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日大アメフト事件を監督コーチの処分で終わりにするなら事件は繰り返される [労働事件]



日大アメフト事件は、監督、コーチらが除名を含む処分をされました。
もし、監督やコーチ、特に監督の人格上の問題で本事件が起きたならば、
それで終わりにしても再発はしないでしょう。

しかし、もし、今回の事件を起こした監督自身が
このような行為に出るように追い込まれていたとしたら
今回の監督ではなくても起こり得た事件だったと考えなければなりません。

現在の経済学は、人間は誤りを起こすものだという前提から出発します。
誤りを犯すものだから仕方がないというのではなく
どういうメカニズムで誤りが生まれるかいうことを研究し、
先回りして誤りを防止するという努力が積み重なれています。

対人関係においても誤りの仕組みを研究し、
誤りを防止することをするべきでしょう。

今回の事件の背景的問題として、
日大アメフト部が低迷していたという事情があり、
それは大学の評価が下がるという意識があったようです。
このため、アメフト部の成績を上げることが至上命題とされ、
そのために前監督が招へいされたという事情があるようです。

勝ちたいという自然なモチベーションではなく、
勝たなければならないという外圧がかけられていたということになります。

これは企業においてもありうることです。
売り上げが低迷しているために
外部からコンサルタントを招聘したり
ヘッドハンティングをしたりということがあるようです。

おそらく良い条件で抜擢されたのでしょう。
また、組織が困っている時に頼りにされることは
やりがいのあることです。

そうなると、信頼を裏切ることはできません。
一番いやな言葉は
「期待外れ」
です。

無理をしてでも成績をあげなければなりません。
無理をしてでも売り上げをあげるパワハラ上司と同じです。

この時、独自の方法論をもって
部下のモチベーションを高め、
モチベーションを合理的な方向への努力につなげることができれば
成績は上がっていくでしょう。

しかし、各大学、ライバル企業もしのぎを削っていますので、
そんな魔法の人間管理は対人関係学的労務管理を学ばない限り
到底できません。

そういうノウハウがない人たちはどうするのでしょう。
ここに奇妙な共通点があります。
成績の良い個人に依存するのです。

能力のあるものを叩いて
能力を絞り出そうとしてしまうようです。
指導能力のない人たちは底上げということを考えられません。

能力のある個人に徹底的につらく当たり、
無駄に活性化させ、
さらには、アンフェアな行動に出ることまでを期待します。
鬼に金棒作戦とでもいうようなものです。

今回は全日本大学選抜の選手にこれをやりました。
パワハラ過労死の犠牲者も、能力の高い人ばかりです。

能力のある人はフェアに活動していますので、
そこに軋轢が生じるものです。
この軋轢は、やる気と能力のある個人の
やる気を奪っていきます。
この延長線上に自死があります。

それでも、監督や上司は厳しく当たるしかありません。
合理的に伸ばす指導のノウハウがないからです。

軋轢は標的になった個人だけでなく
周囲にも広がっていきます。
人間の習性でこのような不合理に対しては
集団的怒りが形成されます。
この集団的怒りを抑え込むためには、
さらに強い力で先行攻撃をして、
個別に分断して抑え込むという方法がとられます。

そうすると、怖いものですから、
個人から発案することが無くなります。
言われたことをやるしかなくなるということです。
無力感に陥っていきます。

いつしか業績を上げることをまじめに追及することよりも
上司から気に入られるようにすることが
現実の目標になっていきます。

イエスマンばかりになり、
顧客や取引相手よりも
上司の期限が優先されていきます。
その延長線上に
法律や道徳よりも上司の命令を優先する
そういう仕組みができてしまいます。

日本企業低迷の大きな要因だと思います。

日大事件においてもコーチや監督の
行動のメカニズムを検討する必要があり、
これをしなければ、また同じことが繰り返されます。

これは日大に限ったことではありません。
他の大学、他のスポーツ環境や
経済環境に等しく当てはまることなのです。


一番の出発点は、
スポーツの目的のはき違えです。

その教義をすることが楽しく、
純粋に強くなる、あるいは楽しむということでなく、
母校の名誉や受験者数の増大、就職、金銭という
不純な目的が
人間を大切にする、人間に対する敬意をもつ
という当たり前の感覚を奪っていくということを
私たちは繰り返しニュース動画で見せられました。

部活動での活躍が
就職や進学に優位になる
こういうことを遅くとも中学生から叩き込まれてきたことが、
人間性や弱さを否定され続けてきたことが
今回の事件の背景として見過ごすことはできません。

これが日本経済の発展を妨げていると思います。

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高度プロフェッショナル制度制定を他国から見たらどのように見えるのだろう+一般保守政治家の心理 [労働事件]

高度プロフェッショナル制度は、日本法制史に残る
あからさまな悪法です。

その理由は、法律自体に大矛盾があり、
およそ法律の体をなしていないという所にあります。

日本の労働基準法は、戦後直後に制定されましたが、
戦前の労働者が長時間労働で早死にしていたことをふまえて
早死にをさせないように
1日8時間、1週間当たり48時間(現在は40時間)しか
働かせてはいけないということを罰則をもって定めました。
さらに、例外的に働かせてもよい場合でも
時間外労働の場合は割増賃金を支払うこと、
10時から5時の労働の場合も割増賃金を払うこと
として、できるだけ時間外労働をさせない
という工夫をしました。これも罰則付きです。

ところが、今回、年収1075万円以上の労働者は
このような時間制限を無くするというのが
高度プロフェッショナル制度です。

どうして1075万円以上の労働者の場合は
早死にさせる工夫が不要となるのでしょうか。
全く根拠はありません。
早死にしてもかまわないということにしかなりません。

時間外割増賃金も
深夜勤務の割増賃金の制度も無くなります。
これが働かせ放題法案と言われる理由です。

おそらく、このような法律ができたとしても
評判を気にするきちんとした企業や
労働者のモチベーションを大切にして生産性向上を考える企業は
最初は高度プロフェッショナル制度を適用しないでしょう。

こんな制度を適用したら、自分の従業員のモチベーションが上がらないだけでなく、
労働者を100時間近く、下旬と上旬で150時間も
時間外労働をさせる企業だという評判は
企業の信用を低めるからです。

また、時間外割増賃金を払わないならば
労働者を増員する必要がなくなるでしょう。
二人分を一人に働かせればよいわけですから、

しかし、そんなことをしたら、
払うべき賃金も払わない企業
というレッテルが張られるでしょう。

だから、怖くてこんな制度を採用しないと思われます。

しかし、内閣がこんなに話し合わないで強行採決するのだから
一部の企業では、採用するでしょう。
そうすると、経費(人件費)が下がる制度をどうして採用しないのだ
という素人的圧力に屈する企業も増えていくのだと思います。

一番気にしなくてはならないのは
日本の企業の中ではそのようなルールとなっていても
海外ではそのようなルールとなっていないのですから、
外圧がかかってくることは気にしなくてはなりません。
歓迎しているのが、時差を気にするグローバル企業だけかもしれません。

なんにせよ、一部の会社でそのような要求があるからと言って、
理屈に合わない高度プロフェッショナル制度を
強引に推し進めていることを、外国の企業はどのように思うでしょうか。

あたかも、高度プロフェッショナル制度は、
日本企業の総意で制定するというように感じるでしょう。

日本企業は、労働者を休ませないで働かせなければ
採算の合わない経営体質の瀕死の企業ばかりだと感じるでしょう。
それだけ無茶苦茶な制度だからです。

エコノミックアニマルという言葉が昔ありましたが、
この時代ではエコノミックロボットという言葉になるでしょう。

日本労働者の権利意識の低さに驚嘆することでしょう。
そうして、この法律を提案しているのが、
国土交通省や経済省ではなく、
厚生労働省ということを知ったらさらに驚くでしょう。

労働者の福祉、健康を増進するはずの省庁が
過労死を蔓延させる矛盾した法律を提案しているということは
世界の非常識だと思われることでしょう。

これでは日本には、
「我が国の労働者の権利を守る省庁」に当たる省庁は
存在しないのかと納得してしまうことでしょう。

日本は、官僚制度が機能していない
と感じることでしょう。

また、日本の国会議員、特に保守派の議員は
なぜこのような無茶苦茶な法律の提案に
反対派とも区画としても議論をしないのだろうと
不思議に思うでしょう。

この点については少し考えなければなりません。

しかし、高度プロフェッショナル制度に賛成する国会議員のブログにヒントがありました。

第1に、先ず、保守政治家自身が、この法案を知らないのです。
労働基準法の何をどう変えるということも、
それがどのような意味があるのかということも
また、どのような法律に変わるのかさえも
まるで分っていないのです。

驚きました。

これでは反対するあるいは議論をするきっかけが生まれません。

第2に、そうなると次に、彼らは何を考えて賛成しているか
それは、保守党というコミュニティーを大切にする
それがモチベーションだということになります。

分からないけれど、自分たちの代表が推進しているのだから
とにかく推進しなければならない
という意識なのだと思います。

そうするとマスコミや野党が騒げば騒ぐほど、
自分たちを守ろうとしてしまうわけです。

なりふり構わずに
まるで、過労死遺族をあざ笑うような行動は
そのような条件で生まれるようです。

日本をどうしようという発想がないのでしょう。
日本人の幸せではなく、
自分たちに利益を与えてくれる人の幸せを優先に考えている
そういう結果なのだと思います。

ある意味優しい人たちなのでしょう。
しかし、その優しさは
天下国家を動かす立場からすると
致命的な資質の欠損というほかはないと思います。

高度プロフェッショナル制度
とにかく恥ずかしいのです。こんな制度。
国の評価を下げるどこかの司会者みたいな法律だと私は思います。


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【緊急】高度プロフェッショナル制度が有史以来の悪法であることについての説明。官僚や財界が反対しないことが不思議な理由。 [労働事件]

働き方改革の中に高度プロフェッショナル制度があります。
これは、年収1075万円以上の労働者には
労働基準法の労働時間制限が適用されなくなるという制度です。

労働時間制限と言ってもピンと来ないかもしれません。
以下、説明します。

1 日本においては、労働者の労働時間は
  1日8時間、週40時間の上限があるということ
2 上記上限を超えて働かせると原則として
  刑事罰の対象となること(自然人なら前科がつくということです)
3 例外がいくつかあり、
  職場の3分の2以上の労働者を組織する労働組合などが
  使用者と労働協約を締結することによって
  刑事罰を免れる制度があること(いわゆる36協定)

  但し、36協定が有効であるためにはハードルがあり
  例えば、時間外で働かせる内容が
  日常労働ではなくイレギュラーな作業である必要がある
  ということが通達で定められている。
  従って、36協定があるからと言っても
  日常的に一日8時間以上、週40時間以上働かせることは
  通達違反ということになること。
  この点があまり知られていないので、
  日常的な時間外労働が蔓延している。

4 法は、時間外労働をさせないために周到な準備をしていて
  時間外労働が許される場合でも
  ただ時給を払えばよいのではなく、
  時間外ということで割増賃金を払わなければならないとし、
  この割増賃金を払わない場合にも刑罰の適用がある

こういう制度が労働基準法の労働時間制限です。

では、どうして労働基準法に労働時間制限があるのでしょう。
労働基準法が制定されたのは昭和27年です。
まだ「過労死」という言葉はありません。

しかしながら、労働時間制限が設けられた理由は、
「早死にを防ぐため」ということだったのです。
繊維工業や土木作業において、
長時間労働が行われていて、
肺結核などの呼吸器疾患等で
若者が次々死んでいったという立法事実がありました。
戦争という24時間労働もあったでしょう。

良く、昔の人は朝早く夜遅く働いても長生きした
とかいう人がいますが、
長生きした人だけを見ているからそうなのであって、
実際は、多くの若者が死んでいったのです。

「早死に防止」は、松岡三郎先生という
当時、労働基準法の立法作業に役人として携わった方が
労働基準法の教科書で記載されています。
この教科書も、「過労死」という言葉が生まれる前に著されています。

つまり、労働時間制限は
過労死防止だけの制度ではないということです。

さらに、私は労働分野だけでなく
夫婦問題親子問題も手掛けていますが、
長時間労働がもたらす家庭への影響を
もっと考えるべきです。

親子が一緒にいる時間が少なければ
家族は壊れやすくなるというのが私の実感です。
徳に夫婦はそうです。

さらに、疲労が蓄積していけば
イライラが高まっていきます。
夫がそのような状態だと
妻は必要以上に疎外感を感じ、
危機感に敏感になってしまいます。

長時間労働のある会社は
職場全体が殺伐として生き
無駄な決まり事も増えていきます。
そういう決まり事、社内常識を
家庭に持ち込んでしまうと
さらに家庭はぎくしゃくしていきます。

つまり、長時間労働は、
人間の生命、身体の健康をまもるということと
対人関係の悪化を防ぐということから
人間の安全を守るための制度だと私は考えます。

労働者の健康を守る制度は労働時間制だけではありません。

例えば高所作業の場合は、
ヘルメットを着用し、安全帯を設置すること等が定められています。
もちろん身体生命を守るためです。

もし、その高所作業員が年収1075万円以上だったら
ヘルメットを着用させなくてもよい、
安全帯を設置しなくてもよい
ということになったら、誰でもおかしな制限撤廃だとわかるでしょう。

どうして、労働時間法制だけ撤廃してもよいということになりましょう。

おそらく、高所作業の場合、
ヘルメットや安全帯を着用しないことの危険が
誰でもわかりやすいからなのでしょう。

しかし、時間外労働が多くなればなるほど
死ぬ確率も増えるということは、
ほかならぬ厚生労働省が啓発していることなのです。
厚生労働省は、月45時間以上の時間外労働があれば
過労死になる可能性が高まっていくとしています。

これが、月100時間以上働いても
違法にならないとすることとどう整合するのでしょうか、
年収が高いことと何か関連するのでしょうか。
何も関連しません。
年収が高いからと言って過労死にならないという理屈はありません。

過労死という言葉がなかった時代に
8時間、48時間労働時間制を作った
日本の官僚たちは、先見の明があり、
日本という国を、国民の幸せのための制度にする
という気概が感じられます。

それから、医学的にも進んで、
長時間労働の害悪がいよいよ明らかになってきた今日に
労働時間制度を一部廃止するということは
他の労働法制と全く整合しません。
法律の専門的見地からすれば「めちゃくちゃ」です。

現在進められている高度プロフェッショナル制度は
月あたり100時間を上限としていますが、
過労死認定基準で有害とされている
2週間以上の連続勤務を許しているということもあります。
また、暦の上の月ということですから、
5月と6月で2カ月なので、合計200時間までは良しとされてしまいます。
その結果、5月の後半と6月の前半に時間外労働を命じれば、
30日あたりで100時間を大きく超える労働を
命じることが違法とされなくなってしまいます。

むちゃくちゃの上をゆく悪法です。

このような法律の整合性もなく、
労働者やその家族を追いつめる制度を
国民の税金で生活している官僚たちが進めていることに
どうしても納得できません。

政府は財界の意向を受けてい行っているという報道もありますが
私は信じられません。
労働者に月100時間近く時間外労働をさせる会社で
即ちそういう無茶な労働をしなければならない会社で
長期的に見て反映する会社があるでしょうか。

時間外割増賃金も支払わない会社が多いということは
日本経済が破綻寸前だと考えなければなりません。
われわれが会社が危ないかどうかを見極める指標として、
賃金の不払いや遅延があります。
こういう会社は早期に見限るべきだということが常識です。

日本経済はそういう状態なのでしょうか。
これでは、世界経済の中で孤立していくでしょう。
財界は、自分たちの経済的信用をかなぐり捨てて
何を勝ち取ろうとしているのでしょう。

グローバルな取引をする企業こそ
日本企業の信用失墜を防ぐために
高度プロフェッショナル制度に反対するべきなのです。

このままでは、高度プロフェッショナル制度は成立するとのことです。
一部の動きとして、労働者に解約権を作るとか言っています。
ないよりましかもしれませんが、
そういう対等の立場で解約できないから
労働基準法があるということを理解しない
とても恥ずかしい議論だと思います。

私がこれに反対しないことは、
私がこれまで学んできた労働関連法規、
法律を守るという実務家のキャリアをすべて否定するものです。
だから私はこの法案に反対します。


  
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「高度プロフェッショナル」という名称にまつわる誤解が利用されている [労働事件]


高度プロフェッショナル制度とは
対象者は年収1075万円以上で、
研究開発や金融商品のディーリングなど高度な専門業務
という労働者を対象に、

労働時間の上限を撤廃し、
時間外割増賃金制度の適用も外す
というものです。

「高度プロフェッショナル」という言葉は
誤解を生みやすい効果を狙っての名称でしょう。

あたかも、
自分で自由に働き方を決められる立場の人
という印象を持ちませんか。
こういう立場の強い人であれば、
保護はいらないのではないかと
うっかりすると考えてしまいます。

しかし、こういう人たちは
現在はあくまでも労働基準法の適用を受ける労働者なのです。

つまり、使用者の指揮命令に従って労働をしなければならないので、
自分で勝手に仕事を作って働いているわけではありません。
個人事業主ではないのです。

この労働者と言えるかどうかのメルクマールについては
1985年に労働省労働基準法研究会報告が提唱しているものがあります。
それには、
1 仕事の依頼を拒否できない
2 仕事をする際には、上司の指揮監督に服する
3 労働時間、就業場所は使用者に従う
4 他の人に変わってもらえない
5 報酬の算定方法は使用者が決める
となっています。

つまり、これから、
高度プロフェッショナルの名のもとに
労働時間規制がなくなり、
時間労働が支払われなくなる人たちは
概ね1から5の基準を満たす人たちなのです。

名称に惑わされてはいけません。

では、どうして、そういう労働者には
労働時間の制限があり、
時間外労働をさせる場合に割増賃金の
支払義務があるのでしょう。
これは、違反すると刑事罰の対象となります。
そこまで強く守らせようとしたのが
労働基準法の立場ということになります。

労働時間を厳しく定めた理由は、
労働者を早死にさせないためです。

なぜ、私がそう言い切れるかというと、
官僚として労働基準法を作った人から
私は労働基準法を教えてもらったからです。
松岡三郎先生と言って、
私が教えていただいた当時は明治大学の教授でしたが
私の大学にも教えに来ていただいていました。

その先生の著書に明確に記載されています。

その著書を表した当時は、
まだ過労死という言葉はありませんでした。
労働基準法制定当時も(1947年)
過重労働による脳・心疾患という概念はありませんでした。

但し、戦前も、過酷な労働状況の中で、
結核や肺炎、栄養失調、消耗等で
若い命が失われていきました。
これは常識でした。

だから、当時、
1日8時間まで、1週間48時間まで(現在40時間)と定め、
違法な長時間労働を罰則付きで禁止したのでした。

そうして、時間外労働の場合、
なぜ割増賃金を義務付けたのか
(時給1000円の人は1250円とか)
というと、
コストを高くすることによって
時間外労働を抑制するためでした。

管理職は、時間外労働で割増賃金は尽きませんが
深夜労働(午後10時から午前5時)は
管理職であっても割増賃金がつきます。
深夜労働の危険性
早死にしやすいということから
制限をきつくしたわけです。

この考え方は法律制定当初の考え方だけではなく、
昨年の最高裁判決(平成29年7月7日判決)でも
「労働基準法37条が時間外労働等について
割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは,
使用者に割増賃金を支払わせることによって,
時間外労働等を抑制し,もって
労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに,
労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される」
と明確に述べています。

さて、高度プロフェッショナル制度は
年収が1075万円を超える職種とされています。
これだけ年収があれば、
労働時間の規制が無くてもよいのでしょうか。

これだけ年収があれば早死にしてもよい
ということにはなりませんね。

これだけ年収があっても、
時間外労働を余儀なくされれば、
やはり、くも膜下出血や心筋梗塞、
あるいはうつ病による自死などの危険がでてきます。

これだけ年収があっても
使用者が仕事の内容、どこまでやるか
ということを一方的に決めますし、
賃金の額も一方的に決めます。

労働者は仕事をせざるを得なくなって、
過重労働をする可能性も
大いにあるわけです。

なぜ年収が高ければ
労働時間の規制を外すことができるのか
全く理由はありません。

政府は、裁量労働制の統計がでたらめだったことを受けて
高度プロフェッショナル制度以外の裁量労働制は引っ込めました。
しかし、財界の不満を受けて
高度プロフェッショナル制度は残すと報道がなされました。

結局、
労働時間の規制をする必要性はあるけれども、
財界の要請で規制を撤廃する
という報道だということになります。

財界の要請を受けて
早死にの危険に目をつぶるということです。

厚生労働省というお役所は
労働者の健康や福祉を促進する役所ではないのでしょうか。

ノルマの無い研究開発
労働に従事する時間帯が限定されている
金融ディーリング
そんなものはありません。

労働者の命の危険を分かっていながら要請する財界
労働者を使い捨てなければ企業が成り立たないとすれば
日本は何とも貧しい国になったと言わざるを得ません。
しかし、この制度は
タコが自分の足を食べるような
優秀な労働者を消耗し、
優秀な労働者をそのような業種から遠ざけることにつながりますから、
どんどん兵力が消耗していくだけです。

第二次世界大戦の末期の様相を呈していると思います。
効率よく儲かる仕事に
職種転換をすることを
気が利いたコンサルタントなら勧めるところでしょう。


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大人とは何か。国会議員のパワハラに学ぶ [労働事件]


大人の反対は子どもで、究極には赤ん坊でしょう。
とりわけ人間の赤ん坊は、自分では何もできません。
おなかがすいても、おっぱいまで自力でたどり着けません。
移動がまず無理です。

暑くても、排せつでも、眠ることすら
自分で始末ができません。

大人に気づいてもらうために
泣くわけです。
大人も、ツバメが巣のひなが口を開けて待っているところへ
餌をやるように世話をします。

人間の赤ん坊の対人関係は
他の構成員に完全に依存をして
身体生命の安全と
対人関係的な安全を確保するという関係です。

「成長」とは、
自分の行動可能範囲が拡大していくことです。
それと同時に、
自分の行動を自分で決定して行動したい
という要求も生まれてきます。
これが本来あるべき動物の個体の特性ですから、
当然のことです。

ちなみに、この決定権が阻害されたときの反発が
「反抗」です。

大人になるということや「成長」が
身体の変化についてだけ語られることが多いのですが、
対人関係学的に言えば、
一つは、今述べた自己決定による行動の拡大が「成長」です。

もう一つの「成長」は、
対人関係における自己の在り方の変化です。
これが重要な指標ということになります。
つまり、
赤ちゃんの時は、すべて
例えば家族という対人関係では
親等が対人関係的な危険を除去してくれていました。
自分は、家族という対人関係に対して
何らかの行動で貢献をしていません。

完全に従属的な対人関係です。

少しずつお手伝いをしながら、
家族の一員として行動をするようになります。
同じ行動をしても、
例えば勉強をしていても、
自分のためだけに勉強をするのではなく、
将来の家族のためだったり、
家族の一員として頑張る
等の意識付けがなされることもあります。

家族に何かしてもらばかりではなく、
家族のために何かをするようになるということです。
これが対人関係学的な成長です。

こういう体験を通じて、将来、
親の家庭から独立して
自分の家庭を持つための準備になるわけです。

動物の場合、
本能的ないし生理的に
子別れの時期が来て子別れができるのですが、
人間の場合、
意識的に行わないと
親離れ、子離れができません。
こういうケースも多くなってきました。

一つのキーワードは、
家族の構成員として子どもを行動させることが、
逆に子離れ、親離れを自然にスムーズにするということです。

親がすべてをしてあげることは、
あるいは、親にすべてをしてもらおうという意識は、
子どもが大人に成長することを阻害することになります。

年齢が大人に達してなお、親に依存している生活を続けてしまうと、
なかなか対人関係学的な意味での大人になりません。
それでも、時が過ぎると、親に依存することができない年齢になってしまいます。
こうなると、ようやく対人関係学的に大人になったときにできることは
せいぜい親の介護だけだったということもあり得る話なのです。
その人の一生が老老介護で終わってしまうということです。
もしかしたら、それは親の責任かもしれません。

以上から見えてくる「大人」とは、
「他人に依存することなく、
 対人関係を、主体的に形成していく人間の成長の段階」
を言うのだと思います。

主体的に形成するといっても、
人間は群れを作る動物ですから、
他の構成員と共同作業をする
という特質があります。

共同作業と依存のどこが違うかということは、
共同作業は、相互に相手を尊重しながら、
それぞれが自己決定した行動を共有します。

依存は、決定過程に一方の意思しか反映しません。
他方が自分で何かを決めることは許されません。
一方が結論を求めて他方が従うという構造となります。

赤ちゃんがおなかがすいたからおっぱいをあげる
というのは、
赤ちゃんの決定、つまり、「自分のおなかを満たせ」という結論の求めに
親が対応しているということになります。

行動を決定する者、結論を求める者こそが、
実は依存者なのです。

最近実録音声が公開された国会議員のパワハラは、
パワハラ加害者の幼稚性を
実にわかりやすく示しています。

この場合、結論を求めている方が
国家議員でした。
国会議員が秘書に依存していたと評価されるべきです。

過去の誤りをなかったことにしろという
典型的な無理難題の結論を
秘書に押し付けていたわけです。

実現不可能な結論を求めて、
攻撃を繰り返すところに
パワハラの特徴があります。

厳密な意味では不可能ではないにしても、
実際それを遂行するのは著しく労力がかかる
ということも似たようなことですね。

被害者は、途方にくれますが、
対人関係的な危険を強く感じ続けるという状態で、
生理学的に言えば、
生命身体の危険を感じ続けるということと
同様の反応を人体は示しています。

人間にとって、
心身共に極めて有害な出来事なのです。

赤ん坊が親に泣きつくのは、
赤ん坊だから許されるし、
泣いている声も可愛いと思います。
(だからなぜ泣いているのかわからないと
 不安になったり怒りを覚えたりします。)

大人が、特に権力を持っているものが
赤ん坊の様に結論だけを求めて
喚き散らすことは
むしろ犯罪として取り締まりたいくらい危険なことなのです。

それでは、同意対応をすることが
大人の対応なのでしょうか。
理想的な上司の対応を検討します。

部下が、ミスをした場合。
不問に付すこともできないとしたら、
先ず、このミスから、どの程度の実害が生じるのか
冷静に分析をします。
そうして、その実害を克服する方法、
むしろ、ミスを活かす方法を検討するでしょう。

そして将来に向けて
どうしてそのようなミスが生じたかの原因を分析する必要があります。
気が緩んでいたとか、そういうことでは安定した仕事はできません。
具体的にミスの生じた構造を分析し、
将来ミスを繰り返さないために、
具体的な対策につなげなければなりません。

仕事とはそういうものです。
繰り返されるところに業務の特徴がありますから
繰り返さないこと
改善することを見つけて将来さらにプラスを目指すチャンスなのです。

日本の風土はもしかしたら
「ビジネスチャンスになるミスの活用」
という発想が無くなってしまったのかもしれません。
「損して得取れ」という日本古来の発想です。

叱責や懲戒が、
当人だけでなく、職場という対人関係全体の将来において
プラスになるのでなければ意味がありません。
デメリットしかないのです。

部下の有能さ、上出来の結果だけを求めるというのは、
無能な上司の言い訳にしかすぎません。

「部下に緊張感を持たせる仕事」
「重石、ないしプレッシャーを与える仕事」
ということで割り切る会社もあるようです。
早晩、会社は先細りになるでしょう。

緊張やプレッシャーは良い仕事をするための要素になります。
しかし、それが高度になったり持続することで
自己決定力が落ちていき、ケアレスミスも増え、
結局デメリットしかないからです。

人間の緊張の持続には限界がある
という当たり前のことに目をつぶり、
緊張によって成し遂げる結論だけを求めている
幼稚な労務管理ということになります。

幼稚な労務管理は、
自発的な活動や、自主的な考察、
独創的な発想を奪います。
要するにモチベーションが低下するわけです。

ボランティアの支援者たちだって、
人を支援する場合には人間とは何かを考えるというのです。

他人と交流して利益を上げようという企業が、
人間とは何かを考えずに、
結論だけを求めて泣き叫ぶ赤ん坊の状態では
業績が上がらないことは理の必然だと思います。

まして、
国の在り方を決める国会議員が赤ん坊状態で泣きわめいて
権力を振りかざしているとしたら、
その国の将来はどうなることでしょう。

【シリーズ最低】過労死予防を口実に解雇制限の緩和を主張する水鏡推理Ⅵ [労働事件]

結構好きで読んでいたのです。
松岡圭祐の水鏡(みかがみ)推理シリーズ
東京出張とかの新幹線の往復で
ちょうど読み終わるような(途中昼寝して)
分量ですし、
ややむちゃくちゃな展開でも、
なんとなく応援したくなる主人公と
頭の体操的なパズルがはめ込まれていて、
癖になるような感覚でした。

シリーズ6作は、
過労死やブラック企業問題に取り組んだといううたい文句の宣伝が
5作を読んですぐ新聞に載ったので、
ちょうど東京出張もあったし、
買っておいたのでした。

途中まで読ませる文章はなかなか見事で、
過労死を取り上げた小説ということで
どこかに勝手に書評を挙げようかと思っていました。

ところが、今回は
オチの部分でがっかりしました。
あまりにもそれは無いだろうというオチ
トリックの解明ではなくオチ。

結局主として主人公だけが騙されていて、
主人公のためだけに仕掛けられたトリックを
主人公だけが引っかかって、

およそ、財務省主計局の官僚が
そのような行為をするわけがないという
しかも、医師や警察官の話を信じて
自分は何も考えずに自分の将来をふいにするような行為をした
というのですから、お笑いも良いところでしょう。

そして、およそありえない偶然でその場所に訪れ、
時間的にもその他の物理的条件も無視して、
その場で確保するという
あの夢中になって読んでいた何時間を
返してほしいと切なる願いを抱かせられます。

シリーズ最低のつまらなさです。
おそらく、別のテーマの作品で用意されたトリックを
無理やり、水鏡シリーズに突っ込んでしまった
のではないかと思うくらい不自然さと
これまでのシリーズとの違和感を感じます。

それだけなら、わざわざこのブログを書かないわけで、

過労死を扱ったと言いながら
過去の回想の事件以外
過労死案件が出てこないこともよいでしょう。
どうせ書けないでしょうから。

また、過労死の把握についても、
インターネット記事だけで構成しているのもよいでしょう。
あまり目くじらを立てると誰も過労死を取り上げなくなるでしょう。

過労死バイオマーカーなんてものが
今回の発明というシリーズのキモなのですが、
そんなもの作ったら、
マーカーの基準値に達しない者が過労死ではないという
排除として使われるということも
作中でも批判されていますから目をつぶります。
私は、

一番許せないのは、
ストーリーの進行の上でも、
登場人物の動機の上でも
何の関係のないとってつけた
過労死防止の方法が
開陳されていることです。

そのキモとして強調しているのが、
過労死を防止するために
解雇制限を緩和して解雇を認められやすくしようというものです。

要するに、
解雇が認められないために
あたらしい人を雇えないのだと、
景気が悪くなったら人件費がかさむからと、
だから、現状のスタッフで残業をさせて
その結果が過労死だというのです。

馬鹿も休み休み言えと。

現在正社員と非正規社員の格差が激しく、
正社員のテーマは解雇されないことです。
簡単に解雇が認められるようになれば、
解雇されないように、
パワハラ上司におもねるようになるし、
自分が解雇リストに入らないように
自主的に、残業代返上で
働くようになるでしょう。

そもそも、解雇制限が厳しくなった昭和と
派遣労働者や有期雇用労働者が多くなった平成と
どちらが過労死が多いか考えてみれば、
解雇制限と過労死は全く関係がないことが
一目瞭然だと思います。

また、国を挙げて、
3月を自殺予防月間と定めています。
派遣切りや有期雇用労働者の雇止めが3月に行われるので、
自殺と関連しているということをみんな認識しているからです。

雇用不安は自殺を招くのです。

過労死しなくても自死すれば同じことです。

今回の冒頭
劣悪な労働環境による過労死が根絶されることを強く願う
ととってつけたように記載されています。

そのくせ、過労死事案だとされたのが
狂言と統合失調症の厳格だというのがオチなのです。
狂言は、過去に過労死で同僚を亡くした人たちが
過労死予防のために荒唐無稽な犯罪に手を染めるというのですから、
過労死を亡くそうというすべての人たち、
厚生労働省をはじめとする省庁、
もろもろの人たちに対する冒涜だと感じました。

これは、特定の意図を持った人たちによって
急きょ作られたプロパガンダだというのであれば、
オチのつまらなさ、とってつけたような過労死
ありえない設定と解決
すべてがつながります。

結局推理小説自体の冒涜なのでしょう。
とても残念です。

ただ、明るい要素もあります。
どこかの特定の人間たちが、
過労死予防を口実に、
労働者をさらに追い込む制度を作ろうとしているということです。
その手口を前もって教えてくれたということかもしれません。

また、この提灯記事を書いて宣伝している人たちを
警戒すればよいということもよくわかりました。
作者の良心によって
オチの荒唐無稽さとその後の蛇足的な文書の中で
まともな人はがっかりしているところで
このプロパガンダをはめ込んで、
あまり影響力を持たないように周到に工夫されている
ということでしょうか。

次も買うとは思いますが
しっかりした構成の作品になることを願っています。

外国人労働者問題における国際労働基準と国内ワークルールの確立の視点を語り継ぐ 上野千鶴子さんの「この国のかたち」に寄せて [労働事件]

中日新聞の
「この国のかたち 3人の論者に聞く」
というインタビュー記事の
上野千鶴子さんの発言が話題になっております。

この発言を契機として、
様々な方がご発言されていて、
大変勉強になりました。

上野千鶴子発言の前提を覆す。そもそも日本は移民にとって魅力的な国なのか?
は、古谷有希子さんという方の文章ですが、
移民や入植についての考え方を知ることができました。

移民問題は、「選択の問題」か?--上野さんの回答を読んで 岡野八代

は、シティズンシップ(国籍・市民権・市民であること・市民としての資格・市民らしいふるまい、などの意味)
という考え方を知ることができた貴重な体験でした。
国籍とは何か、国籍と人権ということを
考えさせられました。
人権について、自然科学的なアプローチをする
対人関係学からは、大変興味深い学問分野だと感じました。

このような貴重な、質の高い議論が寄せられるというところに、
上野千鶴子さんの影響力があるのだなと
実は、改めてかんしんしました。

質の問題では自信がないのですが、
昭和の時代に労働法を学んだものとしては、
外国人労働者の問題で議論する際の視点を提示しなければならない
という思いで書いています。

それがもう40年近く前のことなので、
松岡三郎先生だったか沼田稲次郎先生だったか
おそらくお二人ともおっしゃっていたのではないかと
いう記憶もおぼろげながらにあるのですが、
頑張ってみます。

第1に、国際労働基準の確立という問題です。
外国人の労働力の流入については、
国家間の経済格差を背景としていることが多くあります。
あると断定するのは、私の関わる事件において
ということになります。

自国においてきた家族を養うために
日本に来て就労しているという方と
仕事がら接することが多くあります。

国家間の経済格差は、ある程度やむを得ない
という議論もあり得るでしょうが、
この格差を生むことに
あるいは、格差に伴う苦痛を感じることに
日本が関係する場合があります。

日本法人が、外国に現地法人を立ち上げて、
現地の国民を
低賃金、過重労働で働かせて
人権を無視した扱いをしたような場合です。
これが直接的関与ですが、
日本ないし、グローバル企業に都合の良い役割を
その国に押し付けて、産業構造を硬直させている場合も
日本に責任がある場合になるでしょう。

このような問題
特に、経済的先進国にいいようにされてしまうことを避けることも含めて、
国際的な労働基準法を作ることが必要だ
ということを大学時代に教わりました。

外国人労働力が大量に流入することは、
当時から予想されていたことだったのです。

当時は、おおきな電機工場が、
アジアに工場を作ると言って
日本人労働者を大量解雇したという事件が問題になっていました。
私の愛国心は大いに刺激されました。

税金が高い、労働力が高い
だから外国に移転するということが
そう簡単に是認されることなのでしょうか。
愛国心的立場に偏っているかもしれませんが、
日本企業の愛国心には、それ以来疑問を持ち続けています。

もう一つの視点は、国内の労働条件の問題です。
これは、私が実務的に感じていることです。

要するに、外国人労働者がほとんどの職場には
日本人がいないか、ごく少数です。
なぜ外国人労働者がいるのかという問題は、
なぜ日本人労働者がいないのかという問題です。

例えば、居酒屋チェーンは、
外国人労働者がほとんどです。
かなりの低賃金で深夜労働をさせられています。

コンビニエンスストアでも、
外国人名の名札を付けている方が増えています。

おそらく、
日本の物価を前提とした賃金額の感覚と
外国の物価を前提とした賃金額の感覚の
ギャップで持っているということ等が
背景となって成り立っているのではないでしょうか。

すべての外国人労働者が多い職場で
このような問題があるとは限らないでしょうが、
日本の労働市場の在り方自体の問題も
外国人労働者の流入に大きな影響を与えていることは
間違いないようです。

よその職場だから、
安いと便利だから
ということで、
自分の関わらない職場でも
自国の職場には、厳しい視線を与え続けなければならない
という理由があると思います。

先に引用した論者の方々は、
外国人労働力の流入を受け入れるかどうかは、
国民が決めることではないということを発言され、
衝撃を受けました。

ただ、私の提起する二つの問題からの視点としては、
外国人労働力の流入や活用は、
日本の企業が、
日本人の失業や生活維持に興味を払わずに
できるだけ安いコストで企業運営をしたい
という動機から実行されている
という側面があるということです。

外国人労働力の流入は、
庶民の問題ではなく、
日本企業の問題なのだということです。

日本人は、やがて自分や自分の身内のことになるのだから、
国内の労働現場の実態に関心を寄せるべきだ
ということになると思います。

その延長線上に
国際労働基準の確立という問題が
根本的な問題としてあるということを
誰かが伝えなければならない
という語り部的意識で書いています。

さて、上野さんは、
みんなで一緒に貧しくなろうということを
提起されているようです。

私の視点からすれば、
みんなで一緒に貧しくなるということは、
このような効率優先に偏った企業活動の問題を放置することですから、
貧しさに歯止めがきかなくなるし、
外国人労働力の流入が加速度をつけて増加するだけの話です。


一貫して自分たち以外の人たちを受け入れないという視点は、
及び原因や理由がある事を直視しないで、
他者をそういうものだというように決めつける論法は、
結局、
「グローバリズムのお手伝いさん」であるということになるわけです。
ナンシーフレーザーの主張は
こんなところでも実証されてしまっている
ということを悲しみをもって指摘させていただきます。

その雇止めは無効ですよ。有期雇用の18年問題。念書は書かない、書かせない。 [労働事件]

ちょっと、学習会でお話しするため、
例によって、何を話すのか準備のための記事です。

1 有期雇用労働者の始まり

今問題になっている有期雇用労働者は、
正社員と同じ仕事をしているのに、
毎回契約更新を拒否(雇止め)されるのではないかと怯え、
賃金も低く、昇給も賞与もない、あるいはないに等しい
そういう人たちのことです。

こういう形態を意識的に始めたのは
高度経済成長期ですから、
いまから40年以上前のことです。
好景気でイケイケどんどんの量産体制に入り、
企業が労働者をどんどん雇わなければなりませんでした。

ところが、企業の方も、
このままこの景気が続くわけはないという観点から
本当に採用を拡大し続けても良いのだろうか
という不安を抱きました。

それというのも、ちょうどそのころまでに
裁判例で、
労働者を自由に解雇できないという法理が確立し、
ひとたび雇うと定年まで雇い続けなければならない
という覚悟が必要になっていました。

採用して生産を拡大したいけれど、
景気が悪くなったら人余りで労務倒産になる
という危機感から新しい雇用形態が生まれました。

それが、有期雇用労働者と
当時は職業安定法違反の派遣労働でした。

その中の有期雇用労働者とは
もともと3カ月から1年の労働契約と決めて
契約期間が満了したので終了するのであって
解雇ではないという論法が通用したのです。

なぜ、1年以下かというと
当時の労働基準法は、
契約期間を定めるときは
原則として1年までと定められていたからです。

最近原則3年以下となり、
特別な職種は5年までの契約期間と定められています。

念頭におかれているのは、
期間限定のスポット的なプロジェクトに従事する場合です。


2 裁判例の展開

問題意識として、正社員と同じ仕事をしているのに
雇用は不安定だわ、収入は低いわで、
あまりにも不平等ではないかという意識がありました。

また、実際は、何度も更新されて
その更新も形ばかり、あるいは自動更新という
あからさまなものも多かったのです。

これには歯止めをかける必要がある。
普通の人たちはそう思うようになるわけです。

先ずは、東芝柳町事件で、
名ばかり有期で、形式的にも
ほとんど無期契約だという場合
更新拒絶をする場合には解雇と同じように
厳重な要件を満たさなければならないと
最高裁判所は判断しました。

次は、日立メディコ事件です。
東芝柳町事件が昭和49年判決で
こちらは昭和61年判決ですが、
その間に、コンサルが暗躍し、
とにかく形だけでも更新手続きをしなければならない
ということを触れまわしました。

その結果、企業も、ヒアリングをしたり
履歴書を出させたり
契約書を作ったりと
手続的に更新をする形を整えました。

しかし、形だけという場合も多かったようです。

そこで、実質的に無期と言えなくとも
更新を期待するような事情があった場合は、
更新拒絶に解雇法理を類推適用させるという
最高裁判決が出ました。

ほぼ、この二つの判決で、
裁判実務は確立したと言えましょう。

3 行政指導の確立

二つの判決を受けて、厚生労働省は平成15年
「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」20年改訂
という通達を出しました。

いろいろ場合わけがなされているのですが、
要は、
更新される期待が強い場合は、
雇止めが無効になりますよ
ということを徹底したわけです。

4 更新の期待が高くなる事情

従事する仕事の内容、勤務の形態、
利用できる施設なども差異がない
要するに、スポット的な助っ人ではなく
正社員と同じなら更新の期待も高くなるでしょう

更新手続きや、判断が形式的であり、
ここで拒絶される実質的理由がないという場合は
やはり期待が高まるでしょう。

個別事情として
あなたは更新を予定しているから就職活動をしないでねとか
事業計画で、その人が働くことが前提として予定されているとか
そういう場合も当然更新を期待するでしょうね。

同じ職種の有期労働者が更新されていることが普通で
当人にも落ち度がない場合も
更新されるよねと疑わないでしょう。

5 更新を拒絶される労働者側の事情

これまで判例で更新拒絶が認められた事例では
大学の兼任講師の事例がありました。
これは、そもそも大学の兼任講師は
社会通念上更新を繰り返すことが当然ではないと判断された上、
その人は、本職が別にあり、
その講師活動に収入を依存していないという事情が考慮されました。

同種事案としては大学進学塾の塾講師でした。

まとめると、
その人がむしろ高収入を得ていて、
その人の個性に着目した採用形態であり、
労働者性が強いとは言えない場合、

その職種自体が、ひとところに定住せずに
転職をしながらスキルアップをするような
流動可能な職種の場合
ということになりそうです。

6 ではさらにまとめて、何が根幹なのか

有期雇用とした意図・目的が合理的なものか
つまり、期間を定めることが合理的な職種か
つまりつまり、「必然的な理由がある有期雇用」
なのかということだそうです。

これに対して、雇用を打ち切りやすくするだけの名目的有期雇用は、
雇止めが無効になりやすいということになります。

7 念書の問題

労働契約法18条は、
有期雇用契約が更新されて通算5年となった場合は、
労働者が申し込みさえすれば
期限の定めのない労働契約になり、
厳格な解雇制限法理が適用されるとしています。

これには猶予期間があり、
この効力が発行するのは
2018年、平成30年です。

特に、名目有期雇用を導入している企業は、
これでは解雇ができなくなると
焦っているわけです。

そこで、労働契約法18条の適用を受けないように、
現在、
ただそれだけの理由で、雇止め(更新拒絶)を
している例があるそうです。

また、雇止めはしないけれど
今回の更新で最後とし、
次回は更新しませんと
労働者に念書を出させる企業が出ているようです。

先ず、それだけの理由での雇止めは、
多くが、判例や行政の基準に照らして
無効な雇止めとなるでしょう。

有期労働者の権利を向上させるために作った労働契約法で、
かえって労働者の雇用が不安になるということは
国にとっても噴飯物で、許されることではありません。

最近の安倍内閣の同一価値労働同一賃金への流れにも
全く逆行しています。

国を挙げて、制裁がなされることでしょう。

第2に念書ですが、
実は、これは必ずしも有効になりません。
念書があったとしても、
強行法規ということでもありますので、
他の要件が整わなければ更新拒絶は無効となります。

しかし、労働者自身が
念書を書いたということから
心理的に負けてしまい
権利を行使しなくなるということは大いにあるでしょう。

念書を要求されたら、
先ずは、労働契約法を知っている弁護士や
とにかく頑張る事例の多い労働組合に相談するべきです。
会社に労働組合がなくても
一般労組や合同労組という地域労組で
相談に乗ってくれます。

8 自分の雇用をどう守るか

最後にいろいろな知識も大事ですが、
心構えというかスピリットというか
もしかしたそちらの方が大事かもしれません。

それは、自分の主張こそが正当だと
確信を持つことです。

労働者の権利なんて
最初は何も認められていませんでした。

でも自分の主張が認められなければ
自分「たち」労働者の生活は成り立たない
という正当性の確信が

自分たちの主張が法的にも正しいという
規範意識に高まり
労働者の権利は承認されてきたのです。

そのためには、
苦しい、つらい、不安だという
そういうことを安心して言える仲間を見つけることです。
仲間が増えれば知恵も勇気もわきます。
冷静に志向をすることができるようになりますし、
何とかなるんじゃないかという余裕も生まれます。

その中で語り合ってください
漠然とした不安や苦しさを言葉にすることによって
初めて何が正しいか
どうあるべきか
そしてそれはわがままではなく、
正当性を確信する
私「たち」や社会全体の利益なのだ
ということに気が付くでしょう。

9 国、自治体へのお願い

こういうことで、国家法が
一部の企業によって捻じ曲げられ、
雇用不安が増大し
せっかく減少した自死が増加する危険が現実的になってきています。

先ず、自分たちが雇用している有期雇用労働者について
18年問題に絡めて雇止めにすることをやめてください。

国の政策、無期への転換を
公的団体として積極的に受け入れてください。

そうして、
関連団体の企業にも
不当な雇止めがないように目を光らせてください。

議会はくれぐれも監視してください。

10 労働組合にお願い

即刻、18年問題のプロジェクトを組んでください。
これは国の政策を労働組合が後押しするのですから、
労働運動の別にかかわらず、
何らかの緩い共闘を組んでください。

この問題で啓発活動をしないのならば
ナショナルセンターを名乗る価値がないと思います。

必ず、すべての有期雇用労働者に
情報を届けてください。

心よりお願い申し上げます。




なぜ、御社のハラスメント講習がつまらなく役に立たないのか 保身目的から前進目的への転換のご提案 [労働事件]


ある国の機関で、幹部級の方々を対象に
ハラスメントの講習で講師をしました。
そうしたところ、それ程間を置かないで
今度は中間管理職級の方の対象の講習のオファーがありました。
別の講師の直前キャンセルがあったのだと思いますが、
前回のお話が好評だったとすれば、うれしい限りです。

なぜ私へのオファーだったのか
お話を聞くことができました。

ご回答は
通常のハラスメント研修は、
判例を紹介して分析する講習なんだそうです。

なるほどと思いました。
それは、役に立たないしつまらないだろうなと。

結局、ハラスメントの実態を知らない人が
ハラスメントについて何か話せといわれたら
そんなことしか話せないということになります。
そんな人に頼む方も頼む方ですが、
引き受ける方もどうかと思います。

<なぜ判例研究が役に立たないか>
判例研究でも、年代を追って全体の傾向を分析すれば
それなりに面白いのですが、
そのためには、労働者のハラスメントと
子どものいじめや指導死の判例と
総合的に見ていく必要がありますし、
予見可能性や相当因果関係といった
法的知識がなければ聞いてて面白くないものかもしれません。

そういう知識がある講師であっても
判例に出てくる極端な事例は
実際の職場では参考になりません。

こんな話をしても
うちの職場はここまでひどくはない
ということで終わってしまうでしょう。

あとは、ああひどいことをする人もあったものだ。
自己愛型パーソナリティという特殊な人に
出会わないようにしよう
という感想がせいぜいでしょう。

これではほとんどの職場は
講演の後と先とでは何も変わらないでしょう。
私から言わせれば「それもパワハラだ」というようなことをやっている人は
「まだ、もう少し厳しくできる」
なんてことを言いだしかねないでしょう。

その結果、裁判の事例と同じようなパワハラはやらなくても
グレードとして同程度のパワハラを行い
被害者に取っても会社にとっても最悪の結果がおきて、
世論の厳しい批判にあったりするわけです。

結局、何を話してよいのかわからない講師がパワハラの話をすると
パワハラで部下が自死することによって
上司が懲戒処分を受けないようにとか
会社が裁判に訴えられてマスコミの餌食になったりとか、
そういう保身的な目的の
パワハラ講習になるしかないようです。

ハラスメント講習は、
本来企業の生産を上げるための
積極的な攻めの姿勢の研修であるべきだと
私は思います。

パワーハラスメントとかハラスメントの
本当の意味を知れば、
実は、日常的に多少のハラスメントが
職場内に存在していることに気が付くでしょう。

そして、部下を傷つけている上司は
決して人格異常者ではなく、
平均的な人格の持ち主であります。

平均的な上司が、立場や状況によって
パワーハラスメントを起こしてしまう
そういうことが実態ではないでしょうか。

だから、
それらをすべて、懲戒処分だとか
訴訟対策だとかという対象にしていたら
人間関係なんて成り立ちません。

そうかといって放置してしまえば
被害者の精神状態が悪くなるだけでなく、
職場全体の雰囲気が悪くなり、
みんな上司が気に入らないだろうことは隠すようになり、
失点を恐れて積極的な行動を起こさないようになり、
指示を待つ人たちばかりになるわけです。

パワーハラスメントが日常的に蔓延している職場は
きわめて生産性が低い、
無駄な経費が掛かりすぎている職場になります。
また、誰も被害者がいないのであれば、
上司自身が過労死する職場でもあります。

ハラスメントだからと言って
懲戒や追放の対象とばかりしてしまうと、
なかなかハラスメントと認定できなくて
ハラスメントは結果として蔓延します。

ハラスメント行為をしないための
また、窮屈にならないための方法を提起するべきです。

しかし、
パワハラを無くすためには、
何がパワハラに該当するのかを覚えて
それをしないようにする
というだけでは到底足りません。

ハラスメントのない職場ということで
マイナスからゼロを目指すのではなく、
ゼロの先のプラスを目指すことによって
通過点においてハラスメントが無くなっている
そういう提案がベストだと思います。

積極的に従業員を尊重していくことが
どうしても大切なのです。
そうして、一人一人の従業員が、
自分が尊重されることによって
活き活きと働き、主体的に積極的に
喜びを持って行動し、
創意工夫あふれる職場にするということです。

ハラスメント講習とは、
職場における人間関係形成講習であるべきだと
私は思いながら
お話をしています。

会社のパワハラ防止規定がなぜ役に立たないか [労働事件]

大きな会社では、パワハラ防止規定とか防止基準とかが
定められています。

さて、このような規定や基準が作られて、
職場は快適になったでしょうか。

最近大企業の事例を目にすることがあり、
もしかすると、ほとんど役に立たないのではないかと
要らぬ心配をしているところです。

一つはパワハラの定義ですが、
厚生労働省の6類型を参考にして作られているようです。
1 身体的な攻撃(暴行・傷害)
2 精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)
3 人間関係からの切り離し
4 過大な要求
5 過小な要求
6 個の侵害(プライベート侵害)

厚生労働省の解説では、もっとわかりやすく
身体的な攻撃の中に、丸めたポスターで頭を叩く
等と言う具体例も例示されています。

しかし、この文言だけからすると
明らかに犯罪に該当するような行為しか
パワハラに該当しないように読めてしまいます。

実際にそのように運用されています。
脅迫・名誉棄損・侮辱等は犯罪ですから
わざわざ防止規定に掲げなくても
ほとんどの会社では懲戒処分の対象だと思います。

なまじ例示を入れることによって、
ハードルが高くなり、
パワハラが認定されにくくなっているようです。

なんといっても、
「暴言」は明らかにパワハラでしょう。
どうして「ひどい」暴言だけをパワハラにする
ような表現になっているか理解に苦しみます。

是が非でもパワハラを認定しないぞと
そういう心構えを見せられているような
感想さえ持ってしまいます。

いや、このようにハードルを高くすることには
実は理由があるのです。

それは、パワハラだからどうだというところです。

パワハラの改善ということを
あまり積極的に取り組まれていない。
パワハラを起こした場合は懲戒処分にする(ことがある)
という制裁のために概念になってしまっているのです。

このため、懲戒処分の要件として
悪質なものだけを
パワハラとしなければならない
という変な力が働いているのです。

パワハラ防止規定の目的を見ると笑ってしまいます。
従業員の能力発揮と職場の秩序が目的なんだそうです。

コンプライアンスではなく、
企業の利潤追求のためにパワハラ防止規定を設けるというのです。

従業員が安心して会社の生活を送る
従業員の人権なんて言うことは
目的ではないという会社がずいぶん多くあるようです。

これでは、パワハラはなくならないでしょう。
だって、
企業の利潤追求のために
許されるパワハラも出てきそうじゃないですか。

少なくともパワハラが行われた場合
懲戒処分だけを念頭におかず、
従業員相互の助け合いとか、安心感とか
そういうことを目的にして、
穏便な改善指導ということも
積極的に具体化するべきです。

そうでなければ、
相手を懲戒処分にしたいと思う人しか
パワハラの相談ができないという事態になりかねません。

これではパワハラ防止規定は
単なるアリバイ作りになってしまうのではないか、
本来刑事処分になるべきところを
社内で握りつぶす効果しかないんじゃないかと
邪推している次第です。
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