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調査官調査に対して子どもが別居親に「会いたくない」と言う理由 [家事]



例えば母親が子どもを連れて家を出て実家などに住みだして
子どもを父親に会わせない状態となってしまうと
父親の方は、面会交流調停といって、
子どもに会うためのというか、
子どもを父親に合わせて安心させるための
調停を家庭裁判所に申し立てます。

母親が子どもを連れて家を出て
父親に会わせないために
調停が申し立てられるわけですから
母親は父親に対して並々ならぬ
敵意というか、嫌悪というか、恐怖というか
マイナス感情を持っていて
子どもを父親に会わせたくないことが多いです。

そうすると、会わせるか会わせないという
消耗な議論になってしまうので、
家庭裁判所は
調査官という専門官に子どもの様子を調査させます。
子どもから意見を聞く手続きですが、
小学校低学年くらいまでは
子どもの意見を聞くというより
現在の様子を調査するということが多いようです。

それでも、子どもがそれ以上の年齢だとか、
積極的に発言をする意欲を示している場合は、
子どもが父親等別居親に会いたいかについて
発言させることがあります。

その時、よほどのことがない限り、
子どもは別居している父親に
「会いたくない」と言うものです。
あるいは「どっちでもいい」等投げやりな発言をします。

その発言が調査官報告として
記録に残りますから、
同居親は、鬼の首を取ったように
子どもを父親に合わせることは
「無理だ。時期尚早だ。」と拒否するわけです。

しかし、
子どもは別居親に会いたくないわけではなくとも
「会いたくない」と言うものだということを
心得ておく必要があります。

子どもが会いたくないといったということを理由に
子どもを別居親に会わせない等ということをしてしまうと、
自分が父親に会わないのは自分が会いたくないと言ったからだと
子どもに責任を負わせてしまうことになってしまいます。

これでは子どもが
将来的にも自責の念を抱き続けてしまう危険があります。
大人は、子どもの胸のうちを理解して、
障害がない限り子どもを別居親に会わせる努力をしなければなりません。
同居親は会わせたくなくても我慢しなければなりませんし
別居親は悔しくても同居親が少しでも安心して会わせるために
安心させる工夫しなければなりません。
裁判所や法律関係者は、
子どもの将来を考えて、別居親と健全な関係を構築するために
双方に強く働きかけなければなりません。

面会交流調停は子どものためにあるものですから、
大人の感情で子どもが別居親に会えなくなったら
取り返しのつかないことになる危険があります。
説得をしなくてはならない
ということになります。

さて、なぜ子どもは別居親に会いたくない
と言うのでしょうか。

一つは、現段階(調査時)の子どもの記憶の問題があります。

調査官調査の段階における
子どもの別居親に対する記憶は
当然ながら同居時のものです。
同居時の記憶とは、
父親と母親がいがみ合ってけんかをしているという記憶です。
子どもにとってはいたたまれないとても嫌な記憶です。

その時のことを再現したくありません。
自分の父親と母親が喧嘩をしている
何とも言えない不安な、恐ろしい気持ちになりたくありません。

その嫌な記憶は、父親に会うことを躊躇させます。

夫婦喧嘩は、大体は双方に責任があるのですが、
子どもはどちらが悪いかなんてジャッジはしませんし
させてはいけないわけです。

子どもは、実は母親と父親が別の人間だということを
はっきりと理解できているわけではなく、
二人そろって一組の「両親」というユニットだ
くらいの感覚を残していることが多いようです。
もともとどちらが悪いという発想にはなりにくいようです。

ただただ、穏やかに和やかにいてほしいという
結果だけを求めています。
子どもですから当然でしょう。

ここまでは分かりやすいと思いますが、
問題は、
同居時の嫌な記憶があるとしても、
同居している親と「一緒に暮らしたくない」
等と言う子どもはめったにいません。
別居親だけに拒否反応を示すわけですから、
ど素人は、「別居親が悪くて同居親が悪くない」
という判断をしがちです。

しかし、これは単純に同居しているか別居しているかの
それだけの違いを反映しているだけのことがほとんどのようです。

もともと子どもは、親というものに対して
緊張感と安心感を抱くものです。

基本的には、自分は親から見捨てられないという安心感を抱いており、
それでも、悪いことをして叱られると
恐怖感や不安感をもつものです。
そうやって、群れで過ごすルールを覚えていき、
ルールを守って過ごすことで
安心して生活をすることを覚えていきます。

このため、一緒に過ごしていれば、
多少叱られたり、あるいは逸脱行為があったりしても、
一緒にいる安心感も同時に味わうことができます。

虐待されている親に対してだって
一緒に住んでいることで安心感を得ています。
群れにいるということで安心感を持つ
人間の特性なのでしょう。
親の良いところを探してでも
安心したいのだと思います。

平成14年に広島で母親と祖母に虐待されて
10歳で死んだ女の子も
亡くなる直前に自分を虐待している母親に対して
「お母さんありがとう。大好きだよ。」という手紙を書いています。
この気持ちは本当だと思います。
だから痛ましいのです。

子どもは虐待されても
同居親に拒否反応を持てないということを
記憶しておく必要があります。

つまり、嫌なことはあるけれど
一緒に住んで生活を続けているのですから、
安心したいという本能が優先しますから
子どもは同居親に対して拒否反応を示すことが
なかなかないのです。
また、前回の記事のように、
同居親と一緒に住んでいるので、
叱られても何とかなっているわけですから
日々不安が解消されながら緊張を解決しているわけです。
それが一緒に住んでいるということです。

ところが父親の記憶は、過去のものです。

一緒に暮らしている人間に対する記憶ではないので
安心の感覚を持つ要求が生まれません。
同居バイアスがかからないと
別居親についての記憶は、
夫婦喧嘩をしているときの記憶となってしまうことは、
記憶というものが危険を記憶して
危険に近寄らないためのものだという
その本質からも理解できるでしょう。

特に母親が感情的になり、
父親が理路整然と母親を論破して
母親がさらに感情的になれば
子どもからすれば
父親が母親をイジメているという記憶にしかなりません。

また、厳格すぎる父親の場合は、
しつけが厳しいために
子どもたち自身が父親から叱責されて
困惑しているという記憶が先に立ってしまいます。

別居親の方が、自分についてのお子さんの記憶について
楽しい記憶が先ず出てくるだろうということは
記憶のメカニズムからするとあまりにもロマンチックで
現実味がありません。

したがって、別居している子供が抱いている
別居親に対する記憶は、
同居親を攻撃している目撃記憶、
叱られて困惑している困惑ないし恐怖記憶
つまり緊張の記憶がまず出てきてしまいます。

別居親がしつけに厳格で同居親がフォローする役割分担だった場合は
むしろ別居親と一緒にいないことが安心の材料だ
ということになっている場合も結構あるようです。

このときに、別居親に会いたいかと尋ねられたら、
まず、緊張の記憶が出てきますから、
「今は会いたくない」
ということが自然なことなのです。

実際はどうしても嫌というわけではないのですが、
緊張が先に立ってしまいますから
会うことが「しんどい」ということがリアルなのでしょう。

ここは前回の記事でも分析しています。
「長期休みの最終日が辛い理由」
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2019-01-28

さらには、子どもの後ろめたさという事情もあります。
早い子の場合は就学前の6歳くらいから、
子どもは、
同居親と一緒に生活していることが
つまり別居親と生活していないことが
後ろめたい気持ちになっているようです。

別居親と久しぶりに再会したとき
別居親に謝るお子さんを目撃することがあります。
とても痛ましい光景です。

動物は、無意識に自分を守るものですから、
この後ろめたさを合理化するために
別居親の落ち度を数え上げるということが
起きているのかもしれません。

一緒に住んでいる親については
安心材料を探すわけですから
ちょうど反対のことをしています。

このように、
同居親が、あるいは祖父母などの同居人が
同居親の悪口を吹き込まなくても
子どもは、別居親に「会いたい」とは言わないものです。

さらに同居親が別居をした後も苦しんでいるとか、
同居親が別居親に強い葛藤を抱き続けている場合、
それだけで子どもの別居親に対する拒否反応を
高めてしまうことはお判りでしょう。

何とか目の前にいる同居親を助けたいと考えることは
子どもの成長なのです。

別居親を攻撃することで、
自分の後ろめたさを正当化し、
同居親に同化することで、
安心感を獲得したいという本能が発動されてしまうからです。

もし、子どもが
別居親に会いたくないと言いながらも
同居親との楽しかった出来事を語りだしているのならば、
直ちに面会交流を始めるべきです。
本当は子どもは別居親と会いたいといっているようなものです。

同居していない親との
楽しい記憶は薄れていきます。
そうすると、
別居親の悪い記憶だけが残り
同居親をイジメていた絶対的悪の人に固定化されていきます。
ますます同居親をかばおうとして
同居親の気持ちを忖度するようになります。
よく言われるのは、
アイデンティティーが確立するべき
15歳のころ、
絶対的善の同居親と絶対的悪の別居親の
間に生まれた自分ということで
自己イメージが混乱してしまい、
自我の確立に支障がでてしまう
その結果、自尊心を持つことができなくなり
様々な問題行動を起こすようになってしまう
ということを心配しなくてはなりません。

もし、実際に、別居親が同居時に
子どもの意思を制圧するような暴力や脅迫をして
会ったとたんに子どもが精神症状を起こすというような
極端な場合でなければ、
早急に面会をして
悪いイメージを拭い去るだけでなく、
安心の記憶を取り戻させるべきです。

試行面会を早急に実施するべきです。
子どもが会いたくないと言って
その理由を夫婦喧嘩だというのであれば
間接的な虐待ということもできるかもしれませんので
面会阻害事由がある可能性があります。
試行面会を行うパターンに該当すると言えるでしょう。

即ち、調査官の立会いの下
いち早く試行面会を実施する必要があります。

通常は、父親が久しぶりの面会に感極まることがなければ
昨日も会ったように自然に会うことができれば、
子どもは、瞬時に安心の記憶を取り戻すものです。

父親が「やあ」と笑顔で話しかければ
それだけで、自分は許され、尊重されているということを
子どもが瞬時に理解できるからです。
安心の記憶を取り戻すことができるからです。

この機会は子どものこれからの人生にとって
何にも代えがたい、生きてゆくための財産になります。
この機会を奪うことは許されません。

同居親には申し訳ないのですが、
少し無理をしてもらわなければなりません。
裁判所関係者や法律関係者は
自然に同居親が同意をするという
ファンタジーを捨てて、
無理をさせる気構えを示さなければなりません。

実際の面会交流が実現する時は
調停委員や裁判官の強い説得があることが多いのです。

その代わり、同居親が安心出来る条件づくりを
こと細かく設定することは考えなければなりません。
相手を攻撃する姿勢は全面的に改めるべきです。
拉致だ北朝鮮だと自分が罵られて
ああ、自分が悪かったんだな会わせなくてはダメなのだなと
子どもを会わせようとするわけはないのです。
メールや電話で脅かされ、
自分が夫婦の問題を抱えているということを
SNSで拡散されたら
「もしかして会わせることは仕方ないのかも知れないな」
等と考えている人だって
「絶対に会わせない」と決意を強めるだけだと考えられないでしょうか。

別居親も同居親も
ご自分の感情を優先するのではなく
お子さんのために我慢してもらいたいと
切に願います。

(今回の記事は、通常言われている片親疎外の概念を
 なるべく使わないようにして書いています。
 実際はこちらが真の片親疎外のリアルかもしれません。
 通常の片親疎外の記事は、
 両親が別居してしまった後で、子どもが同居親をかばい壊れていく現象とその理由
 https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10
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なぜ、人間関係の紛争(例えば夫婦喧嘩)収束せずに拡大するのか。「かわいそうだからやめる」ができない研究4 [家事]


小脳は、例えば歩いている場合、
異常があればそれを感じて
態勢や運動を修正しているらしい。

例えば真っ直ぐ歩こうとしているのに
地面が坂になっていて
体が斜めに倒れてきた場合は、
小脳は態勢の異常を感じて
体を起こそうとする

異常を感じることも
修正することも
意識には上らない。
自動的に行われている。

能は活動を節約しようとする傾向があり、
予想通りの動きに関しては、何ら反応しない。
前回の記事で書いたとおり
自分で自分をくすぐってもくすぐったく感じない。

これを実験した人がいて、
簡単に言うと
二人が指を一本ずつ出して指で押し合いをするとする
それぞれに対して、
「相手と同じ力で押し返すこと」
という指示を出す。

すると、その実験を続けているうちに
二人ともどんどん押す力が強くなって行く
という結果が出た。

これも小脳の働きで説明がつく。

押している方と押されているほうが同じ力で押している場合、
小脳は、
自分が予想した力を出しているのだから
ことさら「自分で押している」
という感覚が持てないらしい。
「押さなくてはならない」という意識があるものだから、
本当は釣り合っている押し方をしているのに
押しているという実感を持とうとして
さらに強く力を入れてしまうかららしい。

これらのことは、D・J・リンデンという人が河出文庫で出している
「脳はいい加減にできている」という本の中で説明している。

これは、対外的な物理的変化あるいは器質的変化の問題なのだけれど
私は、人間関係でも同じ原理が起きているのではないかと感じた。
言葉のけんかをしていても
相手から受けた攻撃と同じ攻撃をすることは
攻撃している実感がなく
それを上回る攻撃をしなければならないと感じて
攻撃はエスカレートする傾向にあるのではないかということである。

人間の紛争がなぜ起きるのか、
一般的には、つきつめると
自分を守る行為、自分の仲間を守る行為が衝突した場合に起きる。

対立する紛争当事者はどちらも自分を守るために攻撃する
相手に責任があろうと、正義があろうと、落ち度があろうと
そのようなことにかかわりなく、
自分を守るために相手を攻撃する。

そうして、自分の反撃は
「相手が自分を攻撃した同じ程度で反撃しているに過ぎない」
だから許される
という無意識の正当性を感じようとする。
特に家族など仲間同士の紛争の場合は
そのような意識を持つようだ。

典型的な紛争は夫婦問題である。

妻が自分をないがしろにしたと思えば
「同じだけ」夫は妻をののしる。
妻は、夫が自分を支配しようとしていると感じると
周囲を味方につけて、夫の攻撃にふさわしい反撃をする。

実際は、
けんかの始まりは相手に悪意がないことが多い。
それにもかかわらず、
人は誰しも相手に嫌われるのではないかという不安を持っており、
その不安が強すぎる人は、
自分が攻撃されたのではないかと感じやすくなり、
攻撃されたという断定が起き、
被害感情が全開になる。

自分に被害が生まれるのだから、
被害を埋め合わせようとして反撃してしまう。
この反撃は、意図的な攻撃である。

但し、その時、自分の攻撃の強さは、
相手が自分にした攻撃と同じくらいの強さにとどめているつもりだ。
自分から罪のない人を攻撃しているという
感覚は持ちたくないようだ。

同じくらいの攻撃だけど
一つは、そもそも攻撃をしていないのに攻撃をされた
という意識を相手は持っているので、
相手は自分を守るために
「同じ強さ」の攻撃に出る。

この時の「同じ強さ」は
攻撃する側の感覚であるから、
双方攻撃しあっているその最中にあっては、
指の押し相撲のように、
相手の攻撃の強さに相殺されて
自分の攻撃の「同じ強さ」は
相手の攻撃の2倍になる傾向にある。

「相手が攻撃してきたから反撃したまで」
「相手と同じだけしか攻撃していない」
という趣旨の言い訳をよく聞く。
しかし、それは、人間の脳の能力に問題があるため、
客観的には額面通りの結果以上のことが起きている。
過剰反撃になりがちなのである。

双方の紛争が続くと
強さは、どんどん2倍ずつエスカレートしていくことになる。

相手を破滅させるほど
攻撃が極端に強くなっていく。
前回と同レベルの強さの反撃は
反撃をしている実感がわかなくなるからだ。

自分が攻撃されているという感覚
つまり被害者意識が強すぎるという原因はあるものの
他方も、気が付かないうちに反撃行為が強くなっていき
それが相手の被害者意識をさらに高める
という悪循環に陥る。

あまりにもうまく説明できるように感じた。

もっとも、夫婦のような対人関係における
相手方に対する作用のずれを
小脳や体性感覚皮質で感じて修正するということは
非科学的な発想であろう。
脳の部分については脳科学者にまかせよう。

今の攻撃の話は、物理的攻撃というより
おもに言葉による攻撃である。

夫婦の場合、最終的には
「出ていけ」、「離婚だ」ということになるが、
要するに、仲間であることを否定する言動が攻撃であり、
否定の度合いが攻撃の強さである。

この攻撃の度合いについても
発言する方と発言を聞く方は
全く異なった認識をすることになる。

発言をする方は、どのような発言をするか
夢中になってわけわからないとはいえ、
ある程度は予測をつけて発言をする。
真意が別にあることも自覚している。
だから、それほど強い攻撃ではないと思っているかもしれない。

しかし、発言を受ける方は
相手から口に出されて初めて言葉を聴き取るために、
すっかり予測することは不可能だから、
警戒感が強い状態で受け止めるので、
強い刺激に受け止める傾向になる。

常に攻撃は、攻撃者が思っている以上に
攻撃を受ける側は強く感じているようである。

そして、それを受け止めた側の反撃も
自分の受けた攻撃と同じ強さでは
既に反撃として意識されない傾向にあるので、
それを上回った程度になってしまう。

つまり、最初は5の強さの攻撃も
相手は5プラス5で10の強さとなり
次は20の強さとなり、
次は40となって行くわけである。

防衛本能に任せた反撃をしているうちは
全体を上から見ることはできない
最終的には、ただ、相手を叩き潰すことに
全力を挙げるよう脳が命令してしまう。
大変恐ろしいことだ。

相手に反撃している時は
相手は仲間ではなく
敵対する者であり、
やがて人として尊重するということも
できなくなっていく。

より大きいダメージを与えることだけが
目的になってしまう。
やがて関係が破綻する。

これはもう、どちらかが反撃をやめるしかない。

「自分が悪い」と言って謝ることができれば最高だ。
即時にそれをできる人は素晴らしい。

謝らなくてもやめることはできるなら
それも素晴らしい。
相手方にやめるように言う必要はない。
自分が争いを中断する、反撃をしないという
単独行為ですむ。
実は、それほど難しいことではない。

逆に、相手を言葉で打ち負かしてしまったらどうだろうか。
自分は正しかったのだから、それでよいと思うだろうか。
それによって、相手は間違った行為をした人間だ
ということを思い知らせると、
相手がかわいそうである。

相手をかわいそうになるほどつらい思いをさせても
筋を通さなければならないことって
それほど多いことだろうか。
家族が家族である以上、それはない。

相手を否定してでも筋を通すなら
仲間の解消をするべき場合も多い。
しかし、始まりはそれほどの話ではないことが多い。

また、相手を打ち負かしても
それは仲間を打ち負かしたことだから
反撃ができないという体験、記憶を
相手に植え付けるという効果が確実に生まれてしまう。

それはお互いが快適な生活を営むことに
多大なる支障になるし、
崩壊の原因として蓄積されていく。

結局はいいことは何もない。
しかしそれにはなかなか気が付かない。

双方の攻撃を止めるためには
自分の攻撃で傷つく相手をかわいそうだと思うことが有効だ。

しかし、自然にはこれは思わない。
だから、自然にはかわいそうだと思わないことを
忘れないようにする。
そうして、無理に紛争が生じたら
それを思い出すことにするしかない。

あなたは途中でそれを思い出す。
相手はそんなこと知らない。
あなたが攻撃をやめても
しばらくは攻撃が続くだろう。

その攻撃を黙って聞く。
自分が最後にした攻撃から、その直前にした相手の攻撃をひいた
おつりが来ていると思うしかない。
少し視線を斜め下に下げて、
悲しそうな顔をして黙る。

どの程度攻撃が続くかは、
おつりの大きさによるものだと
我慢しよう。

沈黙が生まれたら幸運を感じよう。
謝るもよし、
興味のある話題を振るのもよし、
こちらから話しかけるべきだろう。

そして、自分の言動で取り乱してくれる相手に
感謝の気持ちを捧げよう。

あなたの攻撃に取り乱さなくなった相手は
既にあなたが仲間ではないと
腹をくくっているかもしれないからだ。

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ゼンメルワイスの失敗、正義、真理が握りつぶされる理由  [家事]


イグナツ・ゼンメルワイス(1816~1865)医師

19世紀のウィーンのある病院の1科では
出産に伴う妊婦の死亡が異常に多かった。
死亡原因は産褥熱
つまり、お産の時に妊婦に細菌感染が起こり
細菌が血流にのって全身に回り
毒素による熱が出て敗血症で死亡したのである。

ゼンメルワイスは、この原因を突き止めた。
同科の出産の介助をしていたのが医学生で、
その医学生が遺体解剖をした後に手を洗わないで
出産介助をしていたため、
遺体の毒が医学生の手を汚し
その手で介助したために
出産の際に毒が妊婦に移ったと主張した。

彼は、出産の介助の前に
塩素系での手洗いを励行した。
その結果、産褥熱の発生を激減させた。

その後「徐々に」手洗いがヨーロッパに広まっていったとのことである。

しかし、ゼンメルワイスは、
英雄になるどころか
医学界から追放され、郷里のブタペストに戻り、
精神科に入院させられ、47歳で病死した。

この話を最初に読んだのは、
津田敏秀著「医学的根拠とは何か」(岩波新書)である。

真実は報われないということで衝撃を受けた。

先日、ジェニファー・アッカーマン著
「かぜの科学」(ハヤカワ文庫)を読んだら
やはりゼンメルワイスのことが記載されていた。
少し、別の角度からの説明もなされていた。

当時の産科医たちは、
ゼンメルワイスの主張を取り上げなかったばかりか
ゼンメルワイスの取り組みを妨害さえしたそうだ。
そしてそれはどうやら
ゼンメルワイスの性格に起因していたというのである。

ゼンメルワイスは、自分の考えに異を唱えた人たちを
「大量虐殺の共犯」、「医学界のネロ」、「殺人犯」
等と呼んだらしい。
医師たちは、このようなゼンメルワイスを容認できず、
主張を取り上げるどころか
ゼンメルワイスを狂人として扱ったようだ。

「医学的根拠とは何か」の該当部分を読み直してみると、
ゼンメルワイスは、
「医師が産褥熱で人を殺す」というビラを撒き、これが
精神科に入院させられたきっかけだと記載してあった。

まだ、細菌という概念も生まれていなかった時代のことである。
パスツールが「生命の自然発生」を否定し、
養蚕業の救済を始めたばかりのころで、
コッホが炭疽菌を培養するのも
ゼンメルワイスの死後10年経ってからである。

もしかしたら当時の医学界には
徒弟制度のような感覚があり
先輩である親方が絶対的存在だから
先輩を否定したり、批判するということが
ありえないことだったのかもしれない。

伝統と権威を否定するゼンメルワイスについては
怒りの対象ではなくて
どちらかというと奇行を行う危険な狂人だと
そのような扱われ方だったのかもしれない。

ゼンメルワイスの語る真実は
文字通り葬り去られたことになる。

一方ゼンメルワイスが当時の医学界を
強烈に罵ったことはよく理解できる。

子どもを授かるというしあわせの絶頂の時に、
何も悪いことをしていない妊婦が
人を助けるべき医師や医学生によって
命を奪われる様子を彼は見てきた。

夫をはじめとする家族が
妊婦が死ぬことで嘆き悲しむ姿を
目の当たりにしていた。

しかも、単に手を洗えばよいと
口を酸っぱくして言っているにもかかわらず
それを無視して危険な作業を続けていた、
あるいは敢えて手を洗わせないで作業をさせて
案の定妊婦の命を落とさせているのだから
「殺人者」、「虐殺者」ということは
ゼンメルワイスにすると文字通りの評価
正しい表現だったと確信していてもおかしくない。

しかし、ゼンメルワイスは
医学界から抹殺された。

さて、もし仮にタイムマシーンで
ゼンメルワイスの時代に行けたら
何をすることが正解だろうか。

答えは、ゼンメルワイスに対して
「暴言を慎め」ということで間違いないと思う。

確かにゼンメルワイスの手洗いは
徐々にヨーロッパに浸透していった。
長い歴史を考えると多くの母親たちを救ったことになる。

しかし、
彼が追放され精神病院に行っている間
なお手洗いをしないで出産介助が行われ
産褥熱で死んでいった母親が大勢いたことになる。

一人でも多くの命を救うためには、
けんか腰の正攻法?という手段をやめて
うまく立ち回らなければならなかったはずだ。

妨害を極力小さくすること
結果論だが、それがゼンメルワイスがやるべきことだった。

しかし、おそらく、
ゼンメルワイスは、自分では罵詈雑言を止められなかっただろう。
なぜならば、
当時のギルドを色濃く残していた医学界で
先輩たちに対して悪態をつくことができるほど
伝統と権威を意に介さない性格でなければ
産褥熱の原因が
医学的手法にあるかもしれないという
否定の発想に立てなかったかもしれないと思うからだ。

科学的発見と彼の性格はセットだったかもしれないのだ。


現代でも
正しいことが受け入れられないことが
山のように多く、
無力感や屈辱感にさいなまれ、
人生を棒に振る人たちが多くいる。

不条理に反撃をするために
相手に対して攻撃的な言動をする人たちも多い。
しかし、
彼らが受けた不条理に見合う「正確な」評価、表現は
相手方からすれば
悪態や罵詈雑言に受け止められている。
ゼンメルワイスのころと同じ構造は現代でも起きている。

さらに厄介なことは
不条理を行った相手方だけでなく、
中立的な人間や自分の仲間でさえも
罵詈雑言等攻撃的言辞に辟易して
関わりを遠慮され、
ゼンメルワイスのように孤立を招いているのである。

真実は、それだけでは力にならない。
その人が孤立するだけならまだ良いが
その人が守ろうとする人たちを
結果として見殺しにしている事態にもなりかねない。

あたかもゼンメルワイスが
守らなくてはいけない妊婦を
みすみす見殺しにしなければならない事態と
全く同じ事態が今も起きている。

では、現代のゼンメルワイスたちは
どうすればよいのか。

少なくとも行うべきことは
仲間を作り孤立しない事だ。

ただ、現代のゼンメルワイスは
仲間を作ると益々怒りがエスカレートするようだ。
仲間ごと孤立していくか
仲間同士の内部分裂が繰り返される。

仲間を選ばなければならない。

怒りをあおる人間には警戒しなければならない。
不条理を受けている場合
怒りを共有することはとても気持ちが良い。
救われた気持ちになる。
しかしそれは大変危険だ。
それから前に進めなくなる。
不条理を拡大再生産する危険がある。

心地よい響きを聞き続けると
修正提案に対しては拒否反応が出やすくなるらしい。
心地よいことを言う人が味方で
耳が痛いことを言う人が敵になって行くようだ。
人間の意識決定の大部分はこのようになされているようだ。
これでは「内部固め」で手いっぱいになってしまい、
それすらできなくなり、分裂に向かうことは必定だろう。

仲間には、怒りに物足りない人間を必ず加えるべきだ。
他人に対して働きかける場合
中立的な人間や反対者に対して働きかける場合は、
怒りに縛られていない人間が行わなければならない。
共感を実感できない仲間、
むしろ他人に共感できない性質をもつ仲間は貴重である。

真実や正確な表現に甘えてはいけないのだ。
主張することで自分のストレスを発散させることを優先するならば、
それはとりもなおさず結果を出すことをあきらめる
という選択と同じ意味なのだということに気が付かなければならない。

ゼンメルワイスの名誉は
死後30年してパスツールによって回復された。
現在では、ゼンメルワイスは母親たちの救世主と称えられている。

ゼンメルワイスは、その発見を通して妊婦を救済した
そして、ゼンメルワイスは、その失敗を通して
運動の普遍的な方法論を教えてくれた。

現実にはパスツールはなかなか現れない。


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10代前半の少女が身内に強姦されたと嘘を言う理由 それが片親疎外だ [家事]


今日(31年1月8日)、大阪地方裁判所で、
無実にもかかわらず、
娘を強姦したという汚名を着せられ
懲役12年の刑を宣告され、
実際に3年半刑務所に入れられ
平成27年に無罪判決を得た男性が
検察官や裁判官を訴えた国家賠償請求訴訟で
男性側の請求が棄却された。

詳細が分からないので、この裁判については様子を見る。

私が言いたいのは地裁、高裁、最高裁の誤審が
なぜ起きたのかということについてである。

男性は当時65歳
被害を訴えた女性は14歳。
男性は母親の再婚相手である。

裁判所は、ほとんどこれだけの理由で
男性を強姦犯人と認定した。

判決中に、理由として
「実際に起きてもいないのに
14歳の少女が強姦されたというわけがない」
という趣旨のことが記載されていたそうである。

しかし、実際は、10代前半の少女は、
されてもいない性的虐待を
されたという理由があり、
この事件だけではなく嘘をついている。

私が担当した事件でも
長期間にわたって実の父親が性的虐待をしていた
という主張を母親がして、
父親は別件で逮捕勾留されたにもかかわらず、
報道ではさも実の娘に性的虐待をしていたかのような
印象を受ける記事が流された。
実名報道だったので、
少女も転校を余儀なくされた。
また父親の職場の建物までテレビで流された。

さらには民事系の裁判まで起こされた

幸いにして、逮捕の前日に
夫婦の問題で相談に見えられていたので、
直ちに弁護活動に入ることができたため
性犯罪は立件さえされなかった。

母親の裁判上の請求も棄却された。
つまり性的虐待は存在しなかったと
裁判所では判断された。

内部記録を見ると
どうやら少女は、警察の段階では
一度は性的虐待があったと言ったようである。
立件さえされなかったので、
記録を見ることはできなかったが、
間接的にうかがい知ることができた。

つまり、少女は嘘をついたのである。

なぜ少女は嘘をついたのか。

裁判の決定書では、
性的虐待は母親の妄想だとした。

なぜ母親は自分の娘が夫におかされていると
妄想を抱いたのか
そしてそれを娘に語らせたのか
これが問題である。

私の担当した例は、
母親が精神的に問題を抱えていた。

母親の作成した文書からは
母親が娘の第二次成長期に対して
憎悪を抱いていたことが読み取れた。
背景としては、
自分の漠然とした不安の原因を夫に求めて
夫を攻撃することで不安を解消する傾向があった。

不安とは対人関係的不安である。
自分が仲間から外されるのではないか
ということを無意識に感じていたのだと思う。

娘の成長という現実と
漠然とした不安の原因が夫にあるという決めつけ
そして自分が孤立するのではないか
つまり、夫と娘が、自分を排除するのではないかという無意識が
夫が娘を女性として扱っているという妄想を引き起こしたのだろう。
とてもわかりやすいと思う。

母親が妄想を抱いて
それを娘に語らせようとすることは説明がつくとして、
ではなぜ、娘が
ありもしない性的被害を語るのか。
ここが問題である。

私は、端的に言えば片親疎外の極端な例であると考えている。

片親疎外については
片親疎外の原理と面会交流ないし共同養育の論理 離婚後も「両親」というユニットであることの意味
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-07-25

今回の事件の再審無罪判決でも
元少女は
母親から何度も「やられたやろう」と問い詰められ、虚偽の強姦被害を告白したと説明したことが信用性があるとされている。

今回の事件の母親が、
意図的に少女に偽証させたのか
精神的問題から妄想を抱き、結果として押し付けたのか
それは不明である。

しかし、まだ母親に精神的にも生活面でも依存しなければならない
10代前半の子どもたちは、
母親から何度も言われてしまえば、
それを言わないことはできないことがある。

実の母親が、苦しみを絞り出すように
あるいは自分に対して憎悪に満ちて
これこれこういうことをされたのだなということを
繰り返し繰り返し言われると、
それを否定することができなくなる。

母親を救わなければならないという意識や
母親から嫌われたくないという意識、
嫌われてはいけないという無意識が
母親がこういうことがあったと言ってほしいのだ
という意識を形成してしまい
母親の期待を裏切ることができなくなってしまうようだ。

この時、
目の前に父親がいないことが
幼い子どもにとっては
父親に対する裏切りを意識させない大きな理由になるようだ。

母親に迎合することで精一杯であり、
父親に対する配慮をする精神的余裕がないのである。

かくして少女は、嘘を言う理由、必然性をもって
ありもしない性的虐待を語りだす。

但し、ここで一番傷ついているのは
嘘を言って父親や家族を
無実の罪に陥れた少女自身である。

今回の事件では、
母親と離別したこともあり、
自分がうその証言をしたと
少女自らが捜査機関などに告げたらしい。

無実の人を刑務所に入れた
取り返しのつかないことをした
という葛藤が続いていたものと思われる。
それは大変恐ろしい日々だったと思う。

私の担当した事件では、
一度警察で話をした後では
一切虚偽事実を言おうとしなかった。

母親こそが
実の父親のありもしない性的虐待を
子どもに言わせたという
精神的虐待を与えていたのである。
これは性的虐待でもある。

子どもは大変苦しんだろうと思う。
その後、裁判などで
母親から再び証言をするように迫られたのだと思うが、
少女はこれを拒否したのだろうと思う。

いずれにしても父親を陥れても
母親の思いを実現してしまう
これが片親疎外のメカニズムであり、
片親疎外を受けた子供の苦しみである。
二人の少女は、片親疎外から脱却することができた。

もし、片親疎外から脱却できない場合は、

少女はその後も父親からの性的虐待を主張し、
記憶もいずれ性的虐待があったように改変される可能性がある。
そうすると、
自分は性的倒錯や虐待をする父親の子どもであるという
取り返しのつかない意識が固定されてしまう。

アイデンティティが確立する15歳ころは
いわゆる思春期であり、性的な芽生えが起きる時期である。
母親の妄想が真実だという意識が継続していれば、
性は醜く汚らわしい、おぞましいものになってしまう。

取り返しのつかないことになるだろう。

今回の国賠は、この議論を
改めて行う機会を与えてくれた。

そして、片親疎外に
司法が加担したことを鮮明にしてくれた。

実際には、片親疎外や妄想、記憶の改変について知識がないならば
司法、行政、NPOで
このような悲惨な子どもたちを生み出していることになる。

これらの機関が
母親の妄想に寄り添うことが
私の関わりの中でも数多く見られている。

今回裁判所は国賠請求を棄却した。
その詳細な論理は不明であるが、
また同じことが起きて、また同じ間違いをしても
司法は責任をもたないという宣言ならば
法秩序はほころび始めるだろう。

子どもたちの健全な成長という視点から
この事件を注目するべきであると考える。



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共同親権制度導入までやるべきこと [家事]



1 共同親権は既定路線であるが内容は不確定

世界の流れであるし、法務省の審議会の自然流れに沿った
法務大臣の発言でもあることから
共同親権制度が導入されるということは
既成の事実です。

しかし、共同親権制度の内容は
諸外国においていろいろ変化があるので、
その内容については不透明だというべきでしょう。

一部では、共同親権制度にさえなれば、
離婚をしても、子どもたちを養育することができる
と考えている方々がいらっしゃいます。

また一部には、共同親権制度となっても
何も変わらないという人がいます。

私はどちらも極端な考えであると思います。

離婚後の子どもの養育が形はともあれ
両親によって行われるということは
子どもにとって、
離婚によるマイナス影響を軽減する大きなチャンスです。

これまで単独親権制度の下で、
子どもが別居親から養育を受ける権利が
大きな制約を受けて、
離婚によるマイナス影響を
子どもたちが無防備にかぶっていた状態でした。

共同親権ということで、
離婚後も、子どもは両親から養育を受ける権利がある
ということを国が制度化することによって
多くの子どもたちが
別居親からの養育を受けるチャンスが広がるでしょう
ここは軽視してはなりません。

但し、離婚した両親が憎しみあい、嫌悪しあっていれば、
同居親は別居親に
子どもを合わすことすらしない状態が続きますから、
共同親権を宣言しただけでは、解決しません。

例えば、ある国の制度は、
子どもが生まれた時から、
それぞれ個別に固有に親権を有し、
離婚をしても親権は影響を受けない
という共同親権制度があります。

これだけでは、相互憎しみ事例において、
子どもが別居親から養育を受けるきっかけが
生まれません。

そう、
これは、離婚する前の
一方が子どもを連れて別居している
現在の日本の共同親権制度の状態と
何も変わりません。

これだけでも共同親権制度ということだけで
相互憎しみ事例は今と同じこと
ということになるでしょう。

共同親権制度をチャンスです。
私たち大人が、子どもたちのための
よりよい在り方を提案し実現していくことが
大切だと思います。
大きなチャンスであることを
軽視してはいけません。

2 子どもの権利を基本に据えよう

日本は、もともと尊属殺人が通常殺人よりも重く処罰されていた
という歴史があります。
子どもが親の付属物であった歴史が長くあります。

もっとも、付属物と言っても、
悪い側面だけではなく、
それだけ親と子の結びつきが強かったという側面もあり、
親が子どもを責任をもって育てた
という歴史もあるようです。

ところが、
ゲダモノ未満のような親が出現し、
子どもの利益よりも自分の利益を考えて行動するが
日本社会の中で一定割合に達してきたため、
子どもを親から守るために
「子どもの権利」という概念で、
国等が私的生活に介入する必要が生まれた
と考えてみるとわかりやすいかもしれません。

分かりやすく言うと
「親がしあわせでなければ子どもも幸せではない
 だから子供のために離婚する。」
等という安易なフレーズをよく聞きますが、
実際は子どもの将来などを考えていません。

離婚をして、
子どもの健全な成長を考えず、
子どもを別居親に会わせない親が
つまり自分の幸せのために
子どもの幸せを考えない親が
かなりの数に上るようになりました。

ところで
自由に離婚ができる国は、
先進国では日本だけです。
通常、離婚は
離婚後の子どもの養育計画が確立して
初めて許可されるようになっています。

親子断絶防止法の真の不十分点
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-03-31

離婚は自分たちが勝手に決めておいて、
子どもたちの意見も聞かないくせに、
どちらにつくかということだけ
子どもたちの発言を許すという
傲慢な論理の人たちが大勢います。
子どもは自分の利益のために利用しようとしている
と感じることが少なくありません。

離婚に当たっては、
子どもに権利がある
健全に成長する権利があるのです。

このことを多くの大人たちが理解するべきです。

共同親権制度には、
子どもの権利が確保される制度や運用が
セットになっていなければなりません。
子どもの権利があるということを
きちんと大人たちが自覚する
これが共同親権制度を実質化する基本中の基本
大原則です。

ここを放置して形だけ制度が作られようとすると
かなり中途半端な抜け穴だらけの
子どもにとって迷惑なだけの制度となる心配もあります。

3 何が足りないのか(実質的な問題の所在)

現状からみて問題は、
離婚をした父と母に
一人の子どもを共同で育てるための
最低限度の信頼関係さえ成り立ちにくい
ということが最大の問題だと思います。

会いたくない、話したくないは良いとしても
電話やメールすらかわしたくない
という重症なケースは現実に多くあります。
こういうケースの中には、
居場所を知られること自体が不安だとして
住所も分からないため、手紙も出せないことが多くあります。

妻と夫が逆のパターンもありますが、
話をイメージしやすいように表現すると

妻は夫を嫌悪して、憎悪しているのです。
でも、なぜ嫌悪して憎悪しているかについて
妻は説明できないし、原因もはっきり自覚しない
夫も理解できないし、どうして妻がそうなったかについて
原因が分からない。

本来であれば、その状態と原因を理解し、
嫌がる原因を薄める行為を共同で行うべきなのですが、
分からないものだから
妻が自分を嫌がることを強める行為を延々繰り返してしまう。
そんな悲惨な状態をよくみています。

4 妻の恐怖、嫌悪の問題を克服させるための3要素

それは当事者夫婦だけが解決することではなく、
第三者の関与がなければ
なかなかクリアされないと強く感じています。

つまり、
1)妻の夫に対する嫌悪感、恐怖感を低下させる工夫、
2)夫の妻に対する怒りを低下させ、葛藤をさらに高めない工夫
3)面会を具体的に進めるための第三者の援助
が必要だということになります。

5 理解を浸透させるべき要素としての 
連れ去り別居をする妻の心情に対する理解による
夫への負の感情の低減の試み
 
これは、夫、妻自身、支援者の
3者の共通理解が必要です。

先ずは妻の状態についての理解です。
これが夫にはなかなか理解できないようです。
昨日までうまく行っていたのに
どうして急に別居するのか
という訴えが多くあります。

子連れ別居は、こういうことに対する対処を
全く省略するので、
益々こういう傾向が強くなって行きます。

そうして、どうしても人間は合理化しますので、
昨日まで妻とは普通にやっていた
この子連れ別居は妻の意思ではないのではないか
弁護士や行政にそそのかされたのだ
妻も被害者だし、自分も被害者だ
という発想になることは自然な流れになってしまいます。

しかし、実際の奥さんの言葉を聞くと
「夫と同じ空間で呼吸をしたくない」
「街で後ろ姿の似ている人を見ているだけで息ができなくなる。」
という言葉出てきますし、
実際に家庭裁判所で声をかけられただけで
気を失ったという人もいます。

夫と過ごす家に帰ることが嫌で
うつ病になったという人もいます。

実際はそのくらい嫌われているのですが、
夫は、嫌われる理由に心当たりがないので、
嫌われているということを信じないのです。

心当たりがないことは容易に理解できます。
要するに私もあなたも、
明日には妻が子どもを連れて家を出ていく可能性があると言われて
「ああ、そうだろうな」とは思わないことと同じことなのです。

しかし、妻の言葉を素直に受け止めることが必要です。
自分は嫌われている。
弁護士や行政がどう言おうと
外の多くの妻は子連れ別居をしないし、
そもそも弁護士や行政に相談に行かないのです。

誰が悪いかはともかく、
夫と一緒に生活したくない状態になっている
ということだけは理解しなければなりません。

これは妻自身も理解しなければなりません。
本当に夫に原因があって、
今の嫌な自分があるのだろうかということを
自問自答しなければなりません。

ヒントは、いつから夫と心が通わなくなったのか
ということです。



 産後の変化(脳科学的に)
「妻は、意外な理由で、実際に夫を怖がっている可能性がある。脳科学が解明した思い込みDVが生まれる原因」
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-07-17
  産後の変化(ホルモンバランスの変化)
   「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」
   https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12
  内科疾患等
   「甲状腺機能障害、産後うつ、月経前症候群の対人関係に及ぼす研究を! 家族再生・崩壊予防学会の創設を訴える。」
   https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-03-08

夫側の事情
   
   存在しない夫のDVをあると思いこむ心理過程 思い込みDV研究
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-12-04

   「正しい」夫の家事、育児が、思い込みDVを感じるまでに
妻を追い込む理由についての考察と、その予防方法と事後的対処方法の検討
http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/omoikomi.html
等多数


6 支援の在り方 あるべき支援

現在の支援の在り方の最大の問題点は、
妻側の事情しか聴かない
ということにあります。

妻側の事情しか聴かないのに
「夫はあなたを殺すかもしれないから直ちに逃げろ、
家に帰るな、居場所を知らせるな。」
ということを言うわけです。

「支援者」も、妻の夫に対する
恐怖感、嫌悪感が、
夫にだけ原因があるという見方をしてはいけません。
現代では、「支援者」こそが、
共同親権の実質化を阻む要因となっている場合もあります。

無責任に妻の不安をあおり、固定化しているという
妻自身の精神面にも悪影響を永続化しています。
子どもの健全な成長を妨げ、
子どもに会えない夫やその関係者を大量生産しています。

事実このような夫に対する妻の嫌悪の状態でも
適切にかかわることができれば、
離婚は避けられないとしても
子どもの両親としてかかわることが可能となったケースが
増えてきています。

もっともっと、
ソフトランディングをする方法を模索して、
相互理解を深めることが大切です。

そもそも、相互に嫌悪感や恐怖感を抱かなくて済む
方法を真剣に模索することが必要だと思います。

このブログの感想をいただいたのですが、
ある女性の方が、離婚を考えて、ネット検索などして、
夫のモラルハラスメントの記事を読んだり、
電話相談などをして
「夫の加害行為があなたの苦しみの原因だ」
等という回答を聞いているうちに、
これらの対応が、自分のメンタルを悪化させているのではないか
と感じてきたそうです。

しかし、実際に面談して相談に乗ってくれた方は、
子どものことも考えて、熟考することを勧めてくれたようです。

ここで「命の危険があるから逃げなさい」
等と言われたらと思うと恐ろしくなります。


出来ればもう一歩進めて、
夫に対して働きかける機関が必要です。

あなたに原因がなくても奥さんは苦しい状態だ。
あなたの行動を修正することによって
家族が安心してこれからも生活できるかもしれない。
今「自分は悪くない」と言い張って
聞く耳もたないというような態度をとると
一生後悔するんだよ
子どもも傷ついてしまうことになるよと
ちょっとの工夫を提案する
という支援です。

仮に妻の精神不安が
夫との対人関係トラブルに原因があるならば、
夫婦の在り方の修正こそ
あるべき姿であることは誰もがわかることです。

現在の問題点の第2は
妻の精神不安=夫の加害行為
との決めつけです。
夫婦の問題を資格も何もない
偏見に満ちた講習を受けただけの
公務員やNPOが
現実の夫婦の個別の事情の吟味も何もなしに
ただマニュアルに従って担当していることです。

夫から事情を聞かない理由は、
マニュアルに書いてあります。
虐待された妻が支離滅裂なことを言うことと
加害者である夫が冷静に嘘を言うことはセットだそうで、
加害者の夫の論理的説明を聞くと騙されて
寄り添うことができないのだそうです。

そんなことも見抜けない相談員によって
子どもの将来は塗りつぶされているのです。

でも本当は、
講習で話されたアメリカの事例を鵜呑みにして
「夫は殺人鬼であり、自分にも暴力が向けられる」
というような怯えがあるのかもしれません。

このような妻の不安=夫の虐待だから妻を逃がせ
というマニュアルを改めることは必須だと思います。


支援の事情
   不安を肯定することによって、
   不安を固定化し、増強する
   「危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道」
   https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-05-11

   「支援による子連れ別居は、女性に10年たっても消えない恐怖を植え付ける  女の敵は女2」
   https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-12-10



当面は、できるはずの面会交流の実行を増やすことです。
面会交流の場所が無いということが
結構実務的に面会交流を妨げていることがあります。
特に農村部です。

当面は、
妻が安心して、夫と子どもが面会できる施設を
行政が増やすことです。

面会交流施設は市町村ごとに作る必要があります。
図書館や科学館などの公共施設ももっと利用しやすいように
することも考えてほしいものです。
県や政令市では、
宿泊施設を併設した面会施設を作るべきでしょう。

支持的な支援者・企業も増員するべきです。
面会の環境づくりを助けることを主眼とする必要があります。

面会交流を支援する協力テーマパークもあるとよいと思います。
どんどん便宜を図るべきです。

あるべき支援について
   家事相談センター企画書
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/kajityousei.html

  公的面会交流事業の開始を求める
  http://heartland.geocities.jp/doi709/menkaikouryuu.html

共同親権制度は早晩実現します。
事情を知っている人たちが
どんどん実情を広めて、
制度を実質化する提案をするべきです。

その際、子どもの利益に視点を置くことが
実現のカギになると思われます。

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存在しない夫のDVをあると思いこむ心理過程 思い込みDV研究 [家事]

夫が仕事から家に帰ったら
妻や子どもと家具などが消えていて
行方も分からないという
突然の子連れ別居は、
それほど珍しい事例ではなくなっています。

事前の話し合い抜きに
妻が行動を起こすケースの中には、
妻が不貞を成就するために行うケースや
逆に実際に夫が言動で妻を追い込んでいる
という極端なケースもあるにはあるのですが、

大半は、
妻は夫のDVから逃れるために行動を起こしたと主張するのですが、
DVの具体的内容が語られることはなく、
夫からすると、どうして妻が子連れ別居をしたのか
理由を理解できないというケース群です。

このようなケースの多くで、
妻に精神的問題があることが見られます。
病気の有無については夫がそう判断しているのではなく、
実際に裁判などに診断書が出されるケースや、
裁判所によって妻に理屈のつかない不合理な行為がある
と認定されるということです。

妻に限らず

「人間は理由なく不安になる生物である」

ということを先ず理解していただきたい。
理由なくというのは、
夫がDVを行わなくても、
他の人間関係に思い悩まなくても
ということです。

離婚裁判に見られた疾患で一番多いのは
甲状腺機能の異常です。
亢進も、低下も両方見られます。
内科疾患ではC型肝炎ですが、
これはインターフェロンの副作用ということがあるかもしれません。
夫婦仲が悪くなった時期に妻がプレドニンを継続的に服用していた
という例もありました。
精神科の病名では
不安障害が多く、うつ病がこれに続きます。
病名はわからないものの投薬から推測すると
統合失調症の診断が出ていたのではないか
という事例もあります。
パニック障害、産後うつ、更年期障害、等の病名もありました。

妻の疾患以外では、
子どもが先天的障害を抱えた事例が多いです。
最近では子どもが発達障害だと診断された事例が多いのですが、
うまれながらの障害を子どもがもっている事案も多いです。

同居時の妻の発言などから
子どもが先天的な障害を持って生まれてきたのは、
母親である自分に原因がある
と多かれ少なかれ、自責の念を持ってしまうようです。

子どもが先天的な障害を持っている場合、
その子どもを連れて別居するケースもありますが、
障害のない子どもだけ連れて
障害のある子どもは連れて行かないで
別居に至るケースもあります。

このような妻たちに共通することは

漠然とした不安を抱いていること

です。

その不安の内容とは、
本人もなかなか気が付かないのですが、
家族の中で、自分が尊重されていないと感じること
極端に言えば、追放されるかもしれない
一人ぼっちになるかもしれない
という危険を感じているようです。
家庭が安住の地、帰るべき場所になっていないようです。

つまり、妻の不安の始まりは
夫による積極的加害行動がない(弱い)
場合でもありうるし、
実感としてはそのような場合が多いように思われます。

問題は、なぜ、

「漠然とした不安があると
ありもしない夫のDVがあると思いこむようになるのか」

というところにあるでしょう。

例えば甲状腺機能に問題がある人の大半は
離婚をしないわけです。
単に病気から妄想が生じるという
短絡的なメカニズムではないことは間違いありません。
何か理由があるはずです。

先ず、理解していただきたいことは
原因がどこにあるかに関わらず、
妻の心理状態としては、
不安で居ても立っても居られない状態になっている
毎日が生きづらくて、楽しいことがない
という深刻な状態になっている可能性があるということです。

そうです。夫の行為が原因でなくても
家族がそのように苦しんでいるということを理解していただきたいです。

さて
不安を抱くと、妻に限らず、人間に限らず

「不安を解消したいという要求」

が生まれます。
不安を解消したいという要求に沿って
恐れをもって逃げる行動を起こすか、
怒りをもって攻撃する行動を起こしたりします。

不安・危険の意識
     ↓
 不安解消要求を抱く
血液の変化、思考の変化   →  不安解消行動がみつからない
     ↓                ↓
 不安解消行動(闘争、逃走)    不安解消要求の増大
                      ↓
                  不安を解消するためなら何でもする

これに反して不安を解消する行動が見つからなければ
不安解消要求が弱まることがなく
どんどん大きくなってゆきます。

不安解消要求から逃走、闘争等の不安解消行動への流れは
動物が危険を回避するための仕組みですから、
生きるための仕組みです。

それにもかかわらず、
不安解消行動が見つからなければ、
生きること以上に、不安を解消する要求が大きくなってしまいます。

「死んでも良いから不安を解消したい」

という意識になるわけです。

不安解消要求が起きていれば
逃げ始めなくても、闘い始めなくても
血液の流れは逃げたり戦ったりするための変化が始まっています。
脳の機能自体も
余計なことは考えずにひたすら逃げる、ひたすら戦う
というモードに入っています。
余計なこと、つまり複雑な思考が停止ないし低下しています。

これが極端な二者択一的思考、悲観的思考の原因です。

からだは逃避モードないし戦闘モードに入っているのに
不安解消行動が見つからない
これは大変危険な状態です。
「死ねば、不安が解消される。」
と思いつくと、明るい気持ちになってしまうこともあります。
それだけ不安解消要求は、強烈な心理作用のようです。

家庭の問題で自死に至るということは多くはないのですが
心中という形態をとるので、記憶に残りやすいようです。
不安解消要求の肥大は大変危険なことです。

さて、妻の不安は、本来は漠然としたものですが、
妻が一番大切にしている群れが家族の場合、
家族から追放されるのではないかということが
一番の不安になります。
漠然とした不安は、大事なものがなくなるのではないか
という形になりやすいという事情があるようです。
一番悪いことが起きるという悲観的傾向を反映しています。

だから、「離婚」とか「出て行け」とか「終わりだ」
という言葉は絶対に禁句にしなければなりません。


こういう場合は、共通して以下のような気持ちになるようです。
自分が尊重されていない。
自分が軽く扱われていて、
いてもいなくてもよいように思われているのではないか。
具体的には、
自分だけ損をさせられているのではないか。
自分の実家(ルーツ)が馬鹿にされているのではないか。
自分の気持ちを無視されているのではないか
自分のことや子どものこと、家族のことを
自分が決めることを許されていない。
自分は子どもや家族の奴隷だと思われているのではないか
等々の気持ちになることが多いようです。

もともと原因のない不安ですから
不安解決行動は見つかりません。
このため不安解消要求だけが肥大していきます。

「離婚をして、夫と関係なく生活できれば
不安がなくなる」
という考えになることがあるようです。

構造は、自死の構造と類似しています。

第三者から観ると
相手を好きすぎて自滅していく人は
大変多くいらっしゃいます。
とてもいたましい出来事に映ります。

夫と別居、離婚というアイデアが出てしまえば
そっと誰かが背中を押しさえすれば、
不安解消要求が肥大化しているために、
子連れ別居の行動に出てしまう
どうもそういう形が基本にあるようです。

付随的な話ですが、
妻のヒステリーを抑え込まない方がよいということは、
ヒステリーや逆切れを起こすということで
妻が不安解消行動を自発的にやっている
ということだからです。
「配偶者のヒステリーは抑え込まないほうが良い。賢い対処法」
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-31

また、ヒステリーに寛容な姿勢を示すことで、
自分が尊重されているということを実感できます。
ありがたく受け止めるべきなのでしょう。

<夫側の原因>
夫は、妻の不安を解消せずに増強させていることが
多く見られます。
・汚いこと、嫌なこと、面倒なことを妻に押し付けている
・妻のやることなすことに否定評価すること
・意見が違うと、無駄に論理的に又は無駄に大声を出し制圧すること
・それができないとお前にはわからないと否定すること
・妻や妻の両親、兄弟を否定すること
・妻の至らないことに説教すること
・子どもの前で妻よりも自分の能力が上だという結果になる行動をすること
 (子どもが生まれる前に妻から褒められた調理すら、
  子どもが生まれた後に嬉々として行うと
  妻が不安になることがあるようです。)
・子どもの前で妻に対して論評することは増強理由でしょうか。
・一緒にいる時間が短い
夫としても、妻に八つ当たりをする意識はないとしても、
知らず知らずのうちに妻の不安を増強していることが通常です。

論理性、道徳性、正しさが夫の行動原理ですから、
自分が間違っていないという意識になってしまうと
妻が傷ついていることが分かりにくくなります。

自分が間違っていなければ
妻の方が悪い、自分は関知しない
ということになってしまいます。

第三者から観ると
妻が風邪をひいたのは自分が風邪をひかせたわけではない
だから看病しない
と言っているようなものです。

一段階ギアをあげて
妻が苦しんでいるのだから
仲間として何とかしてあげよう
という気持ちになることが大切ですし、

自分が悪くなくても苦しみを緩和してあげよう
という発想になるべきなのです。

ところが、こういうことは誰も教えないので
自分がしていることが相手に打撃を与えていることも知りませんし、
何とかしてあげたいという気持ちはあっても
何もできないということになってしまいます。
そもそも相手が苦しんでいることすらわからない。

妻は、夫に何とかしてもらおうと詰め寄りますので、
かえって、自分が責められているように感じてしまう。
苦しくなって(夫に不安解消要求が起きて)
妻を突き放す形で解消してしまう。
すると妻はますます不安になる。
こういう悪循環が起きています。

対策として
家族の間に、正しさとか、道徳とか、論理性さえも
持ち込むべきではないということです。
あくまでも家族の感情が少しでも上を向く
ということを価値観にするべきなのでしょう。

<支援者の原因>

前に、配偶者加害相談事例と面会交流調停申立が
極めて密接に関連しているというお話をしました。
行政などの支援の問題は統計上明らかです。
危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-05-11

先に名古屋地裁の判決で示されたように
配偶者加害保護事業が目的外使用をされている
という判示がなされましたが、
ようやく事態を正面から裁判所が認めたという感があります。

本来、夫が妻の不安を増強するかどうかはともかく、
夫にそこまで原因があるわけではないのに、
妻に精神的不安定があると
行政や司法は、
夫の精神的虐待が原因だと決めつける傾向がありました。

決めつけるとは、
妻が夫のDVの危険性を強く主張しないのに
夫からも事情聴取をすることなく、
夫の精神的虐待が「存在する」と決めつけることです。
そうして、夫は妻と子どもの行方が分からなくなるので、
事実上家族から引き離されてしまうのですが、
夫はどうすることもできないという事態に陥ります。
当然自死の危険性も高くなります。

決めつけ行為は行政のあらゆる場所で見られます。
自治体は妻からの申し出だけによって住民票を秘匿します。
児童相談所の中には、別居している子どもを一時保護し、
妻の言い分だけをもって、妻に子どもを引き渡し
夫が子どもと会うことすらできない状態にします。
裁判所は、妻の身体生命の重大な危険も認められないのに
保護命令を出すケースが、残っています。
家庭裁判所すら、妻側の警備の要請を
無条件に信じて、複数の職員を
あからさまに警備させて夫の神経を逆なでしているところがあります。
警察も、ひところほどではないにしても
妻からの申立によって、些細な行為もストーカーとして警告し、
警察署に連れて行って、暴力をふるったことの無い夫に
「二度と暴力はふるわない」
との誓約書を書くようにせまるところもありました。

妻が不安優位な精神状態にあっても
夫がその原因になっているのかは別の話なのですが、
別の話だと当たり前のことを言うと
「DVに理解がない。寄り添っていない。」
と言われる、上司から評価されるわけです。
だから、夫に何らかの虐待があると考えることが
女性に寄り添う姿勢だとどうしようもないことになっています。

妻はもともとDVなんて受けていませんから、
家に帰ってクリスマスを祝いたい、お正月を迎えたい
というのですが、
2時間でも3時間でもかけて
それは命の危険があると説得した結果、断念してもらった
と有頂天になっているとさえ思える
報告書を読んだことがあります。

後に、DVはなかったと裁判所で認定されても
行政が責任を認めて夫に補償した
という話は聞きません。

それでその結果、子どもの成長に問題が生じたり、
妻自身が恐怖を固定化されている
という事案はたくさん見ています。
「支援による子連れ別居は、女性に10年たっても消えない恐怖を植え付ける  女の敵は女2」
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-12-10

もっとも「寄り添い」支援が有害であることは
夫婦問題に限りません。
裁判でも、事情が分からない支援者が
弁護団と当事者の打ち合わせの後で、
それはなんぼなんでもおかしいとか言いながら、
打ち合わせ結果と異なることを当事者に吹き込むことがあります。

弁護団と当事者の信頼関係がなくなるのですが、
その後当事者は、解決不能の裁判に
膨大な時間とお金を費やして
徒労の結果となることが殆どです。
それでも支援者は、その時間とお金を償うことはありません。

さて、それでは、妻は、どうして
行政の言った、ありもしないDVがあると
思い込むようになるのでしょう。
これが思いこみDVなのです。

夫はありもしないことを妻が主張しているのですから
妻が嘘をついている、嘘をつかされていると感じますが、
妻は、次第にそれが真実起きたことだと
記憶が変容しているようなのです。

一つに不安解消行動が見つからないで
不安解消要求が増大している時、
記憶の短期障害が起きています。

新しい出来事の記憶が定着しない
という現象のようです。

但し、自分の不安が現実化したと思われるときだけは
記憶しています。
だから、自分がヒステリックになって
意味不明の行動をして
(家のベランダから外に出ようとする行動、
 裸足で外に走りだそうとする行動
 興奮して夫を連打する行動)
危険回避のために手足をつかまれ、
場合によっては転んでしまう

そうすると、意味不明の行動をしているという
自覚も記憶はなくなっているのです。
もともと記憶していないという方が正確かもしれません。

強く痣になるくらいに手足をつかまれた、
畳に転がされた
という結果だけが記憶されている
ということが起きるようです。

常日頃、夫からは暴力を振るわれていないのに、
その時だけ、つかむとか転がされるという暴力があった。
ということだけは自分の記憶なのですが、
しかし、なぜそのように夫が暴力をふるったのか
前後関係の記憶がない
ということが起きています。

このような短期記憶障害は著明な精神症状ですが、
通常は、恐怖や驚愕が起きている時の症状だと
説明されています。
こういうこともあって、
「短期記憶障害があることから、恐怖体験をしたのだろう
つまり、夫からDV被害を受けたのだろう」
という流れになっているようです。

肝心なことは
妻が嘘をついている、真実を隠しているという事案よりも
実際記憶がない、あるいは
痣や転がった畳のことはよく覚えていて
自分が暴力を振るわれたのではないか
という不安だけが存在しているということです。

人間は、記憶が曖昧であるとき、
適当な事実があったとして記憶の隙間を埋める
ということをするそうです。

逆に言うと、
つじつまがわからないことは
何とか心の中だけででも
整合性のあるストーリーを作り上げたくなる動物のようです。

実感としてなんとなくわかります。
自分の両手首を見たら痣ができている
記憶の始まりで自分が畳に寝転んでいて
夫が上から見ている
という記憶だけがあれば
どうしてそうなったのか気になるし、
何らかのストーリーを作らないと
落ち着かないということはあるように思います。

これはなぜ記憶というものがあるのか
ということに関わってきます。

記憶がなければ
危険だとわかっていることを行ってしまうので、
あっという間に命がなくなるからです。

何が危険で、どうやって危険を回避したかということを記憶して
危険を回避して生き延びるために記憶というものがあると
考えられたら考えてください。

そうすると、自分に痣ができているという結果が
どのようにして起きたかということは
知りたいことだということになりますし、
記憶が欠落していれば何らかのストーリーを作って
危険回避の方法があると納得して
安心したいということになるでしょう。

そうやって、真実が知りたいと思っている時に
妻の支援者が
「それは夫のDVですよ」
と言えば、つじつまの合った話が完成しますから
「夫からDVを受けた」
という記憶が作り上げられるわけです。

しかし、実際はDVを受けていないので、
自分に痣ができていたり、寝転んでいる事情を
詳しく質問しても出てこないのです。

これは、実際は存在しない身体的DVの記憶が
作り上げられる過程です。

もう予想がついていると思うのですが、
存在しない精神的DVの虚偽記憶の作り方も同じです。

自分が不安を抱えていて、解消行動もないということは
実際にかなりのストレスフルの状態です。
場合によっては、猛獣にかみつかれそうになっている状態と
同様なストレスフルになります。

命の危険はないけれど、
不安解消要求が慢性的に持続しているために
精神的な消耗は猛獣の場合よりも大きくなるからです。
人間の不安解消要求に耐えられる時間は
ごく短いもののようです。

耐性期間を超えて苦しみ続けている人にとって、
「あなたが苦しんでいるのは
夫の精神的虐待が原因だ」
といわれれば、そうなのかと記憶が書き換えられるのです。

妻の方も、
自分の苦しんでいる原因がある
言葉で説明できる
というと、人間の危機回避のシステム上
大変楽になります。
夫から離れさえすれば
不安が解消できると思って
そのアイデアに飛びつくわけです。
これは生きるための仕組みである以上
妻の立場に立って考えると
やむを得ない側面もあるように思われます。
(と思うことができますか?)

但し、どのような精神的虐待行為なのかは
なかなか言葉で説明をすることができません。
ようやく支援者が聴き取ったエピソードが
毎月5万円しかお金を渡されないということならば
「それは精神的虐待だ。DVだ」
と高らかに宣言しているようです。

しかし、実際の事例では、
旦那さんの賃金が手取り20万円程度で、
妻は専業主婦。
電気、ガス、水道などの公共料金は夫の通帳から引かれ、
子どもたちの分を含めた保険のお金も
そこには含まれない、
コメやみそなどは夫が買い
ほとんどおやつ代というか小遣いなのです。

無理やりDVに仕立てようと根掘り葉掘り尋ねられ、
ようやくヒットした話なので、
妻も実はこうだとは言えなくなるようです。

あとはシェルターにでも行ってしまえば
携帯電話は取り上げられ、
自由に家に帰ることもできなくなります。

保護命令の申立書の用紙が渡され、
名前を書いて、アンケート用紙に記載すれば
申し立てることができます。
この時、妻も半信半疑な人がいるらしいのですが、
裁判所は保護命令を出したと言っています。

やはり自分は夫から命を奪われそうになっていたのかと
新たな恐怖感情が生まれるきっかけになるでしょう。

ある人は、もう離婚が成立したと嘘を言って
離婚調停を依頼したことになっていた弁護士費用を
法テラスに払って、
手紙を出しただけの弁護士に報酬も支払う約束をして、
夫の元に逃げ帰りました。
離婚の成功報酬は夫が支払いました。

現在、妻の不安とその不安による家庭崩壊については、
私以外それほど言っている人がいるようには思われません。
勉強不足であれば幸いだと思っているくらいです。
肝心の内科医が、家庭崩壊の危険の啓発と
不安に対する対処方法について
あまり興味を持っていないようです。

人間が家族など人間関係を持っていれば
その人間関係が壊れることの予防をしなければならないと思います。
これが現代日本の科学では欠落しているというのは言い過ぎでしょうか。

また、何らかの妻の支援の啓発では
夫の家事参加、共同家事でお茶を濁されることが多いようです。
できないことをやれということで、
妻の不安は解消されず、
夫のストレスも大きくなって行き、
しわ寄せが子どもへの八つ当たり
ということは心配しすぎでしょうか。

一昔前までならば
夫婦は大家族や、地域コミュニティーの中で
お互いへの対応を学びながら、
年寄りに怒られながら
夫婦として長年暮らしていたわけです。

今はこれがありません。
隙あれば、夫婦仲を壊して実家に戻そうとする
親が増えているように感じてなりません。

家族という、弱いユニットですが、
人間が安心する場所として機能すべき場所を
国民世論で育てていく必要があると
痛切に感じています。

行政や自治体という妨害者を乗り越えて
家庭が崩壊するメカニズムを研究し
たくましく幸せな家庭を作るために、
もっともっと国民的議論、研究が巻き起こすことが
今求められていると思われてなりません。

もっと力があればと思わずにはいられません。

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【講演のお知らせ】「普通の夫が妻から離婚を突き付けられる理由」 ~「家族の中の他人」が生まれる時~ [家事]

すいません。開始時間は6時45分だそうです。
私はなるべく6時からスタンバイしています。
12月14日

12月20日午後6時からアエル28階研修室で
講演会を行います。(主催:みやぎの萩ネットワーク)
現代の夫婦はあまりにも夫婦関係に無防備だと感じます。
私は離婚事件も多く担当する弁護士ですが、
離婚事件を担当していると
離婚しなくてもよい夫婦が
いつの間にか泥沼の訴訟劇を繰り広げている
と感じることが多くあります。
相手の欠点弱点不十分点を強調し
双方多大なる精神的打撃を受けています。

夫は身も心も打ち砕いて働いていたのに
妻たちは、夫が定年になり
家にいることに恐れをなしているという
悲しすぎる現実が多く生まれているようです。

そして明日は我が身です。
楽しく生きるために、
家族の楽しさを子どもに引き継ぐために、
家族が、「ただいま」と笑顔で家に帰れるために、
一生懸命お話をさせていただきたいと思います。

夫の立場、妻の立場の方
それからこれから結婚しようと考えている方
是非おいでください。
今ならまだ間に合うかもしれません。

お話をする内容は以下の通りです。

第1部 実態編

あなたの妻は実際はあなたをどのように感じているのか
法律事務所での妻の言動:「同じ空気を吸いたくない」
家裁の調停の部屋の出来事
妻が抱いている不安
夫が家の中にいる他人 ボブ・サップ
不安を解消したい = 動物の生きる基本

幕間 問題の所在 何か原因があるということに気が付くこと

どういうタイミングで妻にとって夫が「変わった」のか
共感とはなにか
心が通っていれば

第2部 分析編 家族という仲間から他人になる事情

出産による変化
赤ん坊に対して共感しやすくなる効用
大人に共感できないことの効果
産後うつへのケアと精神的変化を招く病
大人になれない夫
実に簡単な封建制度化の夫婦
夫の家庭の中での不在
家庭の中に正義を持ち込む夫
日本人男性には多い子どもの視点

第3部 対策編 楽しい家庭、安心できる家族は自分たちで作る

パーソナルスペースの活用
安心 = 仲間として尊重される
安心の記憶が想起できないことへの対処
言葉の効用 = 敵意のないことを示す 会話は毛づくろい
話を聞くという訓練

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働き過ぎの男たちが不安定なパートタイム家族になっていないか。中高年の働き改革は定年後の自分のために急務 [家事]



夫が定年間近の妻たちの女子会での話題は、
定年後に夫が一日中家にいることになることに対する
不安と言うか、半ば嫌悪感を
確認しあうことらしいです。

男の立場からすると
家族のために体と睡眠時間と神経をすり減らして働いた挙句、
ようやく定年退職になって一息つこうとしたところを
邪魔者扱いされるのですから
とてもやりきれない思いがあります。

パートタイムや派遣労働等の非正規雇用は
不安定雇用等と言われ、潜在的失業者と言われることがありますが
家族という視点で見た場合、
働き過ぎの夫はパートタイム家族のようです。

朝ご飯を食べて家を出て、
夕方帰ってきて夕ご飯を食べたり食べなかったり、
風呂に入って寝る。
会話らしい会話もなく、
そして起きてまた仕事に行く。

余り人間らしい接点がないと言えばないかも知れません。

認知心理学でいうところの
単純接触効果は、
人間は、近くに長くいる人に情が湧いてしまう
仲間だと思ってしまうというものですが、

逆に一緒にいる時間が短いと
仲間だという意識が根付かないで薄れていくのでしょう。
一緒にいる時間中寝ていたのでは
何の意味もないわけです。

何か相談事があっても
例えば子どものこととか相談したくても
家にいなかったり、
「仕事で疲れているんだから後にしてくれ」
とか言って相手にしないことのつけが
積もり積もっているかもしれません。

家族は、あなたのお金以外の価値を
あなたに期待することをあきらめているかもしれません。

短時間だけ家に一緒にいるという
いわばパートタイム家族は、
不安定家族であり、潜在的孤立者なのかもしれません。

まさか追い出されたりはしないでしょうが、
好意をもって受け入れられなければ
大変居づらい余生となってしまいます。
健康面で不安がある場合も
あまり熱心に心配されることもなく
十分な介護をしてもらえないかも知れません。

仲間だと思われていない夫は注意する必要があります。
あなたは、自分が攻撃的意図をもって話をしなくても
家族は、特に妻は、
あなたに安心していません。
端的に言えば敵かもしれないと思っています。
あなたは自分を攻撃する存在かもしれないと思っているわけです。
これは理屈ではなく、感覚ないし本能です。

仲間は自分を守ってくれるものですが、
あなたが給与を家計に入れることは
高度に抽象的なので、本能を動かしにくいのです。
実感として守られているとすんなり受け止められないかも知れません。
ましてや、あなたの苦労が瞬時に理解できるわけでもありません。

さて、仲間だと実感できない場合は、
自分を攻撃するかもしれないと身構えるのは本能です。
あなたの些細な言動が
自分を攻撃しているものかもしれないと考え
危険の可能性のあるものに対して素早く対応しようとするのも本能です。

あなたが、家族に対して
うっかり会社で部下に対してする以上に
命令的な口調や辛辣な評価をしてしまうと
ああ、やっぱり自分を攻撃する存在なのだ
という防御を固めていくことになってしまいます。
次第にあなたから遠ざかることによって
妻は自分を守ろうとするでしょう。

自分は大丈夫だと自信のある方はどれくらいいるのでしょう。
そうならないためにどうしたら良いのでしょう。

私は、自分の働き方改革をすることが必要だと思います。

キーワードは、既に出ています。
「仕事で疲れているんだから後にしてくれ」
これは家庭のことは後にしてくれ、
自分以外の家族で解決してくれ
ということなのです。

誰しも働く男性は共感するセリフですが、
ここが間違っているということが「働き方改革」です。

考えても見てください
家族のために働いているのに
家族のために話を聞くこともできない
これは矛盾なのです。
本末転倒だったということをしっかり自覚する必要があります。

あなたがまだ定年前であるならば
このような働き方はやめるべきです。
長時間働いて、家族と一緒に過ごす時間が足りない上に
わずかの短い時間を家族のために使えないくらい
心身ともに疲労しているならば
それは「家族のために働いている」
とは考えてはならないのです。

自分が会社などで、上司や同僚や部下に
評価されるために働いている
そう思い直した方がよいようです。

そのことが悪いわけではありません。
しかし、不安定家族となる要素です。
どちらをとるかはあなた次第です。

ここで再度申し上げますが
仲間意識というのは、
理屈で構築するものではありません。
直感や本能で感じるものです。

あなたが家族のために給料を稼いできた
それが当たり前だと思うならば
あなたが家庭を顧みないで働いて
給料を家に入れることも当たり前だ
という意識になっているわけです。

こんなに頑張っても報われないなんてひどいじゃないか
と思うのも当然ですが、
仲間だと感じることができない「人」が不遇な思いをしても
その無念さに共感されることはないのです。
いち早くこのことに気が付くべきです。

家族との時間を減らしたり
家族との時間に疲労を残して貢献できないような仕事は
やめるべきです。

もちろん家族と話し合う必要はあります、
家族と一緒にいる時間を増やしたい、大切にしたい
という意思表示は、きっちり口に出して言うべきです。

必要な収入を確保しながら
家族といる時間を増やすということが理想です。
若い人ならば転職をするということもあるでしょう。
逆にあなたがある程度力があるならば、
労働時間短縮に知恵と力を使うべきです。

多少の収入減であれば
家族にも理解されるでしょう。
家族といる時間を増やすための努力も
家族に情報提供をするべきです。

失敗しても仲間意識だけは生まれていきますし、
家族のために働いているという意識も持ってもらえるでしょう。
何よりも、話をすることが
仲間意識を育てる大きなポイントです。

ロビン・ダンバーという私の尊敬する学者は
人間がサルのように他者の毛づくろいをしない理由は
言葉による接触ができるからだと
言葉の発生を説明しています。

攻撃的意味あいのない言葉は
敵意がないことを示しているということであれば
そういう側面が強くあるのだと思います。

自分のために、自分の老後のために
労働時間を短縮して家族といる時間
家族と話をする時間を増やすということが
私たちの働き方改革ということになるのだと思います。

では、家族といる時間を長く増やして
何をすればよいのでしょう。
何を話せばよいのでしょう。

もしかしたら、そのような不安を持っているかもしれません。

ロビン・ダンバーの学説は、
こういうところでも役に立ちます。

会話は「毛づくろい」ということです。

猿が毛づくろいをするのは敵意がないことを示し仲間意識を作るためです。
私はあなたに敵意がありませんということですから、
会社での会話のように
何か目的を達成するための手段ではありません。
何を話すということではありません。

もしかするとそれが一番苦手なのがわれわれ男性なのですが、
一番のコツは、
ニコニコして、話を聞くということです。
そして突っ込まない。
突っ込む場合でも、こういう場合もあるよというように
否定しないで修正する。
芸人のマネをして突っ込むと
家庭の中ではきつくなりやすいということを覚えましょう。

共感できるところを探し出して共感することも良いです。
「ああ、そうだね」ということでもよいです。
かなり面倒だと思っているかもしれませんが、
女性同士はみんなそうやっていますし、

要はなれということです。

進学に備えて勉強をして
就職に備えて進学したのですから
老後に備えて毛づくろいコミュニケーションを
学んでいくことはそれほど難しいことではありません。

また、常に完璧にしなければならないものでもないです。
攻撃的にならなければ
「わからない」という逃げ道もアリです。

また、会話が苦手な方は
家の外に出るということを積極的に行うことがよいでしょう。
家の外にいると、一緒にいるだけで心強いです。
荷物を持ってもらえばもっと嬉しいです。

まあ、同じ趣味をもって同じ時間を過ごすなんてことも
提唱されているようですが、
ハードルが高いように私は思います。
日常を共有する方が無難だし確実な気がします。

「ばかばかしい」

とここまで読まれた方の何割かはそう思っているでしょう。
そういう方こそ
人間の幸せについて考えるべきです。

一緒にいることを喜ばれる仲間がいること
私はこれが人間の幸せだと思っています。

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離婚調停で、実質的な話し合い抜きの不成立は許されない。真面目に本来の家事調停を実施しよう。 [家事]


離婚調停を担当していてとてもおかしいと思うことがあります。
実質的に離婚についての話し合いをしてもいないのに、
調停委員から、
「申立人は離婚の意思が固いです。
 あなたは、離婚をしたくないという。
 これでは、話し合いは平行線のままなので
 申立人は不成立で終わりにしたいというのです。」
つまり調停を打ち切って裁判にしたらどうだというのです。

どうやら、申立人側についた代理人の意向らしいのです。
極端な場合は、調停の最初の日にそんなことを言われることもあります。

調停委員の考えでは、
離婚調停が申し立てられた以上、
離婚を受け入れて慰謝料や財産分与、親権などを話し合うのが
調停だというかのようです。

なんとなく、
確かに離婚するしないで意見が対立しているならば
話し合いが成立しないから仕方がないか
などと考えてしまいそうになります。

しかし、これは大間違いだと思うのです。
なぜ大間違いなのかをこれからお話しします。

一般の方はあまり意識しないことだと思うのですが、
調停にまでなる離婚というのは、
どちらかが離婚したくて、
どちらかが離婚したくない場合がほとんどです。

そうだとすると、
離婚をするかどうかの話し合いは許されず
離婚調停は、離婚をしたい人のためだけの制度ということになります。
離婚をしたくない人は話し合いをできず、
裁判をしなければならなくなります。

しかし、離婚は、調停で話し合いをしなければ
裁判をすることができなくなっています。
これは一つに、離婚をするかしないかは当事者が決めることが第一で
裁判所が介入することは必要最小限度にしようという考えと
特に子供たちがいる場合は、
離婚をして終わりではなく、
離婚後も新たな関係が続くわけですから、
話し合いで解決して、できるだけわだかまりを小さくすることが
関係者一堂のために最善だということから
法律で決められているのです。

ある意味、
離婚したくない人も
話し合いをする具体的な権利を有していると
いうことができると思います。

離婚を受け入れなければ裁判だとなれば
この話し合いの権利を奪われることになります。

では、何を話し合うか。

離婚をしたくて離婚を申し立てたほうにこそ
実は話し合いの利益が大きいのです。

「私が離婚したい理由はこれこれだ。
確かにあなたが悪意でこういうことをしているわけではない
ということは私もよくわかる。
でも、あなたはこうしてしまう。
私は何度もあなたに対してこう言ってきたはずだ。
それでもあなたはそうしてくれなかった。
貴方と一緒にいることはとても苦しい。
このままの関係を続けることができない。」

大体こういうことを言うわけです。

ここで、相手方が、
「それは分かった、自分の生き方を変える
これこれの人にもそういわれて
今回別居や離婚調停が始まって、
初めて身にしみてわかった。
どうかこうして欲しい。」

申立人が
「それはこういう理由で不可能だと思う。」とか

こんなやりとりをしながら、
離婚をしたい理由や心情を相手方に理解させる

相手方は、離婚自体に納得できないとしても
相手が離婚したい気持ちをおぼろげながらでも
把握することができる。

そうすることができれば、
案外離婚の成立は早いものです。
そのためには、相互に相手を理解する努力をして
自分を理解してもらう努力をする
それが離婚調停なわけです。
ひところまでは、
そうですね、10年以上前まではそれが常識でした。

弁護士の仕事は、
相手と自分を理解する作業を一緒に行い、
相手に理解してもらう作業を行うということでした。

そうやって、
一方的な離婚とせずに、
また、相手を全面否定することなしに、
できるだけソフトランディングするように努力する。
そして最低限度の信頼関係構築して
離婚後も別居親が子供の成長にかかわることができるように
養育費や面会を実現する基礎を作ったものでした。
もちろんうまくいかないこともあります。

ただ、相互理解がある程度できれば
離婚までの期間が短くなる。
離婚後の関係がある程度良好になる
というメリットがあったわけです。

今の離婚調停は、
離婚するかしないかの結論が違うならば
調停をしないとでもいうようなものです。
しかし、その結論が違うから調停になるわけです。
それなのに、なぜ離婚をしたいかという
肝心なことを話し合えないなら、
離婚を先に進めるための制度になってはいないか
離婚をしたくない人の権利をあまりにもないがしろにしていないか
という大きな疑問が生まれるわけです。

実際は、このような一方的な離婚調停をしているから、
離婚裁判が長引き、
離婚後のトラブルが起きやすくなっているのだと
私は思います。

あたかも、離婚という結論を急ぎたい
そういう焦りみたいなものを感じてなりません。

しかしそんなに離婚を急がなければならない事情が
本当にあるのでしょうか。
それまで夫婦として同居していて、
楽しいことも、一緒に頑張ったこともあったわけです。
離婚ともなれば、精神的にもショックですし、
人生に対して暗い影を背負うことも実際にあります。

何よりも子どもたちに対するマイナスの影響が
これでもかと押し寄せるのです。

感情的な、相手方に対する憎しみが強いほど、
離婚の悪影響が子どもたちに浴びせられます。

突如一方が離婚をしたくなったから、その意思が固いからと言って
そんなに急いで離婚をする利益を認める必要があるでしょうか。
それまで結婚した相手や子供たちに対して
できる限り納得できる機会を与えることが、
優先されないということはどうしてもおかしいと思えてなりません。

私も調停委員です。
家事調停ではなく、主に民事調停を担当しています。
「双方の意見が違うから
話し合いにならないとして
調停をやめて裁判にしてください」
などということは最後の最後まで言いません。

意見が違うから紛争になるのであり、
どうして意見が違うのか、
双方が納得する結論はないのか
真剣に双方と調整をしています。

調停委員もまるっきりのボランティアではありません。
税金からわずかながら報酬をいただいています。
始めから調停をする気がないようなことをするわけにはいかないのです。

そんな実質的な話し合いもしないで裁判をやれなんてことは
調停制度を否定するものだと調停委員に言うと、
「それではそのお話を相手方に伝えます」
と言われることがよくあります。

確かに結論を伝える時は
正確に伝えなければなりません。
当事者が言ってもいないことを
勝手に忖度していうわけにはいきません。

しかし、相手の話を伝えることが調停委員の役割ではありません。
紛争の要点を見極めて、
お互いの納得ができるように働きかけることが肝要です。
特に調停の進行については、
調停委員の役割です。
調停委員の考えで、責任をもって調停を行わなければなりません。
特に調停の進行に関する意見は
伝書バトになるわけにはいきません。

調停委員は、その意見について自分の意見を示すべきでしょう。
家事調停を行うべき調停委員が
家事調停の自殺をするような進行になってしまうと思ったら、
実質的に家事調停を行うべく、
相手方を説得しなければなりません。

また、裁判官も、
このような調停の進行に対する意見が出たら
調停委員会を総括するものとして
見解を示すべきです。

毅然として実質的な家事調停をするように
自らが調停に参加しなければなりません。
不幸にして未熟な調停委員会が
実質的な調停をすることなく不成立として
訴訟を提起した場合は、
付調停にするなどして
話し合いを再開させなければなりません。

それが法律の姿勢だと私は思います。

何よりも批判されなければならないのは
実質的な話し合いをしないで不成立にする弁護士です。

なぜ、実質的な話し合いをしないのか、
なぜ弁護士が不成立を急ぐのか、
これは大問題を秘めている場合があります。

離婚をしたい当事者は、話し合いをしたくないのでしょうか。

これはそんなことはありません。
むしろ調停という安全な場所で、
相手が調停に来ているせっかくのチャンスの中で、
弁護士という見方がついていたら、
どうして離婚をしたいのか、
どうして自分を苦しめる行動をしたのか
その時自分がどういう思いだったのか、
積極的に話をしたいという人がほとんどです。

子どもたちのために行動を改めてほしいと
実際はそう願っているのです。

これが申立人側の代理人をやっていての実感です。
第1回期日で相手方が何も言わないで離婚を受け入れ
条件もほぼすんなり決まってしまって、
これが調停なのかと怒り出す元妻もいました。

人生のけじめをきちっと大人同士として付けたいようです。
もっともなことだと私は思いました。

当事者の中には、
弁護士が入ってしまうと
弁護士の都合で離婚調停などを決められてしまっていると
考えている人たちが実に多くいます。

つまり、離婚調停を早く打ち切りたいのは
弁護士の都合だというのです。
裁判をやって一方的に離婚判決を得て、
(そのために、出来事を針小棒大に主張して)
一日も早く報酬を得て、
次の仕事をしたい
そういうことだろうというのです。

他人の人生を自分の儲けの道具としか考えていないと
憤っている人たちが実にたくさんいます。
もし、これが本当であれば
弁護士としての品位を汚す行為になると思います。

そういう考えは、自分を悪く考えられない、
(実際に落ち度がない場合と、
他人に原因を求めてしまう性格と
色んな場合とあるようです)
という当事者の特殊な考え方だけではありません。

実際に人権擁護委員の先生とお話をしていると、
役所や相談機関の言う通り離婚をしたが、
性格は苦しいし、心理的にも追い込まれている
こんなはずじゃなかったと連絡をしたところ、
「離婚を決めたのはあなた自身です。
 こちらに責任を求められても困ります。」
と言われたという相談が来るようになったというのです。

離婚調停や訴訟で、
自分から離婚を求めていながら、
相手から反対の証拠を出したりしてなかなかうまくいかないと
自らが警察や役所で相談したときの相談記録を
証拠として提出してきて、
「この通り、自分は説得されて別居したし調停を申し立てた
本当は自分は、別居も離婚もしたくなかった」
という主張がなされることがぼつぼつ出てきています。

記録を読むと確かに、
役所の人たちは何時間も説得して
別居をさせているようです。
ようやく説得することができたなどと
報告書に書いてあります。

警察まで呼んで夫の抗議を遮って別居しながら
やっぱり、自分は離婚をしたくなかったとして
離婚届を出したと保護機関にうそを言って
夫の元に戻ってきたという事例もありました。

どうも、当事者は、特に妻は
自分の意見をきちんと言えず
公的な人から言われたまま離婚手続きに入ってしまうことが
確かにあるようです。

調停を早く打ち切って裁判にする
という姿勢と共通のにおいを感じます。

つまり、
調停を続けていくと
妻が「やっぱり離婚をすることをやめる」と言い出すかもしれない
早く調停を打ち切って裁判にしたほうが良い
裁判にすれば夫の方も
悪いのは妻の方だと妻を攻撃してくる
裁判での夫の態度を見れば
妻の離婚の決意は固まる
こんな考えで行ってはいないか心配になってきました。

要するに、
可哀そうな妻は、
自立する行動を毅然と取ることができないために、
後戻りできないように手続きを進めなければならない
自分で自分の幸せに向かっていくことができない
男性に依存している可哀そうな女性であるから、
こちらで前に進めてあげなければいけない人なのだ
そんな蔑視をしている考えで行っていたら大変なことだと思います。

あたかも売春防止法の女性保護と同じ構造というわけでは
いくらなんでも違うだろうとは思うのですが、
担当部署は同じであるようです。

揺れ動くのが人間だと思います。
また、夫婦として一緒に生きてきたということだと思います。
特に「子供たちのために我慢する」という考えが
今家庭裁判所で通用しにくい場合があるようです。

調停委員会だけでなく、弁護士の相互批判によって
法律に従った情のある家事調停を取り戻すことが求められています。

一般の方々も離婚調停を経験した当事者の方々のお話を聞く機会があれば
自分のこと、自分の子供のことになりかねないことです。
ユーザーとして制度に大いに口出しをしていただきたいと思っています。

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10分で話す家庭の中の子どもの人権 子育てで最優先するべき一つのこと [家事]

こういう事態は避けるべきなのですが、
事情があって10分で家庭の中の子どもの人権を
語らなければならないことになりました。

とは言っても、
時間をとって、くどくどと説明したから
相手に伝わるかと言えばそうでもなく、
どんなに話しても心に残るのは
それほど多くないとは思うので、
一つの修行だと思って準備をするわけです。

この記事がそれなのですが、
今担当している事件の主張文にもつながるので
前向きに頑張っています。

先ず、人権を語るということは外せません。
ただ、これをくどくどと説明すると1年講義でも終わりません。
ここでは結論だけ。

「人間が長い時間をかけて作ってきた
 共同生活をするための工夫」
という程度にとどめておきましょう。

人権が侵害されると、
人間は、他人の中で生活することが苦しくなるわけです。
そういうものが人権とも言えますね。

家庭の中の子どもの人権、
特に家庭の中の人権ということは
概念的にとても面白いのですが、
国家権力概念をどのように反映させるかとか
この辺は全て省略しましょう。

ただ、子どもが家庭の中で健全に成長する
「健やかに育つ」の方がよいでしょうかね。
そのために親がやるべきことは何か
ということでよいかもしれません。

ここで「港の理論」に行きたいのですが
なにせ10分ですからつながりを気にしていてはいけません。
強引に話を進めることになります。

幼児が歩き始めて、
歩く距離をどんどん伸ばしていくわけです。
これは、親から離れていくことにもつながるわけですが、
最初は、親に背を向けて歩き出すだけで不安になります。
直ぐに振り返って親がいることを確認して、
また歩き出します。
振り返って「もと来た道を戻れば必ず親がいる
という安心感」があるからこそ、
思い切って遠くまで歩いていくことができるわけです。

これは、精神的にも、あるいは社会活動の意味でも同じだということ、
学校や、塾や、地域や、さらには職場と
子どもは成長するにつれていろいろな集団に所属します。

親が自分を受け入れてくれる
あるいは「自分には帰るべき家族がいる
という安心感」があるからこそ
家庭をはなれて、活動をすることができるわけです。

親が子どものためにしなければならないことは
この、
「自分には帰るべき家族がいるという安心感」
を与えてあげることなのだと思います。

どうやったら良いのか?
安心感とはどういうことか?

ここはいろいろと理屈を言えれば説得力があるのですが
やはり結論を示すだけ。

いつまでも仲間として扱われるということです。
仲間はずれにされないということが安心感です。

これと反対なのは、
テストで100点取れなければ家から出て行けとか
スポーツチームのレギュラーになれなければだめだとか
どこの幼稚園に入らなければどうのこうのか
仲間でいるための条件を課せられないということです。
もちろん虐待があったのでは安心できません。
仲間はずれの危険フルスロットになります。

友達といざこざがあっただけで
簡単に天涯孤独を感じるようになってしまいます。

では、仲間として扱うということはどう言うことでしょうか。
「どんなことがあっても見捨てない」ということのアッピールになると思います。
でもその言葉を繰り返しても仕方がありません。

私が提唱しているのは、
「弱点、欠点、不十分点を
 責めない、批判しない、笑わない」
逆に、自分のことのようにフォローするということです。

これは親が赤ん坊にやっていることそのものなのです。
成長に合わせて形を変えて行うということです。

帰るべき家庭があれば
子どもは強くなります。
自己肯定感が出てくるわけです。
いじめにも強くなるし、
成績も上がってきます。

ただ、虐待をしようとしているわけではないし
虐待とまでは言えないけれど
どうしても子どもに八つ当たりをしてしまう。
辛く当たってしまう
という悩みは誰しも持っています。

こういう時、子どものことばかり考えていると
どうしてもそこから抜け出すことはできません。
自分と子どもの関係を
幽体離脱でもしているように天井から見る
ということをお薦めしています。

自分も含めて関係の中で子どもを見るというか

そうして自分の気持ち、子どもの気持ちを考えてみる
ここでは平等に考えてみる。

そうして、自分の行動を修正するべきだと考えるならば
一人で解決しようとしない
多くは、子どもとの時間が長すぎて
他の人と過ごす時間、自分の時間が無くなっていることの焦り
ですから、

子育てを誰かに時間だけ預けてしまうということが有効です。
子どもの父親が先ず考えられますし、
自治体の子育て支援も良いところが多いようです。

実は離婚していて子どもの父親と同居していない
という場合でも、
近くに住んでいるなら子どもを預けてしまう
養育費だけではもったいないということですね。

急な延長保育も無料で(喜んで)対応してもらえるし、
娯楽の提供を受けたり、ご飯も食べさせてもらえるし
お土産までついてただ
シングルマザーこそ賢く生活しましょう。

相手に子どもを会わせるのは嫌だって言っている
余裕のある人はそれほどいないというのが実感です。

子育てをなるべく一人で行わない
これが人間が他の動物と一番違うことです。

この内容を詰め込んで10分
それ以上は話さないという決意が必要かもしれません。

質問があれば
かわいそうと思う心が育つということも
お話ししたいのですが
いかんいかん
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