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【提案】児相を責める前に私たちこそが考えを改めよう!目黒5歳女児事件のような虐待死を繰り返さないための共同養育という人間らしい方法 [家事]

何の抵抗することもできず、
何の責められる理由もなく、
5歳の女児が、絶望を抱きながら亡くなりました。
同居していた母親から助けられることの無い
絶対的孤立を感じていたことと思います。

こういう悲惨な出来事があった場合、
人間が犯しやすいエラーは
誰かを責めることです。

誰かを責めることでは
悲劇の繰り返しを絶つことはできません。

児童相談所を責めることは慎重にするべきです。
この種の事案で児童相談所を責めた結果、
本来引き離さなくてもよい親子が
引き離されるということが起きています。

目黒事件という起きてしまったことから目を離さず、
二度とこういう悲劇を起こさないようにしなければなりません。

私たちが変わることで悲劇が一つでも減るならば、
どんどん変わっていこうではありませんか。

今回は不幸にして5歳女性は亡くなりました。
しかし、これは氷山の一角と考えるべきです。
つまり、
亡くならないまでも
心身を虐待され、
安心して帰るべき家を持たない子どもたちがいるのです。

人間が助け合うものだとか、信じられるものだということを
知らないまま大人になっていく子どもたちがいるということなのです。
人間として生まれてきたはずなのに
人間として生まれてきた喜びに接することができない子どもたちがいるのです。

このような最も基本的な人権が今後も守られないなら
そんな社会は死滅していくだけでしょう。


児童虐待一般の問題を考えても仕方がありません。
きちんと目をそらさずに実態をみなくてはいけません。

過酷な児童虐待は、
母親の新しい夫や交際相手の男が行い
実の母親が放置したり、共同加害をしておきます。

統計的にも父親の子殺しは極めて少数です。

危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-05-11

母親が多いのは新生児を殺すことがあるからです。
母親の交際相手や新しい夫が虐待死、過酷になることが多いのです。

前夫の子殺しは猿の行動です。
今号の雑誌「正論」では、
埼玉大学名誉教授 長谷川三千子と動物行動学研究家 竹内久美子が
「セクハラ
 そんなのチンパンジーでは常識です
 他人の尻馬に乗る「#ME TOO」運動」
と題して対談をしています。

この表題からしても、チンパンジーもセクハラをするのだから
人間がしても仕方がない、批判するな
と受け止めかねない内容になっています。

しかしさらなる問題はその後です。
チンパンジーの雄は雌と繁殖行為をするために
相手のメスの前夫との子どもを殺すということを述べていました。
チンパンジーのセクハラが常識だから非難をやめろというのならば、
チンパンジーも子どもを殺すからなんだというのでしょう。
そらおそろしいことが、埼玉大学名誉教授らによって
語られているわけです。

なぜ人間は服を着ているか少し考えるべきです。
また、人間の雄の犬歯が大きくない理由についても考えるべきでしょう。

正論という名前の雑誌ですから
今回の事件を受けて
何らかの説明記事を次号で出すことだと思います。

それはともかく、
前夫との子どもを殺すのは猿並みです。
しかし、そういう猿並みの男が現代日本に一定数いるのだということになるでしょう。

我が子に対する過酷な虐待を放置している母親の事情があるのかもしれませんが、
その事情について大変興味があります。
詳細な説明を引き出して国民に還元し、
悲劇の防止に役立てるべきだと思います。

いずれにしても、今回の事件が特異な二人によって起こされたというよりは、
今後も起きる要素があるのだということを
しっかり考えなければなりません。

現在この種の事件を繰り返さないために考えるべきこと
私たちが修正するべきことが一つあります。

それは、離婚をしたら、
一方の親だけが子どもと関わり
他方の親はお金だけを払うものだ
という単独養育の風潮があるということです。
もしかしたら、私もどこかでそういう風に考えているのかもしれません。

「だって、理由があって離婚するのだから
 相手とは二度と会いたくないのが当たり前じゃない。」
そういう風に、子どもを別居親に会わせることは
同居親にかわいそうなのではないかと思う傾向があるかもしれません。

確かに嫌でしょう。会わせたくないでしょう。
その気持ちまで否定しようとは思いません。

しかし、そのような素朴な感情が支持される風潮は、
母親が子どもを父親に会わせないことの疑問を
私たちから奪ってしまいます。

今回5歳の女性が死亡しました。
女性には父親がいたはずです。
父親という逃げ道があったはずなのです。
しかし、この様な会わせたくないことを支持する風潮は
子どもからせっかくあるはずの逃げ道を奪ってしまうのです。

もっとも、別居親と死別していた、遠方にいる等の事情もあるかもしれません。
しかし、その時は、父親の両親など新たな逃げ道が
子どものために用意されるべきだと思います。

子どもが別居親と面会することのメリットは数え切れません。

これまでアメイト等によって統計的に裏付けられてきたメリットとして
自尊心の低下の防止があげられていますが、
もっと現実的な効果があります。

今回の目黒事件のような虐待を防ぐことです。
平均体重より12kgも軽い身体状態をみたら、
子どもを奪い取ることができます。
自分の子どもですから、
会いに来たのに子どもに会わせられないまま帰る
やる気のない公務員に任せるよりも確実です。

また、そのような状態になる前の抑止力になります。
即ち、1カ月に一度でも子どもと別居親が会うということになれば、
虐待を疑わせるようなことはできなくなります。

別居親との面会がなかったことが
東京を密室にしてしまいました。

確かに同居親には抵抗があるでしょう。
しかし、やっぱり子どもを産んだ以上は仕方がないのです。

子どもを会わせないわけにはいかない

こういう風潮に私たちを変えていかなければなりません。
みんなが同居親の精神的苦痛を配慮して、
子どもとの面会を助けるような社会にしなければなりません。
同居親を励ますことが必要です。

行政は、離婚した相手と自分は会いたくないけれど
子どもには会わせてよいという同居親が
子どもに会わせやすくするような環境を整えることが急務です。

安価な使用が可能とならなければなりません。
それは行政こそがやるべきなのです。

(私のこのような主張が河北新報に掲載された後
 記者さんが宮城県と仙台市に見解をただしたそうですが、
 どちらも全く考えていないという回答だったそうです。)

現在は、同居親の自分ファーストの感情を支持し
別居親と子どもを引き離すことばかりが行われています。

子どもへの影響を考えることができず
感情的になっている方を支持するということは
感情のまま子殺しをする
直接的な因果関係しか認めない猿並みの思考だと
自分たちを厳しく戒める必要があると思います。

私たちは人間なのです。
親に会いたい子どもの援助をしなければなりません。
会いたいといえない子どもにこそ必要なことです。
それができるのは人間だけです。

ここでもう一つ児相を責める前に指摘しなければならないことがあります。

それは国会議員です。

一部の議員連盟は、
この種の事件の頻発を防止し、親子の絆を断絶させないということから
法案を作成しています。
私は修正されて換骨奪胎になった法案を全面的に指示することはできません。
しかし、何年も前から準備している法案を
一度も国会で議論しないということは、
きわめて怠慢で無責任な態度だと思います。

法案が通ればデメリットも多いのですが、
子どもを別居親に会わせるべきだという傾向を作ることができる
というメリットがあり、
その法律を執行する過程で
具体的な対策も立てられるかもしれません。

通らないにしても
国会で議論をすることは重要です。

今この問題は、日本会議の機関紙くらいでしか
系統的に取り上げられていません。
これが現実なのです。

幾重にも子どもの逃げ道を張り巡らせて、
目黒事件のような悲劇を断絶することが必要です。
そのための第1歩が
離婚後の共同養育ということになります。

あと何回罪のない子どもの
絶対的孤立、絶望の末の死の報道に
私たちは立ち会わなければならないのでしょうか。
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品質偽装等の企業犯罪が起きる理由 コンプライアンスという言葉が意味をなさない理由 [刑事事件]

長年にわたり品質検査を改ざんしたり、
検査そのものに瑕疵があり続けていることが
次々と発覚しています。

コンプライアンスという言葉があるくらいですから
今般問題になっている企業も
それなりのコンプライアンスの整備を
お金をかけてやっていたことと思います。

おそらく、法律や道徳という規範(きはん
平たく言えばルール)を守る仕組みを作っていたことだと思います。

長年刑事弁護をしている者としては
なるほどそれではダメだろうなと思っているので、
どうしてダメなのか、どうすればよいのか
ということをお話しします。

刑事弁護で、例えば万引き犯の弁護をすると
万引きが窃盗罪に当たるかどうかはともかく、
それが法に触れることだということを知らない人はいません。

もちろん、法律は守らなければならないことで
自分のしたことは悪いことだということはわかるのです。

多くの刑事裁判で万引き犯は、裁判所で、
悪いことは重々分かっている
今後気を引き締めて二度とやらないことを誓う
という言っていることでしょう。
これでは万引きを繰り返すだけです。

色々なノウハウがあるのですが、
今回は企業犯罪との関係に絞ります。

要するに、「法律があるから、道徳があるから
人は犯罪をしない」
ということではないということが重要です。

こういう考えは、
人間の自然体は犯罪を厭わない弱肉強食だ
だから法律があって悪辣な人間を縛るのだ
という考えです。
中国でいえば、荀子の思想になじむものです。

しかし、どうですか、
あなたは、法律で裁かれなかったら
弱い者から金銭を巻き上げて平気でいられますか。

あなたが殺人を犯さないのは
法律があるからですか。

小学生を拉致してぼこぼこに殴らないのは
道徳に反するからですか。

実際は、それをしたいと思わないからしない
という方が実態に近いように思います。

しかし、種々の事情
広い意味で自分を守るため等の理由から
犯罪を起こします。
その時、法律や道徳があることは
あまり実行を妨げないようです。

先ほども言いましたが、犯罪を実行した人は
自分のしたことが法律や道徳に反することを
知っています。

では、どうして、多くの人たちは
自分を守ると言っても犯罪を実行しないのでしょう。
思いとどまる理由は何なのでしょうか。

私は、それは、被害者に対する共鳴、共感があるからだと思います。
命を落とすことの恐怖、
お金を巻き上げられ事の経済的損害や屈辱、恐怖
叩かれることの痛さ、怖さ、孤立感
そういう負の感情を共感、共鳴によって感じ取り
ギリギリのところで自分の行為を思いとどまる
こう言うことが多いのではないでしょうか。

それを裏から証明することができます。

弁護士が弁護する被疑者被告人の方々は、
自分がした行為によって誰にどのような迷惑、被害を与えたか
直ぐに口に出すことができません。
その人の苦しんでいる顔を想像することが
色々な事情によってできないようです。

大型店舗の万引き犯の場合に苦労するのも
そういう具体的な人間の感情を伴った被害を
想像してもらうことなのです。

結局犯罪はなぜ起きるのかというと、
実行時に、被害者の心情に共鳴、共感できないからだ
ということになろうかと思います。

だから刑事弁護では、
まず初めに、具体的な人間が被害を受けて
悲しんでいたり、苦しんでいたり、という当たり前の感情を
想像して、言葉に出してもらうことから始めています。

形式的な法違反ではなく
実質的な法益侵害を理解してもらうという言い方もできるかもしれません。

今回の企業の一連の不祥事は、
世界的信用性を無くすということが指摘されています。
世界的なビジネス常識として、
コンプライアンス違反は
企業の経営状態の悪化を意味しているからです。
余裕のある企業はコンプライアンス違反をしない
という建前があるのは当然です。

さあ、ここから企業はどのような反省をするのでしょうか。
気が緩んでいた、法律や企業道徳の理解が不足していた
今後は気を引き締めて緊張感をもって頑張る
というまるっきり無意味な反省をして
日本という国を巻き込んで沈没していくのでしょうか。
刑事裁判なら限りなく0点に近い反省です。

もう、言わずもがなだと思うのですが、
やるべきことは、
自分が行った不正によって、誰がどのように迷惑、損害を被ったか
どのような被害があり、そのことによって
誰がどのような感情を抱いたか
途方もない被害者になりますが
それを一つ一つ考えていくことです。

それが反省の出発です。
どんなに法律を勉強して
ストッパーを構築しても、
自分の経済活動が人とつながっているという当たり前のことが
企業人すべての共通認識になっていなければ
再発は必至でしょう。

今度はばれないようにやる
という技術だけが向上するでしょう。

大事なことは、自分たちの企業活動が
人の幸せにつながっているという
社会の中の役割感、仕事をするほこりを育てる
ということなのですが、
理解されるか、とても自信がありません。

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自己保身のために文書を改ざんした財務省職員と住民のために自らの命をなげうった被災地公務員は同じ公務員なのか [労災事件]

森友問題で、財務省の高級幹部が
首相の発言に合わせて文書を改ざんしたと報じられました。
これは、国民の行政に対する監視機能を阻止するものです。
国の統治にかかわる問題であり、極めて深刻な問題です。

なぜ、彼らはこのようなことを行ったのでしょうか。
どうしてやめようと体を張る公務員が皆無だったのでしょうか。

国民の利益を考えていないことは明らかです。

では、首相の利益を考えたのでしょうか。
そこには少し疑問があります。
仮にそうだとして、どうして首相の利益を図ろうとしたのでしょうか。

忖度という言葉があります。
なぜ忖度をするのかということにつながります。

私は、結局は自分の利益なのだろうと考えます。

人間は誰かから評価されると安心します。
評価されつづけていると、
評価されないことで不安を感じてしまい、
他人からの評価に執着してしまいます。
いわゆる褒め育ての弊害です。

そうすると、自分を評価する上司等から
自分を評価されたいという気持ちになるものです。

今回も、自分が上のために辣腕をふるい、
汚れた仕事もこなすということで
評価されたかったのだと思います。
つまり自分のためです。

そうでなければ、隠ぺいした文書、
隠され続けている文書に
自分たちの逸脱行為が記載されているという可能性もあります。
そうだとすると自分たちを守るために
国民の利益を犠牲にしたということになるでしょう。

籠池氏に詐欺罪が成立するためには、
相手(国の担当者)をだましたという行為がなければなりません。
はじめから国と打ち合わせをして値引きしたのでは
詐欺罪が成立しません。
そんなことも文書には示されていたのかもしれません。

いずれにしても自分たちの利益です。
国民の利益ではありません。

こう言うニュースに触れるとすぐに思い浮かぶのが
仙台市若林区の職員や南三陸町の職員が、
住民の避難誘導のために、
自らの命をなげうって津波の犠牲になったことです。

私は、特殊公務災害申請の代理人として、これらの出来事に深くかかわりました。

公務員は、天災などの災害時に
住民の避難誘導を行うという公務があります。

若林区の職員は、
これから津波が来るとラジオで非難が呼びかけられていたにもかかわらず、
上司の命令で海辺の住民に避難を呼びかけに
安全な区役所から広報車で向かい避難誘導を行いました。

この活動で命を救われた住民の話によると、
彼らは、いやいや津波に向かっていったのではなく、
本当に一人でも多くの住民を助けようと
意欲的に避難を呼びかけていたようです。

南三陸町の職員も
防災対策庁舎にとどまれば命が危ないかもしれない
ということは重々承知しており、
家族に最期のメールを送信していました。

逃げることをせずに、住民のために自ら命を捧げたのです。

私は、本当にその公務を遂行しなければならないのか
ということにもろてをあげて賛成することはできません。
私の依頼者である遺族の悲しみを見るにつけ
後で非難をされても適当なところで逃げかえってもよいのではないか
と本音では考えています。
自分の家族だったらと思うとそう思わずにはいられません。

でも彼女ら彼らは、住民の命を守るという選択をしたのでした。
私は、もっともっと称賛されるべきだと
常々思っています。

ただ、もっと言わなければならないのは、
津波で亡くなった方はそれだけでないということです。

せっかく年休をとっていたのに、
規則で職場に駆け付けなければならなかった学校の先生が
途中で津波に巻き込まれて亡くなったということもありました。
ただ、教え子を安心させたいという想いから
危険を承知で駆け付けられました。

また、津波には巻き込まれなくても
重大な疾患を抱えながら
住民のために不眠不休の活動をされ
大量の吐血をして亡くなられた公務員もいます。
彼は定年退職間際で、
年休を消化して出勤しなくても済んだのに、
1週間不眠不休で食うや食わずで働きました。

さらに亡くならなくても
被災地の公務員は2ヶ月くらいは休みなく働き続けました。
海辺の避難所を回っていた職員も
自宅を津波で流されていました。
「あなたこそ大丈夫?」という被災者の言葉に号泣してしまったそうです。

県庁の職員は、新聞紙さえひかずにゆかでごろ寝をしていました。

この公務員の災難はその後も続いています。
不眠不休の長時間労働をしてうつ病になったり
長期間家庭をあけたりして
夫婦仲が悪くなって離婚に至るケースが
離婚事件を多く扱っている弁護士と話すと
みんなそういう事例を持っていました。

命を無くした職員とその家族だけでなく
その後しばらくたってから
震災後の活動が原因だとそれぞれがわからないまま
かけがえのない家族を失っているのです。

これが被災地の公務員です。

国家公務員は、同じ公務員でも全く違うようです。
少なくとも財務省職員は違うようです。

自分の利益のために国民の利益を犠牲にする職員が
真実を語らないまま私たち国民の利益のためにしなければならない
仕事を続けるということに
恐怖を感じます。

現政権の問題と切り離して
それ自体の問題もあると考えなければならない問題だと
私は思っています。
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怒りの共感は広がりにくい。日本的政治言論の不可解な未熟さ。 [弁護士会]

八方美人の私が言うのも何なんですが、
というか、八方美人だからこそわかるということもあります。

私は、現内閣の法案には賛成したものや
立法過程に協力した法律もあるのですが、
法律家の立場から、
集団的自衛権の法制化には反対しました。
(周辺事態法で十分だというもの)

今回高度プロフェッショナル制度を含む
労働基準法改正にも反対しています。

高度プロフェッショナル制度の問題では、
国民の多数に対して、
自分たちにかかわるということについて
うまく伝わっていないという分析がなされて
ああ、そうなのかもしれないなという想いです。

ただ、昨今の政治の流れを見ていると、
例えば、公文書の問題の政治的責任について
結論ははっきりしているはずなのに
なかなか世論が動かないということが
客観的にはあると思います。

その要因の一つについて
無責任にもご指摘させていただきたいと思います。

結論として、
例えば現政権批判派の言動は、
怒りが強すぎて、
中間派の人たちに共感されないという以上に
中間派の人たちを現政権よりの行動に
駆り立てているということを感じました。

現政権側の言論についても同じです。

少し説明します。
フェイスブックで、よくわからないうちに
グループに入れられて、
豪雨のような記事のお知らせが来て辟易するのですが、
興味もあるし、有益な情報がある場合もあるにはあるので、
閲覧をすることがあります。

(入れられたグループに寄ると 私は、保守であり、
 リベラルであり、革新であるようです??)

特に現政権批判の批判は
「ひく」ものが多いです。
特定の人物写真をデジタル処理して
相手を辱めるものは一般の人は
特に面白くありません。

政治的主張をなぞらえるならまだ表現なのかもしれませんが、
単に人格を貶めるようなものは、いかがなものかと思います。

それからスレッドの主張はまだ良いとしても
コメントがひどすぎる。
死ねとか、言葉にすることもはばかられるような発言となっており
穏当な評価としても、中学生でももう少し気の利いたことを
発言するものも多いだろうと思われます。

そうして、グループ内でそれらの発言を咎める人がごく少数であり、
表現の仕方を批判すると逆に批判されたりします。

私から見ると
ああ、同じような感覚の人たちが
同じような感覚だということを確認しあっている
内部固めのための言論なのだなあと
感じるわけです。

大事なことは、
反対者(職業的な言論人ではなく素朴な現政権支持者)
を説得するどころか
中間層に対しても「うかつには近寄れない」
という雰囲気を充満させているところです。

「おかしいと思うべきだ」
「怒りを持つべきだ」
「反対しないものはおかしい。」
という主張であり、
これでは相手方を説得するという発想がそもそも存在しない
甘えの言論ではないかと思います。

反体制派が
多数になりえない根本的原因があるように思われます。
むしろ多数へのストッパーとしての機能を果たしていないか
純粋に検討するべきではないかと思います。

これに対して、現政権よりというか
もう少し極端な言論があり、
こちらも、なぜそんなにというくらい
怒りを持った主張をしているようです。

例えば、
パチンコの規制を言わないくせに
カジノ法案に反対することは一貫性が無い
というようなものもあります。

これなどは、特定の人に対する批判なのですが、
祖国をどうするかというまじめな議論ではありません。

日本においてこれ以上認可博打を増やすか減らすか
ということが論点なのですから、
誰がどういう背景でものを言っているか
ということについてはどうでもよいことだと思います。

結局、パチンコがあるのだからカジノがあってもよいじゃないか
という無責任な主張になるわけです。

但し、決定的な違いは、
これらの極端な議論は、
自陣に痛手にならないということです。
むしろ、議論自体が、不穏当なやりとりで
相手方の人間性を否定するものだという意識を振りまいて、
一般国民を議論から遠ざける効果があるからです。


議論が嫌なら当代の権力者が指示されるだけの話です。

機動戦から陣地戦に変わったといわれて
そろそろ100年が経過しようとしています。
しかし、日本の言論界は
相も変わらずに機動戦をしているようです。

なぜ、中間層を味方にできないか
まじめに考える必要があると思います。
半数近くの世論を獲得するのが頭打ち
という要因を真剣に検討する必要があると思います。

正しいことを言っているから指示されなければならない
ということは、夫婦喧嘩でよく聞く論理です。
俺が正しく、妻が間違っているのに
どうして妻は俺を恐れるようになったのだ
とかいつまんで言えばそういう事例が
他人事ではなくあふれています。

どうすれば自分が支持されるのか、
経済的利益ということもあるでしょう。
しかし、本当の決め手は
どちらが自分の仲間なのかということが
モチベーションになっていると思うのです。

ほとんど政治に関心がなければ
面白いテレビ番組の影響をただ受けるでしょう。
それすらなくても、
首相の顔と名前はわかるわけです。

野党の党首の顔はわかっても
名前まで正確には言えないという人も多いのです。

そうするとどちらが身近かと考えると
当然、現在の第1党の方が身近に感じることが自然なのです。

そして中間層は、どちらも敵だとは思いません。
どちらが仲間なのかということで投票をするわけです。

現政権に反対する勢力は初めからハンディキャップを持っているし
現政権は初めからアドバンテージを持っているのです。

この時、何も前提もなく怒りを表現し、
怒らない方がおかしい
という主張する者は、
明らかに自分の味方ではありません。
殺伐としている方には近づきたくありません。

人類は、人類の形をしたものに
つい、共鳴、共感をすることがあります。
悲しんでいる人や困っている人を助けてあげたいという気持ちになったり、
楽しんでいる人と一緒に楽しみたいという行動傾向は
2歳蔵になるとみられるようになります。

しかし、怒っている人
誰かを攻撃している人に対しては
それだけで一緒に怒ろうとすることはあまりありません。

よほど仲間意識の強い人の場合にだけ
怒りの理由を共鳴できる場合にだけ
怒りを共有すると考えるべきです。

逆に怒りを表明されてしまうと
関わり合いになりたくないという人が増えるようです。

怒りを表出したり宣伝するよりも
怒りを抑えて
怒りの理由、原因だけを
静かに表明、拡散するという手法が
指示を拡大するコツだと思います。

怒りは、二者択一的な行動(否定か肯定か)という思考になじみやすくなります。
複雑な思考を排斥するようになります。
一つ一つ積み重ねていく思考はできにくくなります。

党派的な行動をする人たちが、
意見が分かれても不思議がないところで、
類型的に、紛争当事者の一方を悪だと決めつけ
党派的に攻撃していることを目の当たりにすることがあります。

こういう人たちは、事情をよく吟味もせずに
怒りをもって悪と決めつけられた人を攻撃することができるようです。

あまり仲間にはなりたくありません。

冷静な第三者からみると
怒りのあるところには正しさはないという
印象が持たれやすくなります。

どんどんどんどん
内部固めだけをするようになり
内部も小さくなっていくことは自然の成り行きです。

怒りを表明したいだけなのか
国のために何かをしようとしているのか
吟味検討していただく時期になっているのではないでしょうか。

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TVプログラム企画案 「夫婦の時間」 [家事]

1 テーマ

なかなか会話のない日本の家庭の中で
知らず知らずにお互いに対する不満が募ってしまうことがあります。
本当は言葉にして、お互いに修正をすればよいのですが、
自分自身が何に不満を抱いているかわからないということもあるようです。

また、夫婦ぐるみでの付き合いという形式が少なくなり、
先輩のアドバイスが受けにくいという事情があります。

そして、お互いを気遣いあいながら
それを素直に受け止められなくて
破綻してしまう夫婦が多くあります。
最初のボタンの掛け違いにさえ気が付くことができたら
そんなことにはならなかったのにと思うケースが多くあります。

子どもたちへの影響も気になるところです。

そんな問題意識から
些細なきっかけをクリアーに表に出し、
それぞれどういう気持ちなのか
テレビではこう言っていたけれど
実際のパートナーはどう思うか、

それは違うよ
これは大げさだね
というように
話し合われるきっかけになれば
よいのでしょうか。

2 番組形式

日常生活をドラマ仕立てで再現します。
その時感じていた妻の気持ち、
その時感じていた夫の気持ち
一つのことを他覚的に映像化します。

認知心理学か精神医療(行動療法)の観点や
弁護士の観点から、
解説が加わります。

どうしてそういってしまうのか、
どうしてそういう感情になるのか
分かりやすく解決します。

これを放置していた場合に起こることについても
解説が加えます。

但し、どちらが正しいか
どちらが間違っているかという議論はしません。
白黒は付けないということがみそです。

その後かあるいは解説の前か、あるいは前後か
ゲストに好きかってに発言してもらいます。
色々な見方があってよいので、
自分はこう思うということを言ってもよいですが、
他人の発言を否定することはなるべく避けます。

ファシリテーターがきちんと仕切ることが必要です。

こうやって、相手を否定しないで会話をする方法を
学習していくことにもなります。

第三者のアドバイスの危うさも
きちんと解説してもらうとよいと思います。

このセットを二本くらいで30分くらいかなと思っています。

3 メイン司会は、

  「どれが正解ということはないかも知れません。
   しかし、声に出すことで安心できる関係が作られていくのかもしれません」
等という決め台詞をいう。

4 具体的テーマのサンプル

  「私の夫は話を聞かない」

  仕事のことで困ったことがあることを一生懸命夫に話す妻
  かなり感情移入して聴いている夫、
  妻は言葉にすることがなかなか難しく一生懸命
  夫は自分の経験を思い出し、
  言葉にすることに苦労をしている妻の言葉を引き取って
  こういうことだろう、こういう時は
  とアドバイスを始めだす。

  妻はうなづきながらも
  なお自分で話をしようとするが
  夫は自分のアドバイスを否定されたような気持ちになり
  だんだん面倒くさくなってくる
  
  妻は話を続けようとするが
  夫は、今言ったとおりだよと言いだす。
  妻が切れる。
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日大アメフト事件を監督コーチの処分で終わりにするなら事件は繰り返される [労働事件]



日大アメフト事件は、監督、コーチらが除名を含む処分をされました。
もし、監督やコーチ、特に監督の人格上の問題で本事件が起きたならば、
それで終わりにしても再発はしないでしょう。

しかし、もし、今回の事件を起こした監督自身が
このような行為に出るように追い込まれていたとしたら
今回の監督ではなくても起こり得た事件だったと考えなければなりません。

現在の経済学は、人間は誤りを起こすものだという前提から出発します。
誤りを犯すものだから仕方がないというのではなく
どういうメカニズムで誤りが生まれるかいうことを研究し、
先回りして誤りを防止するという努力が積み重なれています。

対人関係においても誤りの仕組みを研究し、
誤りを防止することをするべきでしょう。

今回の事件の背景的問題として、
日大アメフト部が低迷していたという事情があり、
それは大学の評価が下がるという意識があったようです。
このため、アメフト部の成績を上げることが至上命題とされ、
そのために前監督が招へいされたという事情があるようです。

勝ちたいという自然なモチベーションではなく、
勝たなければならないという外圧がかけられていたということになります。

これは企業においてもありうることです。
売り上げが低迷しているために
外部からコンサルタントを招聘したり
ヘッドハンティングをしたりということがあるようです。

おそらく良い条件で抜擢されたのでしょう。
また、組織が困っている時に頼りにされることは
やりがいのあることです。

そうなると、信頼を裏切ることはできません。
一番いやな言葉は
「期待外れ」
です。

無理をしてでも成績をあげなければなりません。
無理をしてでも売り上げをあげるパワハラ上司と同じです。

この時、独自の方法論をもって
部下のモチベーションを高め、
モチベーションを合理的な方向への努力につなげることができれば
成績は上がっていくでしょう。

しかし、各大学、ライバル企業もしのぎを削っていますので、
そんな魔法の人間管理は対人関係学的労務管理を学ばない限り
到底できません。

そういうノウハウがない人たちはどうするのでしょう。
ここに奇妙な共通点があります。
成績の良い個人に依存するのです。

能力のあるものを叩いて
能力を絞り出そうとしてしまうようです。
指導能力のない人たちは底上げということを考えられません。

能力のある個人に徹底的につらく当たり、
無駄に活性化させ、
さらには、アンフェアな行動に出ることまでを期待します。
鬼に金棒作戦とでもいうようなものです。

今回は全日本大学選抜の選手にこれをやりました。
パワハラ過労死の犠牲者も、能力の高い人ばかりです。

能力のある人はフェアに活動していますので、
そこに軋轢が生じるものです。
この軋轢は、やる気と能力のある個人の
やる気を奪っていきます。
この延長線上に自死があります。

それでも、監督や上司は厳しく当たるしかありません。
合理的に伸ばす指導のノウハウがないからです。

軋轢は標的になった個人だけでなく
周囲にも広がっていきます。
人間の習性でこのような不合理に対しては
集団的怒りが形成されます。
この集団的怒りを抑え込むためには、
さらに強い力で先行攻撃をして、
個別に分断して抑え込むという方法がとられます。

そうすると、怖いものですから、
個人から発案することが無くなります。
言われたことをやるしかなくなるということです。
無力感に陥っていきます。

いつしか業績を上げることをまじめに追及することよりも
上司から気に入られるようにすることが
現実の目標になっていきます。

イエスマンばかりになり、
顧客や取引相手よりも
上司の期限が優先されていきます。
その延長線上に
法律や道徳よりも上司の命令を優先する
そういう仕組みができてしまいます。

日本企業低迷の大きな要因だと思います。

日大事件においてもコーチや監督の
行動のメカニズムを検討する必要があり、
これをしなければ、また同じことが繰り返されます。

これは日大に限ったことではありません。
他の大学、他のスポーツ環境や
経済環境に等しく当てはまることなのです。


一番の出発点は、
スポーツの目的のはき違えです。

その教義をすることが楽しく、
純粋に強くなる、あるいは楽しむということでなく、
母校の名誉や受験者数の増大、就職、金銭という
不純な目的が
人間を大切にする、人間に対する敬意をもつ
という当たり前の感覚を奪っていくということを
私たちは繰り返しニュース動画で見せられました。

部活動での活躍が
就職や進学に優位になる
こういうことを遅くとも中学生から叩き込まれてきたことが、
人間性や弱さを否定され続けてきたことが
今回の事件の背景として見過ごすことはできません。

これが日本経済の発展を妨げていると思います。

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高度プロフェッショナル制度制定を他国から見たらどのように見えるのだろう+一般保守政治家の心理 [労働事件]

高度プロフェッショナル制度は、日本法制史に残る
あからさまな悪法です。

その理由は、法律自体に大矛盾があり、
およそ法律の体をなしていないという所にあります。

日本の労働基準法は、戦後直後に制定されましたが、
戦前の労働者が長時間労働で早死にしていたことをふまえて
早死にをさせないように
1日8時間、1週間当たり48時間(現在は40時間)しか
働かせてはいけないということを罰則をもって定めました。
さらに、例外的に働かせてもよい場合でも
時間外労働の場合は割増賃金を支払うこと、
10時から5時の労働の場合も割増賃金を払うこと
として、できるだけ時間外労働をさせない
という工夫をしました。これも罰則付きです。

ところが、今回、年収1075万円以上の労働者は
このような時間制限を無くするというのが
高度プロフェッショナル制度です。

どうして1075万円以上の労働者の場合は
早死にさせる工夫が不要となるのでしょうか。
全く根拠はありません。
早死にしてもかまわないということにしかなりません。

時間外割増賃金も
深夜勤務の割増賃金の制度も無くなります。
これが働かせ放題法案と言われる理由です。

おそらく、このような法律ができたとしても
評判を気にするきちんとした企業や
労働者のモチベーションを大切にして生産性向上を考える企業は
最初は高度プロフェッショナル制度を適用しないでしょう。

こんな制度を適用したら、自分の従業員のモチベーションが上がらないだけでなく、
労働者を100時間近く、下旬と上旬で150時間も
時間外労働をさせる企業だという評判は
企業の信用を低めるからです。

また、時間外割増賃金を払わないならば
労働者を増員する必要がなくなるでしょう。
二人分を一人に働かせればよいわけですから、

しかし、そんなことをしたら、
払うべき賃金も払わない企業
というレッテルが張られるでしょう。

だから、怖くてこんな制度を採用しないと思われます。

しかし、内閣がこんなに話し合わないで強行採決するのだから
一部の企業では、採用するでしょう。
そうすると、経費(人件費)が下がる制度をどうして採用しないのだ
という素人的圧力に屈する企業も増えていくのだと思います。

一番気にしなくてはならないのは
日本の企業の中ではそのようなルールとなっていても
海外ではそのようなルールとなっていないのですから、
外圧がかかってくることは気にしなくてはなりません。
歓迎しているのが、時差を気にするグローバル企業だけかもしれません。

なんにせよ、一部の会社でそのような要求があるからと言って、
理屈に合わない高度プロフェッショナル制度を
強引に推し進めていることを、外国の企業はどのように思うでしょうか。

あたかも、高度プロフェッショナル制度は、
日本企業の総意で制定するというように感じるでしょう。

日本企業は、労働者を休ませないで働かせなければ
採算の合わない経営体質の瀕死の企業ばかりだと感じるでしょう。
それだけ無茶苦茶な制度だからです。

エコノミックアニマルという言葉が昔ありましたが、
この時代ではエコノミックロボットという言葉になるでしょう。

日本労働者の権利意識の低さに驚嘆することでしょう。
そうして、この法律を提案しているのが、
国土交通省や経済省ではなく、
厚生労働省ということを知ったらさらに驚くでしょう。

労働者の福祉、健康を増進するはずの省庁が
過労死を蔓延させる矛盾した法律を提案しているということは
世界の非常識だと思われることでしょう。

これでは日本には、
「我が国の労働者の権利を守る省庁」に当たる省庁は
存在しないのかと納得してしまうことでしょう。

日本は、官僚制度が機能していない
と感じることでしょう。

また、日本の国会議員、特に保守派の議員は
なぜこのような無茶苦茶な法律の提案に
反対派とも区画としても議論をしないのだろうと
不思議に思うでしょう。

この点については少し考えなければなりません。

しかし、高度プロフェッショナル制度に賛成する国会議員のブログにヒントがありました。

第1に、先ず、保守政治家自身が、この法案を知らないのです。
労働基準法の何をどう変えるということも、
それがどのような意味があるのかということも
また、どのような法律に変わるのかさえも
まるで分っていないのです。

驚きました。

これでは反対するあるいは議論をするきっかけが生まれません。

第2に、そうなると次に、彼らは何を考えて賛成しているか
それは、保守党というコミュニティーを大切にする
それがモチベーションだということになります。

分からないけれど、自分たちの代表が推進しているのだから
とにかく推進しなければならない
という意識なのだと思います。

そうするとマスコミや野党が騒げば騒ぐほど、
自分たちを守ろうとしてしまうわけです。

なりふり構わずに
まるで、過労死遺族をあざ笑うような行動は
そのような条件で生まれるようです。

日本をどうしようという発想がないのでしょう。
日本人の幸せではなく、
自分たちに利益を与えてくれる人の幸せを優先に考えている
そういう結果なのだと思います。

ある意味優しい人たちなのでしょう。
しかし、その優しさは
天下国家を動かす立場からすると
致命的な資質の欠損というほかはないと思います。

高度プロフェッショナル制度
とにかく恥ずかしいのです。こんな制度。
国の評価を下げるどこかの司会者みたいな法律だと私は思います。


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日大アメフト傷害事件で起こったことについての解説を、謝罪会見から試みる [自死(自殺)・不明死、葛藤]

昨日、日大アメフト傷害事件の直接の加害者の謝罪会見がありました。
20歳の若者が名前と顔をさらしての会見でしたが、
関係者、特に本人にとって賢い行動選択だったと思います。

ところで、20歳とは言え、
どうして相手に対する暴行を止めることができなかったのか。
また、どうして、指導陣は
傷害をそそのかしたのか。
それらについては、本人たちも分からないでしょう。
記者は本人に回答を求めていましたが、
それは無理です。

謝罪会見で述べられた事実から分析をしましょう。

経緯は、
加害者は、高校時代から有望なフットボール選手で、
高校時代の監督が日大のコーチになったということもあるのか
日大に入学しフットボール部に所属した。

加害者は優秀な選手で、全日本チームのメンバーにも選ばれていた。

ところが、事件の3日前から
監督が加害者をいじめにかかり、
なんくせをつけ、自分の言うことを聞かなければ
全日本も辞退させる
ということを言い出し、

さらに練習にも参加させないという
なりふり構わない対応を始めました。

1 もともとの体育会気質

もともと、スポーツは、上意下達が徹底しているとこがあります。
勝利という明確な目標があり、
経験豊かな指導者が、研究を重ねて、
勝利への最短距離を伝授していくわけです。

そもそも、監督やコーチなどの言葉に逆らうということは
発想として出てこないわけです。

2 群れの中にとどまる本能

そうでなくとも、チームに入ってしまうと
そのチームから外されたくないと思ってしまうのが
人間の本能です。

この人間の本能を利用して
勝利という明確な目標を絶対善として、
他の価値観に優先させる結果、

上の言うことを守ることが
秩序を守ることと同じことになっていきます。

3 落差理論

人間は、今いるポジションを維持することを望みます。
だから、高いポジションにいる人が
下に転落することは精神的に著しい打撃になります。

立場がなくなってしまうということです。
刑事事件で加害者が自死をするケースが比較的多いのですが、
こういう理由なのだと思います。

日大の加害者は、
全日本のメンバーに選ばれていましたから
メンバーから外れることはとても強い抵抗感があったはずです。
ましてや試合のメンバーからも外されることは、
それだけで、外されまいとする心の動きを強くさせます。

外されないためにどうしたらよいだろうかという
そういう発想にしかならないのはそういう理由です。

彼が全日本のメンバーから外れるということは、
当時の自分自身を崩壊させることであり、
自分自身を守ろうと必死になってしまった
という言い方もできると思います。

4 加害者の暴行当時の心

加害者は、暴行当時、
既に二者択一的な思考に陥っていたのだと思います。
傷害を遂行するか、自分を崩壊させるか
そういう視野狭窄の心理状態に追い込まれた
ということが追い込まれたという意味です。

他に選択肢はありませんでした。

退場にならないことに焦りが生じ、
まだ暴力が足りないのかとと感じていたでしょう。
3回目のファールでようやく退場になり、
もう、暴力をしなくてよいのだという安心感が
号泣になったと考えられます。

彼のためにももっと早く退場させるべきでした。
審判も、まさか意図的にやるはずがないという思い込みがありますから、
意図的な暴行だと認定することが難しかったのだと思います。

彼の心理状態が
このように選択の余地がなかったとしても
自分の行ったことについての責任はとらなくてはなりません。
今回の謝罪会見は良い責任の取り方だったのではないでしょうか。

では、監督やコーチの心理はどのようなものでしょうか。

一言で言って、監督は自分の地位を脅かす存在だと
自分にとって加害者危険な存在だと
本能的に感じていたのだと思います。

自分に関係なく全日本選抜となり、
しかもスタイルがフェアプレーで、
自分に対する恭順の姿勢も足りないと感じていたということです。

上意下達が完成されていないと
実力のない上司は不安になるものです。

無意識のうちに
そういう異分子を叩き潰して、
自分に従わせようとします。

母親が子どもにすることがある洗脳ですが、
徹底的に、自分の彼に対する役割を行わず
彼に対する排除の言動を繰り返した挙句、
泣きついてきた彼を迎え入れて、
監督の下に就くことに喜びや安ど感を経験させていくわけです。

それが行われてしまうと
群れにとどまる本能などから
何でも言うことを聞くようになってしまいます。

自ら率先して忖度をするようになるわけです。

コーチは、支配者と服従者と
両方の側面をもって、
監督に媚び、選手を従わせようとしていたことになります。

さて、それにしても、
どうして罪もない相手をつぶすという方針が作れるのでしょう。

それは、第1の原因は、
監督の危機感が強すぎて、
勝利を絶対的に必要とし過ぎたということがあると思います。

その原因はわかりません。
過労死現場でいえば、
実力がないのに役職ばかり上に上がって行って
常に転落の予感に脅えている場合があります。

また、さらに自分の上司から
同じように洗脳されている場合もありました。
もちろんその人の人格的な問題がある場合もあります。

いずれにしても防衛意識が強いということだけは言えると思います。

人間が人間を攻撃しても平気な顔をしていられるのは、
自分や仲間を守るためだと自分に言い聞かせている場合です。

ここまでお話していてお気づきになられた方が多いと思いますが、
今回の日大アメフト傷害事件は、
会社のパワーハラスメントとかなりの部分で重なります。

その本質は、 人間を人間としてみないことです。

相手が生身の人間で
痛みを感じ、精神的に恐怖を感じ、
家族がいて友達がいる
そういう当たり前のことを
感じられなくなっているということです。

痛めつけることが目的化しているともいえると思います。

長時間労働も
家族から切り離され、
心も四六時中仕事のことばかりを考え
夢の中でも仕事をしている状態
毎日がイライラし
家族から見捨てられたり
子どもたちの健全な成長を奪われ、
挙句の果てに命を落とすわけです。

労働者が人間であることが
見事に捨象された考え方です。

今回は他のチームの選手への加害を余儀なくされました。
過労死は、
自分を死に追い込むということですから、
他人とその家族に危害を加えるか
自分とその家族に危害を加えるか
という違いがあるだけで
心理構造は変わっていません。

さて、4年前の今日
国会では過労死等防止対策推進法が可決されました。
そして今年の今日
衆議院では
高度プロフェッショナル制度が強行採決されようとしています。

暴行による傷害は目に見えますが
過重労働によるダメージは目で見ることができません。

しかし本質は同じなのです。

日大は、選手の謝罪会見を受け
相手選手をつぶせと言ったことを認めながら
なお、選手が監督の指導の意図するところに反する行為をした
ということを公式ホームページに掲げました。

考えなしの反射行為ということはあることです。
しかし、この見解が削除されないまま掲載され続けるならば、
日大は反社会的組織だということになります。

他人の人格を尊重することはモラルであり、コンプライアンスです。
比ゆ的な話だとしても
つぶせということはこれらに反するからです。

高度プロフェッショナル制度で労働基準法の労働時間法制を外す
ということも同様ではないでしょうか。


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【緊急】高度プロフェッショナル制度が有史以来の悪法であることについての説明。官僚や財界が反対しないことが不思議な理由。 [労働事件]

働き方改革の中に高度プロフェッショナル制度があります。
これは、年収1075万円以上の労働者には
労働基準法の労働時間制限が適用されなくなるという制度です。

労働時間制限と言ってもピンと来ないかもしれません。
以下、説明します。

1 日本においては、労働者の労働時間は
  1日8時間、週40時間の上限があるということ
2 上記上限を超えて働かせると原則として
  刑事罰の対象となること(自然人なら前科がつくということです)
3 例外がいくつかあり、
  職場の3分の2以上の労働者を組織する労働組合などが
  使用者と労働協約を締結することによって
  刑事罰を免れる制度があること(いわゆる36協定)

  但し、36協定が有効であるためにはハードルがあり
  例えば、時間外で働かせる内容が
  日常労働ではなくイレギュラーな作業である必要がある
  ということが通達で定められている。
  従って、36協定があるからと言っても
  日常的に一日8時間以上、週40時間以上働かせることは
  通達違反ということになること。
  この点があまり知られていないので、
  日常的な時間外労働が蔓延している。

4 法は、時間外労働をさせないために周到な準備をしていて
  時間外労働が許される場合でも
  ただ時給を払えばよいのではなく、
  時間外ということで割増賃金を払わなければならないとし、
  この割増賃金を払わない場合にも刑罰の適用がある

こういう制度が労働基準法の労働時間制限です。

では、どうして労働基準法に労働時間制限があるのでしょう。
労働基準法が制定されたのは昭和27年です。
まだ「過労死」という言葉はありません。

しかしながら、労働時間制限が設けられた理由は、
「早死にを防ぐため」ということだったのです。
繊維工業や土木作業において、
長時間労働が行われていて、
肺結核などの呼吸器疾患等で
若者が次々死んでいったという立法事実がありました。
戦争という24時間労働もあったでしょう。

良く、昔の人は朝早く夜遅く働いても長生きした
とかいう人がいますが、
長生きした人だけを見ているからそうなのであって、
実際は、多くの若者が死んでいったのです。

「早死に防止」は、松岡三郎先生という
当時、労働基準法の立法作業に役人として携わった方が
労働基準法の教科書で記載されています。
この教科書も、「過労死」という言葉が生まれる前に著されています。

つまり、労働時間制限は
過労死防止だけの制度ではないということです。

さらに、私は労働分野だけでなく
夫婦問題親子問題も手掛けていますが、
長時間労働がもたらす家庭への影響を
もっと考えるべきです。

親子が一緒にいる時間が少なければ
家族は壊れやすくなるというのが私の実感です。
徳に夫婦はそうです。

さらに、疲労が蓄積していけば
イライラが高まっていきます。
夫がそのような状態だと
妻は必要以上に疎外感を感じ、
危機感に敏感になってしまいます。

長時間労働のある会社は
職場全体が殺伐として生き
無駄な決まり事も増えていきます。
そういう決まり事、社内常識を
家庭に持ち込んでしまうと
さらに家庭はぎくしゃくしていきます。

つまり、長時間労働は、
人間の生命、身体の健康をまもるということと
対人関係の悪化を防ぐということから
人間の安全を守るための制度だと私は考えます。

労働者の健康を守る制度は労働時間制だけではありません。

例えば高所作業の場合は、
ヘルメットを着用し、安全帯を設置すること等が定められています。
もちろん身体生命を守るためです。

もし、その高所作業員が年収1075万円以上だったら
ヘルメットを着用させなくてもよい、
安全帯を設置しなくてもよい
ということになったら、誰でもおかしな制限撤廃だとわかるでしょう。

どうして、労働時間法制だけ撤廃してもよいということになりましょう。

おそらく、高所作業の場合、
ヘルメットや安全帯を着用しないことの危険が
誰でもわかりやすいからなのでしょう。

しかし、時間外労働が多くなればなるほど
死ぬ確率も増えるということは、
ほかならぬ厚生労働省が啓発していることなのです。
厚生労働省は、月45時間以上の時間外労働があれば
過労死になる可能性が高まっていくとしています。

これが、月100時間以上働いても
違法にならないとすることとどう整合するのでしょうか、
年収が高いことと何か関連するのでしょうか。
何も関連しません。
年収が高いからと言って過労死にならないという理屈はありません。

過労死という言葉がなかった時代に
8時間、48時間労働時間制を作った
日本の官僚たちは、先見の明があり、
日本という国を、国民の幸せのための制度にする
という気概が感じられます。

それから、医学的にも進んで、
長時間労働の害悪がいよいよ明らかになってきた今日に
労働時間制度を一部廃止するということは
他の労働法制と全く整合しません。
法律の専門的見地からすれば「めちゃくちゃ」です。

現在進められている高度プロフェッショナル制度は
月あたり100時間を上限としていますが、
過労死認定基準で有害とされている
2週間以上の連続勤務を許しているということもあります。
また、暦の上の月ということですから、
5月と6月で2カ月なので、合計200時間までは良しとされてしまいます。
その結果、5月の後半と6月の前半に時間外労働を命じれば、
30日あたりで100時間を大きく超える労働を
命じることが違法とされなくなってしまいます。

むちゃくちゃの上をゆく悪法です。

このような法律の整合性もなく、
労働者やその家族を追いつめる制度を
国民の税金で生活している官僚たちが進めていることに
どうしても納得できません。

政府は財界の意向を受けてい行っているという報道もありますが
私は信じられません。
労働者に月100時間近く時間外労働をさせる会社で
即ちそういう無茶な労働をしなければならない会社で
長期的に見て反映する会社があるでしょうか。

時間外割増賃金も支払わない会社が多いということは
日本経済が破綻寸前だと考えなければなりません。
われわれが会社が危ないかどうかを見極める指標として、
賃金の不払いや遅延があります。
こういう会社は早期に見限るべきだということが常識です。

日本経済はそういう状態なのでしょうか。
これでは、世界経済の中で孤立していくでしょう。
財界は、自分たちの経済的信用をかなぐり捨てて
何を勝ち取ろうとしているのでしょう。

グローバルな取引をする企業こそ
日本企業の信用失墜を防ぐために
高度プロフェッショナル制度に反対するべきなのです。

このままでは、高度プロフェッショナル制度は成立するとのことです。
一部の動きとして、労働者に解約権を作るとか言っています。
ないよりましかもしれませんが、
そういう対等の立場で解約できないから
労働基準法があるということを理解しない
とても恥ずかしい議論だと思います。

私がこれに反対しないことは、
私がこれまで学んできた労働関連法規、
法律を守るという実務家のキャリアをすべて否定するものです。
だから私はこの法案に反対します。


  
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連休明けの今日、学校に行かなかったあなたと親御さんに  [自死(自殺)・不明死、葛藤]

今日GW明けです。
おそらく、中学生を中心とする多くの子どもたちが
学校に行きたくないと感じていることでしょう。

実際に学校に行かなかった方もたくさんいると思います。

親としては大変心配になります。
学校に行きたくない理由は人によってたくさんあるのですが、
とにかく行けと強制したくなるのも仕方がありません。
それでも、行きたくない気持ちが強い
かなり強い、病的とも思える拒否反応を示すこともあります。

親として一番心配なことは、
とりあえず家から出て、学校に行かないことです。
家の中で、家族に、「学校に行かない」
と宣言して行かないのであれば、
少し安心してもよいのだと思います。

多少なりとも、親を信頼している
という見方もできるからです。
大切なことは、
無理やり行かせないことです。

もちろん行くように説得するべきですし、
そのためには事情を聴くことが必須です。
行く気持ちにさせる努力は必要だと思います。

ダメなのは
頭ごなしに行かなくてはならない
あるいは強制的に学校に連れていくことかもしれません。
行きたくないという気持ちだけは、存在するのです。
無いことにはできない部分です。

気持ちを動かすことができなければ
むしろ「今日は」あきらめる
という選択肢を持つべきだと思います。

今日、突然学校に行かないと言い出すお子さんも
このまま学校に行かないのはまずいと思っています。
本当は、
「今日だけは」行きたくないというお子さんが多いようです。

端的に、
このままいけなくなってしまうのではないか
それなら無理しても行った方が良いと思う。
と意見を述べ、
「明日からは行く」
ということであれば、
「今日は」休むことを支持してもよいかもしれません。

私が思うのですが、
私が中学生だった40年前と現代では
中学校という人間関係は
ずいぶん様変わりしているように感じるのです。

子ども同士の厳しさみたいなものがあり、
許されないという雰囲気が強いようです。

あまり詳細には繰り返しませんが、
良い学校に入って、良い仕事について
解雇の心配と無年金の心配のない環境に入らなければならない
という切迫感を強く感じます。

良い学校に入るためには、
全教科で水準以上の成績を収めなければならない
学校生活で失敗することも許されない
という息苦しさを感じます。

そのため、子どもたち同士でも、
相手の些細な過ちや
求められる水準を満たさない事による中傷が
容赦なく行われます。

例えば部活動に出ないと
ラインなどで、どうして出てこないのだという
一斉攻撃が始まります。

顧問が、それを行うこともあります。

部活動は、
ブラック企業の非人間的な集団生活を送ることに備えるための
精神修業の場ではなく、
充実や、喜びや、楽しさのためにある
という考えは、はじめから無いようです。

このような子どもたちの過酷な攻撃に追い打ちをかけるのが
連帯責任を理由にする叱責です。

一人がいろいろな理由で共同行動できないことが
他の子どもたちが叱られる理由になるという
江戸時代でもめったになかったことを
平気で行ている学校もあります。

また、できないことはできないのに、
陰口をして、子ども同士が嘲笑するということも
今の学校ではあるようです。

「許されない環境」が学校にはあるようです。

ゴールデンウイーク中
家族の中で安心して生活していたお子さんが、
連休明けに学校に行きたくないということは
こういう環境を考慮に入れれば
むしろ当然のことかもしれません。

私たち大人は、
そういう嫌なことを何度も経験していますから、
お子さんの悩みの理由がそれほど深刻なものとは
感じられないということも仕方がありません。

しかし、経験したことの無い苦しみの強烈さというものは
なかなか思い出すことができないものです。
また、その行きたくない理由がなかなか改善できないならば
お子さんは、
将来的にこの苦しみから逃れられない
という長期的な絶望感を感じているかもしれません。

学校に行きたくないということは
文字通りよほどのことだと考えましょう。

特に、小学校などでいじめをされた経験がある場合、
また、あの時と同じ気持ちになるかもしれない
というとてつもないストレスを抱えている可能性もあります。

行きたくないという理由を親が理解できなくても
行くことが極度の苦痛であることはありうることです。

さて、親としては子どもが学校を休んだ以上
学校に行かないことに罪悪感を感じてもらいたいと思うかもしれません。
または、本当に頭がおかしくなってしまったのかしらと
大変ご心配されるかもしれません。

しかし、今、特に今日限定で頭に入れておいていただきたいことは、
子どもは、親から特別扱いされることをとても嫌がることです。
特にはれ物に触るような扱いが苦手です。
普通にいつも通り接してほしいということが本音です。

大事なことは、
「明日から行くんだよね」ということを
ダメ押ししないことです。
(これが一番心配ですが)
行くことを前提にいそいそと準備をする
という姿勢が良いみたいです。

もう、「今日は」仕方がないという割り切り
これが、問題を最小限度にとどめるコツのようです。

さて、今まで今日休んだあなたがこれを読んで
どう思ったでしょうか。
全然わかっていないという評価かも知れません。
しかし、
そういうこと親に言ってほしいという部分が少しでもあるなら、
もう少しだけ読み進めていただきたいのです。

それは、あなたが今日休むことを私は賛成する。
その理由についてです。
大きく言えば、
あなたが自分自身を大切にするために
今日休むことが必要だと思うからです。

親御さんにもそれを理解してもらいたいと思って書きました。
その上で、
もっと、もっと、より自分を大切にすることを提案したいのです。

それは変えなくてもよい所は変えないままでも
考え方を少しだけ変えるということです。

変えなくてもよいところは、
あなたが今日学校に行きたくない事情を
嫌だと思うことです。
それは無理に変えることはできません。

ちょっとだけ変えることをご提案することは、
その嫌な事情の中で、
「自分を責めない」ことです。

できないことはできなくてもよいのです。

誰かから、先生だったり、同級生だったりから
嫌な評価をされたところで出来ないものは仕方がありません。
そんなことができなくたって
日常生活に支障はないでしょう。

要するに、人間はそれぞれ、
向いていないことがある
という事実を覚えるということです。

それにもかかわらず。
さっきも言ったように、
今の学校教育の中には全部をできなければいけないという
人間工学的に非科学的な軍隊思想みたいなものがあって、
一人一人を苦しめています。

あたかもできないことが悪だというような感じです。
これは間違っています。

先生や嫌な同級生が否定評価をしても
あなたは、自分自身を否定してはいけません。
向いていないだけなのです。

覚えていていただきたいことは、
向いていない事なのに他人からやいのやいのと否定されると
いつしか、人間としてすべて否定されているような
そんな感覚に陥ってしまいます。
これは人間誰しもそうです。
あなただけではありません。

しかし、真実はそのことが向いていないだけです。
他の人が簡単にできることが
できないということはよくあります。
言われると私も嫌な気持ちになります。

でもできないことなんていくつもあります。
逆にあなたでなければできないことも
必ずあるんです。

例えば、誰か友達に
「私も嫌な気持ちになったんだよ
 あなただけではないよ」
ということを言えるのもあなただけです。

欠点や弱点が多い人の方が
他人の役に立つことが多いのです。
私はそういう人たちをたくさん見てきています。

あなたの人生には向いていることが必ずあります。
しかし、それはあなたが、自分自身を認めてあげないと
見えてこないことかもしれません。

嫌な環境かもしれませんが、
他人に左右されず、
自分の向いていることを見つけていくことが
人生の喜びです。

私は、50歳を過ぎて
ようやくそれがわかってきました。
まだまだチャンスは十分あります。

今日一日思い切り贅沢をしましょう。
向いていないことは、今日一日きりすてて
ちょっと苦手だけど、このことほどではないことで
比較的できるかもしれないと思えることに
取り組んでみましょう。


家族の中で気まずくなったら、
このブログを紹介して読んでもらってください。





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