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いわゆる連れ去り離婚請求訴訟で、妻の請求が有責配偶者であり、信義に反して認められないと棄却された判決の分析 [家事]

本件は私が担当した裁判ではありません。ご本人が、同じ苦しみをしている人の役に立つとよいということで報告を望まれたため、判例分析という形でご報告する次第です。


事案:今から数年前、小学生の子どもと2歳の子どもがいる30代の妻が、子ども連れて別居し、数か月後に離婚調停を申し立て、1回で不調にして、別居から半年後に離婚訴訟を提起した事例。妻の主張する離婚の原因は、夫のモラハラである。夫の主張は、別居直前婚姻生活は破綻しておらず、別居は不貞が目的であり、子どもの先天性の障害について妻が障害の事実を認めず治療を行うべきだという夫と感情的に対立したことも別居の理由だとしている。

事案の特徴:離婚の意思が固く、別居という事実が数年間続いてしまいました。有責配偶者からの離婚請求を認める現在の裁判例に照らすと、請求が棄却されたのは、極めて珍しい判決です。もしかすると、事案の特殊性、あるいは裁判官の個性があるかもしれませんが、針の穴を通す裁判に挑む人たちにとって、何らかのヒントが得られるかもしれないので、できるだけ教訓を抽出するべく分析を試みます。

先ず、判決は、夫の過去の粗暴さについては肯定しています。しかし、別居直前テーマパークへ家族旅行などをしていることをはじめとして、協力し合って生活していたことを重視します。
夫は、比較的写真を残しており、家族写真を証拠として提出しています。楽しそうな家族の姿は説得力があります。テーマパークでなければならないということはありませんが、写真を残しておくということは有効だったと思います。ところが、家族がいなくなってしまうと、ご自分も楽しかった時のことを具体的に思い出すことができなくなることが多いです。否定的なことは詳細に出てくるのに、何度も聞かないと楽しいイベントの記憶が語られないということはよくあります。


別居のきっかけとなった口論があったこと、夫の口調が追及的だったことの認定はあったのですが、子どもの必須の治療を受けさせない、障害を隠していた妻に対する追求なので、「執拗に問い質した」としても「非があるとは言えない」という判断でした。

肝心の不貞の事実ですが、妻は否定しています。しかし、妻の友人が妻自身から不貞の内容を事細かに聞いたという証言が飛び出し、一気に裁判は急展開していきました。その証人に対して、妻が脅迫をして、証人が怒り、裁判で証言するという経緯があったようです。不貞の事実は、実はなかなか証明が難しいです。また、開始時期やその程度などについても難しく、苦労します。別居直前に不貞が始まったことが証言されたことは大きかったと思います。

さらに、子どもたちの習い事などについても、子どもたちの名前を不貞相手の名字に変える等したことが、裁判官にとって目に余る事情だったようです。その不貞が始まるまでは、家族は協力し合って生活してきたので、別居までに破たんはなかったし、破綻があったとしても不貞が原因であり、有責配偶者だから、離婚を認めることは信義に反するという結論になりました。


この裁判官はベテランの女性です。どちらかというと、多くの裁判官の様に妻側に有利な判決を書くような印象を持つと何人かの女性弁護士は言っていました。判決前に、ある程度心証を開示して和解を打診したようでしたが、うまくいかなかったようです。

不貞の事実、特に開始時期と内容が明らかになったため、離婚を認めることがあまりにも抵抗があったということなのだと思います。
この証言で、妻の裁判所についた嘘がことごとく、芋づる式に露見したということも多く、妻の主張を認める要素が無くなったということなのだと思います。これが無ければ、家族が協力している証拠があっても、裁判官には色あせて見えたでしょう。生き生きと鮮やかに写真の笑顔が飛び込んできたということなのだと思います。

逆に言うと、これまでの苦い経験からすると、このような劇的な証人が無いとなかなか勝てないということなのだと思います。裁判は真実に基づいて判断されるのではなく、裁判所に提出できた資料に基づいて判断されるということは、見通しを考えるにあたって留意される必要のあることであることが明らかになったと考えるべきでしょう。

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職場のイライラから家族に攻撃的になりかけたときは、うつになりかけた時。メモ [自死(自殺)・不明死、葛藤]

職場での人間関係が職場で完結せずに、
イライラなどが家庭に持ち込まれることが多くあります。

ちょっと壮大なテーマですので、
メモとしてアップします。

今のところの研究段階での途中経過として、
職場の人間関係がなぜ最悪自死までいってしまうのか
考えるべき要素をあげます。

<考えるべき要素>

1 職場(取引関係相手)に無意識に期待すること

先ず、労働者にとって会社は、
嫌な上司たちだとしても
無意識に、「自分を守るべき組織」あるいは
「自分を守ってもらいたい人々」
だと感じているようです。

はじめっから敵だと思えば、
ある意味何を言われても不愉快な思いをするだけで、
家庭への影響や、自分の精神状態への影響が
それほどではないでしょう。

パワハラ被害の本質はどうやら
仲間だと思っている人からの攻撃
いわゆる後ろから鉄砲を撃たれる
という感覚になることのようです。

パワハラ事件に怒ってばかりいると
こういうことが見えなくなります。
被害者である労働者は、
自分を大事にしてもらいたいという要求があるところに
逆の対応をされるので辛いということがあるようです。

2 カウンター
少し続けますと、カウンターが成立してしまう条件があります。

いつもに増して、より庇ってもらいたい
気持ちを分かってもらいたいと言うときに
逆に攻撃を受けたり、庇ってもらえない時も
心理的負担が大きいようです。

例えば、会社の中で、同僚から暴力を受けたとか、
取引先からあまりにも理不尽な扱いを受けた
というような場合は
無意識に会社に守ってもらいたいという気持ちになっているようです。

ところが、事情が分かっても
逆に労働者の方が上司から攻められたり、
理不尽なことをなかったことにされているのに
何も会社からの援助が無かったりした場合、
かなりきつい心持になります。

関数曲線の様にきれいには対応しないでしょうが、
理不尽なトラブルに巻き込まれて援助を希求するという
事情が強ければ強いほど
上司の扱いがそれほどひどくなくても
期待する援助が強いものですから
些細なことで傷つきやすくなるという関係にありそうです。

理不尽なトラブルがあるのに
会社が労働者に理不尽な責任転嫁をすると
とんでもなく重大な心理負荷になるという関係にあるようです。

3 逃げられない関係(継続する関係)

会社を辞めるという発想にはなりにくいです。
どうも、無意識の意思決定では、
会社という継続的な人間関係は離脱できない
という発想に支配されるようです。

苦しいからと言って、
では会社を辞めようかという発想は
自然発生的には出てこないとみるべきです。

現状に対しての反応である感情は、
このように無意識に生じるものであり、
現場、特に対人関係を変化させるということは
きわめて意識的に、第三者から提案されないと
なかなか検討すらできないということです。

<職場のイライラの構造>
そもそも、上司から嫌味を言われたり
不公平な扱いを受けたり
理不尽な叱責をされると
どうしてイライラするのでしょう。
また、イライラするということは
どのような状態なのでしょう。


職場で、パワーハラスメントを受けたり、
理不尽な扱いを受けると、

継続的な関係であり運命共同体の様に職場を考えていることからは、
ただ、自分がないがしろにされている。
逃げ場所が無く、さらさrて攻撃を受けている
という感覚を持つようです。

逃げられない、逃げないということから
恐怖という感覚になりにくいということを
頭に入れてください。

危険が近づいてくるという認識がありながら、
それから逃げようとすることができないという感覚です。

また、上司に対してキレることがなかなかできない。
そんなことしたら解雇されてしまいますし、
上司に対して、キレても良いんだ
という感覚を持つことはなかなかできないようです。

そうすると、怒ることもできない。

総じて犬が嫌いな人が、
敵意を見せた犬が吠えながらじわじわ近づいてくる
しかし、足を縛られていて動けない。
そんな感覚でしょうか。

対人関係上の危険に対する反応も全く同じです。

自分が上司の様子を見て、
仲間から攻撃されている、
仲間として扱われず無視される、
仲間の中で格下のように扱われる

ということを感じた場合、
やはり、危機感を感じます。

この危機感を解消しようと思うわけです。
でも逃げることも闘うこともできない。
危機感を抱いたままの状態、不安な状態が
職場の外に持ち越されることになります。

危険意識、不安の解消ができないことが
人間にとって極めて有害な状態のようです。

危険が迫ってきたら、何とか危険を回避したい
その方法として逃げたい、あるいは闘いたい
これは人間に限らない生き物の本能です。

危険を感じて、危険を受け入れるということでは
命がいくつあっても足りません。
危険があることが嫌だ、解消したい
そのために逃げる、闘う
という流れになるようです。

通常は、危険を感じると
直ちに行動に出ますので、
意識されないポイントですが、

危険を感じることと
解消行動をすることには
厳密にはタイムラグがあるようです。

さて、
逃げることも闘うこともできない場合
解消できない危険の感覚、不安が持続します。

そうすると、かなり過敏な精神状態ということになります。

傷を負って出血した後の傷口のようなものです。
通常は、かゆいとも思わない些細な刺激が
飛び上がるほどの痛みに感じます。

このように危機感のアイドリング状態にあるときは、
この危機感の解消を求めていますが、
突如として危機感を解放することはできません。

会社の建物から出たとたんに走りだしたり、
誰彼構わずにけんかをするわけにはいきません。

ただ敏感になっていますから、
道で肩がぶつかっただけで、
自分は馬鹿にされているのではないだろうか、
この人は自分を攻撃しようとしているのではないかと
感じやすくなるわけです。

相手が怖そうな場合は、そうでもないですが、
弱そうで勝てるということになると、
それをきっかけとして
職場で作られたイライラもぶつけてしまう
ということになるようです。

例えば会社で作られたイライラが80ポイントだとして、
肩が触れたということが5ポイントだとしても、
イライラを解放する時は85ポイントがまとめてぶつけられるというわけです。

ただ、理性が無くなるわけではないので、
滅多に、道を歩いているだけの人に絡むということはありません。

帰宅して、
子どもの些細なしぐさ、失敗が(5ポイント程度)
自分を攻撃している、馬鹿にしていると感じてしまい、
85ポイントを子どもにぶつけてしまうのです。

まあ、そこまで行かなくても
いつもなら聞き流しているような小言に対しても
自分を守ろうという無意識の反応が起きてしまい、
どうでも良いことでも、
「自分を守るためにはいい加減に済ませられない」
というイライラモードになるようです。

家族に対してイライラしていたり、攻撃的になっていたりする
実はそれが職場でのイライラ度の方が多いという場合、
大切なことは怒っているということではなく、
危機感を抱いているということです。

この危機感は、家族に八つ当たりして一時的に解消したとしても、
原因は会社の中で次の出勤日を待っていますから、
会社に行けばまたイライラが復活します。

解決できないのです。
また、怒ることができないという時間が
限りなく積み重ねられていくだけです。

そうすると、慢性的な危機感の持続は、
自分の身を守ることができないという感覚になっていき
絶望感に様子を変えていきます。
生きる意欲が失われていき、
活動が鈍くなるし、将来的なことも予測できなくなっていきます。
生きるための活動が全般的に停止していきます。

つまり、うつ状態となるでしょう。

必要以上の怒りの感情は
うつの危険がある状態を表していると思います。

以下また、メモ
うつは自分で気づくことはなかなか難しい
八つ当たりをしている自分に気付くことはまだできるかもしれない。
そういう場合に、自分を支える発想

1 いざとなればイライラ異を与える人間関係をやめることができる
  という自己暗示をかけ続ける。
  逃げ道を意識的に作るということです。

2 自分の別の仲間に優しくする
  例えば職場でイライラしたならば
  思いっきり家族のために奉仕をする。

  自分が優しくなれば、家族も優しくしてくれる、喜んでくれる
  役割感を持つことがだいぶ効果的のようです。

  家族に助けを求められれば良いのでしょうが
  男性の場合も女性の場合も
  なかなか難しいようです。

  特別扱いされることで役割感の喪失を予想してしまい、
  また、自分が家族からも格下として扱われるのではないかという
  不安をもつようになるようです。
  家族には、普通の状態として接してもらいたい
  という意識があるようです。

3 結構有効なことは、
  他人を気にしない人をサンプルとしてみることです。
 
  メジャーリーグで4番打者だった新庄さんが、
  日本ハム時代に優勝パレードをした時、
  一人だけ冬ソナの格好をして参加して
  監督から怒られたという話をしていました。

  怒られて気にしませんでしたかという質問に
  笑顔で
  まったく気にしませんでした。
  と豪快にお話になったところをみて、
  だいぶ救われたということがありました。

  ああ、それでもよい人もいるんだということが
  なぜか気持ちを溶かしてもらった
  そんな感覚でした。

  いろいろな無意識のドグマから解放される有効な方法として
  実際にそのような発想の元生きている人を見るということは、
  自分では同じ行動をとることができなくても
  ほっとして心の窓が開かれて、光が差すような気持ちになれました。

  メモ代わりに





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和を以て貴しとなす。17条憲法は思ったより哲学だった。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

厩戸皇子が自らしたためたという17条憲法
7世紀ころの文章であることはどうやら間違いではないようです。

その第1条が和をもって貴しとなるという文章から始まるわけですが、
うっかりすると、
人間は相互に仲良くすることが一番だ
という意味にとられてしまうことがあるようです。

それであれば根本的に意味を取り違えていることになると思います。

本当は漢文で書かれているのですが、
読み下し文で見てみましょう。


一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

これが、1条の全文です。

和が「やわらぎ」と訳されていますが
「わ」の方が意味が通じやすいように思われます。
私は、仲良くするという意味ではなくて
「一体となろう」という意味だと思うのです。

どうして和が達成できないかが次にかかれています。

それは、一部の者が徒党を組むことによって、
全体の利益を損ねるということが書かれているようです。

対人関係学的に言えば
複数の群れが併存しているために、
一部の群れの利益だけを追及すると
全体が害されるという主張ではないでしょうか。

一部の群れは、群れの中では仲が良いのです。
おそらく、血のつながりであったり住んでいる地域の仲間であったり
自然と、互いの利益を第1に考えようとする条件があるのでしょう。

また、人間は、どうしても身近な人間の利益は考えることができるし、
それを追及しようとするのですが、
そのことによって別の人が不利益を受ける
ということを洞察することができないし、
また、見知らぬ人の不利益はあまり気にしない
という間違いを犯しやすい
ということがあります。

このため誰かと仲が良いことが
かえって誰かを傷つけたり
全体の利益を害したりする
だから、一筆書きの輪のように
全体の利益を考えていこう
特定の人たちの利益を考えることはやめよう
ということを決まりごとにしようということだと
私は思います。

17条憲法は、そのあとの条文をみても
一般的な道徳を説いたものではなく
あくまでも統治の原理を示したものです。

皇族が、豪族の中で相対的に有力であるに過ぎないという
政治勢力地図の中の時、
外国からの圧迫も置き始めていたので
日本は、結束して外国と対抗しなければならない時代でした。

こういう時代に即して
国の統治をするための最も必要な事項が掲げられているのではないでしょうか。
その意味で、立派な憲法と呼ぶにふさわしい内容になっていると
私は思います。

そして単に豪族たちが相争うことをするなということでなく、
和をもって貴しとするということですから
なんともポジティブな表現ではないでしょうか。

注目するべきは
第1条も、最終である第17条も
合議制を説いているところです。

十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)

少数の集団が、こそこそと利益を追及すると
どうしても全体としては損害を被ります。
正義が交代してしまいます。

堂々と公にしたうえで、
良いものは良い、悪いものは悪いと
議論するという方法を取れとのことが記されています。

但し、自分の利益を主張し合うのではなく、
全体の利益を考えること
これは、現代の為政者も耳が痛いのではないでしょうか。

また、これは国家だけの原理ではありません。

対人関係すべからくそうでしょう。

物事の見通しのない人は、
誰かを助けようとするとき、
その人の感情を第1にすることが正義だと思ってしまいうようです。

しかし、人の感情、負の感情は
人と人との関係の中で生まれることが多いわけです。
誰かと対立しているようなとき、
負の感情をあらわにしている人を助けようとすることは人情です。

「そんなことされたの?それはひどいよね。」
と、悲しい顔をした人を見たら言ってしまいそうです。
しかし、紛争は、その人とその人の関係者の間で起きていることなのです。
その人の不安を肯定してしまうことで、
その人とその人の関係者の仲に亀裂が生じてしまい、
結局その人も今よりも苦しい立場に陥ることが
実際には多くあります。

国家という大きな話ではなくても
人間の関係を考えてみると
夫婦、友人、取引関係もそうですが、
関係の一部だけを優遇しようとすると
元も子もなくしてしまう
だから、問題になっている人間関係全体を
高めていく方向で修復することが
必要な視点ということになります。

最後にいじめが起きる典型的パターンをお話しします。

AさんとBさんは元々仲良しでした。
CさんやDさんは、自分たちも仲間に入れてもらっているけれど
AさんがBさんを優遇するので少しわだかまりがありました。

Aさんは、Bさんを大事にしていて、
Bさんとだけ一緒にいることができれば良いと思っていました。

でもBさんは、いろいろな人と仲良くすることができます。

Aさんは、Bさんが自分を大切には思っていないと感じてしまいます。
Aさんは、最初はBさんをつなぎとめようと必死になります。
わざと意地悪をして気を引こうとしたりします。
Aさんは、CさんとDさんを利用して
これ見よがしに、Bさんに対して内緒話をしたりするわけです。

CさんとDさんは、
Aさんが悲しんだり怒ったりするので、
Aさんに感情移入していきます。
Aさんを助けようとして、
「本当にBさんはひどいね」
と、Bさんが何も悪くないのに
Aさんの不安を肯定してしまいます。

いつしか、意地悪がエスカレートしていき、
Bさんは3人から無視されたり嫌がらせをされたりします。

この段階では、学校は、「相性が悪い」
ということで済ませようとして介入しないことがあります。
しかし、この段階で3人以外に加害行為をする人が現れると、
Bさんは、いじめても良い人だという烙印を押されて
いじめが完成するのです。

他人の悩みや悲しみに首を突っ込むならば
全体としてのその人の人間関係を考えなければなりません。
目に見える感情にだけ対処しようとすることは
人間関係破壊することです。

まさにそれがいじめそのものであることが
多い。

和を以て貴しとなす

私たちの時代でも
鋭い輝きを放っていると
私は思います。


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妻が時折感情を爆発させて収拾がつかなくなり悩んでいる方へ [家事]

いつもではないけれど、時折、
妻が感情の収拾がつかなくなってしまい

例えば、抑制がきかない叫び声や怒号をあげて、
貴方や子ども罵倒するとか

メールで、さっきまで会社帰りの買い物の打ち合わせなんかをしていたのに
突如、「死ね」とか書きこんできたリ
身に覚えのない浮気を非難し始めるとか

刃物を持ちだして、自分やあなたや子どもに向ける
という悩みを聞く機会が増えています。

そのくせ、翌日になると
昨夜のことを覚えていないようにケロッとして
日常が始まったりします。

爆発しているときは修羅場で、
子どもにも影響が生じる心配もあるし、
とにかくののしられるので苦痛です。
どうして突然変貌するのかわかりません。
きっかけさえもつかめないのです。

また、突然家を飛び出したりしそうなこともあるので
抑えなければならず、
抑えても暴れ続けて殴られたりするので
どうしてよいのかわからなくなります。

貴方は心身とも消耗しきってしまい
こんな生活から何とか抜け出したいと思うでしょう。

思い余って行政に相談に行っても
貴方が男性の場合、相手にされないことも多いようです。

包丁を持ちだして怖い思いをしてどうすることもできず、
警察を呼んだところ、
何故か警察は妻を保護して、
子どもと一緒に行方不明になる
というケースさえ実在します。

どのくらい件数があるのかわかりませんが、
程度の差はあるものの、
このように妻がきっかけがわからないうちに爆発している
というケースは確かにあるようです。

妻の爆発の原因は、いろいろあるようですが、
今回は深く立ち入りません。

どうやら共通の要素として見えてきたのは、
妻の「不安」であることは間違いないようです。
不安とは危機感を感じている段階のことを言っています。

人間は、おそらく他の動物も
不安を感じると、それを解消しようとします。
生きることそのものですね。

解消の仕方は、
不安を与える事情に対して攻撃をする方法と
この時の心もちを怒りといいます。

不安を与える事情から逃げようとする方法があります。
この時の心もちが恐怖です。

ところが、爆発する奥さんの不安というもの
その危機感というものは
取り立てて合理的な理由がなくても
自然とわいてくるものらしいです。

具体的な言葉にすると
・自分が尊重されていない
・自分だけが損をしている
・自分が家族の奴隷のように感じる
・自分が自分の人生を生きているという実感がない
等の言葉が出てきていますが、
漠然とした不安、子どもを抱えて生きていくことの不安
というようなものみたいです。

一つの可能性としては
出産に伴うホルモンバランスの変化が考えられそうです。

多くは、第2子ないし、最終子出産後にこのような感情が生まれてきて
2年以内に爆発したり、
子どもを連れて別居するということがあり、
私のところに夫からの相談が入るという具合です。

夫側の母親に、多少のヒステリーの傾向があった場合は
それなりに免疫があるので、
何とか我慢して、時が過ぎることを待つのですが、
そうでない場合は、とにかく驚きます。
何かにとりつかれたのではないかと感じる場合もあるようです。

人格が豹変するという感じなのです。

修羅場に耐えられなく、精神疾患を発症したり、
要求に応じて金銭を渡しているうちに
会社のお金に手を付けたり、借金が膨大になったり
ということで発覚することもあります。

さて、その妻の不安なのですが、
不安の強さや、程度は、個性によってだいぶ違うようです。

考えすぎだという自己暗示をかけて
事なきを得ている方々もいます。
適切な協力者を得て
解決する場合もあります。

しかし、頑固な不安が強烈にある場合、
なんとか不安を解消しようとするのですが、
適切な方法が見当たりません。

こういう場合、過敏になっているから
些細なことが自分を攻撃しているように感じられます。
そうして、自分より弱いと思う相手、勝てると思う相手の
些細な言動に対して、
元々あったとその反応をひっくるめて
怒りとしてあらわしてしまうようです。

漠然とした不安80
些細なことによる不安5でも
怒りとしてぶつけるのは85になるわけです。

子どもに対してぶつけやすいことは
こういうことなのです。
また、子どもに過酷に怒りを表すのもこういうことのようです。

最悪のケースは、逆に
夫に怒りをぶつけられない場合です。
怒りをぶちまけようとすると
暴力で阻止されたり、
言葉で言い負かされたりして
かえって不安が募っていきます。

子どもに対して自分がヒステリックになったくせに、
夫の子どもに対する虐待を理由に
別居の上、保護命令を申し立て、離婚調停を申し立てる
というフルコースになるケースがあります。

夫が怒りを受け止める犠牲になることは、
子どもから見ればまだましなのかもしれません。

逆説的な言い方をすれば、
ヒステリーの標的になる夫は、
妻から信頼され、愛されているのです。

このような妻側の代理人になると、
「でも私は夫を愛しています」
とぬけぬけという人がほとんどです。
夫の不満をぶちまけている直後に言うので、
許されるのなら、両方のほっぺたをつかんで、
「どの口で言うんだ」と問いただしたくなります。

どうすればよいのか?

先ず、不安を否定しないこと
気の迷いとかそういうことを言っても何も良いことはありません。
可能な限り、心配なんだねと肯定してあげることです。

こうすればよいよというアドバイスは
あまり成功例は聞きません。
とりあえず、心配を肯定すること。
不安になっていること自体は間違いありませんから。


妻の不安を解消する方法がひとつあります。
興奮状態が収まった後、
こちらも何事もなかったようにふるまうということです。

妻は、何か変なことをしただろうということは覚えています。
大変気づまりな状態にあります。

妻自身が、自分を止められないことに
恥ずかしさや苦しさがあることが多いです。
でもそれを夫にだけは見せようとはしませんが。

そういう時、なかったことにされる、
「そういうこともあるよね」という切り替えが
安心させるようです。

あとあとしつこく責めることが最悪です。
そういうことはするなということ
後々言われることは
大変気づまりです。

妻からしてみれば
失敗してもフォローしてくれる
ということが、自分が尊重されているということを
実感できる事情ということになります。

特効薬は、怒りの的になることを甘んじるということのような気がします。


ということで、的になる夫の心構えです。

1 いざとなれば離婚という選択肢もある。
  やっぱりこういう気持ちの逃げ道は必要です。
  実家でも何でもよいのですが、
  逃げ道を一つ確保しておきましょう。
  協力者を作るのではないです。
  あくまでも心の逃げ道です。
  これがなければ沈没してしまいます。

2 あなたに怒っているうちは
  向こうの気持ちはつながっている。
  これは信じてもらうしかありませんね。

3 嵐はやがて過ぎ去る
  対応がうまくいけば、その日の夜に静まります。
  翌朝まで持続していないので、
  こちらがおはようと言えば解決することが多いです。

  気まずい気持ちでいる妻に
  近寄りがたい態度を示して舞うと
  新たな不安に基づく怒りを招いてしまいます。

  また、諸先輩の話を希望的に聞けば、
  やがて自然に収まっていくようです。
  奥さんに対するフォローが積み重なれば
  それは、あなたが安心の記憶となります。

4 緊急避難は近場で
  よく言われるヒステリーが始まったら
  夫は斜め下を向いて、やや口を開け
  悲しそうな、呆然としているような
  そういう無言の抵抗というマニュアルもあるのですが、

  別室に避難する
  顔を見せないということも有効なのだそうです。

5 妻は役割を果たしたからこうなったのかも
  出産はホルモンバランスの変化がものすごいのです
  妊娠までは、女性ホルモンが大量に出ます。
  しかし、出産後は女性ホルモンがなくならないと
  母乳が出ないそうです。
  母乳を出すホルモンが出ているときは
  攻撃的になるらしいです。
  子連れの母熊みたいなものです。

  もしかしたら、
  妻自身が悩んでいる爆発も
  子どもを産んだことがその原因かもしれないのです。

  子どもを自分の命に代えても守るというお父さん。
  妻の怒りの標的になることが
  いくつかの意味で、その時なのです。

6 家族の中に正義や条理は持ち込まない
  理不尽であろうとなんであろうと
  家族を守るということはそういうことなのです。
  奥さんだって、
  爆発しないで円満に生活したいのです。

  どうしてこうなってしまうのか
  そこを悩んでいるのです。

7 子どもに母親の悪口は言わない。
  そういうこともあるんだという説明をするしかないでしょう。
  あなたが子どもに謝ることで、子どもが安心するなら
  何度でも謝りましょう。
  信頼関係が生まれるという副産物もあります。

8 辛いかもしれませんが
  ぜひ修復を第1に考えてほしいものです。

  離婚調停などに備えて
  警察に事情聴衆に備えて

  実際、包丁を振り回したり
  誰かがけがしたりしそうになれば真剣に考えるべきかもしれませんが
  そのためには、動画撮影や録音、日記などをする必要があるのですが
  相手にそれを知られると決定的に不安が固定してしまいます。
  また、それをあなたが見る機会があれば
  修復は不可能になります。

  さらに、そういう証拠があっても
  警察や裁判所があなたの味方になる
  という楽観的な見通しが
  必ずしも立つわけではないからです。



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どうして身近な人間である級友を消耗させるまでいじめることができるのか [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

前回、いじめの手法は、200万年前の
人間の狩りをする手法と同じで
相手が消耗するまで集団で追いつめることだ
ということをお話ししました。

しかし、当時の人間が狩りをしたのは、
あくまでも、人間ではない動物だったはずです。

むしろ当時は、全員が平等であることが原則で、
特に弱い者を擁護、援助していたはずだということも言いました。
理由は、そうでなければ、厳しい自然界で
人間という中途半端な動物が
生き残ることができなかったからだとも言いました。

では
そのように仲間と一体化する習性のある人間の私たちが
どうして仲間であるはずの同級生を消耗するまで追いつめることができるのでしょう。

通常いじめの研究をするときは、
どうしていじめたくなるのかというサイドに光が当たりますが、
どうしていじめることができるのか、可能なのか、抵抗が無いのか
ということにこそ光を当てるべきだと思うのです。

人間はいじめをする本性があるという
非科学的で大雑把な議論は何の役にも立ちません。

一番考えなければならないことは、
心は200万年前からあまり変わっていない
つまり人間は自分と同じ群れ(人間関係)の人間からは
尊重されていないと、とてつもなく不安になり
尊重されようと自分の行動を修正しようとする習性をもっていて
それは現代でもそのままだということです。

しかし、人間を取り巻く環境
特に人間関係が様変わりしたことに着目しなければなりません。

200万年前であれば、人間は
生まれてから死ぬまでただ一つの群れに所属するだけでした。
そこで赤ん坊が子どもになり、大人へと成長し
子どもを産んで育てて、一生を終えていたわけです。
狩りをするのも同じ群れのチームで行いました。

(ただ、繁殖がどのように行われたかについては
 別考慮をするべきではないかと思いますので
 繁殖に関しては除いて考えます。)

自分以外の人間 = 群れの構成員
だったのです。

人間のテーマの「生き残るということ」と「群れが存続すること」と
ほとんど重なったはずですから
群れの仲間は、非常に濃い仲間、運命共同体だったはずです。

ところが現代は、
家族以外にも、学校、職場、地域、趣味のサークルなど
人間は様々な群れに属しています。
そのほとんどが期間限定です。

現代では、家族さえも、
簡単に別離ができますし、
職場の都合でリストラなんてことも起こりうる時代です。

同じ学校に通う生徒だと言っても
みんな家庭や部活や習い事という群れに同時に所属しています。
200万年前では考えられなかったこととして、
ある群れの人間関係が他の群れの影響を受けて変容する
という可能性が生じているのです。

みんなで助け合ってテストの答えを完成させる
なんてことを言ったら相手にされないでしょう。
家庭の思惑が、子どもたちの行動に当然に反映されてしまいます。

また、せいぜい数年の期間限定の群れだということで、
群れの帰属意識はそれほど強くならないことも仕方がないことでしょう。
200万年前の群れに比べると
現代の中学校などの人間関係は
とてつもなく薄いものだと把握しなければなりません。

そのような薄い人間関係でありながら
なんとなく利害対立を感じながら
協力し合う関係という意識付けの無いまま
狭い教室に押し込められているわけです。

さらに社会的背景として、
同僚と競走をしなければならないという
過当競争の意識付けだけは注入されているのが
現状ではないでしょうか。

例えば中学卒業後の進路である受験を考えると
学校の生徒たちも
一応競争相手という利害対立する関係かもしれません。
実際の受験、合格者合格率を考えてみれば
数人が同じ学校を受験したところで、
合否にそれほど影響はないでしょう。

しかし、
校内選考等で、上位何人かに入らないと
その高校を中学校が受験を事実上許さない
なんてことになると利害対立が先鋭化してしまいます。

さらに、受験の結果
例えばある人は倒産の恐れの無い大企業に就職できて
老後も社会保険に守られる結果となる。
しかし、ある人は、期間限定の仕事しかなく
次の就職の心配をしながら低賃金で働き、
老後動けなくなったら、わずかな国民年金に頼らなければならない
ということになると、
受験競争の意味あいが異なってきて、
無駄な競争意識が蔓延していくことになります。

自分の興味関心や能力、向き不向きで仕事を決めるのではなく
老後の安定、収入だけが決定要素になりやすいという
事情も生まれてくるでしょう。

不安感は嫌が上にも増強していきます。

では、試験ではなく、推薦で入学をする場合
学力推薦でもスポーツ推薦でも
何か間違いを犯したら推薦がだめになります。
こういう状態が続くことはかなりのストレスになります。
常に自分を評価する人の目にさらされ続ける
という意識が生まれるかもしれません。

あるいはそれは学校ではなく
親の目が最大のストレス要因かもしれません。
本当は十分幅のある道なのに
とてつもなく細い道の上をバランスを取りながら
ようやく歩いているという感覚になっていくのではないでしょうか。
一発試験と違って
学校の評価を365日3年間気にし続けなければならなくなります。

いじめをする側で増えているのは、
学校の中の勝ち組である将来有望な人たちだということが傾向だとすると
このような原因があるはずです。

自分の群れは、全く関係の無い同級生ではなく
自分を評価する権限のある教師や親だとすれば、
同級生に対する群れ意識はますます希薄になっていきます。

このように人間関係が希薄化するのは、
今現実に生きている環境は仮の群れで
本当に自分が所属するべき群れは別にある
という意識付けがなされると加速していくことになります。

さらに、希薄化した人間関係、
群れ意識、仲間意識を持てない人間関係の中では、
人間は、人間に対してあるべき思考を失います。
それが怒りのメカニズムです。

不安感を抱いた時人間に限らず生物は
何とか解消したいという気持ちになります。
不安を作る者に対して攻撃して不安を解消する場合の心もちを
「怒り」と言います。
不安から全力で遠ざかろうとして逃げている場合の心もちを
「恐怖」と言います。

不安を解消するためには、
合理的に対策を考えることが根本ですが、
まず最初に人間がしてしまうことは、
怒って攻撃するか
恐れを抱いて逃げるかのどちらかです。

ところが、不安が将来に対する不安であったり、
評価者から自分がどうみられるかについての不安である場合、
そのような社会制度や親のプレッシャーに
怒りを持って対応しても何も不安感は解消されません。

また、不安があるからと言って
学校に行かないわけにもいきませんので
恐怖を抱いて逃げるわけにもいきません。
そもそもどこに逃げても不安は解消されません。

それでも何とか危機感、不安感を解消したい。
こういう中途半端な状況が蔓延しているのが今の中学生ではないでしょうか。

こういう場合、つまり危機感、不安感を感じているのに
上手に解消できない場合に起こる現象が
可愛く言えば八つ当たりです。
自分よりも弱い者が自分に対して行う
些細な侵襲行為に大げさに反応して
「自分を守る」という言い訳を持ちながら、

わずかな侵襲(たとえば気に入らない)を口実に
社会制度によって抱かされた不安を重ねて
弱い者に怒りをぶつけるということです。

ただ、その怒りのぶつけ方は
ストレートに暴力や暴言として表現されるだけでなく、
執拗に追い詰めていく200万年前の狩りのスタイルが
行使される場合も少なくないということなのです。

いじめが起きるとき、あるいは仲違いがいじめに転化する時
いじめる側にとっていじめのターゲットになる者は、
仲間ではないのです。
自分を攻撃する加害者と烙印を押すのです。
即ち、人間としては扱わないということになります。

だから自分を守るために攻撃し、
加害行為がルーチンになるうちに先祖がえりをして
執拗に追い詰めるようになるわけです。
共犯者は、
加害者を守る、共感を示すという錦の御旗をもって、
ターゲットを攻撃するようになります。
やはり、追いつめ型狩りが始まります。

いじめを受けるターゲットに
いじめの原因を求めることはナンセンスです。
どのように生きていても
誰かに迷惑をかけなければ自由に生きていって良いはずです。
間違っても、いじめられる、即ち
人間扱いされない仕打ちを受ける理由はありません。
さらには、加害者の怒り、攻撃動機は八つ当たりに過ぎないからです。


いじめをする側の思考力の低下がも指摘しなければなりません。

将来などの不安が蔓延している場合は、
交感神経の活性が持続化し、慢性化している状態になります。
試験勉強の様な頭の使い方を日常ではしませんから、
このような生理的状況は思考にストレートに影響を与えます。

それは、
将来的な展望をもって現在を把握することができない
今目の前にある課題だけが検討課題になる
他人の気持ち感情に共鳴、共感する能力が少なくる。
誰かが肯定してくれることを志向し、自分の価値観で行動できない
多数派に居続けなければ安心できない
という思考パターンに陥ります。

この結果、多数の人たちがいじめているのだから
ターゲットはいじめてもよい対象なのだ
という考えに安易に飛びつくようになります。

感情が豊かな教室の実力者が攻撃しているのだから、
その攻撃に乗ることが
自分が評価されるチャンスだと思っているようです。

いじめのターゲットはいじめの加害者たちから人間扱いされていません。
少なくともいじめをしている時はそうです。
夢中になって追いつめているわけです。恐ろしいことです。
だから、ターゲットがどのような気持ちになっているのか
等ということを考えたりできないようです。

後で落ち着いて考えると
とんでもないことをしたという気持ちになることが多いのは
そういうことです。

このようないじめの特質を踏まえて対策を立てる必要があります。
ところが、現在の対策は
とりあえず、いじめの件数を減らそう、
いじめによる子どもの自死を減らそうということに汲々としています。
こんな、思考停止の対応をしているから、
昨年度中高生の自死が平成年間最高になるわけです。
子どもに対する対応は間違っているのです。

いじめに対して命の授業が行われることがあります。
これほどばかばかしいことはありません。
私には、このような授業のいくつかは
どんなに虐められて生き地獄の思いをしても
死んではいけないということを押し付けているだけのように聞こえてしまいます。
死ぬ方が悪いという思考を作り上げる危険があるように思えてなりません。

また、加害者も、命をとろうとまでは思っていません。
ただ、本能的に追い詰めようとしているだけなのです。
命の授業をしたところで
いじめ防止に効果で気だとは思えない次第です。

私のブログを何度か読んでいただいている人にはくどいのですが、
SOSの出し方教育ということも、
結局子どもがSOSの出し方が下手なので
大人が気が付かないという
子どもの自己責任、大人の責任回避の政策としか考えられません。
子どもに甘えるな、SOSを出さなければならない環境こそ防止しろ
それが一番でなければ、いじめも自死も増えていくだけです。


ではどうするか。

一つには、仲間意識を形成させる指導が必要です。
競争ではなく、助け合いや無償の援助の喜びを与えること
自分が仲間の役に立つことの喜びですね。
共同作業を通じて、目標を完成ではなく
目標を助け合い、チーム作りにおく必要があると思います。

その仲間形成は、父兄も巻き込んで行う必要があるようです。
むしろ大人たちが、積極的に尊重しあう姿を見せ
サンプルを提示することが有効だと思います。

この時、仲間であるための条件、なんらかの役割を果たす
ということはしない。
とにかく、単純に近くにいるということが大切なのです。

学校があって、教室があって授業があるということは
何十年も変わらないのですが、
どうも私には、生徒同士の距離が遠すぎ、
心理的接触さえも希薄になっているのではないか
と感じることが多くあります。

実はこういう活動は、
将来の過労死の訓練にもなります。
仲間を頼ったり、助けたりする関係
そういう関係を形成する時間的余裕がないのかもしれません。

二つ目は、人間とは何かという教育です。
道徳の時間には、こういう問題に取り組むべきです。
少なくとも同僚との人間関係よりも
上司との人間関係を大切にするように誘導したり、
国家に帰属すればすべて安全という幻想も
何も解決せず有害です。
人間は尊重されなければ生きる意欲を失っていく
ということを教育していくべきです。
逆に、尊重されることで力を発揮していくものだ
ということもよいと思います。

三番目として
ただいるだけで尊重される体験が必要です。
現代の社会は親子関係も希薄で、
親が子どもとして尊重する条件を付ける時代です。
祖父母との結びつきが弱い。
無条件で可愛がられた経験が無い
これでは群れの中で尊重された体験が
乏しくなることも当たり前です。

自分が群れにとどまるために努力するように
同級生にも努力を要求していくことになります。

努力しない子どもに対して敵意を感じることもあるようです。

四番目としては徹底介入です。
教師が一番弱い子を守る姿勢を鮮明にすることです。
えこひいきという批判に対しては、
校長や教頭が担任を徹底的にかばうこと。

根本には、教師が忙しすぎるということです。
忙しいと、追いつめられている子どもたちの様に
思考力が低下していきます。
将来的な展望をもって現在を把握することができない
今目の前にある課題だけが検討課題になる
他人の気持ち感情に共鳴、共感する能力が少なくる。
誰かが肯定してくれることを志向し、自分の価値観で行動できない
多数派に居続けなければ安心できない
という行動傾向を教師が持ってしまいます。

だからことが起きないと行動しないのです。
ターゲットの顔色が変わったことには気が付いても
ではどうしましょうという発想にならず
何とか勝手に収まってくれという気持ちになり、
ターゲットの存在を疎ましく思う傾向になるのも
ある意味必然的なことです。

根本は、世の中から無駄な競争意識をなくすことです。
少なくとも老後の不安の無い生活を国は保証するべきです。

派遣労働や有期雇用は減らさなければなりません。

私は、現状の受験制度は改めるべきだと思います。
いじめの現場を見ると一発勝負の受験こそが
ストレスを軽減するように思われます。
現状は、子どもたちが評価者である学校の顔色を窺っているというような
危険な状態ではないでしょうか。

スポーツについても
学校の部活動が関与する全国大会はやめるべきです。
その代わりスポーツ少年団を自治体や国は援助すればよいと思います。

就職採用についても
学歴偏重で本当に企業が必要な人材を確保できているのか
真剣に考えるべき時期だと思います。
経済にとってどのような人材が必要なのか、
これまでの様に上司の命令に忠実になるような人材の選び方を続けると
なんだかわけのわからない人が
総理大臣の配偶者が支援しているということで
一流大学を出た最高エリートたちが
忖度してスーパースペシャルな便宜を図ろうとするのではないでしょうか。

なんか選挙公約みたいになってきましたので
そろそろ終わりにしますね。

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執拗ないじめは、200万年前の人類の狩りの手法から来ている。傷つく心も200万年前の環境を反映している。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

いじめ事件でそのいじめの概要を聞いていると
どうしてここまで容赦なく、執拗に行うことができるのか
信じられない気持ちになります。
加害者は、いじめをするために生まれてきたような
極悪非道の人間ではないかと思うことにも理由があるような気もします。

しかし、
ハヤカワノンフィクション文庫の
ダニエル・E・リーバーマンの
「人体600万円史」を読むと
ああ、そういうことかということがわかります。

200万年前、まだ人間が、狩りの道具を持っていない頃、
人間が動物を狩る方法は、
ターゲットとなる動物を追いかけていくそうです。
どこまでも追いかけていくうちに
ターゲットの動物の体温は上昇していきます。

当然追う側の人間の体温も上昇するのですが、
人間の皮膚には汗を出す汗腺が膨大にあり、
汗を出し、汗が気化する時に
周囲の皮膚のエネルギーを奪いますから、
皮膚の温度が下がり、体温を下げることができます。

一方ターゲットになった動物は、
汗腺が少なくて、熱い毛皮に覆われていますから、
どこまでも体温が上がっていきます。

また、人間は二足歩行なので、
移動のカロリー消費は、
四足歩行より少なくて済むという利点もあるようです。

そうこうしているうちに
ターゲットの動物がヒートアップしてしまい、
ダウンしてしまいます。
すかさず息の根を止めて、
いっちょ上がりということになります。

人間の狩りの仕方を一言でいえば、
消耗戦をしかけ勝ち抜くということなのです。
相手が消耗するまで追いつめるということですね。
「人体」のほかに
NHK出版新書「絶滅の人類史」更科功にも記載されています。

この追い方なのですが、
一人の人間が追いつめるのではなく、
おそらく複数のグループで共同して追いつめていったのだと思います。
無防備な単独行動をとってしまうと、
獲物を追っているつもりが、
もっと大型の動物に自分が狙われてしまい
ひとたまりもなくなるからです。

おそらく、大勢の人間で、
ターゲットがわざと全力で逃げるように
囃し立てながら追っていったのでしょう。

学校のいじめも
最初は、些細ないさかいからけんかが起こります。
加害者は、被害者になるターゲットが自分を攻撃したと感じ
自分を守るためにターゲットを攻撃します。

加害者は、感情を豊かに表現できる場合が多いので、
訳の分からない共犯者は
どうしても加害者に共感してしまいます。

そうしているうちに、
最初は防衛行為として始めた加害が、
いつしかルーチンになっていくとともに
全く関係の無い第三者が攻撃参加をしていくうちに
いじめとして成立するようになっていくわけです。

集団でターゲットを追いつめる
ターゲットが消耗するまで追いつめるということは
人間の狩りのスタイルそのものですから、
本能的な攻撃スタイルということになるようです。

自然発生的にやむということが起きにくい事情があるようです。

ターゲットとされた方も
200万年前の群れの感覚を持ち続けています。

200万年前は、群れは
大きければ大きい方が安心です。
外敵から身を守るため、
寒さから体温を奪われないためには、
ある程度の頭数が必要です。

それから、狩りをするチームと
群れを守り、狩りが失敗した時に備えて
植物を採取するチーム
赤ん坊を育てるチーム
留守を守るチームが
有機的に一体となって運命共同体を形成していたと思われます。

強い者が弱い者を攻撃してしまうと、
あるいは攻撃しないまでも自分だけが大きな利をとると
弱い者から順に死んでいきますので、
群れ全体が小さくなっていき
先細りで絶滅していったでしょう。

あるいはメンバーの弱点、不十分点をせめてたとしても
生まれてから死ぬまで同じメンバーですから、
多くを望んでも仕方がないので
彼のできることをして貢献してもらう
という発想になったでしょう。

群れに害をもたらさない限り
全員が平等に扱われたはずです。
これが人類の特徴なのです。

そういうきれいごとを人間が選んだのではなく、
そうでなければ死滅したので、
仲間を大切にする者の子孫だけが生き残っていったということになります。
こういう平等に扱わなかった群れは
死に絶えていったのです。

さて、人類の群れについては環境が様変わりしているにもかかわらず、
人間は200万年前の記憶から逃れられないようです。
そのような遺伝子を持ってしまっているからです。

自分が同じ仲間から攻撃される、無視される、
仲間よりも一段低い身分として扱われる
ということに、
とてつもない不安を感じます。

相手が自分に攻撃しないならば
この強い不安は、怒りとして表現されます。
しかし、相手にかなわないという意識があれば
恐怖を感じ逃げ出すことが基本です。

しかし、逃げることができない学校にいかなければなりません。
不安だけが持続しているにもかかわらず
怒りも、恐怖も感じることができず、
その不安を受け入れなければなりません。
これは生物にとってかなりきついことで、
徐々に生きる意欲を失っていく、消耗していく
ということになってしまいます。

逃げられる恐怖のほうが、軽いのです。
不安、即ち危険があることを認識しているにもかかわらず、
逃げることも闘うこともできないことは、
恐怖よりも強い絶望を与えることになるわけです。

いじめは
ターゲットとなる被害者が
人間扱いされないことに不安感を感じ続け
その不安を解消できない状態が
どこまでも続く現象ということになります。

攻撃する方は、
ターゲットをルーチンで、本能のままに攻撃し続けますが、
この時、ターゲットである被害者を仲間とみていないどころか
人間としてみていないのです。

いじめられるもの、差別されるものの絶望は
こうやって生まれていきます。

もうこうなると大きなエピソードなんていりません。
ターゲットが、自分が仲間として扱われていない
ということを意識させればよいわけです。

対等の仲間としてふるまうターゲットを
否定すればよいだけです。

この人類進化生物学の成果を踏まえて考えると
いじめの加害者には誰でもなる可能性があるということ
その時にストッパーは自然発生には起きにくいこと、
外部から強制的に止めなければいけないこと
「いじめを止める」ということでは不十分であること
「人間扱いしない」ということを止めなければならなず、
かなりの意識改革と
自分たちがやっていることがいかにひどいことかを
改めて覚醒させなければならないということになります。

このように、一緒にクラスメートを人間扱いしないということは、
クラスという一つの群れという意識を
大人たちが作れないということ、
自分以外はライバルなのだという強烈な意識付けがされていること、
自分を守るために必死にならなければならないという意識付けがなされていること
等があるようです。

「人間扱いしないということやめる」ということは、
何もしないことではありません。
「人間扱いする、仲間として接する」
ということでなければなりません。
そうでない限り、
不安は続きます。

悪さされることの不安ではなく、
不安の本質は、孤立させられるということだからです。

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二度、地方公務員災害補償基金支部審査会で逆転認定を受けた公務員 [労災事件]

公務中の事故で、外傷性頸部症候群等の傷害を負った方がいます。

地方公務員の場合は、地方公務員災害補償基金に対して
当該公務員の所属長が公務災害を申請します。

裁判みたいに三審制になっており、
先ず地方公務員災害補償基金都道府県、政令市の支部長が判断します。
ここで認められない場合は、
支部に設置されている外部委員で構成する
支部審査会で判断します。

ここでも認められない場合は、
本部の審査会で判断することになります。

どこかで認められれば確定ですが、
どこでも認められない場合は裁判になります。

但し、この様に三審制ではありますが、
なかなか逆転認定が認められることはありません。
例えば、平成27年の数字
http://www.chikousai.jp/gyoumu/fufuku/kensuu/h27/h27saisin.pdf
57件中3件しか認められませんでした。逆転率は5%くらい。

と思っていたのですが、
28年は、結構逆転してますね
http://www.chikousai.jp/gyoumu/fufuku/kensuu/h28/h28sin.pdf
152件中27件というのは、18%くらいの逆転率ということになりますね。

それにしても、請求自体が倍増していますね。
(請求件数と処理件数が違うのは、年度またぎがあるからです。)
無理な不支給決定が増えてないとよいのですが。

外傷性頸部症候群の公務員は、
支部長段階で後遺症があるにもかかわらず、
後遺症が無いと認定されました。
支部審査会で、やっぱり後遺症があると
認められたのでした。

実はこの方、同じ公務災害で
前にも逆転認定を受けています。

それは、この怪我について
お医者さんの言われるとおりに治療を受けていたのですが、
それは公務災害とは認めないとか
もう治療は終わっていると
治療を継続しているにもかかわらず、
一方的に打ち切られたので、
不服申し立てをした結果、
まだ治療は終わっていなかったと
逆転認定されたという経験があります。

同じ人で、同じ事件で
二度の逆転認定があったということは
おそらく初めてのことではないかと思います。

この時の支部長の治療打ち切りの理由がすさまじかったのです。
むち打ちは、通常3カ月で治るのだから、
もう治っているはずだ
というようなことでした。
保険会社も、そんなこと言わないだろうという勢いのはなしでした。

そもそも、外傷性頸部症候群は、むち打ち症だけでなく、
その他の症状が出るから症候群なのです。

しかも、複合的な外圧がかかった複雑な症状なのに
3ヶ月でという単純なむち打ちのケースを持ち出してくることにも
無理がありました。

今回の理由もひどかったです。
レントゲンやMRI等の画像所見が無いから
後遺症はないというものでした。

しかし、軟部組織の挫滅の場合は
画像に写りません。
画像に写らないから痛みが無いとは言えないのです。
後遺症について知らないようでした。

さらには、
ストレートネックの画像所見があるにもかかわらず
臥位で写した画像でストレートネックが見られないとして
ストレートネックが治ったと言いました。

臥位(横になっての撮影)の場合は
ストレートネックがあっても判断が難しいのに、
それを根拠にないと言い張るのです。

もっとあきれたことは、
明らかなストレートネックが撮影された日から
わずか5日後の画像だったということです。
5日でストレートネックが治るということはありません。
こんな判断を医師がしたということになっていますが、
ことによると医師は関与していなかったのかもしれません。

もし医師がそのようなことを本当に言ったら、
大変問題だと思います。
医師のコミュニティーでの自浄作用が
必要なのではないかと考えます。

是非、実名で
「ストレートネックは5日で治る」
という本を出版していただきたいと思います。

公務災害や労働災害は、あるいは交通事故もそうですが、
法律や判例だけを知っていても
解決できないことがお分かりになると思います。

医学的常識を持たないと
どの点がむちゃくちゃで理由がないことを言っているか
分からないので、活動しようがないということになります。

逆に医学的な知識だけあっても
公務災害や労災保険の制度を知らないと
本当は補償されるはずなのに
申請すらさせてもらえないこともあります。

例えば、ブルガタ症候群は
遺伝的要素が大きい疾患だとされています。
(但し、患者の25%程度しか、
 関与している遺伝子を確認できなかった
 という報告もあるようです)

だから、労災制度を知らないと、
ブルガタ症候群だから
労災の対象にならないという
変な思い込みをする医師もいたりするわけです。

労災は、基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させる場合も含まれます。

つまり、医学と法律と両方をある程度わからなければなりません。
弁護士も、できるだけ多く医学的な事件
労災や交通事故等に関与し、
一つ一つの疾患について、
よく議論の内容を理解し、記憶に入れておくことが望ましいということになります。

とは言っても限界がありますから、
弁護士は、気軽に話を聞ける医師が身近にいる
お医者さんにアドバイスを受けられる状態にする
ということが実務的には有効です。

そうして作戦を練って
主治医の先生と相談したり、
鑑定を依頼したりするわけです。

はじめから丸投げでおねがいしても
有効な医学的証拠は得られません。

そうして、かつては開かずの扉だった
地方公務員災害補償基金の審査請求も
けっこう認められるようになってきました。

だから、支部長段階で認められなくても
医学的に、医師と連絡が取れる弁護士に
相談することが必要だし、
審査請求の件数が増大しているところを見ると
理不尽だと感じる不支給が増えている可能性もあることから、
先ずは、相談してみる価値がありそうだと
そう思いました。

最後に、今回二度目の逆転認定をされた公務員の方ですが、
先ずは、ご自分で、理不尽だという強い思いを持たれていました。
これが無ければ逆転認定はなされなかったと思います。

もう一つ、
ご家族の徹底したフォローがありました。
お一人では、なかなか打ち合わせに来ることも難しかったようです。
ご家族の支えがこの結果を導いたのではないかと考えます。

おめでとうございました。

それから最後に、
主治医の先生や当事務所のアドバイザー医師の先生
本当にありがとうございました。
何度も同じことを聞いても
時々しかうっとうしがらないで
粘り強く教えていただいたおかげで、
今回の結果につながりました。








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「高度プロフェッショナル」という名称にまつわる誤解が利用されている [労働事件]


高度プロフェッショナル制度とは
対象者は年収1075万円以上で、
研究開発や金融商品のディーリングなど高度な専門業務
という労働者を対象に、

労働時間の上限を撤廃し、
時間外割増賃金制度の適用も外す
というものです。

「高度プロフェッショナル」という言葉は
誤解を生みやすい効果を狙っての名称でしょう。

あたかも、
自分で自由に働き方を決められる立場の人
という印象を持ちませんか。
こういう立場の強い人であれば、
保護はいらないのではないかと
うっかりすると考えてしまいます。

しかし、こういう人たちは
現在はあくまでも労働基準法の適用を受ける労働者なのです。

つまり、使用者の指揮命令に従って労働をしなければならないので、
自分で勝手に仕事を作って働いているわけではありません。
個人事業主ではないのです。

この労働者と言えるかどうかのメルクマールについては
1985年に労働省労働基準法研究会報告が提唱しているものがあります。
それには、
1 仕事の依頼を拒否できない
2 仕事をする際には、上司の指揮監督に服する
3 労働時間、就業場所は使用者に従う
4 他の人に変わってもらえない
5 報酬の算定方法は使用者が決める
となっています。

つまり、これから、
高度プロフェッショナルの名のもとに
労働時間規制がなくなり、
時間労働が支払われなくなる人たちは
概ね1から5の基準を満たす人たちなのです。

名称に惑わされてはいけません。

では、どうして、そういう労働者には
労働時間の制限があり、
時間外労働をさせる場合に割増賃金の
支払義務があるのでしょう。
これは、違反すると刑事罰の対象となります。
そこまで強く守らせようとしたのが
労働基準法の立場ということになります。

労働時間を厳しく定めた理由は、
労働者を早死にさせないためです。

なぜ、私がそう言い切れるかというと、
官僚として労働基準法を作った人から
私は労働基準法を教えてもらったからです。
松岡三郎先生と言って、
私が教えていただいた当時は明治大学の教授でしたが
私の大学にも教えに来ていただいていました。

その先生の著書に明確に記載されています。

その著書を表した当時は、
まだ過労死という言葉はありませんでした。
労働基準法制定当時も(1947年)
過重労働による脳・心疾患という概念はありませんでした。

但し、戦前も、過酷な労働状況の中で、
結核や肺炎、栄養失調、消耗等で
若い命が失われていきました。
これは常識でした。

だから、当時、
1日8時間まで、1週間48時間まで(現在40時間)と定め、
違法な長時間労働を罰則付きで禁止したのでした。

そうして、時間外労働の場合、
なぜ割増賃金を義務付けたのか
(時給1000円の人は1250円とか)
というと、
コストを高くすることによって
時間外労働を抑制するためでした。

管理職は、時間外労働で割増賃金は尽きませんが
深夜労働(午後10時から午前5時)は
管理職であっても割増賃金がつきます。
深夜労働の危険性
早死にしやすいということから
制限をきつくしたわけです。

この考え方は法律制定当初の考え方だけではなく、
昨年の最高裁判決(平成29年7月7日判決)でも
「労働基準法37条が時間外労働等について
割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは,
使用者に割増賃金を支払わせることによって,
時間外労働等を抑制し,もって
労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに,
労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される」
と明確に述べています。

さて、高度プロフェッショナル制度は
年収が1075万円を超える職種とされています。
これだけ年収があれば、
労働時間の規制が無くてもよいのでしょうか。

これだけ年収があれば早死にしてもよい
ということにはなりませんね。

これだけ年収があっても、
時間外労働を余儀なくされれば、
やはり、くも膜下出血や心筋梗塞、
あるいはうつ病による自死などの危険がでてきます。

これだけ年収があっても
使用者が仕事の内容、どこまでやるか
ということを一方的に決めますし、
賃金の額も一方的に決めます。

労働者は仕事をせざるを得なくなって、
過重労働をする可能性も
大いにあるわけです。

なぜ年収が高ければ
労働時間の規制を外すことができるのか
全く理由はありません。

政府は、裁量労働制の統計がでたらめだったことを受けて
高度プロフェッショナル制度以外の裁量労働制は引っ込めました。
しかし、財界の不満を受けて
高度プロフェッショナル制度は残すと報道がなされました。

結局、
労働時間の規制をする必要性はあるけれども、
財界の要請で規制を撤廃する
という報道だということになります。

財界の要請を受けて
早死にの危険に目をつぶるということです。

厚生労働省というお役所は
労働者の健康や福祉を促進する役所ではないのでしょうか。

ノルマの無い研究開発
労働に従事する時間帯が限定されている
金融ディーリング
そんなものはありません。

労働者の命の危険を分かっていながら要請する財界
労働者を使い捨てなければ企業が成り立たないとすれば
日本は何とも貧しい国になったと言わざるを得ません。
しかし、この制度は
タコが自分の足を食べるような
優秀な労働者を消耗し、
優秀な労働者をそのような業種から遠ざけることにつながりますから、
どんどん兵力が消耗していくだけです。

第二次世界大戦の末期の様相を呈していると思います。
効率よく儲かる仕事に
職種転換をすることを
気が利いたコンサルタントなら勧めるところでしょう。


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【講演告知】なぜ人は助け合えないのか。なぜ他人を攻撃できるのか [自死(自殺)・不明死、葛藤]


平成30年3月15日午後6時から
仙台アエル 28階エルソーラ研修室において
私のお話会があります。

と言っても本当は、当日7時から
自死予防の多業種ネットワークである
みやぎの萩ネットワークの総会があるので、
時間調整のために1時間お話をする
ということであります。

みやぎの萩ネットワークは、
自死遺族団体、カウンセラー、ケースワーカー
社会保険労務士、司法書士、弁護士
中小企業診断士、税理士、精神科医等々の
様々な業種が、自死予防という一点で終結し、
相談活動を中心に積極的に活動するネットワークです。

毎月、色々な業種の方が
自分の専門にまつわるお話をして
活動の助けにしています。
誰が何をしているかは、業種を聞いただけでは
なかなかわかりませんので、勉強になります。

どうか、当日ご出席していただき、
このような活動にも興味を持っていただければ幸いです。


それで、私の話は1時間くらい
「なぜ人は助け合えないのか。なぜ他人を攻撃できるのか」
という題のお話です。
自分では、とても面白い話になると思っています。

お話の中身は、小分けにすると
以下のような表題をつけています。

1 ダイエットは失敗するようにできている
2 人間の体は200万年前仕様
3 環境との不適合という現代病
4 心を覗けば200万年前が見えてくる
5 友だちの数は脳の大きさで決まる。
6 複数の群れに同時帰属という不自然
7 なわばりの無い不安
8 不安と母親を見失う赤ん坊
9 攻撃とは
10 人間がなかなか一人前にならない理由
11 ではどうすればよいのか

このお題は、私の友人のたこ焼き屋さんから出されたものです。
彼は、まじめでセンスのある人で、
出来事から、素直にそうつぶやいたのですが、
私には、とても衝撃的で、
今年の研究テーマとなっています。

上記の1~3は、人類進化生物学を
とてもわかりやすく説明します。
4は、私のオリジナルです。
4までは、本当は人間は
助け合うようにできているというお話を
できるだけ科学的に、実証的に説明します。

5からは、いよいよなぜ助け合えないのか
その原因をズバリ分析していくのですが、
5は、進化生物学者というか人類学者というか
ロビンダンバー教授の考えを紹介し
人間の限界をリアルに見ていきます。

6、7は、現代社会を進化の視点から
生物学、行動学の視点から分析します。

8については、いじめられたり
ハラスメントを受ける時の人間の心の反応を
わかりやすく説明します。

9は、攻撃したくなる理由です。
10,11からどうすればよいのか
についてお話をしながら、
ご一緒に考えていこうと
まあこういう趣向になっています。

面白いですよ~

もう一つみやぎの萩ネットワークのインフォメーションですが、
3月17日2時から
宮城県警本部のはす向かいにある
管工事会館9階大会議室で
兵庫県の弁護士渡部 吉泰先生をお招きして
講演会を開催します。

先生は、大津のいじめ自死事件で
調査委員を務められております。
いじめ調査の在り方などについて
お話していただく予定となっております。

愛宕上杉通に面し、旧NHKの向かいで
1階が政府刊行物センターとなっています。

どの企画も無料
だと思うんだけどなあ。

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