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日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか [家事]

日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか

<配偶者間トラブルの4類型>

世界的には「配偶者加害」という言い方をする現象を、日本では「DV」や「モラルハラスメント」と呼ぶ。日本においては、あまりにも漠然に言葉が使われている。しかし、一つの言葉で表現される行為ではあるが、その行為及びその程度、行為の効果、原因等において、いくつかの類型があるように思われる。先ずこの整理してみる。

第1類型 世界共通の概念としての「配偶者加害」と言われる類型がある。これは、日本と異なり限定された概念である。継続的な意思を制圧する暴力や言葉等によって、配偶者を支配しようとしている状態。この類型の行為があるというためには、それらの暴力や言葉等が、相手方を支配しようとする意思の元に行われていることが必要だとされる。マリー=フランス・イルゴイエンヌ(モラルハラスメントという言葉を作ったフランスの女性の精神科医)によれば、この類型での行為者は自己愛性パーソナリティ障害の疑いがある場合が多いとのことである。
この類型の行為は、第三者に気づかれることは少ない。なぜならば、行為を受ける側は、自分が支配を受けていることに気が付いていない場合が多いということが一つの理由である。自分が悪いからこのような事態にあっているのだと考えてしまう。支配を目的とした暴力や言葉があることは、援助を求める契機となるのではなく、自分の恥という意識を植え付けられている。このために第三者に対して援助希求を行わない。私が、担当した事案も、全く別の相談から、支配の実情を見つけ出し、女性問題の支援者と私と精神科医によって、ようやく支配から脱出させることができた。被支配者と接していても、「あれ?何かがおかしい。」と思わなければ見過ごすことが多い。深刻な被害、人格荒廃が起きているがゆえに、第三者から気づかれにくいという深刻なジレンマがある。

第2類型 本件で取り上げる日本的配偶者加害。通常は身体に対する直接の暴力はない。これまでの事例を見ると、行為者が、うつ病や不安障害を発症している場合が多い。しかし、その症状が、焦燥型優位のために、うつ病等であると気が付かれない。行為者が相手方に対して、支配しようとする意図はないけれども、行為を受ける側からすれば、結果的に支配されているような不自由で苦しい感覚になる。

第3類型 行為を受ける側の事情と行為者側の事情が加味して、結果として行為を受ける側が支配されているような不自由で苦しい感覚になる。行為者の事情としては、客観的規範、正義を優先して相手方の感情に考慮を払わないということが多い。やや細かすぎる性格、あるいは完璧を要求する性格等の問題がある。受け手側の事情としては、身体的な問題や発達上の問題があり、通常要求される程度の家事が苦手であったり、金銭管理ができなかったりという弱点を有していて、その弱点を指摘されることに恐怖に近い拒否反応を起こす。一般的には、道徳よりも自分の感情を優先する傾向はある。この類型では、支配を目的とする暴力、言動は見られない。この場合、日本以外では行政などの公的な第三者が介入することはない。しかし、日本ではDVとかモラルハラスメントであるとして、男性行為者は、第1の典型的な配偶者加害が起きたときと同じ扱いを受ける。行為を受ける側が被害者、行為者を加害者であると割り切り、被害者を加害者から分離して、加害者に対して一切協力しないという行政対応となる。日本において一番多い類型と思われる。これまでこのブログで多く取り上げてきた類型。

第4類型 虚偽、詐称型。被害救済とは別の意図、例えば不貞の成就、あるいは実母の支配に積極的に入る目的等により、夫からDVやモラルハラスメントがあったと訴えて、配偶者から逃亡する類型。純粋な第4類型ということよりもなんらかの第3類型の要素がある場合が少なくない。

今回は第2類型を扱う。

事案:あるシステムエンジニアの夫の事例である。

<現状>

夫と妻はおおよそ40歳。20代で結婚し、現在中学生と高校生の子どもがいる。家庭内別居の状況だったが、現在は、子どもたちは妻の実家で預かり、妻は一人で別居している。夫と妻の連絡はメールなどで取れる。妻はパート労働者である。
別居の原因は、夫の暴言、きっかけのわからない激昂である。必要以上に金銭的心配をして、子どもや妻に金を稼いで来いという。食事の時だけキッチンに来る。それ以外は自室にこもっている。食事の時は必ず飲酒する。飲んで酔っては、金銭的請求をしたり、自分に価値が無いということ等愚痴を言う。突然激高して、家族をなじりだし、「お前たちが俺を怒らせている」といって、収拾がつかなくなる。妻は、夫の夕食は作るが、夫がキッチンに来ると、子ども部屋に避難して顔をあわせないようにする。何か話すといつ激昂するかわからないので、話をしない。家庭内別居が続いていたが、子どもたちに対しての言動が不穏当になりだしたので、別居をすることにした。いつ切れるかわからない夫の顔色をうかがいながらの生活に疲れ切ったということもある。家族全員に何らかの精神的な問題が生じ、それぞれが精神的に不安定になっている。

<経緯>

結婚して数年で第1子を出産したが、そのころから、妻によれば夫の言動が「おかしくなった」という。些細なことに激昂することが時々みられるようになった。夫はシステムエンジニアで、当時(おかしくなり始めたころ)は始発で出勤し、終電で帰宅する状態。家にいる時間は、午前1時過ぎから午前6時前ということになる。最近さらにおかしくなってきた。数年前から家にお金を入れない。もっとも、家賃と光熱費は夫の給料口座から引き落とされる。子どもの学費や食費は、すべて妻の収入で賄っていた。そのころ、夫はリストラにあい、転職を余儀なくされたという事情もあった。

<分析>

夫は、結婚してすぐに、うつ病や不安障害等の精神疾患を発症している可能性がある。発症の原因は、睡眠障害(睡眠不足)が考えられる。時間外労働時間は月あたり、120時間を超えている可能性があり、1日5時間の睡眠が確保できない状態だったと思われる。また、システムエンジニアの仕事も、細部に神経を使う仕事であり、職場によっては、パワーハラスメント的な言動が盛んに行われている職場もある。この夫の具体的な症状としては、自分が仲間から評価されない、役に立たないと思われている、とるに足らない人間だと存在を否定されているのではないかという危機感が鋭敏になっているということである。これが基本的な症状である。当初、家庭では、まだ家族のことを思う余裕がわずかながら残されており、なんとか自分を保つ努力をしていたと思われる。しかし、その症状に対して医療機関を受診する等の手当てをしないで放置した上にリストラされたこと、リストラに至る過程の中での状況によってうつ病等が悪化したものと思われる。

<疑問>

 問題は、「なぜうつ病や不安障害を発症すると、家族に対して攻撃的になるのか。」ということであろう。うつ病というと、我々のイメージとしては、活動をしないで部屋などに引きこもる状態であると思われる。子の夫のやっていることはうつ病とは正反対の行動ではないかという疑問が生じるだろう。

<不安の中身の対人関係的危機の意識>

病気ということで済ませてしまわずに、夫の心理をもっとのぞいてみよう。簡単に言うと、夫は、特に理由なく、病的に、理由もなく悲観的になり、物事を悪い方に解釈してしまうという心理状態になっていた。もっとも、解釈という意識的な作業をしているのではなく、条件反射のようなものである。むしろ、意識的に努力していたことは、考え過ぎではないかと自問自答し、不安を抑え、怒りを高めないようにしていたということだと思う。
この病的な不安を抱いてしまうと、普通の人がなんとも感じない、聞き流すような他人の言動が、自分を否定していることを意味しているのではないかと受け止めてしまうのである。例えば、妻が、「今日、夕飯いらないんだよね。」と尋ねるとする。実際に夕飯が不要であるのは、職場の会合がある翌日であるとする。通常の人だと、この妻の間違いに気が付いて、「今日じゃないよ。明日だよ。今日は夕飯家で食べるよ。」という会話で話題が終了するはずである。ところが、病的に物事を悪い方に解釈する人は、「妻は、本当は明日が会合だとわかっていながら、今日も俺の夕飯を作らないつもりなのだ。そうして、自分が夕飯前に帰宅したら、こちらをなじるんだ。本当は俺の食事を作ることが面倒くさいのだ。」と瞬時に感じてしまう。第三者が見ると、あえて悪く解釈する努力をしているように感じてしまう。ふざけているのかと思うが、本人は真剣である。こういう考えだから、自分の食事という、生きていくための基本的なことが妻という家族によってないがしろにされたと思い、自分だけ家族の一員として扱われていないと感じていくようになる。これが対人関係的危機意識である。
対人関係的危機意識について、少しだけ説明しよう。これと対になるのが、生物的危機意識である。危険を感じた場合は、素早く逃げたり戦ったりして危険を回避することによって、危険の現実化を阻止する本能的な意識である。これは、街を歩いていても、自動車が近づいてきたら道路を横断することをやめる等、日常的に危機意識のおかげで、我々は生き延びている。人間は、この生物的危機意識の他に、群れを作る動物として、対人関係的危機意識を持つ。人間は、人間の群れの中に所属したいという遺伝子的な要求を持っている。これが満たされないと心身に不具合を生じる。つまり、どこにも所属していない場合や、所属はしているが、その群れから仲間として尊重されないという意識等を持つと、どうしようもない不安感、危機感を抱くのである。究極的には、自分は群れから外されるのではないかと感じさせる事情がある場合ということになる。この不安感を抱いた後の反応は、個性や環境に応じて変化して、一様ではない。いずれにしても、逃げたり戦ったりして危険の現実化を阻止しようとする行動をとることは同じである。

<不安・対人関係的危機意識と怒りの行動の関係>

われわれが想起しやすい、対人関係的危機意識の発現形態は、引きこもりであろう。活動性が低下し、他者と関係することができなくなる。いわゆる回避型、逃避型という類型である。しかし、危機意識への対処については、戦闘型、排除型という類型もある。大体は、危険の対象と対峙して「勝てる」と意識できる環境の場合に出現しやすい。要するに、怒りを持つということである。自分をないがしろにする妻に対して、言葉による攻撃を行うという行動である。この場合の行動は、よく考えて行動を選択するというものではなく、条件反射のように瞬時に行動に出てしまうことが特徴である。図式すると

{危機意識}+{勝てるという瞬間的判断}=怒り

 ここでなぜ、危険排除に怒りの感情が伴うかについて説明する。危険排除のために攻撃的行動に出る場合、攻撃を完遂させて危険の現実化を阻止するためには、相手に対しての容赦ない攻撃を行うことが必要である。例えば、ゴキブリを殺す場合、反撃されるのではないかとか、死なないのではないか、こんなものにも命があるのだから等という邪念が入っていれば、なかなかゴキブリを倒すことはできない。こんなやつ叩きのめせば終わりだという認識の元、怒りに任せて叩き潰せば、案外簡単に殺すことができる。怒りとは、攻撃に集中し、全力で危険が現実化することを阻止するためのシステムなのである。
 怒っている時は、思考が停止したり、思考力が低下したりする。危険の現実化阻止というシステムを合理的に作動させている。思考力が低下するため、特に人間関係に関する怒りの場合は、怒ってはいるが、何を怒っているかよく考えてみれば自分でもよくわからなくなることが多い。例えば、先ほどの会合の日を一日間違えた事例での夫の激昂は、「俺のこと、馬鹿にしやがって、何だっていうんだ。」という発言をすることが一般的であろう。一日間違えていることに気が付けば、「なんて大人げないことをしてしまったのだろう。」ということになる。しかし、自分が慢性的に家族の中でさげすまれている、正当に評価されていないという意識がある場合は、大人げない行動を謝ることはできない。謝罪するということは精神的に余裕がある人ができることであり、謝罪してもそれ以上立場が悪くならないという確信が無ければなかなかできないことである。

<夫の不安感、危機意識が病的になる事情>

 おそらく、第1子が生まれたばかりの、夫が長時間労働をしていたころは、対人関係的危機意識も、病的なほど固定していたわけではないだろう。突発的に、危機意識を感じてそれが抑えられなくなり、条件反射的に怒りのモードになったとしても、自分の考えなしの激昂を恥じるだけの余裕があったと思われる。もっともこの時の怒りの感情というか危機意識は、おそらく職場での自分の立場の不安定さに対するものであった可能性がある。職場の上司や会社に対しては勝てるという意識はないが、危機意識だけは発生している。ある程度過敏になっている状態である。同じような構造での危機意識を家庭の中で感じてしまい、本来会社に向けられるべき怒りが、家庭の中で爆発してしまったということもあるだろう。怒りの大部分は八つ当たりであると感じている。
 しかし、本人でさえそのような構造はわからないから、受け手である妻はそのような事情は全く分からない。時々、わけのわからないタイミングで激昂し、収拾がつかなくなり気まずくなる出来事を発生させる夫だという記憶が定着していった。会社の中では、状態は改善されず、恒常的に危機意識を感じている状態となっていくことはよくあることである。危機感が敏感になっていったものと思われる。生物的にも、例えば、熱いものを食べると食道がただれるなり損傷を受ける。これが継続していけば、食道炎になったり潰瘍ができ、さらには食道がんとなるというようなものである。後ろ向きの悲観的受け止め方が固定化していくということがある。さらには、リストラによって仕事を奪われる。仕事を奪われてしまえば案外、あとは再就職に全力を挙げるものだ。しかし、リストラされるかもしれないという不安と、自分がリストラされることが正当ではないという不公平感が、対人関係的危機意識をいやがおうにも高めてしまう。そうすると、益々危機意識に過敏になっていく。感じ方の歪みは固定化されて、病的状態となった。

<家族から見てみる>

 ところで、怒りを受ける方は、もともと八つ当たりをされているようなものであるから、何を怒っているかわからないことが多い。先ほどの夕飯を作るか作らないかの問題で言えば、言われた方は何が何だかわからない。せめて、「俺の食事を作りたくないとは何事だ」とでも言ってくれれば、「ああ、夕飯作らなくてよいかと聞いたことが気に障ったのか。」と気が付くヒントくらいにはなる。しかし、「何なんだいったい。」と言うことが精いっぱいの状態であるから、よくわからない。さらには、夫が怒るということは、妻側にも対人関係的危機意識を発生させる。攻撃的な妻であれば、口論が成立して、だんだんと誤解が解消したり、一つ飛び越えて、双方が双方を加害する意思のないことを確認できる場合もある。しかし、夫の怒りが強すぎる場合や、攻撃的になれない妻の場合は、自分が何か悪いことをしたのではないかと罪悪感を抱くようになることもある。
 また、この様なことが度々重なると、だんだんと疲れてくる。この人と一緒に時間を共有することは難しいという意識が芽生えてくる。事例の妻も、夫がキッチンに来ると別室に逃げ込むということをするようになった。
 最初は、自分が悪いのではないかと自分の行動を修正しようとするが、どうしても夫が切れるタイミングはわからない。対人関係的危機意識は夫の心の中だけで自動的に生まれることもある。群れを壊さないようにしようという本能から妻は何とか我慢しようとしてしまう。夫の顔色をうかがいながらの生活を我慢することになる。しかし、これが5年も10年も続くと限界になることは簡単に想像できると思う。

<再び夫、思春期の脳とアルコール依存と貧困妄想>

 妻側の行動によって、夫からすると、危険の現実化が始まったと益々感じるだろう。妻は自分と顔をあわせることすら嫌がるようになったと感じるのである。最初は、「こんなことはすぐに終わるだろう。機嫌が悪い時期なのだろう。」等と考えて、また料理を作ってくれているというギリギリの納得があるので、積極的に自分の行動を修正しようということができない。妻が相手をしてくれないのならば子どもたちに対して話をしようとするが、子どもたちも既にわけのわからないことで怒りだす父親に辟易するし、父親は酒に酔って自分たちを攻撃するという意識が強く、逃げるか攻撃するか、無防備に攻撃にさらされるという深刻な事態となることがある。
この時の夫の脳状態は、思春期の子どもの脳のようなものである。思春期の子どもは、親のわずかな表情の変化から、自分が否定されているのではないかと思い、怒りをぶつける。これと同じである。被害感覚が鋭敏になりすぎている。
それがさらに家族を自分から遠ざけている。それがさらに夫を自滅へと向かわせる。
食事の時以外は部屋に引きこもり、食事の時は飲酒をするということは、アルコール依存症が疑われる。素面では怖くて家族と会うことができない。だからアルコールの力を借りるのだ。但し、こういう人は対面でなければ、例えばメールなどでは、怖さを感じないので好き勝手辛辣なことを書く。これがまた、家族を怖がらせる。
 さて、夫が家にお金を入れなくなったり、子どもたちに金を稼いで来いというようになるのもうつ病などの影響もあるのではないかと考える。これは貧困妄想と呼ばれるうつ病の症状が影響している可能性がある。元々、うつ病には、自分はこのままではお金を使い果たしてしまうのではないかという妄想を抱く場合が少なくない。実際にお金は使えばなくなっていくのだが、収入が途切れるのではないかとか、実際には預貯金があっても、それを忘れている場合もある。本気でこのままでは我が家は財政破たんとなると考えている節がある。その不安を言葉に出して表現すると、学費などでお金を使う子どもたち自身に対して自分で働いて収入を得てこいと言う気持ちになっていると解釈する余地がある。しかし、これが子どもや妻からすれば、夫こそが自分たちを攻撃していると、無理難題を言うと受け止める。当然のことである。ますます夫は孤立する。
夫は、必ずしも妻や子どもたちを支配しようとしているわけではない。自分がないがしろにされていると感じることで、対人関係的危機意識をもち、怒りに転嫁しているだけである。だから、妻子に直接暴力をふるって、言うことを聞かせようとすることはしない。自分を分かってほしい、自分が辛い気持ちに共感を示してほしいという結論を求めるが、それが伝わらないので、イライラして物に当たるという行動が起こる。妻子は、これは、次は自分たちに向けられるという予告のような感覚を持つ。音や振動、壊れたものの形状から生物的危機意識を強く抱くことは当然である。
 夫は、本当は、家族から見捨てられたくないという無意識、無自覚の感情から出発している。人間的な感情からすればそういうことになる。しかし、逆に、自分の行動で家族から遠ざかっていくことになる。
 きちんと自分の置かれた環境と、それが感情や行動にどのように結びついているかについて、きちんと認識をすることが出発である。そして、家族が大切であることを自覚させ、そのための行動を確立する必要があったのだ。こういうと、専門のカウンセラーが必要だと聞こえるかもしれない。しかし、これは人間の精神的営みとして、古今東西あまり変わらない。日本においても、親や親方ご隠居や大叔父さんが説教していたことである。そのような人物や人間関係自体が破壊されたとすれば、やはり何らかの専門家の介入が必要となるかもしれない。しかし、夫を加害者として把握して、悔悟を促していく手法で解決しようとすることは、高価が上がらないどころかデメリットも出てくるだろうと思う。

<妻子の夫に対する感情まとめ>

 妻子は、最終的には恐怖感情が支配的になる。いつ切れるかわからない。常に顔色をうかがいながら生活する。自分の行動が、全て夫によって否定される。そのような不自由感、被支配感が蔓延する。さらには夫の後ろ向きの発言、自虐的な発言のオンパレードであるから、苦しさは倍増していく。夫に支配の意図が無くても、妻子は、支配されていると同じような拘束感を抱いている。そうして、妻や子どもたちが、夫を理解できないまま行政などの第三者機関に相談をして、判で押したような「精神的虐待が行われているから逃げなければならない。DVは治らない。」ということを言われて、逃げていくことになる。ひとたび逃げると、夫から見つかることを恐れ続けていくことになる。

<最後に>

冒頭、DV、モラルハラスメントを類型的に分けてみた。しかし、特に支援者を志向する方に留意していただきたいのは、どの類型も紛争の始まりについての考え方は一緒だということである。基本的に、夫は、自己愛性パーソナリティ障害かうつ病か等の原因はともかくとして、事情があって対人関係的危機意識を抱きやすくなっており、敏感になりすぎている。この危機意識が条件反射的に怒りに転嫁する。妻側は、その事情が分からず、当初は全てを真に受けて、あるいは受け流すことができず、次第に不自由感を感じていく。相乗効果で夫の危機意識が昂じていく。
今必要なことは、双方に事態を理解させることであろう。仮に離婚等の別離が不可避だとしても、きちんと理解して別れることによって、逃げることによる恐怖や、独りぼっちになった孤立感、絶望感から解放されることになる可能性が出てくる。
加害者、被害者という二者択一的な対立関係でものを把握しようとすることは、このような合理的解決を阻害することになる危険性が伴うものであることを肝に銘じるべきである。当事者は支援者から離れても人生は続くということをきちんと想定しなければならないと考える。

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【緊急告知】わが子に会えない親の会 忘年会とクリスマス&12回例会 来られない方こそ読んでほしい。あなたの居場所はここにある! [家事]

12月25日7時、仙台駅前の店
(参加を希望される方限り、土井法律事務所土井までお問い合わせください)
当日は、ずっと事務所におります。

11月は、私、事情があって欠席したのですが、
きちんと例会は続いております。
居酒屋ともすっかり顔なじみで、
時々、サービスもしてもらえるようになりました。

飲めない人は親子丼を食べてもらいながら
ということも、おんなじです。
いつも同じようなことを書くしかないということもあり、
あまり紹介をしなくなっておりました。
同じように新人さんがいらっしゃり、
暖かな会が続いています。

これをブログに書く方はともかく、
結局1年間、誰も喧嘩別れすることなく、
ニコニコと同じ時間を過ごす会が続くということは
それは、それでとても素晴らしいことだと思います。

とにかく暗いまま終わらないというところが
この会の一番すごいところだと思います。

11月に行かなくて、日程でご迷惑をかけたのですが、
よりによってクリスマスの日に行われるということは
正直、ちょっとどうなのよって感じはしたのですが、
これはとても大切なことのように感じてきました。
それで、今日こうやって緊急告知をしているのですが、

やっぱりクリスマスはきついということはあるようです。
どうしても、テレビも街もクリスマスというムードを盛り上げようとしてしまいます。
あなた本当に聖書読んだことあるの
と思う人もメリークリスマスです。

お子さん方とクリスマスのお祝いをしたことを
ほとんど強制的に思い出させられてしまいます。
そりゃ、誰が考えたって寂しいよ
嫌なことも考えてしまうよ。

そんな中、わが子に会えない親の会が
東北の仙台で開催されている。
クリスマスに背を向けて、向けなくてもよいけれど
みんなで新しい、楽しい思い出をつくっている
ということを考えてほしいと思います。

あなたは参加できないかも知れないけれど
あなたは十分参加する資格が有るし、
みんな来れば歓迎してくれるということです。
あなたの居場所がここにあるし、
あなたが居場所だと思ってくれることで
たくさんの人が喜ぶんですよ。

仙台会は来年も続いていくことでしょう。
関東からも毎回誰かが参加しています。

あなたには仲間がいて、
あなたが存在するだけで
私たちは無条件にうれしい。
そういうことなのです。

25日は、昼間は私は事務所にいます。
参加希望の方は
022-212-3773
です。
法律相談が2件入っているので、
事務員から終わるころの時間を聞いて
かけ直していただくことはあるかもしれません。




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【警鐘】DVで避難をしてきた女性に子どもがいる場合は、早急に子どもの主治医に確認をする必要がある事 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

子どもの命や健康を無視した行政行為が
あまりにも乱発しているので
警鐘を鳴らしたいと思いました。

ある時、夫が帰宅したら妻も子どもも
家からいなくなっているということがここ数年
さらに増加しています。

夫は、心配なので、警察に相談し捜索願を出そうとします。
ところが、警察が取り合ってくれないということが全国各地で起きています。
なんていうことでしょう。

おかしいじゃないかということで
警察になおも問い合わせると、
警察からは意外な答えが返ってきます。
「奥さんとお子さんは安全な場所にいるから
 捜索願は受理できません。」

夫は疑問に思います。
なぜ、警察は、妻と子が家を出たことを知っているのだろう。
なぜ、警察は、妻と子の居場所を知っているのだろう。

答えはこうです。
先ず、妻は、役所か警察署に相談をしています。
夫が自分のことをあれこれ口やかましく指図して
思い通りにならないと暴言を吐くし、
自分は叩かれたこともある。

妻は10年近くの間に一度か二度あった暴力
暴力と言っても怒って叩いたというよりも
興奮状態にある妻を取り押さえようとしたことを
つい最近起きたように語ります。
話は断片的である上に
つじつまが合わないこともあるようです。

それでも相談を受けた人は、
「あなたは精神的に虐待を受けている」
と迷うことなく宣言します。

なぜでしょうか。
なぜ、見てもいないことを一方の話だけで
確定してしまうのでしょう。

答えは簡単です。
マニュアルでそうしろとされているからです。
でもあまりにもおかしいではないかと普通なら思うでしょうが、
マニュアルに逆らうと出世できなくなります。
具体的には勤務評価が「C」とか「D」とかをつけられるということです。
勤務部署によっては、激しく糾弾されます。

妻子を抱えて、安定した身分にいるのに
見ず知らずの人のために惨めな思いをしたくない
おそらくそういう風に思う人が大半なのでしょう。

それでも、ぽつぽつ、おかしさに気が付き始めた部署も
最近出てきています。

ではどうやってその人たちは心の折り合いをつけているのでしょう。
そのために必要なことはDV研修です。

虐待された妻の話が断片的だったり
つじつまが合わなかったりするのは、
虐待されたために精神的に不安定になっているからだ
妻の言葉のおかしさを重視するということは
虐待された人に寄り添っていない
こういう呪文を暗記しますので、
目の前にいる説得力があってお話しする人がいても
気にしないようにできるようです。

目の前の説得力のある夫の話に対しては
どのように対応するのでしょうか。
「DVする側はみんなそういうのですよ。」
DVする側は外面が良く、話も落ち着いている
絶対話を聞いてはならない。
そういうマニュアルなのです。

そして妻に言い放ちます。
「DVは治りませんから、直ちに逃げなさい」
そうして、
「子どもを連れて家を出てDVシェルターに入りなさい」
と宣言します。
このまま家にいると身の安全が保障されないとか
2,3時間かけて説得していた事例があります。
説得したほうの公文書にしっかり残っていました。

妻がもう一度話し合いたいと言ったけれど
粘り強く説得したと得意気に報告していました。

そうして、夫が相談しようとしても
「あなたと話すことはない」
ということでシャットアウトされるわけです。
もちろんこれもマニュアルです。

さて、この場合、子どもがいる場合に大きな問題があります。
妻が、PTSDの症状の様に精神的不安定になり、
夫に対する攻撃的な言動をする場合の
少なくない割合に
子どもが障害を持っているというケースがあります。

通常であれば聞き流したり
愚痴を言って終わるような夫の言動が、
子どもの障害を責められているように聞こえる場合は、
それこそ、不安が蓄積していくような
精神不安の症状を示すことがあります。

甲状腺機能障害や婦人科系の疾患がある場合、
あるいは精神疾患を抱えている場合
その不安は収拾のつかない焦燥感を伴うことが
しばしばみられます。

そして、その障害が外からはっきりわかる場合はよいのです。
何らかの対応をしましょうということになるからです。

ところが、障害が外からわかりづらい場合、
妻は、子どもの障害を否定する場合があります。

子どもの障害について認めたくないということについては
男女差はあまりないようです。
むしろ、母親の方が治療に積極的な場合も
少なくありません。

しかし、精神的不安が昂じている場合、
子どもの障害を無かったことにしたい言動をしたケースが
実務的には見られました。
そしてそれが私の周りで増えているのです。

だから、特定のケースのことを念頭に行っているのでは
ありません。残念ながら。
特定の都道府県だけの問題ではなく、
複数の自治体の住民からの相談が寄せられています。

もう、母親(妻)の方は、長年の心労から
冷静な思考ができない状態になっている場合があり、
必要な検査等も受けさせない
病気はないんだと確信しているかのようなふるまいをします。

中には、近々手術をすることになり、
日程調整に入ろうとしたときに、
子どもを連れて逃げ出したケースもあります。

いずれのケースでも役所はマニュアル通りの対応をします。
夫が、病院の検査を受けなければならない、
手術をしなければならないと言っても、

「ははあ、これは、夫が子どもを取り返すための手段だなと
 病院に待ち伏せをしているに違いない。」
とでも思うのでしょう。
役人が夫に放つ言葉は決まっています。
「あなたと話すことは何もない。」
夫はますます焦るわけですが、
それもマニュアルに書いてある通りだなと思って終わるのでしょう。

書いていてむかむかしてきましたが
マニュアル通りに決まっています。
人間ですから、感情があるわけですから
理不尽なことをされたら怒りますし、
子どものことが心配だから焦るわけです。

役人は聞き流して、確認もせずに済ませるでしょう。
一応聞いてみて報告するからというような
親身な対応はとられないことが多いようです。

私は大変疑問なのです。

なぜ、その子どもの健康に重大な影響があるかもしれないことを
無視できるのかということです。
「母親はそんなことは言っていない」という回答は、
すべての責任を母親に負わせることです。
腰が引けた寄り添いというものは
えてしてそういうものです。

子どもが適切な治療を受けないで
取り返しのつかないことになったら
母親が言わなかったからということを言うのでしょう。

母親として否定したいという心情を理解しようとはしません。
マニュアルに書いていないからです。

事が子どもの健康に関することになれば、
きちんと裏をとる必要があると思います。
夫から、
診断名、症状
主治医と病院を聞いて、
父親と母親から子どもの健康についての
情報開示の同意書をとったうえで、
病院に確認すれば足りることです。

夫から診断書が提出されれば、
母親の同意が無くても
病院に治療の緊急性と
疾患の重大性について問い合わせるべきです。

私は、自分の事件を担当する場合でも
お金を出してくださる依頼者に対して、
貴方と子どものどちらの利益を選択しなければならない場合は
子どもの利益を優先した提案をしますと言っています。

なぜか
自分で自分のことを対処できない子どもは
大人が守らなければならないと思うからです。

しかし、役所では、
精神的DVを訴える妻を守る(隔離する)マニュアルはあっても
子どもを守るためのマニュアルはないようです。

今、適切な治療を受けられないで
役所やその関連施設に放置されている子どもたちを
何人か知っています。

訴訟をしたり、役所に抗議したりしていますが
遠方の事例はなかなか対処できないことがあります。
父親が悲観して自殺を考えてしまう事案もあります。

目を覚ましてほしいと思います。
子どもを助けてほしいと切に願います。




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【緊急】現在政府が進めている生活保護水準の切り下げに反対する。取り返しのつかないことが起きる。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

1 生活保護受給がなぜ権利なのか 憲法は人間をどのように見ているか

生活保護制度は、生活が困窮した場合に、生活費や教育費、介護費や医療費などの費用を公費で負担する制度です。
日本の国は、自立自助が原則です。つまり、労働によって収入を得て、自分や家族の生活費を自分で得て支出するということです。しかし、何らかの事情で、働けない等の生活費を得ることができなくなる場合はあります。
これを憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めて、権利であると宣言しています。これは、憲法の人間観を表していて興味深いものがあります。
先ず、「健康で」という言葉に着目してください。人間は、ただ、生存するだけでなく、人間としてのほこりをもって生存するものだとの考えが示されています。不衛生、不健康な環境の中で生活する人がいれば、国は救い出さなければならないという責任を負わせたわけです。もっとも、不衛生、不健康な環境にいた場合は、生命それ自体も脅かされるということもあるでしょう。
さらに、「文化的な」生活を送るのが人間だと考えていることが示されています。文化的というのは、その時代、その時代に応じたという意味もあります。文化というのは歴史的に進化するからです。鎌倉時代であれば、竪穴式住居のような家に住んでいても、文化的でありましたでしょうが、現在は、現在にふさわしい生活の程度が、「人間として生きる」という意味になるということです。
憲法は、13条で、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」として、人間は、尊重されて生きていくものだという考えを明確にしています。この「尊重」の具体的内容が、14条以下の人権のカタログだと考えることができるでしょう。憲法25条も人間として尊重されるという具体化です。
そうすると、憲法は、衛生的で健康的な環境で生活し、その時代の人としてふさわしい生活様式を送らなければならないという考えを示しているわけです。
その25条のさらなる具体化が生活保護法です。

2 なぜ、権利が必要なのか 尊重されないとどうなるか

 憲法は、人間として尊重されるためのカタログだということですが、どうして権利が保障されることが必要なのでしょうか。それは、きれいごとでは済まない切実な必要性があるからだと思います。
 人間は、攻撃力も逃げる力もない動物なので、群れを作って生き延びてきました。言葉の無い時代にも群れを作る仕組みがあったわけです。それは、群れの中にとどまりたいという意識であり、裏側から見た場合、群れから外されそうになると不安・危機意識を感じ、なんとか群れにとどまろうと行動をするという仕組みです。
 人間として尊重されない場合、仲間として扱われていない場合、群れから外されそうになっていると感じ、人間は言葉ができる前から続く不安・危機意識の感情が激しくなります。この不安や危機意識の感じ方は、生命身体に対する不安や危機意識を感じる方法で感じることは知られてきたところです。同じように血圧が上がり、脈拍が上がり、体温が上がり、血液が内臓から筋肉に向かうようになるという生理的変化、二者択一や悲観的な考えになるという脳の活動の変化が起きてしまいます。また、程度も強いようです。言葉の無い時代、この不安感、危機意識によって人間が生き延びてきたわけですから、かなり強い不安感、危機意識を感じることになります。
 権利は、人間を尊重する方法だとお話ししました。この権利が侵された状態ということになると、権利侵害をされた方は、人間として尊重されていない、社会の仲間と認められないという意識になるでしょう。強い不安、危機感を覚えてしまうことになります。自分が仲間として認められない、100年前の水準で生活していることを知られたくないし、屈辱に感じるでしょう。屈辱に感じるということこそが、自分が人間として認められていないと感じる一つの表現なのではないでしょうか。
 このような状態が続くと、そして、自分が人間として尊重される日がこないのではないかという絶望を感じると、人間は絶望を感じることを回避するシステムが作動してしまいます。一つは、感情を無くし、生きる意欲を失い、人間の中に入れなくなることや、生きるための活動である食事をしたり睡眠をとったりという活動が鈍くなります。もう一つは、感情を無くし廃人になることに失敗した人たちは、このまま死ぬまで辛い状況が続くのか死ぬかという極端な二者択一的思考に支配され、自死を考え、実行することが起きてきます。
 生活保護受給者の自殺率は、全国民の2倍になっています。自殺率とは、人口10万人当たりの自殺者数です。平成20年から22年までの生活保護受給者の自殺者数と自殺率は公表されています。
「生活保護受給者の自殺者数について 生活保護受給者の自殺者数について」厚生労働省社会・援護局保護課 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001ifbg-att/2r9852000001ifhr.pdf

これによると、全国民と生活保護受給者の自殺率の割合は以下のとおりです。
平成20年 25.3 54.8
平成21年 25.8 62.4
平成22年 24.9 55.7
どの年も、全国民の割合の倍以上の割合で生活保護受給者が自死しています。
 生活保護の水準が下がることで、衛生状態や食事の関係、寒暖への対応という生物的な意味からも命が失われる危険は増えるかもしれません。しかし、その生活保護の水準を下げるということは生活水準が下がるわけですから、仲間として認められていないという気持ちや人間として尊重されていないという気持ちがもっと低下する危険が生じます。また、これまで維持してきたコミュニティーに参加できなくなっていく危険もあります。
 生活保護水準の切り下げは、生活保護受給者の自死の危険を増加させることになります。そればかりではなく、感情を喪失したり、生きる意欲が失われていく危険が強くあるということになります。
 これ以上の生活保護の水準の切り下げは、日本という国家の体裁を保つためにもやめるべきです。

3 生活保護世帯以外にとっての生活保護の恩恵

 世界的な格言として、「社会政策は最良の刑事政策だ」という言葉があります。社会政策とは、国民の生活を破綻させない仕組みを作るなどして、生活を安定させる政策を言います。雇用と必要な賃金を確保して、労働による収入で生活を安定させる労働政策や、賃金の中からも保険料を支払い老齢や怪我、病気という収入が途絶えることに備えた社会保険等の社会保障、それから生活保護等の公的扶助の3点がその要素となります。貧困対策だけでなく、国民の生活の向上が視野におかれていることがポイントだと思います。
 さて、このような社会政策が後退して、貧困が国中にあふれると、刑事犯罪が増えて殺伐した世の中になる。だから、社会政策を実施することが犯罪を減少させる効果的手段だということが格言の意味です。
 この格言は、社会政策が充実する前の時代の状況や、交代した時の状況から経験論的に言われているものだと思います。しかし、これには、理由があることが最近知られてきています。
 経済的困窮は、生物的困窮だけでなく、社会的困窮を意識させるものであるということは先に述べました。そのベースにある人間の状態が、不安と危機意識を感じている状態です。そうすると、自分を守ろうという意識が強くなります。何かがあると、自分が攻撃されているという意識を持ちやすくなってしまいます。不遇な環境にある人が攻撃的になることは理由があります。
 さらに、自分が人間として尊重されていないという意識は、そもそも人間が尊重されなければいけないという意識を失わしめます。そうでなければ、自分が尊重されていないことと感情的な折り合いがつかなくなるからです。人間が尊重されていないということは、人間の命に価値を見出せなくなってしまいます。そうすると、自分が他人に苦しみや悲しみを与えることに躊躇する気持ちが少なくなってしまいます。犯罪とはこういうものです。また、自分が社会から尊重されていない、社会は自分を守ってくれないという意識は、自分を守ってくれる仲間を守ろうとします。自分を守るための自然な感情です。そうなってしまうと、法律という社会を守るルールを守ろうとしなくなり、暴力団や不良仲間という仲間のルールを法律や道徳に優先するようになります。これらの根底にある者は、危機意識に根差して歪んでしまった自己防衛の意識ということになります。自分の防衛ということですから、攻撃は強く、ルールを逸脱する傾向になってゆきます。
 このような意識は、刑事犯罪だけに向かうわけではありません。離婚や自己破産などの多重債務も起こりやすくなります。
 二者択一的思考は、自分の将来の予測や他人に対する配慮という複雑な思考を停止させます。自分や家族、子どもを大切にすることを深く考えずに、今起きている障害からの解放を志向してしまい離婚に至ったり、借金やクレジットの後の返済について深く考えずにお金を使い、不意の事故等の出費のために返済ができなくなることを予測することができなくなります。自死、犯罪認知件数、離婚、自己破産申立件数等は連動しています。
 自分が経済的困窮に陥らなくても、経済的困窮に陥った人を見たり、劣悪な環境にいる人を見ることによって、人間の感情は揺れ動いてしまいます。群れを作る人間の工夫は、共鳴力、共感力というちからもあります。そもそも、仲間から外されそうになっている可動かも、仲間の感情や思考を想像しなければできないことです。また、これによって仲間を作る利益を最大限に引き延ばすということもあります。仲間が苦しんでいるけがや食中毒などは、これだけ苦しいのだから自分はその怪我や食中毒をしないようにしようとか、仲間が食料を見つけて喜んでいる時は、一緒に食料を採取しようとするモチベーションになるわけです。また、苦しんでいる仲間を放置してしまうと、仲間が死んでしまい、群れの頭数が減っていってしまい、群れが成立しなくなるので、苦しんでいる仲間の苦しみを共感し、共鳴し、助けることによって群れを維持することができたということになります。今生きている私たちは、そういう群れを作ってきた人間たちの子孫だということになります。
 だから、自分の知り合いではなくても、経済的に困窮して生活が安定しない人たちが存在するということは、群れを作るための感情である不安や危機意識が自然にわいてきてしまいます。その不安や危機意識を感じなくするためには、人間というものが尊重されなければならない存在ではないという気持ちを持つ必要が出てきます。厳密に言うと、人間は完全に自分と他人を区別して感情を持つようにはできていません。自分だけよければよいやという思考は、しばしば勘定によって支持されないことは理由があるということになります。
 刑事犯罪や自死、離婚や自己破産申請は、生活保護受給者よりも受給していない人たちによっても起こされています。
 経済的困窮者を切り捨てずに、できる限り援助するということは、人間は尊重されるべきだという意識を育てることになると私は思います。社会が悪循環を停めて好循環に向かう有力かつ効果的な方法ではないかと考えています。
 特に現在の若者は、将来のことを考えると不安になり、プレッシャーになるようです。40年以上前の小学生だった私たちは、将来は何とかなるんじゃないかとあまり深く考えることはありませんでした。ところが、現在の小学生は正社員になることが目標とさせられています。アルバイト生活になると、将来年老いてから年金などが出ないという恐怖を植え付けられている子どもも少なくないようです。意味を正確に把握していないとしても、そのために良い学校に行く、そのために勉強や部活動を頑張ることを押し付けられている子どもが少なくありません。この心理的歪み、勝利の喜びではない敗北の恐怖に基づく行為強制が、いじめや子どもの自死につながっていると私は思います。
 生活保護の水準を切り下げることで、これまで述べてきたことは拡大していくでしょう。もはや生活保護受給者だけでなく、その影響は全国民に及んでいくでしょう。
 生活保護水準の切り下げは、国の威信をかけて阻止する必要があると主張します。取り返しのつかないことになる蓋然性があると思います。

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加害者プログラムという時点で終わっている。楽しい家庭の再生プログラムこそ主流にしよう!一例として産後クライシスの本質は出産後の夫婦の変化に対応しきれないための不具合という考え方。 [家事]

夫婦の問題なのですが、
DVをした主として夫の更生プログラムとして、
加害者プログラムというセミナーや勉強会が開催されます。

かなり高額な受講料をとるみたいです。
加害者プログラムの受講証明を持ってきてから
子どもに会わせるかどうか決める
なんていうやり取りもあるのでしょう。

私としては、夫婦問題で
一方を加害者と否定評価を込めた言葉で表すこと自体
本当に役に立つプログラムなのか、懐疑的になります。

例えば、夫が妻に暴力をふるったら
暴行罪の加害者でしょうけれど、
夫婦問題について一方を加害者
他方を被害者と決めつけることはデメリットも多いと思います。

このセミナーの当然の帰結は
夫婦の一方に対してだけ
考えを改めさせて
それで夫婦の状態を良くしようとするネーミングでしょう。

もしそうなら、一方だけが
自己否定を叩きこまれて、
今後は相手に服従していく
と極端に言えば、そういうことに
なりかねないわけです。
ひどい場合は、洗脳のセミナーになってしまいます。

夫婦の状態がうまくいかない、
一方が他方を怖がり、不快に思い、憎み
一緒にいたくないという意思と行動が起これば
それを是正することが求められます。

特に子どものためには
例え親同士が離婚を選択しても、
子どもは一生自分の母と父の子として生きていきます。
離婚してまでも、子どもの前でも
相手を怖がり、不快に思い、憎んでいたのでは
子どもの健全な成長を阻害する危険があるからです。

夫婦の状態が健全ではない理由は、
一方だけの問題ではなく、
相互の関係性の中にこそ見出さなければならないと思います。
なぜならば、
夫が妻を拉致してきて結婚に至ったという事例でもない限り、
元々は望んで夫婦になったはずだからです。

行政や児童相談所等から精神的虐待だ
と認定される夫の多くに、
あれこれと妻の弱点を指摘して
ああしろ、こうしろと命令する夫がいます。

これを支配を目的とした行動だと評価すると
精神的虐待になるわけです。
この点難しいことを考えないで
妻側が不快に思っていたら
即、精神的虐待だと
認定する機関が多すぎることは
加害者プログラムと共通の要素があります。

このように世話焼き夫につきものなのは
依存志向の妻です。
結婚前は母親に依存し、反発し、
結婚後は夫に依存していたケースが少なくありません。

幸せな結婚生活も、夫が作るべきで、
自分はそれを享受するだけ。
夫が幸せを作れなければ
性格の不一致を理由に離婚という筋書きが多すぎるように思えます。

自分は主体的に人生を切り開いているのではなく、
夫が何とかしてくれるのを待つという
人生をギャラリーから鑑賞する人のようです。
そうして、夫依存をやめると
一度は反発した母親に
依存する相手を変えるだけの人生ということになります。

夫婦状態の改善のためには
共同作業ということを始めることが
必須条件だと思います。

加害者セミナーというのは
名前のとおりが良く、宣伝がしやすく、
利益が上がりやすいということがあるのでしょう。
それはなんとなくわかります。
でも、本気で楽しい家庭を作りたいなら
加害者セミナーと同時に
被害者セミナーも開催するべきだと思います。

家庭のことは、加害、被害ではなく、
これからどう作り上げるかという視点こそが
大切ですし、
自分を殺して我慢するのではなく、
もともと持っていた愛情や善意の
発言の仕方を工夫するということ、
相互に相手が安心して共同生活を送るための
気構えと工夫を考えていく
ということこそが本筋だと思います。

例えば、一つの例として、
夫婦二人ならば、子どもが生まれる前ならば
世話焼き夫に依存妻でも逆でも全く問題がありません。
本人たちがそれを望んでやっているのですから、
「その生き方は間違っている」と
第三者が目くじら立てる必要性について
私は理解できません。

問題が起きるのは子どもが生まれるからです。

子どもが生まれると、
母親はホルモンバランスの変化などがあって
女性から母親へと変貌します。

もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12 

「人格」なんていう細かいことにこだわっている場合ではないのです。
それほど、妊娠出産は一大事業です。

先ず、一つ一つ、自分で子どもに接しなければならないのですから、
依存的な行動傾向はできなくなります。
自分が最終責任者になります。
これはとてつもなく、強烈な変化を求められているわけです。

自分の頭で考えて実行したことを否定されると
たまったもんじゃないということは
創造できると思います。

そこで相も変わらず、世話焼き夫が
実情も知らず、疲労や精神的ストレスも知らず
結論だけを押し付けて来たら、
妻から見れば
精神的虐待だと感じるでしょう。
あるいは他人から精神的虐待だと言われると
ああそうかも知れないなと思う余地がある
ということになります。

夫は出産後の妻に対して
少なくとも子育てに関しては
妻の裁量を広範に認める必要が出てきます。

依存傾向から、自主的行動を持ちつつある妻を
積極的に応援、援助する必要性が出てきます。
本当は共同作業と言いたいのですが、
妻の行動を支援するということがわかりやすいと思います。

妻の裁量を尊重するということがキーワードです。

責めない、笑わない。批判しない。

最近の親御さんは、少子化のため、
一人の子供に手をかける時間が多くなっています。
何とか完璧な子育てをしようという
どだい無理なことを目指してしまいがちです。

それでも、父親があれこれ口を出すよりも
母親の行動を尊重することが
結局子どもにとって一番良いということは
取り返しがつかなくなってからわかる事柄です。

無理やりでも褒めて誘導することくらいしか
できないことでしょう。

本当はDVということではなく、
出産という妻の変化、夫婦の変化に対応できずに
不具合が生じているだけの場合もある。
だから、変化を認識し、理解し、
相手が望むことはなにかということを相互に理解し、
大変だけどやりがいのある人生を送る
そんな幸せを呼び込むことが実行的だと思うのです。

そんな程度なことを目標として、
その実現を阻む認知の歪みを但し、
具体的に修正を行うことを試しながら
検証していく
そんなプログラムこそ主流になってほしいものです。


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平成29年の面会交流事件で見えてきた傾向と対策 [家事]

平成29年の面会交流調停事件

事案は、プライバシー保護のために事実を変えています。
また、私の面倒くさがりのために記録を当たっていません。
但し、裁判所や弁護士に関しては比較的事実に基づいています。
アルファベットは氏名の頭文字ではありません。
大体は、一方が子どもを連れて、突如家を出た事案

H事案 小学校低学年 精神的虐待を主張するが裏付けが怪しい
    それまで続けられていた面会交流が途切れた時点で調停申立
    調停委員が最悪のケースで、
      冒頭子どもに会いたい理由を尋ねたので、
      仕方なく怒鳴りまくる
      相調停員も、父親が子どもを心理的に圧迫した
という妻側の話を真に受け注意するので、
また怒鳴りまくる。
    最終的に裁判官が交代となり、熱心に妻を説得し、
    妻側代理人も妻のかたくなな態度に半ば呆れて
    面会交流の取り決めをする。
    不完全ながら、月1回、10時間弱の面会
    最終的には、父側も大胆に譲歩を積み重ねていった。
    裁判官の説得が功を奏した事案。
    実際は、夫の過重労働が背景にある。
    過重労働の影響を妻が理解できなかった面はかわいそう。

T事案 小学校高学年と中学生 相手方代理人なし。
    精神的虐待を主張するも、曖昧。
    調査官が、母親の影響を受けているのが
    丸わかりの子どもの調査報告書を提出
    心理士の批判のための意見書提出
    身体的暴力が無いのに警察が介入した事案
    一定の事務連絡はできるようになるが
    審判で間接交流となったので抗告を考えたが、
    細いパイプができたことを評価して抗告断念
    相手方に代理人がついたが、
    どちらかと言えば中立的評価ができる弁護士だった。
    調査官、裁判官が面会交流に全く非協力的だった事例

    妻の母による妻の精神的支配が見られる事例

F事案 小学校高学 代理人がついて精神的虐待を主張
    しかし、矛盾だらけで反論なくなる。
    妻が子どもを連れて、ショッピングなどに誘うようになり、
    月に2回以上の面会が自然にできるようになる。
    但し、妻に何らかの精神不安定が見られる。
    相手の不可思議な行動を悪意ととらえないで
    精神的不安定が理由だと考え、
    夫の母なども支援的に妻に接するようになったことが
    有効だったと思われる。
    不可思議、理解不能な事例。
    精神に影響を与える内科疾患のあるケース。

B事案 小学校低学年 代理人がついて精神的虐待を主張
    特に子どもに対する虐待を主張
    主張をしては撤回するを繰り返す。
    結局、子どもを父親から離せと言っていたのは
    子どものかかりつけ医(内科)等であったことが判明
    精神に影響がある内科疾患を妻が有していて、
    不安を全て夫が原因だとされたようだ。
    夫から事情も聴かないでそのような働きかけをする医師を
    何とかしようと考えている。
    調査官が子どもとしっかり向き合い、信頼を得て
    子どもの本音を聞き出してくれた
    調査官と裁判官が、
    相手方と相手方代理人を強硬に説得してくれて
    第1回面会が実現した。
    調査官の説得が功を奏した事案。

O事案 未就学児 代理人がついて精神的虐待を主張
    調査官に裁判官がいい加減な調査命令を出し
    職業倫理に反していい加減な調査報告書を作成し、
    ぶち切れまくった事案
    ぶち上げた後、
    調停委員と調査官が妻を強硬に説得し、
    強引に面会交流が開始された。
    警察が最後は協力的になってくれた事案
    妻側に精神疾患がある事例、母親の支配も見られる。

Z事案 小学校低学年 代理人がついて精神的虐待を主張
    別居時に荷物の引き上げに警察が介入した事案
    弁護士が入る前から、
    メール添付の写真で子どもたちの様子は送られていた。
    子どもが父親に会いたがっていることも隠さない
    本当は離婚をしたくないのではないかと思わせられた。
    自然と面会交流が始まったという印象
    調査官調査などはなし。
    やや性格的な問題が見られる。
    実は、妻が母親に支配されていることが
    うかがわれる事情が多く出てきた。

A事案 未就学児 代理人がついて精神的虐待と一度の暴力を主張
    妻にトラウマがあり、夫が地雷を踏んでしまった
    妻が母親に支配されている傾向も見られた。
    かなりやり合ったが、妻側代理人が
    面会交流の実現に熱心になってもらい、
    自ら立ち会う、子どもを父親と遊ばせる工夫をするなど
    私の出る幕が無いくらい活躍してくれた。
    最終的には、笑顔で裁判所を後にした事例
    弁護士の役割は大きいと実感した事案。

K事案 母親が夫婦生活で精神的消耗し
    子どもをおいて家を出てしまった事例
    相手方は代理人を立てず。
    意図的とも思えるのらりくらりの調停
    調停委員、調査官は相手方を説得せず。
    相手方の意見をスピーカーの様に伝えるだけ。
    裁判所を信じたこちらが馬鹿だったと
    捨て台詞を言った事案。
    最終的には、裁判官が父親を説得し、
    調停成立。


1 実感として一番強いことは、
  裁判所が、相手方を説得すれば、
  面会交流は実現するものだということ。
  もちろん、相手方の会わせたくない事情や
  漠とした不安を解消するために
  こちら側から相手方に対する配慮を
  形にして伝える必要がある。
  安全に面会交流が行われるための工夫を
  こちらから提案することで、
  相手方も、裁判所も安心して面会交流が実施される
  という流れになる。
  裁判所が積極的に同居親に働きかけなければ
  面会交流が実現する可能性は低くなる。

2 事案としては精神的虐待を主張するが、
  矛盾や、根拠の薄弱なところが多い。
  矛盾を指摘すると対応がまずい。
  思い込みDVが多いようだ。
  但し、本当に、夫と会うのが怖い。
  短絡的に夫の精神的虐待と周囲が決めつけていることが多い。
  夫から事情を聴いたうえで、事を始めてほしい。
  子どもを親から引き離すということを
  その影響をもっとまじめに考えてほしい。
  表立って妻側が主張しなければ
  夫側が反論をすることは難しいので
  裁判所の中で暗黙の了解で
  DV夫だから会わせないということになると
  袋小路に陥る。

3 妻側の精神的不安定がめにつく。
  特定の内科疾患が相変わらず多い。

4 妻が母親から支配されているケースも多い。
  要するに夫の些細な言動を、
  夫が妻を追放する兆しだと呪いをかけ、
  妻(自分の娘)に自信を失わせて、
  自分(母親)は最後までお前を見捨てない
  早く分かれてこちらに来い
  というような感じ。
  この問題が深刻だという理由は、
  妻が自分の子に同じことを繰り返している節がある事。

  この場合、妻も母親の所有物となり
  愛する夫との別離を余儀なくされているわけで
  本当はかわいそうなのだけれど。

5 夫の側の修正ポイントは、
  妻のやってもらいたいことをやり
  やってほしくないことをやらない
  これができない場合面会交流は難しい。

  見事なまでに、
  妻が嫌がることを実行していることが多い。
  メールだったり、直接だったり
  せっかくうまくいっている面会交流も
  自分でぶち壊していることがある。

  「こんなことで嫌がる方がおかしい」っていう発想は
  自滅の発想だということを理解する必要があるようだ。

  メンツだったり、変な道徳心だったり、
  自分を守るという意識が強すぎたり

  自分から妻を遠ざけている節がある上
  調停でも繰り返してしまう。

  恋愛中にできていたことをしなくなることは
  相手にとって大きな不安材料になるようだ。

  「相手が間違っている。自分は間違っていない。」
  ということを繰り返していたら
  いくら裁判所が頑張っても面会交流は実現しない。
  正しさをとるのか、子どもに自分を会わせることをとるのか
  その岐路に立っていることを自覚しない場合は悲惨な結果になる。
  子どもにとってということ。

  相手の弱点や失敗を許すという気持ちになることが
  面会交流やその先の未来につながるということが
  私の勉強したことである。
  私はこの学びに基づいて生活を変えた。
  いやかえようとしてる。
  
  20%くらいはうまくいっている。
  目標50%
  それできっとみんなが幸せになる。
  家族の笑顔が見れれば
  ちょっとの我慢もまた涼し

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精神と肉体の関係を考えている貴方へ 心は生命を維持するシステムだと考えた場合の自殺の本質に関する試論 [自死(自殺)・不明死、葛藤]



貴方は精神と肉体の関係を考えているとのこと
それを知って、貴方の成長をまぶしく感じました。
素晴らしいテーマだと思います。

このテーマの場合は正解を探し当てるのではなく、
自分が納得するまで考えることが良いと思います。
それは、貴方が人間とは何かということを考えることであり、
それは、貴方がどう人間としてどう生きていくかを考えることだと思います。

誰かから答えを教えられるということではなく、
自分の頭で考えることが大切なのでしょう。

一つの考え、こういう考えもあるのかもしれない
というアイデアをここで話させてください。

結論から言えば、
心も体も、生きるための命を守るシステムだ
という考え方です。

体が命を守るシステムであるということは
理解しやすいと思います。

脳や内臓を筋肉や骨、皮膚が物理的にも守り、
血液が栄養や酸素を運ぶ、
それらを脳などがコントロールする。

目や耳、鼻が危険を感じ、神経が脳に伝え、
脳は、体の各部分を逃げるモード、闘うモードにする。

あるいは脳は、
危険のパターンを記憶して、
危険を回避しようとする。
利益の道筋を記憶して
利益を獲得している。

実によくできたシステムです。

では、心とは何でしょう。
貴方は精神と言いましたね。

私は、心も、体を守るシステムの一つだと思うのです。
但し、ここでいう心は、心のすべてではなく
心の骨格です。

骨格ということがどういうことかというと
家で例えれば、
屋根、壁、柱が骨格中の骨格でしょう。
さらに窓や床も骨格かもしれません。

でも家はそれだけでなく、
壁紙や断熱材や、色々な付属物があるわけです。

そのような骨格以外のはなしではなく
あくまでも心の骨格の話です。

なぜ、心が命を守るシステムなのかについては
実際に心が命を守る様子を見れば明らかです。

危険が迫っていて、逃げなければならない時、
心は恐怖のモードにあります。
逃げる以外の思考を停止して、
今安全になったか、まだ危険かという
二者択一的な思考とし、確実に逃げ通すことだけを考えるから、
逃げられる確率が上がります。

危険は迫っているけれど、闘って振り払う時
心は怒りのモードにあります。
相手の心情を配慮することを停止し
相手を確実に叩きのめすために容赦のない状態にします。
相手を確実に叩きのめそうとするモードに入ることが
相手に勝つ確率を上げることになります。

この他にも、利益を獲得した時の心の状態が喜びであり、
緊張が突然不要になり、急激に緩和した状態が
笑いというモードです。
危険が迫っていないときには安らぎを感じるでしょう。

仲間の中にいる時に安らぎを感じることは
仲間もリラックスできるから、
自分が仲間から好ましく思われるでしょう。

これが、心が命を守る様子です。

貴方はきっとこう言うことでしょう。
心はそんなに単純なものではない。
ずっとずっと複雑なものだと。
危険に対する反応だけが心ではないはずだと。

ここで考えてほしいことは
人間が生きるということの意味です。
他の動物ならば、多くの場合
生物的に生きるということを考えれば
良いのだと思います。

だけど人間は生物として生きるだけでなく
仲間、家族だったり、友人だったり、同僚だったり
の中で尊重されて生きるということが
必要な動物ではないでしょうか。

例えば、貴方は、仲間の中で邪魔者にされたら
とても苦しいだろうなということは想像がつくと思います。
自分で勝手に、邪魔者とされているのではないか
と思うだけで苦しいですよね。
仲間の中で一番下の人間として扱われるとか
仲間から出て行ってほしいと思われたり
仲間から役立たずと思われたりしたら
とても苦しいでしょうし、
自分が大切に思う仲間ならなおさら耐えられないでしょう。

人間は、命や健康を維持したいという要求と同等に
仲間の中で尊重されたい、仲間として認められたい
という要求を持った生き物だと思いませんか。

チンパンジーの祖先から分かれて800万年と言われます。
武器も逃げ足もない人間は
生物的健康だけでなく対人関係的健康を守ろうとし
実際に守ることができたものの子孫だけが
群れを作ることに成功して生き残ってきたのだと思います。
それが私たちです。

だから、私たちが
対人関係的な健康を守ろうとするのは
遺伝子レベルの話なので、
そう簡単に変えることはできません。

私たちは、群れを作るシステムとして
即ち生きるシステムとして
心を持っているのです。

だから対人関係的な危険に対する反応として
生物的反応と同じ、恐怖、怒り、喜び等の
心の反応が現れると考えることはできないでしょうか。

確かに、心や精神は複雑でしょう。
そのことをむきになって否定する必要性もないと思います。
ただ、心の根本、骨組みは、
危険や利益に対する反応かもしれない
生きるための合理的な仕組みかもしれないという
考え方もあることを
頭の片隅に置いておくとよいと思います。

貴方の考えるテーマの中に、
自死は、精神と肉体の対立だというものがあるようです。
心が命を守るためのシステムならば
どうして、心で肉体を滅ぼすのか、
貴方は当然疑問に思うでしょう。

ここで補助線を引くことを許してほしい。
あの数学の図形で出てくるあれです。

それは、
人間はそれほど強くない
ということです。

強くないということは、
最後の最後まで、本当に最後まで
死ぬことをあきらめないということが
できない生物であり、
絶望を感じることができない生物だ
ということを言っています。

ここでも生物学的な危険の場合はわかりやすいと思います。
例えば銃で胸を打たれる場合、
最後の最後まで生きようと意識をはっきりさせていたら、
自分が銃弾が胸に激突して、体が壊れる様子を認識してしまいます。
もしかすると、死ぬよりもつらい時間になるかもしれません。

通常はこういう最後まで意識があるのではなく、
気絶するか、仮死状態になるようです。

最後まで意識があることで生き残る可能性が高くなるより、
気絶して無抵抗になる、自然に身を任せる方が
生き残る可能性が高くなるという指摘もあります。

これは、飢えた猛獣の前に突然投げ出された場合も
同じでしょう。

そうすると、人間は死ぬよりもつらい状態の認識を
回避するシステムがあるのかもしれません。
絶望を回避するシステムということかもしれません。

生物学的な絶望だけでなく、
対人関係的な絶望も同じことが起きているのだと思います。

自分が生きるために大切だと感じていた仲間から
仲間として扱われていないことを感じてしまい、
仲間として再び尊重されることはないという絶望が近づくと
人間はそれを感じることを回避するシステムが
作動してしまうのでしょう。

生物学的危険と対人関係の危険の違いは
生物学的危険は、結果が即時に現れるわけです。
高所から転落して死亡するとか、
猛獣に食べられて死亡するとかですね。

しかし対人関係的な危険は
実際には結果がなかなか出ません。
というか出ないことも多いです。
来る日も来る日も、危険が迫ってくる状態で
結論が先延ばしされている。
しかし回復不能であることは間違いない。

おそらく、誰も来ない絶壁にかけられた橋から落ちて、
途中の細い枝に引っかかっている状態で、
やがて枝が折れて、再び転落するだろう状態のようなものかもしれません。

ここから先は、意識ができることではないのでしょう。
無意識にストッパーが作動してしまうのだと思います。
それは心ともいえるものかもしれませんが、
その人の人格とはあまり関係の無いものだと思います。
ちょうど暑いと汗をかくことが
その人の人格とは関係の無いものと同じだと思うのです。

絶望を感じることを回避するためのシステムが作動した状態、
生きる意欲が失われたときの状態で
自死が起きるのだと思います。

そこには睡眠障害や精神障害で
脳、心が正常に作動していないという事情も
大きく影響を与えていることが多いと思います。

死ぬよりも辛い出来事を体験したことが無い人
そのような精神状態を想像できない人は
自死を語るべきではないのかもしれません。

ところで、心を鍛える、精神を鍛えるという言葉があります。
心や精神を鍛えることによって、
命を守るということなのかもしれません。
私はおかしなことだと思います。

先に行ったことがもし正しいとしたら、
心は、危険のセンサーということにもなります。
心を鍛えるということは、
センサーの感度を鈍らせることです。

対人関係的危険は、
例えば自分が仲間に迷惑をかけることでも発生しますが
心を鍛えることは
仲間に迷惑をかけても気にしないことに
つながる危険はないでしょうか。

自分だけよければ人に損させてもよいという人はたくさんいますが、
心が強いのでしょうか。

おそらく、心が弱いから自死をするという誤解があるのではないかと
思われます。
むしろ心が強い人ほど、自分の肉体や精神の限界まで
自分を追い込むことをしてしまう傾向にあります。

ここでも危険を感じるセンサーが
既に弱まっているということがわかると思います。

心は、任意にコントロールできるものではない
と私は思います。
またするべきでもないのでしょう。

それではどうするか。
どうやって自分を支えるか。
ここでもう一度、
人間とは何かということを考えていただきたい。
人間が群れを作る意味を考えていただきたいのです。

人間は、決して一人では生きていけないものです。
遺伝子にそう組み込まれてしまっているからです。

だから、心を鍛えるのではなく
自分の仲間関係を強いものにしていく
ということが一つの解決方法なのだと思うのです。

心は、環境に対する反応だとすれば、
環境の方を改善するという発想です。
心は不変要素であり、環境こそが可変要素なのではないでしょうか。

自分の人間関係、社会の人間関係を温かいもの変えていく
それは人間に無理を強いることではなく、
人間の本能を目覚めさせていくことなのだから
環境的に阻害される事情があっても
必ず前進することだと思うのです。

たしか、それを希望と名付けのは
貴方だったはずです。


私の考えは選択肢の一つ
あるいはヒントに過ぎません。
明るいヒントになれば幸いです。

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