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京都府警の指導によるYこども園の子どもの親をさらし者にする訓練を無批判に報道する京都新聞に対する疑問 [家事]

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この写真を見てください
母親と暮らす子供を別居の父親が連れ去ろうとする事件を想定した訓練で、園に侵入しようとする父親を保育士たちがさす股などで抵抗しているのだそうです。
指導したのは京都府警八幡署と京都府警少年課
実行しているのは京都府八幡市のYこども園
そしてこれを報道しているのは京都新聞です。
https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20190524000085/1



第1に、これは、子どもにとって精神的衝撃を与えられるものです。
ちょっと考えればわかることですが、
自分の父親ですよ。
自分の父親が、寄ってたかって凶悪犯扱いされ、
武器を持って攻撃されている図を
目の当たりに見せられるのです。

かなりショックです。
大変むごいことです。
将来的に記憶が残るでしょう。
自分の父親がみんなから悪として
憎悪の対象として扱われた記憶です。

この記憶の問題が顕在化するのは
15歳ころ、自我が統一される時、
自分は絶対的悪の父親の子どもだという記憶が
アイデンティティーの確立に入り込んでしまうことです。
当然、自分に対する評価が低下してしまい、
自尊心が高まる記憶ではないのです。
それ以前に取り返しのつかないことに
なっているかもしれません。
子どもたちは容赦ないですから
子どもの親も含めてその日から
あの人の子どもだとその子を扱うでしょう。

先ず、警察はこのような子どもの心理を
気にしない危険性が高くあります。
それは、主眼が犯罪者の検挙だからです。
犯罪者の検挙という絶対正義を実行する際、
その妨げになる要素は後景に追いやられます。
勢い、子どもの利益にかまってはいられなくなるようです。

数年前、児童虐待で父親が逮捕された報道がありました。
その際、性的虐待も視野に入れて追及する
という警察発表が全国ニュースで報道されました。
犯人である父親の氏名、ある程度の住所もさらされました。
その子供が被害者ですから
その苗字、その住所の子どもが
性的虐待を受けたかのような報道がなされたのです。
その結果、子どもは転校を余儀なくされました。

警察は父親をさらすことに夢中で
子どもをさらしていたことに気が付かなかったのかもしれません。

ところが、のちに裁判で、
児童虐待の事実は認められず、
性的虐待云々は、母親の妄想であるとの認定がされたのです。

警察はある程度そういうところだということは
ある意味理解できるのですが、
こども園は保育士や教師がいるところです。
それらの教育を受けた人間が
警察の論理で、子どもに精神的外傷を与えるような訓練を
平気でしていたということは
非難されて仕方がないでしょう。

こども園であるにもかかわらず、
子どもの利益を最優先していないと
評価されても仕方がないでしょう。

侵入する者がいたら
子どもを建物の中に入れて、
警察を呼べばすむことです。
攻撃する必要があるのでしょうか。
晒しものにする必要があるのでしょうか。

批判の第2点は、
侵入してくるのが母親だったら
やはり、大勢で取り囲んで
子どもの前で刺す股で突くことをするのでしょうか。
子どもの命に対する危険性は
統計的に言えば母親のほうが父親よりも
圧倒的に多いのです。

また、母親が家から追い出されて
子どもと会えないということは少ないわけではありません。
そのようなケースで父親と暮らしている子供を
母親が取り戻しに来るということは
ありうるわけです。

この母親を取り囲むのか
みんなで憎悪の対象にして
子どもの前でさらし者にするのか
それを聞いてみたいです。

もし、母親と父親を別に扱うなら、
それは性差別でしょう。

多くの家族事件で、
包丁などの凶器を持ち出しているのは
実は母親です。
力の弱い女性だからこそ、
殺傷能力の強い武器を持とうとすることを
理解しておかなければなりません。

3 男女差別でのジャッジをこども園がしてよいのか

両親の争いは、
通常はどちらが悪いというよりも
すれ違い、行き違いで溝が埋まらなくなる
という図式が多いのです。

その結果、子どもを取り合うというながれになります。

住んでいた家を、子どもを連れて出ていくということが
どこまで是認できるか大変疑問です。
少なくとも子どもにとって父親あるいは母親と
別れなければならない理由が弱いことが
圧倒的多数のようです。

それにもかかわらず、
父親が取り戻しに来たからと言って
それに応じないことはともかくとして
大勢で取り囲んで攻撃することは
過剰反応だというしかありません。

これは、子どもと一緒に住んでいる母親は守るべき対象で
取り戻しに来た父親は攻撃する対象だと
類型的に割り切っていることが前提だと思われます。

しかし、実際の事件では
母親が医師から統合失調症疑いとされていて、
包丁を振り回して暴れているので夫が110番したら、
警察が母親を保護するだけでなく、
子どもまで母親と一緒に「保護」してしまい
父親に所在を告げないという事態がありました。

子どもは母親から脅迫されており
逃げることができない状態になっていました。
数か月後になってから
ようやく命からがら逃げだして
父親に保護されましたが、
精神的外傷を負ってしまい
学業に多大な影響が出てしまいました。

未だに警察から、父親へも娘へも
謝罪の一つもありません。

少なくとも、子どもを連れて出ていった母親が
必ずしも正しいというわけではないのです。

このような訓練は、防犯上実務的なものではありません。
父に限らず母にしても、
子どもを取り戻そうとして狂気にとらわれた人間を
素人の女性職員が立ち向かえるわけがありません。

これらの職員は常に武器を持ち歩いて保育をするのでしょうか。
結局、父親を悪だと決めつける洗脳的な
刷り込みをしているに過ぎないのではないでしょうか。
子どもを連れ戻そうとする親の思いを
ふざけてかるく考えてはいけません。
蛮勇を命じて負傷した場合、
園はどうやって責任をとるつもりなのでしょうか。
こういう人たちに、子どもを任せられるのでしょうか。

4 批判の最大ポイントは京都新聞の報道姿勢だ

これらの問題行動は、
それぞれ個別事情があって、
おそらく、警察全般が無批判に行うことではないでしょうし、
京都という土地柄とは無関係でしょう。
Yこども園以外には、無批判にこのような協力をしないと信じたいです。
要するに個別事情なのだと思います。

それを大ごとにしているのは京都新聞だと思います。

ちょっと考えただけで上記のような批判は
私でなくとも誰でも思いつくことです。
間違った訓練であるということは
写真を見ても明白でしょう。

それにもかかわらず
無批判に報道をすることによって
洗脳的刷り込みがなされていく危険があります。

おそらく事件報道について
警察からの情報がなければ記事が書けないために
警察の報道要請にたいしては
無批判に追随しているのだと思います。

ジャーナリズムは社会の木鐸として
警鐘を鳴らすことが使命だと言われることがあります。
このような報道姿勢は
ジャーナリズムではなく
まさに大本営発表を垂れ流した
日本のマスコミの伝統を受け継いでいる
ということなのでしょう。

竹やりで戦争を完遂させようとした図柄が
そのままだということにも違和感を感じないのでしょう。

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やってきたのが母親や祖父母でも、同じように突き刺すんでしょうか?
本当の父親だったら、こんなにコミカルに手を挙げて、口を開けますか。
我が子と離ればなれにされ、みんな泣いてやってくるんじゃないですか。
その人たちを、よってたかって刺すんですか。
それが人間の道ですか。
by お名前(必須) (2019-05-25 14:53) 

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