ニュアンスの問題もあるけれど、
私は、リスクを指向するという表現は、不十分だと思う。
なぜリスクを指向するような結果になるかということを
もっと考えてみてしまう。

人間の行動傾向や脳の構造は、200万年前に成立したという
認知心理学の前提に立って考える。
経済的損失は、狩猟採集時代の当時は、
端的に「危険」を意味しており、
まず、これを生命身体の危険として考え始める。
プロスペクト理論の事例の損失の文脈を
危険が迫っているときに、どういう選択をする傾向があるか
このように言い換えることができるとする。

すると、危険を回避しようとするときに限って
ギャンブルにでるということになると
違和感が出てくるだろう。
もっと別の言い方があるのだと思う。

即ち、人間が危険に直面した場合、
人間は、可能性があるのであれば、
危険をゼロにしたいと思い、
ゼロにする可能性のある行動を選択してしまう
ということなのではないだろうか。

そして
危険をゼロにしようとするあまり、
その危険ゼロ行動をした場合に生じてしまう
新たな危険については、正当な評価ができなくなり、
あるいは正確に想定できなくなり、
あまりに気にしないで当初の危険を回避しようとするのである。

心理的には
当初の危険を回避したいという意欲、欲求が大きくなりすぎて、
回避行動によって生じる新たな危険に気が回らなくなる
あるいは過小評価をしてしまう
ということなのだろう。

この理論の行動ですぐに思いつくのはギャンブル依存症だ。
例えばパチンコで3万円損した人は
損を取り戻そうとしてさらにパチンコをする。
また、損をするだろうことはきちんと評価をすることはできない。
勝って損を取り戻すことを強く想定してしまい、
お金をつぎ込んでしまう。

これは、自分の損という個人的文脈だけでなく、
仲間の損害を回避しようとする際にも起こる。
例えば、200万年前の人類が
仲間が肉食獣に襲われているとき、
仲間を助けようとすることに集中するあまり、
自分がけがをしたり食い殺されたりということを
あまり考えずに仲間を助けようと攻撃参加するという
私の袋叩き仮説そのものでもある。

ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説 
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19

さてこれまで危険を身体生命の危険として説明したが、
人間が感じる危険は、対人関係的危険というものもある。
生命身体の危険がなくても、
仲間(対人関係)の中で、自分が仲間として扱われなくなる危険でも、
身体生命と同様の危険に対する生理的反応をしてしまう。
交感神経の活性化を中心とする生理的反応だ。

例えば、失敗して職場に迷惑をかけるとか、
うっかり友達を攻撃してしまい、クラスの顰蹙をかったり、
批判されたり、叱責されたり、嘲笑されたりして、
将来的に自分が仲間から排除されたり、
仲間から攻撃されたりすることにつながると感じる事態が
対人関係的危険を感じる事態である。

対人関係にこそプロスペクト理論が当てはまる。

犯罪の多くが危険を回避しようとして
新たなより深刻な危険を引き起こすことによって起きている。
例えばひき逃げである。

自分の運転する自動車で他人を轢いてしまった場合、
被害者を救助する義務がある。
これをしないのがひき逃げであり、
罪が一つ増えるだけでなく、それ以上に刑罰が重くなる。
それにもかかわらずひき逃げは起きる。

ひき逃げをする者が感じている危険は対人関係的危険である。
それまで犯罪とは無縁の生活をしていたのに、
逮捕され、犯罪者とされてしまう。
それによって、社会の中での立場が悪くなるだけでなく、
職場での排除が起きたり、家族にも顔向けできなくなる。
まさに対人関係的な危険を感じてしまう。

ひき逃げをする人は、
できることならこのような危険をゼロにしたい
つまり、犯人として発覚しない方法があるならばそうしたい。
というリスクをゼロにしたいという強い欲求を抱く、
そのリスクゼロにすべての神経を集中してしまうあまり、
自分が事故を起こしたことがほぼ確実に発覚することや
発覚して刑が重くなるという
新たなリスクを正当に評価できなくなってしまう。
ますます対人関係が悪くなるというリスクが見えなくなる。

こういう心理構造でひき逃げという行為が起きてしまう。

犯罪に至らない場合でも
例えば、何点か商品を購入してお金を払う段で
自分が計算を間違ってバツが悪くなり、
店員の計算の仕方に文句をつけたり
説明が悪かったなどと逆切れするのも、
自分の計算間違えというバツの悪さをなかったことにしようとして
クレーマーとか人格的問題という新たなリスクを背負ってしまう
プロスペクト理論が当てはまる。

家庭でも、何か小さい声で話している家族が
自分の悪口を言っているのではないかと勘違いをしてしまい、
不機嫌になったり、怒り出したりして
嫌な思いをさせてしまうということがある。

対人関係にこそプロスペクト理論がぴったりとあてはまる場面が多い。
対人関係を悪くしないためにこれを頭に入れておくことは
とても有益である。

おさらい
「対人関係におけるプロスペクト理論」
当初のリスクを避けようとすることに夢中になってしまい、
回避行動によって生じる新たなリスクを十分想定せず、
案の定新たなリスクを発生させてしまうこと。

身体生命の危険ではそうすることはできないが
対人関係的危険の場合は、
自分を捨てる、危険に我が身を晒すということが
危険を最小限にする可能性があることを
頭に入れておく必要がある。

2018年9月26日追記

わけあって、一日中役所に詰めていなければならず、
かつ、弁護士の仕事ができないという事情から
スタノビッチ先生のkeith E.stanovich
「現代世界における意思決定と合理性」
Decision Making and Rationality in the Mdern World
を読んでいたところ、

プロスペクト理論について、
損失に対してリスク指向的である理由として
人々は完全な損失を回避する機会を持ちたいという考えを好む
という説明がなされ、
プロスペクト理論から派生した
保有効果(emdowment)は、損失回避(lose aversion)に由来する現象だ
との説明もなされていた。

あたかも私が発見したような表現が1行なされているが、
単なる勉強不足であったことが露呈され、赤面の至りである。

本家カーネマン先生を読んで理解が不足していたところを
スタノビッチ先生を読んで学ぶことができたということになる。

スタノビッチ先生の二重意思決定モデルを
カーネマン先生から学んだことを思い出す。
自分としては、この学習結果はとても気に入っている。
勉強とはとても面白いと思った。
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