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こころがすさむ、心がすさんでいるとはどういうことか. [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



心が荒む(すさむ)という言葉があります。
なかなかうまく説明しているものが見つかりません。

対人関係学では、
「自分の人間関係のつながりにおいて、自分が尊重されていないと意識している場合又は無意識に感じている場合の心の状態」を言います。
もう少し専門的に言えば
「自分が所属している人間関係において、他の構成員から自分が安定した所属の継続を許容されていないと感じる場合の生理的変化の意識の領域における反映」
ということになります。

人間は、動物という側面と人間という側面と両方兼ね備えています。
動物として、本能的に生き続けたいと意欲します。
人間としては、仲間の中で尊重されていたいと意欲するわけです。

そしてその意欲がうまくいかないときに起きる生理的変化は
(血圧の上昇、脈拍の増加、体温の上昇、脳機能の変化等)
生命が脅かされている時と
仲間の中での尊重がなされなくなる時
基本的にはほとんど同じ変化です。

人間は危険を感じ、不安を抱くことで、
危険だと思われる行為を止めたり修正したりするし、
ひとたび危険が発生したら、危険を回避する行動をとり
命を維持しています。

戦闘地域には近づかないとか
夜の独り歩きをしないとか
何かが飛んできたらよけるとかと同じように、

仲間から非難されるような言動はとらないとか
うっかり失敗してしまったら
何とか穴埋めをしようとしたりするわけです。

ところが、いつも思い通りの名誉回復ができるわけではありません。
うまく尊重を回復されない場合は、
危険解消要求がさらに大きくなって行きます。

この場合、
戦うか逃げるかという行動に出てしまいます。
これは様々なタイミングが作用しますので、
色々な行動に出てしまうので、一概にどう行動するかいえませんが、

例えば、仲間の中に留まるように「力ずく」で対応する。
自分を尊重しない相手を攻撃する
場合によってはライバルを追い出すという行動ですね。
多くのドメスティックバイオレンスの原理です。

同じ「力ずく」での対応でも
自分よりも弱い者を攻撃することによって
危険意識を解消しようとする
いわゆる八つ当たりもよく見られます。
会社での危険を家で八つ当たりするような場合です。
社会的に不遇な場合、子どもに過酷になるのが児童虐待でしょう。

もう一つの対応が「逃げる」という対応ですが、
具体的には自暴自棄のような対応をする
他者とかかわりを持たなくなる
他者からどう見られるかということを気にしなくなる
ということが代表例でしょう。

いずれにしても、本当は仲間と良好な関係を作りたい
という気持ちがあり、
それがうまくゆかないという危機感、不安感が過度に肥大して、
良好な関係を作ることよりも
それと逆行するような危機解消行動に出てしまう
これが心が荒んでいるという状態です。

さらに、
その危険解消要求が過度に持続してしまったり、
危険意識が強烈なものである場合
危機感の総量が一定限度を超える場合、
精神破綻が起きるのではないでしょうか。

例えば、子どものころいじめにあって
救いがない絶望を味わってしまうと
統合失調症と同様の精神状態になり
回復が難しいことがあります。

家族にも凶暴になって収拾がつかず、
精神病院に入院させるほかない状態に
なってしまいます。
こころの荒みが進むと
一生を台無しにする可能性のある危険がある
と感じざるを得ません。

危険解消要求が肥大化しすぎると、
死ぬことによって、危険を感じなくしたいとまで
追い込まれることになります。

そこまで行かなくても
八つ当たりの類似行動のような
犯罪やクレーマー、いじめや虐待のような
社会病理の原因にもなります。

あるいは、自傷行為や薬物乱用などで
現実の危険意識、不安感を解消するなどの
行動に出てしまうこともあるわけです。

こころが荒むということは放置してはいけません。

どうやって、心の荒みを解消したらよいでしょう。
心が荒むという言葉の対義語は何なのでしょう。

ご自分の心が荒んでいるということに気がつくことは
なかなかありません。
先ず、気がつくことが難しい。

例えば書道や華道をやって、
「自分の心が乱れている」
ということに気がついて
行動を修正するという人がいました。
私は「芸は身を助ける」の本質がこれだと思います。
それほど万人ができることではないでしょう。

一つは、
自分が尊重されたい組織を大切にすることだと思います。
なんか心が苦しいなと思った時ほど
例えば家族を大切にする行動をするということです。
心をほっておくと
自分を大切にしてもらいたいという行動に出るのですが、
敢えて仲間を大切にするということです。
これを私は自分を棄てるという表現を使います。

自分に、あるいは自分を守ることの意識が強すぎて
自分をおとしめている
こういう状態に陥っているわけです。

自分を守ることの意識を捨てることが
回復への一歩になるのは理屈です。
但し、ただ、自分を棄てることはできない。
このため、自分の仲間を大切にする
自分のみを犠牲にしても大切にする。
という行動をとることで、
結果として
自分に対する過剰な防衛意識を緩和することができる。
こういう考えです。

日本の詩人でも
中原中也は、「春日狂想」で
愛する者を失った時は、奉仕の気持ちになることなんです
と詩っています。

石川啄木が「一握の砂」
「友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」
と歌っています。

詩人は、直観的に人間の本質を見抜いて
生きるための手立てを探り当てたのだと
私は思っています。

プラスアルファの効果があって、
こちらが優しくすれば
相手も優しくしてくれる
というのが確かにあるかもしれません。

しかし、それは、自分を棄てることの本質とは別の話です。

アメリカの幸福を考える学会があって、
そこでの実験心理学の実験の結果、
他人の利益を考える方が
人の心は安定する、しあわせを感じるというらしいのです。

https://gigazine.net/news/20190403-simple-trick-instantly-improve-mood/

私はこれは正しいと思います。
これも人間が群れを作ってくることができた
システムの一つなのでしょう。

そもそも、われわれ人間が、仲間を意識して行動するのは、
仲間の中にいたいということが出発点です。
心が生まれたとされる約200万年前は、
一生一つの群れで過ごしたと思われるので、
自分を守ることと仲間を守ることは
それほど区別する必要がなく
自分と他人の区別もあまりなかった時代だったと思います。
仲間を守ろうとする本能が
本来人間には存在していると考えることは
それほど無理のないことだと思います。

見返りを期待しないで
仲間の利益を考える。

これこそが
こころが荒むことの対義語であり、
その時の精神状態は
落ち着いていて安定しているのだろうと思います。

こころが荒まないようにする
予防にもなるわけで、
しあわせになる方法であると
考えた方が前向きなのかもしれません。

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コメント 2

きみ

ドイホー先生、こんばんは。
今回のブログを拝見して、離婚問題も結局は互いの心が”荒んだ”結果なのかな・・・と感じました。これは私の場合ですが、妻から尊重されているような気がしなくて段々と険悪な関係になっていきました。相手がどう思っていたかは分かりませんが、とにかく自分がそう感じてしまってからは相手に優しくすることが、寄り添うことがなかなかできなくなっていました。

 「他人の利益を考える方が幸福を感じる」本当にそうだと思います。ただ、その”他人”に妻を加えることができなかったな、と思いました。妻や近しい親族は自分と同じ考えだと無意識に思い込んでしまっていた結果、妻は”他人”ではなく”自分と同じ”、つまり”自分(妻含む)が辛くても他人の利益を考える”というような考えになってしまっていたと思います。妻は”他人の利益を考えるように自身の利益(幸せ)を叶える夫であって欲しかったのかな、と・・・
何だか昔の、昭和の体質なんですかね・・・

何だか取り留めも無い文章になってしまいましたが・・・
ハッとさせられました。

by きみ (2019-04-15 23:45) 

ドイホー

きみ様
いつもありがとうございます。
貴重なお話で、とても考えさせられました。
夫婦という関係は、実は壊れやすい関係でなんとか綱渡りをしている状態だとつくづく思うこの頃です。
どんな場合でも、しあわせになる方法はあると信じて、考え続けていきます。
by ドイホー (2019-04-16 10:13) 

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