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NO(それは嫌だ)コミュニケーションの訓練がいじめ防止等の基礎となるかもしれない。 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]


司法試験に合格して司法研修所で勉強していた時期、
同い年の合格者で、長髪の男がいた。
長髪なのによく見るときれいな髪質をしており
羨ましく思い、
うっかり手に取ってしまった。

そうしたところ、彼は、
俺は髪を触られるのが嫌なんだ
触らないでくれる、ごめんな
と言った。
私はそういうものかと思い
ごめんごめんと手を引っ込めた。

その拒否の仕方が秀逸で、
こちらは嫌な気持ちをしないどころか、
こちらの人格への配慮も感じた。
高いインテリジェンスのある人間だと
それ以来尊敬している。

そんな30年近く前のことを思い出した。

対人関係の紛争を見ていると、
けんかや気持ちのすれ違いが起きるホットスポットが、
この拒否をされたときだということに気が付く。

拒否をされると、
そのこと(髪の毛を触ること)だけでなく、
全てを拒否されたような気になってしまい、
無駄な疎外感を抱いてしまうようだ。
そして自分を守るために、
自分を拒否した相手を攻撃してまう。
すると相手も、どうして自分を攻撃してくるのだということがわからず、
不気味な気持ち悪さを抱いて
関係が悪化していく。

逆に、
拒否することで相手を怒らせたくないので、
本当は嫌なことなのに、我慢してしまう。
不満がたまりにたまって
ある日爆発する。
相手は、
それまで、普通に行っていたことを理由に
こちらを攻撃してくることに理解ができない。
言いがかりや八つ当たりであると受け止めてしまう。

最悪なのは、
自分の気持ちを言えなくて絶望をしてしまい、
うつ病になったり、自死に至ったりすることもありそうだ。

いじめのケースでは、
嫌がらないからいじり続けているうちに、
大勢がいじりだし、からかいだし、
気がつけばいじめになっていたということがあるようだ。
気がついた時とは、子どもが自死をしたときなど
取り返しのつかないこともある。

最初にお話しした長髪の合格者のような
拒否の仕方を訓練することが
いじめをはじめとする色々な人間関係の
破たんを防ぐことに効果があるような気がする。

最初の髪の毛の例で、
私がうっかり触ったときに、
「おっちゃん、なに他人の髪をことわりもなくいじくってるんじゃ。ぼけ。」
と言われれば、
悪かったなあという人もいるだろうが、
大半は、「なんでそこまで言われなあかんのん」
という「気持ち」になり、
自分の決まりの悪さを解消するために
言わなくてもよい余計な反撃をする、
そして収拾がつかなくなっていくだろう。

長髪の彼の拒否のエッセンスは、
短く、余計なことを言わないということで、特に、
1 何が嫌なのか具体的に特定している。
2 どうして嫌なのか端的に理由を説明している。
3 自分が悪くもないのに「ごめんな」という。
この3点だろう。

1 具体的に特定していれば、
自分が全否定されたと感じる要素が少なくなる。
それ以外は拒否しないという意思表示にもなる。
2 理由を説明されれば、
漠然と自分が拒否されているのではなく、
相手の嫌がることをしなければ良いのだということが理解できる。
3 ごめんなといわれれば
まず、自分に対して敵意がないのだなということを強烈に理解できる。
「そちらの気を悪くするかもしれないけれど」という配慮を感じる。
その結果、素直にこちらこそごめんという気持になれる。

こういう効果があったと思う。

こういう拒否の仕方を子どもの時から
繰り返し訓練することが有効なのではないだろうか。

幼稚園であれば、
子ども同士がけんかしているときに、
けんかの原因をさかのぼって
拒否コミュニケーションの問題だとすれば、
拒否からやり直す。
余計なことを言ったらそれは言わないで言い直させる。
「ごめんね」と言いたくないときは「お願いね」
と言い換えてもよいかもしれない。

言われる方の指導も大切である。
共感に基づくコミュニケーションの訓練である。

先ず拒否の3要素をはっきりさせる。
その上で、
何が嫌で何が嫌ではないかということを明らかにして
あなたが嫌われているわけではないよということ説明して安心させる。
ただ、それをされることが嫌なんだよと教えてあげる。

その上で、相手が嫌がっているということが
どういうことなのかを理解させる。
ここで一番大切なことは、
相手が嫌なことはしないという習慣づけである。

必要以上に気まずくならないということを覚える。

正義の制裁をしているつもりであっても
相手の気持ちを考えない行動はしない。
それは大人に任せるということでもよいし、
少し学齢が上がったら、
一緒に成長する観点からのアドバイスを制裁に置き換える
ということも大切だろう。
正しければよいというものではないことを
小学校からは少しずつ取り入れていくべきだと思う。

3要素が揃った拒否があった場合は
潔く撤退する。
そういう習慣をつけるということが大切だと思う。

この双方の意識的行動によるそれは嫌だコミュニケーションが成立したら
大人は大いにほめて、子どもたちは達成感を獲得してもらう。
そうやって動機づけを作っていく。

友達同士、夫婦や家族、職場という人間関係の基礎だと思うし、
案外民主主義の前提条件だったりするのではないかと
ふと思う。

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